2-9
Side:Luna
その日から毎日、ベルはシルヴァに会いにセイの部屋までやって来た。
セイも流石にうんざりし(何しろ仕事をしている横で色々とイチャつかれる訳だから)、ベルがやって来た時には問答無用で私が護衛を代わり、二人を部屋の外へ追い出す程だ。
今日もやはり訪れたベルをシルヴァ共々外のテラスへ追い出し、彼は苛々と眉間を揉みほぐしている。
「ったくホント、何がしたいのかな」
「まあまあ、そうカリカリするものじゃないよ。
カルシウムが足りてないんじゃないのかい?」
「どう考えてもあっちが悪い!
カルシウムとか以前にね!!」
これはなかなか、珍しいくらい苛立っているな。
少し発散させた方がいいのかもしれない。
どうやら仕事もキリのいいところまできているようだし。
「ジーク、少しセイを借りるよ」
「はい。ありがとうございます」
一言声をかければ、彼も休ませた方がいいと思っていたのかすぐに了承が返ってきた。
ならばとセイの襟首を掴んで引っ張り、そのまま部屋を出ていく。
「ちょっと、月さん?」
「気分転換した方がいいよ。
どうも君は苛立ちすぎているようだから」
「………別に、そんなことないし」
「はいはい」
その尖らせた口をどうにかしてから言ってもらいたいものだ。
「焦っているのかい?
もうすぐ式典だというのに、なかなか黒幕が掴めなくて」
「…………はぁ。
そうだよ。ちまちまちまちま刺客だけ送ってきてさ、何がしたいんだか」
やっぱりか。
最近は特に暗殺者の数もまばらで、その全てが蜥蜴の尻尾切り状態。
その現状に苛立たないはずがなかった。
――それに、暗殺が失敗とは言え実行に移されるたびにセイを王太子にと推す派閥がフレイを追いやろうと過激な動きを見せようとするのだ。
今は抑えられているが、これが続けばいつか城の勢力は完璧に二分され本人達の望む望まぬに関わりなく、争うことになるのだろう。
「それになかなか解決しないせいで月さんのこと引き留めちゃってる訳だし……ほんとごめん」
と、色々考えていたから思ってもみない言葉に私は暫しポカンとセイを見つめた。
「……セイ。君そんなこと考えてたのかい?」
「だって月さん嫌いじゃん、国とか権力とかしがらみとか」
「まあ大嫌いだねぇ。
でも別に、私としてはこの状況に不満はないよ?
君の傍に長くいられる理由になっているからね」
セイと会うのは、余程の理由がない限り年に数回と決めていた。
会っても数日の宿泊ですぐに立ち去るようにしているから、一緒にいる時間は少ない。
そうしなければ寄りかかりすぎてしまうとお互いに分かっていたから。
「でも君が言うなら、そろそろ決着をつけようか」
寂しいな。
つい苦笑が浮かぶけれど、こればかりは仕方がない。
どんなに隣が居心地よく楽で幸せなものであっても、それに縋るわけにはいかないから。
「………もう少し、いいじゃん」
「ふふっ、さっきと言っていることが百八十度違うね」
「俺は勝手なの。月さんのこと甘やかしたいし、俺も甘やかされたいわけ。
お互いにしか望めないことだろ?」
「そうだね………」
けれどきっと、もうすぐ終わりが来る。
相手方も焦れている頃だ。
恐らく今は、最後の時に向けての準備期間なのだろう。
「ね、月さん」
「うん?」
「これからもさ、ちゃんと来てよ?
また五年後とか、俺耐えらんない。
シルヴァ君が嫌がるなら置いてくればいいし」
そんなセイの言葉に、つい苦笑が漏れた。
それは私も同感だ。
にしても他の皆の前ではそんな感情を微塵も見せなかったのに、本当に意地っ張り。
それは私にも言える事だからからかえはしないのだけど。
――私達はどうにも、こちらの世界の人間に弱みを見せるのに抵抗があるから。
「君はまた突然だね。
うん。私も今回わかったよ。
五年は私も耐えられない。
だからまた、数ヵ月したら」
お互いこんなに会わなかったのが初めてで、どこかおかしい。
きっと今はその反動なんだろう。
変だな。君の存在を知らなかった頃は、これが当たり前だったのに。
「あーぁ、それでも数ヵ月後か。長すぎ」
「今まではそれが普通だっただろう?
