8-6
Long,long ago
Side:Luna
慶介さんが倒れてから一日が経った。
あの時倒れて以来目覚めては意識を失いまた僅かな間だけ覚醒するということを繰り返している彼は、たった一日で驚く程やつれていく。
今日などは覚醒時にも意識が朦朧としているようで、それが更に私達の不安を煽った。
「慶介さん、大丈夫でしょうか……」
「ヤバイ、よな……ここはこんな環境だし、医者もいない。
そもそもこうなってる原因だってよく分からないし…」
不安そうに少し離れた場所で眠る彼を見つめる優那ちゃんと楓さん。
確かに二人の言う通り何が原因か分からない以上私達に出来るのは簡単な看病だけだ。
それだって満足な食事や防寒のための道具がない状態では大したことは出来ない。
「ここ最近はあの老人も来ていません。
彼と話ができれば何かが変わるかもしれませんが……」
「難しいだろうね。何より今までの彼の言動から言って、私達の事を道具か何かのように捉えている様だった。
もし慶介君の状態を言ったとしても、何かしてくれるかどうか」
同じ意見を持っているらしい宗一郎さんの言葉に頷く。
恐らくあの老人は私達のうち何人かが怪我や病気になって使えなくなっても構わないと思っているだろう。
そうでなければ初日に鞭で慶介さんを叩くはずがないし、こんな劣悪な環境に置くはずがない。
もしかしたら折角召喚した私達が使い物にならなくなってしまうかもしれないからだ。
恐らく彼等にとって必要なのは私達の中の数人―――下手をすれば一人だけ。
この環境で生き抜くことの出来た、たった一人だけを利用するつもりなのかもしれない。
「ともかく私達に出来ることと言えば汗を拭いたり食事の手伝いをするくらいですね……」
ただこの考えを残る三人に言うのは憚られた。
ただでさえ不安定になっている彼等を不要に揺さぶってしまうだろうし、これが正確な判断かどうかもわからないのだから。
「確かこの間彼が来てから食事は六回出されたはずだ。
今までの傾向から言うとそろそろ現れてもおかしくはない。
それまで私達にできることをやっておこう」
私と同様、頭の隅においている考えを明かすつもりはないらしい宗一郎さんも頷いてそう言った。
老人が現れたのはそれからほどなくしての事。
以前とは異なり息も絶え絶えに横になる慶介さんを視界に入れ少し目を眇めた後、彼はやはり気味悪く笑む。
予想が当たってしまった、と思ったのは私だけではないらしい。
宗一郎さんも少しの焦りを表情に宿していた。
「そこで寝ているのはどうした?」
老人が私達に語りかけてくるのは召喚が行われたあの日以来だった。
これまでは無言でこちらを観察し、すぐに立ち去るだけだったというのに。
それに私は嫌な予感を覚えたが、楓さんや優那ちゃんはそうではなかったようで。
「慶介さん、突然倒れたんです!
あの、お願いですからお医者さんを呼んで下さい!!」
鉄柵に縋り付く勢いでそう言う彼女に、老人はケタケタと笑い声をあげた。
「医者だと?この私が、お前達のようなモノに?
面白いことを言ってくれるな小娘」
「そんな、慶介さん、このままじゃ死んじゃうかもしれないんですよ!?」
「それがどうした」
「……っ、オイ!お前が俺達を召喚したんだろ!
なら責任もって医者を呼べよ!!
何かの目的があって俺達を呼んだならここで死なれちゃ困るんじゃないのか!?」
あっけなく返された問いに言葉を失う優那ちゃんの横で、今度は楓さんが掴みかかる勢いで問い詰める。
けれど苛立ちと焦りを過分に含んだそれにも老人が動揺を示すことはない。
寧ろ鼻で笑われ、鉄柵を握りしめる楓さんの手に力が籠った。
「勘違いをするなよ。
私が召喚したのは我が国が世界の覇権を握る礎となる魔物だ。
お前達のような僅かな力しか持たぬ半端ものではない」
「なっ……」
「だがまあ……私も鬼ではない。そして合理主義でな。
使えぬからと言ってすぐに処分しない私はまっとうな召喚術者と言えよう?」
ニィ、と笑む様はそちらこそが悪魔だろうと思わせるものだった。
吐き出される言葉もこちらの神経を逆撫ですることを目的としたもの。
けれどここで冷静さを欠けば向こうが喜ぶだけだろう。
「そのそちら曰く使えない私達をどうにか使えるようにするためのものが、この魔法陣だとでも?」
私の問いに老人は目を細めた。
同時にその表情に満足の色が浮かび眉を潜める。
何がこの老人の琴線を刺激したというのだろうか。
「まともに話が出来るものもいたようだな。
その通り、我らにとってこの程度で壊れるようなガラクタは不要。
そこに転がる男のように死ぬなら捨て置くまでよ。
反対にお前やそこな男のように幾分かは役立ちそうなものは――相応に生きながらえるのではないか?
