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限りなく人っぽい何かと銀と金  作者: 美羽
黒色の本当
15/178

2-13

Side:Luna




こちらに向かって突っ込んできたシルヴァを蹴り飛ばし九十度反対の方向へ向かわせる。

うん、確かにいつもより速いみたいだ。

それに力も強いな。せっかくのヒールに傷がついてしまった。


「シルヴァ、聞こえているかな?

うん、聞こえていないみたいだね」


一応ね。後々文句を言われても嫌だし。

こういう最終確認は大切だ。

むくりと起き上がった彼は相変わらず感情のこもらない瞳で私を見つめている。

さて、君の悪夢というやつはどんなものだろう。


亜空間から鞭を取りだし、一度感覚を確かめるように地面を打つ。

その音が聞こえたのか、セイから突っ込む声が聞こえた。


「なにそれどこの女王サマ?」


「何言ってるんだい、ケモノの調教といえばこれだろう?」


何しろこれからやるのは再教育なのだから。


「そんなサーカスじゃあるまいし…」


「いいんだよ。セイこそジークに集中したらいいじゃないか」


「はいはい、言われなくてもそうしまーす」


そこでお互い軽口は止めてそれぞれの相手に目を向ける。

ああもう、無言の相手というのも萎えるものだ。


「何か言ったらどうだい?

五月蝿いのも好きではないけれど、マグロも不愉快だ」


セイが突っ込めたなら理不尽!とでも言いそうな言葉に魔力を乗せる。

けれどシルヴァは未だ黙りを決め込んだままだ。――気に入らないな。


「【話せ、シルヴァ】」


特大の威圧に、地面がミシリと悲鳴をあげた。

同時に彼の体もビクンと一瞬跳ね、うっすらと声が漏れる。

そう、それでいいんだよ。


「……ぁ…」


「ほら、さっさと来なよ」


「……く、そっ!!」


そんな正面から来て、馬鹿か。

鞭を彼の体に絡め投げ飛ばし、私はつい欠伸した。

あぁでも圧倒的実力差のある相手の前に立てば、どうしても弱者は馬鹿正直な攻撃しか出来なくなってしまうと聞いたことがあるな。


「……弱いなぁ。私はとても退屈だ。

君、いつもより強いんだろう?

潜在能力の全てが解放されているんだろう?」


なら、もっと強く速く、私の命を狩れるくらい。


「愉しくさせてよ、ねぇ、シルヴァ?」


ニィッと笑えばその殺気にあてられてか、シルヴァの放つ雰囲気も更に研ぎ澄まされる。

あぁ、やっぱり君は強くなるよ。


先程よりも格段に速く重い一撃が私を襲い、いけないと思いつつもつい笑みが漏れた。

それに今度は斬撃だけじゃない。


「【焔】」


「ふふ、効きはしないよ」


向けられる焔の刃は全て私の目線ひとつで消え失せる。

でも目をそらすのは油断の元だとでも言うように剣が向かってきて、それをセイにしたように片手で受け止めれば蹴りが腹へ入る。――なーんて。


「ふふ、楽しいね、シルヴァ?」


彼の足の上に跳び乗って避け、そのまま首を掴めば彼の表情が息苦しさに歪む。

その心地よさに目を細めつつ振り切れそうになる衝動をどうにか理性で堪えた。


「そろそろ目を覚ましそうかい?ねえ、答えなよ」


「っう、ぁ………」


「んふふ、まだだって?仕方のない子だね、君は」


手を放そうとしているのか、シルヴァの爪が私の手に食い込む。

少しも痛みは感じないけれど、やはり不快だ。

興が削がれ手を離せばそのまま彼は地べたに転がった。

おやおや、まるで出会ったあの日のようじゃないか。


「ッ、ハッ、ハァッ、――ぐぅっ…!」


息の整わないうちに蹲る体を蹴りつけ、そのまま仰向けに転がして動けないよう魔術で縛る。

そして再びその腹部に踵を踏み下ろした。

ほら、犬はこうして服従の意を示すと聞いたよ。

君もこのまま、私にひれ伏せ。


「シルヴァ、君は何にそんなに怯えているんだい?

君がジャックの魔術に操られているのはその怯えが原因なんだろう?私に教えて欲しいな」


「…っ、【疾風】!」


「効かないと言っているじゃないか。

ねえほら、語ってみなよ。

君の心の闇とやらがどれだけちっぽけで些細で微かで下らないものなのか、私が笑ってあげるから、ね?」


私に他人を救うなど出来はしないし、する気もない。

だからそんな私がシルヴァをどうにかするために選ぶ手段は、彼を殺すか理性を失いただの獣と化した彼の体の奥の奥まで私が強者だと刻み込み屈服させるか。

今のところ私が実行しようとしているのは後者の方法だ。

そうしていればそのうち彼が自我を取り戻すかもしれないしね。


「は、なせ……!!」


「ふふっ、嫌だ」


「はなせ、離せ離せ離せ離せ離せ!」


「おや」


これは驚いた。シルヴァが私の拘束を解いた。

例え本気でないにしろ、これは驚くべき事だ。

今までこんなことはなかったし、今回の戦いでも何となく彼の出せる力は分かったから、それを推し量って拘束の強さを決めたのだし。


解放の勢いのまま彼の剣が私の足首を貫く。


「月!?」


セイの驚いたような声が聞こえた。

チラリと目の端に映る彼を見れば、肩にぐったりと意識を失ったジークを背負っているからあちらは終わったということなのだろう。


「すまないね、待たせてしまっているみたいだ。

もう少しだからそこで待っていてくれる?」


「………」


私の意図するところを察してくれたのか、セイは複雑な顔をしつつもその場にジークを下ろし、自分も地べたに座って待つ姿勢を示してくれる。

本当に、君は優しいね。


――さて、セイが待っていてくれていることだしこちらも早く済ませなければならない。

少しシルヴァのことを甘く見ていたかな。

でも、こんな程度で私が退くとでも思っているのなら心外だ。


「んふふ、何がしたいのかな、君は」


顔色を変えることなく、むしろ足に力を入れた私にシルヴァが驚愕の表情を浮かべる。

あぁ、現実が見えるようになってきたじゃないか。

そのままの勢いで自我を取り戻せるといいね?


