2-14
Side:Luna
簡単にシャワーを済ませ、私は熱気で曇る鏡を見つめた。
鏡に映る体には何の痕もなく、ただ無機質な白がほんの少し湯で上気しているのみ。
あの日セイがつけた痕跡は全て消えてしまっている。
まあ元々どんなに強く痕を残したところで数日とたたず消えてしまうから、私としても分かっていたことだったけれど。
「……痕も消えたし、もう、行かなくてはね」
一人呟いて浴室を出る。
依頼である第二王子の命を狙う者を無事に捕らえてから数日。
今日は、セイの立太子式だ。
いつもの執務室ではなく式の控え室として用意された部屋に入れば、中ではこの日のために着飾ったセイと相変わらず無表情なシルヴァが言い合いをしていて、それをジークが宥めつつ微笑ましそうに見守っている。
そして私の入室に気づいた三人は揃ってこちらに顔を向けた。
「あ、やっと戻ってきた。
ルナってば俺が晴れの舞台で緊張してるのに優雅にお風呂とか酷すぎ」
「ルナ、待ってた。
セイルートがうるさくてすごく迷惑だった」
「もうよろしいのですか?
式まではまだ時間もありますし、ゆっくりしていただいて構わないのですが」
三者三様の言葉に苦笑が漏れる。
まったく、ジークはともかくとして他の二人は自由すぎないだろうか。
「緊張している人間の発言とは思えないね。
シルヴァが言うには騒いでいたようだし。
休憩は十分させてもらったから大丈夫だよ」
シルヴァの隣に腰掛け、正面のセイを見つめる。
それだけである程度伝わったのか、彼は一瞬だけ寂しそうな顔をした。
「セイ、そろそろここを出ていくよ。
元々依頼も達成していたし」
「……あーぁ、もう消えちゃったか。
わかった、次はもっと強くはっきりつけるね」
「セクハラ発言は禁止」
分からないからといって公衆の面前で言うことか。
じとりと彼を睨んでから残る二人を窺う。
ジークはこれまでも大抵こんな感じで別れを告げていたからあまり驚く素振りは見られないけれど、シルヴァはかなり意外だったのか目を見開いて固まっていた。
「ルナ、出ていくって、今日?」
「そうだよ。おや、案外ここを離れるのは寂しいのかな?
一晩中眠り続けた後、目覚めてすぐに依頼が終わったなら城を出ようと言ってきたのに」
くすくすとからかいの言葉を投げれば、それに乗るようにセイもニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべた。
「あれー?シルヴァ君てばツンケンしておいて寂しがり屋なんだ?
俺とお別れするのが悲しいの?やー、モテる男は辛いなぁ」
「五月蝿い。黙れ」
「酷すぎる……」
にべもない物言いにセイは落ち込んでいるけれど、実際シルヴァはここでの日々を楽しんだんだろう。
耳が出そうになってるし。
「また行かれてしまうのですね」
「ふふ、私はそうしなければいけないからね。
でもそうだな、シルヴァがここから離れがたいようなら彼をここに――」
「俺はルナといたい」
「……そのようだね」
わかった。わかったからそんなに強く手を掴まなくてもいいじゃないか。
別に逃げたり置いていったりしないよ。
「ルナ様、あまりシルヴァ様を苛めないで差し上げてください」
「私としてはそんなつもりはないんだけどね…」
「まあルナはそうだろうね。
でも端から見てるとシルヴァ君が憐れで憐れで……
あはは、そんな目でみないでよシルヴァ君、視線で人殺せそうだよ?」
ジークに同意してわざとらしく泣き真似をしていたセイはひきつった笑いを浮かべた。
あまりからかうからそういう事になるんだよ。
自業自得だ。まあそれも演技なんだろうけど。
そして実際その通りにセイはころりと表情を変え真剣な、けれどほんの少し、わからない程度に甘えを含んだ眼差しを私に向けた。
その目に私が弱いって、わかってしているよね?
「ね、でもさ、別に今すぐ出てっちゃう訳じゃないよね?
