戦場でメリークリスマス
お馴染みの展望レストランの片隅で、俺はテーブル一つを丸々占領して座っている。他の椅子は他所のテーブルへ動かしたから相席を求められる心配もない。
今日の宴会はバイキング形式だ、中央に並んだテーブルの上には和洋中のフルコースメニューがずらりと並べられている。
自分で好きなコースメニューを自由に組み合わせる趣向のようだ。もちろんコースにこだわらず好きなものをひたすら食べてもいい。
立派なバーカウンターには高そうな酒が山ほど用意されている、予定では今夜は一生分の酒を飲むつもりだった。しがない社畜の身分では二度と飲めないであろう高級酒の、全ての銘柄の味と香りを記憶に焼き付けておく、そのつもりだったのだが。
ごちそうも酒もとりあえず後回しだ。
テーブルの上には授賞式でもらった表彰盾と銅の勲章、花束、それに三位の賞金二十万ドルが印刷されたスチレンボードの大きな板。
オモチャのドル札をB1サイズに引き伸ばしたような小道具だが、額面は二十万ドルになっている。そう、賞金の単位は米ドルだったのだ。
賞金はジミー君に聞いていたとおり優勝が100万、準優勝が50万で、三位は20万だった。ただし単位は円ではなくアメリカドル。
俺はてっきり単位は円だとばかり思っていた。だってそうだろう、ゲームの大会の賞金としては妥当と思える額だ。ドルだと百倍以上のおかしな金額になってしまう。
ちなみに今のドル円相場は126.110000となっている。単純計算すれば、20万ドルだと2522万2000円になる。
優勝賞金百万ドルだと1億2611万円だ。ゲーム大会の賞金が億超えだぞ、さすがはアメリカだ、日本とはスケールが違う。そりゃあイーエモンとかが必死になるわけだ。俺だって知ってればもっと頑張った……かな? 案外プレッシャーでポカをやったかもしれないが。
日本の常識じゃゲーム大会で賞金が何千万円とかあり得ないから、俺が勘違いしたのは仕方がない。アメリカじゃプロのゲームプレイヤーがプロスポーツ選手並みに稼いでいるらしいからな、それを考えればそれ程おかしい金額でもないのか?
日本の大会で何故賞金の単位がわざわざドルなのかというと、カジノチップで貰えるかららしい。俺だと例の10万のクリスタルチップが二枚ってわけだな。昨日ナンシーに聞いた裏技を使えばカジノチップには合法的に税金がかからないわけだから、これはかなりありがたい。
賞金と賭けで手に入れた分を合わせればクリスタルチップが六枚とその他小額チップがたくさん。ほんの数日で七千万円以上稼いだわけだな、これから先、真面目に労働するのが馬鹿らしくなりそうだ。
そうか、単位はドルだったのか。昨夜カジノチップを50万円分換金した際に中途半端な端数が出てた謎が解けた。換金する際のドル円相場によってレートが変ってくるわけだ。
考えてみればカジノの経営は米国資本で、客も大半は海外から来ているのだからチップの単位が米ドルなのはむしろ当然だよな。
招待状に同封されていた30万円分のカジノチップはドルチップではなく日本円のチップだった。
円チップはそのままじゃ換金はできないので、一度ドルチップに変える必要があったんだな。
円チップはもともと日本人観光客専用のもので、円チップしか使用できない日本人向けのカジノもあるらしい。そういう場所じゃ換金できず、景品と交換することになるらしい。
一度外人向けカジノに持ち込んで勝負に勝てば換金できるドルチップにロンダリングできる。これは裏技と言うより今では特区の常識になっている。景品とかもらっても荷物が増えるだけだしな。
何故こんな面倒な円チップが存在するのかネットで調べてみたところ、カジノ特区の成立した経緯からいろいろあったようだ。
そもそもカジノ特区のメインターゲットは海外の大富豪で、海外から金を集めるのが特区設立の目的だったため日本人の客は当初想定されていなかったようだ。国民の射幸心をいたずらに煽るとして、日本国籍を持つ人間が特区に入るのにいろんな制限をかけようとしていたぐらいだ。
