3-2
Side:Luna
「――大体その態度が気に入りませんのよ!
何をみだりにルナ様を抱き上げていますの!?」
「こういう状態のルナは歩かせると壁や扉にぶつかって危ない。
そんなことも知らないのか?」
「でしたらあたくしが代わりますわ。
ルナ様もひ弱な犬などよりよっぽど安心して身を任せられますでしょうしね?」
「必要ない。慣れてないそっちと違って、いつものことだから」
「………姫さーん、起きてくれー。
面倒な二人がドンパチ始めちゃうぜ?」
「………ん?」
何となく声は耳に入っていたのだけど、今ちゃんと覚醒した。
ゆったりと揺られる感覚に目を擦りながら上を向けば、気づいたシルヴァは一瞬だけふんわりと笑う。
「おはよう、ルナ」
「おはよう………あぁ、寝過ごしたみたいだね」
基本的には平気なんだけど、私にはたまにすごく寝起きが悪い日がある。
自覚がなくてもうっすら応答はしているらしくて、起き上がったり指示に従ったりは出来るんだけど……ベッドから転げ落ちたり、何もないところで転んだり、ドアにぶつかったりして大変なんだよね。主に床と壁が。
それを心配してシルヴァが運んでくれたんだろう。
ここは廊下だし、周りにクイーンとエースがいるのは朝食に呼びに来てくれたのかな。
「ルナ様、おはようございます」
「おはようクイーン。それにエースも」
「おはよう。いやー、姫さんが起きてくれて助かったわ」
「?」
朝食が始まらない的な意味だろうか。
だが彼は違うと言うように目でクイーンとシルヴァを示す。
……あぁ、そういうこと。
「それでいい加減下ろしたらどうですの?
ルナ様もきちんと目覚められた訳ですし、安心でしょう?」
「駄目。ふらついたら心配だからこのまま抱えていく。
ルナ、構わない?」
「うーん………」
シルヴァの腕の中は温かくて快適だから、寒がりの私にとってこの季節(今は冬だ)手放せない。
けれどこんな状況を闇ギルドのメンバーに見せるのは滅茶苦茶恥ずかしい。
快適さをとるか、私の恥じらいをとるか……
「姫さん、悩んでるとこ悪いがもう着いたぞ」
「え」
顔をあげれば確かに見慣れた扉の前だ。
こんなに早くついたところを見ると、結構長い間寝惚けていたのかな。
「じゃあこのまま席まで運ぶ」
「……まあ、今更か」
「次は必ず、あたくしが運びますわ……!」
いや、流石に女子に抱えられるのはちょっと。
だがそんなことを言えばクイーンが泣きそうなので、賢明にも私は沈黙を貫いた。
「来たか。よく眠ることは……出来たようだな、ルナのその様子を見ると」
扉を開けば残りの三人が既に席についていた。
ジョーカーの言葉でこちらに集まる視線が痛い。
「ジョーカー、どういうこと?」
「うむ、ルナは寝すぎると寝惚けてな。
普段はその様なことは無いのだが、転んだり追突したりと色々しでかす。
弟子が抱えて運んできたのはそういうことであろう?」
「そう。今日のルナは顔を洗っても寝惚けたままだった。
ただ……顔を洗う途中で壁に頭をぶつけて、壁が陥没した」
「……後で私が自分で直しておくよ」
しまった、全然気づかなかった。
しかもジャックがちょっと引いてる。
それにしてもジャックの疑問に答える彼女は完璧な推理力だね。
まあ慣れてる者から見たら一目瞭然で、推理もなにも無いのだけど。
「逆を言えばぐっすり眠れたということ。
妾としてもその状態は嬉しい限りよ」
「私はかなり恥ずかしいけれどね。
ありがとうシルヴァ。
今日は君の椅子も用意するよ」
立ったまま食べるのは流石に無作法だろう。
さて、シルヴァにちょうどいい椅子はどこに仕舞ったんだったかな。
亜空間内に腕を突っ込んでガサゴソやっていると、視線を感じた。
「ジャック?どうかしたかい?」
「え!……いや、その」
「ふむ、ジャックは嬢の亜空間が気になっておるのではないか?
