3-9*
Side:Silva
目の前で繰り広げられる惨劇。
その中心にいるのは紛れもなく、俺が慕う彼女で。
現実味のない、まるで安っぽい演劇のような現状に俺はただただ呆然としていた。
びちゃり、そんな粘着質な音を立てて俺を囲う結界に血液がかかる。
いいや、かかるなどという言葉では物足りない。
まるで血を浴びているように視界が一気に赤黒く染まる。
だがそれも一瞬の後にはすぐに弾かれて、周囲の状況がはっきりと分かるようになってしまう。
ルナの作る結界の性能が、こんなに良くなければよかったのに。
そんな思いすらわいてくる。
もうこんなものは見たくない。
彼女の狂気、エースの愉しげな笑い声、まるで価値のないモノのように殺されていく人間。
全てが非現実的で、けれど同じだけこれは紛れもなく現実だと、ガンガンと鳴る頭が呼び掛けてくる。
『ほ、他の人間なんて、どうでもいい!!
死にたくない、俺は、まだ…!』
そして同時に、他者を見捨ててまで命乞いをする怯えきった人間に吐き気がするほどの嫌悪を覚えた。
俺にも覚えがある。
過去に俺を商品にした奴隷商。
俺を所有物として、装飾として傍においた腐りきった貴族。
人の見せる汚さが、過去と現在で入り交じり頭の中で混在する。
『クッ、アハハハハ!
そうだね、君。それが人間というものだ、素晴らしい』
それに答えるルナの声は、かつてない程に悦びと狂気で満ち溢れていた。
聞いているだけで嫌な動悸が止まらない。
ルナは、一体何を考えているのだろう。
『君のこと、気に入ったよ』
その言葉にも、嫌な予感しかしなかった。
冷たい汗が背を伝い、届かないとはわかっていても止める声が漏れる。
「ルナ、駄目だ……止めて…」
けれどやはり声は届くはずがなくて、目の前の男はそんなことも知らずに瞳に希望を宿らせる。
『ほ、本当か……?』
『んふふっ、私は嘘は吐かないさ。
君のことが気に入った。だから―――』
この先を聞きたくない。
この先を見たくない。
嗚呼、でも。
『とびきり苦しませて、殺してあげるね?』
もう、遅い。
全てが終わり、血の海で満たされた屋敷に火がかけられる。
真っ赤な炎はまるでその場で流された血を集めたもののようで禍々しかった。
「さて、これで今回の依頼は終わりだね。
さっさと帰ってシャワーでも浴びるか」
「だな。血臭くて仕方ねぇ」
二人はまるで普段通りのまま話をして、何でもないように闇ギルドへ戻るため転移する。
今まで行っていた虐殺が嘘だったかのような日常の会話。
たださっきあったことが嘘でも何でもないことは、二人の体を染める赤が証明していた。
転移後はさっき言っていたようにそれぞれシャワーを浴びるらしく、二人はすぐに別れて部屋へと向かった。
俺はまだ小さいままで、相変わらず結界内におさまっている。
ルナは部屋に入るとつけていた仮面を外して机においた。
そのまま俺を見下ろし、結界を解いて俺を元の大きさに戻す。
「………っ、」
大きさを変えた反動か、上手く体のバランスをとることができずに少しよろめいた。
それを支えようとルナの手が伸ばされ、けれどその手にベッタリとついた赤が目に入った瞬間。
「っ!………ぁ、」
汚い。怖い。気持ち悪い。
よぎった感情は、何だったのだろうか。
思わず反射的に弾いた手。
顔を上げることが出来なかった。
弾かれたのはルナだというのに、拒絶したのは俺だというのに。
何故俺が傷ついているのか。
でも俺がこんなことをしたとして、ルナは全く傷ついたりなんかしないのかもしれない。
だって彼女は言っていた。
俺が彼女を受け入れても拒んでも、変わらず自分は愉しいのだと。
ならきっと、今もルナは変わらず微笑んでいるか無表情でいるか、そのどちらかなのだ。
「…………え?」
そろりと顔を上げて彼女を窺って、俺は小さく声を漏らした。
だって。
だってルナは、驚いていたから。
驚いて、戸惑って、――まるで、傷ついたように目を揺らしていたから。
「これが、君の答えか…」
けれどそれをすぐに消して、ルナは再び微笑む。
ルナは俺が彼女を拒んでも、傷つかない?
