1-1
Side:Luna
私はこの世界――元いた場所では異世界と呼ばれるここに魔術という訳のわからない現象によって召喚された、言うなれば召喚対象である。
名前はまだない。
………嘘だ。
これでも名前はちゃんとある。
私の故郷、今となっては手の届かない場所となった地球の日本での両親がつけてくれたものは勿論、便宜的にこの世界で名乗っているものだって。
「ルナ、終わった」
馬車の外で絶え間なく響いていた剣戟の音が止んだのは、声がかかるのと同時だった。
それに対して私は簡単に返事をすると、目の前に座る依頼主に目を向ける。
つい最近功績を国王から認められ、爵位を賜ったばかりの大商人は胡乱な目でこちらを見つめていた。
「終わったようです。
あの口ぶりでは怪我人もいないようですね」
「……そのようだな。御者、馬を」
彼の言葉に合わせて止まっていた馬車が再び進みだす。
そして少し離れた場所で再び止まると、休憩とばかりに彼は重たい腰を上げて外へと出ていく。
勿論護衛の任を受けている私も、一応それに続いた。
先程まで商人の成功を妬んだとある筋からの襲撃を受けていたにしては緊張感のない様子は、けれどある意味当然のことかもしれない。
何故なら―――
「お前、また何もしなかったのか」
思考を遮ったのは、最近になってパーティーを組むことになった剣士だ。
ギルドランクはB+。
彼の他に女魔術師が一人と、男のシーフが一人、女の弓使いが一人。
それぞれギルドランクはBである。
この四人で元々一つのパーティーを組んでいたらしいが、つい最近どうしても組みたいとギルドで声をかけてきたのだ。
ただ剣士の刺々しい物言いからも察せられるように、彼らの目的は私ではない。
彼らが本当にパーティーを組みたかったのは、元々私と二人で組んでいた――
「ルナは戦う必要はない」
目の前に影が差し、剣士と私の壁となる。
その正体は正に今私の悩みの種であるもう一人のパーティーメンバー、シルヴァだ。
「シルヴァさん、毎回毎回どうしてそんな女なんか庇うんです!」
シルヴァはギルドランクA+の魔法剣士である。
魔法剣士の名の通り、剣も魔法も使える言うなればお得な役職だ。
ランクもSS、Sに続くA+である彼の存在が、パーティーメンバーや依頼主に多大なる安心感を与えているのは間違いようがないだろう。
彼らは揃ってシルヴァに尊敬と憧れの眼差しを向けている。
残念ながらその感情は、私にはよくわからないが。
「お前も戦闘に参加したらどうだ!?
いつまでもシルヴァさんに守られて、情けなくないのか!!」
そしてどうもそんな彼ら曰く“憧れの人”が、私を特別扱いするのは許せないらしい。
確かに護衛の依頼を受けたというのに依頼主と同じく馬車に乗っていたり(他のパーティーメンバーは馬車の横を馬で並走している)、戦闘に加わらなかったり(ちなみに戦闘の回数は先程のものだけではなく、既に片手の指を超えている)、何故かシルヴァが護衛対象ではなく私に付き従っていたりと、彼らにとっては納得のいかないことばかりだろう。
ちなみに私が進んでそれらを行っている訳ではなく、全てシルヴァの指示によるものだ。
私もそれはどうかと思う。
「私としても君達の役に立ちたいとは思っているんだけどね」
「ルナは戦わなくていい。ルナの分も俺が戦う。
だから休んでいて」
「ほら、これだよ。
君からも何か言ってやってくれないかな」
私が肩を竦めてみせれば、剣士は苛立ったように舌打ちして他のメンバーの方へと歩いていった。
この程度でああも感情を露にするとは、まだまだ青い。
「ルナ、喉は渇いてない?
それとも何か食べる?」
「君ね、さっきの休憩でもそれは聞かれたよ。
食べ物も飲み物もいらない。
君こそ何か飲んだらどうかな?
ほら、水をあげよう」
「ん」
水の入った皮袋を取りだし手渡せば、シルヴァのサラサラとした銀髪から狼の耳がピンと生える。
殆ど感情の浮かぶことのない漆黒の瞳は、見慣れていなければ分からないほどほんの少しゆるんだ。
喜んでいる証拠だ。
「耳が出ているよ。
見られるのは嫌いなんだろう?」
「ルナなら構わない。
俺の大切な人だから」
「はいはい、命の恩人、だったかな。
それは耳にタコが出来るほど聞いたよ」
彼は獣人である。
種族はその髪色の通り銀狼と言って、知り合いのマニアによると公には絶滅したと伝えられているそうだ。
何でも桁違いの身体能力と魔力を恐れた種族に迫害され駆逐されたんだとか。
私はそんな彼を拾い、何だかんだと今日まで一緒に旅をしている。
だが最近の私は、そろそろそれも終わりにした方が良いのかもしれないと思い始めていた。
彼はもうギルドランクも上がり、命の危機になるようなこともそうそう無いだろうし、今回パーティーを組んだ彼らのように真にシルヴァを必要としている人間がいる。
彼らは私の存在までは求めていないようだから、私はまた一人で依頼を受けつつふらふらと旅を続けるのもいい。
そもそも最初にシルヴァと出会ったとき、彼とこんな関係になるなど私は欠片も予想していなかったのだし。
***
5 years ago
初めて出会った時、その子供は森のなかで地べたに転がっていた。
端から見ればかなり無惨な様子で、服は襤褸同然、全身砂埃や垢まみれ。
暴行でも受けたのか血の匂いがした。
「ねえ君、生きてるのかな?」
私が呼び掛ければピクリとその体が動く。
どうやら生きているらしい。
「生きてるなら返事をしてほしいな。
こんなところに転がって、何があったんだい?」
「……グゥゥルル」
返ってきたのは人の言葉ではなく、獣のうなり声だった。
それに改めて子供を見てみれば、獣の耳と尾が生えている。
獣人らしい。
「君、獣人か。
人の言葉は話せないのかな?
