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有料彼氏  作者: 真澄
17/19

17☆

今週、8月が終わる。


手はつないだし、キスもした。

ドライブしてお泊まりして、街中デートも。今度の土曜日には花火を見に行く。


恋人っぽいこと、ひととおりできたよね。

悔いないでしょ?

思いっきり楽しんだでしょう。

ときめいたりふわふわしたり、ちくちく切ない気持ちまで味わえたじゃない。


ありがとう、ごくろうさん。じゃあね。


言えるでしょう? ちゃんと。


あとひとつ、まだしていないこと。それをしてもらえたら、ちゃんと言うんだよ。ちゃんと、終わらせるんだよ?




金曜日、私は急いで仕事を終えて家に向かった。ソウタくんがバイトを終えてうちに来るまでに、しなければならない準備があったのだ。


掃除をして、夕飯を作る。シーツをはがして洗濯したものに取り替える。シャワーを浴びて、パックなんかしてみる。


そして、昼間におろしておいた30万円と、それとは別に5万円を封筒に入れ、戸棚にしまった。期限の8月31日は月曜日。この週末に渡すことになる可能性が高いと考えて、用意しておいたのだ。


そうして彼を迎える準備をする。「何やってんの?」と、脳内で盛大にツッコミを入れながら買った新しい下着を身につけて。



ふーっ


と、息をはいた。



どうしたらいいんだろう。私からいく? とりあえず待ってみる? ソウタくんが言うところの「サイン」はもう伝えてあるけれど。今日くる? あした? それとも最後の日? もう一度態度で示したほうがいいのだろうか。私が欲しがっていることを。


「…ってムリ!!」


だれがそんなこと言えるって? ああもう勝手にオーラに出てくれたらいいのに。あ、でもそれも困るか。今の私からは欲情がダダ漏れだ。


後悔、するだろうか。こんな風に体の関係を持ってしまったら。


余計に別れが辛くなるかもしれない。傷つくかもしれない。けれどたくさんたくさん考えて、ひとつだけ確かにわかったのだ。それをしなければ私はきっと後悔するということ。このまま彼に抱かれずにこの関係を終えてしまったら、きっと私は後悔する。



ピンポーン



ソウタくんが来た。ひとつ深呼吸をしてから玄関に向かう。



「…いらっしゃい」


「カナさん、月曜日休みとれたよ!」


「え?」


「だからさ、カナさんの仕事が終わったら会える?」


「うん…じゃあ私もなるべく早く帰る」


「よかった。大事な日だから、会いたかったんだ」


だいじなひ。


その意味は考えないことにする。



「よく休めたね」


自分のご飯を自分でよそうソウタくんを見ながら、そんなことを聞いてみる。うちの台所にももう慣れたもんだね。


「学生のやつらは、安くなるこれからが旅行シーズンだからさ。代わってやるって言ったら喜ばれたよ」


「へえ」


あ、いま気のない相槌になったかしら。もういい、目の前の夕飯に集中しろ!



――それから。


味のしないご飯をモタモタと食べ終えて、テレビなんか見たりする。落ち着かない私を知ってか知らずか、ソウタくんはちっともそんなそぶりを見せなくて。「おやすみ」のあとも来るか来るかと眠れない夜を過ごす自分に、呆れてやっと眠りについたのは明け方のことだった。



もし、うまくいったら、ひと晩だけじゃ足りないかもしれない。そう考えると行動するなら早いほうがいい。

けどもし断られたら、残りの日を平然と過ごすなんて絶対ムリ! 清水の舞台から飛び降りるなら最終日しかない。


そんなことをモヤモヤモヤと思いながら、自分に呆れる明け方をまた過ごし、結局ソウタくんは何もしてくれないまま――そして私も何もしないまま。私たちの最後の日を迎えたのだ。



==========

8月31日、月曜日。


早めに仕事を終えてソウタくんと待ち合わせをした。軽く夕飯を済ませてうちに着いたのが夜8時。汗かいたから、とかなんとか言ってシャワーを浴びた私が、くつろぐソウタくんの隣に座ったのは、8時半近くだった。


12時まで、あと3時間半。あまりのんびりはできない。


さあどのタイミングで行く? 今これテレビ見てんのかな。終わるまで待ったほうがいい? ああもうわかんない。


細かいことをモヤモヤと考えてしまうのが私のくせ。そして考えすぎて、考えることが面倒くさくなって早々に飽きるのも、私のくせだ。なんかもういいや。緊張するのにもいい加減飽きて肩の力を抜いたら、ふと彼の手が目に入った。


無造作に床について、体重をかけられた手。少し骨ばっていて、血管が見える。



さわりたい。


とつぜん、そう思った。


今までのモヤモヤをすべて忘れて、ただ衝動だけで、私はその手に自分の手を重ねた。


「ん?」


ソウタくんがテレビからこちらを向いたのがわかる。けれど私の視線は重ねた手だ。


「カナさん?」


「あのね、ソウタくん」


「どした?」


「私、サインは出したと思うの」


ソウタくんの手が少しこわばった気がした。


「…サイン?」


わかってるくせに、はぐらかすの? 顔を上げたら、彼は目を泳がせていた。手を離し、正座をすると、彼もまた姿勢をただしてくれる。あらためてその両手を、自分の両手で包んだ。


「カナさん…?」


「……おねがい」


これが、せいいっぱい。おねがい。わかって。受け止めて。おねがい。


ゆっくりと唇を近づけていく。


あとほんの少しでそれ同士が触れるとき、


「ダメだよカナさん」


ソウタくんがつらそうな表情で目をそらせた。


「ソウタくん…?」


「ダメだ。ちゃんとしてからじゃないと、今のままの関係でこんなの、ダメだよ」


動揺しているのか、早口でそんなことを言ってくる。そんなの、今さら。


「なんで? 体だけの関係だって持ったことあるんでしょう?」


「カナさんはそういうことしちゃダメだ」


「愛がなくたって、できるんじゃないの? ……私の体じゃ、そんな気になれない?」


「違う!!」


ガッと彼が私を抱きしめた。


「違う。違うよカナさん…言ったろ? オレ、カナさんのこと好きだからガマンしてんだ」


そう、うまいこと言うね。あとちょっとで終わる関係で、面倒くさいことしたくない? やれれば誰でもいいってわけじゃないんだね。私じゃダメなんだ、やっぱり。私、何を勘違いして、恥ずかしい、ダメだ、もう。


急に黙りこんだ私の顔を、彼が覗きこもうとする。私は見られまいと顔をそむける。だって恥ずかしくて顔が見られない。


「ごめん、私どうかしてた」


「カナさん違うって」


「ごめんなさい。恥ずかしい、私」


「だから違うって! そうじゃない。カナさんを拒否してるわけじゃない」


それも優しさ? もうわかんないよ。


「いいの、ごめん、ほんとに気にしないで」


顔をふせたまま腕を突っ張り、彼から離れようとすると、逆に怒ったように肩を引き寄せられた。


「だから違うって言ってんだろ!」


抱きしめられた腕が痛い。


「もうわかんない……」



そして。それ以上私たちは何も言うことができず。彼に抱きしめられたまま、やがてふと気がつくと、時計のはりが12時を回っていた。

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