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パーティー用のドレスとメイクで超絶キレイなカナさんと別れ、仕事に戻る。スッピンにメガネもかわいいけど、あんなふうにもなれるんだ。知らずににやける俺の耳に、飛び込んできたセリフ。
「ねえ、カナに会った?」
視線を上げると、女性が2人で周囲をはばかるように話していた。1人は幹事の女性だ。グラスを下げるふりをして、聞き耳を立ててしまう。
「会った。…どう思う? ふっ切れたと思う?」
「まだ引きずってんじゃないかなあ」
「だよね…今日あいつ来るんでしょ?」
「新郎と仲良いからね。ほんと、カナと会わせたくない」
まさか、元カレ?
「会ったらまた、やっぱり好きとか言いそうだよね、カナ」
「あの男もさあ、俺たち友だちだから、とか言ってフツーに話しかけるんだよね。ほんとムカつく」
やっぱり。どの男だろう。カナさんをあんなに臆病にさせたのは。
「カナもいい加減、やめりゃいいのに」
「あーもう、誰かさ、嘘でもいいからカナの彼氏のフリさせようよ。あいつがもうカナにちょっかい出せないように」
「ええ? だって今日いるの全員知り合いだよ? それに、カナとあいつのいきさつだってバラせないじゃん」
なんだかわからないけど。元カレを阻止しようということなら大賛成だ。俺は迷わず声をかけた。
「よろしければ、私がしましょうか? その役」
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意気揚々と店を横切り、カナさんの元へ行く。女友達の公認ほど心強いものはない。教えられた相手の男は、ちょうどカナさんに声をかけているところだった。後ろから近づいたので、カナさんの表情はわからない。
「カナさん」
振り向いたカナさんは、驚いた顔。ソウタくん、とつぶやくと、元カレの顔色をうかがうように目を泳がせはじめる。
「さっき言い忘れたことがあったからさ。…失礼します」
元カレに会釈をし、カナさんの耳元に口を寄せる。もちろん、相手の男にも聞こえるように。
「このあと二次会とか行くなら、連絡ちょうだい。俺、先に家に帰ってるから」
「えっ、あっ」
カナさんが困っている。
「ああ、原田、彼氏できたんだ」
「えっ」
「ちょっと、残念かな。なんてね」
「あ…」
あっさりと友人の輪に戻っていく男性を、何も言えずに見送るカナさん。
「どうして…」
「どうして?」
俺のほうが聞きたいよ。どうして、「どうして」なんて聞くの? どうして、そんなに切なそうな顔をするの?
「カナ、ミキと写真撮ろう」
打ち合わせ通り、カナさんの女友達がカナさんを連れて行く。カナさんはぎこちない笑みでそれに応え、俺には何も言わずに背中を向けた。
幹事の女性、ユウコさんのところへ戻ると、「グッジョブ!」と出迎えられた。
「あれでよかったんでしょうか…」
「いいの。カナには荒療治だけど、そうでもしなきゃ、あの子またずるずる引きずるから」
カナさんは、そんなにも未練を? あの男に?
「あのー…元カレさんとどんないきさつがあったのか、聞いてもいいですか?」
「元カレじゃないですよ。あんなのつきあってたうちに入らないもの」
えっ…! だって。だってカナさんは。
「どういうことです?」
ユウコさんは、会話が人の耳に入らない場所に移り、こんな話をしてくれた。
カナはね、大学生のときから村上が好きだったの。もうずっと片思い。あいつは色んな彼女とくっついたり離れたりしてたから、諦めるのも告白するのもタイミングを逃しちゃったんだろうね。
けど何年か前から、うちらの同級生の子…アヤっていうんだけど、村上はアヤとつきあうようになって。けっこう長く続いてたもんだから、あれはもう結婚するだろうねって仲間内で話してたの。カナもさすがに「諦めなきゃね」って言ってた。
それが、今年の春ぐらいかな。村上とアヤがどうやらケンカして距離を置いたらしいのね──ここから先は口止めされてるから、わたしとさっきの子しか知らないんだけど。で、そのときに村上がカナを誘ってさ、そのまま寝ちゃったんだよね。カナにしてみたら、ずっと好きだった相手なわけだから拒んだりなんてできないでしょ? それで、村上も味をしめてしばらくカナの家に通ってたみたい。
カナは、さ。そういうふうに体の関係を持つのって、好きじゃなきゃできないって考えるタイプだから、村上に想いが通じたんだと思っちゃったんだよね。村上は別に、カナのことが好きだともつきあおうとも言ってないし、そもそもアヤと別れたとも言ってないのにね。
カナは、アヤに申し訳ないって最初は悩んだみたいだけど、自分もずっと好きだったわけだから、やっぱりうれしいって。それを認めることにするよって、言ってたんだけどね。何のことはない、村上はアヤとヨリを戻して、カナには「やっぱり友だちに戻ろう」のひとことで終わり。
「…なんスか、それ」
「ひどい話でしょ。端から見れば、彼女とのケンカ中にちょっと手出しただけってわかるんだけど、カナは本気にしちゃったからさ。別れた理由もわからないし、よっぽど自分に非があったんじゃないかって落ち込んでさ」
「そんなの、カナさんひとつも悪くないじゃないですか!」
「ありがと。けどさ、アヤとはどうなってるの?どういうつもりでわたしのところに来るの?って、聞けなかったカナも、やっぱりよくなかったよね…」
「そんな…」
「カナったらさ、うかれてぺらぺらしゃべっちゃったけど、アヤに知られたくないから村上くんとのことは内緒にして、なんて言うの。だから二人が寝たことは、わたしとさっきの子しか知らないんだ」
お兄さんも知らないことにしてね、と笑うユウコさんに、俺は笑みを返すことができない。なんだよ、それ。彼氏にふられて傷ついてんならわかる。なんだよ、遊び相手にされたのに気づかないで、相手の気まぐれを自分の非だと思ってるって。そんな理由で怖がってんのかよ。
「村上もねー…友だちだって言うなら、カナがそういうタイプの女じゃないってわかってもいいのにね」
そうだよ。そんなの俺だってわかるっつうの。
「カナも、早く村上を忘れるくらい誰かを好きになってくれるといいんだけどね」
「俺、立候補しますよ?」
もちろん冗談めかして、けれど本気で言う。しかしユウコさんは、笑顔で首を振って。
「ありがとう。お兄さんみたいな人にカナを大事にしてあげてほしいんだけどね。お兄さんではダメだと思う」
「…どうしてです?」
ユウコさんの答えは、バッサリと俺を切った。
だってお兄さん、村上と感じが似てるんだもの。
自分でも意外なほどに打ちのめされた。そのあとの仕事でも、カナさんの家に向かう道でも、ユウコさんの言葉が頭の中でぐるぐる回る。
──似て、ますか、俺。
──薄暗いとこで見てるからかな。顔立ちが、学生の頃の村上に少しね。だからカナも、初対面のお兄さんに声かけられても警戒しなかったでしょう?
それは、俺たちが、もともと知り合いだったからで……あ。
初めて俺が声をかけた夜、警戒もせずに「恋人になって」なんて言ってきたカナさん。あれは、俺が、村上って男に似てたから……?
カナさん、カナさん。俺、あいつのかわりだったの?
ドアを開けてくれたカナさんは、少し赤い目をしていて。泣いたあとだってことに気づいた俺は、カッとして──その夜のモヤモヤを彼女にぶつけてしまった。
俺が怒る筋合いなんて、少しもないのに。