私もさすがに獣語は分からないな」
ひょいと子供の襟首を掴んで目線を合わせれば、怒りと怨み、そして恐怖に染まった黒の瞳が私を刺した。
途端に子供は暴れ、私の手から逃れようとする。
特にそうする必要もなかったため手を離せば、子供はべちゃりと地面に落ちた。
「……君ね、着地できないならそう言ってくれないと。
まるで私がいじめているみたいじゃないか」
ああも暴れるからきっと自分の足で立てると思ったのに、それは無いだろう。
呆れたように言っても子供は反応を返さない。
「ん?君、死んじゃったのかな?」
返事もないためもう一度持ち上げてみれば、どうやら気を失っているらしい。
……これは、私のせいなのだろうか。
「……仕方ないかな。
あーあ。無駄なことはしない主義なんだけどね」
言い訳のようにボヤいて、私は子供を持ったまま森の奥深くへと進んだ。
子供が目を覚ましたのは、高かった陽が落ちて周囲が暗くなった頃だった。
焚き火の音が届いたのかもしれない。
最初、ぼんやりと虚空を見つめていた子供はようやく我に返ったようで、相変わらず警戒した眼差しを私に向けた。
「おはよう、君。
それともこんばんはと言うべきかな。
ところで、喉は渇いていないかい?
空腹なら果物と干し肉もあるけれど、まずは喉を潤した方がいいと思うよ」
目の前に水と食料を差し出してみても、子供は手に取ることはしなかった。
「別に毒だとかは入っていないよ。
まあ、君がそうしたいなら私は強制はしない。
取り敢えず私は喉がカラカラだしお腹が減っているから、いただくよ」
子供に投げたものとは別の水と果物を取りだし口に含む。
その様子を子供はじっと見つめていた。
「ん?こっちがいいのかな?
私がもう口をつけたものだけど、構わないなら交換してもいい」
何となく子供の思考を察して私が自分のものを差し出せば、子供は奪い取るようにしてそれらを手に取った。
そして離れた場所で一心不乱にそれらを口にする。
私は肩を竦めて子供のために用意した方へ手を伸ばした。
「………お前、なんだ」
しばらくお互いに無言で食事をしていれば、そんな声がかかった。
どうやら子供が声をかけてきたらしい。
少したどたどしいが、人間の言葉は話せるようだ。
「なんだ、と聞かれてもね。
私はしがない冒険者だよ。
ギルドは知っているかい?
ほら、ギルドに所属している証だ」
服の下にあるネックレス状のギルド証を取り出す。
この世界ではギルドに所属していることが一番の身分証明となる。
基本的にギルド員に罪人はおらず、犯罪を犯したものは処罰の対象となりギルドから名前を消されるようになっているのだ。
従っていくつか例外はあるが、ギルドに所属している者に悪人はいないというのが世界共通の認識だ。
子供はそれを知らないのか、怪訝そうに眉をしかめただけだったが。
「うーん、まあ変な旅人だと思ってくれればいいよ」
「変」
「そうだね。
それで、君はどうしてあんなところに落ちていたんだい?」
「……」
子供は黙りこんだ。まあ、予想通りではある。
「人身売買、というやつかな?
最近この辺りを拠点に、随分な組織が動いているという噂だけど」
「!」
子供は分かりやすく体をびくつかせた。
ビンゴだ。やれやれ、旧友の頼みとは言え骨がおれる。
「どうやら当たりみたいだね。
所で君は組織のアジトから逃げてきたのかな?」
「………俺、売る気か」
「うん?売る?……ああ、君を組織の所まで送り届けるのかって意味かい?
私としてはそんなつもりはないけれど、君がそれを望むなら連れて行ってあげるよ。
もしくは組織からこのまま逃げ切りたいというならそれでもいい」
私としては何でもいいのだ。
ただ、もしも望まれたのなら叶えなければならないだろう。
「俺、首輪ある」
「首輪?」
「解けない。逃げられない」
子供の言葉にその首もとを見れば、確かに首輪のようなものがついている。
そう言えばこの手の奴隷商は商品に魔術のかかった首輪をつけるという話を聞いたことがあるような気がした。
それにより商品が逃げ出しても位置が分かるのだとか。
――となると、この子供を商品としてどこからか拐ってきた組織にこの場所はバレているということか。
「……ふむ。君、それを外したいのかい?」
「外れない」
「外したいのかどうかを聞いているんだよ」
「はずし、たい」
子供の言葉に私は頷いて、そちらへと近づいていく。
子供は恐れたように少し退がった。つい苦笑が漏れる。
「そんなに警戒しないでくれないかな。
なに、別に触れないよ。
ただ少し近づかないといけないからね。
――うん、【解除】」
「!!!?」
かちりと冗談のように外れた首輪に、子供は驚いたようだった。
何度も自分の首と地面に転がる首輪、そして私を見返している。
「どうしたのかな?