俺の晴れ舞台見てってくれるでしょ?」
「………」
「るーな?」
「……わかってるよ。勿論見させてもらうさ。
何しろ名高い“神童”の立太子式なのだからね」
肩を竦めつつそう茶化せば、それをものともしない満面の笑みが返ってくる。あ、嫌な予感。
「んじゃ決定!ルナは今日俺に祝福の魔法かける役ね」
「は!?」
………私が反応するより先に、シルヴァが音をたてて椅子から立ち上がった。
けれど私も気持ちは同じだ。なんだそれ、初耳じゃないか。
「……却下。駄目。ルナはそういう、人目につくことは嫌いだ」
「わかってるよー。だからちゃーんと、それなりのものを用意したんだって。ね、ジーク?」
「………申し訳ありません、シルヴァ様」
セイの目配せでジークが立ち上がり、部屋のクローゼットから何かを取り出した。
と言うか、何故シルヴァに謝る。
普通私にするものじゃないだろうか。
テーブルにその何かが広げられ、私は思わず目の前の主従を睨み付ける。
「……なにかな、この胡散臭いローブは」
「ん?だってこれで全身覆えば誰だか分かんないでしょ?」
「そういう問題じゃないだろう」
誰が着るか、こんな隠者みたいな服。
「いいじゃん、ね?
俺への誕生日プレゼントだと思ってさ」
またその表情。くそ、本当に性格が悪い。
「……これっきりだからね」
「やった!ほら、本人の同意も得られたんだし、シルヴァ君そんな不満そうにしない。
俺はこれから数ヵ月ルナに会えないんだよ?
君は毎日毎日一緒にいるのにさぁ。
だったらこれくらい許されて当然のことじゃない?
それに、反対するなら次期国王権限でギルドから除名しちゃうよ?」
セイ、それは脅しだろう。
なぜこの王家はこういう卑怯な脅しを使うのか。先が思いやられる。
「………まあ、仕方ない」
そして脅されたシルヴァは不満そうにしながらも反対を諦めたようだ。
セイは拍子抜けしたようだけど。
「あれ、もっと粘ると思ってたんだけど」
脅した人間が何を言っているんだか。
けれどシルヴァは怒りもせずにむしろ不敵に笑った。
「別に、俺はこれからまたルナとずっと二人きりだから構わない。
ルナに会えないなんて可哀想だから、貸してやるだけ」
「………わーお、すっごいムカつく」
珍しく本当にイラッとしたらしい彼はひくつく唇をどうにか笑みの形に保ちながらも、目は殆ど笑っていなかった。
この二人は仲がいいのか悪いのか。
「……ではルナ様、式での事についていくつか打合せを致しましょう」
「うん、そうだね。出来れば別室で」
「かしこまりました」
ともかく、こういうのは放っておくに限る。
子供のように口喧嘩を始めた二人から離れ、私とジークは別室で式についての話を始めたのだった。
荘厳な音楽が鳴り響き、空気を揺らす。
四つしかない国のうちの一つ、それも次代の“国王”を国内外に広めるための式であるのだから、その絢爛さは言うまでもない。
もっとも私としては少し派手すぎじゃないかと思うけれどねぇ。
さて、今は儀式が始まったばかり。
本日の主役であるセイはようやく私や現国王などがいる神殿へ続く道を歩き始めたところだ。
神殿といっても乳白色の豪華っぽい何本かの柱と、魔法陣が描かれた同じく白い石造りの床しかない吹きさらしの場所なんだけれど。
あぁ、吹きさらしというのは少し違うかな。
一応代々の国王が立太子式をあげている神聖な場所らしいから、今日みたいに式が行われていない時には結界で守られているらしいし。
そして今セイが歩いているこの神殿へ(正確には床の魔法陣が目的地だけど)続く道、とんでもなく長い。
どれくらいって、そうだな……うん、大型ショッピングモールの端から端までを歩くぐらい。
まあ何故そんなに長いかって、道の両端に詰めかけている国民たちに次期国王の姿を見せるためなんだけどね。
