演劇に関する閃き
僕は考えを改めた。
受肉した黙示録の仕業と結論付けられた、前回の一件。
あれは、天使を狙った攻撃と解釈できる。
おそらく、敵は想像以上に梧桐志鳳を警戒している。
僕が裏にいる事には気付いていないのか、僕に対する攻撃はまだない。今の内に、自由に動ける僕が対策を講じなければ。
あのような事態を招かない為に、他の超越者とは積極的に友好関係を結ばなくてはならない。
少なくとも間接的に動向を探るだけでは不充分だ。痛いほど理解した。あの力だけ肥大した超越者共め。
まずは、四大組合の一角。聖蹟連合の最高戦力──神聖喜劇。
ここと協力体制を築きたい。
前衛に長けた異能者が所属する性質上、神聖喜劇には単純で堂々とした性格の者が多い。
超越者の中では一番扱いやすいだろう。
『失伝──黒い星の光冠』
僕の髪に光の糸が絡み付く。更に。
『失伝──独り善がりな栄光』
僕のもう一つの失伝。
僕の背後。後光のような光の輪が出現し、そこから四方八方に光が拡散する。
空間を満たすように降り注ぐ光の矢は、対象を何処までも追尾して射貫くはずだった。
『がっはっは!流石に失伝は痛いぜよ!』
ボサボサの黒髪。眼だけが異様にギラついている男が、マナで形成した刀で数本の矢を払い、残りは生身で受け止める。
傅膏のヤザタ・スプンタ。
シグネットは耐性。桜国のサムライに感銘を受けて果たし合いに目覚めた、神聖喜劇きっての戦闘狂。
『少しは回避する姿勢を見せなさいな、ヤザタ。貴方のせいで、わたくし達の人格まで疑われますわ』
長い前髪で両目を隠した、薄暗い灰色の髪の女が、減速させた光の矢を殴り砕きながら溜め息を吐く。
洗礼のラミナ・クルシフィックス。
シグネットは時間。周囲の時流に干渉する力と世界屈指の体術を併せ持つ、神聖喜劇のトップ。
思わず舌打ちが出た。
『これだから、第0位階のバグ共は……!』
『失伝を二つも使える時点で、貴女も同類ですわ、極光』
それは、術式の研究にしか興味のない時期があったからだ。僕が第0位階に至るまでに、どれだけの時間をかけたと思っている。
そもそも僕は閑話をラミナに繋いでいない。術式を発動する為に閑話を利用して、自身のマナに指示を送っているだけだ。
なのに、失伝を二つ使った事が当然のようにバレている。恐ろしい観察眼。
『それに、光のシグネットには既に耐性があるぜよ。知っちゅうか?あの……今は断章取義で壟断とか名乗っちょる男。以前には何度も死合うたぜよ』
そうだ。神聖喜劇は梧桐志鳳の古巣でもある。
僕が失伝のヒントを与えて、シグネットの複合を完璧に身に付けるまで、彼は前衛として体術をメインに戦っていた。
この戦闘狂なら、光のシグネットを食らった事もあるだろう。
『……嫌な事を思い出させないで下さいまし。貴重な知覚系を引き抜かれたのは、一生の不覚ですわ』
『最後まで猛反対しちゅうたのは覚えちゅうが。神聖喜劇と断章取義のトップ同士の一騎討ちは、見物だったぜよ!』
『あの粗暴で傲慢な男──晩鐘に敗れたなんて、本当にわたくしの汚点ですわ……!』
四大組合の最高戦力。そのトップは基本的に仲が悪い。
神聖喜劇の堅物お嬢様。残体同盟の拗らせ戦闘狂。断章取義の傲慢ノンデリ男。淫祠邪教の腹黒チャラ男。
まあ、そうなるだろうな、って面子だ。
元引き籠もりの僕が言える筋合いではないが、お前ら少しは他人に合わせる事を覚えろ。
「で、模擬戦をやった意味は?」
ヤザタが豪快に笑う。
「がっはっは!相手の人柄を知るには戦ってみるのが手っ取り早いぜよ!」
ラミナも頷く。
「その結果、貴女がとても清い心の持ち主だという事が分かりましたわ。先ほどの提案は前向きに検討させて頂きましょう」
こいつ、目が腐ってるのか?
「わしゃあ、強い奴と戦う機会が増えれば、それで万事オーケーぜよ!」
こいつ、頭が狂ってるのか?