いいや、違う。そう、違うんだ。
だってその言葉が正しいなら、ルナはあんな顔をしない。
もしかしたらルナ本人も分かっていないのかもしれない。
自分がさっき、どんな顔をしていたか。
でも、俺はしっかり見た。
そして彼女が傷ついていると、俺は感じたんだ。
それは少なくとも彼女の心の一部は俺に拒まれて悲しいと思うということで、そしてそれは彼女にとって俺が少しでも――ほんの少しでも嫌われたくない人間だということで。
あぁ、そんなことは今はどうでもいい。
「待って!」
さっきは拒んだ、濡れた手をぎゅっと掴む。
それはぬるりと滑って、鼻につく血の香りに喉の奥からせり上がってくるものもあったけれど、それでも離したくはない大切な手だ。
ルナは屋敷に入る前、俺に言っていた。
今からすることは虐殺だから、あまり俺には見せたくないと。
それに嫌悪感を抱くことになると。
そしてそれは正しい感覚で、忘れてはいけないものだって。
その感覚がルナの中にあるのかは分からない。
あの時のルナはどこまでも狂気に満ちていて、殺した人間達を同じ生き物とも思っていないような気さえしたから。
でも少なくとも彼女はそれを理解することができて、俺に教えてくれた。
恐らく過去を思い出してしまう俺を気遣ってくれた。
虐殺を見せるのを、躊躇ってくれた。
それだけでこうして態度を翻す俺は、最低な人間なのかもしれない。
きっと殆どの人間はここで、彼女を責める。
何故こんな酷いことをするのかと。
今すぐこんなことは止めるべきだと。
でも彼女の行動にも言葉にも何かの裏打ちがあって、ルナがここまで至ったその背景をまだ知らない俺には何も言う権利はないと思うのだ。
闇ギルドは悪だと決めつけることだってそう。
エースの話を聞くまで、闇ギルドができた切欠を考えたこともなかった。
俺だって奴隷商から逃げながら、他人を陥れて生きてきた。
そうすることでしか生きられなかったことをしっかり知っていたはずなのに。
ルナが俺を見つけてくれて、拾ってくれて、そこからの日々があまりにも幸せで忘れていた。
きっとその幸福を、闇ギルドの人間も同じく抱いているのだろう。
だから何も知らない俺が知ったような口を利いて、彼女を拒むことも受け入れることもすべきではないのだ。
ただ今の俺が分かっているルナを見て、そしてそこから答えを出さなければいけない。
そしてその答えは、拒絶じゃない。
「ルナ、行かないで。まだ俺の傍にいて。
俺の望みを、ずっとずっと叶え続けて」
「………お、どろいた、な…」
掴んだ腕を引いて腕のなかに閉じ込めた彼女は、戸惑うように声を揺らした。
それが喜びからくるものだったらいい。
「君は、まだ平気なの?
屋敷での君は明らかに怯えていた。
さっきだって、反射的に動いた結果だろう?
反射というのは深層心理を表している。
ならば君は真実、私を恐ろしいと感じたはずだ」
ルナの言葉は確かに真実だった。
今だって本当は少しだけ腕は震えているし、きっとそれに彼女も気づいているんだろう。
でも、それ以上に。
「確かに恐い。あの時のルナはまるで別人みたいで、俺の知らないルナだった。
でもルナへの恐怖より、ルナがいなくなって一人になる恐怖の方が、ずっと大きい」
だから離れないで。捨てないで。
どこにもいかないで欲しい。
俺の言葉に、ルナは理解しがたいとでも言うように首を傾げた。
「君は……不思議、だ。
どうすれば君は、私を嫌って恐れるんだろう。
おかしいな、君は絶対に、私から離れていくと思っていたのに……」
ルナは、俺から拒絶されたいのだろうか。
さっきあんな、驚いたような悲しいような顔をしていたのに?
