【罠猟】に関する瞬き
「救世主なんて、損な役回りですよね」
討伐作戦の前夜。スフィア・ミルクパズルがホットミルクを飲みながら言った。
「昔、未能者から伝え聞いた伝承があります。……とある国に名君と呼ばれる王がいました。彼は下々の意見も尊重する聡明な人徳者で、非常に幸福な大国を築いたそうです」
彼女は指先から漏れるマナをインク代わりにして、空中に台形の国土を描く。
「しかし、老境に差し掛かった途端、彼は奇妙な行動をするようになりました。実現不可能な妄想に傾倒し始めた、とでも言いましょうか」
スフィアの嘲笑うような語り口は、どんな時でも変わらない。
「彼が求めた夢は、不老」
「不老? でも、それは……」
「ええ、異能者の世界でも難しい事です。その上、まだ超越者もほとんどいなかった時代の事ですから、奇行と呼ばれるのも納得できますね」
部下に命じて不老の手がかりを探させたり、怪しげな研究に投資したり、迷信じみた生活様式を試したり。
「まるで理性を削り取られるように、王は自分を律する事ができなくなり、最後には不老の秘薬を求めて失踪しました」
後世の人々はこれを教訓話として語るらしい。
名君も老いては暗愚に堕ちる。王の醜態を反面教師にして、自分勝手な行動で晩節を汚さないように気を付けましょう。
「冗談みたいですね」
スフィアは肩を竦める。
「長年、自分を殺して国に奉仕した王が、晩年にようやく『自分の望み』を叶えようとしただけの話でしょう? しかし、彼を祝福する者は1人もいなかった」
何故なら、求められていたのは無私の心で国に尽くす名君だったから。
「私は……この『愚王』は賢かったと思いますよ。人は恩を忘れる生き物です。死の間際まで善人を演じる必要がありますか?」
「……」
「いつでも降りて良いんですからね」
スフィアは僕と目を合わせずに言った。
「世界から押し付けられた役割に殉じるくらいなら、冗談みたいに暴れて全部台無しにしましょうよ。私で良ければお供します」
「……お前はもっと優しくない奴だと思ってた」
「逃げ道は塞がない主義なんです。隠し通路は多い方が安心でしょう?」
長く一緒に過ごして分かった事がある。多分、彼女は誰かを押し潰すような『正しさ』が嫌いなのだ。
「──私、悪党ですから」
レムリア遺構。
静けさだけが取り柄の殺風景な砂漠に、穴だらけの異界が上書きされていた。無数の穴から溢れ出る彫像の軍団は、目の前に迫る終末を実感させる。
『エー、スゲー! 空や海にまで穴が空いてる! ってか、あの数の偽典をどうやって止めるワケ!? 某の異能でも穴に隠れられたら仕留め切れないよ!?』
赤と黒に分かれた髪の小男が、片手で庇を作りながら敵の大軍を眺めた。全身のチェーンを揺らし、実況者のように閑話でまくしたてる。
『ヤバいって、ジャムパン君! 範囲攻撃が得意な連中が囲んでるけど、このままじゃ直ぐに真説大陸の外まで溢れるよ! そもそも、遺失支族1体に超越者の半分以上を回して良いワケ!?』
旱魃のフェー・メゾン・ドゥ・ディユ。
シグネットは枯渇。ライフワークは漫談。こんな時でも1人語りを止めないのは筋金入りだ。
『良くない状況だから、俺達みたいなジョーカーが呼ばれたんですぜ。迷惑野郎の本体を引っ張り出して叩く為に。……あと、誰の頭がジャムパンだ。毒すぞ』
赤メッシュの逆立った茶髪の男が、フェーにツッコミを入れる。
『エンテンデール。無尽蔵に敵を湧き出させるアレがいる限り、こっち側の戦力の大半を回さざるを得ない。ここで確実に葬り去れるかが、人類の命運をわけるはずですぜ』
侵蝕のヴァヴ・パープ。
シグネットは毒。ライフワークは道案内。観光ガイドから敵地への侵入まで、依頼者が望む道を示す案内人。
『いや……ぶっちゃけ無理じゃない? 何処にいるかも分からないエンテンデールをここに引っ張り出せるワケ?』
『ダン食品』
ヴァヴは偽典をレイピアで突き刺しながら、確信に満ちた足取りで進んでいた。
『食品業界の責任者をやってたなら、俺の動きを放っておけないでしょう。慌てなくても向こうから潰しに来ますぜ。何せ、誰よりもよく知ってるはずだ』