この式は“王国”の魔術師達が力を合わせて国中で見られるように生中継してるから、各都市の広場とかで見られるのにご苦労なことだ。
そしてこの神殿、昔の人間達が頑張ったんだかなんだか知らないが、季節が冬でも夏でも(まあ“王国”は冬国だから夏は一瞬だし滅茶苦茶涼しいけど)常時適温に保たれている。
……けどこれ、今の私にとっては余計な気遣い以外の何物でもないんだけど。
何が楽しくてこんな適温(25度くらい)で分厚い重い灰色のローブを着なきゃいけないんだ。
いやまあ、確かに目立ちたくないんだけど。
でも今回の式に“聖国”の関係者は来ていないし、そんなに警戒するほどのことでもないと思う。
というか、それを分かってるからセイだってこんなことを強請ったんだろうし。
大体ローブだってもっと軽くて薄いのあっただろう。
今“王国”は冬に入りはじめているから、そりゃあこの神殿に入る前は快適だった。
私は寒がりだからね。
でも神殿に一歩でも足を踏み入れれば、このローブは私に対する嫌がらせ以外の何物でもない気がするんだ。
少しでもローブの中の空気を入れ換えたくてごそごそバレないように動いていると、横に立つ国王が不思議そうにこっちを見てきた。
ちなみに今、セイは道の三分の一を歩き終えた位置にいる。
「……宵闇、何をしている?」
「暑いんだよ」
「何を言う。結界内は快適だろう」
そりゃ君はね。
「私の格好が目に入らないのかい?
だとしたらとんでもない節穴だね」
「相変わらず失礼な奴だな!
ならば脱げばいいだろう、そんな暑そうなもの。
大体晴れの舞台にその色はなんだ、辛気臭い」
「文句は君の息子に言ってくれないかな」
何で私がドレスコードなってない奴みたいになるんだ。納得いかない。
ぶすっとして言えば、国王は話をそらすようにキョロキョロと目線を彷徨わせた。
「ところで弟子はどうした?見当たらないが」
「弟子じゃなくて明星。
彼はジークのところにいるよ。
流石にこっちには来られないし」
式の最中、私と国王、騎士団長、魔術師長、宰相の五人と、主役であるセイは神殿の中と言うか――魔法陣が描かれた床(壇上とでも言うのかな。地面より階段五段分高いし)の上に立つことが許される。
本当は私も駄目なのだが、セイが強引にその役を私にして(元々祝福の魔法をかけるのは神殿を管理している神官長の役目だった)、しかも特例として国王や国の重鎮が許すからこんなことになってしまった。
セイの命の恩人だし世界に三人しかいないランクSSだし、というのが理由だとか。
そして同じく依頼を達成した身であるがまだランクも低く、実際今回大して活躍もしていないし式で役割があるわけでもないシルヴァはそれでも神殿の外、同じく役割のないジークとともに式を見ることを許された。
次期国王の側近の隣なんて、なかなかいい位置取りだからよく見えるだろう。
国王もその姿を見つけられたのか成る程と頷いている。
「宵闇よ」
「うん?なんだい?
と言うか君さ、一応これって大事な式だろう?
私語は慎んだ方がいいんじゃないかい?」
「ふん、わしは一番偉いんだからいいんだ!」
「子供か」
「なんだと!?」
おっといけない、つい本音が。
「あはは、それでなんなのさ。
もうセイは半分ほど進んでいるし、話があるならさっさとしてくれるかい?
私はこれが終わったらすぐに出るつもりだからね」
「なんだ、もう行くのか」
「だって依頼は終わっただろう?」
「だがなぁ。お前とセイルは仲がいいだろう」
なんだ今更。
意図しているところが全くわからない。
「これまでもこういう感じだったじゃないか」
「いや、セイルは今年成人だし、そろそろ伴侶をとらねばならんだろう?」
「うん、それが?」
「そ、それが……!?」
なんだかショックを受けたらしい国王。
え、なに、もしかして彼、私とセイをくっつけようとしてる?
違ったとして、私とセイがそういう関係だから気を遣ってる?