「……これから、よろしく」
「ええ、よろしくお願い致しますわ」
「がっはっは!よろしゅうぜよ!」
微妙に納得できない気持ちが残ったが、僕は大人の対応をした。
「閃いた」
「その前に!私が冗談みたいに連れて来られた理由を説明して下さい、壟断!」
白髪の小柄な女性──諧謔の異名を持つスフィア・ミルクパズルは慌てて確認する。
自分に敗北を刻んだ超越者から急に連絡があり、呼び出されたかと思えば、何か意味不明な事を言い出した。
こういう輩がいるから、知覚系が奇人変人なんて風評被害を受けるのだ。スフィアは自分の犯罪歴を棚に上げて憤慨した。
「連盟からの罰則。膨大な贖宥値を稼がないといけないはず」
「ぐっ……!それを持ち出されると何も言えませんが……」
スフィアは気まずそうに押し黙る。
彼女は過去のやらかしによって、連盟から様々な罰則が課せられている。
それを脱するのに必要なのが、贖宥値。
異能社会に貢献したと判断されると、この数値が加算され、規定額が溜まると条件付きで自由の身になる。
要するに、社会貢献をして罪を償えという事だ。
しかし、この流れは……。
「……もしかして、贖宥値を大きく稼ぐ手段を御存じだったりします?」
連盟のデータベースには、位階に応じた閲覧制限がある。
スフィアは上位者だが罪人なので、あまり詳しい情報は得られない。
だが、志鳳のような第0位階の超越者ならば、ほぼ無制限に閲覧可能だ。彼女の知らない裏技を知っていても不思議ではない。
「それなら是非とも知りたいなあ、なんて思いますよ……?」
スフィアは最大限に瞳を潤ませて、上目遣いで媚びてみる。
どうせ、志鳳に文句を言ったところで、戦闘になったら勝てないのだ。
異能者にも相性があり、それ次第では力量差を覆す事があるが、同系統のシグネット使いにおいてはその望みも薄い。
同じ知覚系同士が正面から戦って負けたからには、既に格付けは終了している。
「それは知らない」
「帰ります」
踵を返そうとしたスフィアに志鳳が言う。
「せっかく監視が消えたんだから、ゆっくりしていけば良いのに」
「えっ、監視……ですか……?」
聞き捨てならない。長年の逃亡生活で培った勘が足を止める。
「君は重罪人。監視の目がないと思ってた?多分、連盟の粛清部隊──砂紋部隊のメンバーもいるはず。僕と合流したから、刺激しないように少し離れた」
「……私の危機察知のシグネットは反応していません。まさか、砂紋部隊が……」
国際異能連盟は、行政を司る枢密院と軍事を司る紋章院、そして医療を司る治療院の三機関が運営している。
これらが様々な議題を話し合い、最後に超越者達の承認を経て執行されるのだ。
ただし、半数以上の超越者は欠席が基本なので、実質的には彼らが連盟の最高意思決定機関と化している。
「砂紋部隊なら知覚系を誤魔化すくらいは簡単。そういう技術に特化してるから」
砂紋部隊。超越者に頼れない事態に備えて紋章院が結成した、連盟の切り札。
彼らは異能社会の秩序を乱す者を粛清する技術に特化しており、速やかに対象を排除して去っていく。砂の上の紋様のように、その正体は誰にも掴めない。
「詳しいですね……」
「昔、技術協力を求められた事がある」
「それ、言っちゃって良いんでしょうか?」
志鳳は少し考えて答える。
「悪くても、君が消されるだけ」
「ちょっと、止めて下さい!冗談抜きで!」
スフィアは蒼白になった。
「それで、本題。演劇を見に行きたい」
「この流れで!?」
知りたくもない地雷情報を聞いた後に、趣味全開の提案を受けて、スフィアは思わず声を荒げる。
「別に遊びに行くわけじゃない。演劇会場の設営準備を手伝う。立派な社会貢献。贖宥値も稼げる」
「どうせ雀の涙程度ですけどね」
「超越者の口添えがあれば、模範行動として少し加算される事がある。それに、僕のシグネットを警戒して監視も遠巻きになる」
「喜んで、御伴させて頂きます」
スフィアは現金な女だった。
「ついでに演劇も観て帰れば、完璧」
「あの、そういえば私を呼んだ理由って?」
「友達が皆、忙しくて来れなかった。君なら都合に配慮する必要なく呼び出せる」
「私にも都合はありますからね!?」
