3-6*
Side:Silva
闇ギルドに来てもう数日がたち、俺もなんとなくここでの生活やルール、そしてメンバーとの関わりに慣れてきた頃。
皆で昼食(外の時間で言えば夕食だが)をとっていると、ルナはそうだとこちらを振り向いて微笑んだ。
「シルヴァ、今日は修行は無しにしないかい?」
「?……俺は構わないけど」
「ふむ、ルナは他の者の相手をする気か?」
その提案がどうしてなのかという内容の問いは彼女の隣に座るジョーカーによって為されてしまった。
「今日は皆これから仕事だろう?
訓練室を使っている間に幹部以外のギルド員が来たら大変じゃないか」
……そう言えば、忘れていたけどここは正規ギルドと対立しているんだった。
「別に困んないだろ。
姫さんギルマスなんだし」
「君ね、私が最後にここに来たのは五年以上前だよ?
それにその時も恥ずかしい仮面を着けていたじゃないか」
「じゃあそれつけてやればいいだろ?」
「あまりつけたくないんだよ、アレ。
何が楽しくてオペラ座の怪人コスプレしないといけないんだい」
オペラ座?コスプレ?
知らない単語がいくつも出てきて内心首を捻る。
エースなどは実際本当に首を傾げているから、彼も知らないのだろう。
それに気づいたルナはコホン、と咳払いをして言葉を続けた。
「……まあともかく、恥ずかしいんだ。
それに私はそれで問題ないかもしれないけれど、シルヴァは無理だろう?
“明星”として顔が売れているし」
「弟子も変装すればよいのではないか?」
……それはちょっと嫌だ。
「あはは、弟子嫌そー」
顔に出ていたのかジャックが愉快そうに笑う。
ちなみに前夜から数日間、クイーンとキングは遠方での仕事が入っているらしく今は不在。
俺としては幹部の中で一番五月蝿く邪魔な二人がいなくて何よりだ。
「いいんだよ、たまには休んだ方が。
今日は体は休ませて頭を働かさせるつもりだからね」
「………!?」
魔力で浮いていた俺の皿がグラつく。
動揺が表れてしまったようだ。
頭……最近無かったのに、またあれをしなければいけないのだろうか。
「オベンキョー、かよ……」
「それは……弟子よ、頑張るのだぞ」
「……何かな、その反応は」
じろりとルナに睨まれ、左右に座るジョーカーとエースが肩を揺らす。
「え、二人とも大袈裟すぎない?
何でそんなに怯えてるの?」
唯一不思議そうにするジャックは何も知らないようだ。
彼はルナが闇ギルドに顔を出さなくなってから幹部になったようだから、彼女の教育を受けていないのだろう。
「……そなたは知らぬのだったか。
妾達がこのギルドを立ち上げる際、ギルドマスターをつとめることとなった妾は直前まで外界から隔絶された場所で過ごしていた。
それゆえ些か世間ずれが激しくてな。
数百年の間に進んだ全ての事象を教え込まれる事となったのだ…」
「お前以外の幹部も全員一般常識叩き込まれてさ……
幹部になるからにはある程度賢くなければいけないよ?何も知らない屑が屑の上に立ったところで何の役にもたたないだろう。私の言っていること、わかるよね?つって。
あの一月は悪夢だった……」
「屑………」
ジャックは勿論、あまりの言葉に俺も絶句した。
「あははは……
その頃は私も若かったんだよね。
少しだけ口が悪かったんだ」
「すこしだけ…?」
言葉が理解できないとでも言うようなジョーカーの呟きに続いてエースも口を開く。
「姫さん眼鏡かけながらすんげーゴミ見るような目して鞭持ってたじゃん。
出来なかったら舌打ちして床に鞭打ち付けて、こんな程度も出来ないの?ふん、屑は塵や埃になるにも時間がかかるみたいだね。笑っちゃうよ。って言ってたよな?」
「え、ルナそんなキャラだったの?」
「そんなこと言ったかな?
