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【海水浴】に関する瞬き

 この世界は一握りの天才が回している。


 凡人にとって、スケールの大きい問題は常に他人事だ。私はそれを責めようとは思わない。我々天才の足を引っ張るような愚を犯さなければ、他力本願で結構だと考えている。


「さて、死に損ないの秀才諸君。超越者が多数存在するにも関わらず、世界はこうして詰んだわけだが……理由は分かっているだろう?」


「私の計算によると、敵のリーダー格……『ステファノス』が原因かと」


 枢密院の総裁『ディーシ』が答えた。限界を越えて『賢者の方舟』と接続した代償なのか、彼女の虹色の短髪は灰のように濁っている。


「アレは能力値が高いだけではどうしようもありません。億を越えるシミュレーションでは『我々人類がどう動いたとしても世界は滅んでいた』という結論が出ています」


 これは異常な事だ。あの最強の女王ですら制覇し切れなかった世界が、両手の指程度の人数に完全攻略されたというのだから。


「1%の勝算が芽生える度に、『確率』操作で0に戻される。……こんな超越者の越え方があったなんて、もっと早く知りたかったよ!」


 対抗神話の第1室長『ロムバス』博士は、疲弊した面々の中で場違いに目を輝かせる。


「惜しいな! 第2室長が出奔中じゃなければ意見を訊きたかった!」


 遠隔操作の客体を全て破壊され、本体が首だけになって尚、彼は菱形の箱の中で好奇心を漲らせていた。ここまで来ると清々しい。


「任意で奇跡を作り出す能力とは……ごほっ……。反則ではないか……」


 白いポンチョのような貫頭衣を着た金枝玉葉の当代『エフェソス』が呻いた。血統進化の極北たる彼女の美貌は見る影もなく、頬から喉にかけて瘴気侵食の痕が刻まれている。

 

「超越者を総動員しても無理、試行回数を増やしても無駄……」


 補綴戦姫『リリパット』。女性型の義体に宿る直魂の彼は、失った両腕の代わりにストローで栄養剤を吸い上げた。


「ぷはぁ……俺達の努力不足なら少しは希望がありますけどね。世界をひっくり返して、エンドコンテンツを全て漁っても対処できなかったんでしょう? ……手詰まりですよ。良い意味で」


「えんどこんてん……? 要するに、連中のやり口は邪道という事でよろしいか。道理で鍛練の匂いがしない者が混ざっていたわけですな。ふむふむ」


 全身に刺青を刻んだ女性……羽化登仙の『大安(ダーアン)』が頷く。欠損の1つもないのは、腐っても武術の総本山だ。


「話が理解できないなら茶でも飲んでろォ」


 紋章院の総裁『ポールヴ』は眼帯を押さえる。


「……円卓ゥ。何のつもりで、修行馬鹿の脳筋まで呼んでんだァ」


「しかし、羽化登仙には異能武術の発展に大きく寄与した功績がありまして……」


「知るかァ。世界がこれから終わるって段階で面子に配慮してどうするゥ。ただでさえ、有力な超越者が軒並み死んじまってんのにィ……」


 管理職は最後まで大変だな。


「おや、その言い方だと、まるで生き残った私達が無能みたいだぞ」

 

「いや、あんたらはァ……」


「とんでもない! 亡くなった御方々は幽世へ導かれて真なる神となられましたが、アイン様方が生きておられる事もまた天命! 神智教一同、微力ながら支えええええええええええ……」


