3-4
Side:Luna
“帝国”の北、国土の五分の一程を占める森。
そこには遥か昔から精霊族が暮らしていて、彼らは朝と夜の部族に分かれ森への外敵の侵入を防いでいる。
これだけ聞くならば排他的なイメージが拭えないが、それと同時に同じ“帝国”国民との良好な関係を保っており、全く閉ざされた世界で暮らしているという訳でもない。
ただ独自の文化があることは確かで、特にそれは魔術面での発展が大きい。
精霊族は元々強い魔術耐性と魔術技能を有していて、それに加えて朝の精霊族は時間と付加の魔術、夜の精霊族は空間と幻惑の魔術をそれぞれの部族の伝統的な能力としていた。
その四つのなかでも時間と空間の魔術は余程の適性がない限り精霊族以外には使えないと言われるほど珍しく難しいものなのだが、反対に精霊族として生まれ先達からの師事を受ければ乾いた土が水を吸うが如くそれを扱えるようになるのが特徴的だ。
「……だから案外簡単にできると思っていたんだけどね」
悪いと思いながら――うん、思ってはいるんだよ?
ただやっぱり耐えられないから笑ってしまうのだけど。
ともかく少しの罪悪感を抱きつつ、口からこぼれる笑いを抑えきれずにジャックを見つめる。
「………笑うな!」
彼は手に持った中に何も入っていないペラペラの袋を苛立たしげにこちらに投げつけた。
「ふふっ、すまないね。
君があまりにも不器用だから、何だか面白くなってしまった」
私に当たることなくヘロヘロと地面に落ちかけた袋をキャッチして、床に直接座り込んだままの彼に手渡す。
おや、拗ねてしまったのかな。
ジャックはそっぽを向いてそれを受け取ろうとはしなかった。
「悪かったとは思っているよ。
それに馬鹿にしていた訳じゃないんだ。
なんだか可愛いなと思って。
……男の子にそう言うのは、失礼かな?」
この年頃の少年というのは扱いが難しいから、よく分からないな。
現に目の前のジャックは苦虫を噛み潰したような顔をしているし。
「そ、れ、が!馬鹿にしてるって言うんだよ!」
「うーん、やっぱり難しいね。
まあともかくさ、こういうことはチャレンジあるのみだし、もう一度やってみなよ」
「………」
無言で、けれど今度はきちんと袋を受け取ってくれたジャックについ笑みがこぼれる。
猫みたいな子だ。それも少し高飛車な野良。
質のいい食べ物をあげないと食べてくれないし、さわらせてくれない感じの。
今私は、目の前の彼に約束通り空間魔術を教えている真っ最中である。
昨日の時点でジョーカーとは戦ったし、彼女と二人でボコッたからエースとの手合わせも消化ずみ。
まあ一月もいるんだから一回で終わらせるつもりはないけれど、こういうのは一人ばかりを構いすぎると大変なことになってしまうからね。
今日はジャックに付き合って、明日はギルドの仕事を片付けて。
明後日はクイーンでその次の日はまた別の誰か、みたいなサイクルでやっていくつもりだ。
勿論適度にだらける日も挟んでね。
そして今日相手をしているジャックだけど、“王国”で戦ったときの様子から夜の精霊族のもうひとつの十八番、幻惑の魔術はなかなかのもの。
それに望まれたのは空間魔術の方だから、そちらだけに焦点を絞った修行ということになる。
見たところ魔力の量としても質としても問題はないみたいだし、まずは簡単なものからやってみようということで今もジャックが唸りながら手に持っている小袋を用意した。
出した課題はこの袋から何かを取り出すこと。
聞くだけなら誰でも出来ると思うだろうけど、生憎そんな赤子でも出来るような馬鹿な課題を私が出すわけがなく。
ジャックの手に持つ小袋の中身は、勿論空だ。
空間魔術を使って自分の手をどこかの空間に移動させ取り出すっていうのが真の課題というやつだね。
実際にジャックに手本として見せたとき、私は袋を“自分の部屋という空間”に繋げてそこからティーカップを取り出した。
要はこの魔術、想像力と思い込みの力が必要なのだ。
「さてジャック、今度こそ出来そうかい?」
「………無理」
「ふふ、そんなに重く捉えなくったっていいじゃないか」
苦笑しつつ私も床に直接座り込んで(ちなみにここは訓練室だ。昨日とはまた別の作りになっていて、感覚としては昨日はグラウンド、今日は体育館という感じ)膝をつき合わせる。