「……あのさぁ、何か勘違いしているようだけど、別に私もセイもお互い結婚しようなんて思ってないから」
「何、そうなのか!?」
「そうなのか、って……あーもうこれだから子供は」
「おいいい加減失礼だと思わんのか!」
小さく呆れたと肩を竦めれば、国王は苛立たしげに地団駄を踏み――かけて慌てて耐えた。うん、式の最中だしね。
「まあ詳しくはセイに聞いて。
考えていることは同じだし、お互い納得しているからね。
それで、話はこれだけかい?」
「うーむ、それは、その」
「まだ何かあるんだね」
分かりやすいことこの上ない。
怒らないから話してみろと国王をせっつけば(何しろセイはもう三分の二の距離だ)、彼は躊躇しながらも恐る恐る口を開く。
「こんなことをお前に言ったとバレればセイルに何をされるか分からんが」
おい、一応自分の息子だろう。怯えてどうする。
「あいつを助けてやってくれ。
王子と国王では、その責任も重圧も全く異なる。
セイルはあれで脆いところがあるからな…」
それは数年前の、誠がセイになった切欠となるあの出来事を言っているのだろう。
国王は決意を秘めた瞳で私を見つめ、言葉を重ねていく。
「ルナとして、宵闇として、セイルを、そしてこの国を守って欲しい」
ふぅん。なかなかどうして、意味深な言葉じゃないか。
「依頼や損得勘定抜きに、無条件でこの国を守れって?この私に?」
「……やっぱり駄目か?」
窺う様にこちらを見つめる国王についため息が漏れる。
「うーん、まあ私の害にならない限りは別に助けてあげてもいいよ。
ここはセイの国になるんだからね。
でも私とセイにとってこの国が害になるならその時は私、この国を消そうと思っているんだ。
そんな私にこんなことを頼んでいいのかい?」
自分でも偉そうだと思うけど、まあ私の方が強いし。
この世界は身分がものをいうけれど、それと同じくらい強くなければ生きていけないという前提があるからいいのだ。
実際国王は怒ることもなく頷いているしね。
「それでいい。元々お前のような者を味方につけられたことが奇跡のようなものだからな」
「それ褒めてるのかな?」
「勿論だ」
胡散臭い。どう考えても貶されていると言うか、私はどんな位置づけだと問いたくなるような発言だ。
まあその通りなんだけど。
セイがここに転生してなかったら有り得なかった状況だしね、今って。
「にしても……もしかして話ってそれかい?
君は随分と向こう見ずになったね。
私にそんなことを言うだなんて」
機嫌が悪かったら帰ってもうこれから一切関わらない様にしているし、そうなることもこれまでの付き合いで国王には分かっているはずだけど。
「まあ、親心というやつだな。
息子の治世を少しでもいいものにしたいと願う」
「後は国王としての打算か。
セイの父親だしまあまあ長い付き合いだし今は式の最中だしで、少しくらい私を怒らせても平気だろうとでも思ってるんだろう」
「……いい話で纏めさせてくれてもいいだろう」
なにをそんな不満そうにしているんだか。図星の癖に。
「そう言えば、なんだか君と似たようなことを言っていたのがいたね」
ちらりと重鎮である高位貴族達のいる場所を見つめる。
特にその最前列にいる侯爵。
今回私がセイに祝福の魔法をかけることに率先して賛成したんだとか。
まあ彼の思惑も分からないでもない。
間違いなくここにいる国王と同じ様なものだろう。
ただ少し違うのは、彼の方が諦めが悪いということ。
あれだけセイに脅された後なのに、面の皮が厚すぎるんじゃないだろうか。流石狸。
で、それを防ぎたいけど式は間近で見て欲しくて、セイはこんな邪魔なローブを私に着させたんだろうし。
彼もなかなか我儘だ。
クスリと自然に浮かんだ笑みを口許に湛えたまま、私はいよいよ階段を上ってこちらに近づいてくるセイを見つめた。
魔法陣の中央で立ち止まったセイはその場で仰々しく肩にかけられたマントの裾を払うと、片膝をつき頭を垂れる。
まずはそこに国王と宰相が近づき、その頭上に王太子の証である小さめの冠をのせるのがしきたりだ。
――って、私があげたリボンで髪しばってるし。
控室で会った時はそのままだったのに、いつの間に。
