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 今回は相手がいるため作戦を練る必要があった。幸い翌日は日曜日、壮亮も参加できるらしい。 

 家は大丈夫なのかと壮亮に聞いたところ、奥さんの碧子(みどりこ)さんが「晃くんのためなら言ってらっしゃい」と送り出してくれたそうだ。ありがたいことだ。

 クリニックから車で30分ほど離れたところに晃輔が住んでいるマンションがある。

 購入したときは新築だったが、現在築8年2SLDKで一人で暮らすには十分すぎる広さだった。

 朔は勝手知ったるなんとやらで、勝手にキッチンに入り珈琲をいれ、茶菓子も用意してる。

 どうやら、時々来て(押しかけて)は、家の事を細々行っているようである。

 今回珍しいのは思いの外、朔がやる気に満ちている。

 朔な基本的に優しい。ただし、それは自分の内側に入ったもののみに対して。受付という立場上、そつなく何でもこなし、患者をないがしろにすることもないが、ここまで親身になってやるのは珍しい。

 晃輔はあまり気づいていないようだったが、壮亮にはそれが不思議だったので、晃輔がトイレに立った間にこっそりと朔に聞いてみた。するととんでもない答えが返ってきた。

「櫻川さんは稀にみる素晴らしいお嬢様です。朔はひと目見てわかりました。晃輔坊ちゃまの奥様には櫻川さんしかおりません」

「ぶほっ」

 壮亮は盛大に珈琲を吹いた。

「いい年して何をしているんですか、全くいくつになっても落ち着きのない」

 朔がぶつぶつ文句を言いながらタオルとティッシュペーパーを持ってくる。

「ごほっごほっ…お、お嫁さん!?…い、いや、確かにいい子だと思うよ?でもまだ付き合ってもいないのに気が早すぎない?」

(てか彼女の意思は?)ティッシュで口を拭きながら壮亮は思う。

「何を言っているのです。あんな素敵なお嬢様、他の殿方が放って置くわけがございません。今回のことだってどうです?相手は()()ですが、殿方には変わりありません。どんどんアプローチしていかなくては、すぐに横からかっ攫われてしまいます。」

 壮亮がテーブルにこぼした珈琲を朔はササッと拭き取ると、新しい珈琲を用意しにカップを下げる。

「いや、でも彼女の方にその気はないと思うよ。年齢差もあるし。…そもそも、まだ白川くんが亡くなって1年だよ」

 壮亮は今日着てきた服がネイビーのタートルネックのセーターで良かったと思いながら、タオルで珈琲を叩く。そうしながらも通夜の彼女の姿が思い出される。何がおきたのか理解できないように呆然と立ち尽くす彼女。

「…そうですね…ええ、その方は櫻川さんをとても愛していらっしゃったようですね。そして櫻川さんもとても愛していらっしゃったのでしょう」

 新しく用意したカップに新しい珈琲を注ぐ。その時、朔が少しだけ言い淀んだのを壮亮は聞き逃さなかった。

「あれ?どうしたの」

 何か気になることが?と聞こうとしたところで、晃輔が戻ってきた。

「どうもいたしません。」

 済ました顔で珈琲を入れ直す朔。壮亮はそれ以上聞き出すことができなくなった。



 作戦は実にシンプルだ。彼女が退勤のおり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。場所は()()()()()()()()()()()。十中八九晃輔に何か仕掛けてくるだろうという、なかなかに雑な作戦とも言えない作戦。

 ただし、晃輔が()()()()()()()()()()()()と聞かされたらどうだろう。食事を邪魔されただけで美咲の命を狙うくらいである。何かしてきてもおかしくはない。