儂らは見慣れておるが、こやつはそうではあるまい」
なるほど。新入りだしね。
それに種族的にもジャックはこれが気になるんじゃないかな。
「ジャック、君は精霊族だろう?
たぶん夜の方の。甘い匂いがするし、外見の特徴からいってもそうだよね?
だから空間魔法が気になるのかな?」
精霊族、という名前だけど実際には日本でいうエルフのようなものに近い。
尖った耳とか、森で暮らしてるとことか。
そんな精霊族には朝の精霊族と夜の精霊族というのがあって、たぶん彼は夜の方だ。
朝は爽やかめな香りがするから。
と言っても、私の主観だけれど。
そして夜の精霊族は空間と幻惑の魔術が得意で、亜空間なんかは彼等の十八番。
ジャックはまだ幼いから体得していないみたいだけど、夜の精霊族はある程度の魔力が備わる年齢になると必ずこの魔術を同族から学ぶという風習があったはずだ。
「そんなことまでどうして…」
「おや、当たりかい?
ふふっ、君が望むなら空間魔法を教えよう。
望むのならば、ね。
さてシルヴァ、これでいいかな?」
白い樹脂製の椅子を取りだしシルヴァを座らせていれば、エースがくつくつと笑う。
「姫さんのその台詞、久々に聞いた。
やっぱいいな、それ」
「そうかい?まあ君達はもう大抵のことは自分で出来るようになったから、私に望む必要もないしね。
必然的に減るものか」
「あたくし達としましては些か味気無いですけれど。
ジャック、望んでおいた方がいいですわよ?
この先こんなチャンスがいつ訪れるか分かりませんし、折角のお言葉ですもの」
クイーンに促されたジャックはそれでもまだ少々戸惑った様子を見せた。
まあその戸惑いは理解できる。
ただ、それを解く気は今はないのだけれど。
「……じゃあ、お願いする」
「ふふっ、ならば君の望みを叶えてあげよう。
まずは私もキングの話を聞かなければいけないから、その後になってしまうけれどね」
「なに、儂の話はすぐに終わる。
その後が問題だがな」
その後、か。
話自体は短いけれど、その内容に問題があるということだろう。
色々と予想はしてみているけど、いまいち獣人てよくわからないところが多いからなぁ。
「話はひとまず仕舞いにしよう。妾は空腹だ」
「そうですわね。今食事をお持ちしますわ」
手を打って話を切り上げたジョーカーに従ってクイーンが魔術を使う。
不可視の手により運ばれてきた料理は出来立てで美味しそうだ。
クイーンの椅子の前以外にテーブルは無いから、他の面々は自らの魔力で皿を浮かせながら食事をすることになる(車椅子のキングは机が内蔵されているので例外だが)。
「シルヴァ、ここの食事は魔力を扱いながら摂らないといけないんだ。
確か山に籠っている間にしたことがあるよね?」
「ん。覚えてる」
「なら安心かな。
……エースは、やっぱり魔術がダメダメなんだね」
全部手とか腕とか膝とかに乗せてバランスを保ちながら食べるのもむしろ器用だとは思うけど。
「俺は自分の肉体で勝負だからな。
姫さんだって時々真似してたろ?」
「だって見ていると自分も少しやってみたくなるじゃないか」
「一発で出来た姫さんには俺の気持ち絶対わからねぇよ……」
「え、だって思ったより簡単……シルヴァ、君まで挑戦しなくていいよ」
我が弟子は案外負けず嫌いでチャレンジ精神が豊富だ。
「では嬢、行くとするか」
食事も終わり、暢気にお茶を飲んでいたところでキングが動き出す。
それに頷きカップの中身を干せばクイーンの魔力がそれを預かってくれた。
「あたくしが片付けておきますわ。
ルナ様は用をお済ませになってくださいな。
この時間帯は皆暇をもて余しておりますし」
「ありがとう。
お言葉に甘えさせてもらうよ。
それじゃあシルヴァ、行こうか」
「ん」
先を行くキングに声をかけて車椅子を押す。
何だか病院で働いている人のような気分になるから、この動作は好きなのだ。
「ルナ」
「うん?どうしたのかな?」
前方への注意は欠かさないままシルヴァを仰ぎ見れば、彼は少し躊躇しながらも口を開く。
「聞いて、いいのかわからないけど……このギルドはどういうことをしている?
