第33話 転機
クレス鉱山の山道へと向かって、夜の闇を敗走するエルム・クロウ率いる帝国部隊。
行軍の列の中、セレスの白銀の刃に深く貫かれたマクシミリアンは、落馬を防ぐために親衛隊の騎兵の身体へと布で頑丈にくくりつけられ、辛うじて意識を保ちながら馬に同乗していた。
揺れる馬上で、マクシミリアンは苦痛に顔を歪めながらも、ぽつりと呟いた。
「――セレスティーヌを、討てなかったな……」
「……私のせいよ。ごめんなさい、マクシミリアン」
手綱を片手で握るエルム・クロウの声は、いつもの冷徹さが嘘のように沈んでいた。
あの戦場で、突如響いたミリアの叫び。それに動揺し、一瞬だけ剣を止めてしまった己の弱さ。なんと愚かなのだと、激しい後悔が彼女の胸を抉る。マクシミリアンがこれほどの重傷を負う羽目になったのも、すべては自分のその「甘さ」が原因ではないか。
そんな彼女の痛烈な罪悪感を察したのか、マクシミリアンは血の混じった息を吐き、笑ってみせた。
「ま……色々とあるさ。それよりも……」
マクシミリアンは遠のく意識を繋ぎ止めるように、あえて言葉を続ける。
「エレノア、っていう名前だったんだな。――いい名前じゃないか」
「……もう、捨てた名前よ」
彼女は頑なに、前を向いたまま突き放すように応じた。
「ふん、そういうことにしておいてやるよ。……くよくよしていても、始まらねえ。今回はしくじったが、次こそはあの『銀光のセレスティーヌ』を完璧に討ち取ろうぜ。そしたら今回のことはチャラにしておいてやるよ」
「……」
マクシミリアンの不器用で、どこまでも温かい言葉に、エレノアはそれ以上の反論を飲み込んだ。
ローゼンベルク王国を捨て、すでに同胞たちを大勢屠っている。いまさら後には戻れない。
再び失った左腕を片目で見つめ、彼女は再び『知恵の黒烏』としての仮面を深く被り直すことを決意する。
◇
セレスティーヌ軍本陣の南の森林。
補給物資の馬車にまんまと放火を成功させた男たちのうちの一人が、下卑た笑みを浮かべてバス・ドゥへと話しかけた。
「へへ、旦那――見事なもんでしょう。……さあ、約束通り残りの報酬を頂きますぜ」
そんな男の物言いに、バス・ドゥは心底から呆れたように深くため息をついた。
「――この手の連中というのは、想像力というものが本当にないのだな。私ならば、前金を受け取った時点で、とっととこの戦場から逃げ出していたがね」
「あ? なんだと、てめ──」
男が言いかけるよりも早く、バス・ドゥの手が動いた。
抜かれた剣が、目の前にいた放火魔の首を容赦なく撥ね飛ばす。
残された二人の男は、信じられぬものを見たように大きく目を見開いて驚愕した。
「「あっ……!?」」
「てめぇ、何しやがるッ!!」
激昂した一人が懐から短刀を引き抜こうとしたが、遅すぎた。
バス・ドゥは彼らと言葉を交わすことすら面倒くさそうに、流れるような無駄のない太刀筋で、残る二人をも一瞬にして切り殺した。
ドサリ、と物言わぬ死体へと変わった三人の放火魔。
バス・ドゥは返り血を拭うと、死体を見下ろして低く呟いた。
「さて。……そろそろ本陣に戻るとするか。勲功記録騎士としての仕事が待っている」
◇
エミールが本陣の天幕へと戻ってきた。
「叔父さん、なんとか火は収まってきました。馬車の荷台はかなりの数が燃えてしまいましたが、物資はなんとか避難させて……」
セレスが縋るように、焦燥を隠せず問いかける。
「ありがとう、エミール。……それで、物資はどれくらい無事なの?」
エミールは悔しそうに拳を握り、声を落とした。
「それが、六割は燃えたかと……」
「――思いのほか被害が大きいな」
「……すみません」
うつむく少年副官の肩を、ミリアが優しく叩いた。
「エミールはよくやったわ。自分を責めないで」
物資六割の喪失はカイルに一つの決断を下した。
(色々、予防線を貼ったが、もはや長期戦は無理だな)
カイルは小さく息を吐き、静かに首を振った。
「うむ。エミールは責められん。やはり帝国の夜襲のせいで、全軍が消火に集中することができなかったからな。……ところで、あの辛気臭い男はどこへ行ったんだ?」
カイルがふと周囲を見回して問いかけると、ミリアが思い出したように答えた。
「ああ、バス・ドゥなら、今朝、カイルたちの大芝居の後に『他の勲功記録騎士と話がある』と言って、陣から離れていったわよ」
「……なるほど。こちらは大変だったというのに、お気楽なもんだな」