全然覚えていないのだけど」
不思議そうに首を傾げるルナだけど、俺もエースの言葉に何だか思い当たる節があった。
「ルナは俺に常識とか魔術を教えるとき、ずっと笑顔だった」
「ほら、優しく教えているじゃないか」
「ずっと笑顔のまま、目だけ笑ってなかった」
「………」
我が意を得たりとばかりに笑う彼女の顔がそのまま固まる。
「…!妾も覚えがあるぞ。
エースのように罵倒こそ受けておらぬが……変わらぬ表情のままこちらが書いた端から魔術で違えた部分の文字が消滅させられてゆくのだ…」
同士を見つけた。
まさか同じ様な思いをしている人間が他にもいるなんて。
あの時の無言のプレッシャーは忘れられない。
ルナが説明をするのは最初だけで、確かにその説明は分かりやすく短いフレーズだけど、いくつもの項目を一気に言うため一度では覚えられないのだ。
その後は永遠と口頭での問いを出され、自分が思う答えを紙に書き記していくのだが……ジョーカーも言った通り書いた端から魔術でインクが吸いとられていくので正解を書かない限りその問題は終わらない。
しかもその間ルナは一切無言。
百五十回程一つの問題に対して答えを記しても正解しなかった時は、いっそ罵倒して殴ってもらえたらどんなに気が楽だろうかと思った。
ちなみにヒントは百回間違えたら与えられるため、何回か心が折れて無力感でルナの目の前から消えたくなる。
そんな昔の思い出を話せば、幹部部屋は一気に静まり返った。
「……ルナ、僕が言えることじゃないけど子供になにしてんの」
「もう少し優しくしてやれよ」
「幼い頃というのは多感な年頃なのだ。
それをこのように心の傷を負わせるなどと……」
「え、なにこれ何で私一気に責められてるの?」
ム、と眉をよせたルナは大体、と反論を始めた。
「私はそういうやり方しか知らないんだ、仕方がないだろう?
そうやって教わったし、こっちではそれが普通だと思っていたんだよ。
それに手が出ないんだからいいじゃないか。
鞭で打ったのは背中や手のひらじゃなくて床だし、罵倒は死ねとかそういう言葉は使ってないし、時間がかかっても愚図と言って髪を手でわし掴んで引っ倒してないし」
「え、ルナどんな幼少時代過ごしてるの?」
「……ルナは、そんなことをされていた?」
「んー、まあ色々ね。
それにちゃんと正解したら誉めたじゃないか」
肩を竦めた彼女は質問をさらりとかわして反論を締め括った。
かわされたのは納得がいかないが、最後の言葉には頷くしかない。
「……それは、そう」
「確かにそうであった…」
「んー、まあ、すっげぇ嬉しかったけど」
「えーいいなー。どんな風に誉めてもらったの?」
どんな風、と言われても。
「俺はたくさんの菓子と、頭を撫でて抱き締めてもらった」
「妾は目も笑っている状態で良かったと微笑まれた。
後は出掛けたときに必ず何かを贈られていたように思う。
頑張ったご褒美だよ、とな」
「俺は終わるごとに気分転換、つって戦闘の映像見してもらったり、だな。
お疲れさまだったね、て飲み物とかと一緒に」
つまり飴と鞭の使い方が上手かったのだ。
頑張った後は相応に甘やかしてくれて、誉めてくれて、笑顔をくれる。
それが嬉しくて、もう嫌だったはずなのにまた勉強を始めてしまう。
「……手のひらの上で踊らされてたんだね、皆。ルナってば悪女だ」
「一体さっきの三人の言葉でどうしてそんな感想になるのさ」
「あはは、怒んないでよ。
誉め言葉だからさ。
で、結局弟子は今日何させられるの?」
そう言えば、結局頭を働かせる内容については聞いていない。