「そりゃ、アンタには分かんないかも知んないけど…」
「アンタじゃなくてルナね」
「………精霊族にとって自分達の部族の魔術が使えないなんて、無能と同じことだよ」
私の指摘はスルーされたらしい。
まあそこまで気になるという訳じゃないから繰り返しては言わないが。
「まあ精霊族の長老って昔かたぎな考え方で頭も固いしね。
今の時代にはもっと柔軟性が必要だと思うけど」
「……アンタさ、ホント何者?」
何者、ねぇ。なかなか難しい質問だ。
こちらを見るジャックの目は未知のものに対する興味と恐怖が渦巻いていて、観察していてとても面白い。
「精霊族は警戒心が強いから、よっぽどのことがない限り長が直々に会うなんてあり得ない。
それに僕から香りがして、夜の精霊族だって当ててみせた」
うん、いい指摘だ。
精霊族の特徴は尖った横長の耳。
それを見ればジャックが精霊族だっていうのは分かるけど、それだけじゃ彼が夜の部族だという確信は持てないはずなんだよね。
どちらの部族なのかを判断するには、精霊族にしか分からない香りを使うから。
朝の精霊族は爽やかなミントみたいな香り。
夜の精霊族は甘い砂糖菓子みたいな香り。
ふたつの部族は常にこの香りを体から漂わせている。
でもそれを感じとることが出来るのは同じ精霊族だけだから、私がジャックから甘い香りがすると言ったのは本来あり得ないことだ。
「何者かは自己紹介の時に話さなかったかい?
確かに言ったと思うのだけど。
正規ギルドランクSS、闇ギルドジョーカーの位だって」
明らかに答える気のない私の返答にジャックは眉根をよせて、すぐにそれを消した。
“王国”の時も思ったけど、こうやってすぐに感情を悟らせないよう消すのが常になっている感じ、見込みがあると思う。
下手に分かりやすい馬鹿よりもよっぽど好感が持てるしね。
ただもう少し上達した方がいいかなとは思うけど。
でもそれも、ここは一応仕事場じゃなく家みたいなものだから良しとしよう。
「なんてね。まあ君が言いたいことは分かるよ。
まず何故長と知り合いなのかというと、昔正規ギルド経由で依頼を受けたことがあるから。
結構な恩を売ることが出来てね。重宝している。
さて、香りがわかった理由は今は置いておいて、何者か、だったか」
説明を求める彼を視線で黙らせる。
話を遮ろうとするなんてせっかちだなぁ。
「確かにあの場ではきちんと言っていなかったね。
私は限りなく人っぽいなにか、だ」
「………はぁ?」
あ、これ全く本気にしてないな。失礼なことだ。
「私の外見は人族だろう?」
「そうだね」
「でも実は、人間から四分の三くらいはみ出してしまっていてね。
だから私は限りなく人っぽいなにかなんだよ」
「………僕のこと、馬鹿にしてる?」
うーん、目線が痛い。
「本当だってば。大体そんなんじゃなきゃジョーカーと対等に戦えるわけないじゃないか」
「………」
お、少し納得したようだ。
ジョーカーのことは説得力があるだろう。
昨日戦いを見せたばかりだし。
「それで話を最初に戻すけど、そんな固定観念に囚われない方がいいよ」
「固定観念…?どういうこと?」
「空間魔術を使えないやつは夜の精霊族の屑だー、みたいなやつのこと。
君はこの闇ギルドに来た。ここで必要なのは何だい?」
「……強さ?」
何だ、わかっているじゃないか。
「ならもう精霊族とか関係ないんだから、そんなに気にしなくていいだろう?
ここは強さがあればいい。
空間魔法が使えなくても君は幹部になれたんだから、君は強いということだよ。
少なくとも無能ではないんじゃないかな」
闇ギルドに入ったからには、まあ色々と過去に何かあったんだろうとは思う。
でもここはそういう過去の悲しみだとか憎しみだとかを全部力に変えて強さを得る所だから、そんな風に逆に過去のせいで弱くなるのは本末転倒もいいところなんだよね。
そこは一応私、創始者だし。
気になったし気に入らなかったから言ってみたんだけど――って、あれ、何だか泣きそうになってる。
泣かせるのは流石に体裁が悪いんだけど。
と言うかシルヴァといい彼といい、私は年下男子を泣かせる才能でも持っているのか?