そう皮肉を口にするカイルの言葉に、ミリアは苦笑を返す。
だが、カイルの瞳の奥は一切笑っていなかった。カイルは周囲を見渡すと、とある兵士に目を留め、ふらりと声をかけた。
「――そこの柄の悪そうな君、ちょっといいかな?」
声をかけられた兵士は一瞬驚いたように瞬きをしたが、すぐに肩をすくめた。
「は。私のことですか? しかし『柄が悪そう』とは、なかなかに酷い言いようですな、ヴァルデン卿」
「すまん、すまん。この戦いが終わったら、美味い酒でも奢らせてくれ。――名前は?」
「ハンス・クノールと申します」
「ハンスか。……よし、お前にちょっと頼みたい仕事があるんだ。エミールもいいか?」
カイルはハンスの肩を抱くようにして、周囲に聞こえない低い声で密かな命令を授け始めた。
◇
天幕の外。焚火を囲う、セレスとミリア。
「ミリア。……あのエレノアっていう敵の士官。元は王国の人なのね」
「……はい」
ミリアは痛みを堪えるように、短く、掠れた声で応じる。
セレスはそんな彼女の手を優しく包み込むように握り、穏やかに微笑んだ。
「ミリア。今は無理に話さなくていいわ。いずれカイルやフェリックスたちと相談して、いつか話したくなったら、その時に話してね」
主君の、海よりも深い慈悲。ミリアは目頭が熱くなるのを堪え、深く頭を下げた。
「――ありがとうございます、セレス様」
しばらくすると、何食わぬ顔をしたバス・ドゥが本陣の付近へと戻ってきた。
だが、宿営地に足を踏み入れた瞬間、彼の目は驚愕に丸くなった。そこには、慌ただしく死体の埋葬作業をしている兵士たちの姿があったのだ。さらに地面には、泥と血に塗れた帝国の兜がいくつも転がっている。
(まさか……帝国の夜襲があったというのか……!? くそ、これではセレスティーヌの部下による『火の不始末』ではなく、『帝国軍の奇襲による延火』だと言い訳が立つ状況になってしまうか……だが、兵糧物資を守れなかった失態としての責任追及は、まだ不可能ではないな)
バス・ドゥはすぐに頭を切り替え、さらに周囲の兵士の数が少ないことに気が付いた。
夜間であるし宿営地全体を見渡したわけではない。だが、あの目立つ『紅い鎧』をまとった紅蓮騎士団の姿が、一人も見当たらないのだ。
(――なるほど。これは補給物資を喪失しただけでなく、上層部への明確な命令無視、独断専行の軍令違反という罪状まで追加されたな……)
バス・ドゥはセレスやカイルを追及するため、本陣の天幕へと足を踏み入れた。
入ってくるやいなや、彼はここぞとばかりに、自信たっぷりな口調で問い詰める。
「――セレスティーヌ卿。ヴァルデン卿。……これは一体、どういうことですかな?」
だが、対面したセレスは慌てる風もなく答えた。
「はい? ――何がでしょう?」
「な……っ!?」
必死になって慌てた言い訳でも並べるかと思いきや、あまりにも予想外すぎる拍子抜けな返答に、バス・ドゥの顔が苛立ちに引きつった。
「何がとはなんです! 敵の夜襲を許して貴重な補給物資を焼かれ、あろうことか紅蓮騎士団とアルクリーズ兵の一部、そしてそれぞれの指揮官の姿が陣に見当たらないではないですか! ――まさかヴァルデン卿、総大将であるセレスティーヌ卿は、前線への独断出兵の許可でも出したと仰るつもりですかな!?」
捲し立てるバス・ドゥに対し、カイルは長卓に頬杖をついたまま、心底どうでもよさそうに言葉を返した。
「あー……その、火事のことなんだがな。さっき、その放火犯を捕まえたところだ。どうやら、どこかの誰かに報酬目的で頼まれて、物資に火をつけたらしい」
「は……っ!?」
バス・ドゥの思考が一瞬で凍りついた。
(馬鹿な……! あいつら三人以外にも、まだ仲間がいたというのか……!? くそ、迂闊だった、完全に口封じを仕損じたか……!)
バス・ドゥは心臓を激しく脈打たせながらも、必死に平然を装い、喉の渇きを堪えて問いかけた。
「……そ、それで。その捕らえた賊は、何か具体的なことを吐きましたか?」
「いや。取り押さえたときに、うちの兵が少しばかり首を締め上げすぎてね。今は気絶して別のテントの奥に縛り付けている。まあ、目が覚めたら洗いざらいすべてを吐き出してもらうさ。――何しろ、我が軍のミリアの拷問に耐えきれた奴は、ただの一人も存在しないからな」
「な……っ!?」
突然名前を出されたミリアは、一瞬だけ目を見開いて硬直した。
(カイルめ……! あとで絶対に覚えてなさい!)
