【ラミナ・クルシフィックス】の世界
誰かに認めて貰う事を愛と呼ぶのでしょう。
わたくし──ラミナ・クルシフィックスが最初に覚えたのは、居場所を失う恐怖でした。
異能者は一定年齢になると、厄除の儀により親から離れる慣習があります。それは裏を返せば、異能者の世界にも『子供』と見なされる期間があるという事。
ですが、わたくしにそんな時期はありませんでした。産まれて直ぐに覚醒したシグネットの影響で、常人の何倍もの時間を過ごせてしまったのです。
1年、2年、3年……。急激に成長する心と体。わたくしを育てていた両親の目には、きっと不気味なほど早熟な子供に映った事でしょう。
ですから、捨てられた時も恨みませんでした。彼らの都合を無視できないくらいには、中身が大人になっていましたので。
当時は幼い異能者を発見・保護する仕組みが整備されておらず、わたくしは周囲から浮いた存在でしかありませんでした。
同じように孤立している子供達に実質的な年長者として世話を焼いてみると、いつの間にか慕われるようになりました。充実していたと思います。
だと言うのに、かつて肉親から向けられた表情が。化け物を恐れるような表情が。愛を失った表情が、忘れられないのです。
両目を隠すように伸ばした長い前髪は、他者と直接向き合う事に怯えている証拠。
もしも、昔に戻れたら。シグネットを制御して子供のままでいる選択ができたら。
……愚かな考えです。
超越者の中には回帰のシグネットを持つ方もおりますが、それも非常に限定的なモノだと聞き及んでいます。
長期間の時間遡行というのは、人の身には過ぎた行いなのでしょう。それに、わたくしなどより取り返しの付かない不幸な過去を持つ方は沢山いるのです。
そんな皆様を差し置いて、時間を巻き戻したいなんて。過去をやり直したいだなんて。
──贅沢な願いでしょう?
光の槍がわたくしの目の前で停止する。
正確に言えば、極限までスローモーションになっているだけだが、今の状況ではどちらでも変わらない。片翼の天使の初撃は時間の壁に遮られた。
『これまでの事例を考えると、この短時間で大幅な改編はできないはず。価値観……優先順位の変更……?元のラミナが残ってるなら……』
思案している天使に一足で近付く。敵に考える時間は与えない。戦場の常識だ。
細かく刻まれた刹那の中で、強い意志を湛えた金色の瞳を見据える。
『ごきげんよう』
「すぅ……。……!!」
何かを叫ぼうとしたので、その咆哮の拡散を遅らせておいた。
超越者の肉体は祝福によって進化した兵器であり、膨大なマナが絶えず循環するエネルギーの塊である。ただの大声すらも充分な凶器になり得るのだ。
踏み込みで地面を揺らし、心音を完全に止めて移動し、マナの放出で距離を問わずに物体を破壊できる。わたくし達には生物の常識が通用しない。
それでも戦闘の駆け引きが成立するのは、異能の根源であるマナの流れだけは隠す事ができないからだ。
常人が筋肉の緊張や呼吸といった予備動作をゼロにできないように、わたくし達も異能の予兆を完全に消す事はできない。
『そのはずなのですが……』
天使が一帯に広げたマナから、こちらに向かって赤い光鎌が発射される。時流の隔たりによって回避は間に合ったが、ほんの少しステップが乱された。
『異能行使の前兆が全く読めませんわね。これが幻の類でないのなら……そもそも『行使』していないのでしょうか?』
だとしたら、手品のタネは青髪に絡み付く光の輪か、それとも背中の翼か。
『失伝──|永久に待ち焦がれる最愛』
一瞬を、更に刻んだ。
秒針を置き去りにする。景色が写真のように鮮やかに固定される。
『これだけ加速しても完全には止まらないのですから、超越者は本当に規格外ですわ』
籠手で天使の右腕を強打し、戦棍を弾き飛ばす。ラッシュをかけようとしたが、目の前を斬撃が通り、否応なしに離れる。
『……意地の悪い位置取りをしましたわね』
仕掛けるタイミングを読まれたか、誘導されたようだ。周囲で超越者達が暴れている余波が、わたくしの方に飛んでくる。
『ですが』
地面から突き出した黄金の銛の先を指で摘まみ、そこを支点にして下半身を回転させた。
『失伝──時計仕掛けの抱擁』
錬術で十字架を構築し、発術を加えて蹴り飛ばす。着弾点を起点に周囲の時流を停滞させた。
『ごめんあそばせ』
血で形成された巨大な拳を殴り返し、反動を殺しながら空中を駆ける。マナで足場を用意する必要もない。落ちるよりも早く走り抜ければ良いのだ。
光の刀が飛んでくる。左右の拳からのマナ放出で粉砕した。
『お待たせ致しましたわね』