そんなチートは貰ってないと信じたいんだけど。
「付け加えるなら、君の魔力の質は長く幻惑系の魔術ばかりを使い続けたことでそちらに適性がかなり傾いているから、空間系を使う最初の一歩が難しいんだろう。
逆にこれができれば魔力がそれを覚えるから、すぐに他の空間系の術も出来るようになる」
「……なぐさめとか、僕、いらないんだけど」
すん、と小さく鼻をすすっているのは泣きそうだからなのか泣いているからなのか。
ジャックは顔を俯かせてしまったのでよくわからない。
でも憎まれ口を叩いているということは問題ないのだろう。
と言うか泣かれても困る。慰めるのは苦手なのだ。
昔シルヴァを路上で泣かせたとき(私は決して悪くなかったと断言できる)、泣いている彼を慰めようと取り合えず抱っこして頭とか背中を撫でたらもっと泣かれた。
あれは酷かった。
何がって、道行く人々の目が。
「あはは、私は簡単に泣きそうになる面倒な子供相手に慰めをかけようとする程善人じゃないよ。
意味のない無駄な嘘はつかないのがポリシーなんだ。
今の言葉は少なくとも私から見た君の正確な状態だよ」
「………言ってること、案外すっごく酷いよね?」
まあそうかもしれないけれど、そんなことは気にするな。
やっと顔をあげてジトリとした目でこちらを見る彼を笑顔でスルーして、私はジャックの背後に回った。
そのまま彼の肩越しに小袋を見下ろし、抱きしめるように腕をまわせば触れている部分がビクリと強張るのを感じる。
あれ、照れ屋なのかな?
「……な、なな…なんっ」
「はいはい、落ち着いて精神統一ね。
私のことは空気と思ってくれるかな?」
「そんなの無理に決まって……!」
「おや、さっきまでうちひしがれて泣きそうだったのに、もう元気になったんだね」
耳まで真っ赤だ。
どうやら高飛車な野良猫は案外純情らしい。
そのまま彼の手をとって、上から包むように自分の手を添えながら袋の中へ。
同時にほんの少し私の魔力を流すのがポイント。
こうすると私の魔力を辿るようにしてジャックの魔力が流れるから、魔力の扱い方が感覚として記憶できる。
騒いで暴れていた彼も私の意図を察してか大人しくなった。
「いいかい?空間魔術は想像力が大事だ。
想像してごらん……この袋は、底が破れている。
そしてその先は幹部部屋の天井に繋がっているんだ。
今君はこの袋越しに、幹部部屋の天井から手を伸ばしているんだよ」
さて、取ってくるものは何がいいかな。
今日はジョーカー以外の幹部は皆出払っていて、彼女も自室で書類整理の真っ最中だから部屋には誰もいない。
「ジャック、君は幹部部屋から何を持って来たいかな?」
「………クイーンが、クッキー作ったって言ってた。…ルナに。
だからそれにしておく……」
「……ふふっ」
「わ、笑うな!」
だって、まさか私のための物とは思わなかったからね。
「すまないね、つい。
それじゃあそのクッキーはどこに置いてあるか知ってる?」
「確か仕事に行く前、クイーンのテーブルの上に置いてた気がする」
「そう。それじゃあ天井から、クイーンの席に手を伸ばそう。
テーブルの……彼女のことだから、端の方に置いているだろうね。
エースにバレたらつまみ食いされてしまう」
エースは大食いだから、彼の前に食べ物をおくのは注意しなければいけない。
まあたくさんの食料を必要とするのは彼の体質的な問題から仕方のない事なんだけど、やっぱり私のためのクッキーが彼の腹に消えてしまうのは嫌だからね。
「たぶん小さな棚がある机の右端だね。
さぁ、そちらに手を伸ばして。そして掴み取るんだ」
「…………あった!」
どうやら取れたらしい。
ジャックの手を包む私の手にも包装紙の感触が伝わる。
「それじゃあそれを落とさないように自分の魔力で包むんだ。
均等に、薄い膜のようにするのが一番望ましいね」
私の魔力をこちらにも微量に流し先導する。
まあ彼は魔力の細かな扱いが上手いから、ここでの補助はあまり必要じゃないのだけど。
「無事にできたら、手を引いて。
