7-11*
Side:Silva
セイルートが使った魔導結石によって移動したその先は、物々しい雰囲気に包まれていた。
殺風景な石畳の床と周囲を取り囲む無数の柱、華美な衣装を纏った人間達。
空間の中心から発生している強い風と圧力、魔力。
「――――陽っ!」
その中で響く、初めて聞いた彼女の切ない声。
「月!!」
それに応えたのはルナと同じ漆黒の髪を持つ美しい男だった。
あれが“ヨウ”。ルナの大切な人。
離れていても彼女の紫の瞳に強い想いが宿るのがわかる。
それが悔しく悲しく、そして不安で堪らなくて、けれど彼女のもとへ近づこうと思っても強い抵抗が邪魔をする。
そして何より足を踏み出しかけた俺の肩を掴むセイルートの手が行動を阻んだ。
「離せ、セイルート」
「駄目だ……」
「どうして」
「どうしても」
「お前、あれを放って、ここで見ているつもりか!?」
ルナをとられる。いいや、元より彼女は一欠片たりとも俺のものでは無かったのだ。
ああしてヨウに向き合う彼女を見れば何よりそう確信できる。
それくらい、彼に比べれば俺という存在は些末なものなのだろうと分かってしまうような、瞳の色。
「黙れよ!!」
叫んだセイルートは今にも泣きだしそうだった。
その瞳に宿るのは―――郷愁?そして深い傷。
「月と、あの人の邪魔をしないであげたいんだ。
ずっとずっと会えなくて、やっと会えて……でもまた、別れなきゃならないんだよ…?
それに他人が入り込むなんて許されるはずないだろ…」
肩に指が食い込むほど力の込められた手。
振り絞るように告げられた言葉は訳の分からない内容ばかりだった。
大体そもそもここはどこで、一体何が起こっている?
「説明しろ、セイルート。これは何だ?」
「………召喚術だよ。月をこの世界に呼び寄せたのと同じ」
「召、喚………?」
召喚術。
聞き覚えのないものだ。
これも失われた魔術の1つだろうか。
それにこの男は今何と言った?
ルナをこの世界に呼び寄せた?
「5年だぞ!?なんでこんな、俺を一人にした!」
「私だって、寂しくて、つらくて、苦しかった……
こんな、君のいない、どこかもわからない場所に飛ばされて。
あれから50年間、君のことを一瞬だって忘れたことは無い……!」
悲鳴のような声。
それを意識の端で聞きながら、でもしっかりとは響いてこない。
ついさっき思い出したばかりのあの時のルナの言葉。
『この世界の人間、みんなみんな大嫌いだ』
この世界の人間。その言葉の意味は。
彼女は、異なる世界からの来訪者だった?
それならば人族でありながら変わらない容姿と強大な力を持つことにも納得がいく。
他の世界ではそれは当たり前のことなのかもしれないのだから。
「月は50年前この世界に召喚された。
召喚されただけじゃない。
同じように使われた生命の魔術で身体をつくりかえられて化け物になった。
そして――“聖国”は彼女をあんな風にした」
「身体を、つくりかえる…?」
呆然と呟いた俺に、セイルートはいっそ皮肉げに笑った。
「何、月があんな力を元から持ってたとでも思ってたの?
……そんなはずないだろ。あの人はどこまでも普通の、ただの女の子だったんだよ」
それを歪めたのがこの世界に生きる人間だろ。
呪詛のような言葉だった。
何がセイルートをここまで駆り立てるのか。
ルナに関することだけでは決してないだろう。
その漆黒の瞳に渦巻く憎しみはそれにしては色濃く、そして禍々しすぎる。
「……あぁ、言ってなかったね。
俺は月と同じ世界で生きていた存在だ。
あの世界で一度死んで、記憶を持ったままここに転生した。
全てを記憶したまま、無理矢理に新しい居場所を与えられて」
「………!」
ずっとわからなかった、ルナとセイルートを繋ぐもの。
それは二人が過ごしていたこことは別の世界の記憶。
知らなかった俺は二人の絆が羨ましく、けれどそれを共有することは出来ないのだろうと感じていた。
確かにそこに俺が入り込める筈が無かっただろう。
文字通り、世界が違うのだから。
「陽……っ」
ルナとヨウを隔てる透明な壁。
それに彼女は両手をつき、縋るようにその名を呼んだ。
彼も手のひらを重ねるようにして向こう側から手を合わせる。
その身体に浅い裂傷を負っても、二人はそのまま互いを見つめ続けていた。
「俺からお前を、お前から俺を奪って50年だと?
