11/姫乃城晶、前
自分が魔法使いだったら、超能力者だったらと、夢描いたことはあるだろうか?
僕にはある。
いつだって自分の無力さを、世界の無情さを噛み締めてきた。
……しょせん、魔法、超能力は夢物語に過ぎない。
だが、今この手にあるものは違う。
魔法でも、超能力でもない。……これは、純粋に僕の手の中にあり続ける、"僕の力"そのものなのだから。
『七日目が終了しました。経過報告を開始します。▽』
『今日の一言:ホルダーの人数も減り、エンカウントの可能性も低くなって来ました。
ここまで生き残ったホルダーは、強敵か、臆病者のどちらかでしょう。
どちらにせよ、いずれあなた達は勇者にならざるを得なくなるでしょうね。▽』
『八日目を迎えたプレイヤーは九人。七日目のリタイアは二名となりました。▽』
『リタイアされた方のお名前、リタイア原因は以下のとおりです。▽』
『【かつらさだよし さま】
複数人のホルダーに攻めこまれ篭城するも、惜しくも敗戦となりました。
もっと経験と知識があれば、また結果も違ったかもしれませんが、若さは時に残酷ですね。▽』
『【さいなかしょうじ さま】
複数人のホルダーとの乱戦のすえ、単独での戦闘で不意打ちにてリタイアしました。
もう少し頭をクールダウンさせるか、脳みそをクーリングオフするか、よく考えればよかったですね▽』
『それでは、ゲームは八日目へと突入します。
残りの参加者の皆様に、ナイアーラトテップの微笑みがありますように▽』
「こっちだ」
熱気が唸りを上げる昼下がりの空気を感じながら、晶の声に誘われ、星弥はおそるおそる草むらへと足を踏み出した。
……なんだってこんな荒地に。そう内心で愚痴った星弥だったが、それを耳にしたかのように振り向く晶に身構える。
「特別君のカードに執着がなかったというのもあるが、同時にこういった人里離れた場所が隠し場所には一番安全だとも考えた」
晶が隠したクラフトカードの回収に来た二人だったが、そうして星弥が案内されたのはあろうことか再び南此咲。
星弥が利用していた原っぱとはまた違う、完全に入り組んだ森の中であった。
「……まあ確かに、机の引き出しにでも隠された日にはたまったもんじゃないからな」
「それは面白いな、次からは宝石箱の中に隠しておくよ」
「…………」
語彙に対して妙に乾ききった反応にもめげず、更に奥へと進む晶の後を星弥は追う。
「元々君と面と向かって対峙したのはこの南此咲だったからね。あの場所そのものが人気の無い所だったし、ならその周辺で手頃なところはと考えて、君を運ぶ前に隠してきたわけだ」
「随分厳重だな。もしも俺が断ったりしたら壊しに来るのが面倒だとは思わなかったのか?」
「確実性を重視しただけだよ。仮に駅のホームのロッカーにでも仕舞おうものなら、エンカウントが発動したり、ホルダーサーチにかかる可能性は捨てきれなかった」
「……なるほど」
いつどこを通るかもわからないホルダーが、万に一つの可能性でカードのエンカウント範囲に入る可能性は否定できない。
なら、確かに晶の考えはもっともであり、結果的には安全策として人が寄り付かない、かつ絶対立ち入らない場所がいいという事なのだろう。
「――? ちょっと待て。エンカウントはわかるが、ホルダーサーチにかかるっていうのは? あれはホルダーを探知するものだろ?」
「……いや、ホルダーサーチはカードを探知する機能だよ。人間そのものではなく、カードの位置を特定しているんだ」
「なんだって……?」
いや、だが、言われてみればそれは理にかなっている。星弥は少し情報を整理する。
眠っている間に変な機械でも埋め込まれていたり、外せない腕輪なり首輪なりをつけられていない限り、人間の生体反応など容易に探知できるはずもない。
なら、もっとシンプルな方法の方が簡易で確実だ。
……ホルダーがゲームに参加する上で生命線となるクラフトカード。それそのものに相互の発信受信機能を付加させ、それらをもってホルダーそのものとする手法。
