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 ──オキロ!オキロ!ワン!トゥー!スリー!フォ! オキロ!オキロ!ワン!トゥー!スリー!フォ!

 

 ベッドの頭上にある、友人に趣味が悪いと言われた目覚まし時計を手探りで止める。子供の頃UFOキャッチャーで父親にとってもらった景品で、すぐ壊れるかと思っていたが、思いの外長持ちで、15年以上経っても電池を入れ替えて使っている。

 いつもはあまり眠れず、大抵は目覚ましよりも先に起きていたのだが、今日は久しぶりに目覚ましに起こされた。

 あの少し不思議な心療内科を受診した次の日、晶湖は久しぶりに夢も見ずぐっすり眠ることができた。

 ─美しい受付の女性、優しい…少しかわいい?高橋先生の弟先生、晃輔先生って言ったっけ。高橋先生は壮亮先生か。本当に呼んでみようかな?職場のみんなどんな反応するだろう。想像して晶湖は思わずニヤける。こわーいお局様はいないけれど、それなりに特別感出すとなんか怖そうだからやっぱりやめとこう。

 それでなくても、私は1年前に恋人を亡くして腫れ物扱いだし、心配しながらもいつも通りに対応してくるのは中のいいナースと高橋先生だけだし。高橋先生は絹人(きぬと)をとても可愛がってくれていたし、お通夜の時も、

「白川先生は私にとってもかわいい後輩だった。こんなことになってとても残念だ。あなたのことは白川先生から聞いている。何かあったら、何でもいい、私を頼ってほしい。」

私の目をみてしっかりとそう言いきってくれた。私には兄はいないけれど、お兄さんてこんな感じなのだろうかと思わせてくれた先生だった。

 あのとき、何も考えられずふわふわしていた私を地面に足をつけてさせてくれたのが高橋先生だった。

 それに…晶湖はくすっと思い出し笑いをした。晃輔先生はいかにも弟って感じ、私よりずっと年上なのだろうけれど、なんだか可愛らしく思えてしまって、弟がいたらこんななのかしらと思わせた。あの待合室にいるだけで体が軽くなる感じ、診察室でお話しをしているだけで、安心する感じ、メンタルクリニックてみんなそうなのかしら。あそこが特別なんじゃないかな?わざわざ高橋先生が紹介してくれるくらいだし。

 高橋先生はお二人とも信頼できる気がする。そう、中林先生よりも…。

 中林達夫(たつお)先生。絹人と同期で学生時代はよく一緒にいたそうだけれど、医局が違ってからあんまり会わなくなったって言ってたっけ。一度だけ絹人に紹介されて、その後たまにお会いすることはあったけれど、最近少し怖いと思ってしまっている。

 心配して良くしてくれようとしているのだろうけれど、なんだか申し訳ないけれど最近は嫌悪感しかわかなくなってしまった。

 そういえば、中林先生からいただいた中国かどこかへ行かれたときのおみやげどうしたっけ。絹人とお揃いで、と言ってくださったけれど。何かのお守りだって言ってたような。何のお守りだったのかな?

 そこから先は言ってはいけない気がして、晶湖は口を閉じた。折角気持ちよく目覚めたというのに、ぞろりと背筋が寒くなる、これ以上気持ちが下がる前に仕事に行かなくっちゃ。

 晶湖はざっとシャワーを浴びると昨日クリニックの帰りにコンビニで買っておいたサンドイッチとインスタントのコーヒーをお腹に収めて、軽くメイクを施すと、いつもより早く職場に向かった。

 


 看護師の一日は忙しい。出勤したら前日の情報収集から申し送り、終わったらバイタル測定、点滴準備、回診準備。ここは形成外科なので褥瘡、熱傷、糖尿病性の足の潰瘍や術創の創傷処置etc…昼食は勿論超特急、午後も勿論バイタル測定、点滴交換、記録入力、細々したことも含めたら一日なんてあっという間。慣れはあれども忙しさは変わらない。