ふざけるな……!月、帰ろう!!また一緒に、ずっと傍に…!!」
共に。俺が望んだそれ。
俺が口には出来ない望みを、ヨウは簡単に口にする。
それにルナは動きをとめ、ついでゆるく首をふった。
「もう、戻れないんだ」
その答えは俺にとっては幸いで、けれどルナにとってはそうではないんだろう。
遠くからでも見える震える肩、声。
それが切なく耳を打ち、同時にヨウの望みが叶えられないことに浅ましい歓喜を覚えた俺の胸を刺す。
「……セイルートは、ずっとこれを知っていたのか」
ルナの唯一。ルナの過去。ルナの想い。
俺には欠片しかもたらされなかったそれ。
それをずっとずっと知っていて、この男はそれでもルナの傍にいたのか。
そして何も知らない俺を見ていたのか。
掠れた声に返ってきたのはたくさんの感情をごちゃ混ぜにしたような笑みだった。
「そうだよ。―――俺達はずっと、傷を舐め合ってたんだ」
どちらも永遠に同じ故郷を喪った者同士。
確かにその中での感情の共有は傷の舐め合いと呼べるものだろう。
けれどそれだけのはずがない。
「俺と月はずっとずっとこの世界で孤独だった。
この世界の人間が、この世界が憎くて堪らなかった。
でもそれを一度でも表に出すわけにはいかなかった。
俺はこっちでの家族っていうものがあったし、月にも自分の叶えたい望みがあったから。
ずっと感情を押し殺すことは心がボロボロになるんだよ。
………ねぇ、シルヴァ君。俺も月も、この世界が大っ嫌いだ」
「………っ!」
瞳に揺れる憎悪。
それをまざまざとぶつけられて鳥肌が立った。
「君は言ったね。俺に、もう少しジークに本当を見せろって。
でもそんなの無理に決まってる。俺にとってあいつはそんな価値なんてないんだから。
それは俺の家族も国民もみんなそうだ。みんなみんな、俺は存在に価値を感じない。
………今なら分かる?俺が君をあの時殺したいと思った理由と、言った言葉の意味」
『この世界の人間の癖に………この世界で何も知らずに生まれてきた加害者の分際で!!』
血を吐くような叫びが脳裏に蘇る。
俺に向けられたこの世界の人間という言葉は、真実その通りだったということか。
加害者というのは召喚術によってルナをこの世界に呼び寄せたことに対するもの。
実際にそれをしたのは“聖国”の人間でも、二人にとってはこの世界の人間全てが同罪ということなのだろう。
「君は何も知らない癖に、簡単に月の隣を望もうとする。
さっき月が言ってた言葉、聞こえたかな?50年って。
彼女の寿命は竜族も馬鹿に出来ないくらいあるんだよ。
だからどうやったって俺達は月をおいて逝く」
「何で、ルナは人族のはずじゃ……」
「それを壊したのがお前達だろ……!」
生命の魔術での身体の変化。それを指しているのだろう。
禁術の内容については知らないことの方が多いが、生命と名がついているのだ。
不可能とは思えなかった。
「……だから俺は月を伴侶に望まない。
一緒に過ごす間は幸せだったとしても、先立たれて後の孤独が月を泣かせる。
なら心だけは彼女の隣に、他の女を娶ったとしても、俺は国王になって“王国”を月に遺す」
何も知らなかった俺には考えもつかない選択。
恐らく俺がルナに向けるものと全く同種の想いを抱いているだろうセイルートの望み。
俺には選べない、苦しみが伴う未来。
「月、言え。頼むから、俺が必要だと、言ってくれ……
そんな顔をして、そんな事を言うな。今の俺はお前に触れられないんだ…」
そして彼女にとっては苦痛に塗れた未来への選択肢を、ルナも選ぼうとしているのだろうか。
大切な、唯一であるヨウの手をとらないというそれを。
「……っ、だって。だって、だって……っ、……本当にもう、君と共にはいられないんだから、しょうがないじゃない…!」
声に涙が混じる。
泣かないで。そう思うのに、同時に喜ぶ自分がいる。
彼女がこの世界に留まり続けることへの喜び、彼女が泣いていることへの痛み、彼女が――知らない彼女が目の前にいることへの嫉妬。
それらがないまぜになった俺は、今どんな顔をしているのだろうか。
「こんな汚い色の瞳、君と違う色の瞳、潰してしまいたいよ。
君と、同じ、大切なものだったのに……!