ところがカジノ推進派の議員数名が、カジノは文化だ、税金を払っている国民が税金で作るカジノ特区で遊べないのはおかしいとか言い出した。さんざん紆余曲折のあった後に、射幸心を煽ることなく小額でカジノの雰囲気だけ楽しめるようにと、換金はできないが景品と交換できる円チップが用意されたのだ。
景品がもらえるだけなんて、そんなお子様向けのギャンブルは面白くもなんともない。日本人観光客向けに用意されたカジノはほとんどがすぐに廃れてしまった。今生き残っているのはスロットマシン中心の小規模な店舗ばかりで、そういった店では公然の秘密として円チップの換金もできるようだ。厳密に言えば違法行為だが、これは黙認している政府の方が悪いだろう。
最近は違反しても問題ない法律が多くなりすぎて、馬鹿正直に法律を守っていると損するだけだ。最初に法の抜け道を見つけた者が荒稼ぎできるのはオンラインゲームと同じ、現実の方がペナルティも殆ど無いし、最近裏社会に入って行く若者は増加の一途を辿っている。おそらくリンリンもそんな連中の一人なのだろう、銃なんか振り回して危ない奴だよなあ。
円チップの存在そのものが無駄みたいだが、円チップの発行・管理をしている外郭団体で働いている人達が大勢いるため、今更廃止もできないようだ。一般の企業だと一夜にして会社がなくなってることも珍しくないご時世に、ずいぶん羨ましい労働環境ではある。
言いだしっぺの議員さんたちも、なんとか円チップに存在価値を持たせようと、ドルチップは特区から持ち出せないが、円チップは持ち出し可能としてみたり、いろいろと差別化のための特別法を通している。
ちなみにドルチップを持ち出しても特に罰則はないのだが、カジノ特区では定期的にドルチップのデザインを変更するため、その際に持ち出していた旧チップは全てオモチャになる。余ったチップはカジノに預けておくのが一番いいみたいだな。
円チップは使用期限がないため、確かにその点では便利だな。主婦の人のブログなんかを見ると、旅行雑誌の付録についていたりするのを毎号溜めて使ったりしているようだ。
そういえば俺も以前に駅前でもらったティッシュに500円チップがついていたことがあったが、あれはどこに行ったんだろうな? 考えてみればティッシュ配りのバイトは配らずに持ち逃げした方が儲かりそうなもんだが、こういった配布用の円チップにはそれぞれ違う絵柄がプリントされていて、同じ絵柄のチップは一人一枚しか使用できない設定になっているようだ。
こんなものまでデータベース化してたのか、壮大な技術の無駄遣いのような気もするな。あれ? ということは日本国籍がないと円チップは使えないということか? 使えばその時カジノ特区にいたことが記録に残るわけだし、何か事件があれば証拠として採用されるわけか。これってアリバイトリックに使えそうだよな、別に殺人の予定はないけれど。
多少の勘違いはあったものの、ほんの数日で年収何十年分の大金を稼いでしまった。もちろん嬉しいことは嬉しいが、額が大きすぎてなんとなく現実味がない。
まるでゲーム内通貨が増えただけみたいな感覚だ。日本円もカジノチップもスコアポイントも、結局のところただの数字に過ぎない気がしてきた。一体お金って何だろうなと小学生のようなことを考えてしまう。
ナンシーが言ってたみたいに金の延べ棒でも買うのもいいかもしれないな。核シェルターでも作って一生分の食料を買いだめしておくのもいいかもしれない、でも七千万じゃ本格的なシェルターを買うには足りないよなあ。
俺が馬鹿なことを考えている間に、ステージでは何やらイベントが始まったようだ。今日はマスコミのカメラやなんかが沢山入って来ているし、俺でも知っている大物芸能人の姿もちらほら見える。
相変わらず政治家の先生も結構大勢来てるな、大臣クラスまでぞろぞろいる、この顔ぶれだとひょっとして今日はビリー・レイス氏が降臨したりするんだろうか? 普段滅多にマスコミに姿を見せないビリー氏だが、“ガーディアントルーパーズ”にはえらく入れ込んでいるみたいだしな、彼がちらっとでも姿を見せるだけで宣伝効果は絶大だ、これはひょっとしてがあるかもしれない。
そう思って見渡すと、今日は警備の連中がやけに多い。エレベーターの脇には昨日知り合いになった隊長君もいる、美人の奥さんとは仲直りできたんだろうか?