何だかしてやられたような、気恥ずかしいような気分だ。
「―――そなたは次代の“王国”を担うものとして、自らが背負うものを知り、そしてそれを他者と分かち合うことを知らねばならない」
この時言う言葉は代々の国王によってバラバラで、後継者の性格だとかに合わせて考えているものらしい。
まあ決まり文句を言うより全然いいと思う。
励みにも戒めにもなるしね。
セイに対して“他者と背負うものを分け合え”と言うのも的を射ているな。
彼は自分一人で全てをやれると思ったことで、過去に悲劇を起こして傷ついたんだから。
「その言葉、銘肝致します」
「ならば、そなたは次代の王となる」
国王の目配せで宰相がセイに冠を載せる。
それが済むとセイは立ち上がり、国王と宰相がさがったのと入れ違いに今度は団長と師長が彼の前に立って跪いた。
彼等はここで、次代の王に国を代表して忠誠を誓う役割を担っている。
「我等は剣となり盾となり殿下の傍らに立つことをここに誓います」
「忠誠は国へ、力の集う先は貴方様へ。我等の意思をお受け取り下さい」
セイが腰に差した立太子式用の宝剣を抜き放ち、二人の肩にその刀身を当てる。
こういう所は中世の忠誠を誓う儀式と似たような感じなんだよね。
少し関係があるのだろうか。
「許す」
セイのそんな言葉とともに剣は鞘におさめられ、団長と師長はもう一度深々と頭を垂れてから立ち上がる。
やれやれ、私の出番か。
二人が去ったセイの正面、魔法陣の中央に彼と二人で立ち、私はチラリと現国王、そして侯爵を見つめた。
国の駒になるのは嫌いだ。
誰かに利用されるのも、言いなりになるのも、こうしてたくさんの人間達の前に立つのも嫌いだ。
――でも、それが全てセイのためになるのなら今日くらい思惑に乗ってやったっていい。
亜空間からそれらしい身の丈以上もある杖を取り出し、私は身に纏うローブを脱ぎ捨てた。
あ、こんなことなら普段着(特注品でそこらの貴族の服よりよっぽど値段するけど)じゃなくてこの間みたいなドレス着とけばよかった。
突然の私の行動に、その場にいる全ての者が注目したのがわかる。
それも当然か。本来ならローブの下には神官長である老人がいるはずなのに、こんな誰かも分からない若い女が立っているんだから。
……どうせなら、私も名乗っておこう。
「私の名は“宵闇”。ギルドの頂に立つ者の一人」
「ちょ、月、何して――」
カツン、と杖を打ち鳴らすことでセイの口を閉じさせる。
長い“王国”の歴史の中でも、式の最中にその主役に魔術をかけて話せないようにさせるなんて暴挙をおかした人間はいないだろうなぁ。
「唯一無二の存在であるセイルート・グラファイリアスを祝福するために来た」
グラファイリアス、という噛みそうな名前は“王国”を表す音だ。
この世界には姓という概念がない。
だが各国の王族だけはそれぞれの国の名前を名の後につけるのが正式な名乗りだ。
私が口で“王国”と言えば、言語チートで勝手に翻訳されてここの世界の人間には“グラファイリアス”と聞こえるようになっているんだけど、やっぱりこういう時くらいちゃんと言わないとね。
「この“王国”に、セイルートが存在する限り。
この“王国”が、私に仇なすものとならない限り。
私はこの国を祝福しよう。
【次代の王に、宵闇の名の下、絶対の守護を。
何人たりとも、彼を害することは許されない】」
もう一度高く杖を打ち鳴らし、私は思い切り魔力を込めた。
魔法陣が輝き天まで届く光の柱が伸びる。
本来この魔法陣は発動させると空に虹がかかり雪が降るものらしい。
結構幻想的で、国民は立太子式の光景を語り継ぐんだとか。
でもさ、せっかくの君の晴れの舞台にそんなルーティーン、つまらないだろう?
ワッと歓声が上がった。
光が段々とおさまり柱が消えて、ちらほらと空から輝くものが降ってくる。
雪のように見えるけど、雪じゃないんだなぁこれが。
私の練った魔力の塊。
だからそれ自体が発光するように淡く輝くし、残ることなく消える。
雪だと最後には汚く残るし、私は雪は嫌いだから。
降らせたのはそれだけじゃない。
ワンパターンかもしれないけど、こういう時には花弁が降ってくるものだろう?