「ルナは、俺から拒絶されたい?」
心に抱いた問いを舌にのせれば、ルナは小さく頷いた。
「……出来るなら、そうして欲しいな。
私が進んで君に嫌われるために行動した結果、もたらされるものではなくて。
自然に、呼吸をするように当たり前に行った事象に対して、君が嫌悪して、拒んでくれたらと思う。
だってそんな風に君が私を拒絶してくれれば、人は本当に汚くて醜くて最低な生き物なんだって、今よりもっとはっきり分かるから」
それはどういう意味なのだろう。
彼女の言いたいことが分からずに、腕を緩めてその表情を窺う。
それに気づいたルナは微笑んで俺から離れた。
「でも、まずはシャワーを浴びたいな。
そして夕食を摂ろう?
君も今ので服に血がついてしまった。着替えた方がいい」
「ルナ……」
もうそんな言葉で誤魔化されるような子供ではない。
でもこんな風にすぐにムキになって不満げに言葉を溢してしまうことが子供っぽさの象徴なのだろうか。
そうさせるのはいつだって彼女だけれど。
「ごめんね。君があまりにも不思議だから、私も混乱しているんだ。
少しだけ、心を落ち着かせる時間が欲しい。
夜眠る前にもう少しちゃんと話すから」
「でも、今日も戦ったからルナは眠くなる」
今日の動きから言っても、今こうして普段通り話しているのが不思議なほどだ。
そんな状況ではきちんと話すことができるのかすら怪しいのに。
「それも大丈夫。さぁ、着替えておいで」
「…………」
じっと、目に力を込めてルナを見つめる。
けれど一度鉄壁の微笑みを浮かべられてしまえば、もう俺が勝てるはずもなかった。
「……わかった」
「ありがとう。
それじゃあ私はシャワーを浴びてくるから、君は着替え終わったらここにいてもいいし先に幹部部屋に向かっていてもいい。
好きにしてくれて構わないよ」
そしてどんなに不満に思っていたとして、その二種類の選択肢を与えられれば俺のとるものは決まっている。
「待ってる」
俺の答えに彼女は仕方がなさそうに眉を下げた。
「……君はそういう子だね。本当に不思議だ」
バスルームへ消えるルナを見送って、俺も寝室へ向かい服を取り出して着替え始める。
――よかった。
そこでようやく、心の底から安堵する。
彼女の手を握ることが出来て、彼女の傍に変わらず立つことが出来ていて。
まだ震えのおさまらない、彼女についた血が移って少し赤いものがこびりつく手を握りこむ。
俺はきちんと、今の時点で俺にできることをやり遂げた。
“王国”の城で決意した通り、今俺に掴むことのできる彼女の手を、掴むことが出来たのだ。
それだけで、今はいい。
バスルームから出てきたルナは、珍しく髪を結い上げていた。
珍しくと言うか、少なくとも俺は初めて見る光景だ。
湯船の中では湯のなかに髪が入らないようにそうしているかもしれないけれど、出てくる頃には髪を簡単に拭っているのでいつものようにしばることもせず流しているから。
ただ長さがあることと量が多いためにそれだけでは足りず、後から俺が髪を拭いたりするのだが。
そんな珍しい姿を見られたのは嬉しいけれど、それを成した道具が気に入らない。
「………それ、セイルートの?」
夜会の衣装と共に彼から贈られていた金のリボン。
それが漆黒の中で輝くように存在を示している。
指摘されたルナは一瞬動きを止め、気まずそうに頬を掻く。
「えーと、まあ、ね。
夕食までもう少しだし、髪を乾かすのは時間がかかるだろう?
