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2 違和感

「あ、こうちゃん、ちょっと待って!」


 トイレに行こうと自分の机を離れかけたところで、後ろから声をかけられて振り返る。片腕にプリントの束を抱えた豊夏ゆたかが、机の合間を縫ってこちらの方に近寄ってきた。


「先生に頼まれて集めてるんだ。進路調査のプリント、良かったら今出してくれない?」

「ああ……良いけど」


 まるで数日前のやりとりなんて忘れたかのような屈託のなさだ。そのことに内心戸惑いながらも、机の中から目当てのものを探し出して手渡すと、にこりと笑って「ありがと」と言われた。

 そのまま近くの席のやつにも声をかけているのを尻目に、教室を出る。廊下を歩きながら、心の中でかすかな違和感が渦巻いているのに気づき、なんとも言えない気持ちになっている自分に舌打ちしたくなった。


(……なんなんだよ、あいつ)


 一人で登校すると告げたあの日以来、俺に対する豊夏の態度は微妙に変化していた。言葉で表すならば、少し距離が出来たというのだろうか。前のように、休み時間や移動教室の際に頻繁に話しかけてくることがなくなり、必然的に二人で過ごす時間もなくなった。

 それは別に構わない――というか、予想していたことだ。そもそもあんなことを言ったのは、豊夏を遠ざけたかったから。あいつに対して苛立ちを抱えることに疲れていたから一人になりたかったし、きつい事を言った手前、疎ましがられたり嫌われても仕方ないと思っていた。

 しかし、豊夏は俺に対して嫌な顔を見せたり、後ろ向きな態度をとることはしなかった。

 すれ違った時には「おはよう」とあいさつをされ、落とした消しゴムを拾ってやれば「ありがとう」と礼を言われる。係や委員会の用事があれば、さっきのようにいたって普通に用件を伝えてくる。過度の干渉はないが、無視されたり避けられているわけでもない。『親しい幼なじみ』から『単なるクラスメイト』に変わったというところか。

 いつも一緒と言っていいほどペアでいることが多かった俺たちの変化に、友人やクラスのやつらは少なからず驚いたようで、最初のうちは何かあったのか聞かれたり心配されることも多かった。だが、時間が経つにつれ、その手の質問は次第になりをひそめていった。以前ほど親密ではないものの普通の態度で接している俺たちを見て、周りの間では“特にいがみ合っているわけでもないし放っておこう”という結論に落ち着いたようだ。


 その通り、豊夏の態度は表面的にはなんの問題もない。だが、だからこそ、それに対してひっかかりを感じる。

 あいつは、幼い頃から人に気を遣いすぎるほどのお人よしだった。もともと、喜怒哀楽をそのまま表に出す無邪気さと、くるくる変わる愛嬌のある表情が相手の気持ちを和ませる。それに加えて、男女の区別なく相手のことを親身になって思いやる性格で、誰からも好かれるようなやつだ。

 ぶっきらぼうな物言いと人見知りのせいか、初対面で『怖い』と誤解されがちな俺にとっては、あいつのそんなところが少しだけ羨ましくもあった。


 そんな豊夏が、親しい友人から絶交宣言まがいのことをされたら気にしないわけがないと思っていた。ましてや、幼なじみの俺に「もう近寄るな」と言われたら。

 自分で言うのもなんだが、豊夏から多少なりとも慕われている、好かれているという自覚はあった。あいつは素直で分かりやすいし、小さい頃からずっと一緒に居たのだから。

 だからこそ、あの朝の翌日、登校してきた豊夏と教室前の廊下で会った時には驚いた。

 何でも顔に出る性格上、あからさまに気まずそうにされたり、無視をされるだろうと覚悟していたのに、豊夏は笑顔で「おはよう」と声をかけてきた。面食らいながらも、おはよう、とか、ああ、ぐらいは言ったと思う。あいつはそのまま俺の横を通りすぎ、教室の中に入って、何事もなかったかのように級友たちと駄弁だべり始めた。


 そんな態度に、正直言って、拍子抜けしたような気持ちにさせられたんだ。


 あの朝、最後に見た豊夏の顔は、確かに悲しげに歪んでいた。俺の言葉にショックを受け、傷ついているように見えた。少し冷たくしすぎたかもしれない、と罪悪感すら感じたというのに。

 そんなことなど何でもないというような顔で、今日も豊夏は笑う。だが、今まで通りの顔をして、けれど決して一線を越えて踏み込んではこないその姿を見るたび、俺の頭の中には疑問が浮かぶ。

 ――こいつは、こんなに器用なやつだったか?

 傷ついているのに平気な顔でいられるような、そんなそつのなさを持ち合わせた性格ではなかったはずだ。ささいなことに一喜一憂して、隠したくても顔に出てしまう馬鹿正直さがあいつの――


 そこまで考えたところで、自分の思考に思わず舌打ちをする。

 俺はいったい何をしているんだろう。自分から遠ざけたくせに、相手の様子をいつまでも気にして。あいつのことを考えたくなくてわざわざ距離を置いたのに、これじゃあ本末転倒だ。


(あいつと俺は、ただ幼なじみだっただけ。……それだけだ)


 いつもすぐそばにいたから、知らないうちに思い込んでいたのかもしれない。豊夏は俺がいないと何にも出来ないんだと、そんな馬鹿なことを。

 いくら外見が幼く見えるといっても、あいつももう十四歳だ。泣き虫でよく俺がかばってやっていた子供のころとは違って、今は周りとうまくやっていけるだけの社交性もあるし、俺以外の友達だっている。たとえ俺がいなくなったところで、今までと何も変わらず過ごしていける。それくらいはあいつも大人になっていたという、ただそれだけのことだ。

 そう言い聞かせて気持ちを落ち着かせようとしたけれど、自分で結論づけようとしたくせに、最後の考えがちくりと胸に刺さった。俺のことをまるで気にしていないように見える豊夏が大人なら、あいつのことをいつまでも気にしている俺の方が、本当はあいつよりも子供なんじゃないか、と。

 そんなことない、と笑い飛ばしたいのに、豊夏の様子を気にかけていた自分の態度がそれを肯定しているようにも思える。認めたくないジレンマのような気持ちが加わって、胸の中のモヤモヤは結局晴れないままだった。

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