「そんな程度じゃ、私からは逃れられないねぇ。

こんなか弱い君じゃあ」


「……っ、俺は、もう、自由だ!!」


……自由?


「もう誰にも捕まったりしない、誰かの所有物にも、愛玩動物にもならない、俺は、もう、逃げるだけじゃない……戦って、俺だけの望みを持ってる……!!」


「……あぁ、そういうこと。

また奴隷商に捕まる悪夢を見ているということか」


何かと思ったら、そんなこと。

シルヴァをおさえておく気も失せて足の力を抜いた。

その時貫通していた刃も抜け落ち、流れる血が靴を汚すのが不快ですぐに治癒する。

シルヴァはそんな私から素早く距離をとった。


「それが君の心の中にある恐れ?そんな風に操られる原因?

だとしたらなんて…」


なんて、下らない。

そんなもので君は操られて、自分を見失って、私に向かってきているとはね。


「ねぇシルヴァ、本当の恐怖や絶望、失意、そして哀しみを君は知らないんだね?」


苛つく。

その被害者面が私の心を逆撫でる。

君には、わからないだろうけれどねぇ。


「本当の恐怖はさ、そんな風に他人に利用できるものじゃない。

君の抱くそれは他人が簡単に模造できる程度の、酷く軽い薄っぺらなものなんだよ。ねぇ、分かるかな?」


だからさ、そんな程度でそういうの、止めてくれないかな?

すごく君を殺してしまいたくなるんだ。


「――がっ!!」


先程のように、それでいて先程よりも強くシルヴァの喉をつかみ朽ち果てた柱へと体を押し付ける。

ぎりぎりと喉が絞まる感覚が手のひら越しに伝わって、口許が歪んだ。

ヒュ、と空気が彼の喉から漏れる。


「ねぇシルヴァ、正気に戻りそうかい?」


「………っ…ぅ…」


「駄目か」


私はシルヴァを救おうなどとは思わない。

彼に望まれたわけでもないし、そうする理由も必要性も感じない。

だから、さ。君が今この時点で元の君に戻らないなら。


「君のこと、私は結構気に入っていたのだけど。仕方がないか」


空気を求めて喘ぐ彼の喉へ向ける力を更に強めていく。

私はシルヴァに向けてとびきり深く微笑んだ。


「君とはさよならだね、シルヴァ」


せめて弟子だった君を、苦しまずに殺してあげる。


「…………ル、ナ…」


――と、思ったのだけどね。

どうにも今日は、こういう状況が多い。


ああくそ、気持ちが切り替えられない。

本能がコレを殺せと叫んでいる。

どうしてこのタイミングで正気に返るんだか。

ため息を吐いて手に籠る力を抜けば、立っている力も残っていないのか目の前の彼はズルズルと地に膝をついた。

座り込む彼を見下ろし、うすぼんやりとはしているけれどしっかりと自我を宿す薄墨の瞳と目を合わせる。


ああ、いつもの私はコレにどんな風に接していたんだっけ。


「――やあシルヴァ。目が覚めたかい?気分はどうかな?

息苦しさと体のあちこちの痛み以外で教えて欲しいのだけど」


「………おいて、いかないで…」


「…………」


ボロボロと堰を切ったように涙を流す彼に、どんな顔をすればいいのだろう。

おかしなものだ。今の今まで自分を殺そうとしていた相手に対して、言うに事欠いておいていかないで、だなんて。

これだからこちらの人間は憎らしい。

加害者のくせに、それを知ろうともしないで被害者面を続けて。

まるで自分が世界で一番不幸みたいな顔をして、馬鹿じゃないか。

動きそうになる手をきつく握りしめる。

ああ、それでも足りない。

体内でざわめく魔力は解放を願っているし、なにより私自身が。


コレを、すべてを壊したくて、仕方がない。




結局口許に浮かんだのは苦笑で、私はついさっきまで首を絞めていたその手で彼の髪を撫でる。


「置いていかないよ。

君はきちんと自分の中の恐怖に打ち勝ったようだから。

今日はもう眠るといい。疲れているだろうから」


「よか、た………」


安心したように最後に微笑んで、シルヴァは意識を失った。

その体を支え、黙ってこちらを見守っていてくれたセイを振り返る。

ねぇ、そんな顔をしないで。私は平気だよ。

だから辛そうに、今にも叫びだしそうな唇を噛むのはやめて。

君を悲しませたくないから、私は耐えられたんだ。


「………終わったよ、セイ」


私が名を呼べば、彼はどうにかその口許を笑みらしきものに変えた。


「そうだね。お疲れ様、月。

二人を休ませなきゃいけないし、城に戻ろ?」


「うん………」


触れてくる手に縋りそうになる自分をどうにかこらえる。

まだ駄目だ。ここは外で、いつどこでこの世界の人間が見ているか分からないんだから。

こちらの人間に弱みを見せるだなんてこと、許せないだろう?

