【地球】に関する隙間
その日、セントレアの一部地域はアトランティス遺構にも匹敵する濃密なマナを含んだ樹海と化していた。
『偵察のつもりが、誘い込まれてしまうとは……涙が止まりません』
意思を持つ偽典──降着円盤シリーズの第2号であるヴィジラは、両手に瘴気を集中させて構える。
『安心して。輪は園芸家。卿の事も綺麗に咲かせてあげる、あ』
ヴィジラを取り囲む大樹の枝が槍のように伸びてくると、彼女は拳を振って瘴気の塊を飛ばし、強化された枝を正面から弾き返した。余波で無数の花と葉が舞い散る。
『し、ぁ……っ!』
『強いね。その殺傷力は超越者にも通じるかもしれない。でも……』
折れた枝が瞬時に新生した。花がヴィジラの動きを妨害し、葉が刃として皮膚を切り裂く。どれだけ抵抗しても押し返せない。
『旧世代には通用しないよ、あ』
個人の域を越えた圧倒的な生命力。これが生物系シグネットの本領。
そして、隙間を縫うように小さな弾丸の集中砲火が始まった。何発かは受け止め損ね、ヴィジラの肌に刺さる。
『しまっ……!』
それは種子だった。体の力が抜けていく。赤い花弁を模した眼帯が地面に落ち、真っ黒に塗り潰された歪な眼球が露になった。
降着円盤がどれだけ人に似ていようとも、体の何処かに人外の証が残る。
ヴィジラの場合は運悪く見える位置に発現した為、外見を利用して市井に溶け込むような役はできなかった。まあ、彼女の主は全く気にしなかったが。
『貴方は私の事など直ぐに忘れるでしょうけど……案外、楽しかったですよ。アスナヴァーニイ様』
全身から花が咲く。彼女の命を養分にして、棺桶に敷き詰める別れ花の如く鮮やかに開花する。
「ああ……。今更……涙、なんて……。泣け……ます、ね……」
花弁に付いた朝露のような雫を、ネイルの塗られた細長い指が拭った。
「安らかな眠りあれ、みたいな」
花唇のダレット・ランペラトゥリスは、毛先の黒い銀髪を弄びながら、静かに友人の帰還を待つ。
とある科学者が『人工生命体・ミメシス』の観察データを記録していた。
「……ァ。……っ、ハ、せ、ャ……」
不完全に人を模したソレが発する言葉は意味を成さない。ミメシスは立ち上がる度に何度も転び、最後には触手を使って這うように近付いてくる。
「発話機能・運動機能に欠陥あり」
失敗作だ、と科学者は思った。
「素直に旧型……『惑星踏査用超耐久型原初生命体・プリモ』の高品質版を造れば良かったんだ。欲張って機能を追加し過ぎた結果がこれか」
プロジェクトの失敗を悟った前任者は責任追及を恐れて夜逃げ。おかげで、天才的な頭脳を持ち人工生物学にも理解のある彼が、後始末を押し付けられている。
「さて、どう言い訳したものか……」
科学者は思案した。ミメシスの肉体を分解して素材を流用すれば、それなりのモノを製造できるだろう。それで誤魔化すしかない。
「私のキャリアに傷を残すわけにはいかない。軽い叱責で済めば良いが……」
「ワ、タシ……。……デ、ス……?」
ミメシスが真似るように呟きながら、コテンと横向きに転倒した。科学者は苛立ちをぶつけるように言葉を吐き捨てる。
「良い加減、学習しろ。お前が二足歩行に失敗するのは、土踏まずを再現できていないからだ。地面との接触箇所を増やさないと、直立時のバランスを保てない。分かるか?」
ミメシスが立ち上がり、また転んだ。
ただし、先程よりも直立を長く維持できている。科学者は彼女の反応に関心を抱いた。無論、実験動物を眺めるような感情の介在しない興味である。
「触手に頼り過ぎるな。重心を意識しろ」
「分かり……マス、ター……」
「分かり『ました』だ。マスターでは主人という意味になる。……ある程度の言葉を教えないと不便だな」