「ですから、いいですか壮亮坊っちゃん、いつもの舌先三寸でうま〜く晃輔坊っちゃんにターゲットが行くようにするんですよ。間違っても櫻川さんに害のないように」

 さり気なく二人の場所を教えるのは壮亮の役目。

「酷いいわれようだ。だけどわかったよ、何とかやってみるよ」

「壮亮坊っちゃんの言いようで状況がだいぶ変わってしまいますからね。頼みましたからね。大切な約目ですよ」

「まあ、やってみるさ。ジョークの通じない相手を煽るのはそんなに苦手じゃないからね」

 こちらも酷い言いようである。

「こっちでお膳立てはしてやるから。彼女を守ってやれ。出来れば解放してあげてくれ」

 何だかんだ言っても彼女も壮亮には庇護の対象なのだ。

 弟分である故人に護るよう任されているような気持ちになっているのかもしれない。

「では決行日は明日。当日は病院の第2駐車場の奥の目立たないところで。私が一応目眩ましの術をかけます。中林と櫻川さんしかはいってこれないように」

 それから朔は晃輔の方を見て、

「いいですか、うまく晃輔坊っちゃんに術をかけさせるんですよ。間違っても櫻川さんの方に行かないように」

「了解、なんとかやってみるよ」

「そのとき、晃輔坊っちゃん、間違えても術にかかってもいけませんからね!わかってますか!」

「はいはい、わかってます」 

「はいは一回!」

「はい!」 

 朔の気合の入り用が半端ない。理由がさっきのことのためだとしたら、晃輔も櫻川さんも少し不憫な気がした、が、年寄りの生きがいのため少しばかり耐えてくれ、と心のなかで壮亮は謝った。




 その日は急に秋の訪れを通り越して冬が来たかのような寒さだった。

 いつもより一つ厚めの上着を羽織り、退勤していく。

 晶湖は病院を出る前にかならず寄るところがある、美咲の病室である。

 経過は順調で消化器も問題ないため、ICUから個室に移されている。

 食事は鼻から流動食。

 まだ目は覚さない。

 晶湖は必ず美咲の両手を握り曲げたり伸ばしたり、ギュッと握ったり、時には顔を吹いて化粧水や乳液など肌の手入れをしたり、爪を切って磨いたり、そうして少しでもいる時間を伸ばして、目が覚めるのではないかと待っていた。

 でも、今日も目を覚さない。

──晃輔先生は、中林先生のことが美咲にも関係しているような事を言っていた。だから──

「絶対美咲を助けてあげるからね」

 そう独り言を言い残すと、美咲は打ち合わせていた駐車場へ向かった。

 職員出口を出て駐車場へ向かう途中の通路で案の定というか、早いというか、中林が声をかけてきた。

 いつもなら声を掛けられるだけで固まってしまう晶湖だが、今日は朔におまじないをかけてもらっていた。それが功を奏したかはわからないが、普通に会話することができた。

「櫻川さん、今帰りかい?僕も上がりなんだけど、よかったら送っていくよ」

 いつもながらぞろりとする声。でも今日は負けない、朔さんのおまじないすごい!

「ありがとうございます。でも今日は予定があって、お迎えに来てくれている人がいるので」

 最近では滅多にみせない中林への笑顔、それに気を良くした中林は更に距離を詰めてくる。

「用事?習い事か何か?」

 ついには横に並んで話す。

 晶湖はつい早足になる、おまじないがあっても嫌なものは嫌。それが美咲に関係しているならなおのこと。

「それが、ちょっと体調悪くてこれから病院に行くんです」

「なんだ、だったら大学で見てもらえばいいじゃない。わざわざわ他に行かなくても。お腹の調子とかだったら僕に相談してくれてもいいのに」

 この駐車場なんで奥までこんな遠いの…早く、早く、あとちょっと…

「それが、まぁ職場にはあまり知られたくはないっていうか…」

 晶湖はなんとかごまかしながら晃輔の待つ車まで向かう。

──ごめんねぇ。ちょっと中林くんに発破かけすぎちゃったかも。頑張って逃げてね。

 壮亮はなんと言ってけしかけたのか、中林はいつもより更にしつこく話しかけてくる。

──作戦通りと言えば、作戦通り何だけど…。

「迎えに来てくれているのはお友達?山崎さんは()()()()()

「いいえ!主治医の先生です!」

 美咲のことを言われた途端カッとなってしまった。

──あんたがやったかもしれないくせに!

 しかし、中林は声を荒げたことよりも主治医自ら迎えに来るという方が、気にかかったらしい。

「え?医者が来るの?男性?おかしくない?そいつ大丈夫なの?」

「大丈夫に決まっているじゃないですか。高橋先生の弟さんですよ」

 ──見えた!赤のランドローバー!

