7-3*
Side:Seilute
一人の奴隷商人に話しかけられて以降は無駄なちょっかいも受けず、宿の部屋をとるときも月が商人にしたのと同じような説明をするだけで余計な詮索を受けずに部屋をとることが出来た。
それは決して俺にとって喜ばしい手段ではなかったけれど、ここで下手に制止をしたとして“聖国”の事情に明るくない俺には他の方法なんて思い付かなかったし、シルヴァ君に違和感を抱かれてしまう。
だから全ては嘘なのだと、そう言う彼女の言葉に頷くことしか俺には出来なかった。
もやもやとした思いを抱えつつも足を踏み入れた宿は、あの商人が言ったようになかなかいい店らしく室内は広々として綺麗に整えられている。
とったのは一部屋。
普通なら旅に同行していようと、姉弟ならともかく家庭教師が仕えている家の娘と同室なんてあり得ないはずなのに、何故かそれも当然のように受け入れられる。
一体どういうことなのか、俺にもシルヴァ君にもさっぱりだ。
まあ、部屋が同じなのは助かったけど。
だってシルヴァ君と月が同室なんて月が心配だし、逆に月をこの国で一人にさせるのも怖い。
それに俺もシルヴァ君と同室は出発前のマジギレがあるから今は流石に気まずいし。
「それでルナ、色々聞かせてもらうけどさ」
「どうぞ?」
部屋に入りようやく邪魔なローブを脱ぎ捨てた彼女が首を傾ける。
鉄壁の笑顔なんか浮かべちゃって。
……てか、長椅子に月とシルヴァ君が座って俺が一人掛けって、なんか納得いかない。
いいんだけどね!俺そんなことに一々口出すような子供じゃないし!
「……まずそもそも、この街はどういう場所?
“聖国”の情報はなかなか入ってこなくて王族教育で教わった地理とかも何十年も前のヤツだからいまいち分からないんだけど」
「ここは人呼んで東の奴隷買いの街。
“聖国”は東西に奴隷商人が拠点をおく大規模な街があってね。
ここで奴隷を育てて中央から買付にやってくる金持ちに売るんだ」
「何でわざわざ」
その言葉には彼女は言いづらそうに眉を寄せた。
ちらりと隣に座るシルヴァ君を見上げる。
「他国から、奴隷にする獣人族や亜人族を拐ってきてすぐに奴隷教育を受けさせることができるから」
「なるほどね……だからわざわざこんな国境近くにあるってことか」
国境に近いということは他国に近いということ。
“聖国”の奴隷は人間以外の種族と決まっているから、それらを他国から拐っているのだ。
勿論国内の奴隷の子供を更に売り物として扱うこともあるだろうけど、やはりある意味活きのいい健康な子供が欲しいはず。
奴隷だと乱雑に扱われている分、健康な子供は生まれにくいから。
「そういうわけでこの街は主に奴隷商人が多いんだ。
そして商人が多いということは情報もそれだけ集まってくる。
この街には腕のいい情報屋もいるし、ここで銀狼の村についても調べるつもりだ」
「じゃあ、ルナが言っていた聖地巡礼というのは?
それを言ってルナが髪を見せたら皆納得したけど、なんだか俺は見ていて嫌な感じがした」
それは俺もシルヴァ君に同意見。
皆同情っぽく月のこと見て、ほんと気に入らなかった。
大体黒髪が悪魔の色とか、なにそれって感じ。
こんなに綺麗な色、他にないっていうのに。
「聖地巡礼はその名の通り、この国で聖地とされている場所を歩いて回る旅のことだ。
この国は国主である聖王をそれはもう神のごとく崇拝していてね。
歴代の――特に名君と謳われる先代聖王に所縁のある土地が多いかな。
この近くにも一つあるんだけど――そういう聖地と呼ばれる場所には聖王の聖なる力が宿っていて、訪れた者の穢れを落とすとこの国では考えられているんだよ。
そしてその穢れというものに関わってくるのが黒髪だ」
先代聖王。
月をこの世界に召喚させた張本人。
月を利用できるだけ利用し尽くして、彼女を狂わせて、そして45年前彼女に殺された人間だ。
月の言う、名君と謳われているという言葉だって恐らく彼女の力によるものなんだろう。
「どうして黒髪は穢れてるなんて言われる?