イメージとしては桜の花びら。
私達にとっては故郷を表す特別な花だからね。
そして見上げた空には虹じゃなくてオーロラ。
こっちの方が幻想的だし、なかなか見られないからいいはずだ。
魔法陣が壊れないギリギリまで魔力を込めたから、たぶん今日一日はどれも消えることはないはず。
「……私の大切な君に、永遠の祝福を」
私にできる最高の顔で笑えば、セイは情けなく瞳を潤ませた。
まだ魔術をかけたままの唇が馬鹿、と動くのが分かる。
馬鹿とは失礼な。
お互い言いたいことはたくさんあるけど、一応式の最中だからね。
これからセイは盛りあがる国民達に対して城のバルコニーから演説したり手をふったり、色々忙しいのだ。
私とシルヴァはその騒ぎの間に城を出るつもりだから、ありがたいけれど。
ともかくまずはこの式を終わらせないと。
「――ありがとう」
自分にかかっていた魔術が解かれたのを察して、私の手をとって口付ける君はまさしく王子に相応しいキザさだ。
そのまま互いに目だけで合図してから、セイは式の始まりと同様に城から神殿までを繋ぐ道をゆっくりと歩く。
ただ帰りは、元々神殿にいた私達もその後に続いていかないといけないんだよねぇ。
脱ぎ捨てたローブを一応羽織るけど、あんまり意味はないんだろうな。
いやまあ、自分でやったことなんだけど。
「ちょっと親父、十分予定繰り上げて。
あ、ルナはこっち。逃げられるなんて思ってないよね?」
そして城に入った途端これである。
あーあ。やっぱり捕まったか。
文句を言われることは分かっていたし、その文句というのが私を思ってのものであることも分かるから一度捕まってしまえば抵抗する気はない。
まあ、バックレられたらそれはそっちの方がよかったんだけど。
「――後、親父にはさ」
ドナドナよろしく連れ去られていく私を見て見ぬふりしていた国王は、振り返ったセイの顔を見て固まった。
「今晩ゆっくり、話したいことがあるから覚悟しててね?」
「………ハイ」
おい、仮にも父親だろう。
「ルナ、なんであんなことすんの」
連行されたどこぞの空き部屋で、セイは疲れたように綺麗にセットされた髪をかきあげた。
うーん、乱れた髪でも絵になるイケメン、爆発しろ。
「……ちょっと、真剣なんですけど俺」
「それは分かってるよ。
だから現実逃避してたんじゃないか」
さて、セイの提案した十分はなかなかいい数字だ。
ああいう式典は出てくるのがなかなか時間がかかるから、シルヴァがここに来るまで丁度それくらいだろうし。
「じゃあホラ、言い訳してよ。
俺のせっかくの気遣いとか、月に頼んないで頑張ろうっていう心意気を全部台無しにした言い訳」
あぁ、これは、結構怒らせてしまったのかな。
「ごめんね。でも、君の為に私が出来ることを考えてみたらこれだったんだ」
「………」
いつだって私を救って、そして同時に弱くする“大切なひと”。
その体を掻き抱けば、同じ様に君も私を求めてくれる。
「私はいつだって君のために何かしたいのに、君は私に何も望まないから。
君のそんなところが堪らなく私は嬉しいけれど、やっぱり少しだけ恨めしい。
だから少し癪に障るけど国王と侯爵の思惑にのった」
ぎゅっと触れあう君の体温を暫く忘れないように全身で感じる。
また数ヵ月後、君に会うときまで。
「君はそんなこと絶対にしないのだろうけれど、私は君が望めばそれがどれだけの悲劇を生み出すものでも、どれだけの恐怖を呼ぶものでも、どれだけ身勝手なものだって叶えてみせるよ。
――ううん、私が叶えたいんだ。君が望むことならば何だって」
「馬鹿」
「うん、知っているよ。
それにね、こんなことを言えるのは確信しているからなんだ。
矛盾しているようだけど、君だけは私に何も望まないって、私は分かっていて望まれたいから」
腕の力を少し緩めてセイを見上げる。