「と言うわけで、来た。劇場の広さに定評のあるベリス」
「確か聖蹟連合の本部があるんでしたっけ。おっかないですね」
スフィアは肩を竦める。
「アウトロー視点が抜けてない。5点減点。連盟に報告しておく」
「うわあ、綺麗な街ですね!ここに住みたいくらいです!」
査定を握られている立場は、非常に弱かった。
「ちなみに、アインの昔の活動拠点があった」
「……誰です?」
「今は超越者」
「って、幻像のアイン・ディアーブルですか!?化け物じゃないですか!」
「5000兆点、減点」
「桁が違い過ぎませんか!?」
そうやって街を眺めながら歩いていると、劇場に到着した。
「広いですね。演劇なんて全然興味なかったので、なんか新鮮です」
「係の人に話は通ってるはず。異能者専用の劇場だけど、上位者の容姿で目立つと迷惑をかける。認識失墜の祭具は持って来てる?」
「私を誰だと思ってるんですか。忘れた事なんてありませんよ。犯……買い物の時に便利ですからね!」
「今のはセーフにしておく」
劇場の中に入ると、舞台上に布をかけた大きな物体があり、壁際に大道具などが並んでいた。
「雑然としてますね。劇場ってこんな感じですか」
「異能者がいれば、マナを使ってスムーズに組み立てができるから、物が多くなりがち」
「ああ、確かに。普通は組み立てに時間がかかりますよね。その様子だと、未能者の劇場にも行った事あるんですね」
「買った事ある」
「金銭感覚、大丈夫ですか?まあ、とりあえず舞台の方に行ってみますか」
そして、舞台に上がった瞬間、スフィアのシグネットが反応した。
『ッ!壟断!私のシグネットが危機を察知しました!秘伝──厄災を示す地図!』
異能者のシグネットは、限定的であるほど基本性能が高い。
『対象は──この劇場の全体!?』
自身の危機の察知に特化した彼女は、志鳳よりも先に異変に気付いた。
『失伝──|針の上で天使は何人踊れるか《シースレス・エンジェル》』
細い光の糸が無数に発生し、志鳳の青髪に絡み付くように展開する。
そして。
『んなっ!?』
志鳳は小柄なスフィアを抱き抱え、後方に飛んだ。大道具の陰に隠れていた大量の何かが、彼女の立っていた場所に殺到する。
『彫刻?』
それは人の姿をした存在。だが、無機物にしか思えないほどに、機械的な動きをしていた。
『少なくとも人間には見えませんね……!』
スフィアは知っている。
洗脳や薬物、または人心支配のシグネットでも、こんな状態にはならない。虚ろ、ではなく魂が感じられないのだ。
『あの……一度降ろして……。ッ!壟断、後ろです!』
舞台に置かれていた、布をかけた大きな物体。それが志鳳に向けて突撃してくる。
その正体は巨大なライオンだった。
『ライオン!?しかもこれ、あの人達と同じ……』
『そう。生物にしては不自然』
それもまた、機械のように淡々と志鳳に攻撃を繰り返す。
志鳳は回避しながら光の槍を投げてみるが、想像以上に頑丈で深く刺さらなかった。
手間取っている間に、何処に隠れていたのか、劇場内を埋め尽くすほどの彫刻が現れる。
人間だけではなく、犬や鹿、果ては見たこともない謎の生物を模した彫刻まで出現した。
『何ですか、これ……!でも、この動き……もしかして……』
『何か分かった?』
志鳳の腕の中で混乱していたスフィアは、危機に瀕して悪党としての冷静さを取り戻し、思案する。
『……はい。おそらくは操り主がいますね。機械的な動きの癖に、貴方に対する攻撃に理知的な駆け引きが感じられる。断言しますが、事前入力でこの柔軟性を保つのは無理です』
『流石。それは長年暗躍してきた悪党としての勘?』
『冗談でしょう。私なら露見しないように、もっと慎重にやりますよ』
笑いながら言うスフィア。二人は共に知覚系のシグネット使い。故に、理解していた。
ライオンの攻撃が志鳳の体を弾き飛ばし、人型の彫刻に囲まれる。光の剣で包囲網に僅かな穴を空け、強引に脱出する。
志鳳だけなら対処は可能だろう。しかし、スフィアを守りながらでは、もう無理だ。
『私を捨てて行って下さい。壟断──梧桐志鳳様』
スフィアは笑顔を取り繕った。
『私はこれまで、沢山の足手まといを切り捨ててきました。だから、自分の番が来たら見苦しく足掻かないと決めていたんです。悪の矜持──笑いますか?』