ルナの髪はすごく綺麗。勿論綺麗なのは髪だけじゃないけど」
………シルヴァ君のせいで俺の中の真面目な気持ちが消えそう。
いや、本人は至って真面目なんだろうけどさ。
でもそんなこと生真面目に言われると俺だって張り合いたくなるし、なんか気に入らない感じがするし。
「ふふっ、ありがとう。
そう言ってもらえるのはとても嬉しいよ。
黒髪が嫌われているのはね、この国に昔、黒い悪魔と呼ばれる魔物がいたからなんだ」
「黒い悪魔?」
「………なに、魔物って」
すごく、不愉快。
シルヴァ君は月の言葉を額面通りに受け取って不思議そうに首を傾げるけど、俺は何となく黒髪がこの国で忌まれる理由に察しがついている。
だからこそ見過ごせない。言うに事欠いて魔物だなんて。
自分でも不機嫌な声が出たのは自覚しているけど、月が俺を見て仕方がなさそうに苦笑したことで不愉快さは倍増だ。
彼女にこんな顔させて。
許されるなら俺がこの国を全部滅ぼしてしまいたいくらい。
「歴代の聖王の中でも先代が特別視されているのはさっき話したろう?
それにはちゃんと理由があってね。
もう何十年も前、この国に現れた黒い悪魔を彼は支配下に置き、国のために使役したんだ。
魔物の力は絶大で、その魔力によって雪深いこの国でも作物は育つようになったし、他国へ侵攻して領土を増やすことだって出来た。
そしてそんな魔物を使役できる当時の聖王を国民は崇め奉ったんだよ」
「………」
ほら、やっぱり。
全部月の話なんじゃないか。
「でもルナ、その話を聞く限りその魔物は国の役に立っているんだから別に嫌われる理由は無いと思う」
「そうでもないさ。何しろ魔物だし。
それに問題はその後なんだ」
「その後?」
苛立つ俺を他所に月とシルヴァ君は話を進めていく。
今口を開くと余計なことを言ってしまいそうだからこれでいいのかもしれない。
――でも、こんな風に自分のことを話してさ。
月は悲しんでないのかなって、すごく、心配だよ。
「ある日、聖王の隙をついて魔物は支配から逃れた。
魔物は自らを使役していた聖王と、その手助けをしていた魔術師に怒り狂ってね。
二人を殺して城を滅茶苦茶にして国から姿を消したんだ。
そのせいで“聖国”は力を失った。
育っていた作物は元のように雪で枯れ僅かしか採れず、広がった領土は取り返された。
何より国の柱たる国王を失って、残った王族はまだ幼い王子がただ一人。
それが今の聖王なんだけど――まあそういうわけで、魔物はなかなか好き勝手して去っていったわけさ」
本当は少し違う。
この話はどこまでも“聖国”の目線で語られたもので、何より事実が酷くねじ曲げられている。
悪魔と言うならそれは“聖国”の王の方だ。
何も知らない異世界の人間を自らの富と権力のためだけに召喚した。
大切な世界との絆を一方的に断ち、召喚と支配の魔術の鎖で縛り付けた。
“久遠月”を永遠に喪わせた、忌まわしい国。
ただの少女だった彼女を無理矢理に従わせ、その心を恐怖と狂気と憎悪で満たした。
手を汚させ、身体を造り変え、全てを血で染めて、彼女の存在をこんなにも歪めた。
月を化け物へと変えた悪魔の国。
体から威圧が漏れ出さないように拳を思い切り握り込む。
それが彼女には分かっているんだろう。
こっちを見た月は複雑そうに微笑んだ。
「……でも、やっぱりそんなに嫌われる理由は無いと思う」
そこに響くシルヴァ君の声。
月の話を聞いて少し考えるように眉を寄せていた彼は眉間の皺をほどいてそう言った。
それに月は戸惑うように視線を揺らす。
自分の話をしていると分かってしまったのか、そんな心配をしているんだと、俺からしたらありありと分かる動作だ。
ただ月の過去を知らないシルヴァ君はそんなことは分からずに月を見つめているけれど。
「……どうしてそう思うのかな?」
「だってその話だと、魔物は元々悪さをしていた訳じゃないのに急に使役されたということ。
それは拐われて奴隷にされるのと同じようなものなんじゃないかって、俺は思う。
