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第1章 出会いの旋律

 翌朝、空は薄い水色をしていた。

 夜の名残のように冷たい風がビルの隙間を抜け、

 街の喧騒がゆっくりと目を覚ます。

 昨日、あの声を聴いた場所を、俺――蒼真はまた訪れていた。


 アーケードの天井には、朝の光が乱反射している。

 まだ誰もいない通り。

 その静寂の奥に、昨夜の余韻が残っている気がした。

 耳の奥に、あの歌声が確かにこびりついている。

 言葉ではなく、音そのものとして。


 ――あの声を、もう一度聴きたい。


 それだけの理由で、俺は足を止めた。

 ギターケースを背負った少女が、少し離れたベンチに座っていた。

 紬だった。

 彼女はスマートフォンを手に、静かに画面を見つめている。

 小さなスピーカーから、昨夜の自分の歌声が流れていた。


 「……そんなに聴く?」

 思わず声をかけると、紬は少し驚いた顔で振り向いた。

 その瞳は、まっすぐで、透明だった。

 風に揺れた髪が頬にかかる。

 彼女は軽く笑って、

 「確認してるだけ。昨日、少し外れてたから」

 と、照れたように言った。


 「外れてた、か?」

 俺は首をかしげる。

 「どこが? 完璧だったろ」

 「ううん、違うの。音じゃなくて……気持ちのほう」

 紬はそう言って、胸のあたりを軽く押さえた。

 「昨日は、風が強くて。ちゃんと“届いて”なかった気がして」


 その言葉に、俺は息を飲んだ。

 ――“届いていなかった”。

 それは、音楽をやる者なら誰もが一度は恐れる言葉だった。


 「俺には、届いたよ」

 気づけばそう口にしていた。

 「録音より、生のほうがずっと響いた」

 「ほんと?」

 「嘘じゃない。俺、音楽やってるから」


 紬の瞳がわずかに丸くなった。

 「バンド?」

 「うん。ギター」

 「へえ……」

 そう言って、彼女は立ち上がると、ギターケースを背負った。

 「ねえ、聞かせて。あなたの音」


 突然の言葉に、俺は息を詰めた。

 朝の光が、紬の輪郭を柔らかく照らしている。

 その瞳の奥に、昨夜と同じ熱があった。


 俺は少し迷ったあと、ベンチに座り直した。

 ケースからギターを取り出し、弦を鳴らす。

 乾いた音が空気を切り、通りに溶けていく。

 紬が小さく頷いた。


 「きれいな音」

 「紬の声には敵わないけど」

 「そんなことない。音って、誰かの心を揺らすためにあるんでしょ?」

 そう言いながら、彼女はスマホを差し出した。

 録音アプリが開かれている。

 「ねえ、一緒に録ってみない?」


 その瞬間、世界がふっと静まった気がした。

 風の音も、車の音も、遠くのざわめきも、

 全部がひとつの“前奏”に変わっていくようだった。


 俺たちは顔を見合わせ、同時に弦を鳴らし、声を重ねた。

 最初はぎこちなく、でもすぐにひとつになった。

 紬の声は、まるで空気の中に光を描くように響いた。

 その声に導かれるように、俺の指は自然とコードを変えていく。

 音が重なり、溶け合い、ひとつの景色をつくる。


 録音ボタンの赤い光が、小さく瞬いた。

 その瞬間、俺は確信した。

 ――この声は、記録するためのものじゃない。

 いま、この場所で生まれて、消えていくための音だ。


 曲が終わると、紬は小さく息をついた。

 「ね、届いたかな」

 「うん。ちゃんと届いた」

 そう答えた俺の声が、少し震えていた。


 紬は笑った。

 それは、朝の光よりも温かく、

 音よりも静かな微笑みだった。

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