こんなことで泣きそうになって、どっちが馬鹿なんだか。
「だから私を呼んで。君は私にとっては“誠司”であり“セイルート”である、セイという大切な人だ。
君が呼んでくれたなら、ううん、呼ばなくったって、私は君の傍に行くよ。
君が私を一人きりにしないでいてくれるように、私も君を一人にしない」
「月……」
「さ、笑って…?また暫くの間お別れだ。
その間思い出す君の顔がそんな、怒っているのに今にも泣きそうなものなのは嫌だな」
そう言えばセイはくしゃりと笑った。
「………へたくそ」
最後に一度だけその胸に顔を埋める。
扉の向こうからシルヴァの足音が聞こえた。
彼もきちんとジークとの別れを惜しめただろうか。
名残惜しいけれど、離れなければいけない。
「君はもう行くといい。
国民が待っているだろうからね」
「うん。でも、俺が待ってるのはいつだって貴女だよ」
「馬鹿。………またね、セイ」
「またね、月」
背を向ける彼に私はもう一度、今できる一番の微笑みを浮かべた。
オマケ
Side:Seilute
(国王編:優しさのあるお仕置き)
椅子に座りながら小さく身を縮こまらせる親父を睨み付ける。
あのさぁ、そうするなら言わなきゃいいじゃん?
「親父さ、式典の最中ルナに俺と国を守って欲しいって言ってたよね?俺、バッチリ聞いてたんだけど」
「!?い、いや、その、な。あれはまあ、親心というか…」
「なら国も、っていうのはおかしいよね?別に俺のことを頼む、くらいでいいはずだよね?もうその時点でわかるじゃん。俺言ったよね?何してもいいし、俺のこと利用しても切り捨ててもいいけど、ルナに対してそういうことするようなら親子とか関係ないよってさぁ?親父頷いてたよね?俺しっかり見たんだけど。それともあれ夢?幻?俺の目って節穴だったっけ?」
「………反省しております」
ほんっと、どうしようかな。
一応目の前の相手は血の繋がった父親ってやつだし、外聞もある。
それに俺としてもまだ即位はしたくないんだよね。
――少し気に食わないけど、釘刺しとくだけにするか。
まだ後があるから、そっちでストレス発散すればいいし。
「まぁ今回は許すよ。俺のミスっていうのもあるし、ルナから嬉しいこと聞けたし。でも次はないから」
「本当か!?宵闇め、たまにはいい仕事をするではないか。無理をしてでもあの時十分予定を延ばしてよかっ……」
喜びのあまり立ち上がり、心の声というやつを暴露した親父が俺を見て言葉を失う。
うん、まあ俺、今自分でも笑顔出来てないなぁって思うしね。
「……反省の色が、全然見られないね?」
その後一時間くらい、親父とはお話し合いというやつをした。
(侯爵編:冷酷さしかないお仕置き)
目の前に立つ侯爵は冷や汗こそかいているもの、特に大きく怯える様子を見せたり、かといって誤魔化そうとするそぶりも見られない。
まあ、それが更に苛つくんだけどさ。
俺は相変わらず彼の首筋に小振りのナイフを添えながら目を細めた。
いつだったか月に、まるで獲物に致命傷を与えずに弱らせて喜ぶ残虐な肉食動物みたいな顔だね、と言われた表情だ。
全く酷い言い草だと思う。
だって肉食動物はそのいたぶった相手を食べるけど、俺はこんな不味そうなの食べない。
美食家だし性格的にはSなんで、どうせ食べるならやっぱり焦らして焦らして、もう限界まで熟れて俺のことしか分からなくなった月の上気した薄桃色でやわらかい体の隅々まで―――おっと危ない、脱線しかけちゃった。
今は侯爵へのお仕置きだっけ。
