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【自分探し】に関する閃き

 思姦のネルウス・アレキサンダーが赤い瞳で僕を見詰めていた。


『あんた、生きてて恥ずかしいと思った事はあるか?自分がどうしようもない人間だと思う事は?死にたいと思う事は?』


『……ある』


『オッケー、不合格だっつーの』


 ネルウスは飴を舐めながら、拠点の食料を掻き集めて旅の準備を始める。


 不合格なのに付いてきてくれるのか、と僕は訊いた。相談者(クライアント)が合格できるまで付き合ってやるのがカウンセラーだよ、と彼は言った。


『目を凝らして探してみな。最後まで探し続ければ、答えは必ず手に入る』


 漠然と。ただ漠然と、ネルウスは死なないと思っていた。


 黒髪と死人のように白い肌。浮き世離れした雰囲気を持つ彼は、終末の世界においても一切変わる事なく、永遠に在り続けるのではないか。


 浮き雲の如く色んな人間の前に現れては、笑いながら背中を押し、最後には……。


『……ネルウス』


 僕の手には1つの飴が握られている。ネルウスの好物だ。僕が欲しがっても分けてくれなかったくらいには、その味が好きらしい。


 ネルウスが飴を譲るのは死者を弔う時だけだ。永遠の別れを告げる時だけは特別に、それを手の中に握り込ませる。


 彼は永遠の別れを……死を覚悟して黙示録と戦った。僕に時間を与える為に。


『あと……少し……!』


 僕は胸の奥の痛みを誤魔化しながら、アインとの合流地点に辿り着いた。


 


「また、昔の夢……」


 起きて直ぐに確信できるほど、最近は頻繁に終末の夢を見る。


 心の奥の不安が表出しているだけかもしれないが、意識からマナを生み出す異能者としてはあまり良い傾向とは言えない。


「ネルウス……。アイン……」


 結婚や家族という概念がない異能者の社会では死者を悼む文化も希薄だ。葬式なんて滅多にやらないし、毎年欠かさず墓参りに行く者は見た事がない。


 輪廻転生の考え方が根底にある異能社会では、情がある相手であればあるほど、今生の縁に死後まで縛り付けるべきではないという価値観がある。


 異能者の『愛』とは自由を尊重する事。


 いつまでも死者に思いを馳せるのは生者の勝手な自己満足であり、あまり好ましくは見られない。


「はぁ……」


 そんな事は分かっている。だが、黙示録に支配されたあの終末で、輪廻転生は正常に機能していたのだろうか。


 もしも、蘇生の術式と同じく摂理に依存したシステムなのだとしたら。


 ──彼らの魂は何処へ行くのだろうか。


「考えても、仕方ない」


 自分に言い聞かせるように呟いて、僕はベッドを降りた。


「遺失支族との決戦に向けて、少しでもコンディションを整えないと……」


 寝室のドアを開く。


 そこには、頭に思い浮かべていた亡き友人──アインとネルウスの背中があった。


「う、わ……っ!?」


 僕は思わず飛び上がる。


 何故、僕の部屋に2人がいるんだ!?精神系の幻覚……?髪色が似ている別人……?いや、僕は若干尻フェチなので後ろ姿でも見間違えない……って何を考えてるんだ。落ち着け。