カードの消失がリタイアにつながる以上、ホルダーがカードを手放す事などほぼありえない。そうして考えてみれば、実に単純明快、安易で優秀なシステムである。
「ホルダーサーチとはまさに名ばかりって事か」
「そういう事だ。カードをクラフトにしている状態だとエンカウントやホルダーサーチができないのもそういう事情だろう」
「……まあ、な……」
一瞬納得しかけた星弥だったが、未だにカードがなぜクラフトの形をとるのかは納得できずにいた。
そもそも、仮にクラフトカードが形を変化させる事が可能だったとして、それが黒手のようなグローブならまだしも、例えば前を歩く晶のような全身を包む強化スーツのようになるとは思えない。
科学に疎い星弥でも、質量が違う事ぐらいはわかる。
おまけに、カードがクラフト化してもサーチは可能だったはずだ。それを考えると、安易なシステム……と結論付けるのは早計である。
……いっそ、神の力か何かだと思ってしまった方が楽か。一人でそう結論づけたところで、晶が草むらを抜けて開けたスペースに歩きでた。
「ここだ」
そう言うのが早いか遅いか、耳をつんざくような電子音……エンカウントのコールが晶の懐から鳴り響く。
カードを取り出してその音を止めた晶は一本の木の根元に近づくと、そこにぶら下がっているコンビニか何かのビニール袋を手にとった。
「まさか……それか?」
星弥が伺うように聞くと、晶はそのまさかだ、と鼻で笑うかのように返した。
「下手に埋めて場所がわからなくなっても困るし、小動物に食いつかれない高さにぶら下げておいた。熊が出るわけでもないだろうしな」
「だからってなぁ……」
捕虜には丁重な扱いを願いたい星弥だったが、実際にこうして無事だったのだから……とそれに関しては目を瞑る事にする。
晶が件のビニール袋を開けると、当然、出てきたのは星弥のクラフトカードだった。
それを確認して、星弥はようやく本当の意味で安心する事が出来た。……それと同時に、僅かな不安も抱えてはいたが。
「さて、このクラフトカードを渡せば君との協力関係は成立するはずだが」
「だが?」
「いや、君が裏切らない可能性は否定できないからね、言葉の綾だ。……まあ、それに関してはさっきので信用に値すると考えているが」
「さっきの?」
「エンカウントのことだ。僕のカードからは警報が鳴ったのに、君のカードからは鳴らなかったろう?」
「……あ、そういえば」
確かに、エンカウントが発生したのは晶のカードだけだ。
埋められでもしていればわからないが、ビニール袋に入っている程度で、このエンカウント時の電子音を完全に打ち消せるとは到底思えない。
「最初に届いた説明書にも記述されていただろうが、エンカウントは"敵ホルダー"のみに反応するらしい。どういう原理でそうなっているのかは知らないが、敵と認識していなければ同じ場所にいても鳴らないようだな」
「……ってことは、お前がここにきて手のひらを返す可能性はまだあるという事じゃないか!」
「それに関しては今言った通りだ。君が僕を敵として認識していない以上、僕も警戒をやめるさ。そういったお互いの信頼関係がなければ、この共闘は成立し得ないからね……そこで、だ」
改まって、晶は大仰に、星弥に一歩だけ歩み寄る。
端正で中性的な顔がにやりと笑うまでのさまを、星弥はまじまじと見せられた。
「君の力は昨日見せてもらったからね、今日は僕が君に力を見せるとしよう。そのために、最初の共同戦線といこうじゃないか」
そうして、星弥はビルの屋上から眼下を見渡した。
時刻は午後三時を回ったところで、うだるような暑さでこそないが、まだまだ夏場の猛暑続き。
そんな天気で一面のコンクリート、しかも紫外線対策も皆無の場所にいるというのは自殺行為に等しい。
……とはいえ、晶の言うところの"お手並み"とやらを拝見するには、まずは星弥の活躍が必要だった。
まず、中央街にサーチをかけながら入る。これを二人で交互に使えば、連続使用のクールタイムを半分にすることが可能だ。