トンネル……じゃない、えーっと、あー……そう、洞窟の中を通って戻ってくるような感覚で袋と幹部部屋を通すよ」
そう言えばトンネル無いんだった。
こういう時とても不便だと思う。
説明とかであちらの世界にピッタリな表現があるのに、わざわざこちらにあるもので置き換えて話さないといけないのだから。
しかもさっきのように上手く置き換えられない時もあるし。
……って、今はその話じゃなかった。
「出来た?」
添えていた手を離す。
ジャックの肩に手を置き覗き込むように立ち膝になって上体を伸ばせば、袋から彼の手と、その手にしっかり握られたクッキーの袋が出てきた所だ。
どうやら無事成功したらしい。
「……でき、た」
「よかったね。今ので感覚も掴めたかな?」
「うん、たぶん……」
ジャックは呆然と袋、自分の手、そしてクッキーを交互に見つめている。
うーん、これ先に進んでいいのかな。
それとも今は感動を噛み締めている最中だから黙って見守っておくべきなのだろうか。
あ、そうじゃないか。
「よくできたね。さすがは我が闇ギルドの“ジャック”だ」
すぐ下にある桃色の髪をくしゃりと撫でる。
あれだ、誉めて伸ばすやつ。
シルヴァもこうやって誉めると喜ぶし、たぶんジャックは今魔術が成功して嬉しいと思うから誉めた方がいいだろう。
「…………」
にしても、くしゃくしゃと髪をかき回してもジャックは無言だ。
少しは照れて抵抗するかと思ったんだけど、予想外。
……と言うか、身動きひとつしない。
「ジャック?」
流石にスルーなのは虚しいから、背後から彼の顔を覗き込めば――真っ赤になっていた。
え、すごい照れてる。これはこれで予想外だ。
「……っ!こ、子供扱いしないでくれない!?」
「お、我に返った。
頭を撫でられるのは嫌いかい?
ならもう止めておこうか」
昔はクイーンにもよくやったものだけど、彼女は大きくなったからもう出来ないんだよね。
流石に三十代に頭を撫でるって対応はまずいと思うし。
ジョーカーは外見は子供だけど私より長生きしてる三百歳越えだから駄目だし、キングはおじいちゃんだし、エースも何か違うし。
だから闇ギルドメンバーでこういう事出来そうなのってジャックだけだったのに。
「別に、そういう訳じゃないけど…………誰にでも、こういうことするわけ?」
「誰にでも?うーん、そうでもないよ。
君を撫でたのはおめでとうとお疲れ様的な意味合いだからそういう時じゃないとしないし、親しくないと他人に触れる気は起きないからね。
それに何と言っても君の髪はとても美味しそうだから」
「親しい……ふーん。
てか美味しそうって何。食べ物じゃないんだけど」
それくらい私にだってわかっている。
でも……うん、本人は怒りそうだから言わないけれど、甘くてふわふわした感じで、可愛くて美味しそうなのだ。あ、イメージね。
「桃みたいな色をしているからね。
それに夜の精霊族特有の甘い香りがするから、よけいに…」
くん、と彼の耳元に鼻を近づける。
あ、なんか端から見ると変態っぽいな私。
でも精霊族はこうやって部族の確認をするし、ある意味これは礼儀正しい手法なのだ。
「ちょ…」
「うーん、甘くていい匂い。やっぱりいいね、君の髪」
変態のようだという自覚はあるのですぐに顔を離し、撫でたことにより乱れてしまった髪を手ぐしで整え直してやる。
何だろう、シルヴァの嗅ぎ癖が移ったかな。
「……っ、そう言えば!」
さっきより更に顔を真っ赤にしたジャックが勢いよく振り返る。
そんなに焦らなくても。
別にもうしないのに。たぶんだけど。
「まだ聞いてないんだけど。
アン――ルナが、何で香りがわかるのか」
「あー」
しまった、さっきの動作で思い出させてしまった。
面倒だからこのまま流そうとしてたんだけどな。
でもまあ彼も闇ギルドの一員だし、ジャックの位階をこのまま継続して持ち続けそうだし。
それにゆくゆくはこっちでの活動が主体になるだろうから、教えてもいいかもしれない。
「仕方ないなぁ…他の皆には内緒だよ?