私も君も、それほど自由でもないしね。
特に君はこれからとても忙しくなるだろう」
国王になると、決めたんだから。
「…………俺のこと、嫌いになった?
ここの王になるなんて、さ」
「君はまったく……変なところで気を使うね」
こちらを見つめるセイは本当に不安そうだ。
でもそれでも、君は決めたんだろう?
「私は昔、君に言ったね。
君ならきっといい選択ができるって。
本当はあの時から分かっていたんだ。
君がもう“誠司”じゃなくて、“セイルート”なんだって」
セイのことを殆ど“誠”と呼ばなくなったのは、私なりのけじめだった。
この世界で生きることを選ぶ彼が、私を気にしないように。
でもどうやら駄目だったみたいだね。
「君が何を選んだって、私は変わらないよ。
君が誠司でもセイルートでも、私は君のいる場所へずっと足を運ぶだろう」
あちらに残してきたものが多すぎる私には、君以外にこの世界で大切なものなどありはしない。
だからあの人にしか使わなかったこの言葉を君にあげる。
「誠司でありセイルートでもある、私の“大切な”君のところへ」
君という存在が、大切だから。
「………なんか、愛の告白されたみたい」
「うん?まあ似たようなものだよ」
私はセイのことが好きだし、間違いではないと思う。
頷けば、彼は顔を赤くして私から目をそらした。
「冗談だったのに………
ルナさんのそういうとこ、ほんと、精神衛生上よくない」
「失礼だね」
「―――うん、でも、俺も踏ん切りついた」
彼は一度勢いよく自分の頬を叩くと、そらしていた漆黒の瞳で真っ直ぐに私を見つめた。
その表情は数年前、私の過去を聞き出したときのようにとても強くて真剣で、私の“なか”に入り込もうと、優しく柔らかく触れてくる。
「俺さ、国王になって、少しでも月が気に入る、穏やかに過ごせる国を作るよ。
それで王様になるってことはたぶん、お嫁さんをもらわないといけないでしょ?」
君が私を、月と呼ぶ。
それに少し驚いたけれど、その響きは軽やかでとても心地好い。
「まあ、そうだろうね」
「先に言われちゃったけど、俺だって貴女が大切だよ。
そもそもこの世界で俺が一番愛してるのって月だから。
男も女も人間じゃないのも含めて、それでも一番は貴女だと思うんだ」
……ねぇ、でも、それってさ、君も人のこと言えないと思うんだ。
「―――、君は、そういうこと言うの、恥ずかしくないの?」
顔が熱い。
ちょっと吃驚した顔されてるし、もう、なんだよ、馬鹿じゃないか。
こんなとこ、こんな、照れるなんて、私らしくない。
「え、もしかして、さ。照れてる……?」
「うるさい!」
「今度はムキになった!」
はしゃいだセイの声が憎らしい。
ぎろりと睨んでも堪えた様子がないのも更にだ。
「うわ、珍しい!
嬉しかったんだ?そうでしょ?
俺にそんな風に言われてさ!」
―――あぁ、もう!
「……っ、そうだよ!
だって君はこの世界に一人しかいない私の大事な人で、その人からやっぱりこの世界で一番って言われたんだ!
嬉しいに決まってる!!悪いか!
見るな、ぶん殴るぞ、このバカ誠!!」
ああくそ、言ってることが滅茶苦茶だ。
「っ悪いはずないじゃん!!」
そしてそんな言葉を投げつけられても彼は顔いっぱいに嬉しさを表して。
それでも足りないのか、力一杯抱きついてくる。
あぁでも、それが本当にセイからなのか、わからないな。
私だって、抱き締めて欲しかった。
「俺も月も、お互いがこの世界で一番なんでしょ?