なら逃げ出すのは当然だし、怒るのも分かる」
……へぇ。ほんとに、少しは成長したみたいじゃん。
シルヴァ君の言ったことは普通の人間なら気づかないような、話の中で語られる魔物の視点に立ったもの。
殆どの人間がひとつの視点からしか物事を見つめることが出来ないでいるのに、彼はそれをやってのけた。
初めて会った数ヵ月前の彼じゃ出来なかったであろうことだ。
月も俺と似たようなことを感じ、そして俺以上にそれに驚き、戸惑っているんだろう。
何かを言いかけ、でも上手い言葉がみつからずに結局口を閉じた。
月が気づきたくないのも納得なのかもしれない。
俺だって気づきたくなかった。
確実に彼女の心の中に近づいているこの男の存在に。
俺も月も身の裡にある感情を持てあまし沈黙する中、シルヴァ君はそれに、と急に年相応のぶすくれた顔をした。
「………何より、そんな理由でルナの髪を穢れてるなんて言うのは、納得がいかない。そういうのは、嫌い」
「……っ、ふ、あはは。君は時折、とても可愛らしい事を言うよね」
月の動揺はそれにすぐに収まって、笑いが零れる。
あぁ、たぶん月はこうやっていつも安心してきたんだろう。
まだシルヴァ君は子供だからと安堵して心を落ち着かせて。
でも逆に、それが月の隙を生んできたんじゃないかな。
彼の見せる子供の顔と大人の顔に戸惑ってぐらついて、同時に安心して慢心する。
だから月はたくさんのことに気づかないまま、知らないふりをしたままなんだろう。
でも俺はそんな彼女に何を言うことも出来ない。
下手に触れれば簡単に崩れてしまうくらい、この状況も月の心も不安定すぎて。
そして八年前の彼女は、俺が自分で気がつくか、若しくは気づかないまま死ぬかをただ見守ってくれていたから。
「……俺は思ったことを言っただけ」
笑われてしまったシルヴァ君は不貞腐れたようにそう言って目を背けた。
照れないでよ、と月がその頭を撫でる。てか照れてたのか。
可愛いって言われて喜ぶ心理が俺にはさっぱり理解できない。
男として見られてないってことじゃん、それ。
「さて、説明することはこんなものかな」
「あ、待ってルナ。俺からもう一個質問」
「……何?」
そんな警戒しなくても、こんなところで踏み込んだ話はしないよ。
安心させるように微笑めば、月は相変わらず俺の考えを読もうとでもするようにじっとこちらを注視した。
「さっき商人と別れるときにさ、何か言ってたでしょ?
あれ、何かなーって思って。
この国でメジャーな挨拶か何か?」
聖王がどうのこうの、言ってたよね。
国や地方による独特の挨拶は“王国”の辺境とか“教国”にもあるから不思議じゃないけど、だからこそこの国の人間なら絶対に知っておかなきゃいけないことかもしれない。
後々また聞いて月の気分を沈ませたくもないし、嫌な話はここで終わらせておきたいのだ。
実際彼女はあぁ、と他には分からないくらい少しだけ瞳を翳らせて頷いた。
「忘れていた。確かにあれは君の言う通りこの国に古くから伝わる別れの挨拶だ。
相手の先々の幸福を願う文言なんだよ」
「……幸福、ね」
聖王の光がどうのこうの言ってたけど、それも昔から続く洗脳染みた王の神格化によるものなのかな
「さっき商人が言っていたように、別れる時に“あなた方に聖王の光が降り注ぎますように”と告げられることがこれからも時々あると思う。
正直国が力を失った今となっては廃れた伝統だと思っていたけど、そうじゃなかったみたいだから。
その時にはただ“光が世界に広がりますように”と返せば大丈夫だから、ふたりともそうしてくれるかな?」
「……わかった」
嫌だと駄々をこねていい事でもないし。
ため息とともに了承を示せば気持ちは彼女も一緒なのか――いいや、きっと俺よりももっと複雑な気持ちを抱いているんだろう、月はわざとらしく笑みを浮かべる。
本心を見せないためのものと一目でわかる顔だ。
彼女は自覚してるのかな。
この国に来てからそんな笑顔と不安そうな顔ばっかりしてる。