頭を使う、という言葉だけで過去の事柄が一気に甦って、いっぱいいっぱいだったのだ。
「うん、頭を使うと言っても別に勉強じゃないんだ。
……まあ、シルヴァがどうしてもと言うのなら私も勉強の準備をするけれど?」
「い、いい!大丈夫。やらなくて平気。間に合っている」
「……弟子、大変だったんだな」
全力で否定したらエースに同情された。
「そんなに厳しくした覚えは無いんだけど……ん、まあいいか。
なら今日やるのは君の村があったかもしれない場所に目星をつけることだ」
ルナは苦笑して亜空間から丸められた紙を取り出す。
渡されたので開いてみると、“王国”、“帝国”、“教国”、“聖国”の四国が描かれた地図だった。
「昔の些細な記憶からでも案外候補が絞れるものだよ。
今日は皆もいないから君に付きっきりで行動できる。
ならその間に次の目的地だとか予定を決めておかないとね。
ここの皆と一緒だと身の危険があってあまり君ばかりを構えないから」
「姫さん、身の危険って何だよ。
俺ら別に姫さんに危害は加えねぇぜ?」
「当たり前だろう。
私の身じゃなくて、シルヴァだよ。
君は……そんなこと無いみたいだけど、クイーンとかクイーンとかクイーンとか」
クイーンしかいない。
けれど確かにその意見には賛成だ。
クイーンは毎日毎日ちょっかいをかけてきて鬱陶しい。
たぶんルナが止めていなければ本当に攻撃を加えられるだろう。
「まあクイーンはな…
じゃあキングはどうなんだよ」
「キングはまあ……別の意味でシルヴァが心配だよ。
絶対に殺されないけれど、消えない心の傷が出来そうで…」
「………」
ルナの深刻な物言いにゾッとする。
確かにあの時、毛を渡せと言ったときのキングの目の光は異常だった。
絶対に二人きりにはなりたくない人間だ。
「んじゃジャックとジョーカー」
「ジャックはからかって遊んでいるだけだから無害と言えば無害かな。
年も近いし、ある程度は安心だよ。
実際に修行で二人を戦わせたこともあるしね。
ジョーカーは………」
ルナは隣を見て微妙な顔をした。
「私が長く連絡を絶ったりしなければ平気だろう。
一番の年長者だから、そのぶん器が大きいしね。
ただ限界を越えると……一番シルヴァが殺されそうかな」
「ふむ、妾のことをよくわかっておるな。
確かにルナの帰りがもう少し遅ければ弟子を殺しに行っていたであろうよ」
告げられた内容に思わずジョーカーを見る。
目があえば、翡翠色のそれはス、と細められた。
「なんだ、意外そうな顔をしておるな、弟子」
「……ジョーカーは俺に何も言ってこなかったから、確かに意外」
エースやジャックのようにからかう訳でも、キングのように要望や質問を突きつけられる訳でも、クイーンのように文句や罵倒を言ってくる訳でもない。
と言うか、殆ど話しかけられたことがない。
「確かにそうかもしれぬ。
妾はこれで年寄りだ。不満があろうと耐えること程度は出来るのでな。
それに、ルナが戻ってきた。
妾にとってはその事実だけでよい」
「あはは。最後の、すごい口説き文句だねぇ。驚いてしまったよ」
「本当のことだ」
「ありがとう、嬉しいよ」
にっこりと、ルナは笑みを深めた。
闇ギルドに来てからのルナはいつもよりも何だか楽しそうに毎日を過ごしているように感じる。
それは今のように幹部部屋で食事をとっている時だとか、夜になって仕事のない誰かと過ごしている時だとか、部屋に戻って眠る時だとか。
そういうほんの些細な瞬間に、彼女はとてもくつろいだ表情を見せる。
それは正規のギルドでは見られなかったことだ。
あそこでルナは笑ってはいたけど、安心はしていなかった気がする。