まずは、前任者の残したデータに目を通す時間が必要だ。それが終わるまでの暇潰しには丁度良い。
宇宙は地球を中心として回っているわけではない。大昔に天動説が否定されてから、気が遠くなるような年月が経った。
その長い歴史において、地球人類は真なる宇宙の中心──『世界の底』の発見を成し遂げる。
瘴気の充満する死の領域を抜けた先にあるその場所を、原住民達は『在界』と呼んだ。
「アレが在界に送る予定の人工生命体か。しかし、完全な人型でなくては現地での活動に支障が出ないかね?やはり、造り直した方が……」
「擬態適応機能を改良しておきました。私の開発した情動模倣システムや文化言語融合モジュールと組み合わせれば、人間として違和感なく振る舞えます」
科学者は視線を揺らさずに、依頼主を真っ向から見据える。天才と名高い彼の自信に満ちた態度には説得力があった。
「何より、ミメシスの内包する自己進化型コアは特殊かつ繊細な部品です。下手に取り出そうとすると破損する恐れがある。そうなれば2度と同等の人工生命体は製造できないでしょう」
「そ、そうか……。君がそこまで言うのならば、任せる事にしよう」
敢えてリスクを強調すると、依頼主はあっさりと折れる。責任者として敗戦処理に巻き込まれたくないのだろう。
「それでは、『統合共生模倣型多機能知性生命体・ミメシス』及び宇宙船『アステロイド・スキップ』の最終調整をお待ち下さい」
科学者は一礼して退室した。
「マスター。お疲れ様デス」
研究室に戻った彼を暗い金髪の女性──ミメシスが出迎える。最初は壊滅的だった人間への擬態も完璧に近付いてきた。
「ミメシス。アステロイド・スキップの搭乗訓練の方はどうだ?」
「……順調デスヨ?」
「適当な見栄を張るな。お前の安全がかかっているんだぞ。私の見立てでは万全な状態で出発するまでにあと数年は要する。そこに手を抜けばプリモの二の舞だ」
第1回の在界調査に派遣された艦船は瘴気に耐えられずに爆散した、と記録に残っている。それ以来、地球側が得られたのは『在界の断片的な情報』だけだ。
「デスガ……。ワタシが一刻も早く調査に飛び立たないと、地球の環境は汚染される一方デショウ?マスターの立場も……」
「私達の事は気にするな。愚かな人類の自業自得だ。お前は自分の生還だけを考えろ。その体なら汚染された地球でも生きられるだろう」
科学者が皮肉げに微笑む。
「まあ、在界が何の危険もない平和な場所だったら、わざわざ帰ってこなくても……」
「マスター!」
ミメシスが睨んできたので、科学者は両手を挙げて降参の意を示した。
「とにかく、安心しろ。お前が結果を出せなくても早々に処分される事はない。自己進化型コアが破損すれば修復不可能だと脅しておいた」
「……マスターなら直せマスヨネ?」
「その私が引き受けないのだから、嘘ではないだろう?」
科学者が白々しい笑顔で言うと、ミメシスも呆れたように苦笑する。
「無理はするな。お前が無事に帰ってきてくれれば、私はそれで良い」
それが、最後の会話だった。
「あの子に何を吹き込んだ……ッ!!」
「落ち着いてくれ。彼女は自らの意思で在界に向かったのだ」
「そんなわけがないだろう……!アステロイド・スキップはまだ未完成で……!」
「だが、在界には届く。違うかね?」
科学者──マスターも分かっている。ミメシスは在界調査の為の生け贄。元から彼女の安全は考慮されていない。
第1回で失敗した目的……今度こそ在界と地球を繋ぐ中継機を設置する事だけが重要だったのだ。
「……」
それから暫くして、マスターは霞のように忽然と姿を消した。
環境汚染によって縮小した地球の生存圏では、住民達は徹底的に管理されている。その中で消息を掴めないという事は、シェルター外への脱出……つまりは、自殺だと考えられた。