まあ、それも天の導きによるものだろうが」
目線だけで宗一郎さんを示した老人。
余計なことを言ってくれたものだ。
お陰で折角黙っていたことが意味を成さなくなってしまった。
彼の言葉はこれ以上なく優那ちゃんと楓さんの不安を煽っただろう。
ある意味自分達の命を握っていると言っても過言ではない老人からのものなのだから。
「そんなことを言っても結局は天命だろう。
大体君は何を根拠にそんなことを言っているのか、是非とも聞かせてもらいたいものだね」
表情にいくらかの厳しさを覗かせた宗一郎さんの言葉にも老人は動揺や迷いを見せず、寧ろ楽しげに笑う。
困惑し警戒する私達の様子を心底愉快に思っているらしい。
「気づいていないか。
お前達召喚物はこの世界に渡ってきた時点で存在の書き換えがなされている。
元の世界の情報のままではここに存在することが出来んからな。
その書き換えが謂わば召喚術の本質だが――お前達に言っても分かるまい。
そしてその書き換えをなした事の証明、召喚術の副産物として召喚物にはある種の変化が起きる。
それが魔力の保持とそれによる色の発現だ。
色変わりは我が使役として召喚されたモノの証。
つまりお前達の何もかもは我が手中にあると言っても過言ではない」
あの真っ白な空間で神を名乗る存在が言っていた、元の世界との繋がりを絶ち切ることが情報の書き換え、という事なのだろう。
それをすることによって私達はこの世界に縛り付けられたというわけか。
そしてそれを成したのは目の前の老人。
確かに彼が私達の命運を握っているのは偽りではないのかもしれない。
ただ魔力まで持たされた――となると、私達にも魔術が扱える、ということか?
ならばそれを使って逃亡することも不可能ではない、のだろうか。
幸いにして、と言っていいのか分からないが魔術の知識は既に頭の中に用意されているようだし。
「小娘は足の爪、若い男は髪の一房、そちらの男は背の皮膚」
次々と示されるその場所をそれぞれが慌てて確認していく。
服に隠れて見ることのできない優那ちゃんの足の爪や宗一郎さんの背中の皮膚はともかく、楓さんの髪が一部分だけオレンジに染まっているのは元々そんな風に染めていると思っていたから驚きだ。
そしてそうなると私の身体もどこかに色が…?
嫌悪に肌が粟立った時、タイミングよく老人がこちらを見つめた。
その瞳が真っ直ぐに見つめるのは――私の瞳。
「そしてお前はその両の瞳」
この男は今何と言った?
瞳が染まっている?
私の、陽と同じ、漆黒のはずの瞳が?
「――宗一郎、さん」
恐る恐る、隣に立つ彼を見上げる。
この部屋の唯一の灯りである燭台は鉄柵の近くの両脇の壁のみ。
老人と話すためギリギリまで柵に近づいた今、灯りに照らされ私の瞳の色はよく見えるはずだ。
「私の目は、黒、ですよね…?」
宗一郎さんの目が見開かれる。
驚愕、そして苦悩に。
「…………いいや。紫だ」
「――――――っ、」
あぁ、この感情が憎悪。
「ハハハハハ!なかなかいい顔をするではないか!」
老人の表情が愉悦に歪む。
何て忌まわしい事だろう。
私の黒。陽との残された繋がりのひとつ。
それを、この男が、この世界が汚したのだ。
「お前……!」
「愉快な事だ!その憎しみの表情も、そこな小娘が浮かべる恐怖も、男の怒りも!
だがお前達は我が使役。どうすることもできぬ!