 晶湖は一気に走り出した。

「きゃあっ」

 その瞬間、中林が晶湖の腕を掴んで引き戻した。

「ちょっ、離してください!」

「櫻川さん、落ち着いて、どう考えたっておかしいでしょう。こんな時間に主治医が迎えにくるなんて。相手は男ですよ?もっと危機感持たないと」

 ──あんたに言われたくないわ!漏れそうになる心の声を必死に抑えながもがいていると、ランドローバーから人影が降りてきた。

「彼女、一応今日予約している私の患者さんなので離していただいてよろしいでしょうか」

 状況にそぐわない少し間の抜けた会話。

「えーっと、中林先生でしたっけ?こんばんは。どうもご無沙汰してます。形成外科の高橋の弟です。」

 ペコリを頭を下げる。

「高橋先生。覚えてますよ。お兄様と一緒に形成にいらっしゃった…。なんというか、こんな時間から若い女性を迎えにきて診察するって、ちょっと非常識だし不謹慎じゃないですかね。幸い、周りには誰もいないようですが、誰かに見られたりして、変な噂がたったらどうするおつもりですか」

 そう言いながら晶湖の手首は離さない。そして空いてる反対の手はゆっくりと上着の内ポケットに忍びおませた。

「心外ですね。夜間で若い女性なので心配だからこそ、お迎えにきたのと、へんな噂が立たないようにちゃんと女性従業員も連れてきてますよ」

 晃輔はその手を見つめながらゆっくりと中林に近づいていく。

 後部座席からは朔が降りてきて、紹介に預かったとばかりに優雅に頭をさげた。

「晃輔先生!朔さん!」

 朔の顔を見た晶湖の緊張の糸が緩んでしまい、思わず名前で二人を呼んでしまった。

「晃輔先生⋯ね。随分と仲がよろしいようですねぇ。櫻川さん」

「い、痛⋯いっ」

 「でも、大丈夫。最初からあなたには私しかいないんだ。他がどんなに邪魔しようとも、あなたには私しかいないんですよ。」

 「な、何を言っているの?」

 手首しか掴まれていないのに振り払えない中林に恐怖を覚える。何を言っているのかもわからない。

 「何のことだと思いますか?ねぇ、高橋先生。あなたも私と櫻川さんの邪魔をしようとしているのかもしれませんが、それは無理だってことを、今!証明してあげますよ!」

 中林は晶湖と話していたかと思うと、急に晃輔に顔を向け何かを晃輔にかざした。

白く光る細長い何かが晃輔の首に飛びかかる。

 ()()()()()()()()()

 距離にしてあと2、3歩といったところだった。

「なるほど、それが()()か」

 晃輔は自分の首に()()()()()()()()()()()()()()()()()中林に向かって放り投げた。

 それはまたすぅっと中林の持つ石の中に吸い込まれていった。

「なんでだ!なんで何も起きない!」

 中林は何度も晃輔に突きつけるように翳した。

 しかし、石は沈黙を守っている。

 それをひょいっと晃輔は中林から奪い取った。

「あ、何を!」

「朔さん!パス!」

 中林から手のひらサイズの何かを奪うと、すぐさま朔の方へ放り投げた。

狙いは違わず、しっかりと朔の両手の中に収まる。

「…なるほど、なるほど、よくぞこのようなものを見つけたものだ。これをお前に売りつけたやつも何を思って売りつけたのやら。何が御守ぞ。お前これが何かも知らずに使っておったな」