そう自分に言い聞かせ、私は転移の魔術を発動させた。














城に戻った私達は、その足でまず国王の元へ報告に行った。

ちなみに彼によると、主犯である公爵令嬢は今は牢のなかにいるらしい。

まあそれには興味の欠片も抱いていなかったため適当に流し、シルヴァとジークを休ませるという口実でさっさとその場を後にし今に至る。


誰も入ってこられない様に室内に結界を張って、安堵の息をついた私の耳に靴音が届いた。


「……大丈夫?」


私が座る長椅子の横のテーブルに何か温かい飲み物が入れられたカップを置いて、セイは困ったように微笑む。

意識を失ったままのシルヴァとジークは無事隣室に寝かせられたようだ。


「……平気だよ。私は正気だ」


「まだ、戦いの後は無理に寝てるの?」


「………」


答えない私に、セイは眉をひそめて隣に座った。

触れあう肩越しに伝わるぬくもりがささくれ立ち今にも暴れだしそうになる心を宥めてくれるようで、甘えるようにその肩に寄りかかる。

静かな空間に、世界には私とセイしかいないような気持ちさえした。

――本当にそうだったら、幸せなのに。


「……君が、いてくれてよかった」


「?」


「君がいなかったらジョーカーの声でもシルヴァの声でも止まれなかった」


ただ目の前の相手が憎くて憎くて憎くて。

殺すことしか頭になかった。


「シルヴァ君はいいとして、ジョーカーは……闇ギルドの創始者で、トップだよね?あんなロリッ娘なの?」


少し茶化すように問うその様子は、きっと私に気を使ってくれているんだろう。


「闇ギルドは、私とジョーカーで作ったんだ。

あの娘……ジョーカーは魔族でね。洞窟に一人で暮らしていた。

初めて会ったときは戦闘になったけど、仲良くなって……しばらく一緒に過ごして」


確か、ランクがSだった頃だろうか。

あの頃は今より心が安定していなくて、色々とボロボロだったと思う。

でもそれをこの世界の人間にだけは知られたくなくて、壊れかけの体と心を引き摺りながら生きていた。

そんな中、彼女と出会ったんだ。


「……少しだけ、仲間みたいに感じたんだ。

もちろん同じだけ冷めた気持ちもあったけれど。

魔族はもう彼女しかいなくて、彼女も長命で、孤独で。

だからかな。他にも同じように孤独でどこか壊れた人達を集めて、ギルドを作って。

あの時は少しだけ世界に復讐してるみたいで、楽しかった。

この世界の人間を利用してこの世界に少しでも嫌なことが起きれば、それってすごく皮肉な話だろう?」


誰も彼も、理由は違えど世界に見捨てられた孤独な人間だから。

闇ギルドが出来たのはある意味当然の事だったと思う。

それに今では正規ギルドよりも闇ギルドの方が落ち着く場所になってしまった。

綺麗事ばかりのあそこは、私には息苦しくてならないから。


「………ごめんね」


「何が?」


「私も闇ギルドのトップだけれど、彼らに対して“王国”に関する制限はしていないから。

多かれ少なかれ、被害は被っているだろう?」


それは今までも。そしてこれからも。

けれどセイはそんなこと、と笑って私の髪に指を通した。


「俺は怒ったりしないよ。

俺が月以外にやられることはまずないし、国や国民への被害はそんなに気にならない。

それに世界にはさ、どうやったって良くない部分が必要だ。

綺麗すぎる水に生き物は棲めないって言うしね。

……ジークなんかは、違う答えを出すんだろうけど。あいつ正義感強いし」


「そっか……ありがとう」


「もうひとつ聞いていい?」


こぼされた言葉に上を向けば、彼は酷く複雑な顔をしていた。

それはどんな感情?

私には、上手く読み取ることができない。


「シルヴァ君を拾ったのも、仲間意識?