 卵型の祭具を祈るように掲げ、眼球を上向かせてハイになっていた幼女が、舌を出しながら痙攣し始める。


 その全身にはコネクターが突っ込まれており、割れた卵の殻のような衣装の表面がチカチカと発光していた。


「信仰をををををををををををををを……」


「神智教の教皇『ハンプテイル・ムラウジ』。彼女は終末への恐怖で壊れたのか?」


「いえ、昔から何も変わらず、常にあんな感じです。興奮すると言葉が出なくなるようで」


「それはそれで、色々と問題では……?」


 皆が満身創痍、未来の可能性が絶たれた上で……それでも最善を尽くそうとする『個』の輝き。


 在界の歴史が生み出した傑物達は最期の瞬間まで自分を貫こうとしている。人類の1人として誇らしい。


「……そろそろ本題に入ろうかァ。幻像さんよォ。俺達に頼みたい事って、何だァ?」


「ああ、別に大した用件じゃないぞ」


 私は器仗にマナを集めながら、笑顔で言った。


「──全員、ここで死んでくれ」




 研究者の敵は私情だが、それを完全に捨て去る事は誰にもできない。何故なら、『研究』という行為自体が人の都合で開始するからだ。


 私も例外ではない。遺物発生の仕組みを研究していたのは、親友と共に過ごす時間を万が一にも壊させない為である。


 摂理の歪みが危険域に達している事は大きな懸念事項だった。最悪、詩凰(シオン)君だけ連れて異界へ逃げる案もあったが、彼女は筋金入りの引き篭もり。了承は得られないだろう。


 だから、仕方なく世界を救う事にした。


「あらゆる可能性(1%)が殺される。超越者を含めた現存する要素では突破口になり得ない。だったら、前提条件(せかい)の方を変えるしかないだろう?」


 考えるべきは『この世界をどう救うか』ではない。『救われた世界とこの世界をどう繋ぐか』だ。世界の在り方に執着を持たない私だからこそ、その結論に至った。


「私は今から、この世界の全存在を材料に『黙示録』を創る。死者も生者も……私自身の魂さえも捧げた最期の異能行使だ」


 そして、莫大なエネルギーを注ぎ込まれた黙示録が誰かの願いを叶えた瞬間、過去に例のない規模の『摂理の歪み』が発生する。歪みの反動は1つの遺物に形を変え……。


 ──世界の隙間を埋める『天使』が誕生する。


「無茶苦茶だ……!」


「だが、どうせ終わる世界だぞ。私の有意義な提案に捧げても構わないだろう?」


 迷う時間は与えない。


「激発特異点《パロクシズム・インパス》制圧作戦を成功に導いたのは誰だ? ノチェブランカの落日を阻止したのは? シズリの証明限界を打破したのは? 今回の件も私は前々から予測し、行動していたぞ」


 私の実績を知る彼らには、ただの妄想と切り捨てる事はできないはずだ。


「大丈夫だ。君達に責任はない。私が全てを解決してあげよう」


 駄目押しの甘言が蜘蛛の糸のように垂らされる。深い沈黙が場に満ち、誰かが呟いた。


「……悪魔」


「褒め言葉と受け取っておくよ」




 終末世界には格というモノがある。


『改編──終末世界(コンクルージョン)No.1』


 多数の超越者と上位者の命を呑み込んだ私の終末世界は、遺失支族と比べても圧倒的な強度を誇る空間だ。それは確信を持って断言できる。


 短い間とはいえ、私達の世界は終末の侵攻を跳ね除けていたのだから。


『冥府のメム君が死者の残滓を保管していたのは幸運だったな。おかげで、ほとんどの生命情報を再生させられる』


 墓守なんて仕事が救世の鍵になるとは実に数奇な話だ。これなら私のシグネット……いや、ディザイアを最大限に活用できる。


『イメチェンか!? 強くなったなら大歓迎だ! どかーん! とかかってこいや、青髪!!』


 ドゥレッザが淡い茶髪を掻き上げた。そうか。なら、遠慮なく行こう。


『模型──神器【ジュージュマン】』


 私の手に鉤爪が出現する。ドゥレッザが質量の壁を作って防御体勢に入るが、その対応は不正解だ。


『線は点に』


 供犠のシン・ジュージュマンが持つシグネットは、次元そのものを変化させて確実に距離を潰せる。


 私が手放した鉤爪は質量の防壁を無視し、ドゥレッザとの距離をゼロに近付けていった。


『舐……めんな!』


 ベキンと折れる。おいおい、元同僚の形見みたいな道具なんだぞ。大切にしてくれよ。 


『自身の肉体の質量を高めたな。だが、手持ちはまだまだあるぞ。模型──神器【ダーム】』


 丸鋸。大赦のレテ・ダームが愛用していた器仗を具現する。


『そのディザイアで記憶を守れるか?』


『気合いで弾いてやんよ!』


 おや、確かに効きが悪いな。かなり凄惨な記憶を植え付けたはずなのだが……。どうやら精神系のシグネットを通すには、出力以外にも相手の心に隙を作り出す技術が必要らしい。