 手の平サイズの媒体とやらはサンドベージュに内包物を沢山含んだ見た目はただの石のようだった。ただし、光に透かしてよく見ると何かが光って動いているのが見える。

 勿論今は暗いのでそんなところまでは見えていない。

「な、なんで、お前は大丈夫なんだ!白川もあの山崎とかいう看護師も!一発だったのに!」

「なんでと言われましても、まぁ…そういうものがあまり効かないよう教育を受けてきたから?」

 1人あせる中林の前でこめかみを掻きながら真面目に答える晃輔。

「くそっ!そんなこと言っていなかったぞ!」

「今、白川って言った?…絹人も、絹人も中林先生がやったの⋯?」

 晶湖は驚いて動揺している中林を見つめる。

 しかし、中林はまるで晶湖の言葉など聞こえていないかのようにを両手を自分の両手で握りしめた。

「嫌!離して!絹人を!絹人をどうしたのよ!」

 晶湖は全身の力を振り絞って中林を振り払おうとする。

「ごめんね。櫻川さん、できるだけ苦しませたくなかったんだけど、今だけちょっとだけ我慢してね」

 そういった途端、晶湖が自分で自分を抱きしめるように苦しみだした。

「ああああああああああっ!」

 そのすきに逃げ出そうとする中林。

「櫻川さん!」

 崩れ落ちる晶湖を晃輔が抱きとめる。

「朔さん!」

 呼ぶより先にこちらに向かっていた朔に、晶湖を託すと、晃輔は中林を追って走り出した。

 晃輔は外見通り元ラガーマン、ポジションはフランカーである。

 あっという間に追いつくと、晃輔はわざと足を刈るようにタックルを仕掛けた。

 特に何の運動もしていない中林はあっさりと転ばされ、胸を打つ形で倒れ込んだ。

「がはっ」

 息を吐くとも悲鳴ともなんともつかないような音が口から漏れる。

 うまく呼吸もできないのだろう。

 そのまま、中林は立ち上がろうにも力が入らず、這いずるように逃げようとする。

「肋骨でも折れてたらごめんなさい」

 そんなほぼ独り言のようなことをいいながら、中林を担ぎ上げると、二人のところに戻っていった。




「櫻川さんは?」

 晃輔は胸を抑えて動けないでいる中林を近くに下ろし、車に積んでいたガムテープで手と腕と足をぐるぐる巻きにする。

「気を失われましたので車に。今は私が抑えておりますが、これは呪いの一種です。術を解かねば苦しみは続き、いつかは死に絶えます」

「そんな!そんなことは言ってなかったぞ!ただちょっと体調が悪くなるだけだって!」

 朔の言葉に真っ先に反応したのは、やっとしゃべれるようになったのか中林だった。

「ふっ、ほんに誰に何を吹き込まれて買わされたのやら。馬鹿を騙すのはほんに容易い」

 朔は中林を侮蔑を込めた目で見やったが、すぐに晃輔に向き直った。

「さて、こちらの二つの媒体、見た目はよく似ていますが中身がかなり違います。」

 朔は二つの石を晃輔に持たせると、自分は人差し指を一本上に向けように伸ばし、ぽっと炎を灯した。

 それをふわりと空に浮かせる。

「な、なんなんだ、おまえらは!」

「もう冬も間近だというのに煩い蚊が鳴いている。お前こそ、怪しい者から怪しいモノを買っておいて、狐火も知らぬとは。」

「ば、化物め!そんなやつらに櫻川さんを渡せるか!」

「ほほほ。その愛しい人を自分で殺しそうになっていて何を言う。白痴とはどうしようもないの」

「…。朔さん、なんかこっちがワルモノみたいになってるから⋯。あとこれの説明をお願い。」

 晃輔の両手にはひとつずつ良く似た石が乗っている。ひとつは中林が持っていた、サンドベージュのもの。もう一つは前もって晶湖から預かっていたレトログレーのもの。両方とも内包物は多く、時々光を放つ、しかし、明らかに晶湖が持っていたほうが光を強く放っている。

「こほん。こちらの中林が持っていたものこれは本当に珍しい、巴蛇(はだ)の幼体です。まだ小さいので

食事もうまく取れないところを無理やり使い魔にされていたので、弱っていますが、正しく育ててやればそれなりによい使い魔になります。櫻川さんの護衛にもよいでしょう」

 そう言うと、朔はサンドベージュの石をつまみ上げパキりと割ってしまった。石は簡単に砕け散り、中にいた白く淡い光沢のある蛇が空中に浮かび上がる。

「無理して、食べ慣れないものを無理やり詰め込まれたから…可哀想に、吐き出しておしまいなさい。」

 朔はそっと指で蛇の頭を撫でると蛇は口から淡いもやのような光を吐き出した。

 吐き出された光は二つ。ひとつは病棟の方へ元気に飛んでいき、もう一つは半分消えかけながらも車の方へ向かっていった。

 その時初めて晃輔は一番最初に思った違和感の謎が解けた。

「そんなことが、できるのか…」

「お医者様ともあろうお方が異なことをおっしゃいますね。身体とて手足がちぎれても人は生きています。魂とて同じことが何故できないと思うのですか」

 最初に思った違和感。ひと目見たときから強力なもモノノ怪に取り憑かれていることはわかった。にもかかわらず、曲がりなりにも何故普通の生活ができていたのか。あれだけ強力な(あやかし)であれば一月も持たず命を落としていてもおかしくはなかった。それが半年以上も生きている。何故か。