やっぱり来なきゃよかった。勿論神喰らいが姿を現した事実が、そんなことを彼女に許さないんだろうけど。
それは月自身のためでもあるし、俺のためでもあるはずだ。
もしもう一度神喰らいが現れて、そしてそれが“王国”で、月が間に合わなかったらその相手をするのは俺。
神喰らいと戦うことになる俺の身を案じてくれて、小さな不安の芽をひとつたりとも見逃さないように全て摘み取ろうとしている月。
今一番大変なのは彼女なのに。
神喰らいが現れて過去をまざまざと感じさせられて、傍に居続けるシルヴァ君の存在に動揺して揺らいでる。
今目の前でシルヴァ君との会話に興じる彼女の表情は穏やかだけど、それは仮初めのものだ。
月はいつまでもシルヴァ君が何も知らないこの世界で生まれた憎い子供であることを望んでいるけど、それは永遠には叶えられないから。
今も彼はたくさんの事を知っていっているし、日々成長して、いつか子供でなんかいられなくなる。
そうなればずっと今の状態が続くことを心のどこかで願ってる月の意志に関わらず、シルヴァ君との別離か彼への感情の受容を彼女は迫られるだろう。
それを、俺は分かってるのに。なのに、そんな彼女に何を言うことも出来ない。
それは下手に触れれば簡単に崩れてしまうくらい、この状況も月の心も不安定すぎるからだし、八年前の彼女は俺が自分で気がつくか、若しくは気づかないまま死ぬかをただ見守ってくれていたからというのもある。
――でもそれは、俺の言い訳なのかな。
月は、八年前も今も俺のことを考えてくれている。
俺のことを分かってくれている。
俺の弱さ、俺の孤独、俺の狂気。
それを分かって、その上で全てを考えて選んで行動に移している。
自分にとってその行動の結果がどんなものになろうと、必ず。
月が以前言った、俺の望みはなんだって叶えたいという言葉はきっと真実だ。
もしも俺が自分の死を彼女に望んだとして、きっと最終的に彼女はそれを叶えてしまうんだろう。
それくらい、彼女は自分に対する優先順位が低い。
けど俺は違う。
月が生からの解放を望んだって叶えたりなんか出来ないし、出来ることならずっと隣にいて笑っていて欲しい。
――そしてそんな感情が、月に彼女自身が知らないふりを続けている事実を伝えることを躊躇わせているのかもしれない。
月に大切な存在ができることは、いいこと。いいことのはずなんだ。
俺は月をおいて先に死ぬ。
死んだ後も魂はこの世界に縛られたままだからまたこの世界に生まれるんだろうけど、たぶんその時にはもう俺は“草薙誠司”でも“セイルート”でもない、どちらの記憶も持たないただのこの世界の人間になってしまうだろう。
前世の記憶を持ったまま再び転生する確率は、分からないけれどかなり低かった。
だから俺は彼女に、ずっと俺を、ずっとずっと俺だけを好きでいてなんて言えるはずがない。
大切と思えるような存在なしに長い生を生きるなんて苦しさしかないし、俺との記憶が彼女を孤独に落とす。
だから月は大切な人をつくらないといけない。
それは分かってて、納得だってしてたはずで。
なのにいざこうして目の前にそれに適う人間が現れると、どうしても俺の決心は鈍った。
今日、あんな風に彼に向かって感情を―――憎悪と嫉妬を示してしまったのはそのせいだ。
何でもないことみたいに月が自分に本当を晒してくれていることを引き合いにして俺に苦言を呈して、こんな何も知らないガキに何が分かるんだって思った。
俺も月もこの世界の人間には理解も共感も出来ないような体験をしていて、だからこの世界の人間を簡単に信用なんてできないし、大切に思うなんてもっと無理だ。
そんな前提があって、でも月はシルヴァ君に少しずつ少しずつ本当の自分を見せている――つまり、信用しようとしている。
あの言葉はその事実がとても軽く扱われているようで――それくらい、シルヴァ君から見れば当然のこととして受け止められるものなんだとまざまざと突きつけられたようで。