天使の前に着地。と同時に地面を伝ってマナを伸ばすと、彼の足が縫い付けられたように減速した。
すかさず、足払いを入れる。彼は体勢を崩しながらも下段蹴りで反撃してきた。律術で動作を事前設定でもしていたのかもしれない。
当然、余裕をもって躱した。腹部に裏拳を入れ、追撃の肘打ち。
『がっ……!』
『受け止めて下さる?』
そこからは、両手両足を休みなく叩き込み続けた。マナが生み出した推力によって、体重を遥かに越えた威力の打撃が繰り出される。
『……っ!陰流・垂氷突き……!』
足裏からマナを解き放っての突進。片手で軽くいなす。
『わたくし、世界中の武術と対処法くらいは把握しておりますの。教育者の嗜みでしてよ』
超越者の戦いはマナの削り合い。相手に深いダメージを与えれば、それだけマナの循環が悪くなる。
わたくしによる猛攻と、その合間を縫った天使の反撃。ただし、負傷の度合いは一方的だった。
『防御が、堅過ぎる……!』
速度の差。わたくしには彼の攻撃を見定め、対応する術式を編むだけの猶予がある。
『一応、少しは届いておりますのよ』
薄皮が切れた左腕を見る。シグネットの範囲を広げて時間の壁の密度が緩んだ瞬間、小さな光の矢が掠っていた。称賛すべき絶技である。
『まあ、この程度の傷は直ぐに治りますけれど』
左腕の傷が塞がり、完治した。
瘴気などの摂理に反する傷でなければ、時の流れを早めて『自然治癒』できる。寿命の制限がない超越者に到達した時、わたくしの戦術は完成した。
絶対的な守りによる圧殺。文句の付けようがない勝利。それがわたくしの戦闘スタイル。
しかし、こちらにも想定外が1つある。
『全身の速度を鈍らせるつもりだったのですけれど……纏っているマナの濃さに弾かれてしまいましたわね。お見事ですわ』
目に見えてダメージを負っているはずの彼の纏うマナ量が、どういうわけか減っていない。何処か別の場所から補給しているかのように……。
だが、確実に彼の体は限界に向かっている。ならば。
『捕えました』
精彩を欠いた彼の背後に回り込むのは簡単だった。直接、光の翼に触れる。
『終業時間ですわ。筆箱を片付けなさいな』
『ああ……』
不可思議な事象の原因と思われるそれに干渉し、シグネットで速度を遅くする。
『やっぱり……僕だけじゃ、届かない……』
天使の翼が消失した。
『ヂィ、ヂィ……!!』
5色に煌めく絢爛な鳥の翼が、わたくしの視界を遮る。
『隷獣……捨て身の献身は見事ですが……』
超越者の戦いに割り込んだところで、隷獣が稼げる時間など……。
『ありがとう、即即。君はいつも最高の演出助手をしてくれる』
数十発。わたくしの連撃を正面から受けた隷獣の羽毛が散り、召喚されたマナの肉体が幻界に還った。
『──閃いた』
異能行使の前兆。マナが脈打つように空間を駆け巡り、複雑な術式を描き出す。
『ベートに文句はあるけど、失伝がなくなって地力を鍛えられたのも事実。だから、感謝してる』
これは……危険だ。自爆にしては手が込み過ぎている。わたくしは全身をしならせ、右脚を蹴り出した。首狙いの一撃。
『昔の梧桐志鳳が持て余してた術式。皆と出会った今の僕なら、完全に制御できる』
彼の術式が発動する。
『失伝──|世界の隙間を埋める1%の閃き《タイトル・ロール》』
天使の背後に3対の光の螺旋が伸び、見えないほど深い『何処か』に繋がる。
『……授業の延長は主義に反しますが、意欲のある教え子には付き合いましてよ』
蹴り脚が手首でブロックされた。灰色の前髪を挟んで、はっきりと視線が合う。
偶然ではない。彼は今、わたくしの速度に付いてきた。
『幻界の最奥で取り込んだ『目』。僕自身の処理能力を補う『輪』……僕の意識と摂理を結び付ける『翼』。それだけじゃ舞台は完成しない』
『……?』
『最後のピースは、君』
彼の背後の空間が歪み、黒髪で片目を隠した女性が滲み出すように顕現した。
『──玉兎』
『無論、この身は主様の意のままに』
天使の眷属は微笑む。
『御園【盤古】──完全展開』
幻界の自領を現実世界に展開する能力。空間を捻じ曲げて、広大な箱庭が出現した。
水面で混ざった絵の具にも似た、幻想的なマーブリングの自然。そこには太陽があり、満月があり、湖沼があり、大地があり、草木がある。
それは、小さな世界。
『やっぱり、人工物が不足してる。祭具を貯め込んでるアインの御園は、もっと都会っぽい』
『どうせ、主様は散らかすだけでありんしょう』
主従の会話を聴き流しながら、わたくしは思考を1段階加速させる。
何故、御園を展開したのか。戦場を限定する事に何か意味が……?