それって最高のことだよ」
「……ふん、そんなの知ってる」
「あはは、意地張っちゃって。
すっごい嬉しいくせに」
「………ふん」
そのまま二人で抱き締めあいながら、セイは先程とはうって変わって穏やかに密やかに耳元で囁く。
「ねぇ月。俺達って案外お互い初歩的な事伝え合ってなかったんだね。
俺、貴女にこんな、面と向かって大切だって言われたのは初めてだよ」
「……だって、言わなくても、分かるじゃないか」
そう、お互い分かってたはずだ。
それこそ出会った時から、そして共に過ごした日々を重ねて、どんどん相手が大切になって。
そしてそれはきちんと互いに伝わっていた。
そりゃ勿論、たまに少しだけ寂しくなったり、不安になったことはあったけど。
「そうかもね。……でも、これからはちゃんと言うよ、言葉にして。
そうしないとまた何年も放っておかれるかもしれないし」
「だから、もうしないって言ってるじゃないか」
なんて意地が悪いんだろう。
それを言われると弱いって、もう分かってるくせに。
「それでも、だよ。
―――やっぱり、その方が嬉しいから。
月だってそうでしょ?それとも、嫌かな?」
「……嫌なんかじゃ、ないよ」
でもその幸福が痛いんだ。
どんどん離れがたくなってしまいそうで。
そんな私の気も知らないで、いいや、きっと分かっているくせに彼は嬉しそうに目を細め決めてしまう。
「じゃあ決定。
それでね、さっきも言った通り、俺は奥さんをもらわなきゃいけない。
それが他の国の王族か国内の貴族かは分からないけど、絶対に月はあり得ないのは確かだ」
「…そうだね。国王になるならそれが最良だ」
その事に私は特に悲しみも苛立ちもない。
ただ冷静に、そうするべきだろうと思うだけだ。
だってそれが他の誰でもない、“セイにとっての最良”なんだから。
「……ほんと、そういうとこはサッパリしてるんだから」
「うるさいな。それで君は何が言いたいんだい?」
まさか馬鹿正直にお互い本音を曝し合って、でも結婚は出来ないね、で終わるわけではあるまい。
「うん、だからさ、俺は結婚しても変わらないから。
ずっと月が一番。
可哀想だけど未来の奥さんも、その人との子供も、この国だって二番手以降になる。
申し訳ないとは思うけど、きっとこの気持ちは変えられない。
そういうとこもあって、これからも月にきちんと言葉をあげたいんだ」
「………」
押し黙る私に、セイはとろけるように微笑んだ。
その瞳に映る私は、ああ、なんて不安そうで、頼りない顔だろう。
君はいつだって私を弱くする。
「俺はいつかきっと貴女をおいて死んじゃうけど、それまで絶対に貴女を――月を、一人にしないって誓うから。
貴女を世界で一番愛してるんだから、ね」
「………覚えていたんだね」
あの日、私の過去を話したときに溢した、小さな、けれど消えることのない恐怖。
君という最後の同胞を喪うことへの恐れ。
それを君は、ずっと気にしていてくれたんだね。
死ぬまで一緒、その約束にもう喪ってしまったあの人の面影がよぎって、少しだけ泣きそうになった。
それに気づいて目の前の君も悲しそうな顔をしたから慌てて笑顔を浮かべたけれど、きっとぎこちないだろう。
「いいの?私は君で、心にあいた穴を覆い隠そうとしてる。
言うなれば君を、身代わりにしているんだよ……?」
君も気づいているんだろう。
私がずっと君のことを“この世界での”大切な人、としか言わないこと。
それに君にはすべてを話している。
わからないはずがない。
「いいんだよ。
俺だって未来の奥さんがいるわけだし、あの世界で大切にしていた人達がたくさんいるから。
俺もきっと少なからず月にあの世界を投影して、身代わりにしてる」
そう言って流れてもいない涙をぬぐうように私の頬に触れてくる君は、とても優しい大馬鹿者だ。
そしてそんな君だから、私は君にすべてを話したんだろう。
「ありがとう……
きっと君とあの世界で会っていても、君は私の大切な人だったよ」
「俺を“あの人”と並べてくれるの?」
「君しかこんなことはしないけれど。特別だよ」
君が“大切”だ。
最早人とは呼べなくなったこの身でも、強くそう思える程に。
「……ね、シルヴァ君の味方って言葉、やっぱ俺撤回する」
「……?」