外したいと言ったから外してみたんだけど、余計なお世話だったかい?」
そう問えば勢いよく首がふられ、私は思わず声を出して笑ってしまった。
「……っぷ、あははは。
そんなに慌てなくてもいいよ。
別にまたそれを君につけようとは思っていないから。
さて、君の望みは叶った。腹もふくれたかな?」
私は立ち上がると子供を見つめた。
子供はどこかボンヤリしたように私を見つめていて、その様子がまた笑いを誘う。
だがあまり無駄話をしている暇も無いようだ。
「さて君、他に望みはあるかな?」
「……?」
子供が首を傾げる。
ガサガサと葉擦れの音が私の耳へ届いた。
「望みがないのなら私は何もしないよ。
ただ私の目的を果たすだけだ。
でも望みがあって、それが私にとっての悪ではなく、私に叶えられるものならば」
木々の間から人相の悪い男達が姿を現した。
子供が体を震わせる。
その様子からいって、間違いなく彼らが人身売買を行う組織の人間なのだろう。
私は震える子供を振り返った。
「君の望みを叶えてあげるよ。
さあ、望みはないかい?」
子供の瞳が潤む。
泣く子供は嫌いじゃない。
好きでもないけれど。
子供はボロボロと涙を流しながら私に望んだ。
「助けて………!!」
「いいよ、君がそれを望むなら」
私はひょいと再び子供の襟首を掴み、襲いかかってくる男達へ自分から向かって行った。
―――だが問題はその後だ。
「君ね、いい加減離してくれないかな」
「嫌」
私は腕にしがみついてくる塊を見つめた。
そう、例の子供である。
ギルドからの依頼である人身売買組織の壊滅はうまくいった。
拐われていた子供たちも欠けることなく取り返したし、組織の人間も取り逃しはない。
けれど唯一、この子供だけが問題だ。
ギルドの二階にある特別な個室で、先程から押し問答の繰り返し。
うんざりだ。
「早くどこかへ帰りなよ」
「家族、いない。俺、一人」
「なら孤児院とかあるでしょ。
君と一緒に拐われてた子供も何人かそこに行ってるんだし」
「嫌だ」
「……君は何がしたいのさ」
ため息混じりにそう問えば、子供はキッとこちらを見つめてきた。
なかなか強い瞳だ。
「俺、助けてもらった」
「あー、ついでだよついで。
元々私の仕事はあの組織を潰す事だったからね」
「でも、俺頼んだ。叶えてくれた」
「あー……」
それは私の中での決まりなのだ。
だが子供にどう説明すべきか。
迷っている間にも子供は言葉を続けていく。
「命の恩人。恩返しする」
「必要ないよ。大体弱くて小さくてお金も身寄りもない君がどうやって恩返しするって言うんだい」
「う……」
正論をぶつければ、子供は困ったように顔を伏せた。
よし、これで諦めるだろう。
――その考えが甘かったらしい。
「俺、弟子にして欲しい!!」
「……どうしてそうなるのかな」
きらきらと希望を抱く瞳に内心肩を落としながら私が問えば、子供は嬉しそうに答えた。
「俺、強くなる。おっきくなるし、お金稼ぐ。
そのため、弟子にして欲しい。そうすれば身寄りできる」
「まあ、その決意は立派なんじゃないかな……でも他を当たりなよ」
「他、嫌。俺、決めた」
「君が決めたと言ってもね…
私は弟子とか興味がないんだ」
椅子から立ち上がる。
こうなったら強引に立ち去るしかない。
話している最中に腕の力が弛んでいたため、簡単に子供の手は離れた。
「ま、待って!」
慌てたような、泣きそうな声がかかるが知ったことではない。
「じゃあね、君」
ひらひらと背を向けたまま手をふって扉を開く。
廊下へ出て扉を閉めようとしたとき、再び声がかかった。
「俺、望む!」
ピタリと、足が止まる。
こちらへと駆け寄る足音がして、子供は私の目の前にやってきた。
つい顔をしかめてしまう。
「俺、弟子望む!
言った、望んだら、叶えるって!
これ、悪い、ないし、出来ること」
「…………」
「叶えて!」
「…………」
この子供は望んでいると言う。
この私の、弟子になることを。
確かに子供の言う通り、これは不可能なことでも、悪いことでもない。
しかしどうしてそうまでして弟子になりたがるのか。
そこが私には全く理解できない。
「君は何がしたいんだい…」
「俺、一緒、いたい!」
「君が?私と?」
この子供が、私と共にいたいと言うのか。
「……くっ、はは、あははは!
私と、ね。君は私の弟子となって、共にいることを望むって?」
「そう!」
力強い答えに唇が歪んだ。
何も知らない、生まれたばかりの雛鳥。
まあ、耳と尻尾から言って狼だけど。
そんな子供が私にまさかこんなことを望むだなんて、誰が予想しただろうか。
――傑作じゃないか。
「……いいよ、叶えよう。
私はそういうものだからね」
望みは叶えなければならない。
さて、ならばしばらくの間、私は目の前のこの子供のものだ。
「ほんとう!?俺、弟子?」
「そうだよ。君が望んで、私が叶える。
君、名前はなんだい?