例えばさっきのエースとの会話。
ルナに危害を加えないと言った彼に、彼女は当たり前だと返した。
これがもしヒルルクとのものなら、彼女は冗談めかしながらも決してその言葉を認めず、どうだかね、と返す気がするのだ。
あぁ、でもルナが当たり前だとと答える場所はもうひとつあるかもしれない。
“王国”の、セイルートの傍。
「シルヴァ?どうしたんだい?」
「……!」
考え込んでいる間に思考が色々なところに行ってしまったようだ。
顔の前でひらひらと振られるルナの手にようやく我に返った時には、彼女は可笑しそうに笑っていた。
「ふふっ、大丈夫?」
「平気。少し考え事をしていた」
「そう。――さて、それじゃあ部屋に行って作業を始めようか。
三人も仕事の準備があるだろうし」
そう言って立ち上がるルナに俺も続く。
ジョーカーは頷き、エースとジャックは立ち上がって頭を下げた。
このギルドには色々な決まりがある。
こんな風に上位者が立ち去るときには下位の者は立ち上がり頭を下げるとか、朝は上位者が来て席に座るまで座らずに立って待っているとか。
それだけ実力主義が染み付いているという事なのだろうが、面倒なのではと思わないこともない。
実際ルナもそう思っていると苦笑していた。
でもジョーカーが認めたから、同じ序列のルナは容認しているようだ。
宵闇呼びよりはね、と疲れた顔をしていた。
そんなに嫌がらなくてもいいと思うのに、彼女はこういうことがとても苦手で嫌いだ。
部屋に着いて早々、ルナは机の上に地図といくつかの本を広げた。
「色々な地方の気候や土地特有の生態系が記されたものだよ。
まあこれを使うのはもう少し先だ。
まずは君の覚えていることを教えてくれるかな?」
「ん。と言っても俺が生まれてすぐ――たぶん二、三ヶ月で村が焼かれたから、あまり思い出せることもない」
「へぇ、三ヶ月……そうか、獣人は生まれてすぐ目が開くし歩けるようになるんだっけ」
「そう。動物と同じ」
野生の動物たちと同様、獣人は生まれてすぐに自我を持つ。
獣型で生まれてくることと何か関係があるらしいと言われてはいるが、その辺りの人族や亜人族との違いは未だ明らかにされてはいないようだ。
もっともそんな生態のおかげで俺は命が助かったようなものなので、理由はともかくありがたいと思うだけだが。
「それで村の外で遊んでいる間に攻められたんだよね?
村の外の情景とか、覚えていることはないかな?」
「………冬だったからなのかもしれないけれど、雪がすごく積もっていた」
「雪か。すごくって、どれくらい?」
言われて記憶を辿る。
少なくとも地面は見えていなかったし、雪の上を歩いたところで足が土に触れることも無かったはずだ。
小さな時のことだから、単に体重がなかったためとも考えられるが―――
「木の葉が雪に埋まりそうになるくらい」
「……それはまた、随分と積もっていたようだね。
それって冬の話、なのかな?」
「そう。俺は冬生まれだから」
「まあいくらなんで夏にそんなに積もっていたら大事件か。
それに冬でも木の幹が埋まるほどの積雪がある場所は少ない。
……となると、まあ“聖国”か“帝国”、“王国”の北の地方に絞られるけど」
ルナが勢いよく地図に魔力で円を描く。
こうして紙に魔力でものを描けば、後々魔力を切るだけでそれらは消え去るので便利だ。
ただ、その間中きちんと描いたものを持続できる程度の魔力量が必要だけど。
「森はどんな感じかな?
木は結構生えていた?」
「……たぶん」
「あ、君はさっき木の葉が雪に埋まりそうだったと言ったよね?