セイの言いたいことがよくわからずに小さく首を傾げれば、それがわかったのか耳元でクスリと笑う声がする。
なんだよ、もう。
「だってさ、まあ、ゆくゆくはまたシルヴァ君の味方することになるかもしれないけど……今は必要ないもん。
俺が月を一人にしないし、それに月は別に彼の事必要としてないって本当は分かってたから」
「君の言うことは、たまによくわからない…」
「わかりたくないだけの癖に」
セイは今回ここに来た初日と同じ事を言って、腕に力を込めた。
本当のことを言うとね、とその声が私の鼓膜を優しく揺らす。
「月が寂しくないように、今から月の大事な人を作っておこうかと思ってたんだ。
そこにシルヴァ君っていう正にちょうどいい立ち位置の彼がいたから、利用できると思ったし。
でも月は俺のことがこの世界で唯一の一番だって言ってくれて、それでやっぱり簡単に他のどうでもいい奴に任すの嫌だなって今更だけど感じた。
だからシルヴァ君の味方止める」
俺って案外狡くて心狭くて性格悪いから。
飄々とそう語る彼は、自分が言っていることの意味をわかっているのだろうか。
「私がこの世界の人間を大切に思えるようになるなんて、そんなこと本気で考えていたのかい…?」
「別に大切に思えなくてもいいんだよ。
でも月はずっと一緒にいればほだされて、いつか彼のことが大切になるかもしれない。
そうじゃなくても、彼がいれば一人じゃないでしょ?」
「他人が一緒にいたって、意味なんかない」
「うん、心は孤独だよね。
でも心も体も孤独なことよりはいいと思ったんだ。
だからシルヴァ君の味方をして、彼を月の傍においておこうとした」
でもね、と続けるセイの声は穏やかで優しくて、私のことをたくさん考えてくれていたんだろう。
きっと私が弱音を吐き出したあの時からずっと。
「でも、まだダメ。
さっき言ったみたいに俺がいるんだし、味方してあげなきゃいけないような奴なんてやっぱ問題外だもん。
味方するとしたら俺がもっと年取ってからにする。
それまで月のこっちでの“大切”は、俺が独り占めするから」
「………本当に、君は勝手だ」
「いーの。それにこれは俺の身勝手でもあるけど、一応月のこと考えてるんだよ?」
「知ってる。君は私のこと、いつだって考えてくれてるから」
「月が俺にしてくれてるみたいにね」
私達はこちらの世界の人間から見たら、とても身勝手だ。
でもそうでなければきっと、正気のままここで生きてはいけないから。
「ただ、これだけは言っておくよ。
俺の一番の“大切”は、死ぬまで月だ。
俺は貴女の事を世界で一番愛しいと思い続ける。
……でも、月はそうじゃなくていいから。
俺は貴女を置いていくから、そんなこと望めないし望まない。
例え月自身が他の人間を“大切”に思う事があり得なくても、俺がそう言ったことだけは覚えておいて」
ああ、君は勝手だ。勝手で、狡くて、とても優しい。
君が、君だけが唯一、私に何も望まず手に持つ全てを与えてくれる。
「馬鹿」
瞳が潤む。
顔を埋めていた肩口から離して、セイを見つめる。
彼も少しだけ、泣きそうな顔をしていた。
それが悲しくて寂しくて、そのまま自然に―――
「………ゴホン」
互いのぬくもりを感じ、穏やかにひそやかに過ぎる時はそんなわざとらしい咳払いによって幕を閉じた。
……あ、そういえばここ、普段人はあまり通らないけど一応城の廊下だっけ。
「侯爵じゃん。こんなところでどうしたの?」
「フレイのところに行っていたのかい?」
「………まず、離れていただいて構いませんかな」
抱き締めあった体勢のまま乱入者に声をかければ、彼――フレイの一番の後見である侯爵は顔をしかめながらそう言った。
「えー、どうしても駄目?」
「セイ、君がそういう風にやっても全然可愛くないよ」
「酷。俺なりに頑張ったのに…」
うん、もう“いつもの”私達だ。
これでこの世界の人間に、余計な弱さを晒さなくてすむ。
それがわかったところでようやく私達はお互いに縋り求めあう腕から力を抜いた。
「宵闇殿、貴殿はフレオール殿下との仲を噂されているように聞き及んでおりましたが?」
先程までのくだりを無かったことのようにする侯爵は、なかなかどうしてスルースキルが高い。
もう五十代だし、人生色々あったんだろうね。
って、今はその話じゃなかった。
「ふふっ、そんなの嘘に決まってるだろう?
