表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

第3章 君の声、僕の音

 夜の公園は、昼とは違う匂いがした。

 アスファルトが冷えていく音、

 街灯の光が樹々の影を長く伸ばす気配。

 その真ん中で、紬はスマートフォンを手にしていた。

 小さな画面に、録音した自分たちの音が波形として揺れている。


 「ねぇ、これ……“曲”になってるよね」

 笑いながら紬が言う。

 その指先が画面をなぞるたびに、

 青い波形が命のように震えた。


 「まだ未完成だよ。サビのメロディが決まってない」

 「でも、音ってね、完成しないほうが好き」

 「どうして?」

 「未完成のほうが、“続き”を想えるから」


 その言葉が、不意に胸の奥を突いた。

 俺は何も言えず、ただギターを抱えたまま、

 紬の横顔を見つめた。


 彼女はスマホを胸に当て、静かに目を閉じた。

 「ねぇ、蒼真。

  私の声、ちゃんと届いてる?」

 「……あぁ。ちゃんと届いてる」

 「じゃあ、それでいい」

 そう言って、紬は笑った。

 けれどその笑顔は、ほんの一瞬だけ影を帯びて見えた。


 その日から、ふたりは放課後になると

 決まって同じ場所に集まり、

 少しずつ曲を作り上げていった。


 ギターの弦を指で弾く音。

 紬の声が重なり、旋律が生まれる。

 スマホで録音するたび、波形が積み重なっていく。

 まるで、二人の時間そのものが

 記録として残されていくようだった。


 ある夜、紬がふと呟いた。

 「ねぇ、もし完成したら、この曲どうする?」

 「投稿しよう。SNSとか、配信サイトとか。

  紬の声、世界に届けたい」

 「世界に……?」

 紬は少しだけ目を伏せた。

 「でも、そんなの、夢みたいだね」

 「夢を見なきゃ、始まらないだろ」


 その瞬間、紬の目に月が映った。

 満ちかけの月が、彼女の瞳の中で静かに揺れていた。

 「……ねぇ、蒼真。

  月の音って、聴こえると思う?」

 「音? 月に?」

 「うん。だってあんなに光ってるのに、

  何も言わないなんて、寂しくない?」


 俺は答えられなかった。

 けれど、不思議とその夜から、

 彼女の声が月の光に似ていると思うようになった。


 柔らかく、届くようで届かない。

 確かにそこにあるのに、触れようとすると

 指の隙間から零れ落ちるような――そんな声。


 数日後、学校の屋上で紬が倒れた。


 最初は立ちくらみだと思った。

 けれど、彼女の顔色は少し青ざめていて、

 呼吸が浅く、指先が冷たかった。

 「ごめん、ちょっと……貧血かな」

 そう言って笑った紬の声は、

 いつもより少しだけかすれていた。


 「無理するなよ」

 「うん、大丈夫」

 彼女はそう言いながら、

 どこか遠くを見るように空を見上げていた。

 そこには、薄く霞んだ昼の月が浮かんでいた。


 その日を境に、紬は少しだけ変わった。

 放課後の歌も、少しずつ短くなった。

 笑う回数が減ったわけではない。

 けれど、何かを隠すように笑うことが増えた。


 ある日、俺がふとスマートフォンの録音アプリを開くと、

 そこには見覚えのない音声ファイルがあった。

 タイトルは「tsumugi_01」。


 再生ボタンを押すと、

 紬の声が、静かに流れた。


 ――「この声が、誰かの夜を照らせますように。」


 それは、俺が知らない紬の声だった。

 やさしく、祈るようで、どこか寂しげな声。

 録音はすぐに終わった。

 その余韻だけが、部屋に溶けた。


 俺は思った。

 ――この音を、守らなきゃ。

 誰にも壊させちゃいけない。


 けれどその決意の裏で、

 紬の中で何かが静かに壊れ始めていることを、

 そのときの俺は、まだ知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