となると生えていたのは冬に葉を落とす落葉樹ではなく常緑樹だ。
葉の形を覚えていたりしないかい?」
「針葉樹だったと思う。
木の傍を通った時、毛に当たってチクチクした」
ふむ、と呟いて、彼女は“王国”の北方についていた印を消す。
今ので除外されたらしい。
「“王国”は基本的に落葉樹が多くてね。
それに一度北方に足を運んだことがあるけれど、そこで見たのは葉が無くなって丸裸になった木ばかりだったよ。
“帝国”は落葉樹も常緑樹も生えているし、“聖国”は常緑樹ばかり生えていたはずだ。
あともう一つ。君の一族は他の獣人や人間、亜人とよく交流していたかい?」
交流、と言われ眉を寄せる。
なにしろ数ヶ月間しか村で生活していないのだ。
それにあまり大人たちのことには興味を持たず、一人で遊んでばかりだった。
「……あ」
そこで思い出す。
そう言えば村の外に出る時には、必ずと言っていい程大人たちにこう言われていた。
「村の大人達は他の種族には決して見つからない様にしろと言っていた。
見つかりそうになったら逃げろ、とも」
「……そうなると、全く外の世界と関わっていなかった可能性が高いな。
他の種族と親しいならそんなことは言わないはずだ」
確かにおかしい。
もしかしたら親しくしている他の種族が訪ねてくることがあるかもしれないのに、見つかるな、逃げろと指示したのだから。
ならば銀狼は隠れるようにしてあの村で住んでいたという事だろう。
ただ問題は、その隠れ住む理由だ。
「困ったな……どうにも“聖国”のような気がしてならない」
憂いを含んだ紫の瞳が地図上を彷徨う。
「でも、“帝国”の方かもしれない」
「そうだと助かるのだけどね」
どうにか気を紛らわそうと言ったもう一つの可能性は、既に彼女中では無いに等しいものにまでなっているらしい。
苦笑とともにその理由が告げられて、俺は口を噤む。
「でも、ある意味”聖国“に君の村があったかもしれないというのは納得できることなんだ。
……あそこは、人間族以外を同じ生き物として見ていないから。
だから銀狼は隠れて生活していかなければならなかったのかもしれない。
それに他の国でひとつの種族を絶やすような出来事があったとしたら、もっとその事実が書物に書かれていいはずだ。
それが全くないというのも、あの国だからと思えば信憑性が増す。
“聖国”は何百年も前から他国との国交を一切絶ち、鎖国状態にあるからね。
……まあ、大規模な焚書があったという可能性が無いわけではないけれど」
「……」
「確か君の村は雪に覆われていたんだろう?
私は五年ほどあそこで過ごしていたけれど――あの国は、年中雪が積もっていたんだよ」
反論する材料が見つからなかった。
ただ馬鹿の一つ覚えのように”帝国“という可能性を繰り返し示したところで、きっとルナは納得しないだろう。
でも、出来るなら”聖国“には行きたくない。
自分が獣人であることによる身の危険は勿論、何よりルナにこんな顔をさせるような国になんて。
「“帝国”になければ、無理をして儀式を受けなくてもいい。
儀式を受けなくても頑張れば強くなれるから」
それは本心だ。
けれどルナは一瞬驚いた顔をしながらも首を横にふる。
「駄目だよ。そんな簡単に望みを捨ててしまっては。
一度望まれ叶えると決めたたなら、私はそれを成し遂げたいんだ」
「……ルナはいつもそればかり言う」
望み望みと、他人の望みを叶えること以外にあまり関心がない。
「私はそういう生き物なんだ。
あの場所で、そう決めたから」
「あの場所……?」
「“聖国”だよ」
細い指が地図の上を彷徨い、そっと国境を示すラインをなぞる。
「さっきも言ったけれど、あそこはどんな季節でも雪に包まれていてね。
毎日毎日、とても寒かった。
私が寒がりなのもそれが原因かもしれないな。
そこで私は色々な経験をして、望みを持つことがどれだけ困難で残酷で、それでいて尊いものなのかを知ったんだ。
そして出来るならそれを私が叶えてみたいと思った。
私にはその程度の事しか出来なかったし」
「困難で残酷で、尊い…」
「ふふっ、君はまだ若いから分からないかもね。
もっと年をとったら分かるよ」