今日の隊長君は結構重武装だ、ゴーグル付きのヘルメットみたいな帽子をかぶって防弾ベストで身を固め、妙な形の小型の機関銃をものものしく構えている。
金属製の銃みたいだが、SFっぽいというかヌメヌメした曲面が組み合わさったデザインで、なんというかおもちゃっぽい。実用性を疑ってしまうが、警備用だと多分ああいうのが威圧感がなくていいんだろう。
“ガーディアントルーパーズ”じゃあの手の武装は短機関銃に分類されてるよな。威力は微妙だが取り回しは悪くない、そこそこの連射性能はあるし片手が空いていれば弾倉交換も素早く行える。
ただ、対人戦ではまず使われることはない、やはり威力の低さがネックみたいだ。牽制に使うならエネルギー系のパルスビームガンでいいし、実弾好きならガトリングガンかアサルトライフルを普通は選ぶ。まあ、ヨンヨンビームガンが性能よすぎだから、今後何らかの修正が入らない限り短機関銃の出番はなさそうだ。
だが、現実にあんなので撃たれたらやばいだろう。戦闘ロボは装甲があるから数発程度じゃたいしたダメージにならないんであって、柔らかい人体に当たれば内臓とかぐちゃぐちゃになると思う。
あの銃に刺さっている細長い弾倉には数十発の弾丸が入ってるんだ、どんなテロリストが襲って来てもあっという間にハチの巣だろう。頼もしくもあり、恐ろしくもある。
いくらなんでもやりすぎじゃないか、ものものし過ぎる警備にみんなびっくりしてるだろうと思って見渡すが、ステージに夢中で俺以外は警備員にほとんど目もくれていない。
スポットライトを浴びながら、アリサ大佐と優勝したタケバヤシ曹長がインタビューに答えている。
やはり何事も一位でなければ注目されないようだな、おかげで俺はほとんど引っ張り出されずに済んでいる、タケバヤシ曹長は一人でずっと大変だ。二位の賞金は50万ドルだったな、ナンバーツーくらいが一番おいしいポジションなのかもしれない。
なにはともあれせっかく自由なんだし、気持ちを切り替えてご馳走を堪能するか。
まずは前菜だな、適当に美味そうなのを見て歩く。中華のテーブルにフカひれの姿煮を発見。サメは絶滅危惧種の保護動物だから、カニカマみたいな代用品か、闇で取引されている密漁品か、それとも貴重な長期保存品か?
まず最初はこれをいただくことに決めた、どうせなら厨房から運ばれてくる出来立てのものがいいな。
そう思って様子を窺うと、厨房の入り口を覗き込んでいるリンリンを発見。あいつ、またキャビア缶でも狙ってるのかな?
そういえば例の黒づくめの三人娘もその辺のテーブルでタダメシをがっついていたな。なんだかんだいってこんなパーティーに普通に出席できるんだから、あいつらもある意味特権階級の人間だよな。
リンリンは無視してスープを自分のテーブルに持ち帰るつもりだったのだが、なんとなく虫が知らせたのか気になって一緒に厨房を覗きこむ。
厨房で働いているのは調理ロボットと配膳用のアンドロイドだけみたいだ。人間の料理人も一人いるみたいだが、モニターの前で眠そうにしているだけだ。
下手な料理人より調理ロボットの方が迅速丁寧確実な仕事をするというのはわかる。が、高級食材をふんだんに使うホテルの厨房がこれじゃあ、なんというか幻滅だ。
このホテルの陰のオーナーであるビリー・レイス氏はロボットおたくだからな、きっと彼の趣味なんだ。老舗の一流ホテルの厨房に行けば、今でもきっと高い帽子をかぶった人間のシェフが大勢働いているにちがいない。
「さすがだねえ、ダンナもやっぱり気付いてたんだ」
俺に気づいたリンリンが声をかけてくる。おどけた物言いだが、声は笑っていない、というか、こいつが少し震えてる?