さっきクイーンは暇だって言ってたし、のんびりしていて少し、何て言うか……」
うーん、シルヴァの言いたいことは何となく分かるなぁ。
「闇ギルドのわりにすごくのんびりのほほんとしていて、イメージと違ったかい?」
「………そう」
まあここ、私が作った場所だから当然と言えば当然なんだよね。
ほら、私自身気ままな生活してるし。
後はシルヴァの見ている場所が幹部だけのスペースだから、というのもあるかもしれない。
やっぱり下にいくほどただの荒くれ者だとかが多くなって、その分騒がしかったり殺伐としていたりするから。
くすりと笑えばキングがこちらを振り向く。
「ふむ、それは時間帯も関係する。
主は今、外がどのくらいの時刻だか分かるか?」
「……?いや、わからない」
「ここは年中霧が発生しているし、周りに生えているのは常緑樹で空も見えないから無理もないね。
まあだからこそソレっぽさも出ると言うものだけど」
私がこの土地にギルドを建てようと思ったのもそれが決め手だったし。
やっぱり悪役はこういうところに住まないとね。
「外は今真っ昼間。
主は先程の食事を朝食として食べたかもしれんが、外の基準で言えば昼食だ。
そのような時間に暗殺をすると?」
「……確かに。
それじゃあ夜になってここでの昼食を食べたら、忙しくなる?」
「然り。今宵は確か、儂とクイーンに仕事が入っていた。
話が終われば準備をせねばならん」
「あれ、そうだったのかい?
なら別に今日じゃなくてもよかったのに」
どんな内容の仕事かは知らないけど、準備があるならそちらを優先した方がいい。
うーん、その辺りのことは全然考慮してなかったな。
次から気を付けないと。
「構わん。儂は今宵の依頼よりも銀狼が気になるのだから」
「……言っておくけど、解剖は駄目だよ?」
「!?」
あ、シルヴァが一瞬びくってなった。
「しないと言ったではないか」
「だって君だからさ。
テンションが上がってついシルヴァに睡眠薬を飲ませてそのまま、とか。
…あ、シルヴァ、冗談だからそんなに警戒した目で見ないであげて」
ジョークだったのに。
「嬢の言葉は冗談に聞こえん。――着いたぞ」
止めた車椅子の上で、キングが懐から鍵を取り出す。
幹部には個別に部屋が与えられていて(したっぱは五人で一部屋とか、集団生活をしなければならない)、その部屋の鍵も幹部用のもので兼用できる。
因みにひとつの扉からギルド内ならどこへでも行ける機能は幹部同士の部屋では働かない。
流石にプライバシーとかあるから、他人の部屋には勝手に入れないようになっているのだ。
ただ私とジョーカーの鍵は本当の意味でどこへでも入ることができる。
だってトップだし、裏切りや内通者を警戒する意味で必要だしね。
「お邪魔するよ」
「………う…」
私の隣で部屋に入ったシルヴァが呻く。
あぁこの状態、すごく共感できる。
「君には匂いがキツいよね。
魔術で少し防いだ方がいいよ。
鼻が利かなくなってしまうから」
獣人は五感が敏感だから、この学校の理科室を何十倍にもしたような薬品とナマモノっぽいものが混ざりあった空気は辛いだろう。
私も普段の十分の一程まで嗅覚を切っているし。
「そんなに気になるか?
儂は何も感じないがな」
「君は慣れているどころかここで寝起きしているんだから当然だろう」
「寝起き……!?」
車椅子を室内での定位置に寄せ、その辺にあったローラーのついた回る椅子を引き寄せて(勿論私が作った。研究室にはやっぱりこれだろう)それに座る。
心底信じられないものを見るような顔をしているシルヴァは涙目だ。
可哀想に、油断していたらここの匂いは本当に辛いだろう。
よしよしと撫でてやればしゅんと垂れる耳と尻尾が現れて、彼のダメージが窺える。
「おぉ!見事な銀だな!
