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第22話 水都の愛執、貪欲の長卓

挿絵(By みてみん)


シャルル・フォン・ロシュフォール侯爵が治める領都ルミナリアは、様式美に縛られた王都とは対照的な都市だった。

網の目のように巡る水路は交易船で溢れ、伝統を重んじつつも、新しきものを柔軟に受け入れる風土は、ルミナリアを王国第二の拠点でありながら、今や人口において王都を凌駕するほどの大都市へと押し上げていた。


「皆。もうすぐルミナリアだぞ」

馬を並べるカイルが前方を指さす。


「川いっぱい!」

ルナが目を丸くして驚きの声を上げた。


「セレスは初めてか?」


「ええ」


セレスが頷くと、カイルは少し表情を引き締めて視線を送った。

「セレス、お前は歓声をもらえるような立場ではないのはわかってるよな? もしかしたら、王都を奪われた敗将として罵声が飛んでくるかもしれない」


「……わかっています」


「だが、マクシミリアンと公国軍を撃退した噂はすでに広まっていると聞いた。ベスティア領で大敗した主力部隊は何ら戦功をあげていないからな。……王都を奪われたお前の大失態と、これでトントンといったところだ」


「負け比べかよ」

フェリックスが横から呆れた声を出す。


「でだ、罵声を浴びない方法を一つ考えた」


「え?! 何か方法があるんですか?」


セレスが身を乗り出すと、カイルは真面目な顔のまま言い放った。


「俺と会う前のセレスは指揮官としてまったく駄目な奴だったが、唯一、俺も認めざるを得ない点がある」


「「それは?」」

セレスとエミールの声が重なる。


「その聖女将軍ヒルデガルドを彷彿とさせる、なんだかよくわからんが、やってくれそうな雰囲気だ」


「はぁ?」

ミリアが心底信じられないといった風に眉をひそめた。


「要はハッタリだ。ついさっき敵を蹴散らしてきた感を全力で出せ。下を向くなよ、胸を張れ」


カイルの助言が効いたのかはわからないが、実際にルミナリアの街へ入っても、セレスに罵声を浴びせる者はいなかった。

かと言って、道の両脇にずらりと整列して歓声をあげるわけでもない。聖騎士団見たさに集まり、手を振ったりする者もそれなりにいるが、いたって日常の光景だった。


「なんか、戦争中とは思えない雰囲気ね……」


ミリアが周囲を見渡しながら、ぽつりと呟いた。

国の中枢が占領され、主力軍が敗北したという戦時下にありながら、この街の空気は不思議と重苦しくない。

船乗りの怒号、市場の喧騒、そして戦争の特需を見込んだ商人たちの熱気が、絶望よりも先に街を支配している。


ここから先は中心部に入る。カイルが手際よく指示を飛ばした。


「ルーク、エミール。兵士たちは指定宿営地に連れていってくれ。ルナもエレフィン弓兵隊と一緒にな」


「俺も野営地へいくわー。あっちの会議は堅苦しくて足引っ張りたくねえしな」


フェリックスが長斧槍ハルバードを肩に担ぎ直しながら笑う。


こうして兵たちを預け、セレス、カイル、ミリアの3人はロシュフォール侯爵邸へと向かった。

王都を失ったアドリアン王太子を迎えたその場所は、いまや『ローゼンベルク王国臨時政庁』と呼ばれている。


侯爵邸は主の住居としてだけでなく、領地や街の膨大な政務を行う場所でもあった。いわば、ルミナリア宮廷である。重厚な門を潜り、馬を預けようとしたその時だった。


「カイル・ヴァルデン!」


背後から、鼓膜を震わせるような粗野な声が聞こえた。

振り返ると、そこには不機嫌そうに髭を震わせる男が立っていた。


カイルの元上官、ライネル・フォン・ベルガー将軍である。


身分こそ子爵だが、彼はルミナリアの主であるロシュフォール侯爵お抱えの将軍だった。


王国の軍団長には、メイルドック辺境伯のように自ら領地と軍を率いる宿将もいれば、ロシュフォール侯爵のように政治至上主義の大貴族が、自身の代わりにライネルのような男を戦場に派遣する場合もある。

権力者の絶対的な後ろ盾と、長い軍歴。それが、このライネルという男が軍政において爵位以上の発言権を持つ理由である。


「これはライネル将軍。お久しぶりです」


カイルが淡々と挨拶を返すと、ライネルは鼻を鳴らし、まずはカイルを上から下まで値踏みするように一瞥した。


「田舎に引っ込んでいればよいものを、わざわざ這い出てきたか。……相変わらず、身の程を知らん男だ」


吐き捨てるように言ったライネルは、そこでようやく、カイルの隣に立つセレスへと傲慢な視線を移した。


「セレスティーヌ卿。貴殿も、このような男を参謀においていては、色々とろくなことになりませんぞ」


「いえ、若輩者の私にとって、ヴァルデン卿にはとても助けられております」


セレスが動じることなく毅然と言い放つと、ライネルは面白くなさそうに顔をしかめた。


「ふん、例の口八丁で取り入りおったな」


男は不愉快そうに、激しい足音を立てて立ち去っていった。


直後、儀礼官が近づいてきて恭しく一礼する。


「セレスティーヌ卿、ヴァルデン卿。お時間です、特別会議室にお入りください」


促されて歩み出そうとした時、儀礼官がすっと一本の手を水平に差し出し、ミリアの行く手を遮った。


「――恐れながら、ルヴェール殿。これより先は、爵位を有する諸侯、あるいは軍団長格の者のみが立ち入りを許される場でございます。騎士の身分である貴女の入場は、いかに聖騎士団の副官といえど認められません」