だからしばってしまえばいいかなって」
「………」
確かにそれはそうかもしれないけれど、だとして今までのルナはそんな事はしない気がする。
それに少しだけ落ち着かなさそうに目を伏せているし。
――それだけルナは動揺したのだろうか。
俺が拒んだこと。
それでもまた手を握ったこと。
ルナの心を支えるのはいつだってセイルートだ。
その彼が贈ったリボンをしてしまうくらい、ルナは。
そう思えば、確かに不満はあるけれど悪い気はしない。
ルナの傍に寄り、もう一度その手を握り締める。
「…えっと、シルヴァ?」
困惑したように俺を見上げる彼女に微笑む。
俺がこんな風にするのはルナにだけで、それだけルナが大切だから離れることはあり得ないんだって、早く分かってくれればいいのに。
「幹部部屋に行こう?」
「うん……?」
別に手を繋ぐ必要はないのでは、と思っているらしい彼女を少し強めに引っ張りながら夕食の席へと急ぐ。
これは俺がルナを拒絶していないという証だから、少なくとも今日はルナから手を離したくないのだ。
ルナは求めれば拒むことは基本的にしないので、一度俺から触れてしまえば何か手を使う事がない限りそれが離されることはない。
ただ幹部部屋では席が前後してしまっているため繋ぎ続けることはできないのだけど。
「あ、呼びにいこうかと思ってたとこだったのに。
依頼達成お疲れさま、ルナ。
それと一応弟子も見学お疲れー」
扉を開けようとした瞬間に中からそれが開かれて、目の前に顔を出したのはジャックだ。
料理は既に出来ているらしい。
「待たせてしまったかな。
すまないね、少し話していたんだ」
ルナは申し訳なさそうに眉を下げながら微苦笑する。
そしてジャックに促されるまま部屋へと踏み込んでいった。
さっきまでは俺がルナの手を引いていたけれど、今ではその逆の状態だ。
席は部屋の一番奥にあるため、自然とその場にいるメンバー(ジョーカーとエースとジャック)の目が繋がれた手に集まる。
席が隣ならよかったのに。
座る前、自然に離された手に俺がそう思うのも無理はないと思う。
「……ふーん。弟子、お前平気だったのか?」
それまで黙ってこちらの様子を見ていたエースが笑い混じりに、けれど真剣味を持って問いかけてくる。
それに返すのは勿論諾だ。
「俺は絶対にルナのことを嫌いにならないと言った」
「ハハッ、そういやそうだったな。
――でも意外だな?お前みたいな甘ちゃんは俺らがしたこと許せねぇかと思ったんだが」
既にエースは笑っていない。
ギラギラと瞳を輝かせてこちらを睨む様は間違いなく闇ギルドに属する者で、つい先程まで見せていた虐殺者の顔だ。
「こら。今はご飯を食べる時間だよ」
そんな彼の頬を指でつつくことができるルナは流石と言うか、俺を助けてくれたのか自分が食事をしたかったのかよく分からない言葉だ。
たぶん両方だと思うけれど。
「……姫さん、邪魔しないでくれよ。
これでも姫さんのこと心配してこんなことやってんだぜ?」
「いらないよ。その気持ちだけもらっておく」
「姫さん」
むすっと不機嫌そうにする彼にルナはにべもなく言い放ち肩を竦める。
「これは私と彼の問題だ。
心配してくれるのは嬉しいけれどね、こういうのはフェアじゃない」
「エース、ルナがこう言っておるのだ。
今は静観せよ。妾も腹が減った」
「……へいへい。ジョーカー二人に言われちゃ仕方ねえな」
「あはは、エース怒られてる。いい気味だね」
そこへジャックが料理を運んでくる。
基本的に料理を用意するのはクイーンらしいが、彼女が不在の時にはその時一番下の位階の者が作って運んでくる仕組みらしい。
