18★
一刻も早く誤解を解きたかった。
「もうわかんない」
そうつぶやいたきり黙りこんで、俺の腕の中で小さく固まっている彼女。きっと誤解をしている。自分が否定されたと、きっとまた傷ついている。けど想いを告げるのは12時をすぎてからじゃないとダメなんだ。そうしないと、今はきっと、カナさんは信じてくれない。違うんだ、あと少し待って。せめて抱きしめた腕に力をこめるしかできない。
――そして。彼女の身動ぎに合わせて時計を見れば、
「終わった……」
その針は12時を回っていた。これで言える、やっと。声にも表情にも安堵がもれていたと思う。
「カナさん」
自然と笑みをこぼして彼女の顔を見る。しかしカナさんは反対に、悲しそうな表情をしていた。
「カナさん、聞いてほしいことがある」
「うん……」
返事はしたものの、カナさんは立ち上がり、タンスをごそごそとしだす。
っと、マジメな話なんだけどな。しかしすぐに何かを手に戻って来たので、彼女が再び座るのを待たずに話し始めることにする。だって緊張する。待てば待つほどそれは高まるから。
「カナさん、俺ずっと考えてたんだ」
「うん」
テーブルを挟んだ向かいに彼女が座った。彼女にわからないように、ひとつ深呼吸をして
「俺は、本気でカナさんが好きです。今日からは、本物の恋人になってください」
……言った。言えた。なんだよオイ、こんなに緊張するもんだったのか!? フラれはしない、と、思う。たぶん。カナさんだって俺のこと悪く思ってないだろう? いやむしろ惚れてんだろ? …だよな?
「これ」
「なっ何?」
カナさんの言葉にどもりながら、テーブルの上をすべらされたものを手に取る。中を見て――固まった。
「なんだよこれ…」
声がかすれる。
「30万」
彼女は、目を合わせない。
「俺の話、聞いてた?」
「すごく楽しませてもらったから、ね、ほんとは5万円足すつもりだったのよ? だけどほら、最後おねがい聞いてくれなかったから」
口だけに貼り付けた笑み。その感情が読めない。
「いらないよ。俺は金なんかじゃなくって、ほんとにつきあいたいって言ってんだよ」
金の入った封筒を突き返す。
「延長はしない、って最初に言ったでしょ」
さらに封筒を突き返される。
「いらねえって!」
負けじともう一度突き返すと、聞こえたため息。まだ信じてねえのかよ。
「12時すぎてんだろ? もういい加減、俺の言葉信じてくれてもいいんじゃねえの?」
「……わかんない?」
「何が!」
「私たちは一回終わらせないといけない。次があるにしても無いにしても、リセットしないと進めないの」
「それがこの金ってこと? これ受け取ったら、それこそ終わりじゃねえか。金なんか受け取ったら、アンタ今までの俺の気持ちぜんぶ嘘にするんだろ? 冗談じゃねえよ」
「このままズルズル続けたってうまくなんかいかないよ」
「そんなに俺のこと信じられんねえのかよ!」
たまらず声を荒らげる。と、彼女が低い声で告げた。
「じゃあソウタくんは?」
「俺がなんだよ!」
「私のこと信じてた?」
「…は?」
「私がソウタくんの言葉を信じるわけないって、思ってなかった?」
「……!」
否定、できなかった。なんだよ、それ。信じてなかったのは、俺のほうだったっての?
「お互い様よ。どっちみちこのままじゃ、私たち前に進めない」
カナさんも、俺を信じられない。そして俺も、カナさんを信じられない。あの契約がある限り。けど、それじゃあ。
「俺たち、これで終わり……?」
「どっかで偶然会ったら、ナンパでもしてよ」
「なんだよそれ」
「とにかく。これは受け取って。感謝してるのは本当だし、きちんと終わらせるべきだと思うの」
三たび渡された封筒を手に取る。
「期間限定ならいいけど、こんな仕事もない若造とまともにつきあうなんてやっぱムリ?」
「! そんなんじゃ!」
「……っていう穿った考えまで出てきちまうもんな。たしかにこのまま続けてもうまくいかないかもな」
そうだ。今の俺じゃあダメだ。それは決して卑屈になっているわけではなくて、それが事実なのだ。……くそぅ。見てろよ。文句言わせねえ状況を作って、もう一度口説いてやる。
「わかった」
「え…?」
封筒を掲げてみせる。
「これ、もらっていくよ。ありがとう」
……ほら、そうやって、自分で突き放したくせに瞳を揺らして俺を困らせるのはナシだよ?
「1カ月、楽しかった。カナさんといられて」
「ああ…うん。あの…私も、楽しかった。本当に」
急に意見を翻した俺に、少し戸惑っているのがわかる。…どうして泣くの? けど、その涙に勇気づけられるのも確かだ。待っててくれる? 俺がもう一度口説きにくるのを。
「じゃ、俺行くわ」
「もう電車ないんじゃないの?」
「今日は俺泊めちゃダメっしょ。もう彼氏じゃないんだから」
「そう…そう、だね…大丈夫?」
まあ一晩くらいどうとでもなるよ。そう言って玄関に立つと、彼女が見送ってくれる。ドアに手をかけて、ふと思い付いて振り返った。
「俺が出てったあと、泣くなよ?」
ひゅうっと息を吸う音が聞こえて、もう泣くのをこらえているのがわかる。それを見たらたまらず――
「……っ」
「最後」
これで最後だから。そう言い訳をして、彼女を抱きしめた。これで最後――ひとまずは、ね。
ただ、カナさん。待ってろとは言わない。言えない。けれどどうか、俺が来る前に他の誰かのものにならないでいてください。