第4章 届かない声の行方
窓の外で、雨が静かに降っていた。
ぽつ、ぽつ、とガラスを叩くその音が、
どこか遠くで鳴る心拍のように感じられた。
その日、紬は学校を休んだ。
連絡網で知らされた短い文面には、
「体調不良のため、数日休みます」とだけ書かれていた。
それだけの言葉なのに、胸の奥がざわついた。
不安というより、何か“終わり”の気配のようなものを感じた。
放課後、いつもの公園へ向かった。
ギターを背負い、傘も差さずに歩いた。
ベンチは濡れていて、滑るように冷たい。
そこに座り、弦を弾いた。
雨の音と弦の音が混ざり合い、
誰のための曲なのかも分からないまま、
指がただ勝手に動いていた。
そのとき、スマートフォンが震えた。
紬からのメッセージだった。
――「音、届いてるよ。」
たった一行の言葉。
胸の奥に、何かが落ちるような感覚がした。
そして数秒後、音声ファイルが送られてきた。
再生すると、紬の声が流れた。
小さな部屋の残響、呼吸、そして歌。
それは途中で途切れ、最後に小さく笑う声が残った。
「ねぇ、蒼真。もし私がいなくなっても、
この声だけは、消さないでね。」
その一言で、指が止まった。
雨音が、遠くなった。
世界の音がすべて、彼女の声に吸い込まれていくようだった。
翌日、紬は学校に来た。
「昨日、ごめんね。ちょっと病院に行ってたの」
そう言って笑う紬の笑顔は、どこか透明だった。
その背中に、光が透けて見えるような――そんな儚さがあった。
「ねぇ、蒼真」
「ん?」
「この曲、完成させよう。
私、ちゃんと歌いたい」
「あぁ、もちろん」
紬はその日、いつもよりも元気に見えた。
笑って、ふざけて、走って。
だけどふと立ち止まる瞬間、息を整える時間が増えていた。
それでも彼女は、「大丈夫」と笑った。
放課後、音楽室。
ふたりは最後の録音に取りかかっていた。
マイクの前で紬が息を吸い、ゆっくりと歌い出す。
「――君に、届きますように。」
その歌声は、どこまでも澄んでいた。
まるで透明な糸で世界を縫い合わせるように。
蒼真のギターが寄り添い、音が溶け合う。
録音が終わると、紬は小さく息を吐いた。
「ねぇ、これ……世界に出してみようよ」
「投稿する?」
「うん。“紬と蒼真”で」
「タイトルは?」
「『届かない声の行方』なんてどう?」
そのタイトルを聞いた瞬間、
胸が少し痛んだ。
まるで、彼女がすべてを知っているように思えたから。
その夜、紬からメッセージが届いた。
――「今日の音、最高だったね。ありがとう。」
それが、彼女から届いた最後の言葉だった。
翌朝、病院から電話がかかってきた。
“彼女が倒れた”と。
白い部屋の中、
静まり返った空気の中で、
紬は薄く目を開けていた。
「ねぇ、蒼真……」
かすれた声で、紬が言った。
「私ね、ずっと怖かったの。
いなくなることより、
私の声が、誰にも届かなくなることが。」
「そんなこと、ない」
声が震えた。
「紬の声は、俺が残す。
俺が、永遠に聴かせる」
紬はかすかに笑った。
「なら、もう大丈夫」
そう言って、目を閉じた。
モニターの音が、一定のリズムを刻んでいた。
そのリズムが、雨音に似ていた。
窓の外では、再び雨が降り始めていた。




