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いったい何の拷問かと思った。ハンドルを切り損ねることなく、無事にホテルまでたどり着いた俺をほめてやりたい。
楽しみにしていたはずのドライブ旅行なのに、朝からなんだかカナさんは上の空だった。車酔いでもしたかと聞けば、違うという。ひょっとして…以前、「カップルが一線を越えるのは旅行が定番」なんて言ってたから、それを思って緊張してる?
そんなの。俺はカナさんが求めてくれるまで、いつまでだって待つつもりなんだから、心配ないよ? …って、早めに伝えて安心させてあげたほうがいいかなあ。けど「そんなこと考えてないよ!」と引かれてもヤだしな。
そんなことを考えていたところへの爆弾発言投下だった。
「わたし、ほんとは今日ソウタくんに抱いてほしかった」
…ちょ、カナさん!? 何を言い出すの!
話を整理すれば、要するに。生理中だから今夜はできないけど、ほんとはもう俺に抱かれたいって思ってる、ってことで。ちょ、ほんとにもー何の拷問! あのね、いつまでだって待つつもりだったよ? けどそれが、心はオッケーです。あとは体の準備が整い次第です。なんてカウントダウンされたらさあ! そのほうがガマンがつらいよ…。
「こんな話、部屋に着いてからすればよかった」
それって、今二人きりの空間に移動したいって意味だよね? 助手席のカナさんから、触りたい、触られたい、抱きたい、抱かれたい、という愁波がビシビシと飛んでくる。いつの間に、いつの間にそんなカナさん!
ほんと、無事にホテルまで到着した自分を今日はねぎらってやろう…。
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着いたのは、海岸沿いにある少し贅沢めのリゾートホテル。ふだんあまり金を使わない分、旅先ではケチらない!というのが信条のカナさんの、たっての希望だ。予算を気にしたくないから、と、はじめは俺の分も出すと言ってくれたけれど、断った。それくらい、ひねり出せば、なんとか。
滅多にお目にかからないフレンチを食べ、珍しくカナさんもアルコールを飲む。ほんのり赤く染まったカナさんを連れて砂浜を歩けば、満天の星。砂に足をとられて歩きづらそうなカナさんが、俺の腕をつかむ。そのまますべらせて、手をつないだ。
──だからどいつもこいつもよってたかって! グルか。何の陰謀だ。俺に何させようってんだ! 花火をするグループや家族連れが多かったのが幸いだ。人気がなかったらヤバかった。
そんな、至福と苦行の境界線上を危なっかしく歩きながら、部屋に戻った。
「俺、風呂行ってくるけど。カナさんは…って、そっか」
「うん、部屋のを使うよ。ゆっくりしてきて」
湯上がりのカナさんが、部屋で待ってる。そんな姿はカナさんちで何度も見てるじゃんか。なんで俺こんなに興奮してんだろ。落ち着け、俺。風呂上がり、意味もなくロビーで新聞なんかを読んで時間をつぶし──そして気持ちを落ち着けて、部屋に戻る。ぱぱん、と頬を叩いてから部屋に入ると、カナさんはベッドの上で丸まって寝ていた。
一気に肩の力が抜ける。あのまま寝てしまったんだろう、カナさんの服装はさっきと変わっていない。その寝顔を見ながら、買ってきた缶ビールを飲む……ウマい!
「いま何時…?」
カナさんがモソモソしだした。
「もうすぐ23時」
「そんなに寝ちゃったんだー…お風呂、入んなきゃ…」
言ったそばから静かになる。二度寝か! 起こしてあげたほうがよいのか、寝かせておいてあげたほうがよいのか。うーんわからん。
「カナさーん?」
そっと呼びかけると、ムニャムニャ言いながら身を起こす。まだボーっとしているみたいだ。焦点もなんだか定まっていない。
「…明日の朝でもいいかなあ。もうめんどくさい…」
「風呂? 別にいいんじゃねえの。そんなフラフラで風呂場行かれても心配だし」
「んー…ダメだ…顔洗わなきゃ…化粧だけは落とさなきゃ…」
あれ? 会話じゃなくて独り言だった? カナさんはベッドにぺたりと座ったまま、ボケーッと起動中。俺はじわりとそばに寄ってみる。
「頭、覚ましてあげようか?」
至近距離で覗き込む。彼女の顔にそっと手を添えようとした瞬間、
「お風呂っ! 入ってくる!」
俺の脇をすり抜けて、バタバタと風呂場に駆けこまれてしまった。早まった…。
そして小一時間後。ガチャリとドアの開く音がし、カナさんがこちらに声をかけて来た。
「ソウタくん? 寝ちゃった…?」
ベッドに横たわり、腹の上で手を組んでいる俺。眠れる森の美女か白雪姫かっつうこのポーズは明らかに寝たふりもいいとこだ。けれどカナさんは何も言わず、そっと明かりを小さくしてくれた。