子ども扱いをされて自然と眉間にしわがよる。
確かに俺はルナよりも年下だけど、そんなに子供じゃない。
けれどそんなことを言えば更なる子ども扱いが待っているのだろう。
仕方なく話を変えようと、もう一つ気になっていたことを尋ねる。
「……ルナは昔は寒がりじゃなかった?」
「あはは、話題を変えるのはいい判断だ。
そうだね。と言うか、寒さに慣れていなかったのかな。
故郷にも四季はあって、まあ程度は地方によってまた違ってくるのだけど、少なくとも私の住んでいたところはここまでじゃなかったから。
雪も年に数回降れば珍しいくらいで積もることなんて殆どなかったんだ」
雪が全く降らずに、冬でもやや温暖な気候だった、という事だろう。
そうなると考えられるのは“教国”だろうか。
あそこは他の三国と比べると年中穏やかな気候を保っていて、中には冬でも雪が全く降らない地域もあると聞いたことがあった。
ならルナの故郷もその辺りなのかもしれない。
「もしかして、私がどの国の出身かを推理しているのかい?」
「………つい」
いけなかっただろうか。
そう言えばルナから“故郷”という言葉は何度も聞いたことがあっても、それが明確にどの国のどの地域を指すのかは全く教えられたことはなかった。
「構わないさ。君が気になるのなら好きにするといい。
ただ、私は教える気はないけれどね」
にっこりと悪戯っぽく笑う彼女は案外いじわるな事を言っているのに、それを全く感じさせない。
「……なら、“聖国”でのことをもう少し聞きたい」
それに対抗するように問いを返しても、やっぱり彼女には敵わなかった。
「構わないよ。
そうだな…私が昔“聖国”で暮らしていたことは前に言ったね。
寝起きしていた場所は城だったんだ」
踏み込んでいいのだろうかと、俺は本当は恐る恐る言葉を選んでいるというのに。
故郷での出来事以外の過去の話をするとき、殆ど表情を動かすことはないルナはいつだって微笑んでいて、ただ時折その瞳だけが微かな感情の色を映す。
――少しだけ、過去の話をしてもらうことで彼女を困らせたり、悲しませたり、怒らせたりしてみたい。
そうすればルナの感情の波のもっと奥、深いところに触れられる気がするのだ。
ただその試みは全くと言っていいほど成功の兆しを見せないけれど。
それは語る相手が俺だからなのか、それともセイルート相手でも変わらないことなのか。
それを考えると、チリリと胸の奥が焦げ付いた。
「私はそこで……そう、強くなるための訓練を、していた。
今私がこんな風になっているのも悔しいけどあの国のお陰かな」
「でも、ルナはそんなことをしなくても強かったと思う」
自分とセイルートを比較する必要はない。
俺と彼は立つ位置が違うのだから。
気をとりなおしてそう言えば、ルナからは意外にも否が返ってきた。
「ふふっ、そんなことはない。
あの頃の私は、どこまでも弱かったよ」
そう言われても、ルナと弱いという言葉が上手く結び付かない。
俺が初めて彼女に出会ってから今まで、彼女が弱いと感じたことがないのだから。
「まあでも、今はそんなことは無いのだからいいんだけれど。
今の私はなかなか負けるような相手も存在しないから、誰にも支配されないし、傷つけられない。
誰も私からこれ以上何かを奪うことは出来ないから」
「そうかもしれな…………」
何気ない言葉だったかもしれない。
俺だって危うく、そのまま流して同意を示そうとした。
でも、今の言葉は、よくよく考えたら。
「シルヴァ?どうかしたのかい?」
目の前のルナは言いかけて黙りこんだ俺を不思議そうに見ている。
彼女は気づいていない。
言って、いいのだろうか。
指摘して構わない?
やっぱり迷ってしまう。躊躇ってしまう。
けど、さっきの言葉は。
「……ルナは、昔誰かに支配されて、傷つけられて、何かを、奪われた………?」
「―――!」
紫の瞳が見開かれた。
唇が何かを言いかけて躊躇い、再び笑みの形に結ばれる。
明らかな、動揺。
「――ルナがジョーカーと戦った日の夜も、同じようなことを言っていた。
全部をなくして一人きりにされたって」
今までにない反応につい畳み掛けるように言葉を続ければ、彼女は俯いてその表情を隠した。