同じ様に孤独で傷ついた姿をみて、同情した?」


シルヴァ。

森に打ち捨てられた、憐れな仔狼。


「ううん。望まれたこともそうだけれど、彼を拾ったのは……瞳が、黒だったから」


私が彼を拾って弟子にした要因は、全てその瞳の色だ。


「どうせ違う色だって、わかってはいた。

でも、それでもやっぱりあれは黒で。

もしかしたら同胞の魂を持っているのかもって思ったら、駄目だった。

望みを叶えてあげたくなる。優しさをあげたくなる。強さをあげたくなる。

――もう二度と、あんなこと、皆が体験しなくていいように。幸せになれるように。

そのためには、強さがどうしたって必要だろう?」


「……彼が同胞の魂を持ってるか、確かめる方法もないのに?」


「そうだよ。私はどうしても、罪を償いたいから。

そのために彼を同胞に置き換えたんだ。

でも同時に皆を、君を思い出すたびにやっぱり違うと思ってしまう。

結局彼もこの世界の人間であることに変わりはないから」


どうしたってあの色は、漆黒の瞳になれはしない。


「それでもそれなりに情を持ったかと思ってた。

………結局、違ったけれど。

今回のことでわかったよ。私はシルヴァもジークも殺せる」


私を見るセイの瞳が切なげに細められる。

君にそんな顔をさせたくないから、話すつもりは無かったんだけどな。

やっぱり君は、私を弱くする。


「勿論、殺せば少しは悲しく感じると思うんだ。でもそれだけで。

他の人間に対するのと同じ様に、必要になれば殺すことを躊躇ったりしない。

殺せなくなるほど君を大切に思うようには、なれないんだ。

君は、この気持ちを、わかってくれる……?」


問いかける声は、少しだけ震えた。


「馬鹿」


「うん。私は馬鹿だ」


今はもうただ一人となった同胞である君に恐れられ拒絶されるのが恐い、馬鹿な人の皮を被った化け物なんだ。


「………ほんと馬鹿。そんなの分かるに決まってるでしょ」


セイの指が髪から私の頬へと移って、ぐに、と引っ張る。痛い。

頬をつまむ指を払って、彼の視線から逃げるようにその胸に顔を埋める。

ああ、あたたかいな。


「君のこと、私は殺せない。

世界の全てを壊したくても、君だけは絶対に。だから世界は壊さない。

でも大切なのは君だけだから、私は私が必要と思えば君の大切なものでも躊躇なく壊してしまうんだ。

でも、そうして君に嫌われるのが怖い。拒絶されるのが怖い」


「知ってる。そういうとこ、月わかりやすいもん。

でも俺は、そんな月のこと怒らないし恨まないよ。

俺もたぶん同じ事をするから。

例えばジークやシルヴァ君が貴女を傷つけるなら、俺は二人を殺す。

そしてそんなことをした俺でも、月は俺を拒まないでしょ?俺も月とおんなじ」


ならきっと、私も君も大馬鹿者だね。

そしてこの世界の異分子である、身勝手な化け物だ。


「俺もね、似たようなものだよ。

国王も王妃も第一王子も側近も、全部代わりなんだ。

元の世界に残してきた家族とか、友達とかの。

勿論こっちの人間達にもそれなりの情をもっているし、ある程度大切だとは思う。

――でもさ、やっぱりそれって、代えの利かない存在じゃない」


そう言うセイの瞳は焦がれるように私を見つめている。

そう。この世界に、代えの効かない存在なんてないんだ。

ただ一つを除いて。


「時々、本当にたまに、俺も全部壊したくなる。

昔と今の記憶がごっちゃになって、吐きそうなくらいの頭痛が止まない。

喪くしたものが大きすぎて多すぎて、でも確かにここで手に入れたものもあって、それを思い知って気が狂いそうになる。

俺は“誠司”なのか“セイルート”なのか、それともそのどちらでもないモノなのか分からなくなるんだ。

そういう時、どうしても思う。皆殺して俺も死んで、そうすれば何もかも忘れられるかなって。

でも同じくらい何も忘れたくない俺がいて、頭がおかしくなりそうで。

ねぇ、これは、貴女と同じ感情かな…?

月。それともルナ?貴女はどっち………?」


苦悩とそれによる狂気が入り混じる漆黒の瞳は闇そのものだ。

でもそれが酷く孤独に哭いていることも私は知ってる。


「私は君の月だ。ずっと、永遠にそうだよ」


触れる君の体は、孤独と私の言葉で震えた。

それがとても愛おしくて悲しい。


「月。ね、月。もう俺を、五年も一人にしないで…」


乞う言葉が雨のように私に降り注ぐ。

ごめんね。私は君に、一番してはいけないことをした。


「駄目なんだ。念話だってしてた。貴女からのたくさんの贈り物だって届いた。

でも、それじゃ足りない。月がちゃんとこの世界にいて、俺はここで一人じゃないんだって、それだけじゃ感じられない」


「うん」


「また今までみたいなことがあったら俺、狂う…」


「うん」


「シルヴァ君の事だって、彼が望んだことで月が俺のもとを訪れないなら殺す。

俺は狡いから、貴女に望まないけど甘えてるんだ…

口に出して望みという形にしないだけで、俺はいつだって貴女に縋ってる」


「……うん」


ただ頷いて抱きしめる腕に力を込めれば、セイは少しだけ不満そうな声になった。


「……本気に、してないでしょ?」


「そんなことは無いよ。その気持ちは私も感じるものだから。

だからそうならない様に、次からは誰にどんなことを望まれても君に会いにくるね」


「本当に?」


「本当に。―――でも、君が結婚したらそれも難しいのかなって、思ってたんだ」


そんな事態にも動揺しない様にこの五年間セイに会わないでいたのに、やっぱり駄目らしい。

私達の場合会わなければ会わない程、お互い壊れてしまうから。

それを言い訳に、彼が妻を得たとして彼のもとを訪れても許されるだろうか。

国にとって、国王となるセイにとって妻を娶るのは必要なことだけれど、それで彼とこんな風に会うのが難しくなるのは嫌だ。

この世界にセイをとられるみたいで、本当に、嫌なんだ。


「………そんなこと、ないよ」


ギュ、と彼から与えられる力も強まる。


「そんなどうでもいい存在なんか気にしないでさ、俺のところに来て」


「私に妻がいる人間の元へ通う、最低な人間になれって?」


ついくすくす笑いながら問えば、そうだよ、とあまりにも簡単に返事が返ってきた。


「だって言ったじゃん。

俺、狡くて心狭くて性格悪いって。

だから月も俺の為にそんな風になって」


「……まったく、君はとても馬鹿だね」


「酷。こんな体勢でさ、さっきみたいな言葉に返すのが、それ?」


「それを言ったら君だって私に馬鹿と言ったじゃないか。

おあいこだよ。君があまりにも阿呆なことを言うから、ついね」


なんて、本当は嬉しかった。

セイから向けられる言葉だけがこんなにも私の感情を揺らすこと、彼は知っていてくれているのかな。

そう、考えてみればとても単純で当然の事だったのだ。


「私にとってこの世界の人間なんて、その辺の塵屑のような存在なのに。

そんな人間達からどう思われても私は構わないから、例え婚礼の後の初夜だって君の所に来るよ。当然だろう?