「やあ、おはよう、ナーヌス君。お邪魔してるぞ」


 アインがテーブルの上に広げた設計図から顔を上げ、フランクに挨拶してくる。


 両手には缶コーヒーとピザを握っており、言葉とは裏腹に他人の家という認識は感じられない。ある意味、懐かしい光景だ。


「あ、おい、幻像。蜂蜜がかかったピザは俺のだっつーの」


「心が狭いな。私達2人への差し入れなんだから、早い者勝ちだろう?」


「……せめてコーヒーは甘いヤツを残しておいてくれよ」


 ネルウスも相変わらずの甘党である。どうやら、目の前の2人は本物らしい。


「何で、僕の部屋に……?」


「レーシュ君に仕事を頼まれたんだ。私の能力を見込んで、意識転送装置のアイデアを形にして欲しいらしいぞ。ちなみに、この部屋と研究室は好きに使って良いと言われた」


 家主の僕に無断で使用許可を出すな。


「……僕にも設計図、見せて」


「手伝ってくれるのか!?」


「……少しだけ」


「それでも助かるぞ!」


 そんな僕達を眺めていたネルウスが、クツクツと愉快そうに笑った。


 感情のシグネットを持つ彼の目には、一体何が映っているのだろうか。




 梧桐志鳳は何もない場所にいた。


 白でも黒でもない、無色の空間。光も闇もない、無影の隙間。


 彼の卓越した知覚をもってしても、何の存在も感じ取れない。自身の肉体すらも曖昧に揺らめく。ただ、境界を失った意識だけがそこにあった。


『……』


 見えない棺桶に押し込められた窮屈さと、空を漂っているような頼りなさを感じる。


 ──志鳳は1歩、踏み出した。


『……』


 地面の感触はない。だが、気にせずに前進する。右も左も上も下も不明確ならば、自分の独断で『正解』を決めてしまえば良い。


 それが、超越者だ。 


『かかかっ!流石は同志。常人は発狂しかねない場所でも、難なく自己を保てるかえ』


『プレイスホルダー……』


 金髪の青年が立っている。夢の中のように輪郭がぼやけた場所で、彼だけはくっきりと見る事ができた。 


『ここは汝の心の中かえ。更に深く潜ると無意識の底──深層へと辿り着くが、そちらには余の力でも招けないのでな。この場所には幻界へ向かう足掛かりとして連れてきた』


 志鳳の意識がふわりと持ち上がり、引っ張られるような感覚と共に、何処かへと運ばれていく。


『知っての通り、余は死んでおる』


 志鳳の意識に響いたのは、淡々と過去を語るプレイスホルダーの言葉。


『遺失支族との戦いに敗れ、消されかけた直後の余は正に風前の灯。弱り切った魂を回復する為の安息の地を求めておったかえ』


 そうして行く宛もなく漂っていた彼は、ふと何かに『呼ばれている』事に気付いた。


 極限まで無力になった者にしか感じ取れない、非常に微弱なマナの流れ。全てを失った死者だけを誘い込む黄泉の道。


『それが、実体のない前人未到の世界──幻界への道標だった』


『死者の……行き着く場所……』


『然り。超越者であっても気を抜くでないぞ。余でさえ脱出には難儀した。精神系のシグネットを持たぬ者が長居すれば……人の世に戻れなくなるやもしれん』


 無形の空間を運ばれ続けて、どれくらい経っただろうか。不意にボフッと、志鳳の足が白い霧の中に着地する。


 ……足。足があった。それだけではない。腕も、体も、目も、耳も。身はないが、体はある。不思議な感覚だ。


『ここが幻界?』


『いいや、ここは入り口に過ぎん。余が勝手に抉じ開けた『侵入口』と言うべきかもしれんが』


 プレイスホルダーが歩き出すと、足元を包んでいた霧が前方へと大きく広がっていく。彼はその先を指差した。


『見えておるか?』


『……シャボン玉』


 視界に収まらないほど巨大な無数のシャボン玉。そう形容したくなるような外観の球体が、虚空を埋め尽くすように浮かんでいる。


『この玉の『内側』が幻界かえ』


 プレイスホルダーが手を翳すと、手近な玉の壁に小さな穴が空いた。


『──呑まれぬように、覚悟せよ』




 幻界の中を見渡した志鳳は、画家であるサラートから見せられたマーブリングという描画技法を思い出した。


 水面に数色の絵の具を落とすと、混ざり合って幻想的な模様が出来上がる。それを紙に写し取った時の光景と、幻界の彩りはよく似ていた。


『……綺麗』


『グァァァァァァァァ!』


 志鳳が観光客さながらの感嘆を漏らすと、空を悠々と飛んでいた飛竜種(ティゴン)が降下してくる。彼を餌と認識したのだろう。


『失伝──深き眠りの果て(ディープ・スリープ)


 一瞬の抵抗もなく眠らされた竜が、マーブル模様の地面に墜落した。


『うむ!やはり、男の姿で全力を振るえるのは気持ちが良い!』


 無涯のプレイスホルダー。


 実体のない意識によって構成された幻界は、彼の独壇場である。


『それで、何か掴めたかえ?』


『何処へ行くべきかは、何となく分かる。でも、広過ぎて移動が大変』


『ならば、喚べば良かろう』


 プレイスホルダーはニヤリと笑った。


『ここを何処だと思うておる。眷属と隷獣の故郷……汝の喚びかけに応える者がおるはずかえ』


『──玉兎(ユートゥ)即即(ヂィヂィ)


 その言葉を待っていたように、黒髪で片目を隠した女性──玉兎と、絢爛な翼を持った神鳥──即即が現れる。


 在界では浮きがちな幻想生物の容姿も、幻界の神秘的な背景にはよく馴染んでいた。


『ようこそ私達の世界へ、主様。『本体』で会うのは初めて、でありんすね』


『ヂィ、ヂィ』


『もしかして、ずっと近くにいた?』


 今の志鳳は召喚紋章を持っていないので、眷属や隷獣を喚び出せない。となると、彼女達の方から駆け付けたのだろう。


『過去知覚のシグネットで、プレイスホルダー様が空けた入り口の場所は把握していたでありんすから。事前に待機しておりんした』


 玉兎は召喚主である志鳳の魂の色に染まっており、幻界においては彼のシグネットを使う事ができる。


『機能不全になった現実世界の意識を回復させに来たのでありんしょう?まったく、争いの絶えない幻界を休憩所にするとは、非常識な発想でありんすな』


『争いが絶えない?』

 