ふーむ、やはり他の獣人と同じで感情を表すか。
どれどれどれもう少し近くで……いや、解剖させてくれんか?」
「!?」
うわ、キングがテンション高い。
けれどそれによってシルヴァが素晴らしい速さで私の背後に回り腰にしがみついてくる。
ジョークがジョークじゃなくなってしまったじゃないか。
にしても椅子に座ったまま私の背後に回ってしがみついてくるなんて、シルヴァは早くもローラー付きの椅子を使いこなせるようになったようだ。
「だから駄目だって言ったじゃないか。
彼はこう見えて十三歳なんだから、あまりトラウマになるようなことをしないでくれないかい?」
「十三!!素晴らしい!
資料の通り十で成熟した肉体を手に入れるようだな。
ふむ、すまんが服を脱いで見せてくれ」
「………!!」
背後でシルヴァがすごい勢いで首を横に、強調するようだけど横に振っているのがわかる。
あと腰にまわった腕の力も強くなった。
あぁもう、だからトラウマになるような言動は控えろと言ったのに。
「いたいけな少年に何をしようとしているんだい。
脱がせて隅々まで舐めるように観察するのも禁止だよ」
「それでは何のためにここまで来たかわからんだろう」
「情報を聞きに来たんだよ私達は。
でも、まあ、確かに少し悪いとは思うけど…」
言ってみればタダ働きというか、私のジョーカーとしての権力を振りかざしているようで申し訳なく感じはする。
一応ジャックの件での謝罪の意味もあるんだけど、それにしたってねぇ。
でもここでホイホイ差し出すとシルヴァの心に消えない傷が残りそうだし、どうしたものか。
「ならば耳か尾を触るのはどうだ?」
「駄目。絶対駄目」
「唾液、血液、尿などの採取は?」
「嫌。却下。絶対に嫌だ」
「一日の行動全てを観察するため魔術で映像をとるのは?」
「す、全て?嫌だ!」
「では毛を一本でいい、抜いて…」
「だ、……め?
?……それくらい、なら…?」
シルヴァ、それでも結構異常だよ。
求められるハードルが高すぎて感覚が麻痺しているだけだよ、それ。
「おぉ!よいのか!ならば早速」
「る、ルナ、ルナが抜いて!」
「え、私?」
しまった、巻き込まれた。
キングに抜かれるのは気持ち悪いし嫌なのもわかるけれど、なら自分で抜けばいいのに。
それともそんなことも考えつかないほど怯えて動揺しているのだろうか。
……うっ。なんだかこちらを見つめる潤んだ瞳を見ていると、私の米粒サイズのなけなしの良心が痛む。
「えーっと、髪の毛でいいのかい?」
「いや、出来れば耳か尾の毛が望ましい」
「我儘め。シルヴァ、そういうことだから自分で…」
「ルナ、抜いて…」
いや、獣人にとって耳も尻尾も急所なんだから自分でやった方がいいのでは?
でも本人が言っているしなぁ…
「……そ、それじゃあ、うーん、耳に触ってもいい、かな?」
「…ん」
未だ縋りつかれている中、シルヴァの腕の中で体を反転させて向き直る。
やりやすいようにか、彼は椅子からおりて地面にしゃがみこんでくれた。
私は椅子に座ったままだから、この高低差は確かに耳を弄りやすい。
彼の耳は根本の辺りで毛足が長いから、たぶん抜けると思う。
さすがに尻尾というのは私も手を出しにくいし。
「痛かったらごめんね?」
「ルナなら平気」
これでも人生経験は他とは比べ物にならないくらい豊富だけど、さすがに獣人の耳に触れるのは初めてだからなんだか緊張する。
しかもすぐそばでわざわざ移動してきたキングが目をこれでもかというほど見開いてこっちを凝視してるし……なにこのカオスな状況。
「い、いくよ……?」
そろりと触れたケモノ耳は、とてもやわらかく温かかった。
「……っ」
「え!ご、ごめん、痛かったかな?」
腕の下から声を殺すのが聞こえてすぐに手を離したけれど。
「い、痛くはない、けど……」
「そう言えば性感帯であったか。
嬢、触れた感触はどうだ?」
「え、うーん、凄く手触りがよくてやわらかかったな。
弱点じゃなければ長く弄っていたいくらい。
感触としてはなめらかな布地みたいだけど、やっぱり生きているからね。
それとは比べ物にならないよ」
「ほう………」
私の感想を事細かに書き出す感じ、やっぱり変態だな。
冷静にそんなことを考えながら、私はシルヴァの顔色を窺った。
「……大丈夫?