『やはり、生来の異能とかけ離れた『神器』は扱いが難しいぞ』


 神器。


 砕け散った超越者の魂とエネルギーを内包した、今の私にしか造り出せない道具。遺物以上、黙示録未満の『神の器』だ。


『さっきからチクチクと……そんな軽い攻撃で俺を殺せるかよ! 戦いってのは重さだ! パワーだ! ずがーん! と教えてやる!』 


 ドゥレッザは自身の終末世界に残ったキューブを蹴り飛ばしてくる。


『おっと、勘違いさせたなら申し訳ない。私は最初から君相手に乱打戦で勝とうとは思ってないんだ。模型──神器【バトゥル】』


 フランベルジュを抜いた。


 擅権のベート・バトゥル。この異能は意外にもよく馴染む。私は終末世界を解除し、遥か彼方を指差した。


『──飛べ』


『うっ……ぇあああ……!?』


 遠ざかる悲鳴を追って、私自身の体も飛ばす。とんでもないシグネットだ。そして、相応に負担も大きい。




 私達はパシフィス遺構の透き通った海原に、水飛沫を上げて着水した。


『心の底からの無力感と願いがなければ、黙示録とは契約できない』


『あん? それがどうしたってんだ?』


 ドゥレッザの方は全く濡れていない。ここに飛ばされた事を警戒し、質量の壁で身を守っているようだ。


『だから、超越者が黙示録と契約する事は本来あり得ないはずだった。莫大な力を持つが故に、自分以外の力に縋れない。それが超越者の欠点』


 私は水面にフランベルジュの刃を浸す。


『彼女だけに可能性があったんだ。誰よりも情が深く、人との別れが辛くて引き篭もってしまった詩凰君にこそ……救世主となる資格がある』


 私の愛しい親友は、超越者に至りながらも『人としての弱さ』を捨てられなかった。そんな彼女にしか世界は救えない。


『その銅色の鈴が君の本体なんだろう、ドゥレッザ? 模型──神器【パペス】』


 パシフィス遺構の河川が増水して渦を巻く。横回転、縦回転、斜め回転。激しい水流がドゥレッザを囲み、絞り上げようとしていた。


『洗濯機に放り込まれたみたいだな』


『軽いって言ったろ! スーパーパンチ!』


 海が割れる。ドゥレッザは鈴を握って笑った。


『この受肉体の表皮と同じく、終末の鈴(おれ)は摂理の限界を越えた質量(きあい)で、あらゆる変化に抗うのさ! ざぱーん! と全世界の海水を集めたとしても、軽く跳ね返してやる!』