――どれ、ひとつ死にゆくものの末路でも見てみるか?」
かつん、と老人がどこから取り出したのか、身の丈程もある杖で床を打ち鳴らす。
「【我が呪に応え、その生命よ揺らげ。
古の術による力の統合をここに】」
しゃがれた声が響き渡り、床に描かれた魔法陣が脈打つように輝いた。
「……ぁ、ぐぅっ………!」
同時にそれまで静かに眠っていたはずの慶介さんが苦しみ出す。
意識があるのかどうかも分からなかったが、自らの手で喉元を掻き毟る様からはかなりの苦しみが窺えた。
「慶介さん!?」
「無駄なことよ」
慌てて傍へ駆け寄った私達に老人が笑う。
ヒューヒューと鳴る息。血が出た喉元。
身体はビクビクと痙攣しているその姿はまさに死の間際としか言い様がない。
手を止めさせようとしてかそれを押さえつけた楓さんの力にもそれが止まることはなかった。
そしてもう一度杖が鳴らされる。
「あぁぁぁぁあぁぁあぁ!!」
鬼気迫る叫びだった。
これぎ断末魔なのだと、その場にいる全員が理解できるほどに。
最後にビクリと大きく震え、それきり慶介さんの身体は動かなくなる。
「慶介、さん……?」
楓さんが恐る恐る手を離した。
同時にあり得ない光景が目の前に広がる。
慶介さんの体が崩れ始めたのだ。
それは正しく崩れる、という表現がぴったりだった。
皮膚が、肉が、骨が内蔵が液体のようになって元の形を無くしていく。
床に広がると思われた慶介さんだった液体はまるで染み込むように魔法陣へ溶け込み、その場には何も残らない。
そう、慶介さんがいた場所には何もなくなってしまった。
「そん、な……」
言葉を無くした優那ちゃんがガクリと膝をつく。
今はそれを気にかける余裕もなかった。
死んだ、ということだろうか。
いいや、それ以外に考えられない。
これが魔術。いとも簡単に人の命を奪う術。
「使えぬ駒は不要だ。
こうなりたくなければ、精々が生きながらえることだな」
哄笑を辺りに響かせ、いつかのように老人はそのまま姿を消した。
だと言うのに今までの話を冷静に分析することも出来ない。
消えた――いいや、殺された慶介さん、その叫び、苦悶の表情、そして老人の言葉。
その全てが間違いなく私達を動揺させ、恐怖に陥れたのだ。
「………皆、落ち着こう」
その言葉はただの気休めだった。
それでも必要なものだった。
宗一郎さんのそれに心は波打ち凪ぐことはないが、確かに表情は覆い隠すことができたのだから。
それが可能だった私はまだマシな方なのだろう。
自分の身体、ついさっきまで慶介さんが横たわっていた場所を見つめて優那ちゃんも楓さんも恐怖の表情を浮かべている。
唯一表情に変化を見せないのは宗一郎さんだが、彼とて震える手は隠せていない。
「……すみません、取り乱しました。
結局あの老人に私達の命を助けるつもりは無いようですね。
しかも、下手をしたら全員死んでも構わないようにも思っている」
「そんなっ」
「月君の言う通りのようだ。
こうなるとどうしたものか…」
「どうするって、大人しく考えてる場合かよ!?」
その場に響き渡る楓さんの声。
どうやら相当動揺しているようだ。
恐怖に震えながらも話を聞こうとしている優那ちゃんよりも、寧ろ彼の方が精神的なストレスがたたっているらしい。
よくない兆候だなと自然と眉がより、どうしたものかと宗一郎さんを見つめる。
私としては彼を頼るつもりの視線だったが、それが楓さんにはまた違ったものに見えたらしい。
「なんだよ、その合図!
自分達は大丈夫だからって余裕こいてるのか!?」
「楓さん、落ち着いて下さい」
「落ち着けるかよ、死ぬかもしれないんだぞ!!
お前達はそうだよな、あのジジイだってそう言っていた!」
本当にまずい。
彼の不安が周囲に伝染してしまう。
私もどうにか表面上は落ち着けた心が再び荒れ狂いそうだ。
「楓くん。死ぬかもしれないのは皆一緒だ。
彼が言っていたのは私たちにとって何の根拠もない口から出任せだよ」
「それでも!あのジジイに全部がかかってるのは事実だろ!!」
「……………」
彼の言葉は紛れもない事実で、だからこそ私も宗一郎さんも言葉を返すことが出来なかった。
私達を召喚したのはあの老人で、私達をここに閉じ込めているのも、私達の命を握っているのも確かに彼なのだから。
「俺は死にたくない!絶対に帰るんだ…!!」
「――もうやめてください!!」
悲鳴じみた制止を発したのは優那ちゃんだった。
大人しい彼女の大声に、流石に楓さんも言葉を止めそちらを見る。
涙の溜まった目で彼をキッと睨み付けた。
「帰りたいのも死にたくないのも、皆一緒です!