白川が魂が半分になってもずっと護っていたのだ。

あんな強力な妖に普通の人間の魂など障害にもならないはず。それでも彼は文字通り魂を削りながらずっと護っていたのだ。

「こういうことがあるから人とは尊いものに思えてしまうのです」

 朔は先ほど解放した巴蛇を肩に乗せながら、白川の魂をじっと見つめていた。

「ですが、彼の魂も流石に限界でしょう。今まで持ったのが不思議なほどですから、彼が消えれば櫻川さんも危ないでしょう。少し強引ですが、術を壊します」

 朔は言うが早いか、全身が光り始め、髪は白く体毛も白く伸び始め身にまとっていた服は体毛に隠されるように消えていき、みるみる間に人が乗れそうなほど大きな白い狐になった。尾は7本、金色の目の下には金色の毛束が模様のように入り、顔は狐というより犬に近い。

『さて晃輔坊ちゃま。申し訳ありませんが、あの男を私の前につれてきてもらえますでしょうか。それからその石もその男の前に置いてくださいませ』

 「な、何をする気だひぃやだぁぁ!やめろー!」

 晃輔は恐怖に暴れ出す中林の首根っこを掴んで朔の前に引きずり出す。

 なおも逃げようとする中林の胸部を晃輔は思いっきり蹴った。

 中林は、がはっと何かを吐いて動けなくなった

 そして足元にレトログレーの石をおいた。

 無言で淡々とこなす晃輔を見て朔は珍しく晃輔が怒っていることを知った。

「では始めます。中の蟒蛇を解放しますので坊ちゃまは車の方へ避けていてください」

 そう言うと朔は前足で石をパキりと割った。途端に石は先ほどと同じように粉々になる。違うのは風圧だ。朔が予め結界を張っていなければ、買ったばかりのランドローバーは傷だらけになっていただろう。

 などと呑気なことを考えていられたのは、現れた蛇をみるまでだった。

 蛇のおおきさは朔ととぐろを巻いた状態で、ほぼ朔と変わりなく、朔に対し警戒するように、鎌首を持ち上げS字体制を取り、尻尾を降って音を立てている。

「食べたかった人間を半年もお預けくらっていたんですから、さぞお腹が空いているでしょう。そこに美味しいかはわかりませんが、食事がありますよ」

「やっやめろ!くるな」

 蟒蛇は中林をちらっと見たが、すぐに目線を朔に戻す。朔の方が強敵とみたのだろう。

「おや、一応使い手を優先するのですか。では先に呪術師を殺してしまうのも手ではありますが⋯」

「ひー、やめろ!おい、蛇、あの狐を殺せ!」

 中林は時折むせながらピンクの泡を飛ばしながら叫んでいる。どうやら折れた肋骨が肺に刺さったようだ。

「術は解かねば終わらぬ。そして、解かれた術は己に帰る。今それをお前に見せてやろう。そこまで耐えられればだがな」

 蟒蛇が先に仕掛けた。S字に曲げた首をざっと伸ばして飛びかかる、朔は難なく避けると、躱しざまに爪を振るった。蟒蛇の皮膚が裂けどす黒い血が飛び散る。

「蟒蛇よ。お前の契約は自分の身を賭してでも主の言うことは絶対であったか?違うであろう。お前では私には勝てぬ。ましてや半年も餌を食べそこねていたのだからな。少なくとも私に勝ちたければそれを食って力をつけよ」

 蟒蛇は少し考えるかのように警戒姿勢を解かぬまま固まっていたが、くるりと向きをかえて中林の方へ向かい出した。

「やっ、たっ、助け、ひー、嫌だぁ」

 あっという間に中林を捕まえると、足から飲み込み始めた。

「ぎゃぁぁぁぁあぁ!嫌だぁぁ! た、助け⋯!」 

 時々、ごきっとかぼきっとか音が聞こえるが、それと同時に中林の声も聞こえなくなっていった。

 中林が完全に蟒蛇に飲み込まれるとお腹のあたりが少し膨らんでいた。が、余程空腹だったのだろうか、それもみるみるうちに消化されてしまったようだ。それと同時に朔に付けられた傷も治っていく。

 蟒蛇は朔の方を向いて第2ラウンドとばかりに、攻撃体制を取った。

「中林が片付いた以上、悪いが、お前に付き合ってやる通りはない」

 朔は冷たく言い放つ。

 蟒蛇はまたも朔に飛びつく、その瞬間何もない空から

──ドン!!!