いつまでも君とばかり呼ぶのは不便だし失礼だからね」
私がそう言えば、つい先程まで喜びを露にしていた子供は萎れた花のようになった。
なんとも分かりやすい。
「おや、その様子だと名前が無いみたいだね」
「………」
「図星かい?気にすることはないさ。
名前が無いならつければいいだろう」
「名前、つける?」
ちらりとこちらを窺う子供に息をつく。
「名前くらい簡単さ。
何か希望はないのかい?」
「俺、言葉わからないから…」
「ふむ、それも道理だね。
ならそうだね……君の髪は見た限りどうやら銀のようだ。
今は汚れているから茶色に見えるけど」
「……?」
不思議そうに首を傾げる子供に私は微笑んだ。
私が名付け親になるだなんて、なかなかレアだぞ、君。
「シルヴァとかどうだい?」
「しる、ば」
「惜しいね、シルヴァ、だ」
「シル、バ」
「ヴァ」
「ヴァ…」
「そう、シルヴァさ」
「シルヴァ!!」
ようやく正しく発音できた子供は、どうやらその響きが気に入ったらしい。
「俺、シルヴァ」
「そうだね。君が気に入ったならそれを名前として使うといい。
私の故郷の言葉で、銀という意味だよ」
「シルヴァ……嬉しい、ありがと」
「構わないよ。
私が不便だからというのもあるしね」
子供を私のパーティーとして登録しなければならないし、名前は必要だ。
他に必要な手続きや物品を考えていると、服の裾を引かれた。
子供――シルヴァである。
「なんだい?」
「名前」
「名前?……ああ、私の名前かい?」
「そう。俺、呼べない、困る」
シルヴァの言うことも尤もだ。
私は一度しゃがみこむと、彼の体に手をまわしシルヴァを抱き上げる。
森で持ち上げた時にも思ったが、彼は痩せ細っていてかなり軽い。
取り敢えず風呂に入れて体を清め、新しい服を着せて食べ物を与える必要があるだろう。
ああ、傷も治療しなければならない。
――なんだ、案外私も満更でもないんじゃないか。
「私はルナ。ルナと呼んでくれると嬉しいな」
「ルナ…師匠じゃない?」
「それは恥ずかしいからね。名前で構わないよ」
旧友達にこんな子供を弟子にとったなどと知られれば大笑いされるに違いないのだから。
まあ、バレるのも時間の問題だろうけど。
「それじゃあこれからよろしくね、シルヴァ」
「俺、絶対強くなる。恩、返す」
「まあ頑張るといいよ」
***
「……ルナ?疲れた?」
昔を思い出していると、最早髪と瞳の色しか過去の名残がないシルヴァが顔を覗き込んでくる。近い。
「少し昔を思い出していたんだよ。
君は可愛いげがなくなったね」
彼と出会ってから五年の月日が流れた。
その間にみるみる成長し、ギルドのランクも上がり、彼はその望みの通り大きく強く、金の稼げる男になった。
身寄りはまあ、ギルドに所属したことで出来たようなものだし。
どうやら銀狼は成長が早い種族らしく、見た目は私と変わらない成人のようでも、実際シルヴァは未だ十代前半だ。
そんな彼は私の言葉に僅かに眉をよせた。その隙に距離をとる。
「ルナは可愛い方が好き?」
「うん?別に他人の顔に興味はないよ。
ただそうだね、どうして君がこんな風に育ったのか、少し考えていたんだ」
こんな鉄面皮になるだなんて、誰が予想しただろう。
「ルナがすぐに感情を露にするのは弱い証拠だって」
「私だったか。すっかり忘れていたね。
でもそんな風に無表情だと恋人が出来ないんじゃないかい?」
とは言ってもシルヴァの顔立ちは整っているし、長身痩躯、程よく筋肉もついている。
ランクも高いし女が寄ってこないわけはない。
実際新たに加わった女魔術師や弓使いもシルヴァに気がある様だし。
「興味がない。俺はただ一人がそばにいてくれればいいから」
「だからそのただ一人が恋人というやつなんだけどね」
やれやれと肩を竦めれば、彼は物言いたげに私を見つめた。
何か言いたいことがあるのなら言えばいいのに、彼はよくわからないところでいつも黙りこむ。
「シルヴァ、何か言いたいことがあるなら――
口の重い彼を促そうとすれば、それを遮るように爆音が響いた。
音を辿れば依頼主と残りのパーティーメンバーがいる方向である。
「大物だね、この気配は」
「俺がいく。ルナは休んでいて」
「でもね、君………あー、行っちゃったか」
狼だけあって足が早い。そして話を聞かない。
「うーん、君はそう言うけど、ねぇ…」
私はポリポリと頭を掻いて、ゆっくり歩きながら彼のあとを追った。
「クソ、なんでこんな所にドラゴンが……!」
現場に着いたとき、シルヴァを含めたメンバーは敵との戦闘の真っ最中だった。
剣士の悪態にそちらを見れば、なるほど確かにドラゴンである。
ドラゴンと言えば知性のあるものと無いものがいるが、どうやらこれは後者のようだ。
瞳孔の開ききった瞳でこちらを睨み付けている。
「大丈夫かい?手伝おうか」
「馬鹿を言え!
誰がお前の手助けなど…!!」
「まあ、君がそう言うなら何もしないでおこうか。
いいのかな、シルヴァ?」
シルヴァに問えば、彼はほんの少し迷うように視線を彷徨わせた。
だがその迷いの隙をついてドラゴンが迫る。
恐らく答えは出ないだろうと予想し、私は依頼達成のため離れた位置で怯える依頼主の元へ向かった。
「大丈夫ですか?」
「な、なんだ、あいつは」
「見ての通り、ドラゴンです」
「そんなことは分かっている!