『そんな事は知ってるぞ。天才だからな』


 猪尾(イオ)君達には感謝しよう。彼女達が突撃要塞バンガードールを破壊していなければ、本当に勝ち目がなかった。


 範囲質量攻撃で身動きが取れなくなったのは仕方ない。徹底的に対策してきた私ですら、質量軽減に特化した遺物を幾つも身に纏ってギリギリ動けているのだ。


『私は君達の全てを知っている。だが、遺失支族(きみたち)は超越者(わたしたち)を理解できていないようだ』


 水を循環させる。雨を降らせ、滝を落とし、渦を増やす。海の化身のような激流は質量の壁に阻まれてドゥレッザまで届かない。


 その繰り返しの中で、確かな変化があった。


『なあ、ドゥレッザ君。水の最も特筆すべき特徴は何だと思う?』


『……何だ、急に? お勉強かぁ?』


『そうだ。何も考えずに暴れるだけで脅威な君達と違って、人間という種族は頭を使って工夫する必要があるからな。ちなみに、私の出した答えは……』


 指を鳴らす。


『溶解能。あらゆるモノを内に溶かす力だ』


『……っ! まさか!』


『気付くのが遅い。もう随分と近くまで水が迫っているぞ?』


 残体同盟のトップ、ギーメル・パペス。彼女の水は触れた物質を解析し、マナも遺物も関係なく溶解してしまう。


 バンガードールのように巨大な物体を溶かすとなると時間がかかるが、空気に質量を付加しただけの壁を削るくらいは簡単だ。


『分かるだろう? 今の私は君と同じ黙示録(バケモノ)。黙示録の力で殺されてしまえば、もう復活できない』


『こんなもん、俺の体に触れる前に吹き飛ばしてやんよ!』


 河で泳いだ後の獣のように水を振り払う。


『こんなもの、か。確かに、こんなものは君を殺す為に用意した手段の1つに過ぎないぞ』


 払われた水飛沫が霧となり、宙を漂っていた。


『この水滴1粒1粒に、全く別の術式(さつい)が刻まれている。天才の私なら瞬時に読み解いて適切に対処できるが……君はどうだ?』


『おい……おいおいおい、待て……!』


 数多の世界を理屈抜きの力で捩じ伏せてきた黙示録の顔が引き攣る。


『たまには頭を使ってみると良い』




『っだぁ、畜生! 根性で防いでやらぁ!!』


 ドゥレッザの質量が更に増した。本当に底が見えない。


 質量のディザイアは自身から離れるほど効果が弱まるらしく、他の遺失支族ほどの大量殺戮性能はないが……それを補って余りある個体としての強度。


『やはり、ここで始末しておいて正解だったな』


 ぐしゃり。


『あ……』


 ドゥレッザは自身が握り潰した銅色の鈴を見下ろし、唖然とする。


『この世界に君を殺せる攻撃手段はない。どんな異能をぶつけても表皮を薄く傷付ける程度が限界だ。……ドゥレッザ。君自身の力を除いては』


 私はステッキでトントンと掌を叩いた。


『模型──神器【リューヌ】。精神を追い詰める事で、ようやく君の認識を狂わせる隙ができた』


『……あれだけの水を操って俺と戦いながら、別の能力を使ってたのか……!?』


『そんなわけないだろう。複数の能力を同時に扱うなんて、幾ら私でも無理に決まってる。水の方は『本物』にやって貰った』


『呼んだかしら?』


 白のラッシュガードを着用した女性が海中から現れる。水平に揃えた水色髪が眩しい。


『お前……! 残体同盟のボスか……!』

 

 戦渦のギーメル・パペス。


 シグネットは水。ライフワークはモデル。わざわざドゥレッザを水場に吹き飛ばしたのは、彼女の力を借りたかったからだ。


 神器から発せられる女王の気配を察知すれば、ギーメル君は必ず来る。そう信じていた。


『何も考えなければ良かったのにな。こっちには決定打がないんだ。自分が最強だと信じ続けていれば、君の勝ちだったぞ』 


『……そうか。ビビっちまってたのか、俺。間抜けな自滅で終わりなんて、これまで壊してきた連中に合わせる顔がないや』


 ドゥレッザが消えていく。


『悔しいなあ……!』


『失伝──明鏡止水の堕涙《アンターニシュト・ティア》』


 長柄の斧槍が振るわれ、美しい曲線を描く水の散弾がドゥレッザの残滓を葬った。


「……君は案外人情があるな」


「雑魚は黙ってなさい。くだらない事を喚く前に、この私を都合良く利用した弁明はないの?」


 水の縄が私を縛る。単純な水流操作の異能だが、精緻に編まれた術式は芸術的ですらあった。


 戦渦のギーメル。彼女は総合力を極めた異能者だ。異能者としての全能力値が最高水準で、特にシグネットの精密操作は私から見ても狂気の域に達している。


「反省はしてるぞ。黙示録(わたし)の改編(こうげき)だから殺されると復活できない、と思い込ませたかったんだ。異能者の攻撃だと分かったら、ドゥレッザ君の余裕を崩せないからな」


「今回は見逃してあげる。ベートの新しい置き土産かと思って確認しに来たのだけれど……完全に別件みたいだから」

 