『そうでありんす。争いの理由は主に2つ。1つ目は……』


 ゴポコポと泡立つ赤い液体──烟波種(イェッド)が足元から湧き出し、玉兎に襲いかかった。彼女はそれを素早く蹴り殺す。


 烟波種の体が溶けるようにマナへと変わり、玉兎の胸元に吸い込まれた。


『このように、他の幻想生物を殺してマナを取り込む為。要は食事と思っておくんなんし』


 彼女は唇を舐めて微笑む。普段は敏腕マネージャーのように出しゃばらない玉兎だが、自身のホームだからか生き生きとして見えた。


『そして、もう1つが自分の領地を広げる為でありんす。縄張り争いというヤツでありんすな』


 志鳳は首を傾げる。人間と違って過酷な環境でも生存できる彼女達に、それほど広大な領地が必要だとは思えなかったからだ。


『意思を持つ幻妖鬼(わたしたち)が最も大事にするのが領地。特に召喚主を持たない鬼は、少しでも領地を広げて迷宮出現に『巻き込まれる確率を上げようと』躍起になっているでありんす』


『迷宮に巻き込まれたい?……何で?』


『在界という未知の世界への憧れ、でありんしょう。私も主様と会う前は抗争を仕掛けては自領を広げたものでありんす』


 懐かしそうな目をする玉兎の後ろで、プレイスホルダーが腕を組む。


『しかし、汝のように召喚主を得た幻妖鬼の話を聴く事はできよう?在界の実態を知れば、憧れるほどの場所ではないとは思わんのかえ?』


 玉兎は肩を竦めた。


『独り身が恋人持ちから『恋愛なんて面倒なだけだよ』と言われたところで、全く気にせずに生きていくのは無理でありんしょう?』


『急に俗っぽい話になった』


 幻界の生物も同じ意識体である以上、根っ子の部分は意外と似通っているのかもしれない。




 即即の背に乗って幻界の空を飛ぶ。


 空とは言っても幻界の構造上、明確な地面との境界があるわけではない。ただ、無駄なく直線距離を飛行し、シャボン玉から別のシャボン玉へと渡っていく。


『幻界は全てがマナで構成された幻の世界。でも、それだけじゃない。幻界のマナには幾つかの大きな流れがあって……』


 巨大な歯だけが並んだ幻妖獣──絶命種(ラトーム)が空中で大口を開けていた。

 

『最奥で合流してる。口伝──七星宝刀(しちせいほうとう)