どうしてあんな化け物がこんな場所にいるのかと聞いているんだ!!」
怒鳴る依頼主に息をついて、私はともかく彼の周囲に守りの魔術をかけた。
彼が怪我を負えば依頼金が減るし、死んではそもそも金がもらえない。
折角こんな茶番に付き合っているのだ、せめて依頼金はきちんと受けとりたいところだ。
「そうですね、今回やけに道中魔物との遭遇が多かったのはアレから逃げてきたからではないかと。
あの手のドラゴンはギルドの依頼でもSランクにあたるでしょうから」
「Sランクだと!?おい、大丈夫なのか!?」
「どうでしょうねぇ」
シルヴァでは一段階足りない。
たかが一段階と侮るなかれ。
それだけAとSの差は大きいのだ。
それに今の彼にはパーティーメンバーという足手まとい、もとい、守らなければならない弱者、もとい……そう、仲間というやつがいる。
彼らをサポートしつつ守りながらドラゴンを倒すのは、シルヴァにはまだ無理だろう。
「まあ、守りの魔術をかけておいたので貴方はここから動かないで下さい。
私は少し様子を見ますので」
「守りの魔術って、詠唱など聞いていないぞ、おい!」
後ろで騒ぐ依頼主はそのままに、私はパーティーの元へ向かった。
動くなとは言ったが、守りと共に対象を閉じ込める魔術もかけておいたため彼はあの場所から動けない。
周囲で喚かれるのは嫌いなのだ。
「苦戦しているようだね」
パーティーのうち何人かは傷を負っているし、女魔術師は魔力切れなのか、その回復が追い付いていない。
ドラゴンも負傷しているようだが、あちらはまだまだ体力が有り余っているといったところか。
シルヴァはと彼の存在を探せば、単身ドラゴンへ接近していた。
「他から目をそらさせるために突っ込んでいくって?
危なっかしいねぇ」
そんな力押しでどうにか出来るほどの技量もまだ無いだろうに、無茶をする。
実際彼はこの場にいる誰よりも多く深い傷を負っていた。
「さて、私も一応依頼を受けた身だしね……」
取り敢えず、邪魔な障害物は排除した方がやりやすそうだ。
離れた位置から魔術や道具、弓矢で援護するパーティーメンバーを見つめる。
剣士よ、君は接近戦担当だろう。
まあいても足手まといになるのが関の山だけれど。
「君達、邪魔だからちょっとそれ止めてこの辺に集まってくれないかな?」
きちんと彼らに聞こえるように、心なし大きな声で呼び掛ければ信じられない、という顔をされた。
あー、これは面倒だ。
「お前……!
シルヴァさんを見捨てるのか!?
あれだけ助けられておきながら…」
「君たちのその行動が邪魔だから止めなって言ってるんだよ。
ほら、仕方ないな……」
簡単に一人ずつ転移させて私の背後に集め、そこへ依頼主にしたような守りと閉鎖の魔術をかける。
自らの身に起きたことがしばらく理解できなかったらしい彼らが我に返った頃には、彼らはその場から一歩も出ることが出来なくなっていた。
「なっ………おい、なんだこれは!」
「五月蝿いね、君。
見ての通り……ああ、見えないか。
魔術だよ魔術。詳しいことは専門だし、そっちの女魔術師に聞くといい」
これで障害物もなくなった。
さて、不甲斐ない弟子を助けに行くとしようかな。
軽い足取りでシルヴァの元へ向かう私の耳に、背後からは言い争う声が届いた。
「おい、どういうことだよこれは!!」
「私にだって分からないわよ…!
詠唱なんて聞こえなかったし、術式が何重にも重なって、なんなの、これ」
うーん、修行が足りないね。
ランクBも納得だ。
と言うか、彼らはランクをひとつずつ落とした方がいいんじゃないだろうか。
だって弱いし。
――うん、後で旧友に言っておこう。
いい具合に対処してくれるはずだ。
「シルヴァ」
考えている間にも私の足は進み、彼とドラゴンの戦っているすぐそばまで辿り着く。
決して振り向かず剣をふるい続ける彼に、いけないと思いつつつい笑いが漏れた。
「君ね、出来ないことは出来ないと言うと約束したろう?」
「………」
「このままだと君、死ぬよ?
別に君がそうしたいのなら私に止める権利はないけれど」
「………ルナ」
悲しみを含んだ声に息をつく。
どうやら苛めすぎたようだ。
垂れた尻尾と伏せられた耳が目に浮かぶ。
「まあそうしょげる必要はないさ、シルヴァ。
別に私は君に出来ないことがあっても呆れたりはしないとも。
ただまあ、見栄を張りたい気持ちは分かるが、それと意地になりすぎることは違うと思うがね」
「それ、呆れてるということ」
「ふふ、そうとも。
我が弟子ながら情けない。
敵と己の技量を推し量ることは一番最初に教えたことじゃないか。
それに前にも言ったろう?