やっぱり自分でやった方がいいんじゃないかな?」
「出来ればルナがいい。
……自分でやっても感覚は一緒だから、その、俺のことは気にしないで抜いて」
「感覚は一緒?……あぁ、なるほど。
わかった、じゃあ次こそ素早く抜いて見せるよ」
うん、今回のことで獣人の耳と尻尾は本当に大きな弱点ということが身に染みて分かった。
……自分で触っても気持ちよすぎるって、不便すぎるだろう。そりゃ普段は隠すよ。
「それじゃあいくね?」
ピクピクと細かく動く片耳を――可哀想だけど、指でつまんで動かなくさせる。
「……ぅ、あ」
無だ。無になるんだ。
ちょっと腰にしがみついてくるシルヴァが私の服越しに爪を立てていても、彼の息が荒くなっていても、時々悩ましげな声が聞こえてきていても!
「……ぬ、抜きにくい」
案外簡単に抜けると思ったのに、密集しているせいか一本だけとるのが難しい。
毛を簡単に指で梳き、整えて細い一本を指で挟み……
「……っ、とれた…!!」
素早く両手を耳から離す。
だがまあ、色々と手遅れだった。
「、ふぁ………るな、できた……?」
「う、うん、出来たよ。
よく頑張ったね、お疲れ様。
………ほんと、ごめんね」
顔を真っ赤にして体を時折震わせ、上手く体勢を保つことすら出来ず私の膝に上半身を預けてこちらを見上げる哀れな彼に、他に何と言えるだろうか。
誰か上手い声かけ教えてください。
「抜けたか!嬢、その毛をこちらに!!」
そして更にテンションを上げる変態。
彼とはまあまあ長い付き合いだけど、今日ほどドン引きした日は後にも先にも無いだろうと断言できる。
研究者って、怖い。
「渡すよ、渡すから落ち着いて。
それじゃあシルヴァが落ち着くまで、君はこの保管だとかそのための処理だとかをしていてくれるかな?」
「よし、わかった」
ルンルンで一本の毛をもって作業する老人。
………何度も言うようだけど、変態だ。
「シルヴァ、大丈夫かい?」
そっと、本当に慎重に、耳に触れないように頭を撫でる。
指が髪に触れた瞬間一度だけ体がひくりと震えたが、それはすぐにおさまった。
少し敏感になっているのだろう。
「何か飲む?横になった方がいいのかな?」
「へい、き。もう少ししたら、おさまる」
……りょ、良心が。
「えーっと、えーっと、背中とか、さすった方がいいのかな?
耳の近くだし、頭はやめた方がいい?
……というか、触らない方がいいかな?」
何て言うか、すごく悪いことをした気分だ。
私がつい明後日の方向を見るのも仕方がないと思う。
元凶はあっちで喜んでる変態だが。
「頭、撫でていて。その方が、嬉しい」
そしてこのピュアさ。眩しすぎる。
ちょっと直視できないんだけどどうしよう。
だがまあ、私の小さな良心をガリガリ削る試練はこれで終わったのだし、ようやく本題に入れるというものだ。
……削られ過ぎて、残った良心はミジンコ並みだけど。
シルヴァを撫で続けながら、私は小さく安堵のため息を吐いた。
「……ゴホン、では本題に入るが」
「元はと言えば君のせいで本題にいつまでたっても辿り着けなかったんじゃないか。
シルヴァなんてこんなに距離をとってるし」
ようやく体毛の保存処理を終え、熱もおさまったらしいキングが真面目な口調で話し始めても一度失ったものは取り戻せない。
完全に私の後ろに隠れてしまっているシルヴァを気にしつつ半眼で彼を見つめれば、全く反省の色が見られない返事が返ってきた。
「何を言う、研究者として当然のことをしたまでだ。
ギルドの獣人は何故かは分からんがなかなかここを訪れんしな」
「当然だよ、身の危険を感じるんだから」
誰が好き好んで自分を研究材料に差し出すか。
――って、また話が脱線しかけてしまっている。
「―――それで?新しく入った情報っていうのはどんなものなんだい?」