「置き土産……?」


「貴女は気にしなくて良いかしら。ベートはたまに道楽でおかしなモノを創るの。それだけよ。……本当に理解できないわ」


 ギーメル君はブツブツ呟きながら、水の中に肩まで浸かった。


「もう帰るのか。そんな無愛想でよくモデルが務まるな。少しは女王以外の事にも興味を持った方が良いぞ」


「鏡を見た事はある? 貴女も同類よ。自分の目的しか眼中にないって顔をしてるわ」


「これでも多趣味さには自信があるんだが」


「そう」


 海面に綺麗な波紋が残る。


「自覚がないのなら、足元を掬われるかもね」




 この世界は多数の凡人が回している。


 目立たない群衆(エキストラ)が何も考えていないなどと勘違いしてはならない。どんな愚者にも意識があり、思考があるのだ。


 少なくとも、悪党『スフィア・ミルクパズル』はそう思っている。彼女は自身が天才と呼ばれる人種だと理解しながら、才能というモノに大した価値を見出だしていない。


「奇しくもそれは、彼女の想い人にも通ずる思想であり……ふがふが」


「他人の中身を暴くような独白はやめてください、『賢者の方舟』さん」


 チェック柄の服を着たスフィアにぐにゅーっと押し潰される。鼠のぬいぐるみと化した今の吾輩には何の抵抗もできない。


「遊んでる暇はありませんよ。この人数をリアルタイムで指揮するには貴方の力が不可欠です」


 スフィアが膝に乗せたタブレット端末には、様々な人間が表示されていた。有名な上位者から何の特徴もない未能者まで、画面に映る顔は次々と切り替わる。


「よくもまあ、誰からも警戒されずにこれだけの人員を味方に引き入れたものだね」


「私自身は表に出ない指示役ですから。それに、冗談みたいな力を持つ人達は同格未満の存在に対する警戒心が薄いんだと思います。でなければ、私を自由にしておくわけがありません」


 彼女はガーターリングを巻いた脚を組み。


「自慢じゃないですけど……これでも一度、世界崩壊の火種になった女ですよ? この遺物を使って、ね」


 白髪の根元をトントンと叩いた。


「君が強奪した遺物は回収されたはずだが」


「異能連盟が回収したのはただの『保存容器』です。あれ自体に意味はありませんし、適合者も見付からないでしょう。……私が盗んだ遺物の本体はとある特殊な『ウイルス』です」


「ウイルス……?」


「『印芽』と名付けました。このウイルスには感染した宿主を『疑似的な異能者』に変える作用があります」


 スフィアがとんでもない事を口にする。


「人為的な異能者の量産……!」


「実際に異能を持っているのは印芽の方であって、ウイルスと共生している側は未能者のままですけどね。肉体の祝福(てきおう)もないので、加減して扱わないと自爆するんじゃないですか?」


 彼女は細い肩を竦めた。


「そもそも、感染から異能発現までの潜伏期間が長過ぎて、現段階では精々が『一般人が薄っすらマナを帯びている』程度の変化しか現れてないと思います」


「戦力としては使えないな」


「戦力としては使いませんよ。何が悲しくて、規格外の黙示録や超越者を相手に『戦闘』で挑むんですか。わざわざ敵の土俵に上がるなんて詰まらない冗談でしょう」


 目を挟むように2本の指を立てる。


「2つ。様々な異能者の手を借りて、この印芽(ウイルス)には2つの改造を施しました。1つ目は、感染源となる始祖ウイルスを宿す私が全てのウイルスを制御できるようにする事」


 宇宙船『アステロイド・スキップ』から発見されたナノマシン技術を転用したか。そこまでは納得できる。


「だが、それは……擅権の『ベート・バトゥル』や雑種の『ソーク・ブルームーン』が画策していた人類支配計画と、根本的には同じではないかね? よく連盟に妨害されなかったものだ」


「私の持つ始祖ウイルス以外の印芽は、異能者の纏うマナに弾かれるくらい『弱い』んです。彼らは気付けません」


 スフィアは画面上の小窓(ウインドウ)を指先で拡大した。


「協力機関である『円卓』の未能者が報告し(チクら)なければ。ねぇ、円卓第1席の『ゴルディロックス』さん?」


『……え、何ですって? いや、すみません。通信の乱れで、内容が上手く拾えず……(言質取ろうとしてくるのやめてね、本当に)』


 肥満体の中年男性がペコペコ頭を下げつつ、小声でゴニョゴニョと何かを呟く。


「身の危険を感じると鈍感なフリで逃れようとする貴方の姿勢、私は好きですよ」


『ははは、美しい方に褒められると嬉しいですなぁ。よく聴こえませんが(命懸けの難聴系を演じてるのは誰のせいだと……! こっちも紙一重の綱渡りなんだよ、チクショウ!!)』


「また頼み事ができた時は連絡しますね」


『勘弁してくれ(はい、喜んで)』


「本音、漏れてますよ」


 無力な未能者『ゴルディロックス』の心労は、まだまだ続きそうだ。




「話が少し脱線しましたね。私が印芽に施した2つ目の改造は、感染者間での『閑話』による遠距離通信です。ちなみに、これは潜伏期間でも機能します」


「閑話を……?」

 