なのに、この世界が、この世界に住むイキモノが、ぜんぶぜんぶ、私から奪っていった!」
美しい紫の瞳は、今は涙で濡れているのだろう。
いつも綺麗だと思った色。
いつだったかそれを口にして、ありがとうと笑ってくれた彼女。
その奥にルナは、ずっとそんな思いを隠していたのだろうか。
俺を、この世界の人間を映す忌まわしい色の瞳を抉りとってしまいたいと。
「君と同じ時を刻むはずだった体だってとっくになくして、君と過ごした大切な日々だって、もう今にも記憶が擦りきれそうなの。
君を……っ、君の声も姿も温度もすべて、いつだって隣にあったはずなのに、それがぜんぶ消えてく!!
ねぇ、どうしたらいい?わたし、もう、何も、何ひとつなくして、きみと一緒になんて、いられないよ…」
初めて聞く、少し幼さの混じる口調。
あぁ、本当にヨウはルナの特別な唯一なのだ。
だってそんな風に取り乱す貴女を、俺は今まで見たことがなかった。
セイルートから向けられた憎悪も、貴女はずっと心に抱いて俺と過ごしてきたのだろうか。
俺が憎くて、それでも望まれたから傍にいてくれた?
本当を見せて欲しいと望んだ俺を嫌悪した?
触れる手が煩わしく、向けられる視線が忌まわしかった?
ルナ。教えて。でも言わないで。
向けられる言葉がその通りであるなら、耐えられないから。
「どうして俺が今、君にこうして簡単にとは言え話をしていると思う?
今まで誰にも語らずに裡に秘めてきた過去と感情を曝け出してまで」
目の前で静かにこちらを見るセイルート。
全てを知って、ルナの隣にいることをヨウと同じく許され、けれどそれをしない男。
「君は選ばないといけない。
君がルナの隣を望むなら、真実を知って、それでも彼女の傍にいることを望み続けるかどうかを。
そして俺とルナのこの世界への憎悪を受け入れられるかどうかを。
答えを出すまで、月には記憶の魔術は使わせない。
たぶんもう時が来たんだ。俺は選んだ。君と月も選ばないといけないんだろう」
「選んだ……?」
「そう。俺は選んだ。君がもし月の隣を望み続けるなら、俺は君を受け入れる。
君の望みに彼女が応えても応えなくても、俺は君を受け入れるよ」
「どういう――」
「陽、陽、っ、よう………!」
切羽詰まった切ない声と、ピシリという破壊音。
思わず見つめた視界に映る力任せに裂かれる壁。
伸ばされた手と手、指と指が絡んで、あぁ、ルナは今何を思っているのか。
そしてきっと俺はそれを永遠に共有できないのだろう。
「月、俺は忘れない。お前と過ごした幸福もお前を喪った悲しみも、悔しさも、怒りも、お前への感情全部を忘れない。
俺はお前で、お前は俺だ。この先何があろうとずっと。俺の、俺だけのたいせつな、月」
ヨウがルナの手を引き寄せ、右耳に触れさせた。
そのまま彼女の指で勢いよくピアスを千切りとる。
「私も君を、忘れない。
君と過ごした幸せも、暖かさも、君を喪った切なさも、痛みも、憎しみも、永遠に忘れない。
私は君で、君は私。永遠に、私が死ぬときまで」
手を引いて、自分の右耳にそれを触れさせる貴女。
獣の耳に届く鈍い、肉が押し潰される音と微かな痛み。
こんな時でも愛しいと心から思っていると感じられる声が自分に向けられたものでないことに胸の内を黒く染める俺はきっと馬鹿なのだろう。
「世界が変わったって、私自身が変わったって。
ずっとずっと君は、私の“世界で一番のたいせつなひと”だよ。だから、さよなら、陽」
ルナは、ヨウの手を、離した。
ずっと、終わりのその時までルナの名を呼んでいたヨウの声が消えた。それと同時に。
「うぁ、あ、ああぁぁぁぁぁぁあ……!!」
それこそ自らの持つすべてを喪ったような。
絶望に染まった嗚咽をこぼし、ルナがその場に座り込む。
長い、ヨウと同じ黒髪が床に散らばった。
そして彼と魔法陣が消えたことで抵抗が無くなる。
それを利用して打ちひしがれた細い肩に、それまで離れた場所で手を出せずに事態をただ見ているだけだった“聖国”の人間が手をかけた。