君だって分かっていただろうに」
「うわールナ悪女」
「殿下、茶化さないでいただきたい」
……セイはこれから私のことを、さんづけしないでいくのかな。
少し意外だ。
だって呼び捨てにするとしても二人の時だけで、他人の前ではこれまで通りでいくんだろうと思ったから。
それが表情に出ていたのか、セイは私の耳元へ唇をよせ「シルヴァ君の味方はやめるって言ったでしょ?」と囁いた。
ただのルナと呼ばれるのはなんだか更に彼との距離が近くなったようで嬉しいけれど、どうしてシルヴァの味方をしないと呼び捨てになるのだろう。
「てかさ、侯爵も狸だよね。
あ、見た目じゃないよ?
外見すっごいダンディーだし」
「……誉め言葉と受け取ってよろしいか?」
「勿論。で、狸の話に戻るけど」
「セイ、何だかそれは違うと思う」
言い方の問題だけど、三人での話題が狸そのものについてみたいでなんか嫌だ。
「いいの。ルナこそ茶々いれない。
そんで、侯爵気づいてるよね?
兄貴の本当の婚約者のルシルのこと」
「……何のことをおっしゃっているのか」
「はい、俺達は誤魔化されませーん。ね、ルナ?」
「そうだね。私としてもいい加減君のツンデレ具合には腹が捩れるよ」
「つ、つんでれ…?」
「ぷっ!た、確かに!考えてみたら侯爵まじツンデレ!
あはははっ、まじでか、こんなダンディーなおっさんがツンデレとか、ふ、ふはっ!」
あ、セイにしか通じないんだっけ。
意味がわからず困惑する様子が更に笑いを誘うのだろう、セイは大爆笑中である。
「まあ簡単にいうと、ア、アンタのことなんてなんとも思ってないんだから!勘違いしないでよね!!という状況だよ」
「は、はあ……」
「ざ、雑!ふふ、ルナ、説明雑すぎ……っはは!」
「そこの笑っているどうしようもない男は放っておいて、まあ君の思惑はフレイはともかく、私達には筒抜けなんだよ」
自分が第一の後見として指揮を振るえば、少なくともフレイの陣営の余計な暴走は抑えられる。
それにセイを推す一派から彼を守る盾になることだって可能だ。
そう考えての行動なんだろう。
まさにツンデレ。
フレイには理解されずに嫌われてしまっているけどね。
「でも意外だな。いくら君がフレイに忠誠を誓っていても、流石に反対して二人を引き裂くと思っていたのに」
だって侯爵はフレイを王にしたいはずだ。
ルシルを妻にすれば、まず間違いなくその道は遠ざかる。
と言うかそもそも彼を王にするにはセイをどうにかしなきゃいけないけど。
「………」
「黙ってないでなんか言ってよ。
俺としてはいい機会なんだよね。
侯爵とこんな風に話せる事なんてそうそうないし。
今のうちに腹の見せ合いしておきたいんだけど」
「君ね、いくらなんでも直球すぎだろう。
もう少し遠回しに伝えるってことを知らないのかい?」
「だってさー。
別に俺が気を遣う必要はないじゃん?」
「まあそれはそうだけどね」
本人を目の前にしてする会話でもないと思うが、お互い本心である。
その様子をずっと黙って見ていた侯爵は疲れたように、あるいは呆れたようにため息を吐いた。
「……だから私は貴方が王になることに反対なのですよ、殿下」
「うわ、急に批判きた」
「いいじゃないか、これこそ君の望んだ腹のみせあいだろう?」
「……茶化さないでいただきたい」
本当に疲れたように言うので、私もセイも少し反省する。
どうやらからかいすぎたようだ。
でも侯爵もいけないと思う。
だってただでさえ少ない私達の穏やかな時間を邪魔したんだから。
「はいはい、わかったよ。
で、俺が王になることに反対だっけ?