「ね、どう侯爵?満足した?したよね?当たり前だよね?だってアンタこうなって欲しかったからルナが式に出るのオッケーしたんでしょ?あーもうホント自己嫌悪。いくらルナにカッコいいとこ見せたかったからってさー。やっぱ気抜くんじゃなかった。まあ結果的に俺のミスだよね?アンタの企みわかってて放置したのと、親父までそんなこと考えてるって分かんなかったのと、ルナの俺への愛を甘く見てたの。それ全部が重なってこういうことになっちゃったわけだ。それはいくら俺でも分かってるよ?他人のせいにするつもりもないしさ、当然だよね?………でもすっごい苛つくから、八つ当たりさせてよ」
にっこり笑ったのに、相変わらず表情筋ピクリともしないんですけどこの人。
あーくっそホント消したいなこいつ。
でも駄目だ。だってコレまだ使えるし。
勿体ないよね、使えるのに消しちゃうとかさ。
「……八つ当たり、とは、具体的にどの様な?」
え、聞いちゃう?そういうこと。
「まあ色々考えてて。オーソドックスに仕事地獄コース、少し凝ってトラウマ作りコース、いっそ一回転してご臨終一歩手前拷問コースがあるんだけど」
「……できるなら、一つ目でお願いしたいものですが」
「だよねーそう言うと思ったからもう用意してあるんだ。え、じゃあ何でこんな物騒なナイフなんか持ってるのかって?あはは、やっぱり気になる?」
俺は侯爵の首筋から刃を外し、彼の右手をとった。
そしてその手のひらにナイフの刃の部分を置き、上から強く手を握り締める。
勿論、ナイフごと。
「……っ、」
「お、悲鳴あげないなんてすごーい。俺感動したよ」
我ながらなんの感情も籠らない声で言って、侯爵の血が床を濡らすのも構わず力を更に込めた。
ゴリッとした感触が手に伝わってきたから、たぶん骨までいったんだろうな。
ま、こんなもんか。
「はい、お仕置き終わりね。これ魔術とかで治すの禁止だから。アンタんとこの執務室に仕事おいといたからさ、このままやってよ。勿論少しでも紙に汚れがついてたり、字が汚かったらやり直しだから」
ちなみに侯爵の利き手は右だ。
両利きってわけじゃないのも確認ずみ。
まあ当然の罰だよね?
あの人にあんな真似させたんだから。
侯爵の手から外したナイフをくしゃくしゃに丸めながら(別にこれくらいのもの片手で曲げるのなんて余裕だし。俺がさっきのやったら手に傷がつくんじゃなくてナイフがただの細長い棒になってる)、俺は彼ににっこり微笑んだ。
「次やったら、君の娘ね」
「………!」
「あは、奥さんでもいいよ?でも娘の方が楽かな。まだちっちゃいからさ、オウジサマってやつに憧れ抱いてるでしょ?たぶん簡単に俺を信じきって着いてきてくれるよね?」
「………」
「やーっと怖がるそぶり見せてくれた。その顔が見たかったんだよね。恐怖に歪む顔、自分のこと再確認できるなぁ。あ、俺ルナのこと言えないじゃん。やっぱ同類ってことかー。まあルナとなら喜んで、だけど」
顔色をなくす侯爵に依然として微笑みかけながら、俺はその耳元にそっと囁く。
「俺の駒になってよ。ジークは綺麗事が多すぎてあんまりそういう面には使えないから、そっち方面に強い駒が欲しかったんだ。なってくれるよね?俺、身内にはまあまあ優しいよ?」
まあ、使えなくなったら捨てるけど。
「……喜んで、お仕え、いたします」
「やった。ありがとね侯爵。んじゃまたねー」
俺は侯爵をその場に放置して、意気揚々と立ち去った。
使える駒、いっこゲットだぜ。
セイルートもルナも、基本的に唯一と定めたもの以外にはどこまでも冷酷。
なので息子に怒られる国王。
さらっと外聞とか即位のタイミング考えてる辺り、いざとなったら殺っちゃうのも可だと思っている。
でもまだ駄目。まあ我慢できる苛々なので今回は言葉での精神攻撃のみ。
ただし我慢した分は全て後の侯爵へ。
侯爵逃げて、超逃げて。
ただまあ逃げても相手はチートなのですぐ捕まるため意味はない。
むしろ鬼ごっこじゃん☆ってことでテンション上がる。
そして比例直線関係にあるお仕置きの度合いも上がる。
つまりは逆効果。