だから売り言葉に買い言葉のような感覚で(あっちにそんな意図はなかったとしても)俺も言葉を刃に変えた。
そしてそれに返ってきた言葉に、結局我を忘れるくらい腸が煮えくり返った。
俺はずっと月の傍にいられないから、彼女の人生の終わりまで生きてはいられないから、だから少しでも俺自身より長く残るだろう“王国”をあげようと思った。
そのために国王なんてものを引き受けて、いずれ迎えなければならないだろう妃の存在も受け入れた。
でも目の前のこの男はただ月の傍に居続けることができて。
俺とは違う、何も知らないからこそできるその選択。
自分が死んだ後の先が恐ろしくて踏み出せないでいる一歩を、いとも簡単に踏み込んで。
それに苛ついてそれが憎くて、何より羨ましかった。
なのにこの男はそれを知りもしないで月以外にだって目を向けて、大切なものがたくさんある。
知っていた。神サマは不公平なんだ。
結局この世界にいる神サマはこの世界の人間の味方で、異世界の人間に視線なんて欠片も向けたりなんかしない。
転生チートなんてつけるくらいなら、俺のことも月と同じくらい生きられる身体にしてよ。
そうしたら俺はこんな感情を抱く事だってなくて、こんな男に嫉妬することなんてなくて、自分勝手に月を縛り付けそうになることだって無かったのに。
この男にもたらした幸福と同じくらい、俺にもそれを分けてよ。
そんな腑抜けた事をぬかすくらい、この世界で何も知らずに生まれた加害者の分際でこんなにも月の特別に近づいてるこの男が、羨ましくて堪らない。
「セイ」
「……ん?何?」
でもそんな事言いたくないし、言えるはずも無くて。
だから俺はただ口を噤んで、月を見守る。
少しでもこの男が彼女を傷つける兆候があれば、それを口実に彼女から引き離すことを、どこか心待ちにしながら。
「怖い顔してるよ。そんな顔は嫌いだ」
「……こういう顔もかっこいいでしょ?俺」
いつの間にか傍に立っていた月に(集中力散漫だ。この国では気をつけないといけないのに)そう軽く返せば困ったようにその唇から吐息が漏れる。
今ここで彼女にキスしたら、俺の嫉妬は消えるかな。なんて、馬鹿な思考が脳内を侵食した。
別にそんな風に行動で分かりやすくわざとらしく示さなくても、少なくとも今の時点で彼女の心はこの世界では俺だけにしか開かれていないのに。
余裕がなくなっている兆候かもしれない。
「セイは怒ってる顔より、笑ってる顔の方がかっこいいよ」
「………」
「ルナ、俺は?」
「……シルヴァ君さ、ちょっと黙っててよ。空気ぶち壊し」
彼の子供らしい一面に安心してしまっているのは、もしかしたら俺も同じなのかもしれない。
事実焦りは鳴りを潜めて、月もすこしホッとした表情を浮かべた。
悪い兆候だな、なんて思いながら彼女の手をとってそのまま引き寄せ、お腹のあたりに頬をこすりつける。
こんな風に甘えるところを見られるのは本意じゃないけど、こうしたかった。
それにシルヴァ君に見せつけてやりたい気持ちだって完全に消え失せたわけじゃないから。
「セイ?どうしたの?」
「セイルート、離れろ。ルナが困ってる」
「ルナは困ってませーん。
大体こんなのよくシルヴァ君だってやってんじゃん。
俺だけ駄目とかありえないもんね」
本当は俺の目の前で繰り広げられるふたりのボディータッチだっていい気はしてないんだ。
だから今回の旅の間くらいは、いいでしょ?
ちゃんと行き過ぎてしまわないようには気を付けるから。
「……もう、急にどうしたのさ」
「ううん。なんでもないんだよ」
いつかきっと、俺達は選ぶことになる。
月はシルヴァ君の自分の中での存在価値を。
シルヴァ君は月の全てを知ってそれでも彼女を求め続けるかどうかを。
そして俺は、月の大切な存在たりえるこの世界の人間を受け入れるかどうかを、選ぶことになるんだろう。
もしかしたら今日初めて、俺はシルヴァ君の事を月の弟子だとか、この世界の子供だとかじゃなく、ただの男として、認識したのかもしれない。
それが少し悔しく、そして恐ろしかった。