でも兄貴が王になったらそれこそ兄貴は早死にするよ?」
「それは私とてわかっております。
それに貴方に為政者としての素質があることも事実。
――ですが貴方は、“王国”を想っていない」
―――ふぅん。なかなかどうして、よく見ているじゃないか。
この場合セイが分かりやすいのか侯爵が聡いのか分からないけれど。
「えー、別に俺、この国のこと大切だって思ってるよ?」
「確かにその思いも偽りではないのでしょう。
けれど殿下、貴方は国のためにここにいる宵闇殿を切り捨てることは出来ない。
宵闇殿に望まれれば迷いなく、逆のことを実行できるでしょうに」
「……へぇ。すごいね、侯爵。
俺のことよくわかってんじゃん」
分かりやすく冷えたセイの声に、流石の侯爵でも一瞬たじろいだ。
相変わらず普段と怒ったときの差が大きいな。
普段怒らない人間が怒ると滅茶苦茶恐いっていう言葉を正に体現しているようだ。
「じゃあさ、俺がそういう風に言われて怒るって、考えなかったわけ?
しかもルナの目の前でさ。何、死んどく?」
「覚悟の上です」
「ふぅん………続けなよ」
「……そういった面で、貴方を王と仰ぐには宵闇殿との関係は諸刃の剣。
貴方が王となればよき政治、よき国が興り、また有事には宵闇殿の助力が期待できる」
「………」
隣に立つセイの機嫌がどんどん悪くなっていくのを肌で感じる。
まあ確かに侯爵の言葉に間違いはないだろう。
私は私に害がない限り、私にとって大切なセイが大切にしているものを守ることに否やはない。
ただきっと、彼は違うんだろうな。
「……俺はそういうのが一番嫌いなんだよ。
俺は俺のために、国のためにルナを使う気はない。
他の糞みたいな有象無象と違って俺だけは絶対にルナに何も望まないって決めてる。
だからそれを曲げようとするなら、冗談じゃなく本気でアンタを殺すけど」
やっぱり。
セイはそんなこと、気にしなくていいのに。
でもその気持ちがとても嬉しいのも事実で。
ああもう、本当に難しいな。
だから私は、君を助けたいと思う。“大切”だと思うんだ。
「貴方がそのような方だと、わかってはいます。
個人としてはその思いは素晴らしいものでしょう。
けれど王は違う。
王は国のために、すべての存在を利用できる者でなければいけません。
……その点では、同時に貴方はこの上なく王であると言えるのでしょう。
貴方は宵闇殿を除くすべてを利用することに罪悪感も何も抱かない。
フレオール殿下には、それは出来ないことです」
「まあそうだね。
俺は大切って言えるものはルナ以外にもあるけど、その度合いが違いすぎるから。
ある程度大切でも利用することに抵抗はないよ。
必要ならそれこそ親父もお袋も兄貴もジークも大して躊躇いなく殺せるし。
兄貴は優しいから、そうでもないみたいだけど」
「ですが利用できないその存在が大きすぎるのです。
宵闇殿は人を人とも思っていない」
「……ルナに話を向けるのは違うんじゃない?」
殺気立つセイに、私は肩を竦めた。
「別にいいよ。本当のことだし、それを隠してる訳でもないし」
「でも気に入らない」
「まあまあ。
で、そんな人間がいつ国にとってよくないことをするかわからない、そしてそんな人間を一番大切と思うセイに国を任せるのは不安すぎる、って話だろう?」
「その通りです」
どうしてこう、政治家というものは話が長いのか。
ずっと立っているのも疲れるし。
「けれど同時に、殿下のその知識、力が唯一無二のものであることも事実。
ですから私は王をフレオール殿下に据え、貴方にはその補佐に回っていただきたいと考えておりました」
「まあいい考えじゃないかい?