……ねぇ、それじゃあ君はどうする?

初夜に私が君の元を訪れたら、やっぱり奥さんとの甘い夜を優先されてしまうのかな?」


答えが分かっているのにこんなことを聞く私も、とても性格が悪い。

演技の上でのことだったけれど、案外悪女という言葉は私にぴったりなのかもしれないね。


「そんなの月の方が優先でしょ。

見ず知らずの他人みたいな女といたって全然楽しくないし癒されない」


「ふふっ、知ってる」


「……確かに俺、馬鹿だったかも」


満ち足りたように呟くセイに、私は一言そうだねと返した。


「それにそのせいで愛想つかされたとして、それはそれでラッキーかも。

国民にこんなやつが国王なんて反対だって言われたら王様止めて月と一緒にいればいいし」


「本当に君は、私を甘やかしすぎるよ……」


まるで蜜に浸かっているみたいだ。

そのまま囚われて、永遠に微睡んでしまいたくなる。


「その分月が、俺を甘やかしてくれるでしょ?」


「うん……でも、その前にしておきたいことがあるんだ…」


ぎゅっとセイに縋りついて、目を閉じる。

そしてそれを開いて、我ながら笑えるくらい何の感情も浮かばず彼の肩越しに扉を見つめた。


「そんなところで聞き耳をたてていないで、入ったらいいじゃないか」


頭の上から降ってくるセイのため息、そして扉の向こうから聞こえる息を呑む音。

セイも気づいていたけど、私が何も言わないから付き合ってくれたんだろう。

ごめんね、私は自分勝手で我儘なんだ。


カチャリと音をたてて扉が開けば、その向こうのシルヴァとジークは信じられないような顔をしてこちらを見つめていた。

彼等が少し前から意識を取り戻していたことには気づいていた。

それでも話をやめなかったのは、そんな反応が見たかったからだ。

私は人ではない化け物だと、狂った存在だと実感させて欲しかった。

だって、また暫くセイとは離れなければいけないから。

その時に、彼に甘えすぎる私ではいけないんだ。


「ねぇ、さっきから色のない顔でこちらを見つめて、どうしたのかな?