「ふむ……まず大前提として、銀狼という種族は基本的に群れで生活を営んでいるらしい。
主も人攫いにあうまではそのようにして生きていたのだろう?」
「……あまりよく覚えていないけど、そうだったと思う。
急に人間が来て、村を焼いた。
俺はその頃まだ生まれたばかりで獣型だったから外で遊んでいて、火がついているのに気づいた。
人間達が追って来たけど、その時はどうにか倒せて逃げ切れて……」
獣型というのは完全な獣の状態を指す。
この世界の獣人は野生の獣と変わらない姿で生まれてきて、成長するにつれて(平均的に三歳前後だと言われている)今のシルヴァの様な人間に近い形になるらしい。
そんな状態を人型と呼び、一度人型をとるともう獣型には戻れず、一番獣に近い状態でも耳と尾が生えたり爪が伸びたりだとかの人型ベースになるのだとか。
「そう、それだ。
どうも銀狼という種族は子供が成人の体を手に入れてから――つまり十を越してから、ある儀式をするらしくてな。
それにより銀狼の子供は人型でも獣型と変わりない身体能力と魔力を扱えるようになるらしい」
「……つまり、今のシルヴァはまだ儀式というものをしていないから人型に慣れていなくて、どんなに頑張っても本来の力を出せないということか。
そしてジャックに操られた時はその魔術によって一時的にその普段は出せていない潜在能力が引き出された……?」
「然り。それでも完全に潜在能力を引き出すことは出来ておらんかっただろうから、五分の一程度か」
へぇ、それはなかなかどうして楽しそうじゃないか。
一度だけ、それも全力ではないものだったけれど、あの時シルヴァは私の魔術の拘束を解いたのだ。
あれで五分の一となると、全力はどれ程のものか。興味がわくな。
「でも、その儀式はどういうことをするんだ?」
「あぁ、確かにそうだね。
私達ではできないような事をしていたら流石に儀式を再現するのは無理だし」
「………この資料を信じるならば、銀狼の村には祠があるらしい。
その奥に泉があってな、そこに体を浸からせ祈ればいいらしいが…」
え、なにその胡散臭い伝承。
「案外簡単だな」
そしてシルヴァは普通に受け止めているけど、え、信じるの?
大事な儀式なのに、そんな簡単だなんて信用していいのだろうか。
言っているキングすら半信半疑なのに。
「……これが君の言っていたその後が問題、というやつか。
でもまぁ他にそれらしい話もないんだろうし、信じるしかない、か」
さて、となると問題は―――
「ルナ?」
振り向いた私に不思議そうに首を傾げるシルヴァ。
いや、これ一応君の話だしね。
「どうするシルヴァ?
君の村に行って、キングの言う儀式とやらをやってみるかい?
君が望むのなら私は君をそこに連れて行くよ」
「……出来るなら儀式を受けたい。
俺は強くなりたいから。
でも……俺は小さかったから、村の場所を覚えてない」
なんだ、そんなことか。
しゅんと垂れる耳を頭を撫でて立ち上がらせ、私はにっこり微笑んだ。
「そんなもの適当に歩いて探せばいいよ。
どうせお金は腐るほどあるから依頼を無理に受ける必要もないし、気ままに旅して君の修行をしてもいい。
ただまぁ、うっすら思い出せることがあったら教えてくれると探すのが楽になるからありがたいんだけど」
「……いいの?」
「ふふっ、いいよ。
私も儀式に興味があるし、それを終えた君の実力も気になるからね」
我が弟子は相変わらず変なところで遠慮する。
今までも私が全国美味しいものを探す旅、とか副題をうって武者修行的な旅をしたことがあるから、それと変わらないと思うんだけどな。
「……じゃあ、また二人旅。嬉しい」
私の言葉がようやく脳に達したのか、彼は少しの沈黙の後そう言って強く抱きついてきた。
喜ぶポイントが少し変だと思うけど、いいのかな?