 だけど、と晶湖は思う。忙しい方がずっといい。

──思い出すな、思い出すな

 何も考えないようにこの一年ずっとしてきた。途中から眠れなくなって、体もダルくて辛くなってきたけど、それでも仕事をしている間は忘れられたから。

 だけど、今日は違った。昨日の受診から体が軽く、眠れてしまった。気分も良かった。それが同僚にも見て取れたのだろう。

「櫻川さん、今日は調子良さそうね。ここのところずっとあまり調子良さそうに見えなかったから」

 先輩にも言われてしまった。体調が急激に悪くなったとき、休職してもいいのよ?と心配してくれていた人だから。

「はい。昨日はとても良く眠れたので」

 晶湖は自然な笑顔で答える。

「晶湖、久々に一緒に食堂で昼食食べない?」

 同期の美咲にもずっと心配させていたのはわかっていた。でも自分でもどうしようもなくて、食事は別で取らせてもらっていた。友人でもある彼女はそれを承諾してくれていた。

 だから、ついOKを出してしまった。調子が良すぎてこの可能性があることを失念してしまっていたのだ。

──やあ、櫻川さん。久しぶりだね。元気にして…()()()()()()()()()()()()()()()()()。 

 「な、中林先生。こ、こんにちは」

 目があった瞬間、体が金縛りにあったように動かなくなる。背中に冷たい汗が流れて、胸が固まったように息が入っていかなくなるような感覚が襲う。

 「珍しいね。ここ(食堂)でお昼を食べるなんて。久しぶりだし僕もご一緒していいかな」

 「あーっ!ごめんさない、中林先生。私たち早だからもう戻らなくっちゃなんですー」

 私がなんて言って断ろうと思う前に気を利かせてくれた美咲が返事をしてくれていた。

 「そうなんです、ですので。お誘いいただいたのにすみません。お先に失礼いたします。」

 挨拶もそこそこに立ち去る、ちらっと見ると中川先生が美咲を一瞬だけ睨んでいるようにみえた。

 お辞儀をし直したときにはいつもの笑顔に戻っていた。

 


「危ない危ない。蛇男(へびお)にあってしまうとは」

 急ぎ足で食器を洗い場に戻しながら、美咲は残っていたジュースのパックをジュッと飲み干しゴミ箱へ捨てた。

「へ、蛇男って…」

「あれ?知らない?そう呼ばれてるの。晶湖にしつこく絡んでたからさ。あー、久しぶりで忘れてたね。まさか会うとは……まさか蛇男のことだから晶湖のこと探して回ってたり…なんて事してたりしてないよね」

 それから紙ゴミ割りばしを燃えるゴミと書いてあるゴミ箱に放り込む。

「そんな、怖いこと言わないでよ。」 

 晶湖は分別していた割り箸を落としそうになる。

「いやぁ~、でもあの人晶湖の事絶対狙ってるでしょ。白川先生がいたときからちょっかい出してたし。亡くなられてから、なんか露骨になってきたっていうか。」

「やめて!」

 思わず声が強くなる。

「…ごめん」

「ううん、こっちこそ助けてくれたのにごめん」

 ううん、全然いいんだけどさ、と自販機から新たに桃果汁の飲料水を買いながら、美咲は続ける。

「晶湖、中林先生に会うとまさにヘビに睨まれたカエルみたいになるよね。何かされたとかあるの?ただ苦手なだけ?」

「うん…何故だかとっても苦手なの。あの目つきが最近は怖くて…何もされてはいないんだけど」

 苦手と言いながら晶湖は握った両手が震えている。

「苦手、なだけにはみえないんだけどね」

 美咲が握った両手を自分の両手でくるみこむ。院内の室温に合わない冷たい手をしていた。



 初めて絹人に紹介されたときから、人を舐め回すように見る目つきが苦手だった。

 それでも絹人の同期だというので会えば挨拶だけはしていた。

 病棟が違うからそんなに会うこともなかった。

 でも、何かの飲み会のとき、

──やあ、白川が羨ましいよ。こんな綺麗な人が彼女だなんて

──櫻川さんがいるのなら形成に行けば良かったかな

──晶湖さんて結晶の晶にみずうみの湖って書くんだ。きれいな名前だね。僕も名前で呼んでもいいかな?

 距離感が近づいてくるのが嫌だった。あのときは、絹人は教授に呼ばれてて、たまたま近くにいた高橋先生がやんわり注意してくれたっけ。あの時から高橋先生は頼りになる先生だったな。

 「あーなんだっけ?あの時高橋先生なんて言ったんだっけ?確か?…『やぁ、中川先生、お酒が入って気が大きくなるのは仕方ないけど、こんなところで彼氏のいる女性を口説くのはクールじゃないなぁ』とかだっけ?めっちゃキザなんだけど高橋先生が言うとかっこよかったよねぇ。あれでファン増えたもんね」