「貴様、何という事をしてくれた!!」
「――!おい、離せセイルート!!」
「………っ、駄目だ!」
もうヨウはいない。そしてあんな状態のルナにこの国の人間が近寄るなんて危険だ。
だと言うのにこの期に及んで手を離そうとしないセイルートを睨みつければ予想外の蒼白な顔。
視界の端でルナがゆっくりと首を傾げるのが見えた。
「今の月には近づけない。冗談じゃなく死ぬぞ」
セイルートのその言葉に続いて、静かでありながらこの空間すべてに伝わるような響きを持つ声が耳を打つ。
「こんな世界、消えてしまえ」
「っ、シルヴァ君、さがれ!!」
ぐいと肩をひかれ、入れ替わるようにセイルートが眼前に躍り出る。
魔術によって収納されていたルナの打った剣を抜き放ち、そのまま床を勢いよく刺し貫く。
一瞬後には目を焼くような強い光が周囲を照らし、次いで全てが崩れる崩壊の音。
今にも体が吹き飛びそうな強い力、けれど無事でいられるのはセイルートの力によるものだろう。
パリン、バリン、と硝子が砕けるような音が耳に届く。
段々と近づくその音、合間にセイルートが叫んだ。
「おい、転移しろ!」
「………っ!」
「早く!」
ルナ。目を凝らしても周囲は白。姿は見えやしない。
溢れる涙、響く絶叫。大切な人を喪った貴女。
なのに、傍にいられないなんて。
俺は望んだはずだったのに。貴女の隣を。
望んで、その足がかりとなる力を手に入れたはずだったのに。
「……【“王国”へ】!!」
魔法陣が展開する。ルナの姿は最後まで見えなかった。
転移した先、“王国”王都の裏通りで俺は荒くなった息を整えた。
あの密度の濃い力に満ちた空間の中、転移は強い負担がかかった。
術が成功したのは儀式を終え身の裡の魔力も倍近く上がっていたおかげだろう。
慣れないその魔力量によって逆に上手く術が扱えないという欠点もありはしたが。
顔をあげて確認すればルナの魔術から身を守るためにかなりの力を使ったのだろう、セイルートも肩で息をして額の汗を拭っている。
「………ハッ、……っ、生きてる、ね」
「ルナは……」
「まだ“聖国”のはずだよ。
……あの人がいたあの場所から、すぐに離れられるはず無い」
ヨウ。それ程に彼女が想う男。
「……すごい顔してる。何、まだ全部じゃないとは言え真実を知っても変わらず月が好きなの?」
「―――選べと言ったな。それと、邪魔もしないと」
嘲るような表情は自虐も含んでいるように感じた。
セイルートも、同じようにルナに想われるあの男に嫉妬を感じているのだろうか。
「……言ったね。でもまあ、邪魔しないというのは大げさだな。
あくまで俺は許容しただけだ。
月がすこしだって本当を見せようと――信用して、心に近づけようとした君の存在を、許容しようって」
「なら、全部話せ。それでルナに会いに行く」
きっと全てを知らない俺の言葉では、彼女に届かない気がするから。
ルナ。貴女は俺にたくさんの本当の欠片を見せてくれた。
俺に笑顔をくれた。俺に触れてくれた。
その心に俺への憎悪が宿っていたとしても、それでもその事実は変わらないから。
貴女は本当のことしか言わない。貴女は嘘を吐かない。
なら貴女が俺に向けてくれた言葉の全ては真実。
「ルナがどんな人間でも、どんな存在でも」
あの真白の空間で神にも告げた、俺の想い。
「俺の答えは変わらない」
でもそれを言うのはセイルートにではないから。
大切な存在を喪って泣いている貴女。俺は全てを知って貴女に会いに行く。
そして告げよう。俺の感情の全てを。
きっと今そうしなければ、貴女は俺の傍からいなくなるって、もう俺は分かっているから。
「――――なら、話すよ。月のこと、あの世界のこと、そして何より彼女の唯一のこと」
しばらく俺をじっと見つめたセイルートはそう言って深く息をついた。
本当は彼女の口から直接聞きたかったけれど、もうそんな時間はない。
ルナが消えてしまう前に、真実を。
「………あの人は月の唯一。大切な対。
あの人の名前は久遠陽。月の双子の兄だ」