「うむ、今日は肉か」
受け取った皿にはステーキ。
それだけでなくサラダ、何種類かの果物、そしてパンが二個にスープもついている。
いつも思うのだが、これは全て彼らが作っているのだろうか。
「……ねぇ、シルヴァ」
「?」
だとしたらかなりの料理上手だ、などとどうでもいい事を考えていた俺にルナから声がかかる。
首を傾げれば彼女は微苦笑して、お願いがあるんだと言った。
「今日はたくさん動いてお腹が減ってしまったから、君の分のお肉をもらってもいいかな?その代わり果物と交換で」
「……?別に構わない」
珍しい。ルナは少食という訳ではないけれど食べる量は一般的なそれだ。
そんな彼女が果物やサラダならともかく、それらと肉を交換しようと言うなんて。
特にこんな夜に肉なんて重いもの。
「………ひーめーさーん?」
「…うるさいよ。
さっさと君も食べればいいじゃないか」
「少し優しすぎじゃねぇの?」
「エースさっきからうるさいんだけど。
何そんなピリピリしてんの?」
魔力で俺の皿からステーキをとって、反対にルナの皿から果物が送られてくる。
魔力でならソースや肉汁も一緒に取れるから、その位置に貰ったものが置けて便利だ。
それにしてもエースは何を怒っているのだろう。
「ふむ、確かにルナは弟子に対して過保護かも知れんな」
「え?ジョーカーも分かってるの?
一体何の話なのか、僕全然分かんないんだけど」
ジャックの言う通り、何のことなのかさっぱり分からない。
ルナが優しいのはいつものことだから異論はないが。
「ジャックは少しばかり頭が足りんようだな」
「まあ見てろって。ほら弟子、食うか?」
にゅっと目の前に差し出された、フォークに刺された一口サイズの肉の切れ端。
ふわりと香ばしい香りに混じって微かな血のそれが鼻に届く。
切断面は綺麗な薄紅で、レアで焼かれたことがよくわかった。
「……っ、」
途端に吐き気に襲われる。
たまらず身を引けば、俺とフォークの間に白い手が現れてフォークをさらった。
眉をよせて刺さった肉を咀嚼するルナは、そのままの表情でエースを睨み付ける。
「……エース、私はフェアがいいと言ったはずだ。
あまり悪戯が過ぎるようなら私にも考えがあるけど?」
「あ、なるほどー。
弟子は今日見学したんだもんね。
肉とか血とかは思い出しちゃって駄目か。
言ってくれれば他の用意したのに」
ジャックの言葉で突如として襲ってきた吐き気の理由がわかった。
自覚はしていなかったけれど、思ったよりも今日のことはショックだったらしい。
それに今夜の依頼は最後に屋敷に火を放って終わりになった。
そういう意味でも、ステーキというのは最悪のタイミングだったようだ。
「つい言い忘れていたんだ。
一応明日の朝も軽めのものでお願いしていいかな?」
「うん、大丈夫だよ。
僕も覚えがあるし、仕方ないよね」
「……だから、過保護すぎねぇ?」
「エース?私の話、聞いていなかったのかな?」
微笑みを消してエースを見つめた彼女は、俺の目線に気づいて不思議そうに首を傾げた。
「食べないの?それともさっきので気持ち悪くなってしまった?」
「あ、エースのせいだ。サイテー」
「お前に言われたくねぇ…」
「エースの仕事はグロすぎるんだよ。
僕も初めて一緒に行ったときはちょっと肉ダメになったもん」
「確かにエースは無駄が多いかもしれぬ」
「ジョーカーまで…」
騒ぐ三人を他所にルナは体ごと振り返り、ソファーの背もたれ部分に肘をつく。
「シルヴァ?本当に大丈夫かい?
