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晃輔が車を置いて戻ってくるときには、晶湖は泣きはらした目をして珈琲(ミルクと砂糖入り)を飲んでいた。晃輔が戻ってくるのを見計らったように、淹れたての珈琲が晃輔のもとに運ばれてくる。
晃輔は一口飲んでホッと息をもらした。
やっと終わったという気持ちでいる。ただし、事の顛末を晶湖に話さなければならなかった。
そのためには、身も心も疲れている今日ではなく、後日改めて全てを話そうとしたが、晶湖は今日聞くと言って頑として譲らなかった。
「つまり、今回のことは全て中林先生がどこからか連れてきた?持ってきた?妖怪?みたいなものの仕業だったということですか?」
「まあ、そういう事になるね。信じられないかもしれないけれど…」
晃輔は苦笑いした。
中林は中国だか、どこだかしらないが、そこで怪しい行商から、好きな人を自分のものにするための御守を買った。中身も知らずに。片方は巴蛇の幼体で力を中途半端にしか発揮できず、もう片方はれっきとした成体の蟒蛇、たまたま、絹人の件で巴蛇がうまくいったから、信じてしまったんだろう。
後は、蟒蛇を使って櫻川さんの身も心も弱らせて、付け入る隙を狙っていた。ただし、誤算がいくつもあった。
まず、巴蛇はまだ生まれて間もなく魂のみを食べるという高度なことができなかったこと。そのため、のみこまれそうになった絹人は自分の魂を引い割いて晶湖を守ろうとした。そして、蟒蛇は逆に強すぎてそこらの普通の人間であればあっという間に締め殺されるか、飲み込まれてしまっていただろう。蟒蛇は酒が好きだ。晶湖が酒が強く眠れない間かなりの酒を飲んでいたのが幸いしたのかもしれないが、それでも危険な状態であったことは間違いないなかった。そこで絹人は蟒蛇と晶湖の間に晶湖を包み込むように入り込み、蟒蛇から文字通り魂を削って晶湖を護っていた。結果そこは中林の思い通りだったわけだ。
晶湖を初めてみたとき思ったのが、早くこの妖を引き離さなければ、だった。
何故普通に仕事に通えているのか不思議であった。
兄貴が自分のところによこしたのが遅いと感じるくらいであった。
それを可能にしていたのが魂が半分になった絹人だった。
どちらにしろ、朔さんの妖力を混ぜた薬を使い、少しの間、怯ませる事はできても、根本の術を解かねば解決にはならない。このまま無理に引き離そうとすれば晶湖ごと蟒蛇を引き裂いてしまう可能性があった。
術は何なのか、媒体は何なのかを知る必要があった。
「後はだいたい櫻川さんもご存知の内容だと思いますよ」
中林は自分と晶湖の邪魔をするものを許さない。
だから今度は美咲を狙った。そして一番仲のいい美咲がいなくなれば、更に孤立していけば自分を頼るしかないと。
しかし、高橋壮亮の存在が邪魔だった。御守も何故か効いている気がしないし、なんとなく近くによるのも嫌な雰囲気を醸し出していた。だから高橋壮亮の存在は無視することにした。
ところが、今度はその弟が出てきてしまった。
しかもあろうことか主治医として彼女を診察しているというではないか。
ましてや高橋兄は妻帯者だが、弟は独身だと聞いている。冗談ではない、ここまできてこれ以上邪魔されてなるものか。あの日高橋兄は彼女の受診日で、弟が迎えに来ると言っていた。
──ただ、誰かに見られるとね、あらぬ誤解を生むこともあるだろうし、あんまり人の来ない第2駐車場の奥で待ち合わせって言ってたっけかな?
彼女の目を覚させてあげなくては。そんな医者が迎えに来るなんてどう考えたって下心があるだろう。
そんな危ないやつのところに彼女を行かせるわけににはいかない。
いや、僕から彼女を奪うようなやつはいなくていい。
だから、晃輔に巴蛇を使った。
結果はあの通りだったが。
「どうして、晃輔先生には中林先生の術がきかなかったんですか?」
「なんで?⋯うーんなんで?僕より弱かったからかな?」
「先生はその、お祓い屋?とか陰陽師?とかそんな家系のお家なのですか?」
「いや、違うよ普通の」
「そうなのです!かつてはこの辺り一帯を治めていらした名家だったのですが、その時の大旦那様が」
突然勢いよく会話に参加してきたので、晃輔はいつものようにいなすことに決めた。
「はーい朔さんその話はまた今後ね。」
「え、聞きたいです。」
晶湖の素直な好奇心に晃輔は片手をブンブン振って抵抗した。
「マジで長くなるから勘弁して。そして、僕は普通の医者だよ」
「ではあれは夢だったのでしょうか。朔さんが髪の色もプラチナで白金の毛皮に包まれて凄く綺麗で、女神様ってこんな感じなんじゃないだろうかって思うほど、綺麗な姿で大きな蛇?を一撃で倒していた気がしたのですが。」
晶湖は胸の前で両手を組んでその時を思い出すように目を輝かせて説明する。
「女神?狐じゃなくて?」
晃輔が驚いて質問する。
「狐?」
晶湖は首をコテンと傾けた。
「え?てか意識があったの?あのとき」
「わかりません、ただとても強くて美しい朔さんのことしか覚えていなくて、あ、あとあの先生も私をクリニックまで運んで下さって…あの、ありがとうございました。」
急に声が小さくなって顔が赤くなる。
「いえいえ、当然のことをしたまでで」
つられて晃輔も赤くなる。朔はそれをもどかしい思いでみつめていた。
「…あの、中林先生はどうなったのですか。それに美咲も」
「中林先生は使い魔に食べられてしまった。元々中林先生に扱い切れる妖じゃなかったのだろうね」
「そうですか…」
晶湖に悲しさはない。嬉しさも。ただ虚しいだけだった。
「美咲さんはね。多分明日には意識は戻るんじゃないかな」
「ほんとですか!」
ものすごく元気な魂が病棟に向かって飛んでいったからね。食べられてた時間もそんなに長くないしほとんど欠損無く身体に戻れるんじゃないかな。
──美咲!