けれどそれも、それだけ彼女が混乱していることの証明に他ならない。
だっていつだってルナは微笑みを隠すことなく俺に話をしてきたから。
「………私、そんなことを言ったんだ?」
「後、約束を破ったから、太陽が怒って…」
「―――!!」
ガタ、と音を立てて倒された椅子。
机に手をついて立ち上がったルナはそこで動きを止め――ゆるゆると息を吐く。
俺はその姿を身動ぎせずに見つめていた。
いや、実際には出来なかった、というのが正しい。
彼女から溢れ出る殺気に、本能的に怯えてしまったのだ。
動いたら殺される、と。
「…………最近の私は、口が軽すぎる様だ」
動けない体で固唾を呑んで紡がれる言葉を聞く。
それは冷え冷えとしていて、けれどその冷たさの向かう先は彼女自身なのか、俺なのか。
「今は勿論、戦いの後そんなことを口走っていたなんてね。
理性が働いていない証拠だ。
………シルヴァ、まずは君の問いに答えを返そうか」
そこで初めて、彼女は伏せていた顔を上げた。
ひたりとこちらを見つめる紫の瞳に、それに含まれるたくさんのものが入り混じり濁った感情に息を呑む。
「私が過去、誰かに支配されていたとして、傷つけられていたとして、何かを奪われていたとして。
――――君には、関係のないことだ」
「……っ!」
「そうだろう?」
「それ、は………」
ルナはようやくニコリと顔に笑みをつくって小首を傾げる。
明らかな拒絶。けれど間違えようもなく正論。
「あぁでも……私は君が相応しくなったのなら過去を話すと言ったんだっけ?」
「………」
「すまないね、忘れていたよ。
言葉を変えるべきか。
今の君には関係のないことだ」
ルナはそう言うけれど、どちらにしろ俺は打ちのめされる。
一体いつになれば彼女は、俺がその心の中に踏みいることを許してくれるのだろうか。
いつになれば俺は。
「不満そうな顔だね?」
ルナは笑みを保ったまま、俺の顎をその細い指で持ち上げ上を向かせる。
その瞳には確かに不安と不満が渦巻いた俺が映っていた。
「……そんな、ことは」
「いいよ?別に私の勝手な判断だから、君が不満を持つのも当然だ。
でも私はね、出来るなら不快な思いはしたくない」
「やっぱり昔を思い出して話すのは、ルナにとって、苦痛?」
ならば、口をつぐんだ方がいいのだろうか。
けれどその言葉に彼女は首を横にふる。ならば、何が?
「そんなに辛いことでもないよ。もう昔の話だ。
ただね、私はひとつだけ我慢ならない事がある」
「我慢ならない、こと…?」
「同情されることだよ」
その瞬間、目の前の瞳に殺意が宿った。
「………っ、」
「知っているかいシルヴァ?
同情することはとても簡単なんだ。
悲しい話を聞いて、ただ可哀想にと思うだけでいい。
そしてそれは実際、その悲しい話を聞いて自分はまだ幸せだと再確認した上で他者への優しさを示す行為なんだよ」
ルナの言っていることは確かに理解出来た。
俺自身、過去に何度も同情され偽善的に手を差し伸べられ、そしてその行為に相手が飽きればすぐに放り出されてきたから。
けれどその相手を恨み罵り憎んだことはあっても、ここまでの殺意を持ったことはない。
「私はそれをされることがとても不快だ。
そんな行為、ここの人間には許していないのに慈悲深い神様気取りなんて笑ってしまうよね。
……きっと私のことを話せば、君もそうするんだろう。
その時君を殺してしまうのは可哀想だから、話さない」
可哀想。
鍵となる言葉に体が反応する。
その反応を目に留めて、く、とルナの唇が弧を描く。
「あぁ、同情はしていないよ?
自分が嫌がることを他人にしてはいけない、と教えたことがあるだろう?」
「本、当に……?」
「勿論。私は君のように簡単に他者に同情を示したりしないさ」
「俺は別に同情なんて…」
「“神喰らい”」
していない。
その言葉はルナの一言で音になることなく呑み込まれた。
「君はあの時、アレを可哀想と言ったよね」
確かにその通りだった。
勝手に人間に創造されそして殺される存在に、俺は可哀想だと言ったのだ。
まったくの無意識のうちに。
「だから言ったろう?