しばらくガサガサとカナさんが荷物を片付ける音がしていたが、それが止むと、隣りのベッドがギシリと鳴った。
あー、ツインでよかった。それしか空いてなかったからだけど、心底、ダブルじゃなくてよかった。やれやれ、なんとか眠れるかな。なんてことを考えていたら、予想外の近さでカナさんの声がした。そして。
「ソウタくん…おやすみなさい」
「──!」
唇に、ほんの一瞬やわらかな感触。離れていくそれを逃すまいと、とっさに彼女の後頭部に手をかける。目を開けると、驚き慌てるカナさんの顔。
「起きてたの…!? あの、勝手なことして、ごめ……」
謝ってなんてほしくない。彼女の言葉を遮って、今度は俺からキスをする。深くはしない、触れるだけ。そのかわり、少し長めにゆっくり3つ数えて離す。彼女の瞳が揺れている。あー、もう一回。……うん、もうひと声。ヤバい、止まんねえ。
結局、五回ほど唇を重ねたところで俺は初めて2人の体勢を思い出した。俺はベッドで寝ている。カナさんは、それを上から覗き込んでいる。てことは。慌てて半身を起こすと、カナさんはフローリングの床に膝立ちになっていた。
「ごめん! カナさん、体勢キツくない?」
「膝が、ちょっと痛くなって来たかな」
ベッド上を後退し、スペースを作ると、どうぞどうぞと招く。カナさんは一瞬間を置いてから、「あ、じゃあ、おじゃましマス」とベッドに上がってきた。
少しも待たずに抱きしめる。右手はカナさんの腰、左手はカナさんの後頭部。抱き枕のようにギュッと抱きしめた。あー、サイコー! だけどサイアク!!
「俺今すっげえ迷ってんだけど」
「…何?」
「このままガマンして寝るか、行けるところまで行っちゃってもっとツラくなるか」
俺の胸におでこを預けていたカナさんが、もそもそと動いて顔を上げた。そして小悪魔のささやき。
「どっちみちガマンしなきゃいけないならさ。…やりたいこと、しよう?」
カナさんの唇が、ぱくりと俺の下唇をくわえた。
……させるか!
大胆な行動に一瞬呆然とさせられたが、慌てて主導権を奪い返す。反対にカナさんの下唇をとらえ、丹念になめあげた。カナさんの手が、俺のシャツの胸元をくしゃりと掴む。吐息が、なまめかしく変わる。
これ以上進めばツラくなるのはわかっているのに、止められなかった。しばらく交わし合っていた唇と舌を離し、荒い息を整える。体はとっくに変化していた。どうやって鎮めよう、これ。
「…ふっ」
え?
「くっ…ふふ、あっははは!」
なになになに!?
「なんか面白いことあった?」
突然笑い出したカナさんは心底おかしそうに、
「だって、体がツラくなるのわかってんのに止められないんだもん。わたしたちバカだなあって」
「…カナさんも、体、ツラいの?」
「ツラい、よ…」
ホントだ。バカだ、俺たち。体に火をつけたって消火する術はないのに。ただただくすぶる体を抱えて眠るしかないのに。けど止められなかったんだ。
「ホント、バカだな」
一緒になって笑い、彼女をギュッと抱きしめる。
「Mだね」
言いながら、カナさんが自分の足を俺の太ももに絡めてきた。
「…それはSだろ」
「甘えてるだけです」
なんてかわいいことを言って、おでこをすりすりしてくる。やっぱSだ!
「ぎゃっ」
たまらなくなって、カナさんを抱きしめたまま寝返りを打ち、仰向けになった。つまり、彼女は今、俺の上。
「お、重くない?」
「重みを感じたいの」
そ、そうなんだ、と言って彼女は俺の上でしばらくモジモジしていたけれど、やっぱり落ち着かないというので再びごろりと寝返りを打った。もちろん、抱きしめたまま。すると彼女は、もそもそと動いて俺の首に腕を回した。相変わらず足も絡めてくる。
「抱き枕みたい」
「俺の抱き枕はやわらかくて気持ちいいけど?」
「わたしの抱き枕は、うーん……官能的でありながら安心感を与える2WAY機能です」
「ぷはっ」
じゃれあい、笑い転げる。こんなの初めてだ。だって、女とベッドにいてするコトなんて、ねえ? 限られてるじゃないですか! それが、ただくっついて笑い合ってるだけでこんなに楽しいなんて。
今日カナさんが生理でいてくれて本当によかった。でなければ今日は絶対シテしまっていた。けど、カナさん? 俺決めたよ。カナさんと本当の恋人同士になれてから、カナさんを抱く。大切に、大切に。それまでは、これ以上しない。
「カナさん」
「ん?」
「すっげえ好き」
「わたしも…」
「わたしも、なに?」
「っ……すっげえ、好き」
抱きしめても抱きしめても足りない。力加減がわからないほど、好きで好きでたまらない。
昼間、カナさんは「8月が半分終わってしまった」とつぶやいていた。俺たちの“恋人契約”は、あと半月。それは俺にとっては少し意味が違っていて。
本心からの告白をカナさんにできる日。そこへ向かうカウントダウンなのだった。