彼の行方を知る人間は誰もいない。
「我ながら馬鹿な真似をしているな。……しかし、合理だけで生きられるのなら、人類はここまで発展していないし、追い詰められてもいない」
その日以降、不定期に地球のシステムが何者かにハックされるようになったのも。
削除しても増え続ける『在界の映像』が一般住民に大きな反響を呼んだのも。その混乱に乗じて最先端の技術が幾つか盗み出されたのも。
消えた天才の仕業と決め付けるには、証拠が足りなかった。
「私は主人公にはなれない男だ。せめて、この『仕送り』が役に立つ事を祈っておこう。在界の勇敢なる愚者達よ」
かつて地球から在界に送られた、自己進化型コア搭載の人工知能『賢者の方舟』。それを経由して、在界のミメシスに脳波通信を送信する。
「──人類の愚かさに、乾杯」
金髪の義体と青髪の青年が、同時に目を開いた。
「し、死ぬかと思ったかえ……!」
「……ごめん。僕のせいで」
志鳳が申し訳なさそうに言うと、プレイスホルダーは首を横に振る。
「いや、アレは余の浅慮よ。膨大な『過去』を内包する汝を幻界の最奥に連れていったのは失策だったかえ。まさか、あんな怪物が出現するとは……」
「ん、レーシュ達が来てくれなかったら危なかった。あっちも無事だと良いけど」
「とりあえず、幻界の外には出しておいた。後は現実世界に意識を残しておった赤色のが、他のメンバーを起こしてくれると思うかえ」
「プレイスホルダー。お帰り、あ」
ダレットが寝惚けたような声で話し掛けると、倒れていた2人が起き上がった。
「汝のおかげで助かったかえ、ダレット。外敵の排除、大儀であった」
「輪は暇だったから遊びに来ただけだよ。それと、卿のお友達が凄い固有術式を発動してたから。でも、まだ意識的には使いこなせてなさそう、みたいな?」
第0位階の2人に視線を向けられ、志鳳は不思議がるように顎に手を当てる。
「僕、現実世界でも何かした?ウールーズでユマンと会ったところまでしか覚えてない。次に意識が戻ったのは、あの色のない場所」
「酒癖悪いな、同志っ!……ほれ、覚えておらんか?幻界でも同じ術式を使ったかえ」
「あの時は何となく、懐かしい感じがして……使える気がしたから」
志鳳は他の遺物と同様に、世界の歪みに対する摂理の抵抗によって生まれた存在だ。彼の特殊な出自は幻界という特殊な環境に呼応し、奇妙なノスタルジーを思い起こさせていた。
「うむ……。ところで、倒した後にあの『目』がどうなったか、確認したかえ?」
プレイスホルダーは意識体に重傷を負っていた為、独眼の怪物が倒される瞬間を目撃していない。それでも既に全快している辺りは意識シグネットを司る超越者の面目躍如だ。
「僕の中にスッと入ってきた。だけど、変な違和感はない。体調が少し改善しただけ」
「そこは余が以前に戦った時と同じか。他者の力を借りた討伐では結果も変わるかと危惧したが……今回は特例過ぎて何とも言えんな」
どちらにせよ、プレイスホルダーが志鳳を幻界に連れていったのは、術式の反動で気絶を繰り返していた彼を復活させる為である。
「それで……万全かえ、同志?」
『ん。口伝──七星宝刀』
志鳳は光の刀でダレットが生やした樹木の幹を斬り落とした。
「何してるの、あ?」
そして、ダレットの伸ばした蔦で首を絞められる。容赦のない力加減だった。
「プレイス……助け……死……」
「ダレット、やり過ぎかえ!!」
ペイッと放り捨てられた志鳳は土下座で植物虐待を謝罪させられる。その後、気を取り直すように咳払いした。
「ごほっ、けほっ……。とりあえず、大舞台には間に合いそうで良かった」
「手抜かりなし、みたいな」
「まったく、散々な前準備かえ」
異能連盟と遺失支族の総力戦。
──全面討伐作戦が、始動する。