 稲妻が落ちてきて蟒蛇は丸焦げになってしまった。

「終わりました。晃輔坊ちゃま」

「あ、ありがとう。ご苦労さま」

 全てが終わったことを確かめて、晃輔はゆっくりと朔に近づく。

「あれはどうなるのかな?」

 蟒蛇の丸焦げを指さして問う。

 モノノ怪のたぐいの屍など残りはしません。朝になれば綺麗さっぱり消えてしまいますよ。

「そうか。それじゃ帰ろうか。櫻川さんも心配だし」

「そうですね。帰りましょう」



 

 一同はクリニックに帰ってきた。

 晃輔の自宅の方が近かろうという朔の案と、意識のない若い女性を自宅に連れ込めるか!という晃輔の反対意見がぶつかり、万が一の場合薬品がそろっているクリニックの方が都合が良いということになった。

 クリニックについて、櫻川さんを下ろそうと朔を探すと、朔はさっさと車から降りてエレベーターホールの鍵を開けていた。

「朔さん、車を駐車場に置いてくるから櫻川さんを頼むよ」

「まぁ!晃輔お坊ちゃまはそんな立派なガタイをしているというのに、初老のか弱き女性に運ばせようというのですか?なんて情けない。その体はかざりですか?」

──さっきまでのバケモノがなんだって?と言いたいところを晃輔はぐっと飲み込む。

「だけど、ほら⋯若い女性を運ぶのはちょっと…」

「はぁ⋯あなたの職業はなんですか?医師が意識のない患者を運ぶのに何の躊躇があるんですか!」

「や、まぁ、そうなんだけど⋯」

「ごちゃごちゃといいから運んで差し上げなさい。ほら、丁寧に。」

「誰も見てませんように。神様、やましいことはありません、人命救助ですぅ」

 晃輔は誰にとも言わず思わず祈る。

「何を当たり前の事をいっているのです」

 朔の叱責が飛ぶ。ある意味、いつもどおりの日常に戻ってきた証拠である。

 晶湖を処置室のベッドに寝かせると、一応一通りのバイタルチェックを行った。勿論以上はない。

 晶湖はそのまま寝かせておいて晃輔は車を駐車場に置きにいき、朔は珈琲を入れに裏の休憩室へ入っていった。

 ──珈琲の香りがする。これはあの珈琲の香りだ。

 晶湖はゆっくりと目を開けた。視界は真っ白な天井に直管型の蛍光灯。

「ここは…?」

「お目覚めですか?珈琲を入れましたけれど、お飲みになれますか?」

 ちょうど朔が珈琲を入れて処置室へ入ってきた。

「朔さん…?」

「はい」

 朔が覗き込んでニッコリと微笑む。

 相変わらずきれいな人だな…などと晶湖はぼんやり思う。

 目を瞑る。晶湖はまだ微睡みの中にいた。

──朔さんは綺麗だけれど、あの時はもっと綺麗だった。真っ白な毛に覆われて、それが金色に光っているようだった。あれは…夢?晃輔先生も凄く軽々と私を抱えて運んで下さって⋯。

 怖かったけれど、でもお二人が助けてくださった⋯ふたり?じゃああれは誰?…最後に⋯いいえ⋯…絹人⋯。

 絹人…ああ…絹人…本当は中林先生に殺されてしまっていたのね。

 絹人…絹人…。

「絹人…」

 晶湖は横になったまま顔を両手で覆った。

 手の隙間から涙がこぼれる。

「絹人は中林先生に殺されてしまったのね」

 誰にともなく晶湖は呟いた。

「⋯正確には違うかもしれません」

 晶湖は思わず両手を顔から外して朔を見上げた。

 朔は悲しいでも優しい顔をして晶湖の髪を撫でながら続けた。

「櫻川さんは先ほどまでのことをどこまで覚えておいででしょうか。あの時、中林があなたに取り付けていた蟒蛇をの力を強くしたとき、いいえ、もしかしたらもっと前に、あなたはあの蛇に取り殺されていたかもしれない。」

 そこまで言って、朔は晶湖がベッドから身体を起こすのを手伝った。

「でも、あなたは生きている。それは何故だと思いますか?」

 朔は晶湖の目を見つめて問う。

 晶湖は先程微睡みの中で感じた、誰だかわからない、でも知っている何かを思い出した。

「絹人あなたは…まさか…最初から最後まで護っていてくれていたの⋯?」

 朔は黙って晶湖の両手を握った。

 晶湖の目からは新しい涙が溢れて止まらなかった。



 

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