まさかと思ってリンリンの視線の先を見る。
エレベーターに向かう通路にはあいかわらず重武装の警備員が数名、その脇をすり抜けるように赤い絨毯に一瞬もやっと影のようなものが浮かんで消える。
普段なら目が疲れただけだと思うところだが、今の影には見覚えがある。一昨日の夜に俺を襲ったテロリストが使っていた光学迷彩だ。
そう思って見渡すと、そこここに怪しい影がちらついて見える。すでに大勢のテロリストがレストラン中に入り込んでしまっているというのか? 十人や二十人じゃないぞ、これは。
敵の武装は不明だが、向こうから仕掛けてくるのだから警備員だけでは戦力不足と考えていいだろう。プレイヤーのとりまきの美女たちやロシア人の三人娘は武装しているから戦力にカウントできるとしても、相手の姿が見えないんじゃ明らかに不利だ。
そういえばナンシーと黒眼鏡部隊の姿が見えないな。
「外部と連絡がつかなくなってる、気がつくのが少し遅かった」
携帯端末で5分ほど前に円ドルレートをチェックできたから、まだそれ程時間は経っていない。
「アンドロイドが動いてるってことは、ローカルネットの一部は生きてるな」
ここのアンドロイドたちはネットワーク経由で動かされている操り人形だからな、アンドロイドの目でもある監視カメラもまだ生きているということだ。
「人間様の通信回線限定で妨害してるってこと?」
リンリンの喋りが素に戻ってる気がする。監視されていないと思っているのか、それとも演技している余裕もなくなってきているのか?
「それで、厨房なんかで何をしてるんだ?」
「脱出ルートの確保ってやつをね、ここの厨房には食材搬入用のエレベータがあるって聞いてたんだけど」
ここは高層ビルの最上階だからな、そういう設備があると随分助かるには違いない。あるとすれば冷蔵庫の近くが便利そうだよな。
業務用の大型冷蔵庫の横の壁に、それらしいステンレスの小さな扉があった。衣装ケース程の専用コンテナに荷物を入れて上げ下ろしできるようになっているみたいだ。
「このサイズじゃとても人間は入れない」
「子供かヨガの達人なら入れないこともないかもしれない」
思ったことをそのまま口に出してしまった。こんな時に不謹慎かなと思ったが、リンリンは俺が景気づけに軽口をたたいたとでも思ったらしい。
「そりゃあいい、インドの聖者に助けてってお手紙でも出そうか? ん、手紙、手紙ねえ」
リンリンがその辺を家捜しし始めると、さすがにモニターの前でうつらうつらしていた料理人も怒鳴り込んできた。思ったより年寄りだが、元気そうな爺さんだ。
「こらっ、またお前か。入ってきちゃいかんと言っとるだろうが」
「よお爺さん、紙ないか? それとペンか何か貸してくれ。死にたくなけりゃ大至急だ」
「何を大袈裟なことを、最近の小娘は口の利き方も知らん」
文句を言いつつも爺さんが指差したエレベーターの脇には、付箋紙のブロックとボールペンが紐でぶら下げてあった。紐をよく見ればハムなんかを縛る調理用のタコ糸だった、味があるというか、ちょっと貧乏臭いなあ。
「灯台下暗しってやつだな」
「ダンナの落ち着きっぷりには腹立つなあ、もう」
落ち着いているわけではなく、平和ボケで危機感が沸いていないだけだ。何十人ものテロリストに襲撃されたら一体どうなるのか、結果を想像することができないでいる。
そういや海外じゃ武装集団が建物を占拠して皆殺しなんて事件が最近多い。先月も東欧の小さな国のテレビ局で千人近く殺されている。ひどい事件だとは思ったが、そんなことは日本じゃ起きないとなんとなく他人事に感じていた。
でも、起きるときは起きるもんだな、よりによって自分が巻き込まれるとは運が悪い。
……というより、狙われているのは間違いなくビリー・レイス氏だ。
世界一のお金持ちのビリー氏は敵も多くてしょっちゅう襲撃されているみたいだが、優秀な護衛によって守られているのでいつも無事だ。人前には滅多に顔を出さないし、影武者も大勢いるみたいだから暗殺者にとっては世界一難易度の高いターゲットだろう。
だが、ビリー氏本人は安全でも、巻き込まれる周囲の人間は大変危険だ。護衛はビリーを守るのが仕事であって、その他の人間がどうなろうと知ったこっちゃないだろう。つまり、自分の身は自分で守らなけりゃならんということだ。
丸腰の俺に何ができる?