丁寧ではあるが、冷酷に身分の違いを突きつける態度だった。


「ですが、ミリアは聖騎士団の大隊長も兼任しています! 今回の戦果についても――」


セレスが色をなして抗議しようとしたが、ミリアが静かにその肩に手を置いて遮った。

「セレス様、結構です。……私はここで、お二人の帰りを待っています」


ミリアは寂しげな、けれど凛とした微笑みを浮かべて一歩下がった。

父の夢を背負い、どれだけ戦場で泥臭く実績を積み上げようとも、超えられない血統の壁。その残酷な現実を、ミリアは誰よりも知っていた。


案内された重厚な扉を開け、セレスたちは会議室に入る。


(末席か……)


割り当てられた席の配置を見て、カイルは呟いた。もっとも、身分の低い者から先に入室して待つのが宮廷の礼儀である。

ランカスター公爵がいれば、こうはならなかったかもしれない。


しばらくすると、他の将軍や重臣たちが次々と入室し、席を埋めていく。


そして――。


「アドリアン・ローゼンベルク王太子殿下、ならびにシャルル・フォン・ロシュフォール侯爵閣下、ご入場!」


儀礼官の高らかな声と共に、部屋の最奥の扉が開いた。


ついに現れた次期王位継承者と、この街の主。


全員が音を立てて一斉に立ち上がり、王太子に対する最敬礼を捧げた。


王太子殿下が中央の豪華な上座へと腰を下ろし、ロシュフォール侯爵がその隣に控える。諸侯がそれに続いて席に着くと、広間には再び重苦しい沈黙が降りた。


アドリアン王太子は一同をゆっくりと見渡すと、透き通るような美しい声を響かせた。


「皆、よくぞ集まってくれた。王都ローゼリアを追われ、さらに直轄領のベスティアをも失うという未曾有の国難の中、こうして再起のために駆けつけてくれた其方たちの忠義、真に心強く思う」


芝居がかった仕草で胸に手を当てる王太子の姿は、相変わらず優雅そのものだった。


「特に、我が身を案じてこの地に潜み、次なる反撃のためにやいばを研ぎ澄ませ続けてくれた将兵らの労苦には、いくら感謝しても足りぬ。我がローゼンベルク王国が未だ不滅であるのは、其方たちの不屈の魂があるからだ」


アドリアン王太子は一度言葉を切り、長卓を囲む諸侯を広く見渡した。そして、一段と声を張り上げて両手を広げる。


「我が王国の誇り高き将星たちよ。今こそすべての力を結集し、失われた我が王都と、ベスティアの領を必ずや取り戻そうではないか! 勝利は我が正義の旗の下にある!」


「おおおおっ!」

王太子の熱烈な鼓舞に応じ、長卓を囲む諸侯たちから一斉に歓声が上がった。


隣に座るロシュフォール侯爵が静かに口を開いた。


「――殿下のお言葉、誠に心強く存じます。ただ、私からひとつ気になることが」


「言ってみよ、シャルル侯」


王太子に促され、侯爵は冷たい視線を長卓の最末席へと向けた。


「セレスティーヌ卿。失礼ながら、現在の貴殿に聖騎士団、および今回連れてきたアルクリーズ兵らを一手に指揮するだけの実力があるとは、到底思えない。まずはどこかの有力諸侯の軍団に入り、副官として経験を積むのが筋ではないのかな?」


侯爵の冷たい目には、「ランカスターの小娘め」という、かつて権力を競い合った宿敵の令嬢を見下す色が露骨に浮かんでいた。


その容赦のない言葉に、他の諸侯たちが一斉に同調し、不快な囁き声を漏らし始めた。


「確かにそうだ」

「ウィンドル平原での醜態や、王都をあっさりと失ったこれまでの敗戦をみれば、それも仕方のないことだ」


後ろ盾のないセレスを、ここぞとばかりに叩く声が響く。だが、それを見計らったようにアドリアン王太子が助け舟を出すように口を開いた。


「いや、皆も知っていると思うが、セレスティーヌ卿は辺境にて帝国の『疾風』を退け、さらにはヴァリシア公国軍をも壊滅させたのだぞ。私は、彼女には十分軍団長としての資格があると考えているが?」


王太子は甘い微笑みを浮かべてセレスを庇ってみせる。


「……なるほど、殿下がそこまで仰るのでしたら」


ロシュフォール侯爵は目を閉じて頷き、次なる本命の罠を切り出した。


「では殿下、これはどうでしょう。セレスティーヌ卿の資格を重んじ、彼女が率いる聖騎士団には、この領都ルミナリアの治安維持と防衛を担当してもらうというのは。隣のベスティア領を帝国に占領された以上、ここルミナリアの守りを強化しておいて損はございますまい」


「なるほど、それは名案だな」


アドリアン王太子は、待ってましたと言わんばかりに満足げに頷いた。


「であれば、シャルル侯。聖騎士団が街に留まる以上、彼らが連れてきたアルクリーズ兵四千と、ダミアン家の紅蓮騎士団一千については、前線で戦う他の諸侯の軍団で預かり、再編の戦力とするのが最も効率が良いかもしれぬな」


「さすが、王太子殿下でございます。実に見事なご差配です」


カイルはその様子を眺めながら、心底この茶番には付き合っていられないという、苦々しい顔を浮かべていた。


二人の完璧な連携の前に、軍事会議室の空気は完全にロシュフォール侯爵陣営の勝利で染まりつつあった。

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