『ディジェスティブ・テーブル!』
ヴァヴの立っていた場所に大穴ができる。まんまと釣り出された白髪の人物を見て、彼は口の端を歪めた。
『──食中毒の恐ろしさは』
『やってくれはりましたなぁ……!!』
エンテンデールの空けた穴から、津波のように偽典が湧き出す。
『『毒殺』されたのは久し振りどす……!』
『マナを浸透させて、あらゆる物を『有毒化』する。それが俺のシグネットでしてね。まあ、要するに……無差別に捕食してエネルギーに変換するアンタの天敵って事ですぜ。それと』
ヴァヴが掌からマナの針を飛ばした。
『失伝──刺々しい牙』
『ご……ひゅ……!?』
エンテンデールの目から血が流れる。
『偽典を大量にけしかけてくれたおかげで、アンタのソドも解析できた。この距離まで近付けば有毒化して……自滅させられますぜ』
まずは、1殺。
『アンタ、強いけど馬鹿だ。壟断と戦った時には検討すらしなかった単純な手に、面白いほど引っ掛かる』
『うちを舐めるのも大概にせえよ……! 改編を使えば、これくらい無毒化でき……!』
『枯れろ。失伝──干涸らびた春』
フェーの鎖が空気を叩く。生命力がごっそり削られる感覚に、エンテンデールは飛び退いた。
『どんな化け物だろうと、エネルギーを枯渇させられたら終わりなワケ。悪いね、マシュマロ君。強い奴は搦め手で殺すのが人類の知恵なんだよ。ナンチャテ』
『勝手に変なアダ名……付けんといて……?』
それはそう。
『俺も無闇な力押しってヤツは嫌いですぜ。せっかく考える頭を持って生まれたんだから、もっと賢く生きましょうや』
『……戯れ言どすえ。どう足掻いても生まれながらの強者には勝てない事を、うちが教えて差し上げましょか?』
『弱者で結構。強くなくても生きていける事を、俺は賢いと定義してますぜ』
エンテンデールと2人の超越者が対峙する。
『某達で削り切る、で良いワケ?』
『まあ、俺らには似合いの地味な役回りですぜ。お互い、間違っても主役って柄じゃない』
上手く隙を作ってくれよ、害悪コンビ。
今、この戦場では3つの集団が動いていた。
1つ目。火力に優れた超越者達と上位結社の9割を投じた、エンテンデール包囲網。
無尽蔵に創造される偽典と、巨大な体躯を誇る烙印者の軍勢。半終末で強化されたコレを放置すれば、世界が呑み込まれる。勿体ないが、必要な備えだろう。
僕の世界ではエンテンデールを仕留め損なったせいで、無駄に戦力を削られた。同じ轍は踏まない。
2つ目。ヴァヴの毒とフェーの枯渇のシグネットによる兵糧攻め。
ヴァヴは道中で多くの偽典の体を有毒化させている。エンテンデールがスタミナを回復する為、生み出した偽典をエネルギーとして回収すれば、内側から一気に蝕まれるはずだ。
まるで、毒餌を持ち帰った蟻が巣を全滅させるように。生物濃縮。生態系の頂点に位置する者は、全ての毒を食らう事になる。
ヴァヴの狡猾な点は、エンテンデールの前で『分かりやすい毒』を披露した事だ。実際には、もっと多種多様で遅効性の毒も散布されている。
つくづく、敵に回したくない男だな。まあ、女王が既に支配している物は毒化させられないらしいが……充分だろう。それが弱点と見なされるような旧世代は狂っている。
フェーに関しては言うまでもない。敵のエネルギーを尽きさせる役だ。
彼らが完全に討伐してくれれば最善だが……そう上手くはいかないだろう。黙示録のしぶとさは僕が身をもって体験している。だから、最後の策だ。
『地点アルファからイプシロン! こっちはまとめて外れさね!』
『シータからラムダにも見当たらないのだ! キャプテェェェェン・ズゥゥゥゥム!!』
3つ目。遺失支族の本体、隠された黙示録の捜索と破壊。
殴り合いに弱いエンテンデールが、弱点となる本体を身に付けているわけがない。では、何処に置いているのか。
大量に創り出した偽典の中。そこに紛れ込ませているとしか考えられない。僕達、捜索が得意な面子の出番だ。
数、範囲、どちらも膨大。それでも、確実に可能性を絞っていく。そして。
『構わない。残りは僕がやる』
最後の仕上げ。
『改編──終末世界No.1』
