5☆
ちらりと時計を見た。ああ、12時回ったのか。ソウタくんの態度がなんだかグッと甘くなっている。切り替えの早い子だなあ。普段の生活を聞くと、彼のバイトは基本的に17時から22時。休みは不定。たまに昼シフトになるときもあるらしい。
「じゃあ会えるのは土日の昼間だね。平日はわたしも帰り遅いし」
「週末しかカナさんに会えないの? 1カ月しかないのに。ここに住むのダメ?」
「…金曜の夜に来てよ」
ソウタくんは「ちぇ」と言っていたけれど。そこは、ね。一人の暮らしも守りたいというか…彼の存在は非日常にしておきたいんだよね。あとで“ひとり”に戻ったときにすぐ順応できるように。
「明日は? バイト?」
「うん。今日が休みだったから、しばらく連勤…あのさ」
「うん?」
「明日、バイト終わったらさ、ここに帰ってきてもいい?」
「……」
「今日会ったばっかなのにおかしいけど。俺、できるだけカナさんと一緒にいたい」
ソウタくんのその言葉は、素直にうれしかった。さすが30万円の威力は大きいね。正面から気持ちをぶつけられて、はにかんでしまう。あの人はこういうこと、言ってくれなかった。あの人は──
「カナさん?」
ハッと我に返る。
「うん。明日も来て。わたしもうれしい」
今度はムリヤリ作った笑みだったけれど、ソウタくんは喜んでくれた。
そして、彼には悪いけれど床で寝てもらう。スペースがないので、わたしの寝るベッドのすぐ下だ。
「ゆか固いでしょう? なんか申し訳ないな」
「いつかはそっちに上げてくれんでしょ?」
「さあそれはどうでしょう」
ニヤリとしてやったら、ほんと想定外!と笑われた。そこ、はにかむトコじゃないの?と。
悪いけど。キミみたいな若造に読まれるほどわかりやすい性格だったら、もう少し人生は泳ぎやすかったはず。
「あー面白え。俺本気でカナさん好きになりそう」
「ソウタくん、バイト接客業でしょう」
「なんで?」
「すごいサービス精神」
マジで言ってんのになー、なんていうつぶやきは聞き流す。それぞれの床につき、電気を消した。この部屋で誰かの息づかいを聞くのは久しぶりだ。あの人が、来なくなってからだ──ダメだ。思考が、あの人から逃れられない。
「カナさん、まだ起きてる?」
「…うん」
「俺わかんないんだけどさ」
「なに?」
「カナさんぐらいの人なら普通に彼氏できるっしょ。なんで金なんか払ってんの?」
「……いつフラれるかわかんないのって、もう怖いんだよね…。期限決めてればさ、あらかじめわかってるからあんまり傷つかないで済むし。別れるのもお金のせいだから、自分が嫌われたせいじゃないって、あんまり傷つかないで済むでしょ?」
本音を吐いてしまった。裏返せばそれは、想像もしていなかった突然の別れに、傷ついたことがあるってこと。たぶん、ソウタくんもそれに気づいただろう。
「……どんだけ不幸な恋愛してきたの?」
ほっといてくれ。
けれど勢いに乗って、さらにバラしてしまった。まだ浅い関係だったから、却って話しやすかったのかもしれない。
「わたしさ、自信がないの。いつも、嫌われるのが怖くてびくびくしてた。だからワガママとか上手に言えなかった。それが、お前の気持ちには壁があるって言われて」
「……」
いけない。これじゃ完全に体験談だ。でも止まらない。
「だから余計に怖くなって。もう距離の取り方がわからないから、彼氏とか、きっと作れない。でも、誰かにわたしを求めてほしい。必要としてほしいの。これは契約だから、さ。1カ月間は絶対に嫌われないでしょう? だから怖くないし。ワガママも、きっとうまくなれる」
ああ…言っちゃった。普通は引くわな、これ。
「…もっかい同じこと聞いていい?」
「やだ」
「どんだけ不幸な恋愛してきたの」
だからやだって言ったじゃん!
「にしても、相手が俺でよかったよ」
「なんで?」
あのねえ、と、少し怒ったような声。
「俺じゃなかったら、今ごろとっくにヤラれてたよ。そんで金取られて終わり」
「そっか…そうだよね」
「それだけで済んだらラッキー。画像でも録られてゆすられてたかもしれないし、ひどけりゃAVの撮影されたりとかもあるんだよ?」
そ、そんな世界があるのか。
「たしかに軽率だったね…反省します」
「もう、これからは俺が、撃退してやるから。そういう悪い輩とか、カナさんの自信の無さとか。……昔のカレの、思い出とか」
……っ。
ここで泣いたら、面倒くさい女だと思われる。とっさにこらえてしまったのは、わたしの悪いクセだ。自分で言ったんじゃん、期限内は絶対嫌われないって。お金払うんだもん、大丈夫だよ。思ったこと、言おう?
「……うれしい」
返事はなかった。少し、間が空いてしまっていたし。もう眠ってしまったのかもしれない。けれどきっと、聞いていてくれたんじゃないかと思う。さっき会ったばかりなのに、わたしは彼をきっとそういう人だと思った。
その言葉が嘘でも本当でも──ううん。1カ月の間は、ぜんぶ“本当”だ。彼の言葉は、わたしのまだ乾かない傷を、優しくなでてくれた。