『ラミナから教わった。大きな成果を得るには、小さな歩みを積み上げる事』
天使が右手の指を1本ずつ折り曲げる。
『拡張思考回路、対象の過去の理解、過去の断片の再現、人格のシミュレーション……』
最後の1本。人差し指をわたくしに向けた。
『そして、僕がこれから演じるのは、1つの世界の歴史そのもの』
青、赤、緑、紫、橙、黄。青を生み出す藍。7色の眩い光が天使の指先に収束する。
『俳優、観客、戯曲、劇場。要素は整った。さあ、短い演劇を始めよう』
わたくしは自身の限界を越えた異能を発揮すべく、深い深い集中状態に入った。何が来ようと迎撃してみせる。
『歴史は自らの手で創り出すものでしてよ』
虹色の光が弾け、無数に分裂して放たれた。先ほどよりマナが濃い。全てをシグネットで受ければ、大きく体力を削られるだろう。回避したいところだ。
青の光刀が逃げ道を塞ぐように包囲し、赤の光鎌が追尾してくる。マナを乗せた肘と膝で吹き飛ばした。
『ふ……っ!はぁ……っ!』
緑の光剣が扇状に拡散する。同時に上下に分裂した紫の光泡が、不規則に変速して思考を混乱させてきた。
『……っ!』
斜め上に回避。その先に橙の光針がジグザグ軌道で飛来する。左フックで粉砕。
『本体も忘れないで』
移動しながら遠距離攻撃をしていた天使が、黄の光線を真っ直ぐに撃ってきた。
『忘れていませんわよ……!』
体を回転させて、背後から迫る藍の光矢と共に弾き飛ばす。直後、右肩に衝撃。
『……!?』
殴られた……?どうやって……?
わたくしの纏う時間の壁は、あらゆる存在を減速させるはずでは……。
『……!!』
2度目の衝撃。今は熟考している場合ではない。右腕を鞭のようにしならせ、次に繰り出された拳を弾く。
『え……!?』
3度目の衝撃。今度は蹴り飛ばされた。
『く……ぁ……!』
術式で絡め取ろうとした隙を突いて、緑の光剣が腹部に刺さる。
『これ、は……』
間違いない。わたくしと互角に殴り合うどころか、技量で上回っているのだ。
『過去知覚の延長。摂理というシステムの処理能力を借り、在界の過去……世界の歴史そのものを体現する』
それが本当だとすれば……。この世界において、実現可能な全ての局面に対する最適解を瞬時に導き出せるようなものだろう。
『ふぅ……』
いや、惑わされてはいけない。文章題を解くコツは出題者の意図を汲む事。
彼はまるで自分に注意を惹き付けたいような言動をしている。仮説ではあるが、御園の中限定……正しくは想定されるパターンを絞らないと読み切れないとしたら。
『狙うは眷属、ですわね』
御園の核。その気配を目指して走り出した。
『……空気読んで、演出潰し』
『問題点を指摘するのも教育者の役割ですわ』
勿論、教え子が相手であれば、やる気を挫かないよう充分に配慮して。そこが腕の見せどころだ。教科書に載っているような正論で人を導けるのなら、教育者など必要ない。
『口伝──歴史の足跡……!』
天使の右掌にマナが集まる。
『口伝──七星宝刀!!』
そのマナを右手に出現させた光の刀に注ぎ込んだ。今度は何をするつもりなのか、興味はあるけれど。
『もう、遅くてよ』
黒髪の眷属にマナの十字架を飛ばす。初撃を躱されて僅かに手間取ったが、天使に追い付かれる前に撃破できた。
『私の役目は……果たしたでありんす……』
御園が幻のように蒸発する。
最初に聴こえたのは、誰かの声。
「た……す……け……て……!」
わたくしは、反射的に後ろを振り向いた。
『あっ……!』
そこには誰もいなかった。
次の瞬間、気付く。わたくしはこの声に心当たりがあった。あの時……。
『まさか……最初に減速させた叫び声……!』
『口伝──金剛琢』
『しまっ……!!』
四方から伸びた光の鎖が、わたくしの体を拘束する。
『どんな人生を辿ろうと、それがラミナ・クルシフィックスである限り、助けを求める声に反応しないわけがない』
『不確実すぎる布石ですわ。どうして……』
そんなにも当たり前のように、他人の善性を信じられる……?