可笑しいね。私は今まで君達に一度として嘘は言わなかった。

人ではない化け物だって。決して優しい存在ではないって。

私はずっと、君達に言っていたじゃないか」


嫣然と口許を歪めれば二人が気圧されたように息を呑む。


そんな顔をしなくても、君達はどうせ今日のことを忘れる。

全部全部、私に覚えた恐怖も嫌悪も違和感も全て忘れるんだから、恐れの中に微かな希望を滲ませないで。

これは全て嘘で、私という存在は善良で優しく穏やかな人間だと、そんな幻とも言える希望を持たれてしまったら。

本当に何もかも、壊したくなってしまう。


「月…」


咎めるように名前を呼ぶのは、きっと私のためだね。

真に私を想ってくれるあたたかなしあわせに擦りよって、目を細めた。


「ルナ、」


「私の狂った心を、君達は明日目覚めれば忘れているよ。

よかったね?これでまた、今まで通りの毎日が続けられるだろう……?」


この世界の人間の言葉なんていらない。

ただその怯えを含んだ表情だけでいいんだ。

こちらの人間が私に浴びせる言葉が同情であれ嫌悪であれ悲哀であれ自らの希望を押し付けるものであれ、私にはそんなもの必要がない。だから、もう眠って。


「おやすみ、いい夢を」


声に魔力を込めれば、何事かをいいかけていた二人の瞳は自我を失い、そのままひとりでに先程まで横たわっていたであろう場所に眠る。

これで明日目覚めたときには、全てを忘れて“今まで通りの私達”だ。

扉を魔力で閉め息をつけば、セイが髪を撫でてくれる。


「さっきみたいなの、自傷癖みたいでなんかやだ」


「………だって、君とまた、しばらく離れないといけない」


「でも駄目。俺がやだ」


「…………」


その言葉が気に食わなくて、反抗するようにわざと強く肩口に額を押し付ける。

君は、やっぱり狡い。

隙あらば私を崩そうと、弱くしようとやわらかく触れてくるから。


「私のこと、甘やかしてくれるんだろう……?ならそんな話はもうやめて」


これ以上、私を弱くしないで。

君に縋るだけの存在にしないで。

お願いだから、同じ場所に立てる私でいさせて。


「うん、そうだったね。

でもなら、月も俺をどろどろに溶かして」


細い、けれどしっかりした男の手に導かれるように顔をあげる。

そっとセイの唇が近づいて、やわらかく触れた。

それは段々と深くなっていって、まるでお互いの命を貪っているみたいで切なく愛おしい。


「君が、“大切”だ。君だけが、この世界で」


だから君の命を感じさせて。

私がきちんと私であれるように。

そして君も私の命を感じていて。

その身体に、どうか暫くの間私を刻んで。


「俺も、貴女が“大切”だよ。

月が俺の、たくさんの小さくて微かな大切の中の大きくて確かな“一番”だから」


そのまま彼の腕から加えられるやんわりとした力に従うように、或いは自ら彼を誘うように。

長椅子に倒れこんで、嗚呼、あたたかい。


丁寧にドレスを脱がす指も、隅々まで口づけようと甘く深く肌を這う唇も。

濡れるその漆黒の瞳も、時折零れる熱く切ない吐息も。


きみのすべてが、こんなにも熱い。

この熱だけがきっと、この世界に存在する私の唯一。


「……っ、ぁ…セイ、」


「はっ……月…」


その熱にうかされるように、縋るように名を呼べば同じく囁いて蜜を塗り込めたような口づけが降ってくる。

優しくそれでいて執拗なそれは私を追い詰めて、捕らえて、ねぶるように離さない。

等しく求めあう互いの熱は私達を包んで、熱く焦がす。


ねぇ、生きてるって、小さな幸福って、こういうことかな………?

今この瞬間、世界が壊れてしまえばいいのに。




オマケ:その後の闇ギルド

Side:Joker


「戻った」


未だジャックを引き摺ったまま室内に入れば、待っていたのだろう三人がそれぞれの定位置からこちらに労りの目を投げてくる。

全く、今回は流石の妾も疲れた。


「そろそろ放してよジョーカー!」


と、息をついていたところへジャックから抗議の声があがる。

全くこやつは、まだ自分のしでかしたことの危険さが分かっていないとみえる。


「災難でしたわね、ジョーカー。そちらのおバカさんはあたくしが預かりましてよ」

「うわっ、何すんだクイーン!」


ふわりと魔力が動き、ジャックの体が浮き上がる。

そのまま彼は空中に拘束された。

やれやれ、ようやく腰を落ち着けられる。

自分の場所である大きな二人がけのソファーに座れば、先程(つまりはジャックを助けにいく直前)まで飲んでいたコーヒーはすっかり冷めてしまっていた。


「災難だと思うならばそなたらが行けばよかっただろう。それもあの様に直前になってから知らせおって……妾は寿命が縮んだ」

「ご冗談を。お怒りのあの方の前に立つなど、例えその怒りが本気でないにしろ第四位のあたくし程度では到底出来ませんわ。あぁ、それを言えば、今回のジャックの行為は最高に愚かしく至上の勇気がなければ行えないことでしたのね。あたくし感激しますわぁ」


いかにも嘘くさく言った彼女に応えたのは訳がわからず混乱するジャックではなく、耐えきれずにふきだしたエースだった。


「ぷっ、ははっ!た、確かに俺らにはひっくり返っても出来ねぇことだわ。すげぇよジャック……くくっ」

「笑うな!何なんだよ一体!」

「もー無理!限界だ、くくっ……調子のって前口上あげたのに姫さんにジャックなりたてってすぐバレたとこから面白かったけど、怒らせて殺されかけるとか……本物の馬鹿だろ、あははは」

「なっ、見てたのかよ!」

「当然ですわ。後輩が“ジャック”になってからの初めての依頼ですもの。あたくし達全員で見守っていたんですのよ?……まあ、見事に大失敗してくださった訳ですけれど。むしろジョーカーを呼びにいったあたくし達に感謝して欲しいくらいですわね」


それは確かに言えている。

あの時妾は一人部屋で事務作業をしていたのだが(闇ギルドは頭がいい人間が多くないのでトップのわりに事務作業が多いのだ)、そこへ顔を青くしたクイーンがやって来たときは何事かと思った。