それなのに自分のことばっかり言って……!」
「じゃあお前はここで死ぬのを大人しく待つのか!?」
「それは…」
死の瞬間をここで静かに待つ。
それは閉鎖されたこの空間、そして異世界であるからこそ何よりの恐怖だった。
目の前でまざまざとそれを見せつけられたからこそ、余計に。
やはり黙り込み、けれど視線だけは強く見つめる優那ちゃんに舌打ちして楓さんは一人牢の奥へ座り込む。
明白な拒絶だ。
ただ一人でそこにいたとして何をすることも出来ないだろうことは分かりきっている。
彼はそれに気づいていないのか、それとも気づいていて尚そうしているのか。
どちらにせよそっとしておく他無いだろう。
私ももう一度心を落ち着けなければいけない。
あんな風に取り乱すことが無いように。
「……本当に、一度皆落ち着こう。
さっきの時点で私達に何もしなかったということはまだ少しの間大丈夫だということだろう……慶介君のように、倒れたりしない、限りは」
「でも…」
「いいから。私も今は落ち着く時間が欲しい。
情けない話だが震えてしまってね」
苦笑と共に自らの手を示す彼に優那ちゃんもハッとした。
宗一郎さんは自身が最年長ということでより神経を尖らせていたのだろう。
それを思えば確かにそれぞれ休むことが必要に思える。
ずっと黙りを続けている楓さんはともかく、どうにか私達はこの現実を受け止めなければならないのだから。
「……わかりました。休みます」
「月さん!?」
「正直今はまともに物事を考えられそうにないから。
それに冷静に人の話を聞けるとも思えない」
「その通りだ」
「そう、ですか…」
休むことも大した解決策にはならないが、いくらかマシだろう。
息をついて壁に寄りかかる。
優那ちゃんも不安そうにしつつ休む体勢に入った。
慶介さんのことは……いっそ今は、忘れよう。
元々そこまで関わりもない、数日の付き合いの人間だ。
だから下手に考えて同情して悲しんだりする必要はない。
――そうでも考えていない限り、おかしくなってしまいそうだった。
目の前で何の罪もない人間が簡単に命を刈り取られる。
魔術という不可思議な力によって。
それはあまりにも非現実的で、けれど何よりも恐ろしいことだ。
ある意味武器を持って迫られるよりも。
だから私はそれを考えないようにしなければならない。
今見たものを全て、私とは関係のないものだと認識しなければならない。
そうでなければ平静など保っていられない。
慣れ親しんだ作業だった。
両親が死んで、遺された久遠直系は私と陽だけになって。
命を狙われるならばその相手の命を同時に狙わなければならない。
非道でなければ生きていけない。
だから私は全てを薄いフィルター越しに眺めてたくさんの事をした。
そうして陽の隣で生きた。
だからきっと慶介さんのことも大丈夫。
でも、ひとつだけそれが出来ない。
――こんな目は抉ってしまえ。
誰とも会話しない状況に入るとすぐにそう囁く私の心。
陽と同じものだったはずの瞳。
既に彼との繋がりも切られ、残った僅かな同じものを証明する部分。
いっそ本当に抉ってしまおうか。
そうすれば恐ろしい現実を見ることもなく、これ以上記憶を上書きしようとする景色も見えなくなるわけだから最後に見た陽の姿が滲むこともない。
強く閉じた目元を手で押さえつける。
あぁでも、そんなことをしたら陽は悲しむだろうな。
だって額をちょっとぶつけたくらいで凄く心配そうな顔をしていた。
それが、目をなくしたりしたらどんな顔をするかなんて想像もつかない。
そうは言っても私は彼のその表情をもう一生見ることは無いのだけど。
陽。君は私の変わってしまった瞳を見て何て言う?