別に私は君が駄目な子供でも捨てたりはしないってね」
シルヴァと過ごすようになってすぐの頃は、彼はいつだって緊張していた。
私がそれを不思議に思って観察してみれば、どうやらミスをすれば捨てられると思っていたらしい。
私はどんな人でなしだ。
使えなければ使えるようにすればいいんだし、ポイ捨てはしない派だというのに。
その時はすぐに今のように言い聞かせ、彼はその後堰をきったように泣き出したのだが、あれは困った。
路上だったから、周囲の人間からすごく冷たい目で見られたのだ。
むしろ良いことを言ったのに。
だがどうやら今の彼は反応が違う。
ほんの少しの不信を孕んだ目がちらりとこちらを見て、私は首を傾げる。
「けど、ルナは……」
「ああほら、余所見は危ないよ」
「ぐっ………!」
忠告は遅かったようだ。
会話の最中すっかり空気だったドラゴンだが、勿論戦いは続いている。
シルヴァは見事に隙をつかれて吹っ飛ばされた。
あのままでは着地も覚束ないだろう。
この五年で私も成長し、師匠らしさもある程度板についている。
魔術で着地を手助けするなどお手のものだ。
「さて」
位置取りが変わって、ドラゴンの注意は離れた場所にいるシルヴァからこちらに移る。
咆哮を上げながら向かってくるドラゴンに背を向け、私は彼を振り返った。
いつかと同じだが、実際彼を弟子にとってからこの構図は多い。
最近は殆ど無くなってきてはいたのだがね。
「望みはあるかい、シルヴァ」
「……助けて、ルナ」
「不満そうだねぇ。
いいとも。可愛い弟子の望みだ、叶えてあげようじゃないか」
次の瞬間には、ドラゴンの首と胴は繋がりを失っていた。
ぼとりと落ちる首はそのままに、未だ暴れる体を半分に裂く。
全く、首がなくなっても動き続けるだなんて蜥蜴か。
あ、蜥蜴は尻尾だったかな。
「折角だし、心臓と牙と鱗と角を持って帰ろうか。
高く売れるよ、きっと」
それぞれを魔術で斬り落とし、水の入った皮袋を出したのと同じ亜空間へ放り込む。
そしてこのままでは動きにくそうなのでシルヴァの傷を癒してやった。
ついでにパーティーメンバーも。
「今日はドラゴンの肉でバーベキューだね。
少し固そうだけど、きっと美味しいよ」
「………ありがとうルナ」
「なに、君は私の可愛い弟子だからね。
気にすることはないよ。
悪いと思うならその肉を運んでくれるかな」
こくりと頷いたシルヴァは簡単にいい部位を斬り落とすと、私の後をついてきた。
どうやら少し落ち込んでいるみたいだ。
そんなに気にしなくてもいいと思う。
弱いんだから仕方がない。
パーティーメンバーと依頼主の元へ戻れば、彼らは金魚のように口をパクパクさせていた。
「どうしたのかな?」
「ルナ、魔術を解いてやらないと」
そう言えば閉じ込めていたんだったか。
指を鳴らして解除すれば、剣士が震える指で私を指す。
「なんだい?」
「お、おま、お前……」
「きちんと言葉を話してくれないかな。
いくら私でもぶつ切りの言葉は分からないからね」
なんだかこの会話もシルヴァとの出会いを思い出させる。
どうも今日は昔を思い出すからいけない。年だろうか。
「なんで、シルヴァさんでも倒せないような……ドラゴンだぞ…!?」
「シルヴァはランクが足りていないからね。
倒せないのも無理はないよ」
「じゃあ、お前は足りてるって言うのかよ!!」
「勿論だとも。
私は勝てない相手に意地を張るほど馬鹿ではないよ。
……ふふ、シルヴァ。そう落ち込む必要はないさ。
間接的にそうなってしまったけれど、別に君を馬鹿にしたいわけではないからね。
さてそれで、ランクの話だったか」
しゅんと落ち込む(顔には殆ど出ていないが)シルヴァを宥めつつ、私は服の下に入れてあるギルド証を剣士に見せた。
旧友に言わせると、わざわざ面倒な作業を経て紫に染めギルド本部全体にそれを通達して同じ色を今後使用しないよう手続きしたらしい、特別製のネックレスが揺れる。
説明が長くなったが、ともかく私のギルド証は紫だ。
ちなみに一般的なそれは銀色をしており、銀以外の色のギルド証を持つ者は現時点で私を含め三人存在している。
そしてそれはギルドランクSSを示す目印でもあった。
「む、紫……!?
そう言えば黒髪に、紫の目…
まさか、おま、いや、貴女は…」
憐れなほどに青くなった剣士は震える唇を開いた。
あ、嫌な予感。
「“宵闇”の……」
「そう呼ばれるのは好きじゃないんだ。
うんまあ、合っているけど」
予感は残念ながら的中した。
合っているけどね。
合っているけど、それはないんじゃないかな。
どこの中二だと言ってやりたい。
ギルドではランクがA+以上の者に二つ名をつけるという、私からしたら悪趣味としか言いようがない決まりごとがあるのだ。
恥ずかしすぎるだろう。
しかも依頼を受けるときはギルドで名乗らないといけない。
お陰で毎回毎回人目を忍んで受付に行かなきゃならないし……
こんな恥ずかしい通り名をつけた旧友達を脳内でフルボッコにしつつ、私は真っ青になっているパーティーメンバーと依頼主に提案した。
「さて、ともかく食事にしよう。
折角いい肉が手に入ったんだからね」
周りから少し離れた位置で一人ちびちびと酒を飲んでいた私は、近づいてくる慣れた気配に微笑んだ。
「向こうはいいのかい、シルヴァ」
「俺はルナといたい」
「君のその人見知り、どうにかした方がいいと思うよ」
「別に、人見知りなわけじゃない」
ほんの少し目を背ける彼は拗ねているようだ。
そんなに私が戦ったのが気に入らないか。
「そうかい?まあ本人が言うならそうなんだろう。
――ほら、おいで」
「………」
呼び掛けに、切り株に腰かける私の目の前にシルヴァがしゃがみこみ期待の眼差しでこちらを見つめてくる。
我が弟子はいつまでたっても甘えたで困る。
まあ、冷静に考えて彼はまだ十代だ。
親の温もりが恋しいのかもしれない。
そのさらさらとした髪に手を伸ばせば、喜びを露に耳と尻尾が現れた。
獣人は皆、耳と尻尾の出し入れができるものらしいが、いつ見てもどんな仕組みなのかさっぱりわからない。
敏感な耳に極力触れないように注意してそっと撫でれば、シルヴァの顔は途端にゆるむ。
「折角顔がいいんだから、いつもそんな顔をしていればいいんだよ。
恋人候補がわんさかよってくるだろう」
「いらない」
「そうかい?君は変わってる」
このくらいの年なら恋人の一人や二人、三人や四人は欲しいだろう。
なのに興味がないなんて、ゆくゆくは出家でも出来るんじゃないか。
……駄目だ、シルヴァに坊主頭は似合わない。
イケメンは大抵のことは許されるけれど、さすがにそれは駄目だ。
――そんな風に私の思考がどうでもいい方向へ脱線している間も、目の前の彼はじっとこちらを見つめ続けていた。
「俺はルナがいればそれでいい。
……だから、置いていかないで」
「おや、気づいていたのかい?