…まあいいか。凄く喜んでいるのが尻尾からもわかるし。
「嬢、だがすぐには出発せんだろう?」
「え?」
しばらく喜びを露にするシルヴァとじゃれていれば、空気だったキングが口を挟んでくる。
そして不満そうに問い返す我が弟子はそんなに早く儀式を受けたいのだろうか。
「そう事を急いては仕損じる。
それに儂等も久方ぶりに嬢に会ったのだ、もうしばらく滞在してくれ。
ジャックに魔術を教えるとも言っておったろう」
「そうだねぇ…それにあんまりシルヴァばかりを構っていると、いつクイーンが爆発するか分からないしな」
真正面のキングが遠い目をする。
うん、キングはクイーンの親代わりみたいなものだからね。
そんな顔をするのも分かるよ。
だから早くお見合いでもさせて彼女に恋人を作ってくれ。
「……それじゃあ、まだこのギルドで過ごす?」
「君には申し訳ないけれど、そうなってしまうかな。
キングが言ったようにジャックの望みを叶えなければならないし、ここの皆は案外私の事を好いていてくれているからね。
あまりないがしろにもしたくないんだ」
「それがいい。儂は銀狼のデータを採取したことで満足だが、他はそうもいかんだろう。
クイーンは言うまでもないが、他にもエースは嬢との手合せを望んでおったし、なによりジョーカーがな……」
「あぁ、そっか…彼女の相手もしないとね」
「ジョーカーと?」
「儂等では相手にならんからな」
ジョーカーは魔族だから、その実力は幹部内での最上位であるエースでも敵わない。
だから時々私とストレス発散や体が鈍らないように、という意味で戦うのが習慣なんだけど――何年もサボってたわけだしなぁ。
絶対ストレス溜まってそう。それで簡単に危ない思考に走りかけてそう。
例えば最近私がこっちに来ない。そろそろ我慢の限界。よし、弟子殺そう。みたいな感じに。
………さすがにそこまでは無いか。
「あ、じゃあついでにシルヴァも誰かに稽古をつけてもらったら?
エースは魔術は本当に、セイ以上に駄目駄目だけど剣技は良い線いってるんだよ。
まあセイよりは弱いけどね」
本人の前で言うと怒るかセイに挑戦しにいくかのどちらかだから絶対に言わないけれど。
「あと魔術はクイーンなんだけど……殺されそうだしなぁ。
ジャックは直接攻撃というか幻惑とか空間系だから少し系統が違うし、そもそも私が彼に教える約束だし。
……あ、ジョーカーは?」
「それも恐らく危険だと思われるぞ」
あれ?案外私のさっきの予想外れてなかったのかな?
「うーん、まあそれは仕事が入ってないメンバーを見て決めるか。
それか私がジャックと一緒に見てもいいし。
たぶん一月くらいここにいることになると思うんだけど……いいかな?」
ポツポツと叶えられる望みはあるけれど、大前提として今の私はシルヴァの望みを叶えている最中だから彼の意志に最後は委ねることになる。
……実際もう彼の強くなりたいという望みは半分くらい叶ったようなものだから、本当はいつでも彼の望みを放棄して独り立ちさせてもいいんだけどね。
でもまあ、彼がまだだと言うのなら余程の事が無い限り私は彼の傍にいることにしている。
それに“王国”の城で彼には選択肢を間違えれば置いていくと宣言しているから、私が彼の選び取ったものを不快に感じればすぐに捨て去ることができるのだ。
なら無理にシルヴァを独り立ちさせる必要もない。
「ん。構わない」
それに大抵我が弟子は私の言葉に頷いてくれるから、ね。
オマケ:気になっていたこと
「結局獣人の耳や尻尾って、どういう風に出たり入ったりしているのかな?」
「儂もそれは永遠の研究対象だと思っている。本人としてはどうだ?」
「……?感情が高ぶると出てくるし、出そうと思っても勝手に出てくるから、よく分からない」
「ここのギルド員も似た様な事を言っておった」
「あ、でも私、それよりもっと不思議に思うんだけど」
「?」
「?」
「どうして服が破れていないのに、尻尾が外にでるのかな?」
「!!!」
「ぬ、脱がない!絶対に、何と言われても脱がない!!」
「そう言うな、ほれ、菓子を食わんか?」
「睡眠薬入りだろう!」
「チッ……バレては仕方がない。ではこれはどうだ?嬢の十年前の映像だ。今とは服も違うし、主の知らぬ嬢が映っているが?」
「……!」
「こらこら、何を迷っているんだい。キングに剥かれてそのまま体中舐める様に観察されて撮影されてもいいのかい?」
「………くっ。諦め、る…」
「くそ、最後の手段が…!!」
結論。
ふぁんたじーなので、服は無事なんです。