泣いてくれる?私の心みたいに。
それでもどうにか、気にするなって慰めてくれるのだろうか。
もしくは明らかな嫌悪を示してくれるのだろうか。
今の私のように、ならば抉り取ってしまえと怒りと憎悪をこの色に向けてくれるだろうか。
「月君。………大丈夫かい?」
「………大丈夫じゃないように見えていますか?」
考えていることが表情に出ていただろうか。
そうは言っても目元を押さえつけている今、露出しているのはそこから下だけだが。
少し反省しつつ目を塞ぐ手を下ろし宗一郎さんに微笑みかける。
「少しね。それでも微々たるものだ」
「ならよかったです」
優那ちゃんは眠ったようだ。
心も身体も、どちらも過度なストレスに晒され過ぎている。
暗がりになっている牢の奥、楓さんの様子はハッキリとは見えないが、強い視線も感じない以上こちらに興味を示していないか、彼女のように眠ってしまっているのだろう。
「あまり良くはないよ」
「そうですか?私はそうは思いませんが」
「私としては賛成できないな。
……君は、大分落ち着き過ぎている。
いくら久遠の当主筋とは言っても年端もいかない少女だ。
優那君のように少しは私達を頼っても構わないし、感情を外に出したっていいはずだというのに」
「お気づかいは不要ですよ。
慶介さんがああなってしまって、皆不安定です。
私までもが取り乱していいことは無いでしょう。
それに泣き叫んで不平不満を言ったところで現実が変わるとも思っていませんから」
笑いながら言った言葉は宗一郎さんの思うようなものでは無かったらしい。
普段は穏やかな表情を難しそうにひそめている。
「………何かお気に障る事を?」
「いいや。ただ月くんのその考え方は、どうにも諦念を含んでいるように感じてね」
「諦念、ですか」
―――もしかしたら、間違ってはいないのかもしれない。
少し考えたら納得してしまった。
そうか、私がこの世界にやって来てから特に取り乱しもしなかったのは。
「宗一郎さんには私達兄妹のことについて、ある程度話が伝わっていますよね?」
「あぁ、そうだね」
「ならばお分かりでしょうが、私達にとっては互いが全てだったんです。
勿論他に目を向けることもありますが、それでも。
特に私はその傾向が強いんでしょう、陽と離れた今、私にとってはもしかしたら全てがどうでもよくなってしまったのかもしれません」
もう二度と彼に会えることがないのならどんな世界にいたって、どれだけ苦しくったって、どんなに悲しくったって変わらないのだ。
だから私は皆と違って泣くことも無いし、声を荒げることも無い。
現実を見ることが出来ているのかいないのか、それは分からないけれど。
この世界に来てすぐの頃にはまだ難しかったのだろうけど、ここでの静かで停滞した日々はきっと私に諦めを齎したのだ。
何より変わってしまったという瞳の色が。
私はもう陽とは違って、彼の姿を目に映すことも、その温度に触れることも、その声を聞くことも、傍にいることも出来ないのだという諦めを与えた。
「……まだ、希望は消えたわけでは無いよ」
「もしかしたらそうなのかもしれませんね」
けれど私は既に絶望を知っている。
あの真白の空間で告げられた真実を。
思えばあの存在は間違いなく神だったのだろう。
私は間違いなく異世界へと堕とされ、そしてそんな私を憐れんで神は何かしらの力を与えた。
その証が変わってしまった瞳の色と、少し意識すれば簡単に浮かんでくる魔術や体術の行使の方法やあちらの世界での専門知識だ。
他にも恐らく言語を翻訳する能力。
これは時折やってくる老人が話す時、聞こえる言葉と口の動きが全く一致しないことから気が付くことができた。
他の皆にはどうやら言語翻訳の力しか与えられていないようだが―――もしかしたら本人が気づいていないか、もしくは私と同じように誰かに知られることを恐れて隠しているということもあるかもしれない。
まったく、なんとも忌々しい憐れみだった。
そんなものを与えられるくらいなら死んだ方がマシだと思うくらい。
「………月くん?」
「あぁ、すみません。なんでもありませんよ」
うっそりと我ながら穏やかではない表情で笑んだ自覚はある。
宗一郎さんが怪訝そうにするのは当然だろう。
「ならいいがね………希望は捨ててはいけないよ。
そうでなければ生きることがつらくなる。
希望や目標、目的をもたねば人というのは生きていけない」
「それは宗一郎さんの経験から?」
「そうだね」
「………わかりました。覚えておきます。」
私が頷いた事を見届けて、彼はまだ少し心配そうにしながらも穏やかに微笑んだ。
そしてその後すぐ、慶介さんに続いて楓さん、そして宗一郎さんまでもが倒れることになる。