志鳳は普段通りに無表情だ。
『ごめん。僕は笑うのは苦手。天使を降ろしてる今なら笑顔を作れるけど、今日はそんな気分じゃない。だから、代わりに』
しかし、実際の内面は見聞きした事柄に影響を受けやすいミーハー気質。他者に深く感情移入してしまう性分。
『僕が見苦しく足掻く』
何事も形から入ろうとするタイプの人間であった。
志鳳は舞台役者のように格好付けて、一つの術式を発動した。
『失伝──この世は舞台』
それは正真正銘、梧桐志鳳が生み出したオリジナルの術式。
これまでにシグネットで追体験した過去の断片を、自身に可能な範囲で再現する。
最初は口伝どころか、秘伝や皆伝にも至らない程度の術式だった。何故なら、今の自分にできない事は再現できないからだ。
しかし、志鳳はこの術式に可能性を感じた。
それはつまり、自身の肉体と精神を研鑽し、可能な範囲を広げていけば、何処までも強くなれる。
そういう事ではないか、と。
過去を読み解くシグネットを持つ彼は知っている。人間に限界などない。
『再演──完全無欠な矛盾』
光の矛と盾が無数に出現し、志鳳を守るように浮遊する。
『再演──洗礼』
志鳳の肉体に、彼の知る限り最強の体術が宿る。
志鳳には一つの才能があった。
他者の過去に深く共感し、それでも自分自身を見失う事がない──演者の才能が。
梧桐志鳳。彼は第0位階にしては珍しく、自身の強さに誇りを持っていない。
あの至上の女王──ベート・バトゥルですら、封印されるまでは強さに執着したというのに。
ただ、今。この瞬間だけは。
『──僕が最強』
光の矛が彫刻を一掃する。
ライオンの突進を光の盾が止める。
最後に。
「これにて、終演」
彼の拳がライオンの全身を叩き砕いた。
「志鳳様ッ!」
スフィアは倒れ込む青髪の青年を受け止め、優しく膝の上に寝かせた。
「……最初に会った時から分かってましたけど、本当に目茶苦茶な人ですね」
「僕は普通」
志鳳の全身にマナを流して怪我を治す。
スフィアは他者を信じない性格なので、マナによる手当てはいつも自分でしていた。自分以外に使うのは初めてかもしれない。
「覚悟を決めた私が馬鹿みたいじゃないですか。ねえ」
軽く小突かれた志鳳が微妙な表情をする。
「まあでも、私、嫌いじゃないですよ。そういう冗談みたいな人」
スフィアは悪戯に笑った。
「──たまには、演劇も悪くないですね」
『あれは偽典だな』
悪魔はそう呟いた。
「偽典?」
『黙示録に創造されて、手足となって動く存在の事だよ。操り彫刻、といったところか。君の願いは人手を必要とするものではなかったから、知らないのも無理はないがね』
様々な生物を模した彫刻。似たような事ができるシグネットはあるが、悪魔の目から見ると何か違いがあるのだろう。
「派手に動き出した」
『まあ、今回は威力偵察だろうね。あわよくば、深手を負わせたかっただろうが。それがまさか……クハハッ!』
悪魔は嘲笑う。
『前回の戦いを仕組んだ事で、逆に梧桐志鳳を強化してしまっていたとは!我輩の同族達には同情せざるを得ないな!』
「お前達は同族意識があるのかないのか、分からない」
僕は呆れ半分、疑問半分で言ってみる。
『それは難しい質問だな。仲良しというわけでもないが、互いの邪魔をしたり、潰し合う気もないのだよ』
悪魔は存外、真面目に応答した。
『世界を崩壊させるという大目標はあるが、別にその引き金は誰が引いても良い。それまでは精々、余興代わりに人の営みでも眺めて暇を潰そうか。総意としては、そんなところだろうな』
僕は以前に悪魔から聞いた話を思い出した。
『どんな過程を辿ろうが、この世界の自己防衛機構──摂理さえ崩壊してしまえば、後は黙示録の独壇場だ。ゆっくりと我輩達の好きなように上書きして……世界を滅ぼせる』
それは黙示録の本能らしい。
『同族同士の争いなどそれからで良いだろう?共通の目標があるのに内輪で揉める馬鹿がいるかね?』
人が明日を生きようとするように。
悪魔は当たり前に──世界を滅亡させる。
『なあ、相容れないだろう、人類と黙示録は』
交渉も懇願も無意味。
だから、それは、二つの種による。
──生存競争。