食欲がなくても果物くらいは食べないと駄目だよ?」
「……平気。食べられる。ルナ、ありがとう」
俺の言葉に、ルナは居心地悪そうに目をそらした。
「……こういう、知らせるつもりがなかった事をバラされてお礼を言われるって、すごく気まずいからいいよ」
「ルナはすごく優しい」
「……いや、あのさ、君、私の話聞いてた?」
だって、今俺が感じている嬉しさをどうしても表したいし伝えたいのだ。
俺自身ですら直前まで気がつかなかった事を当たり前のように察してくれて、それを俺に知らせないように対処してくれた。
直前まで俺に拒まれたいのだと言っていた彼女が。
それは大きな矛盾でもあるけれど、それでも嬉しい事には変わりなく、同時に俺に希望を持たせてくれる。
やっぱり彼女の心の一部は、俺に拒まれたくないんじゃないかって。
エースのおかげで助かったかもしれない。
危うくルナの優しさを見逃してしまうところだったから。
「平気なら早く食べよう、ほら」
俺の答えにやはり居心地悪そうに顔をしかめて(照れ隠しだと思う)、ルナはふいと前を向いてしまった。
食事も終わり、ようやく話ができるようになった。
シャワーを浴びて(ルナに浴びてこいと言われてそのまま流された結果だ)寝室に入れば、ベッドの上で彼女は膝を抱えてこちらを見つめてくる。
手招きされて俺もそこに上がれば、ルナは困ったように眉を下げた。
「こうして間をおくと、かえって何を話したらいいかわからないな。
……ねぇ、君は本当に平気なの?私とまだ一緒にいて」
室内は静かで、穏やかでいて真剣な空気が漂っている。
「平気。一緒にいたい」
その答えは俺にとって当たり前のものだ。
まだまだこれからも共にいるために、ルナの手をとったんだから。
「でも、ルナは俺と一緒にいたくない?」
「そういうわけじゃないんだ。
ただ食事の前にも言ったけど、君が本当の私を嫌って……いや、嫌うというのは少し違うのかな。
何の偽りも無い私の化け物たる一端を怖がって気味悪がって拒んでくれれば、私は人間はそんなものなんだって、今よりもっと確信できるから……ごめん、意味が分からないよね」
私の感覚的な話だから、それも無理はないんだけど。
そう言って彼女は苦く笑う。
「君はもう薄っすら分かっているだろうけど、私は人というものがあまり好きじゃない。憎んですらいる。
人の身勝手さが苛ついて憎らしくて、耐えられないんだ。
勿論私にもそんな面はあるって自覚しているんだけどね。
でもだからこそ私は私の身勝手な感情と事情で他人の身勝手さを憎んでいる。
……それでまあ、私の弟子として傍にいる君も、君自身の――つまり身勝手な感情で私を恐ろしいと、異常だと思って拒絶してくれたなら、その憎しみをもっと強固なものに出来ると思ったんだ。
私はずっと、深く強く人を憎んでいたいから。
これは私が君に“王国”で本当を見せて欲しいと望まれた時に思いついたことでね、要は君を利用しているんだ。
それを悪いこととは思わない私は最低だろう?」
「でもそんなルナと俺は一緒にいたい」
まるで拒絶を乞うようにゆるく首を傾けた彼女に、それでも俺は否を返す。
利用されていたっていい。
そんなの慣れっこだし、そもそもルナの言う利用と俺の今まで経験した利用は全く別のものだ。
俺という個を潰しモノとして扱ってきた奴らと、俺という個をそのまま保ち、その個によって拒絶されたいと言うルナ。
それは利用とは言わない。
少なくとも俺は、それを利用とは呼ばない。
「……君があの男のような子だったら、結果はもっと違っただろうに。
私は何かを読み間違えてしまったみたいだ」
そう息を吐く彼女に言われて思い出したのは今宵の殺戮の場。
他人なんてどうでもいいから自分を助けてほしいと望んだ男の姿だ。
「……ルナが今日、一番怒った?」
「そうだよ。ああいう人間を見ると憎くて憎くて仕方ない。