 美咲─山崎美咲─はケラケラと笑った。

 仕事を終えた帰り道、なるべく目立たないカフェに入って、美咲に、今までのことを少しずつ話した。

「ほー、それで高橋先生の弟さんもお医者さんなんだ。独身?やっぱかっこいい?」

「んー、かっこいいというより、かわいい…かな?高橋先生より大きくてラグビーとかやってそうな体格してるんだけど、髪の毛が高橋先生と違って癖っ毛でなんていうかクマみたい?笑うと似てた。ご結婚されてるかはわからないけど、多分30代後半だと思うんだよね。普通あのご年齢だったらされてるんじゃないかなぁ」

 晶湖は晃輔の事を思い出しながら、美咲に話す。

「あ、そう、それでね。受付の人が女性だったんだけど、それが綺麗な女の人で、なんかちょっと古風な雰囲気の人だったんだけど、それがまた似合ってるっていうか…なに?」

 話を聞きながらにやにやしている美咲を見て、晶湖は怪訝に思う。

「いやぁ…楽しそうに話すなって」

「そんな事ないけど…」

  照れを隠すように飲みかけのカフェオレに口をつける。

──そういえば、あそこの珈琲も美味しかったっけ

 いつもはカフェオレ派の晶湖だが緊張のあまり砂糖もミルクも断ってしまった。だけど、あの珈琲だけはブラックで美味しく飲めたのだ。

──美味しかったな、あの珈琲。次行った時も飲めるかな?初回だけ緊張を解くだけのためかな?

 「余っ程いい先生だったんだね。晶湖のそんな顔、本当に久しぶりに見るよ」

 お行儀悪くテーブルに両肘をついて顎の下で手を組みながらこちらを見る美咲の顔も嬉しそうだ。

 美咲はショートヘアでどちらかというと童顔なので、笑うと余計に幼く見える。

 晶湖も美咲がこんな安心したような笑顔を自分に向けてくれるのを、久しぶりに見た気がした。

「ずっと心配させてたよね。本当にごめん」

 晶湖は素直に謝った。

「何さ、急に。同僚だし、それ以上に友達だもん当たり前じゃん。」

 美咲は照れたようにちょっと目線を外した。お店の照明でわかりにくいが心持ち顔が赤くなっている。

「で、さ。その美人の受付の人って先生の奥さんって感じじゃないの?」

 恥ずかしくなったのか、美咲は急に話を変えた。

「え?うーん、そんな雰囲気あったかなぁ?…どうだったろう…でも流石に受付の人の方がかなり年上に見えたなぁ…10歳くらいは離れてると思うけど」

 実際は10歳どころの話ではないのだが、実のところ朔の年齢は晶湖はもちろん晃輔も知らない。

「へー、ちなみに看護師さんはいたの?」

「うーん、この間は見なかったね。何よ、気になるの?」

 美咲は段々興味が出てきたようだ。

「そりゃね、だって晶湖がそんな元気になってるんだもん。それに高橋先生の弟さんでしょ?興味持つなって方が無理でしょ。次いつなの?」

「1週間後よ。何、ついて来たいの?」

「うーん…ふふふ、そうね、確かにどんなところか興味はあるけれど…晶湖が来て欲しいってならない限りは我慢する」

「ふふ。ありがとう、その時にはお願いしちゃうかも」

 好奇心旺盛な美咲だが、そういうところはちゃんと気を使ってくれる。そんな同僚に晶湖は感謝した。

 何だかあの時間は少なくともまだ誰にも邪魔されたくない気がしたのだ。



 それから2人はたわいない話をして、そのままそこで食事をしてから駅で別れた。同じ駅を利用しているが、方向は反対なのだ。

  別れ際美咲は晶湖の手を両手しっかり掴んで、

「これからはもっとしっかり晶湖をあの蛇男から守るからね。他のナースも何となく、あいつが晶湖狙ってるの気づいてるから。みんなも協力してくれるから。せっかくいい先生に出会えて元気が出て来た晶湖を元に戻してなるものか」

 おー!と拳を突き上げそうな勢いでそう言い残してニコッと笑うと、晶湖とは別のホームへ向かって行った。

  途中振り返って小さく手を振って。

 晶湖も手を振り返してくるりと背を向ける。

 みんな、私が嫌がっていたのを気がついてたんだ。だからもしかして最近会う機会がなかったのかな。

 晶湖は隠していたつもりが実はバレていて、みんなが守っていてくれていたのかもと思うと少し恥ずかしくなったが、それと同時に嬉しくもあった。

──同じ言葉でも高橋先生や弟先生は違うのにな

 まだ1度しか会ったことのない晃輔に対して、自分で思っているよりも存在が大きくなってることに驚いていた。



──オキロ!オキロ!ワン!トゥー!スリー!…

 翌朝も同じようにベッドの頭上の目覚ましで起きられた。今日も良く眠れた気がする。あの自費のお薬のおかげなのかな。成分なんだろ?高橋先生なら知ってるかな?今日会えたら聞いてみようかな?