明日は美咲の笑顔が見れる。何を話そう。身体中痛いかな?何があったと思うだろう。きっと説明しても信じてもらえないかもしれない、それならそれでいい。美咲が生きていてくれるなら。
「さぁ、後は何か聞き足りないことはないかな?」
「今はありません。…でもまた何か聞きたいことが出来たら来てもいいですか?」
「勿論。それに、怖い思いも、大変な思いをしたのだから、変な話、PTSDとかなってたっておかしくないんだからね。無影をしないで、いつでもきてくださいね。」
そう言ってから晃輔は考え込むように。
「いや、一週間後に受診にいらしてください。マイスリーはまだありますか?」
「はい、あります。」
「一週間後また、ご様子を聞かせてください」
「はい、承知しました。」
それからこの日は晃輔が車で自宅まで送っていくことになった。
晶湖は断ろうと思ったのだが、流石に身体の言うことが利かなかった。
勿論朔も一緒についてきている。
帰りの車の中で、晶湖は随分朔に懐いていた。何の化粧品を使っているのだとか、お住まいはどちらなのかとか、微睡みの中でみた朔が夢とは思えないくらいリアルで綺麗だったことなど、家につくまで、しゃべりっぱなしだった。
「ここです。ありがとうございました」
一人暮らしのマンションの前で車を降りると、晶湖は晃輔と朔にお辞儀をした。
「はい、お大事にしてくださいね。今日はゆっくり休んで」
晃輔と朔を乗せたランドローバーが走り去っていくと、晶湖はマンションの入口をナンバーを押して入った。
自宅に入り、靴を脱いで居室に入ると、そのままラグマットの上にぺたりと座り込んだ。
ベッドを背にして寄りかかる。
今日は本当に疲れた。
そして、ずっと絹人と今まで一緒だったことを知った。
今度こそ絹人はいなくなった。この世界から。
ずっと私を護って…そうしていなくなった。
──絹人⋯ずっと一緒にいてくれてたんだね。護ってくれていてありがとう。
新たな涙が流れ出す。今度こそお別れの涙。もういない絹人との。後から後から溢れて止まらない。
──今日はいいよね、いっぱい泣こう。近所に聞こえちゃうかな?仕方ないよね。だって止まらないんだもん。
「うっううっ…うわあぁあぁぁぁぁあっぁぁん。わあぁぁぁぁぁぁっん!」
嗚咽はそのまま声に代わり晶湖はベッドにつっぷして大声で泣いた。
翌日、晃輔は美咲の意識が戻ったと聞いた。
当日の記憶は怪しいが、受け答えもしっかりしており、今のところ問題はなさそうだという話だ。
それから出勤してきた晶湖の瞼がぼってりと腫れていて看護師たちが騒いでいたそうだ。
冷やしなさい、温めなさいと看護師みんなで申し送り前からわちゃわちゃしていたそうだ。
他には、早朝、第2駐車場の奥の方で身元不明の白骨死体が見つかったそうだ。
骨の一部は溶けかかっているとか。洋服の一部とも思われるやはり溶けかかった布なども発見されて、朝から警察やらテレビの取材やらでヘリコプターまで飛んできて大騒ぎだそうだ。
そして中林も出勤しておらず、今のところ連絡も取れないそうだ。
「て、いうようなDMがきてたよ。兄貴から」
「左様でございますか。お友だちの意識がお戻りになってさぞ、櫻川さんも喜ばれたでしょう。…思いの人を本当の意味で無くされた事、さぞお辛いでしょうねぇ。ご友人がお目覚めになったことで少し気持ちが上向くとようのですが⋯晃輔坊ちゃま、消さないと決めたのでしょう?これからも櫻川さんの主治医として、彼女が立ち直れるまでしっかりと診てさしあげるんですよ!」
「彼女は自分で立ち直れるとは思うけれど…勿論、何だって協力は惜しまないさ」
晃輔は珈琲をすすりながら、壮亮からのDMを読み返す。多分彼女は昨日あの後沢山泣いたのだろう。これからも、しばらくは思い出しては泣くのだろう。それは、一年や二年では済まないかも知れない。それでもいつか、また、誰かの事を想うようになれたらよいな、と想う。彼女はまだ若いのだから。
「ところでさ、彼女、朔さんのこと女神様みたいだったとか言ってたけど、彼女の目には朔さんはどう見えてたんだろうね」
「さて、モノノ怪のたぐいの見え方は人によって様々ですから⋯とは言え神などとは流石に恐れ多いこと」
そういいながら、朔は「女神」と言われたことに満更でもなさそうにしている。
「そういえばさ、朔さん、今回随分櫻川さんに優しかったというか、入れ込んでいるように見えたけど、なんで?」
「それは⋯…秘密でございます」
何故か不機嫌そうに朔は晃輔に背を向けた。
──別に諦めたわけではございませんし。まだまだこれからもチャンスはございますし!
窓の外を見ればすっかり外は暗くなっている。
長かった夏が終わり秋が来たかと思えば、季節はもうすっかり冬が始まろうとしていた。