……君には酷いものを見せてしまったね」
ほらまた。そうやって俺を気にする。優しくする。
利用していると言うのに向けられるものは優しくあたたかくて、だから俺はルナの傍にいるんだって気づかないのは彼女だけだ。
エースもジョーカーもそれに気づいているからこそ過保護だと、甘やかし過ぎだと彼女に言っているのだろうに。
「もういい。それにあんな人間は、俺も嫌い」
「そう言えば君も、ああいう人間とばかり接してきたんだっけ。
なら尚のこと悪いことをした。昔のことを思い出したろう?」
確かに、昔に立ち返ったような嫌な感覚がしたのは事実だ。
でもこうして気遣ってくれるルナがいるから、何てことはない。
今回のことで俺はとても幸せに生きているのだと実感もできた。
「……俺は、いつだって怯えながら生きてきた」
「……?」
突然語りだした俺にも、ルナは不思議そうにしながら話を止めることはなくそのまま黙って聞いていてくれる。
そういう人間は、実はとても少ない。
「何回か人買いに捕まって貴族に愛玩用として買われたこともあるし、そこから犯罪紛いのことをして逃げたこともある。
道端で寝起きして盗みを働いたり、他の似たような境遇のやつを見殺しにしたことも。
最後には大きな組織に買われて、そこでも同じように見張りをしていた男達を騙して気絶させて逃げて、ルナに会った」
「……どうして今その事を?
今まで話さなかったということは、知られたくなかった事なんだろう?」
「忘れたかったし、知られたくなかった。
俺がした沢山の悪いことも、俺が貴族に玩具や装飾のように扱われていたことも。
でも実際、忘れられていたんだと思う。
俺はルナに会ってから毎日がとても幸せで、今までの辛いことがどんどん薄れていった」
「なら尚更、話す必要のなかったことなんじゃないかい?」
ルナの言う通りかもしれない。
でも、それでは駄目なのだと思う。
「ルナは今、沢山の本当を俺に教えてくれている。
なのに俺は全然話さないのはおかしい。
……フェアじゃない、と思う」
ルナを真似て言った言葉に、彼女は面食らった顔をしてふき出した。
「ふ、あははっ。そうか、フェアじゃない、ね。
――でも私はそういう話に同情したり、一緒に悲しんだり励ましたりは出来ない人間だよ?
今こうして君の過去を話されてもそういう感情は一切わかないし、そんなものかとすら思ってしまう」
「……セイルートにも似たようなことは言われているから、別にいい。
それに俺は幸せだって言った。
だからそういうのは確かに必要ないんだと思う」
今俺が幸せだって、セイルートはわかっていたんだと思う。
だからあの時そう言った。
そのことに今日やっと気づけたというのはとても悔しいけれど。
そして俺の返事が想像とは違ったものだったのか、目の前の彼女は目を伏せる。
「……これでもまだ君は私を拒まないんだね」
「ルナのことは嫌いにならない」
「さっきも言ったけれど、君がもっと身勝手ならよかった。
私が嫌いな、人間特有のそれをもっと持っている子なら拒絶されるのも簡単なのに」
仕方なさそうに、困ったように言われたってもう無駄だ。
ルナは拒絶されたいと言うけれど、実際そうされたら悲しむのだろうから(俺の勝手な想像かもしれないけれど)出来るはずがないし、何より俺がそうしたくないから。
「俺は身勝手だと思う。
ルナにたくさん望んで、叶えてもらっている」
「私の言う身勝手と君の言うそれは違うんだ。
困ったな……本当は今日のことで決着がつくと思ってた。
なのに駄目だなんて」
「なら、もっとたくさん本当のルナを見せて頑張ればいい。
時間はたくさんある。
これから俺の村を探さないといけないし、探し終えてからだって」
本当のルナを見るたびに俺はルナを知っていける。
そしてそのたび、彼女の周りを覆う謎や拒絶の壁も薄くなっていくだろう。