そうしてサーチを進めて、ホルダーがかからなければ中央で探索を続ける。
そんな晶の提案通り、サーチを使いながら此咲中央までやってきたのは一時間前。
そうして数回のサーチを行った結果、二人はホルダーの発見に至った。
『まだ発見なしか。君が見逃しさえしなければ、後はそのクラフト能力にかかっているんだが』
番号を交換したばかりの携帯越しに晶が淡々と告げる。
「わかってる。とにかく、あの建物から出てくる人を見てればいいんだろ?」
ビルの屋上に対面する長方形の建物。エイオン百貨店は有名なチェーンデパートだ。
この辺りの通りはショッピングモールに繋がる玄関口もかねていて、地方都市ながらにそれなりのブランド、チェーンが看板を揃えて客を迎え入れている。
そのデパートにもかなりの人が出入りしているのがわかり、電話で話ながらも星弥は目を離す事ができない。
『そのデパートは立地的に客用の入り口は正面玄関の一つだけ、残るは店員や搬入専用の裏口のみだ。裏口近辺は僕がおさえているから、あとはホルダーサーチをかけつつ君がその目でホルダーを捕捉できれば、王手だ』
――星弥の顛帯観測はものの属性、情報を見ることが可能であり、ホルダーという存在も確実に視認する事ができている。
それを聞いた晶の提案した作戦が、先に相手を補足して先制攻撃をしかける、ある意味もっともセオリーにそった情報戦だった。
星弥は内心、ホルダーを発見したところで、捕捉した上で勝てなければ王手ではないと思うのだがあえて口には出さない。
……それは、晶というホルダーにそれほどの自信があるという事でもあるのだろう。ならば晶の言葉通り、お手並みを拝見させてもらうだけである。
『君がホルダーを視認しただけで特定できるというのが本当ならば、それで正面玄関から出てくる目標は見定めることが出来るはずだ』
「協力するって言ったのに、ここまできて嘘つく理由があるか?」
『それはそうだが、半日も経っていないのに完全に信頼するわけにもいかないだろう? こういう所でカマをかけて反応をみるのも重要なコミュニケーションだ』
「お前の一言がやたら長いのは、三時間ぐらいで気付いたけどな」
『それに理解を示してくれているなら、信頼関係が築かれる日が来るのもそう遠くはないさ――今ホルダーサーチをかけた。僕の位置からみて建物内にホルダーはいる。が、これは……』
玄関口付近だ。そんな言葉が受話器越しに聞こえたのと、星弥が玄関口にホルダーという文字をとらえたのはほとんど同時だった。
「見つけた。ホルダーだ、間違いない」
視界が絞られ、自然に玄関口付近へと拡大される。
最初はイマイチ手間取っていたこの視力強化も、今では無意識に使用できるまでに至った。
クラフトカードでのサーチも行う以上、黒手の状態で使えないのは手間ではあるものの、左手を添えるのにも慣れた星弥に苦はあまりない。
人が目でものを捉えて注視する延長線上のように、視界はスッとホルダーという文字情報を収め、その背面に位置する人間も視認する。
デパートの人ごみから出てきたのは少女だ。
茶色に染めた髪を後ろで結っていて、ホットパンツと白いキャミソールの開放的な服装が目に入る。
服でも購入したのだろう、どこかの店の名前の入った紙袋と小さなバッグを手に下げて、玄関で待ち合わせしていたらしいもう一人の少女へと――。
「――――」
『よし、すぐ正面玄関の方へ向かう。身体的特徴を僕に教えてくれ、見つけたらそこからは僕が』
「いや、待て」
『……どうした?』
「連れがいる。ホルダーもその連れも高校生ぐらいの女子だ」
『なるほど。それで?』
「……ホルダーの連れが、知り合いだ……名前もわかるし、俺の事もわかってる」
――それじゃあ、私はこれからショッピングモールに行くから
『一般人ということか?』
「俺の目では名前しか表示されていない、一般人で間違いないはずだ」
ホルダーの文字と並んでいる、その名前を見間違えるはずがない。
――終業式の時は断られちゃったけどさ……八月になったら、どっかいこ?