これはジョーカーしか知らない。
だから他の幹部にも言ったら駄目。
もしも約束を破れば私は絶対に君を殺す。
それでもいいなら教えるけれど、どうする?」
今度は誰が止めたって絶対にそうするだろう。
それくらい、案外大事な秘密だ。
ジャックは殺す、という言葉に一瞬怯えを見せたが(まあ初対面がアレだったしね)結局は頷いて秘密の共有を望んだ。
さて、なら準備をしないとね。
指を鳴らして周囲に霧をかけ、外から見えないようにする。
準備と言ってもこれで終わりなのだけど。
そして普段は髪で隠れている自分の両耳を出し、私は目の前で戸惑っている彼に微笑んだ。
「さて、私の耳をよく見ているといい」
トン、と軽く人差し指で両耳を叩く。
そうすれば幾重にも重ねて厳重にかけていた魔術が一時的に解かれる仕組みになっている。
「えっ……」
「ふふっ、驚いたかい?」
「え、だって、さっきまで……え!?」
おやおや、どうやらかなり混乱しているらしい。
目を何度も擦り、口を開けたり閉じたり忙しいジャックはしばらくして触っていいかと尋ねてきた。
それに諾を返せば恐る恐る耳殻をなぞる指先。
「……ほんとに、僕と同じ精霊族の耳だ」
そう、私の本来の耳は精霊族と同じく横に長く尖ったそれだ。
普段はチートな魔術で隠しているから見ても触れてもただの人間の耳のように他者は感じるけれど。
ふと、ジャックの指が耳から離れ肩にかかる。
そのまま顔がぐっと近づき、彼は私がしたように耳元に鼻を近づけた。
「……?なにこれ、初めて嗅ぐ」
「ふふっ、そうだろうねぇ」
一旦顔を離し訝しげな顔をした彼はもう一度、今度は髪に鼻を埋めた。
よりきちんと香りを感じるためだろう。少々くすぐったいが。
「んー……?
朝っぽいと思ったのに、甘いし、何、これ」
耳元で喋る彼は躍起になっているようだった。
まあ気持ちはわかる。
例えるなら、私はチョコミントみたいな感じの香りだから。
ただこの世界にチョコミント味のアイスは存在しないので言わないけれど。
説明面倒だし。
「私がどっちの部族だか、わかった?」
「ん、もうちょっと。うーん……」
「そんなにムキにならなくても」
「悔しいじゃん。そっちは当てられたのに僕は無理とか」
やれやれ、照れ屋で負けず嫌いか。
「……あ、わかった。もしかして昼?」
「そう。あたりだよ」
精霊族には朝と夜の部族があるけれど、二つの部族間で婚姻を結ぶことは実は少ない。
活動時間が関係しているというのもあるかな。
その名前の通り朝の部族は日中、夜の部族は夜中に生活するから。
それは森の防衛面において必要なことだから仕方がないけれど、それによって殆どの精霊族は同じ部族内で結婚するのだ。
だがまあ、何事にも例外は存在する。
朝と夜、それぞれの精霊が惹かれあい婚姻を結ぶことも確かにあって、その夫婦の間にできた子供は朝と夜、両方の香りを混ぜた不思議な(私に言わせればチョコミントの)匂いがするようになる。
そんな精霊を昼の精霊族と呼ぶのだ。
「へぇ、話には聞いたことあったけど、初めて。
……いいね、癖になりそう」
どの部族かの判定が終わっても離れないのはそういうことか。
まあ気持ちは分からないでもないから放っておこう。
「これが私が空間魔術を扱えて、君が夜の部族だとわかった理由だよ。納得したかい?」
「うん。これなら納得だね。でも何で隠してるの?」
「あー……まあ、私は完全な精霊族という訳じゃないんだ」
「完全じゃない……?