わたくしは善人などではない。短期的な利益よりも長期的な利益を好むだけの人間なのに。
『卑怯な手を使って悪かった。後で幾らでも叱って良いから……』
光の刀が横一文字に振り抜かれた。
『戻ってきて。この世界のラミナ……!』
鎖で動きを制限されながら、どうにか刀を避ける。それがフェイントだと気付いた時には既に。
『口伝──燦然たる開演!!』
頭と頭が衝突した後だった。
『頭……突き……!?』
額から逆流してくる、誰かの人格。それは別の歴史を辿ったわたくしの……。
額を手で押さえ、記憶と感情を整理する。教え子に不甲斐ない姿は見せられない。
『ラミナ……?』
志鳳が心配そうに声を掛けてくる。相変わらず、無表情なのに感情が豊かな子だ。少しの間でも忘れていた事が申し訳ない。ごめんなさい。
『取り戻しましたわ……。わたくしの中の優先順位を書き換えられていますのね』
『その言い方……』
『ええ、わたくしはここまでですわ』
この世界のわたくしの全てを思い出しても『超越者を減らし、世界を終末に導く事が正しい』という思考が振り払えない。そういう能力なのだろう。
『放置していれば、いずれまた……世界に牙を剥くでしょう。今の内に終わらせて下さいまし』
『……そう』
『そんな顔せずに、しゃんとしなさいな。わたくしは悲観しておりませんわ。暫しの別れ。そうでしょう?』
前髪を持ち上げる。この世界のわたくしは、人の表情を直接見る事ができるようになっていた。
『それに、最後のやり口はお説教が必要ですものね。次に会う時までに反省文を書いておいて下さいまし』
『ん、分かった』
さて、最後の講義だ。言いたい事ではなく、教えるべき事を手短に伝えよう。
『……遺失支族には勝てそうですの?』
『絶対に確実とは言えない。でも、攻勢に出るなら今しかない』
『貴方の個人的な意見は?』
『……正直、怖い。確率のディザイアを持つステファノス。価値のディザイアを持つサピエンティア。この2人は底が見えない』
前髪を通さずに見る彼の顔には、隠し切れない迷いがまざまざと浮かんでいた。
『それでも、無敵の生物など存在しませんわ。力には必ず理屈と限界があるものでしょう?』
『理屈と、限界……』
良い表情になった。敵を見据える事で、わたくしを手にかける苦しみを少しでも忘れてくれたら。
『貴方が敵を恐れているように、敵も貴方を恐れているはずですわ。世界崩壊の火種を潰してきた努力は無駄ではなくってよ。では……そろそろ、行きなさいな』
志鳳の指に7色の光が集まる。
『未来で待ってて、先生』
『ええ、良くってよ』
思い返せば、こんなに教え子に迷惑を掛けたのは初めての経験かもしれません。模範的な人間で居続けなければ見捨てられる、なんて馬鹿げた強迫観念でしたわね。
『ラミナの授業、忘れないから』
誰かに認めて貰う事を愛と呼ぶのでしょう。
『──また明日、ですわ』




