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有料彼氏  作者: 真澄
16/19

16★

寂しい、会いたい、と電話の向こうで言っていたカナさんを、ああやっぱり俺には気を許してくれてるんだとのんきに喜んでいた。その陰にある不安のカタマりには気づかずに。



「じゃあ、明日。バイトの前に寄るよ。うん…おやすみ」



電話を切り、ほんの少しの余韻を楽しむ。実家での電話だ。家族の耳を気にしてベランダでかけていた。室内に入ろうと振り向くと――



「お兄ちゃん、カノジョ?」



妹がニヤニヤと窓を開けてくる。



「おっ…前まだ起きてんのかよ! とっとと寝ろ。夜更かしすっと必ず熱出すの誰だ?」



トイレに起きただけですぅーなんて言いながら、妹はパタパタと逃げていく。俺は動揺していたのかもしれない。口止めするのをすっかり忘れていたのだ。



翌朝。カナさんに会いに行くために俺にしちゃ早めに起床し、リビングルームへ向かう。家族はとうに起きていて、朝食の席を囲んでいる様子が聞こえた。


日曜だってのにえらいねえ…Tシャツに手を突っ込み、腹をぼりぼりかきながらドアノブに手をかけたところで、妹の声。


「なんかね、年上っぽかったよ」


あいつ…!


しかし、続けて聞こえた母親の声に、部屋に入ろうとした足が止まってしまった。


「お兄ちゃん、年上の人とおつきあいしてるの?」


声音にかすかにまじる非難的色合。またいつもの「就職しろ」という説教につながるのだろうか。


「いいじゃない、年上の彼女」


自分もまた年上と再婚したばかりの義父がそんなことを言い、母親の声色が少しやわらかくなる。


「そういうことじゃなくて…あの子の年上だったら、将来を考えたおつきあいをする年頃でしょう?」


「仕事のこと?」


ほら、やっぱり。いつまでフラフラしてるの。そんな聞き飽きたセリフを想像し、部屋にとって返そうとしたが、聞こえてきたのは意外な言葉だった。


「あの子のことだから、アルバイトだって何だって職場に必要とされるような働きかたはしてると思うのよ」


「責任感があるもんな」


「だから今のままじゃもったいないって言ってるのにあの子ったら聞く耳持たないし…そういうお相手がいるならなおさら、ねえ」



……なんてこった。母親の説教にそんな本音があったなんて。ただバイト待遇がみっともないのだと、そう思われているのだと思っていた。


このままでいいだなんて思っていない。劣等感は自分がいちばん持っている。けれど、何もせずブラブラしているだけかのように言われると素直になれなくて。普通の勤め人と同じくらい働いて、業務効率を上げたり売り上げに貢献したりした自負もある。ただ、肩書がアルバイトなのだ。その肩書では認めてもらえないのだ。自分の働きは。


すとん、と、母親の言葉が胸に落ちてきた。つまり自分は、認めてもらいたかったんだ。


……って、なんだよ、それ。


「ガキかよ……」


誰が見ているわけでもないのに、恥ずかしさに思わず口許を手で覆い隠してしまう。


「まあお兄ちゃんも彼女のために心を入れ換えるんじゃない?」


生意気な妹の声に苦笑し、やっと目の前のドアを開けた。


「ぉはよ…」


母親が目を丸くしている。


「珍しいじゃない。あんたが午前中に起きてくるなんて」


「だって彼女に会いに行くんだもんねー?」


妹の頭を軽く小突き、冷蔵庫に向かう。気恥ずかしくて母の顔は見れない。


「別にまだ彼女じゃねえし」


「アタック中ってわけか。年上の口説きかたなら聞いてくれ」


身を乗り出す義父を母親が苦笑していさめる。そしてこちらに何か言いたげな目を向けた。いつもケンカになるから、ためらっているのがわかる。


「考えてるよ」


だからこちらからそんなことを言って見せた。いや、正確にはさっきの話を聞いて「考えなきゃ」と思ったばかりなのだけど。


「…考えるよ」


自分に言い聞かせるように、くり返した。




==========


カナさんの年齢は知らない。4、5歳上ってとこかな、と思うので、30前後だろうか。


…そりゃあ、つきあうのどうのってなったら結婚がちらついてもおかしくないよな。母親の言う通りだ。正直に言って、オレはまだそこまで考えられない。カナさんに彼女になってほしいと伝えるときだって、「結婚を前提に」だなんて言えない。だけど、だからってそれでいいってわけじゃない。つまり、もしカナさんが「結婚相手として考えられるかどうか」でオレとのことを判断するのだとしたら。そんな理由でフラれたりしないだけの自分でいたいと思う。


……オレ、今、胸張ってカナさんに向き合えるだろうか。


何も持ってないんだな、オレ。



その日はカナさんの家には行かず、外で会った。外で待ち合わせをして、ランチして、店なんかをぶらぶら見て。「こういうデートみたいなの、まだしてなかったから」というカナさんのリクエストに応えてのことだ。そうやってカナさんは、ひとつずつチェックリストを外すように、オレとしたいことを挙げていく。契約期間の終わりに向けて準備をしているのだ。


終わらせるつもりは、ない。けど。


けれど、今のオレで彼女は「本気の交際」を考えてくれるだろうか。カナさんだってオレのことを好きだと思ってくれている、と思う。けどそれが「期間限定なら」という但し書きつきのものじゃないなんて言えるだろうか。


カナさんに見合うだけの人間になりたい


と、思った。動機としては不純? いや、大事な人に誇れる自分でありたいと思うことの、どこが不純だってんだ。


バイト先に向かうや、店長に頭を下げた。今のオレが持っているもの、今までオレが培ってきたもの、を、コンプレックスで腐らせたりせずに武器にする方法。


「店長、このあいだのお話。正社員、挑戦させてください」


「よし、本部に報告しよう。面接の日程やなんかはわかり次第伝える。…採用時期は、なる早でいいか? 家族の事情も解決したんだろ?」


詳しくは説明していないけれど、大学を卒業したときに就職せずバイトを続けることを告げたときに、事情があることを話していたのだ。


「はい、できるだけ早くお願いします!」


もう一度頭を下げ、仕事に入った。


これで一歩進めたのかどうかはわからない。けれど一歩踏み出すための足は上げられたと思う。カナさん、来週8月が終わるよ。言わせてよ、オレに。オレの彼女になってくださいって。


ただひとつ確実なのは、31日の23時59分を過ぎるまではオレが何を言ったとしても、きっと彼女は本気にしてくれないということ。それも契約のうちでしょ、なんて言うに決まってる。だから約束の時が過ぎるまでは何も言わない。オレたちの上から「仮」の字がとれるまでは、この想いはしまっておくことにする。

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