俺は絶対に拒絶なんてしないのだから、一石二鳥だ。
そんな俺の思惑を知らない彼女は半分呆れたように笑うけれど。
「君は可笑しなことを言うね。
でも、結果的にそうなってしまうのかな」
「俺はそれがいい。話はもう終わり?」
ルナはたぶん疲れているから、早く寝た方がいい。
俺も今日はたくさんのことがあったから休んでしまいたいのが本音だ。
「そう、だね。もう寝ようか」
「ん」
横になったルナをそっと抱き寄せれば、俺の顔を見ずに彼女は唇を開く。
「今日、私は眠くならないと言ったろう?」
「?」
「いつも私が眠くなるのは、そういう風に体に魔術がかかっているからなんだ」
少しボンヤリしていた意識が一気に覚める。
「自分でかけた?それとも、誰かに?」
呪いかなにかなのだろうか。
確かに歩いていても眠ってしまうことは、普通はあり得ない。
「心配しなくても、自分でかけたものだよ。
眠るのは、自分を抑えるためなんだ。
強い相手と戦うほど、長く何かと戦うほど……私は人を殺したくなる。
でもそれは駄目だから、その衝動が強くなる前に眠るようにしてあるんだ。
今日眠くならないのはたくさん人を殺して、その衝動がおさまっているから。
魔物は人間じゃないから殺してもあまり効果はないんだけどね。
……怖くないかい?」
むしろ安心したと言ったら、ルナは怒るだろうか。
疲れがたまりやすい体なのかとか、実は病気なのかとか、これでも色々考えていたのだ。
でもそれが自分でかけた魔術のせいならそんな心配はもういらない。
「怖くない。だってルナは人を殺さないように眠っているんだから、怖がる意味が分からない」
「………君は本当に、変だ」
行動でもそれを表すように腕の力を強めれば、彼女はそう呟いて胸に顔を埋める。
明かりの消えた暗い部屋の中、弱々しい今にも掻き消えそうな声がもう一度聞こえた。
「……分からないな。
私は君に拒絶されればそれでよかったはずで、今もそう思っているのに……今こうして君が傍にいることが、何だか…」
それはルナの一人言だったのだろうか。
それとも俺への言葉だったのだろうか。
分からないけれど、続く言葉が俺の欲しているものだったらいいのに。
オマケ:その時の彼女
体についていた血は全て洗い流した。
服も着替えて、いつでも部屋に戻れる、けど。
「……どうしよう」
さっきから意味もなくうろうろと脱衣所を歩き回っている私は、ここに見知らぬ第三者がいたらとても変に見られると思う。
でもここは私しかいないし、そんなこと気にしてなんていられない。
それもこれもシルヴァが私を拒んだはずなのに、変わらずに私の手を掴むから……あぁ、くそ。
出るのが遅れれば中で眠ってしまったのではとシルヴァが心配して声をかけてくるか、踏み込んでくるかするかもしれない。
でもまだ動揺がおさまらない。
こんな状態じゃ彼にもジョーカー達にも会えないし(と言うかまあ、私が一方的に会いづらいだけなんだけど)本当にどうしよう。
「……セイ」
今ここにポンッて感じに現れてくれたりしないかな。
……しない、よね。
「あ」
そうだ、そういえば。
亜空間をすぐさま開き、中を漁る。
確かあのパーティーの後ここに入れて……っ、あった!
セイの髪と同じ色のリボンを取り出して握り締める。
物に縋るなんて、らしくないけど。
「仕方ない、よね…?」
このリボンをつけてこれからシルヴァと話すことを、少しだけ後ろめたく思ってしまうのは何故なのだろう。
よく、分からない。
――いいや、あの狼は私の予想を越えたことばかり言うから、きっとそれにつられているだけだ。
だからあの時、心にチクリと針が刺さったような、そんな感覚がしたのだって、きっと………全部、彼に少し影響されてしまっただけの、一時的なものに決まってる。
絶対、そうだ。




