13☆
夏休みを取った。土曜日から水曜日までの5連休。ソウタくんとの旅行は、多少なりとも混雑を避けて月火の一泊にした。
ソウタくんは、バイトのシフトが決まっちゃったあとだったらしく、2日間の休みをもぎ取るためにいろんな人とシフトチェンジをして、前日までびっしり働いていた。今までみんなの尻拭ってやってたから、交渉はカンタンだったよ、なんて笑いながら。
ソウタくんのいない土日の2日間を、わたしはぐったりと寝込んで過ごした。旅行には支障がないと思ったから、ソウタくんには言わなかったのだけど。こんなことなら言ってしまえばよかった。さらりと。ああもう、伝えるタイミングがつかめない。
ソウタくんが運転するレンタカーの助手席で、わたしは朝からずっと悶えていた。何にって。つまり、そのー…何のことはない、生理中なのであります。わたしの場合、辛いのははじめの2日程度だけなので、この旅行にはほんとに何の支障もないのだけど。
もし。もしも、だよ? 今夜そういう雰囲気になったとしてだよ? 寸前にそんな理由で断ったりしたら、わたしが関係を拒んでいると思ってしまうんじゃないかしら。かといって、会うなり告げても“それ”前提みたいで、勘違いすんなとか思われたらもういたたまれないし。
「カナさん」
そう。彼に抱きしめられてから、わたしはもっともっと、その温もりが欲しくなってしまったのだ。キスしたい。抱かれたい。わたしにだって性欲はある。それに何より、もしもこの先一生男ができなかったらあの人が最後ってことになってしまう! やだ! ぜったいやだ!!
…けど、ソウタくんにそれを求めるのは悪いことかしら。それも含めての契約だって最初に言ってたし、そういうのできちゃいそうなタイプだとは思うけど。期間限定の恋人とカラダの関係って背徳の香り。何を今さら! えーんだって良心が〜。良心? 良心と性欲が闘ったらどっちが勝つのさ! そ、それは当然…いやあるいはひょっとすると…。
「カナさん? 酔った?」
「え、えっ?」
「なんか静かだから。平気?」
慌てて思考を振り払う。いかんいかん。
「ありがとう、大丈夫」
「カナさん、車酔いするほう?」
「車の種類と運転によるかな」
なにそのプレッシャー、とソウタくんが苦笑する。
「ソウタくんの運転は心地いいよ。性格が出るのかね」
「…俺、乗り心地いい?」
「? うん」
「…エロ」
バッカじゃないの!? ほんとにバカじゃないの? 毒づきながらも、ちらりと横顔を盗み見る。免許を持っていないわたしは、車の運転ができる人をそれだけで尊敬してしまうのだけど。それが好きな人なら尚更だ。3割増くらいにカッコよく見えてしまう。
「…さっきから俺見てる?」
ソウタくんが前を見たままわたしに聞いてくる。「カナさんは俺が好きなんだよ」と、わたしに教えてくれた彼。本気でわたしを好きだと囁いてくれる彼。
「うん。運転する姿がカッコよくて、うっとりしてた」
「……俺、いまカナさんの命預かってんだからね?」
「うん?」
「そういう、ハンドルさばきを誤りかねないようなことを運転中に言わないでください」
照れてらぁ。ふふふ。じゃあ、車を停めてから言うね。わたしも好きだって。彼に指摘されてみれば、ストンと腑に落ちる。そうだ、わたしはソウタくんが好きなんだ。カラダの触れ合いを求めるほどに。
けど大丈夫。勘違いはしないよ。自分で言い出したことはちゃんと守る。あなたが囁いてくれる愛も、「本気だよ」って言葉も、期限つきのもの。ちゃんとわきまえてる。ぜんぶ今月いっぱいの──
「あ」
「ん?」
「8月って、半分過ぎちゃったんだ…」
「……」
ソウタくんは黙ってわたしの頭を撫でてくれた。片手はハンドルに残したまま…ってそれカッコよすぎです。