君は変なところで鋭いな」
私がトンズラしようとしていたのは分かっていたらしい。
通りで最近いつにも増してどこへ行くにも着いてきたり、スキンシップが激しいと思った。
「俺はまだルナと共にいることを望んでる。
望めば、叶えてくれるってあの時ルナは言った。
だから俺を一人にしないで」
縋る声に苦笑が漏れた。
どうやら私はまだ必要とされているらしい。
仕方がないなぁ。
「わかっているとも。
君が望む限り、私は君のそばにいよう。
君がちゃんと強くなって、唯一の誰かを見つけられるまで」
「………ん。
後、この依頼を済ませたらパーティーを抜けたい」
「うん?一人旅をしたいってことかい?
……ふふ、冗談さ。
そんな顔をするものじゃないよ」
不満そうにするシルヴァを一撫でしてそう言えば、すぐに表情は元の通りにゆるんだ。
「また二人旅か。私は構わないよ。
でもいいのかい?折角シルヴァさんシルヴァさんと懐かれていたのに」
「別に、好きでそうしていたわけじゃないから」
やっぱり彼は人見知りなんじゃないかと思いながら、私はパーティーメンバーへ思いを馳せた。そう言えば。
「君に一番懐いていたあの剣士、さっきは何だったんだろうね。
目の前で赤くなってどもったり、かと思えば私を質問攻めにしたり。
ああ、離れたところからじっと見つめられもしたけど」
「………ルナは気にしなくていい」
「まあ、ドラゴンに襲われて気が立っていたんだろうね。
改めて名乗られたんだけど、名前は何て言ったかな…」
確かに聞いたはずだが、忘れてしまった。
取り敢えず最初はルだった気がするんだが。
ル、から始まるありそうな名前をいくつか思い浮かべていれば、シルヴァはいつの間にか私の手から逃れて立ち上がっていた。
そのまま彼に手を引かれて、強く握り込まれる。
少しだけ不満そうな表情をしていた。
「別に、覚えなくてもいい。
すぐに別れるんだから」
「まあそうだけどね。
うーん、いくつになっても人の名前を覚えるのは苦手だな」
「今まで通り職業で呼べばいい。
それに名前を覚えるのが苦手でも、俺の名前は覚えてくれているから」
「そりゃね、君。
シルヴァという名は私がつけたんだから、さすがに忘れないよ」
彼は私を馬鹿にしすぎじゃないだろうか。
確かに興味のないことは必要最低限しか覚えていないけれど。
私が答えれば、シルヴァは何を思ったか次々と質問を投げて寄越した。
「俺の歳は」
「うん?……十三歳だろう?
いまいち見かけと一致していないと思うけれど」
「俺の好きなものは」
「甘いものだね。
私が飴玉をあげたのがきっかけだって、自分で話していたじゃないか」
「じゃあ嫌いなもの」
「野菜だろう?
あと昨日だったかな、女魔術師から果物をもらって食べていたけど、あれは口に合わなかったみたいだね。
………どうかしたのかな?すごく尻尾が揺れているけれど」
ここ最近で一番の揺れだ。
何か嬉しいことでもあったんだろうか。
だがシルヴァは問いには答えず、依然として握ったままの私の手を持ち上げ自らの唇を寄せた。
「ルナ、ずっと一緒にいて」
「勿論だとも。君が望む限り、私は君のものだよ」
当たり前のことだというのに、私の答えを聞いたシルヴァは目を伏せた。
「……今はそれでいい。俺はまだまだ弱いから。
でもいつか、きっとルナのいるところに辿り着いてみせる。
それまで、待っていて」
シルヴァはたまに、私にはよくわからないことを言う。
そしてこんな風に、何か切実なものを含んだ瞳で私を見る。
「よくわからないけど……君は強くなるんだろう?
ならきっと大丈夫さ」
「――ん。そろそろ戻ろう。
明日中には目的地に着くようにしたいから」
「それでそのままパーティーから抜けようって?
随分急ぐね。一体何がそんなに気に障ったのかな?」
普段のシルヴァなら、そこまで無理はしない。
極力波風を立てないようにするし(私のこと以外ではだけど)、人当たりもまあまあだ(無表情だけど)。
よっぽど嫌なことでもあったのかと思うが、彼は口を割らない。
「気のせい。ほら、ルナ。
今日は戦って疲れただろうし、寝よう」
「疲れたって君ね、私があの程度で疲れるわけがないだろう?」
「それじゃあ、俺が疲れたから。
……今日は一緒に寝てもいい?」
おずおずと窺うように(シルヴァの方が身長が高いというのに上目づかいができるのはいつだって不思議だ)、彼は私を見つめる。
目は口ほどにものを言うらしいけど、それは確かだとシルヴァといると納得させられる。
彼の場合、目はむしろ口よりも雄弁だ。
「………まあ最近は寒いし、くっついて寝るのもぬくくて良いかもしれないね。
いいよ、一緒に寝ようか」
「!!」
「ほら、行くんだろう?