確かに、言われてみれば香りが薄いかも。
あ、人間とのハーフってこと?」
「いや、敢えて言うならクォーター。
四分の一が昼の精霊族なんだ」
ちなみに精霊族の血が薄ければ薄いほど香りも弱まるし、耳は短くなる。
けど私は本当の意味でクォーターという訳でもないからねぇ。
香りこそ少し薄いけれど、耳は普通の精霊族と変わらない長さだ。
「じゃあ父親か母親がハーフってことか。で相手が人間だった、と」
「それとも少し違うな」
「え?」
私は召喚された身だから、こちらの世界に肉親は存在しない。
そしてあちらの世界に精霊だなどと非現実的な種族は存在しないため、勿論私の両親は人間だ。
ただこのことをジャックは知らないから混乱しているんだろう。
仮説を否定しなければよかったかな。
でも私の両親はあちらにいるあの二人だけだから、それ以外の存在を認めたくなかった。
「詳しい話は出来ないな。
それこそ君を殺さないといけなくなってしまうからね。
まあ言ったじゃないか。
私は限りなく人っぽいなにかだって。
その人からちょっとはみ出ちゃった成分の一つがこの事だと考えてくれればいいよ」
「………わかった」
「ふふっ、引き際を弁えている子は好きだよ。
それと何度も言うようだけどこの事は他言無用だ。
殆どの人間は知らないことだし、私も極力知られたくないから」
ジャックはこれで色々と察する事ができる子だと分かったからあまり心配はしていないけど、一応もう一度だけ釘を刺しておく。
彼は深く頷き―――ハタと何かに気がついたような顔をした。
「……弟子も?」
「ん?シルヴァ?」
彼がどうしたと言うのだろうか。
首を傾げた私にムッとした表情を隠しもせずに(さっきまではある程度隠していたのに、止めたのだろうか)言葉を重ねてくる。
「だから、弟子も知らないの?」
ああ、なるほど。
シルヴァとは一緒に旅をしているし、知っていてもおかしくないと思ったのだろう。
「彼も知らないよ。
知っているのは君とジョーカーとセイ――“王国”の第二王子の三人だけ。
セイと君が会うことはないだろうし、この話をするならジョーカーと二人だけの時にね。
とは言ってもそんな機会もないと思うけど」
セイには今から8年前、私の過去について話したときに全部見せたし、ジョーカーには彼女と出会ったときに起こった戦闘で事故みたいな感じにバレちゃったんだよね。
まあ全力でやったから外見にまで魔力を回してる余裕が無かったと言うか。
そういうわけでその二人はこの耳の事を知っているけど、だからといって話題が私の耳って、それはナイだろう。
「ふーん………第二王子、ね。
エースが言ってたの、本当じゃん」
「エース?」
「いや、こっちの話。わかった、絶対誰にも言わない」
「うん、頼んだよ。
それでさ、次のステップに移りたいんだけど……そろそろ離れてもらっていいかな?
先に進めないし私も術をかけられないんだけど」
驚くなかれ、先程からずっとジャックは私の香りを嗅ぎ続けている。
勿論何度か顔を離してお互い表情が見える位置で話しもしたけれど、すぐにまた耳元に戻るんだよね。
チョコミント好きなのだろうか。
今度作ってみようかな、チョコミントアイス。
「えー、また隠しちゃうの?
こんないい香りするのに、もったいない…」
「ずっと出していたら君に秘密だと言った意味がないじゃないか。はい、もう終わりだよ」
指を鳴らして耳を再び人間のそれに見えるよう厳重に隠す。
自分で自分の匂いを嗅ぐのも忘れない。
たまにちょっと香りが漏れてることがあるんだよね。
他の人には分からないけど、道端で精霊族に会ってこのことを指摘されたら面倒だしその辺は徹底している。
私はもう香りを感じないけれど……
「ジャック、香りは漏れてない?」
「うーん…」
くんくん、と色々な位置で香りを確認する姿はシルヴァじゃないけど犬みたいだ。
あ、でも彼は猫か。猫も匂いを嗅ぐし、間違ってはいない。
「耳元ですんごい本気出して嗅げば微かに香るけど、それ以外のところはもう精霊族の香りはしないよ」
「でも少し香るのか……
術の組み方が悪かったかな?」
「元々そうだったんじゃない?
でも僕も言われるまで気づかなかったし、そんな気にしなくていいと思うよ」
ならそういうことなのだろうか。
まあ精霊族とこんなに至近距離でっていうか、耳元に鼻埋めながら話すことも無いだろうからこの状態でも安心ではある。
「で、ほら、離れて。続きをするよ」
もう殆ど香らないと自分で言っていたくせに、まだ離れないジャックは何なんだ。
肩に置かれたままの手を軽く叩くと今度はそれが首にまわる。
「んー。ルナは自然な甘さ」
「え、食べ物?」
つい口に出してしまった。
いや、でもそういうキャッチコピーの食べ物あった気がする。
「違うよ。僕達夜の部族の香りは何て言うか、少し濃いでしょ?