「ソウタくん、ハンドルしっかり持ってて」
「え?」
「わたし、ほんとは今日ソウタくんに抱いてほしかった」
一瞬、車がぐらりと蛇行する。
「ちょ、カナさん!」
声が怒っている。でもごめん、言わせて。
「けどね、今日はできないの。ダメなの。それは、あのー…不可抗力、なんだけど、わたしが拒んでると思われたらヤだなって。そうじゃなくって、わたしはもうソウタくんを求めてるんだってことを…どうやって伝えようかと…ずっと考えてた、の…何言ってんだろうわたし」
尻すぼみに声が小さくなっていく。どうかしてる。こんな話、困らせるだけだろうに。
「…1コずつ聞いてっていい?」
けれどソウタくんは、うなずいたわたしに落ち着いた声でこんなことを言った。
「それって、アレ…あの日ってことでしょ?」
「う、うん…」
「体調、だいじょうぶ? 車しんどくない?」
…ソウタくん! 真っ先の確認がわたしを気づかう言葉だなんて。
「ありがとう、大丈夫。しんどい時期はちょうど土日で終わったから、もう全然平気」
「よかった。無理しないでさ、休みたかったらすぐ言ってよ? 急ぐ旅じゃないんだからさ」
「うん…」
どうしよう。ますます好きになっちゃうよ。ますます触れたくなっちゃうよ。
「で、ふたつ目」
「はい」
「なに、朝からずっと俺とのセックスのこと考えてたの?」
「そっ」
その言い方はちょっと語弊が!! そりゃ間違ってはいないけどさあ。
「それで上の空だったんだ」
「上の空…だった?」
だった。と、断言されてしまう。くぅ…。こうなったら開き直ってやれ。
「大事なことだと思ったんだよ。わたしはつい、カラダの関係イコール愛情みたいに考えてしまうから」
「どういうこと?」
「体を求められて初めて、ああこの人わたしのこと好きなんだって安心できるというか。それがないと不安というか…だから反対に、体求められて断ったりしたら、わたしに気持ちが無いって思われちゃうのかなって…引いた?」
「出た、不幸思考」
不幸言うなっ!
「カナさん、それね。正解でも間違いでもない」
「どういうこと?」
今度はわたしが尋ねる。
「好きならそりゃあ抱きたいって思う。相手の体を求めるのは自然なことだよ? けどね、別に好きじゃなくても、体だけ求めることだってできちゃうから。だから、カラダの関係を愛情の物差しにしても、正しくは測れないよ」
そう…そうだよね。けどじゃあ、どうやったら安心できるんだろう。
「カナさん、それって一般論必要?」
「え?」
「そんなのケースバイケースなんだしさ。俺がカナさんに対してどう考えてるのか。それがあればよくない?」
「たしかに…そうだ」
過去の経験を、なんでもかんでも教訓にしようとするクセがあるけれど。そんなの、毎回同じことが当てはまるわけじゃない。たしかに今必要なのは、ソウタくんがどう考えているか、だ。
「俺がカナさんを抱きたいって思うのも、それをガマンしてるのも、どっちもカナさんが好きだからだよ」
「…ソウタくん」
「なに?」
「運転中にする話じゃなかったね。ごめん」
え、なに急に、打ち切り?なんてソウタくんが困っている。違うの。
「部屋に着いてからすればよかった…」
「…どうして?」
だって。今すぐ抱きつきたい! そんなわたしの欲情を無言から読み取ったのか、いや運転中でよかったよ、と彼は言った。
「これがホテルの部屋だったら、俺きっとガマンなんてできないもん」
「……」
渋滞じゃなくてよかった。流れる景色で気を紛らすことができたから。頬の火照りを抑えて、当たり障りのない会話に戻すまでに、わたしたちは少しだけ時間を要したのだった。