そしてこの部屋に来て彼女の魔術によって写し出された映像に肝を冷やした。あんな経験はもう御免だ。


「よりにもよって姫さんに、なぁ?ふははは、くくっ」

「よせエース、そう笑ってやるな」


一応苦言を呈してみるが、なかなか笑い止む様子はない。

ふむ……ならばこちらにも考えがある。


「今回ジャックに位階持ちとしての心得を教えたのは、そう言えばそなたであったな」


ギクリ、とエースが固まった。

すぐに大量の汗が彼の体をつたう。


「あの場では言い訳がましく見苦しいと思いルナには何も言わなんだが、気が変わった。今からでも伝えてくるとしよう」

「ちょ、ままま待ってくれって!それだけは!頼む!!わりぃ、調子に乗った!」

「分かればよい。それでキング、ルナとの話は聞いておっただろう?何分急な事で、そなたの意見は聞けずに諾と返してしまったが…よいか?」


唯一口を閉ざしているキングをうかがえば、彼はずり下がった眼鏡を押し上げ、手に持つ杖で一度床を叩いた。

それにより床から触手が伸び、ジャックを拘束する。

心得たようにクイーンが同時に自らの魔力を切った。


「うわっ、今度はキングかよ!?」

「儂に否やはない。元より嬢とは久しい。願ったりだ。だが……これの尻拭いというのが些か気に食わん。これの再教育とやら、儂が請け負ってもいいか?」

「そなた己の実験に使うつもりであろう……却下だ。処罰は妾が決める」


キングはルナ曰く、マッドサイエンティストというものらしい。

どういう意味かわからず説明を求めれば、自分の実験にしか興味がなくそのためなら何でもする変な人種、と言っていた。

とても的を射ていると感心したものだ。


「それと、ルナはもしかすればあの弟子を伴って来るかもしれぬ。手出しはするなよ。――特に、そなたとクイーンはな」

「心配はいらん。少し研究のためのデータとして髪や血をもらうだけだ」

「それが駄目だと言っておろう」

「ジョーカー、あたくしまで一緒にされるのは心外ですわ」


よく言う。あの弟子のことを忌々しそうに見ていたというのに。


「クイーンは嫉妬深いもんな。俺は別にあんなガキどうとも思わねぇけど。―――むしろ、あの王子だろ」


スゥッと眇められた瞳にため息が漏れる。エース、そなたもか。


「やめておけ。弟子はともかくあの王子はルナの大切な存在らしいからな。それに恐らく、相当の手練れだ。返り討ちにされるのが関の山だろう」

「そうですわね……やはり王子よりあの弟子ですわよ。あの方のお側にいつもあるというのに、あたくしの足元にも及ばないというのが気に食わないんですの。しかも直々に食べ物まで与えられて……万死に値しますわ」

「俺今、お前の姫さん好きにドン引きしてる」


やはりクイーンも危険である。

彼女には仕事をいれて出ていてもらった方がいいかもしれん。

彼女は妾達の中でも一番ルナになついているから、無理もない。

それに妾とて、あまりにルナがあの弟子ばかりを構うので気に食わない思いがありもする。

それはエースやキングも同じだろう。


「だからさ、結局あの女何なんだよ!」


あぁ、そう言えばそもそもそれが今回の事の始まりであった。

だが妾はもう疲れた。

チラリ、とエースに目を向ける。


「エース、元はと言えばそなたの落ち度。説明せよ」

「俺かよ………確かに忘れてたけど。でも常識みたいなモンだろ?わざわざ言うほどの事でもねぇと思ったんだが」

「まあ、不文律のようなものですものねぇ」

「然り。これの無知による失敗だ」


そう言うな。流石に上位者三人に責められるジャックが憐れに思えてくる。


「だからどういうことなんだよ」

「………ふぅ。ジャック、あたくし達の所属する闇ギルドの決まりは何でしたかしら?」

「はぁ?決まり?……“上位者には絶対服従”?」

「流石にそれは軽い頭にも入っていたか。儂としても嬉しい限りよ」


まさか説明するにも最初から始めるとは。

すっかりジャックは馬鹿にされている。


「んじゃ、俺らのトップは?」

「そんなのジョーカーに決まってんじゃん。僕のこと馬鹿にしてんの?」

「まあしてる」

「ジャック、(ぬし)はそのジョーカーに喧嘩を売り、あまつさえ怒りを買った。まさに馬鹿の所業よな」

「えっ………」


エースに被せるようにキングが放った言葉に、ジャックの動きが止まった。

無理もない。このギルドで上位者に挑むこと、それはまさにその位階に成り代わるための下克上を図ったとされ殺されても文句は言えないことだ。


「このギルドの創始者である、“ジョーカー”の位階を持つ者は二人の女性。一人は金の髪、一人は黒の髪を持つ少女と乙女。これはここに入った者が最初に教えられる事ですわよね?そしてその一人である金の髪の少女が、ここにいるジョーカー」

「そんじゃ、もう一人の黒の髪の乙女は誰だっつー簡単な問題だ。流石の馬鹿のお前でも、こんぐらいわかんだろ?」


あんな特大の威圧もらったんだ、見てた俺らも一瞬殺されっかと思った、と軽口を叩くエースの言葉は、けれど本心だろう。

妾も話している最中、いつルナがジャックを殺しにかかるかとヒヤヒヤした。

彼女はその気になればジャック程度、瞬き一つで殺すことができる。


「で、でもアイツは正規ギルドの…」

「あー。姫さん変わってるからな。てか元々あっち側だったのにこのギルド作ったし」

「確か需要と供給のバランスが、ですとか、雇用者と非雇用者がどうとかおっしゃりながらあっという間にこの建物を作ったんですのよね。あたくしは当時みすぼらしい孤児でしたけれど、子供ながらにあの方の素晴らしさを感じましたわ」

「儂としてはもう少し研究室を大きくしてもらいたいものだが」

「…もう十分ではありませんの?そう言って十年前も増築を願い出ていた気がしますわ」

「ともかく」


ため息と共に言葉を吐き出せば、脱線しかけていた話をやめて全員がこちらを見る。


「ルナは妾と同じ“ジョーカー”の位だ。普段は混同を避けるためにそう呼んではおらぬが、ジャック、そなたも一度くらいは聞いたことがあるのではないか?“月の出ぬ夜には気をつけろ”と」

「あっ……」


どうやら聞き覚えがあるらしい。

恐らく下の者にはこの言葉だけが伝わり、本当の意味を知るものは少ないのだろう。


「姫さんの正規ギルドでの二つ名は“宵闇”だ。意味知ってるか?月が出ない薄暗い夜のことな」

「まさか、だから“月の出ぬ夜には気をつけろ”?」

「然り。嬢は儂らの中でも至高。それに戦いを挑むことは即ち死だが……嬢の存在がこのギルドの者に伝わっていないのも事実。ゆえに嬢とジョーカーで約定を定めた」

「“一、闇ギルドの者が現れた時には名を名乗る。二、ギルドの者が攻撃を実行に移さない限りルナから危害を加えることはしない。三、攻撃された場合、その者に対する生殺与奪の権利はルナに”。ふふっ、あの方には誰も敵いませんのよ。だってあたくし達のジョーカーですもの」