濃厚って言うか、下手したらクドイって言うか」
やっぱり食べ物の話のように聞こえるが、まあいいだろう。
それにそう感じたことも何度かあるし。
「でもルナは、うーん、例えるなら森の果物の甘味成分みたいな?
そんな匂いがする。
耳隠してない時の方がいいけど、こっちもいい匂い」
「そう言えば君達は香りにうるさい一族だったねぇ……」
獣人のように鼻がいい、というわけではなく香りに対する好き嫌いが激しいのだ。
だから結婚相手も香りが気に入った相手を選ぶし、交際を申し込まれても相手の香りが気に入らないから断る、というのもしばしば。
そんな精霊族であるジャックはどうやら私の香りをお気に召したらしい。
まさか人間としての匂いまでいいと言われるとは。
にしても例えが相変わらず食べ物なのはどうにかならないのだろうか。
「それじゃあ他の皆は君からしたらどんな香りなのかな?」
一体どんな食べ物に例えられるのやら、楽しみだ。
「他?うーん……ジョーカーはなんか、スパイシー。
すっごい上品な香辛料?でエースは肉?レアで焼いたやつ。
キングは部屋の匂いがキツすぎてよくわかんなくて、クイーンは綿菓子みたいな甘い匂いがする。外見と全然合ってないけど。
それで弟子は……ケモノ臭」
「……ぷっ、あはははは!」
なんだこの例え。
すごく的を射てるけど、シルヴァ以外全部食べ物なんだけど。
上品な香辛料ってなんだ。
いやまあ言いたい事はすごくわかるし私も同意するけど、でもなんだソレ。
それにエースとキングはいいとして、外見に似合わず綿菓子みたいって、失礼すぎる……!
クイーンが聞いたら顔を真っ赤にして怒りそうだ。
でも確かに彼女は顔とか服装だけ見たらただの女王様だけど、中身はすごく乙女なんだよね。
そういうのも匂いに出るのだろうか。
そして最後のシルヴァ……ケモノ臭って。
唯一食べ物じゃないけどそのまま過ぎるし一番失礼だ。
「ふふっ、な、なるほど……
それに濃厚な甘さの君と自然な甘さの私が加わる訳か。
にしてもケモノ臭ねぇ…私は感じたことがないけれど、そうなのかな」
「いや、実際はそうじゃないんだけど僕がそう感じるっていうか」
「へぇ、君なりの感性か」
「そんな感じ」
なるほど、興味深い。
あとで私も真剣に嗅いでみよう。
「……って、いつの間にか話がそれていたじゃないか。いい加減離れて次を――あ」
「ん?どうかしたの?」
ピシリ、と皹の入る音が聞こえる。
案外早かったな。もう少しかかると思っていたのに。
「どうやらあっちに出した課題が終わったらしいね。もうすぐここに来るよ」
「よくわかるね、ルナ。結界張ったの僕なのに」
「感覚は鋭い方なんだ。
たぶんこっちが霧を張ったから、心配になってがむしゃらに頑張ったんだろうね」
「……僕としてはその前のルナのせいだと思うけど」
「え?私、何かしたかな?」
「…………」
これ見よがしに耳元でため息をつかれてしまった。
私が何をしたって言うんだ。
あんなに真剣にジャックの教師役をつとめていたのに。
そして無事に結界内に侵入することが出来たらしい彼が、深い霧がかかった中も迷うことなくこちらへやってくる。
「ルナ、ちゃんと結界を破れ―――何、してる?」
やれやれ。
一気に冷たく凍えた声音に肩を竦める。
とは言っても相変わらず片方はジャックの手がのっているから、少しぎこちない動きになってしまっているけれど。
それもこれも、性懲りもなく香りを嗅ぎ続けるジャックがいけないのだ。
「あ、弟子やっと来たんだ。
僕空間魔術出来るようになったよ」
「こらこら、まだひとつしか出来ないだろう」
「……いいから離れろ」
むんずと襟首を掴まれシルヴァによって持ち上げられて、ジャックは何が楽しいのかけらけらと笑った。