フレイが相手ならセイも助けるだろうし、セイがいるなら芋づる式に私もついてくるしね」
「甘いな。アンタの望み通りにはならないよ」
おや?それは一体どういうことだろうか。
セイの発言が意外で少し驚く。
窺った彼の瞳はとても甘く私を見つめていた。
「………私も今ではそう思っております。
そして今日、あなた方を見て更に自分の考えは正しかったのだと確信しましたよ。
ですから私はフレオール殿下を王とすることを諦めたのです」
どうやら侯爵も同意見らしいけれど、訳がわからない。
フレイが王になったらセイは将軍でも宰相でも、ともかく重役について兄を支えていくんじゃないのかな。
「ルナさ、わかってないでしょ?」
「……」
なんと言うか、少し悔しい。
困惑しているのを見透かされていることとか、侯爵にわかって私にはわからないこととか。
気に食わなくてそっぽを向けば、何故か肩越しに手をまわされ後ろから抱き締められた。
侯爵が居心地悪そうに目をそらすのがなんとも私を微妙な気持ちにさせる。
「俺は王にならないなら、この城を出てずっとルナのそばにいるよ」
「え……」
振り返ろうとしても腕が阻む。
その時気づいた。
この体勢、お互いに顔を見られないようにするためだ。
首筋に顔を埋めるようにセイがすり寄ってきて、耳元で小さく声が響く。
「俺が王様になるのは勿論小さい頃の罪滅ぼしの意味もあるけど、それ以上にルナが少しでも楽に自由に、何も恨まないで生きていけるような場所を作りたいからだし。
あ、それがルナにとって無理なのもわかってるよ?
ただ俺がほんのちょっとでもそうしたいだけ」
滔々と語るセイの口調に迷いはない。
「でもそれって俺が王様だから出来ることなんだよね。
流石に臣下の身分でそんな勝手は許されないし、しちゃいけないことだって俺も思うし。
だからその場合は諦めるしかない。
で、じゃあ逆に考えれば王様じゃなかったら自由じゃん。
だったら城を出てルナとずっと一緒にいるよ。
ルナと比べたら他の人間なんて捨てるのにも躊躇わないようなもんだし、何よりさ」
一息ついて、セイはこの上ない甘さと愛おしさを毒のように私の耳から吹き込んだ。
「一人にしないって、約束でしょ?」
そんな二者択一、おかしい。
どっちにしたって私のことしか考えていないじゃないか。
「……私は君に、何も返せないんだよ?
なのにそんな生き方をして……君は馬鹿かい?」
「酷いなぁ。俺なりの愛の告白みたいなもんなのに。
別にルナがいることで俺は孤独じゃないし、それにこれは俺の恩返しだからいーの」
貴女があの時泣かせてくれなかったら、俺はきっと壊れちゃってたから。俺は月に救われたんだよ。
侯爵に聞こえないように紡がれた言葉は、切なく私の胸を締め付ける。
君が本当に最初で最後、私に泣いて縋ったあの日。
あの時、君を救えてよかった。君を失わなくてよかった。
「……話に戻ってよろしいですかな?」
「侯爵さ、気を遣おうとか思わないわけ?
俺達のこの状況目に入ってる?」
折角の二人だけの空気を二度も壊され、セイはご立腹だ。
まあ形だけだけど。
私達だって侯爵の存在を忘れていたわけではない。
そのためのこの、お互いの顔を見なくてすむ形での抱擁なんだから。
そうでなければとっくに彼のことなど忘れてもっとお互いに甘えている。
「にしてもよくセイの考えていることがわかったね。
私だって何も聞かされてなかったのに…」
「ルナ、もしかして嫉妬?かわいー」
「これで人生経験は色々と多いですのでね。
それにあなた方は異質さを隠しもしませんから」
「まあ何度も言うけど隠そうと思ってないしね」
「え、なにこれスルーなの?