「……ジャック。そなたのしでかした事、理解できたか?」


声をかければ、ジャックは先程ルナに迫られたときのように顔色を青くした。

今までの自分の行動と、ルナの恐怖を思い出したようだ。

あの時の彼は本当に殺されても文句は言えない立場であったのだから。


「じょ、ジョーカー、僕、」

「なに、心配するな。あれでルナは寛容だ。恐らくそなたへの怒りも次会う頃には忘れているであろう」


そもそもルナは本当に怒っていれば妾の言葉に応じもせず彼を狩っていたはずだ。

あの場で手を止めたことが即ち、彼を許したということになる。

そう伝えてやれば、ジャックはあからさまに顔色をよくした。


「でもジャック、あの方はなかなかお怒りになりませんのに、一体どんな術をかけたんですの?流石に術の内容までは映像越しではわかりませんでしたから気になりますわ」

「ああ、確かに。俺も気になるな。姫さんがあんな怒ってんの、てか怒ってるとこ自体初めて見た」

「ふむ、儂もだな」


実を言えば妾もだ。

ルナは大抵のことは笑っていいよ、と済ませるから。


「えっ、と……」

「もうよい、気を使うな。妾も気になることだしな」

「その……一番大切なものが壊れる夢を見せたんだけど…」

「「「……………」」」


思わず無言で額に手をあててしまったのは妾だけではなかった。


「それは、また……見事に逆鱗ですわね」

「ジャック、主はよく生きて戻ったな」

「えっ」


キョロキョロと皆を窺う憐れなジャックに、教育係であるエースが説明してやる。


「あのな、姫さんにはすっげえ大切な人がいんの。そりゃもう自分以外が名前呼ぶのも嫌がるし、映像も見してくんないし、どんな人かもなかなか教えてくんないし、ぶっちゃけその人以外の人間全部道に生えてる草みたいに思ってるし。違うのはそれが花なのか雑草なのか薬草なのか毒草なのか、ってとこだろ。……まあ、あの第二王子は違うみてぇだけど。しかも姫さんの髪、滅茶苦茶長いと思ったろ?」

「まあ地面に届くくらい長かったし……」

「あれ、その人も黒髪だからなんだと。そんでまあ、お前の魔術は十中八九その姫さんの大切な人を模造しちゃった訳よ」

「それはお怒りになりますわ。自分で作ったものならまだしも、赤の他人、それも躾のなっていない無知な子供に遊びで唯一の存在を模造されたのですもの」

「恐らくその瞬間主は怒りを買い、雑草から羽虫に変わったのだろうな」

「そなたら、その辺りにしておけ」


再び顔色が悪くなっていくジャックが不憫でならない。


「いやー、つい」

「どれも本当のことでしてよ?」

「然り」

「新米をからかって遊ぶでない。さて、そなたへの罰則だが」


ピクリとジャックが反応し、他の三人もこちらへ注意を向ける。


「ルナにはああ言ったものの、妾に明確な考えがあったわけではない。今ルナがしていることも“再教育”であるゆえ、それを参考にしようとも思ったが」


その言葉にジャックは青くなり、他の三人は同情的な目線で彼と、現在もルナに殴る、蹴る、魔術をかけられるなど再教育の真っ最中である弟子の様子が写し出されている壁面を見つめた。


「流石にあれはな……ルナは気が立っているだけのようだし、妾もそこまで鬼ではない。そなたは十分上位者の恐怖を味わった。―――よって」


ごくり、とジャックの喉が緊張で鳴った。


「そなたには罰則掃除を申し渡す」


ドッ、バシャーン、カッカラララ


「………そなたら、何を遊んでおる」


突然椅子から転げ落ちたエース、側のローテーブルに乗っていたグラスを倒したクイーン、手に持っていた杖を取り落としたキングを呆れて見れば、全力の反論が帰ってきた。


「いや、それはねぇだろ!?」

「掃除ってなんですの!?よりにもよって!!」

「儂には主がわからん」

「何を言う。ルナが昔言っておったぞ、“定番の罰則と言えば代表格は廊下に立たせるか掃除だよね。特に一人で建物全体を掃除するのは面倒だったなぁ。廊下に立ってるのはその間寝られるし、むしろ儲けもの感覚だったんだけどね”と。」

「「「………」」」

「それにそなたら、このギルドの不文律を忘れたわけではあるまい?」


上位者には絶対服従。

ルナと妾の位は同一であるが、この件はすでに妾に決定権を移された。

従ってこの事に関する最上位階は妾が持っていることになる。


「…ギャグ過ぎる気がすっけど、仕方ねぇか」

「わかりましたわ…」

「主に任されたことだしな」


そう、それでよいのだ。


「ではジャック、今日からルナがここへ訪れる日まで、毎日ギルドすべての部屋を掃除するように。手を抜けばそなたの姿をルナの“大切な人”に変え、ルナの前に置く」

「うわ、死んだなそれ」

「死にますわね」

「骨も残らんな」

「ぜ、全力で掃除する……!」

「分かればよい。ではそれぞれ戻れ。妾も部屋で残りの仕事を片付ける」


カップに残ったコーヒーを飲み干し席をたてば、拘束されているジャック以外が同じく立ち上がり頭を垂れる。


「我等がジョーカーの命じるままに」


それに手をあげることで応え、妾は部屋に戻った。

さて、ルナはいつこちらに戻ってきてくれるのだろうか。

他の三人ではないが、そろそろ妾も我慢の限界。



早く来てくれなければ、ついあの弟子を殺めてしまうやもしれん。





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