あと見られたくないならその耳と尻尾はしまった方がいいよ」
握られたままの手を逆に引いて足を進める。
彼は忠告に従っていそいそと身仕度を整えると、素早く私の膝裏に手を回して抱き上げた。
………俗に言う、お姫様だっこってやつだね。
「………なんのつもりだい?」
「疲れてるだろうから運ぶ」
「さっきは君が疲れていると言っていなかったかな?」
「ルナは軽いから疲れない」
「我が弟子はいつのまにか屁理屈というのを覚えたみたいだね。
まったく嘆かわしい」
まあ、これが初めてではないから横抱きされること自体は構わない。
けれど二人旅の間ならいざ知らず、今は他に色々といる。
衆人環視のなかこんなはずかしめにあうだなんて、まさかの事態だ。
「育て方間違えたかな」
「ルナに間違いはない」
「それ、私を誉め称えているのか自分の擁護をしているのか、判断しにくい答えだね」
だがまあ、もう抱き上げられてしまったのだから仕方がない。
それに何だかんだ弟子の腕のなかは居心地がいいのだ。
最終的に身を任せ、くあ、と欠伸を溢せば腕の力が強まった。
「私はいい弟子をもったものだね」
「俺も、ルナに拾われてよかった。……でも」
「うん?」
「何でもない……」
少しだけ気になってシルヴァを見上げるが、話す気はなさそうだった。
かと言って無理矢理聞き出すのもよくないだろう。
彼は私の弟子だけれど、私の思い通りに動かしていい人形ではないのだから。
「君がそう言うならそうなんだろう。
それにしても、君は温かいから抱き上げられるとどうも眠くなっていけない」
「ルナも温かい」
「生きているからね。
さぁ、明日は早いんだろう?早く寝ようか」
「ん」
シルヴァは私に極力揺れが伝わらないようにゆっくりと運ぶ。
本当にできた子だ。
こんなちゃらんぽらんに育てられたとは思えない。
――でも、だから甘えてしまっていけないな。
彼が大切な誰かを見つけたとき、ついつい寂しくなってしまいそうだ。
気をつけないと、ね。
ぼんやりと考える私の耳には、だから聞こえなかった。
シルヴァが小さく、本当に小さく囁く声が。
「ルナに間違いはない。
でも、俺の気持ちに気づかないのはひどい。
弱いから、仕方がないことだけど……」
彼は未だ秘めた思いを、愛しい人に分からないだけ微かに、けれど確実に舌にのせて紡ぐ。
「いつか、きっと言うから。
そうしたら俺じゃなく、ルナが望んで。俺の隣を」
私がいつの間にか彼に外堀を埋められて、そして心の中まで強引に彼で埋め尽くされてしまうのはもう少し先のこと。
今はまだ、私の心は私だけのもの。
でも気づいていないだけで実はもう、そこにシルヴァだけの居場所は存在していたりする。
*登場人物紹介
・ルナ 女 (??)
ギルドランクSS
通り名は宵闇。
黒髪と紫眼から彼女曰く旧友が考えた。
ランクがSSであることと宵闇の通り名ばかりが一人歩きして広まっており、本名は殆ど知られていない。
ひょんなことからシルヴァを拾い弟子とする。
実は異世界である地球から召喚された人。
召喚時に色々とチートをもらったので無敵。
同時に人間からちょっと足を踏み外してしまったため今の彼女は人間とは言えず、【限りなく人っぽい何か】だと自分では思っている。
望まれて、それが彼女にとって悪いことでも不可能なことでもなければ叶えるというモットーはその時のゴタゴタで心境の変化があり決意したこと。
あまり他人に興味がないため、なかなか顔と名前を覚えられない。
実際彼女の旧友達に言わせれば、シルヴァのことは十分すぎるくらい特別扱いしているらしいのだが残念ながら本人に自覚はない。
・シルヴァ 男 (13)
ギルドランクA+
出てきていないが、通り名は明星。
ルナと対のようになっているので本人は気に入っている。
つけたのは勿論ルナの旧友達である。
拾われて首輪を外してもらったときのルナの笑顔にノックアウト、以来一途に彼女を思い続けているが哀れなことに一切本人には気づかれない。
ルナと同じくらい強くなって、彼女を守れる男になるのが目標。
だが道のりは遠い。
ルナに対してはスキンシップが多く(ルナ以外に触れられるのは嫌い)、それにより彼女によってくる男どもを排除しつつ外堀を埋めている。
ルナに近づく男は無条件に威嚇するため、事情を知る彼女の旧友達の間では隠れて狂犬と呼ばれていたり。
最近ちょっと抑えが効かなくなってスキンシップが行きすぎることも。
思春期ですから。
・剣士
ギルドランクB+
ルから始まる名前の人。
シルヴァに憧れ同じパーティーに入ったが、実は一番尊敬している冒険者は宵闇。
シルヴァが宵闇の弟子だというのはわりと有名な話なので彼に色々話を聞こうと思ってパーティーに。
だが実際彼に聞いても全然教えてくれないし(シルヴァは独占欲が強い)、ようやく会えた宵闇は今までずっと馬鹿にしていたルナでどうしよう状態。
実はルナに惚れていて、馬鹿にするのは好きの裏返しという典型的小5。(シルヴァが宵闇についてはぐらかしたのはそれを察知したため)
ルナが彼の気持ちに気づくことは最後までないだろう。
・女魔術師
台詞が少しだけあった。
シルヴァ狙いで色々としていたのだが魔術は使えないし(シルヴァの方が魔力量が多くレベルも高い)、貢ぎ物は裏目に出るし(果物はシルヴァの嫌いな味だった)、一言で言えば残念な人。
でも台詞があるだけいくらかマシ。
・シーフと女弓使い
名前のみの出演。
女弓使いは元々シルヴァ狙いだったが女魔術師のガッツにおされた&ルナへのシルヴァの盲愛っぷりを見て早々に狙い変更、今は出番がない二人、仲良くやっている。