肯定したり突っ込んだり、罵倒したりすらしてくれないの?」
セイはこの際無視だ。
少しでも私がリアクションを返せば調子に乗るに決まってる。
まあ、間違ってはいない、けど、さ…
「フレオール殿下が王となればセイルート殿下の力は手に入らない。
ですがセイルート殿下が王となれば、フレオール殿下はその補佐として奔走されることでしょう。
私としては不本意なことに、殿下自身もそれを望まれていますからな。
ですから私は仕方なく諦めたのですよ。
そして殿下が王とならないのならば、真に愛する者と結ばれることに否やはありません」
仕方なく、の部分に嫌に力をいれて、侯爵はそう締め括った。
まあ言いたいことはわかったけれど。
「なら侯爵さぁ、もう少し兄貴と仲良くなりなよ。
ってか聞き出した俺が言うことじゃないけど、俺らにそれ言う前に兄貴に言いなよ」
全く私も同意見だ。
そんなんだからツンデレって言われるんだぞ。私とセイに。
「……私は、今のままでいいのですよ。
このまま嫌われ者でね」
「正にツンデレ。
侯爵はその顔でも損しているよね。
何だろう、ダンディーな悪役顔?」
「うんうん、言えてる。
まあ侯爵自身がそうしたいなら俺らとしてはどうでもいいし勝手にしなよって感じだけどね。
でさ、まあ話を纏めると侯爵は俺の王位継承に賛成なんだよね?
ならちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「……私に答えられることならば」
うーん、やっぱり彼はツンデレだな。
目の前で簡単に捨てたり殺せたりできると言い切った私達にもなんだかんだ協力してくれるらしいし。
まあ彼の一番はフレイで、セイがその弟だからなんだろうけど。
「俺って今、絶賛命を狙われ中でしょ?
首謀者に心当たりない?
たぶんそっちの陣営のやつだと思うんだけど」
「………それでしたら、宵闇殿の方がお詳しいのでは?」
「え?」
これは本気で驚いた。
私の方が詳しいって、流石にそれは買い被りすぎじゃないかな?
暫く無言で三人で見つめあっていたが(セイも私の方が詳しいということに驚いていたし、侯爵は私とセイの反応に逆に驚いていたから仕方がない)、その時間も侯爵のため息で終わる。
「……本当に、他のモノに興味をお持ちでないのですな」
そして彼は私達が驚くと言うか……うん、違うな。
あぁ成る程と納得するような人物の名をあげ、やれやれと言いたげな顔のままこの場を立ち去っていった。
あまり人目のあるところで今日のような真似をするなと、小言をつけ加えて。
そりゃあまあ、正論だけどさ。
私達だっていつもは誰にも見られないところでお互いに甘えている。
ただ今回は偶発的と言うか突発的と言うか―――そう、お互いに会わない時間が長すぎて、少し箍が外れてしまったんだ。
次からはもう起こらない。
黒幕もわかったし、もうすぐこの依頼も終わる。
またセイと離れ離れだ。
……やっぱり、寂しいな。
また暫くの間、お互いひとりぼっちなんて。
・侯爵 男 (58)
フレオールに忠誠を誓っているツンデレ。
ただツンとデレの比率がツンツンツンデレ、しかもデレがかなり分かりにくいためフレオールには嫌われている可哀想な人。
元々は自らが忠誠を誓うフレオールを王にしようとしていたが、セイルートの本性(セイルートとしては隠しているつもりもなかったため語弊があるが)に気づき、仕方なく、本当に仕方なく諦める。
セイルートとルナの異質さに城で唯一気づいている人。
逆に皆がなぜ気づかないのか分からない。
え、あの人達自分等のことそのへんの雑草だって思ってるよね?
って聞きたいのに聞けない。
だって皆外見とかそのスター性に目が眩んでるから。
あまり吹聴するような内容でもないし、下手をすれば機嫌を損ねたセイルートに社会的には勿論生命的に抹殺される可能性があるので他の人に自分、こう思うんだけど。
とかも言えない。
誰かこの意見に賛同してくれる人がいないかなぁ、と実は同志を心の底から求めている最近胃の痛いダンディーな悪役顔のおじ様。