テロリストのターゲットがビリー氏なら、丸腰の方がむしろ狙われないんじゃないだろうか? 先方にしてみれば優先度の高い脅威から排除していかなければならないわけで、戦闘力がなければ狙われるのは一番後回しになる理屈だ。
この厨房でじっと隠れていれば案外お目こぼししてもらえるかもしれない。とんだ臆病者だが、恥じる必要はない。現実の世界では俺は戦士じゃないんだからな。
タタタタと軽快な音が響き、一瞬の沈黙。地響きのような悲鳴や怒号が聞こえてきた。
「始まった」
リンリンが無表情にぽつりとそう言う。
爺さんがコンソールに飛びついて操作すると、壁のモニターが十六分割され、レストラン全体をカバーするように配置されているカメラ十六台分の映像が映し出された。
「一体、どうなっとる」
カメラだと光学迷彩はまったく見えないな、やはり肉眼の方が機械より優秀みたいだ。カメラ越しだと銃を持った透明人間に襲われているパニック映画に見える。
どのカメラがどこを映しているのか把握できないのがもどかしい。リンクスのサブカメラの映像なら分割ウインドウを見た瞬間に理解できるのに、やはりベティちゃんは只者ではないな。
背景から想像すると、逃げようとしてエレベーターに殺到した人達が掃射されているようだ。撃たれた人が無造作に倒れていく、丸腰でも容赦ないんだな。
ステージ付近にいた一般の来客の多くは、一番最初に何が起きたのかすらわからないうちに銃撃され、すでに血の海に横たわっている。防弾ベストを着ていた警備員達の何人かはまだ息があるようだが、もはや戦えそうにない。
そんな中で、プレイヤーの取り巻きの美女たちは動きが違う。咄嗟にテーブルを倒して身を隠し、降り注ぐ銃弾の雨に耐えている。中にはどこからか取り出した拳銃で果敢に反撃している奴までいる。あいつら、絶対プロのエージェントか何かだろう。
見覚えのある三人娘が走っている姿がカメラに映った。骨付きチキンやワインの瓶を手に持って走る姿は滑稽なのだが、動きがイタチ科の生き物みたいにやたらすばしっこい。唖然としている間に一瞬でカメラの視界から消え去ってしまった。
と思った次の瞬間には厨房の入り口から三人娘が転がり込んでくる。
「何よ! こんなの聞いてないわよ!!」
「あの人達は多分、白いキリンのメンバーね。指揮官の一人に見覚えがあるもの」
「敵の武装はプラニコフが推定30前後、ショットガンも4丁以上は聞こえたわ、サイガのフルオートモデルかしら?」
言葉の意味はよくわからないが、リーダー以外の二人は随分冷静だ。さすがは二つ名まである凄腕の連中だ、と言いたいところだが、赤毛のツインテールを揺らしながらリーダーが振り回している骨付きチキンのせいでお笑い三人娘に見えてしまう。
このリーダーはたしかガリーナとか言ったかな? おっとりしている銀髪のむっちりした娘がオリガで、冷静な黒髪のボブカットがマーシャ、だった筈だ。リンリンがふざけて見せてくれた三人娘のファンサイトではそうなっていた。
三人とも相変わらずの黒尽くめのドレスだが、今日はやけにスカート丈が短い。噂のでっかい銃を隠し持っているようには見えない。
「おい、あんた達の自慢の銃はどうしたんだよ?」
リンリンも俺と同じことが気になったようだ。何しろ、黒い三悪魔の実力が噂通りなら、この三人は味方の切り札ともいえる存在なのだ。
「大口の支払期限がたまたま今日でね、なんていうの? 差し押さえってやつ? まったく、間が悪いったらありゃしないわよね」
ガリーナが何故か恥ずかしそうにツインテールの一方を弄りながらもじもじする。もう一方の手は相変わらず骨付きチキンを握り締めたままだが、いつの間にか一口齧ったあとがある。
それにしても差し押さえって今でも現実にあるんだな。金に困ってるとは聞いていたが、本当に困っていたみたいだ。
「ホント、間が悪いよ。あんたらが頼りだったのに」
リンリンの落胆ぶりから察するに、やはりかなりの戦力ダウンのようだ。
「マカロフ程度でどうにかなる相手じゃなさそうだよねえ、弾もあんまりないし」
ガリーナが、短いスカートの下のホルスターから小さな拳銃を抜く。チラっと見えたが、太腿に巻きつけられた革のベルトには予備のマガジンとおぼしき物体がいくつもぶら下がっていた。
なんだかんだ言って、ちゃんと武器は身につけてるんだな。マカロフというのはどうやら銃の名前のようだ、名前からしてロシアっぽい。小さいけれど金属製だし、リンリンのプラ製のオモチャみたいな銃よりは強そうだ。弾も山ほど持ってるみたいだし、一体彼女はこれで何と戦うつもりだったんだろうな?