 昨日の食堂での一件を思い出し、今日は簡単にお弁当を作る。振りかけのおにぎりと卵焼きにウインナー。困ったときの定番のおかず。持ってきたと言えば美咲も無理には食堂には誘わないし、何だったらコンビニで買ってきて一緒に食べてくれるかもしれない。

 そんな事を思いながら、いつものように出勤すると、美咲は案の定お昼はコンビニにしてくれると言ってくれた。

 そして午前中の点滴を準備している頃に、壮亮にも会うことが出来た。

 回診に来たのだろう。

「おはよう、櫻川さん。」

──相変わらずかっこいいなぁ

 文章の頭に「無駄に」とついてしまいそうなほど爽やかな笑顔で入ってくる。

──確か今学生の論文添削しててめっちゃ忙しいって聞いたけど、やつれてる素振り全然ないのよね。疲れてたり、少しやつれてたりしたら、それはそれでかっこいいとか言われそうだけど。

「お疲れ様です。高橋先生。先日はありがとうございました。」

 そんな事を考えながら挨拶を返す。勿論クリニックを紹介してくれたお礼も忘れない。

「行けた?」

 壮亮はお?とばかりに聞いてくる。

「はい、先生の紹介だって言ったらとても良くしていただきました。あの、珈琲も入れてくださって、後あの自費のお薬もよく効いている気がします」

 晶湖は少し照れながら答えた。

「そう、それは良かった。」

 壮亮はそう答えながら、いつもの笑顔に少しだけ顔を曇らせた。

「?」

「なんて言っても俺もあそこには手伝いに行ってるからね。こっちの頼みも聞いてもらわなきゃね」

 壮亮は何でもないよとばかりに、おどけてみせた。

「そう、先生、あそこでオペをしていらしてるってお聞きしました。初めて知りました」

「一応、()は知ってるけどね。弟にはあまり言わないでくれって言われているんだ。『兄貴が来てるって知ったら無駄に混んじゃって困るから』だってさ。」

 壮亮はわざとらしく肩を竦ませる。

「ふふ、わかるような気がします」

 ただでさえ某大学病院の助教で、その上その外見を見たらそれ目当てでくる患者さんも多そうだ。

「高橋先生、お願いします」

 回診の準備が出来たらしい主任の声がした。

「はい、じゃあ行きますか。じゃ、櫻川さん、またね」

 主任に返事をすると、壮亮は晶湖の肩を軽くぽんと叩いて去っていった。

「蛇男と何が違うのかなぁ?やっぱ顔か?」

 急にぼそっと声がして晶湖は振り返る。

「美咲っ!」

 わざとらしく片手をおでこあたりに当てて晶湖の後ろから壮亮を見送る。

「二人とも遊んでないで、点滴行ってきて!」

 先輩の声に二人は慌ててナースステーションを飛び出した。



 「コンビニでお昼買ってくるね」

 そう言って、美咲は階段を降りていった。

 基本的にナースは階段を使うことになっている。

 勿論階数が上の方だったり、荷物があれば別だ。

 しかし、3階くらいだと割とちゃんと階段を使っている。

 晶湖も美咲も階段組だ。

「うん、休憩室で待ってるね」

 ここの病棟にはナースステーションの奥に休憩室がついており、そこで食事をすることも可能になっている。昨日は中林に出くわしたので、今日は食堂はやめておこうということになった。

 休憩室で美咲の分と2人分席をとっておこうと荷物を置こうとした瞬間、病棟の方が急に騒がしくなった。

──どっかの病棟で急変でも出たのかな?

 今この病棟で急変しそうな患者は幸いにもいない。隣の耳鼻咽喉科?それとも下の外来?

 そんな事を思いながら、様子を見に行こうとナースステーションに出てくると、主任と医師何人かで話している。高橋先生もいる。

「あ!櫻川さん!」

 主任が血相を抱えてツカツカとほぼ走るように近寄ってきた。

「今、山崎さんが階段から落ちたって!」

「え…」

「頭はうってるかわからないけれど、意識がなくて、右肩の脱臼と両下肢に骨折の可能性があるってERに運ばれたって」 

 晶湖は思わず主任越しに壮亮を見た。

 痛ましそうに、それ以外の何かを少しだけ含んだ顔でまっすぐに壮亮は晶湖を見つめ返していた。







 




 

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