左月菜月。
ホルダーとして視認している少女と親しげに話す彼女は、屈託のない笑顔を浮かべていた。
*
「それで、どうしたいんだ君は」
開口一番、合流した晶が星弥にふったのはそんな率直な問いだった。
……デパートを後にしたホルダーの少女と左月菜月を追い、二人はショッピングモールへと入ってきた。
中央街の中でも末端部分、海沿いへと続く北此咲に踏み入るようにして展開されている此咲ショッピングモール"フラワーウェイ"。
元々は下町じみた商店街だったこの商店街を、北商店街の各位の賛同を得て新市長が町興しの一貫として改革したのが数年前。
昔からの商店街はそのままに整然とした遊歩道が揃えられ、更にその奥にショッピングセンターを建築、幅広い年齢層の客をターゲットにした総合商業施設となった。
結果的にこれは一定の成果を見せて、ビジネス街としてしか機能していなかった此咲中央はレジャー施設を持て余していた北此咲とのアクセスに成功して、集客効果をあげている。
その証拠に、夏場……特に夏休み時期のモール街は混雑の一途を辿っていた。
晶の声を耳にしながらも、星弥は前を行く二人から目を離せない。
……以前もそうだったが、エンカウントの距離である30メートルを意識しつつ対象を追いかけるというのは中々に手間で、それがこうも人混みばかりが発生する場所となると更に困難を極める。
晶も何となくそれを察したのか、星弥が目で追う少女二人を見つけて、星弥の動きに沿って歩き出した。
「僕はいつでも構わない。その気になればここであのホルダーをリタイアさせることも可能だ。君には以前見せたからわかっているだろうが、僕のクラフトは"そういう性能"にも長けている」
「その場合、他に被害を出さず、クラフトカードだけを破壊できるのか?」
「断言は出来ないが、善処する事は可能といった所かな。そもそもクラフトカードをどこに隠し持っているかがわからない以上、相手の出方を伺うか、なんらかの方法でクラフトカードを見つけなければならないわけだが」
「悪いが、俺のクラフトは透視なんてできない。遠くの物をみるぐらいの視力はあるけどな」
「なら、舐め回すようにその目で彼女たちを監視して、クラフトカードがちらつくのを待つか?」
「……これだけ人の多いところではリスクも大きいんじゃないか? よほど自信があるか、後先考えない奴でもない限りはな。少なくとも、俺はここで仕掛けるのは危険だと思う」
「だからこそ、仕掛ける意味があるんだよ、"星弥"」
その名指しに、星弥は不意をつかれた。
特に名前で呼ばれるのを意識していなかったからだったのだが、それにつられて目を向けると、ひどく冷めた目で二人を見ている晶がいた。
「まさかこんな所で仕掛けてくるわけがないだろう。そういう思い込みがあるからこそ、ここで攻めるべきなんだ、"このゲーム"は」
「それは、理屈ではわかるが」
「わかるなら、それが理にかなっているのも理解できるだろう。このゲームの舞台は街丸々一つだ。だからこそ、地形的な有利不利、立地による優位性だって生まれてくる。病院を拠点にしていたホルダーもそうだったろう?」
「…………」
一瞬、車椅子の少年が脳裏をよぎり、消えていく。
「僕たちは二人で一組、共同戦線をはっているんだ。数的有利に加えて、奇襲……その気になれば、力ずくで押さえつけてカードを探して、それを壊す事だって出来る」
「でも、それは」
「危険だ。人が多い以上、不審者として取り押さえられそうになったら……僕が君を連れて脱出するのは容易いが、警察のような公的機関に目をつけられることになる。おまけに――」
そこで言葉をとめて、晶は視線を前の少女の片割れへと送る。
二人は談笑しながら、バッグを取り扱っている専門店へと入っていく。
晶が見ていたのは……左月菜月の方だろう。
「顔が割れているというのは、偶然にしてはあまりにも運がなかった。僕はともかく、君は強硬策を取れない。少なくとも、彼女がいる限りは」
「あいつは普通に買い物に来ているだけだ。……ホルダーの方の子だって、そうだろうさ。それを壊したくないっていうのが俺の素直な気持ちだ」