僕は偽典を蹴り飛ばしながら、エンテンデールの終末世界を塗り替えた。
『半終末で強化されてる黙示録は、お前達だけじゃない』
皮肉な事に、摂理が緩んだおかげで僕の魂に黙示録の力が急速に定着している。悪く捉えれば、引き返せなくなっているとも言えるが。
『僕はまだ広範囲に終末世界を展開できない。でも、皆が的を絞ってくれた今なら、これで足りる』
悪魔の終末世界は何というか、雑然とした都会のような外観だった。烙印者の姿も普通の人間に近く、それが逆に異質な雰囲気を醸し出している。
『進軍』
僕の意思に呼応して、烙印者が手足のように動き始めた。内から湧き上がる全能感に深く息を吐いて抵抗する。
なるほど。これは魅入られるわけだ。超越者として強大な力を制御した経験がない者は、容易く自我を侵食されるだろう。
『全部、倒して』
さあ、ここからは耐久戦だ。エンテンデールと僕達、どちらが先に崩れるかの勝負。
『今度はもう、負けない』
フェーの半径数キロ、全てが枯れた。木々が養分を奪われて朽ち、雲が水分を失って消え、地面が干乾びて割れる。
『合わせてくれて助かりますぜ、旱魃』
その隙間にヴァヴが滑り込んだ。猛毒化させた木の枝を敵目掛けて投擲する。
『観客のノリを掴むのは漫談師の特技だからね。人を笑わせるのに必要なのは面白さじゃなくて、笑って良いんだって安心感なワケ』
『無駄どす!』
烙印者の巨体が割って入り、毒の枝からエンテンデールを守った。
『ディジェスティブ・テーブル!』
『おっと、これは避け1択ですぜ。ついでに、失伝──毒々しい爪』
ヴァヴはジグザグに走って攻撃をいなし、口に含んだ毒液を噴き出す。烙印者が麻痺毒によって倒れた。
『正義の味方の戦い方やあらしませんね……!』
『最初から正義なんて掲げちゃいませんぜ。俺はむしろ人間が嫌いなんだ。頭が悪くて恩知らず。滅びても別に構わない』
かつて、ある国から『堕ちた名君』と蔑まれた男は吐き捨てる。
『でも、それはアンタらを見過ごす理由にはならないんですよ。元ボスの言葉を借りるなら、余所者に庭を荒らされるのはムカつく』
ヴァヴ・パープは超越者だ。人に祝福されなくても、世界がその身を祝福している。
『現ボスの言葉を借りるなら、負けた方が雑魚って事で。そして、俺が言葉にするなら……』
『ぁ……痛……?』
エンテンデールの体が痙攣し始めた。
『これはただの怪物同士の縄張り争い。俺達の時代に飽きるほど起きた、意地の張り合いですぜ』
毒液と毒霧の二段構え。毒に侵されて鈍った頭では、全身に毒が回っている事実を認識できなかった。
『橙髪のお嬢さんは不意討ちでも反応してましたがね。やっぱり、黙示録は警戒心が薄い』
エンテンデールは毒を『なかった事』に改編し、偽典を生み出して防御を固める。
『食品管理は鮮度第一。味のしなくなった世界を大事にしてはる人達の気持ちは、うちには理解できんわ』
『簡単な事でしょ。君ら黙示録と違って、人間は枯れてからが本番なワケ』
エンテンデールの権能による穴が減っていた。フェーの枯渇に押されて、終末世界が揺らぎつつある。
『今だけ特別サービス。君にもそれを経験させてあげるワケだから、ねえ』
綻び。先に崩れたのは……。
『──笑いなよ』
『失伝──独り善がりな栄光!!』
光の矢を射出する。
黙示録の力を宿した僕には感じ取れた。存在が薄まった偽典達の中で、その場所だけが濃厚なソドを維持している。
『総説──親愛なる約束』
烙印者を避け、偽典を貫通して、宝剣が何かを叩き折った。
純白の短剣。それこそが、エンテンデールの本体。黙示録である。
『ふ、はは……』
拡張された視界の端で、エンテンデールが微笑んでいた。
『ごちそうさんでした』
黙示録の反応が1つ、消える。
『……これにて、終論』
エンテンデール、パビェーダ、グロリア。最初の世界で特に派手な被害を出した3体を倒した。
逆に言うと、コイツらに関しては手の内が事前に分かっていた。おかげで、対策できた。ここから先……他の遺失支族は手探りで攻略する事になる。
『残り、7体』
スフィア。悪いけど、僕は降りない。
世界を救う事が正しいからじゃないんだ。僕はあの終末で沢山の人に想いを託された。そして、理解した。