「ええ。あの術式を一般人にも普及させたかったので。科学の結晶である貴方には理解できないでしょうけど、アレは異能者の歴史でも屈指の大発明ですよ」


 確かに、処理能力が低下した今の吾輩には想像する事しかできない。


「音や言語に影響されない、完全な意思の伝達。それに付随する精密な術式構築。閑話の存在が『異能』という技術の方向性を決めたと言っても過言ではありません」


「吾輩の記憶が正しければ……閑話の開発者はベート・バトゥルだったな」


「本人が言うには『命令する為に口を開けるのが面倒だから』暇潰しに考えたそうですよ」


 そして、その閃きが最強の称号を揺るぎないモノに押し上げた。女王は命令のシグネットが持つ弱点を完全に踏み倒したのである。


「そんな女王の『発動手順』を見様見真似でパクったのが現代の閑話です。そのせいで異能の基礎技術でありながら、仕組みを理解してる人間は1%に満たないとか。笑える冗談ですね」


「閑話の術式が凄いのは分かった。しかし……」


「んー、『今さら未能者を手駒にしてどうするのか』とでも言いたげですね?」


 スフィアが意地悪く微笑んだ。


「まあ、個としての能力は異能者が上でしょうけど、適切な仕事を割り振れば、特殊な力を持たない人間も案外役に立つものですよ。例えば……」


 操縦席(コックピット)から立ち上がり、衝撃吸収効果のある壁を撫でる。 


「異能に頼らない科学文明の延長線上で開発された、この宇宙船の修理とか」


 宇宙船『アステロイド・スキップ』。


 地球と在界を結ぶ船。未完成のまま発進し、片道だけで航行機能の大部分が破損してしまっていた。


「選ばれし存在だけで殺し合って、何が『人類の総力戦』ですか、馬鹿馬鹿しい。賑やかしの端役にも意地があるでしょうに。だから、私が彼らを舞台に引き上げます」 


「在界の人類が地球の科学を解明する事に賭ける、か。スフィア・ミルクパズル。君は誰よりも常人の可能性を信じているようだね」 


「当たり前ですよ。社会を回してくれる真面目な人達を信じてないと、安心して悪党なんてやれませんから」


 相変わらず、低俗なのか高尚なのか分からない人間だ。ただ、間違いなくイカれてはいるだろう。でなければ、全陣営に中指を立てるような計画を実行するわけがない。


「流石に『対抗神話』の第2室長を務めているだけの事はあるな、スフィア博士」


「元、室長です。私が対抗神話に所属していたのは、他人の研究成果を盗んで売り捌く為だったんですけどね。……まさか、本当に彼らの理念である『神越え』を目指す羽目になるなんて」


 言葉とは裏腹に声は弾んでいる。


「アイン・ディアーブルも、ベート・バトゥルも、梧桐志鳳という人間をまるで分かってない。私が……私だけがあの人を理解できる。終わりを受け入れている志鳳様に、未来を示せる」


 とっておきのサプライズを用意して、白の諧謔(ジョーカー)は全ての条件が揃う瞬間を待っていた。


「前座の皆さん、さようなら。貴方達が壮絶な戦いを繰り広げてる足元で、美味しいところだけ頂きますよ」




 だが、往々にして。

 

 周到な計画ほど予想外が発生するものである。


『──私の名を呼んだか?』


 スフィアの表情が凍り付いた。


『よもや自分の体を取り戻しただけで、これほど爽快な気分になれるとはな。存外、不自由というのも悪くない余興だ』


 血のように赤い、長く垂らした髪。彼女の美貌を引き立てる真紅のドレス。


『女王……!? まさか、世界間移動の衝撃で、遺物による封印が解け……』


『さて』


 擅権のベート・バトゥル。


 シグネットは命令。ライフワークは無し。おそらく、世界最強の無職である。


『面白い事を企んでいるようだな。私も少し興味がある。洗いざらい話せ、白の道化(ジェスター)』


『……貴女、実は意外と友達が多いタイプでしょう? 我儘を許されて育った人間特有の傲慢さを感じますよ、赤の女王(クイーン)』


 完全な状態の女王を前にして、スフィアは精一杯の虚勢を絞り出した。

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