ミリアは内心で歯噛みしながらも、今は軍師の意図に従い、冷酷な尋問官の笑みを浮かべるしかなかった。
「――なるほど。どこの手のものか非常に気になりますな。正体が判明したら、ぜひ私にも教えてください」
これ以上の追及は藪蛇になると察したのか、バス・ドゥは話を切り上げ、天幕を出ていこうとする。
「あー、あと前線への援軍の件なんだが……」
カイルが引き留めるように声をかけるが、バス・ドゥはそれを手で制した。
「いえ、皆さん帝国の夜襲でお疲れでしょう。詳細はまた明日にでも伺います」
「そうか。それは助かる」
去っていく男の後ろ姿を見送りながら、カイルは状況を整理した。
帝国軍の夜襲部隊があのような形で撤退したからには、今夜のうちに二度目の夜襲が仕掛けられる可能性は極めて低い。
カイルは最低限の歩哨だけを残し、残る全ての兵士に対し、明日に備えて睡眠をとるように号令を下した。
◇
本陣の天幕を離れたバス・ドゥは、捕らえられたという放火犯を始末する方法を考えていた。
(武器で殺すのはまずいな。暗殺の痕跡が残る。……やるなら毒にするか。この手の裏稼業で捕まった連中が、口の中に毒袋を仕込んで絶命するケースは少なくない。自害したと見せかけることができる)
バス・ドゥは懐の暗殺道具を確かめると、放火犯が縛られているという隔離テントへと音もなく向かった。見張りを任されている兵たちも、度重なる放火と敵襲の緊張から解放され、今は死んだように爆睡している。
(放火に敵襲、さすがに皆死んだように眠っているな)
勲功記録騎士は、王太子の汚れ仕事をこなすために、密偵、潜入、刺客としての訓練を一通り叩き込まれている。バス・ドゥは幽霊のように滑らかな足取りでテントの中へと侵入した。
暗がりの中、上半身裸にされた柄の悪そうな男が、太い木柱に頑丈な縄で縛り付けられているのが見えた。
(手間をかけさせやがって)
バス・ドゥは音もなく男に歩み寄ると、その顎を乱暴に掴んで、無理やり口を大きく開けさせた。
「う……うぅ」
(声も出ないか、好都合だな。そのままこれを飲み込め)
ポケットから紙に包まれた一服の劇薬を取り出した、まさにその瞬間。
「――どりゃーーーっ!!」
柱に縛られていたはずの男が、もの凄い怪力でバス・ドゥの胸元を両手で激しく突き飛ばした。
不意を突かれたバス・ドゥは、体勢を崩して地面へと無様に尻もちをつく。
「な……っ!?」
驚愕に目を見開いたバス・ドゥが立ち上がろうとしたその刹那、テントの死角から影のように人影が現れた。背後から首元へ、鈍く光る二本の剣が容赦なく交差して突きつけられる。
「はい。残念」
微笑むエミールが、バス・ドゥの動きを完璧に封じ込めた。
「状況証拠から見て、放火の首謀者は君だと思うんだが、何か弁明はあるかね?」
カイルが静かに問いかけるが、バス・ドゥは口を閉ざしたまま何も答えない
「認めると受け取っていいな?」
追い詰めるようなカイルの視線に、男はただ短く応じた。
「自分の仕事をしただけだ」
その言葉を聞いた瞬間、セレスの中で何かが弾けた。彼女にしては珍しく、激しい怒りに燃え上がっていた。
「――この王国の危機において、皆で協力しなくてはならないときに……! 味方の貴重な補給物資を焼いて足を引っ張るなんて、私にはどうしても意味が分かりません! 貴方たちは、この国を救う気がないのですか!!」
突きつけられたセレスの正義の怒りに対し、バス・ドゥは縛り上げられながらも、冷酷に唇を歪めて言い放った。
「……それは俺たちの仕事ではない」
「なッ……!?」
あまりにも身勝手なその言葉に、セレスが言葉を失う。
カイルはセレスの前に進み出ると、呆れたように首を振った。
「セレス、放っておけ。――エミール、たぶんないとは思うが、一応こいつの口の中に本物の毒袋が仕込まれてないかチェックしろ。問題がないようなら、そのままその柱に厳重に縛り付けておけ」
「了解、叔父さん」
エミールが手際よくバス・ドゥの身ぐるみを剥いでいく。
カイルは、縄を解いて伸びをしていた兵士の元へと歩み寄った。
「よくやってくれたな、ハンス」
「へへ、ヴァルデン卿。約束の美味しいお酒、期待してますよ」
笑っているハンスの手を取り、起き上がるのを手伝うカイル。
そして全員を見回して、力強く告げた。
「さて皆、朝まで本気で休んでくれ。――早朝、前線へ向かい、この国を救いに行くぞ!」