逃げ出せる時に逃げなかった誰かがいたから、僕はここにいる。アイン以外の人間から教わった、初めての真理だ。
だから、僕は折れるまで戦う。次の誰かがチャンスを掴めるように。
ひとまず、最大の問題だったエンテンデールを倒した僕は、補給の為に簡易拠点へと戻っていた。そこに、突然の来客が訪れる。
「これは結論ですが、天使は生きています」
世界的な人気漫画『大罪のナサヤ』の作者──白河夜船は、ソバージュの髪を掻き上げた。
「つまり、精霊との契約を介して、夜船には異界の様子が見えてると?」
「そういう事です。これは推測ですが、その繋がりが原因となって、天使達は遺失支族の思惑とは違う世界に飛ばされたようですね」
僕は彼女の話を吟味する。朗報だ。まだ滅びていない異界、それも在界との接点がある世界にいるのであれば……帰還を期待できる。
「天使が故郷を救ってくれるのであれば、私としても助力を惜しむ気はありません。微力ですが、精霊との交信を試みています」
「ん、それは助かる……けど」
僕はソファの方に目を向けた。
「そこで寛いでる2人は、何?」
「……これは確認ですが、ご友人ではないのですか?」
「違う」
「面白味のない返しをしてくれるの。壟断の鋳型になった人物とは、とても思えぬわ」
カチューシャとエプロンドレスを着用したクリーム色の髪の女が、短い足を組み替える。
「……随分と物知り」
「弁護士の調査力を侮るでないわ。あの演出家が簡単に退場するわけがないからの。くかかっ、世界の命運を左右する大舞台に参加できんとは、小童もさぞかし悔しがっておろう」
福音の舞萩猪尾。
シグネットは血液。ライフワークは法学。断章取義で最高齢を自称しているらしいが、嘘を平気で吐く性格なので真偽は定かではない。
「しかし、これほど派手に暴れられるのも久々よの。妾が女王ベートを封じた戦い以来か」
「私達、に訂正してくれる?」
ソファにぐでっと寝転んでいた金髪女が、ツーサイドアップの髪を振って猪尾を叩く。
「私の情報サポートがなかったら、女王の封印なんて大事業、成功しなかったよ」
月虹のチトラーチ・シャンドルール。
シグネットは情報。ライフワークは不明。四大結社に所属しておらず、掴み所のない女だ。
「確かにの。あれは激戦であった」
「ちょっと待って。女王の封印に関与した異能者の名簿に、2人の異名は載ってなかった」
「当然だよ。女王に恨まれたら嫌だから消しておいた。仕方ないと思ってくれる?」
目茶苦茶だ。しかし、丸っきりの法螺話ではないだろう。この2人のシグネットは女王に対して相性が良い。
「あの1戦だけは運に恵まれた勝利と言われても否定できんからの。また戦るのは御免被る。あれだけの面子で囲んで封印がやっととは、正に悪夢よな」
「だね。怖かった」
小柄な2人が身を寄せ合って震える様は、妖怪に怯える子供のようだ。女王の時代から生きてる時点で間違いなく、実年齢と外見年齢は乖離しているのだが。
「それはさておき、極光。此度の討伐作戦、お主が貢献度上位になると妾は予想しておる。故に、論功行賞も絶大になるはずよ」
猪尾が仕切り直すように葡萄ジュースの缶を開けた。棚から取り出したワイングラスにトプトプと注ぎ、優雅な所作で口を付ける。
「その権利を妾に譲渡せよ。これまでは基柱協定が枷になっておったが、救世の報酬となれば異能法の改正にも1枚噛める。この機を逃す道理はあるまい」
グラスを机に置き、彼女はにんまりと笑った。
「代わりに、このババアが遺失支族を1体、確実に殺してやる。くかかっ、血が滾るの」
……黙示録に侵食された僕の余命は、どうせ長くない。報酬を譲るのは別に構わないが。
「勝算はどれくらい?」
「異な事を訊く。妾が報酬を受け取ったのなら、それすなわち、100%勝訴が確定しておる」
弁護士として、それは逆に不味いのでは……?
「分かった。好きにすれば良い」
「交渉成立。即断即決は美徳よな。して、どの遺失支族を狙うかの?」
僕は猪尾を真似るように足を組んだ。
「──ドゥレッザ」
女王を封印した実力、存分に見せて貰おう。