「だが、ゲームは続いているし、参加だってしている。それも事実だろう」
「わかってる、わかってるけど……」
頭の中で、何度かシミュレートを繰り返す。どうすれば一番いいか、どうすれば納得がいくか、どうすれば、晶と自分の中での"妥協案"となるか。
少なくとも、晶の言っている事にも一理があるのは間違いない。
このゲームは自主的に動かない限り戦闘が発生しないが、『挑まれれば受けねばならない』という事だけは強制されている。
生存とリタイアというシステムが組み込まれている以上、生き残りをかけて他のホルダーに攻撃をしかけてくるホルダーがいる限りは、あの少女もまたホルダーとしてカードを守るか、さもなくば差し出すという過程まではしなければならない宿命にあるのだ。
「とりあえず、ホルダーサーチをかけるぞ」
晶にそう声をかけて、念の為にと星弥はサーチをかけた。
これだけの施設だ。下手をすれば他のホルダーと遭遇する可能性も否定できない。
そう思いながら、左月たちのいる店をこみでショッピングセンターに向けてかけたサーチでは、件の少女以外がサーチにかかる事はなかった。
「……器用だな君は。そんなに頻繁にクラフト化とカード化を繰り返して疲れないか?」
晶のその言には、ふと湧いた疑問のようなものを感じて、星弥は首を傾げる。
「いや、クラフト化はしていない。俺の魔眼自体は左手に添えていれば使えるからな」
そう答えてから、星弥は少しだけ後悔した。自分から自分の能力の弱点を言っているようなものだったからである。
とはいえ、左手を目元に添えながら動くというのも中々に不審な行動であり、遅かれ早かれいつかはバレるだろう、という思いもあった。
そんな星弥の思考をよそに、晶は星弥の答えを聞いてもすぐに反応を示さなかった。
「……? どうした?」
「いや……待て。一人出てくるぞ、君の知り合いの方だ」
そういう視線の先に、星弥は一人で店から出てくる左月を確認した。
辺りを見渡して、そそくさと出てきた店から離れていく。別の場所を見に行くのは、もしくはトイレにでも向かうのか。
「店内の客はホルダーの彼女を除いて二人、店員は三人。いけるぞ、星弥」
「は? な、ま、待てって!」
「いつまでも待ち続けて、それでどうする? あの少女がいつ思い出したかのようにホルダーサーチをかけるともわからない。最悪、既にホルダーサーチをしてこちらの存在を知っているのかもしれない。それでもなお、普段通りを装って買い物をしているとしたら?」
「それは、もしもそうだったら……」
……そうだったら、俺たちは今最も危険な位置にいる。
相手のクラフトがどのようなものかもわからない以上、数的有利があるとはいえ、なりふり構わずにやられたらどうなるかまでは保証できない。
ましてや、晶はいざしらず、星弥自身は攻撃力や防御力といったものとは無縁である。なら、晶のいうことももっともだ。
妥協するなら、ここかもしれない。左月が離れた以上、その気になれば星弥が彼女を足止めして、その間に晶がホルダーを狙うという事も可能だ。
「――お前のお手並みっていうの、信じてもいいか?」
「信じる信じないは、君の自由さ。知り合いが気になるのなら彼女を連れてここから離れてくれてもいい。僕が日月星弥に期待したのは情報収集能力だからな。だから――」
「荒事を始める以上、ここからは僕の出番だ』
瞬間、晶の全身に電撃のような火花が小さく走り、晶のクラフトが実体化した。
実物を見たことがあるとはいえ、それを目の当たりにするのは星弥としても初めてだった、晶のクラフトの実体化は、さながら変身ヒーローの特撮のような光景だった。
足元から頭にかけて、一瞬にして身を包む白亜の鎧。
その名を、L.K.C.(レジェンド・カレイド・カルサイト)。
星弥のクラフトカードに登録された情報が確かならば、『ランク:A+』という破格の性能をもつ戦闘型クラフトである。
『後は任せる』
電子の声が聞こえた直後、更に別の電撃が走り、空間に歪むようにして消えていく。
星弥は周囲を見渡した。数人の通行人が、何か"トンデモナイモノ"を見たかのような顔をして星弥を見ている。