「いい銃じゃないか、そいつを相手の口に突っ込んで撃てばイチコロさ。あんたらはここから侵入してくる敵を一人残らずぶっ殺しててくれ。爺さんは他の出入り口を全部ロックして、ほら急ぐよ」
皆リンリンの指示に文句も言わず従う、こんな時は何をしていいかわからないから指示された方が楽だな。
指示されなかった俺は……どうしよう? とりあえず入り口で見張りをすることにする。光学迷彩のテロリストが近づいてきたら三人娘に知らせればなんとかしてくれるだろう、多分。
戦場となったレストランのあちこちで、生き残った集団がテーブルなどを積み上げてバリケードを築きつつある。
テロリスト達はベランダを確保すると、あまり撃って来なくなった。バリケードを一つずつ潰している暇はないということか? どうやらベランダから屋上の空中庭園へ侵入するつもりのようだ。
屋上にはヘリポートの他に、花が咲き乱れる庭園に囲まれたビリー氏専用の別荘があるという噂だ。屋上へのアクセスは多分秘密のエレベーターがどこかにあるのだろうが、そんなものを探すよりベランダからよじ登った方が早いと考えたのだろう。
俺がテロリストの指揮官なら真っ先にヘリを押さえるな、ビリー氏に飛んで逃げられたらミッション失敗なんだし、ヘリさえ確保しておけば最悪でも自分だけは脱出できる。
テロリストたちがオリガの言う白いキリンのメンバーなら、指揮官以外は弾を撃ち尽くすまで戦った後、建物ごと自爆するそうだ。最初から生還を考えなければ作戦の幅は随分広がる、なにしろ脱出ルートを考えなくていいのだから。
彼らのいつもの流儀通りなら、すでにホテル爆破用の爆薬は設置済みで、リモコンと時限装置の両方で起爆するようになっているらしい。
生き残りたければ、爆発の前にビルから逃げ出すしかない。リンリンが状況を知らせる手紙をエレベータで送ったので、下ではすぐに避難が始まるだろう。
次第に状況がはっきり見えてきたな。絶望的な状況ではあるが、何もわからないまま殺されるよりはずっといい。
俺は多分ここで死ぬ、なら遠慮なくテロリストと戦えるな。たとえテロリスト相手でも殺人は重罪だが、どうせ死ぬんだからそんなの関係ない。
この状況で俺が、俺達にできることは、爆発の時間を一秒でも遅らせることだ。一秒の差が、下にいる連中が何十人も多く避難できることに繫がるわけだ。
時限装置で爆発するまでテロリストにリモコンを使わせなければ、それが最も時間を稼げることになる。
敵の指揮官がヘリを奪って逃げ出すまでは爆破はないだろうな。部下は見殺しにしても自分は逃げるのが連中の流儀らしい。
ただし、オリガの情報によれば今回連中の指揮をしているオネストジョンという男は、ヘリが破壊されたり、脱出不能だと悟った時には降伏より自爆を選ぶくらいの気概は持ち合わせているそうだ。ジョン君に脱出の希望を抱かせた状態で、ビリー氏が逃げ回ってくれていればいいのか? あれ? ビリー氏を殺すのが目的ならビルを吹き飛ばして終わりでいいんじゃないか? なら連中の目的はビリー氏の誘拐か?
「言われてみれば、オネストジョンがアラブの石油王を誘拐した時の事件と似てますねえ」
俺の目の前でのんびり枝毛を探している長い金髪のお嬢さんの頭の中には、世界中の要注意人物のリストが入っているらしい、ちょっとしたサイボーグ手術みたいなのを受けているようだ。そんなものはメモリーカードにでも記録しておけよと思うんだが、まあロシア軍のやることはよくわからない。
生まれてこのかた想像すらしたことはなかったが、こんな別嬪さん達と一緒に戦って死ぬのもそう悪くないか。そういえば、あの隊長君はまだ生きてるだろうか? 彼だったら奥さんや子供を逃がすための決死の戦いは美談になるのにな。