同情するのはとても簡単だと。
でもそうしてしまうのも無理はない。
アレはそういう存在だからね。
醜い体、人間の些細な興味でいくつもの命を消費して創られた、あべこべの気配と馬鹿みたいな魔力量。
そして自我も理性もない、衝動のままに生きる姿勢。
すべてが同情される要因だ」
ルナの唇から零れるのはどこまでもその存在を貶める言葉だというのに、表情にはいっそ慈しみさえ宿っていた。
「……まあそういうわけで、君はまだまだ私の過去を話す価値を持たないな。
そしてもうひとつ。
こう見えて案外、私は独占欲が強い。
いや、強くなった、と言った方が正しいかな?」
再び瞳に殺意を宿して、ルナは告げた。
「私以外が私の唯一のことを口にすること、どうにも耐えられないんだ。
だから二度と口にしないでくれるかな?」
「………」
「シルヴァ。返事は?」
「俺は、ルナの過去を知りたいと思ってる」
「……?」
ルナは怪訝そうに眉を寄せた。
「でも、それを知っても結局昔のことは関係ないと思ってもいる」
「……なら何も聞く必要はないじゃないか。
なのに君は私の昔話を望んでる」
「そう。上手く言えないけど……俺はルナが昔の事を話す過程で、出来るならその感情に触れたい」
「………」
黙ってしまった彼女を気にしつつ、言葉を続ける。
これでルナに嫌われてしまっても仕方がないとは思うけど、同時にあのまま頷いても首を横にふっても、どちらにしろ彼女は遠くなる気がして駄目だった。
でも、出来るなら嫌わないで欲しい。
出来るなら、なんて、そんな程度の気持ちではないけれど。
「でもルナは昔の事を話すとき、いつも笑っていてよくわからない。
俺は感情を揺らして欲しいのに。
だから今日俺の質問で初めてあんな風に動揺したルナを見て、もっとと思ってたくさん言った。
それがルナの中を土足で踏み荒らすようなことだって、わかっていたようでわかっていなかったと思う。
………ごめん、なさい」
「…………」
彼女の言葉には答えずに、行った謝罪。
なんだか自分でも途中から何が言いたいのかよく分からなくなってきてしまった。
それに俺は謝ったけど、たぶんまた同じ様なことをしてしまう気がする。
あぁ、でも、確かにルナに約束できる事があった。
「ルナの唯一の人のことはもう聞かない。
その人へのルナの感情とか、そこまでの過程や事実は聞きたくないし、聞く必要はないと思っているから。
……これで、返事になる?」
そろりとルナを窺えば、本当に驚いた顔をしていた。
思わず俺も驚いて無言で彼女を見つめる。
ルナがこんなに驚いているところを、俺は初めて見た。
そしてこんなに大きく長く、表情を崩しているところも。
「……君は、時折私には理解できないような事を言う」
「……?そんなことない、と思う」
別に俺としてはおかしな事を言っている自覚はない。
それとも自覚がないだけで、実際とても奇妙な事を言っているのだろうか。
「君は、本当に変わってる。
そんなことを言われたのは……二度目だよ」
「二度目………」
無条件に顔がしかめられるのが分かった。
反対にルナは穏やかな表情へと戻っていて、でもそれは俺の言葉によるものなのか、俺の言葉で喚起されたアイツによるものなのか。
「それ、セイルート?」
俺の問いに彼女はぱちぱちと瞬いて、次いで頷いた。
「よくわかったね。
……君は結構勘がいいけれど、セイのことになるともっとそれが冴える。
やっぱり実は仲がいいとか?」
「違う。絶対に、誤解。仲がよくなんかない」
「……ふふっ、喧嘩するほど、というやつなのかな」
一度目を閉じて、ルナはため息を吐く。
次にそれを開いても、それは穏やかなままだった。
「君はとても不思議な子だね。
まさかセイ以外でそんなことを言う人がいるなんて、思わなかったな。
……彼の事を他人が口にしなければ、私はそれでいいんだ。
続きをしようか」
倒れた椅子を立て、そこに再び腰かけたルナは本に手を伸ばした。
たぶん“帝国”のどの辺りが俺の言った条件に当てはまるのか調べているのだろう。
“聖国”のことは本には載っていない。
だからもしかつての村が“帝国”になければ、あの国に入り込み虱潰しに探さなければいけなくなる。
………結局、俺の言葉や謝罪に対する返事は何もなかった。
けれどたぶん、ルナは拒絶を示すのならどこまでも明確に絶対的にするだろう。
だから許された――いや、容認されたのかもしれない。
俺の言葉じゃなくて、セイルートのそれによる結果かもしれないのがとても、かなり、気に食わないけど。