それを無視して、星弥は左月が歩いて行った方向へと足を向けた。
……こうなれば後の祭りだ。
晶はもう止まらない。あとは晶の活躍を期待して、俺は出来うる限り邪魔をしないように立ちまわるのみである。
――荒事を始める以上――
そう言った晶の言動に不安を覚えながらも、今の星弥に出来る事は何一つ無かった。
そんな星弥をよそに、晶が思考していたのは敵ホルダーの効果的な処理方法だけだった。
……もっとも、晶自身、自らが提示し、星弥がいったような安易な殺害など考えてはいない。
それを行うよりはほんの少し手間だが、より安全で確実な常套手段があるからだ。
"光学迷彩"を起動した晶は、ゆっくりと店内を一望でき、かつエンカウントが発動しない距離から目標を見定める。
少女は店員とバッグを見比べて談笑していた。位置としては背面、周囲にその女性店員以外の人はいない。
その絶好の機会を手にするべく、晶は即座に行動に出た。
一歩を踏み出し、初速から全速へ。ほんの数秒のうちに店舗へと飛び込む。
エンカウントが鳴り響いたのはほぼ同時だった。エンカウントの音は非参加者には聞こえないが、ホルダー同士でなら他人のエンカウントコールも聞き取る事ができる。
【>エンカウントコールを確認】
"晶の視界に映るインターフェース"に、音声の発生源が表示される。対象の少女が持つバッグ側面のポケット。警報はそこから鳴らされていた。
ならば、取る行動は一つ。
【>武装展開、アームドブレード】
周囲の空間に溶け込み透明となっていながらも、そのシャランと飛び出る金属音だけは店内の客にも知覚できただろう。
右腕の甲にあたる位置から刃が飛び出すのを、晶だけが視認する。
突然のコールに、少女が周囲を見渡すのと、晶が刃をクラフトカードがあるらしき位置へ突き出すのと、バッグからクラフトカードが飛び出し、その刃を止めたのは全くの同時だった。
『……!』
誰にも見えないであろう鎧の中で、晶は目を見開いた。
右腕と共に正面に出したはずの刃は、手によって握り止められていた。
刃渡りは30センチほどの両刃。切れ味は"クラフトである以上落ちることはない"。
ならば、なぜ手が刃を乱雑に鷲掴みに出来るのか。
そもそも、どうやってこちらの動き……しかも刃物の部分だけを的確に察知できた?
それらの疑問は、ほんの数瞬の思考でしかなかった。
だが、一撃必殺であったはずの攻撃を受け止めたその存在に反撃を許すには、あまりにも十分な時間……!
「あーあ、びっくりした」
背中を向けたままの少女が発したらしい台詞は、斜め上から襲来した蹴りの衝撃音により、晶が聞き取ることはかなわなかった。
背後に存在した店内の陳列棚もろとも、晶は店の外、モール街へと放り出される。
『……っ!? ダメージは?!』
【>頭部に衝撃、装甲に損傷なし】
【>首関節部に若干の損傷、稼働への影響はなし】
【>装着者へのダメージ、軽度の脳震盪と診断】
【>光学迷彩の強制終了を確認、再起動が必要です】
デジタルなメッセージを閲覧しつつ、晶は一瞬だけぐらついた意識をすぐに回復させた。
レジェンドの装甲とクラフトの身体強化スキルが適用されていたおかげで、首の骨をおられずに済んだのは幸いだった。
だが、それに安堵せずに晶は立ち上がり、店内を見据える。
――店先から、カシャカシャと無機質な音を立てて、晶を吹き飛ばした本人が姿を現す。
美しい、青い瞳と目が合った。
整った顔立ち、蠱惑的な胸、細身の腕、引き締まった腰……六本足の脚部。
全身が鋼鉄で出来た女郎蜘蛛。晶の第一印象はそれだった。
「え、なに!?」
「撮影?」
周囲から困惑の声が聞こえる。光学迷彩が解除された事で晶――レジェンドの姿も視認されてしまっているだろうが、もはやそれどころではない。
こうなってしまった以上、真正面から立ち会うしかないだろう。
そうして晶は、内心で星弥に負い目を抱く事も無く、瞬時に思考を切り替えた。
こうなれば後の祭と、晶は身構え、正面の敵と向き合う。
鉄で出来たクリーチャーと対峙する、白亜の人型。
それは、これから落とされる火蓋を戦闘ショーに変えてしまうかのような、非現実的な光景だった。