 数本の光の刀が絶命種を斬り刻む。


『そこに何があるのか、プレイスホルダーは知ってる?』


『己と……』


 顔目掛けて飛来した宝石製の卵──鍍金種(ボウック)を受け止め、彼はそのまま握り潰した。


『己と戦う事になる。余にもそれ以上は何とも言えん』


 くねる蔦の伐根種(ヘルラス)を躱し、足の長い咬牙種(カロシュ)の首を落とし、殻から漏れる不気味な煙の閑雲種(ファダー)を叩き潰す。


『幻妖獣ばっかり。玉兎みたいな幻妖鬼は全然出てこない』


『領地を大切にすると言ったでありんしょう。今の私達は明らかに通り抜け目的でありんすから、喧嘩を売るだけ損でありんす』


『それに賢い連中は力の差を弁えておるかえ。この幻界においても、超越者の存在は規格外という事よ』


 実際、ここまでは順調に進んでいた。志鳳が幻界の景色にも慣れ始めた頃、不意に周囲が暗くなる。


 いや、暗くなったのではない。志鳳達を様々な形の『影』が囲んでいるのだ。


『始まったか』


 影は何もしてこない。志鳳は試しに光線を撃ち込んでみたが、吸い込まれるように消えた。光に弱いわけではない様子である。


『何を勝手に攻撃しておる!』


『相談もなしに動くのは止めなんし!』


 左右から同時に殴られた。即即が背中の上の主を慰めるように小さく鳴く。


 上下逆さまに伸びた人間のような影がケタケタと肩を震わせて哄笑した。


『あの影は最奥に続く道の一部。基本的に無害そのものよ。……そろそろ降ろしてくれるかえ?』


 志鳳は即即に指示を出し、不自然に揺らめく地面へと着地させる。


『この先は余達だけで行く。……というより、幻界の住民は進もうとしても通れないかえ』


 目の前に現れたマーブル模様の門。志鳳はその向こう側に強大なマナを感じた。


『ありがとう、玉兎、即即』


 志鳳は眷属達を抱き締める。短い時間だったが、彼女達と直接触れ合えて良かった。


『大袈裟でありんす』


『ヂィ、ヂィ』


『ん……行ってくる』


 志鳳は大きく息を吐き、プレイスホルダーと共に門を潜る。




 門の先には『目』があった。


 瞼が持ち上がるように空間が縦に裂け、人間のような大きさの瞳が志鳳達を映す。


『……え』


 体が、動かない。


『待て、様子がおかし……』


 プレイスホルダーの腹に穴が開いた。鞭に似た何かが彼を連続で殴打し、その体が動かなくなる。


『!?』


 金縛り中の志鳳を『目』が睨んだ。見渡す限りのマナが集まり、透明なヒトの体を構築していく。


『……』


 感情の宿らない独眼の怪物は機械的に、場に満ちたマナを変換していく。


 知覚の拡張に、精神への干渉に、時間への侵食に、空間への介入に、生物の模倣に、物質の再現に、存在の規定に、現象の発生に。


『……っ!!』


 恐怖。絶望。それを通り越した結論だけが、そこにはあった。


『……■■■■』


 ──死。




「結局、私達まで働かされましたぁ」


「あはは、お疲れ様」


「久々に私のデザインセンスが火を噴いたわ!ウールーズ総出で作業するのは楽しいわね!」


「志鳳君達がいないのが残念だぞ」


 山藤杜鵑花、信桜幕楽、サラート・シャリーア、アイン・ディアーブル。


 ウールーズの4人が菓子を食べながら、僕の前で談笑している。


 ちなみに、ネルウスは自分の担当領域が終わったら直ぐに帰った。精神系の専門家として大きな役割を果たしておきながら、称賛を煙たがるのは何とも彼らしい。


「男性陣はモノ作りに役立ちませんしぃ」


「ばっさり言うな。2人が泣くぞ」


「そうよ、杜鵑花ちゃん!志鳳さんは100回に1回くらいは鋭い意見を出すし、プレイスさんは良い香りにしてくれるわよ!」


「あはは」


 いつの間にか僕の拠点はウールーズの作業空間になっていた。アインを迎え入れてしまった手前、その友人の来訪を拒否するのも憚られる。


 今回の世界で関わりの薄いアインにばかり執着していると、他の超越者から不信感を抱かれかねない。客観的に見て、僕とアインは単なる知人に過ぎないのだ。


 陰キャ特有の過敏さだと笑いたければ笑え。僕は昔から、理論立てて説明できない事象が苦手分野である。


「それで、レーシュ君。ご要望の意識転送装置……の試作品が完成したわけだが、どうする?」


「勿論、直ぐに使いマス!おー、酸素カプセルみたいな見た目デスネ!この中に寝れば良いデスカ?ワタシの設計図1つで、よくここまで完成させマシタネ!!」


「当たり前だぞ。原型師の仕事は様々な理想(アイデア)をまとめ上げ、1つの立体として『完成』させる事だからな」


「ボタンが一杯付いてマス!」


 テンションが高めのレーシュ・ソレイユが、触手をぶんぶん振り回しながら円筒型の装置に入った。そんな犬の尻尾みたいな器官なのか、それ。


「この装置は機構自体よりも噴霧されるガスの方が重要なんだぞ。私達の技術を結集する事で、完璧な密封を実現し……」


「なるほどデスネー」


 レーシュはアインの長話を聞き流しながら、触手で側面のボタンを弄り始める。ピッピッピッと規則的な音が鳴り、縁の部分が点滅した。


「……という仕組みだ。だから、良いか?くれぐれもカプセルを閉じる前にガスを噴霧しないでくれよ。外の人間まで巻き込まれて、装置を停止できる者がいなくなるからな」


「アイン」


「正直、安全装置が不完全な状態で実証実験をするのはどうかと思うが、まあ気を付ければ良い話だぞ。ふふ、まさか適当にボタンを押すような馬鹿は……」


「アイン」


「ん、どうした?」


 僕はレーシュを指差す。


「レーシュが今押したの、多分……噴霧ボタンだと思う」


 アインの得意げな笑顔が凍った。プシューと異様な速度で煙が拡散し、一瞬で作業空間全体に充満する。


『え、何デス!?』


『『馬鹿!!』』


 全身の血が抜けるような離脱感と共に、僕とアインは折り重なって倒れた。……意識が強制的に肉体から離れていく。


 僕が意識を失う直前に見たのは、倒れ込むウールーズの女性陣の体と、困惑に目を見開いた信桜幕楽の深紫色の瞳だった。




『……アイン。ここは、何処?』


『さっぱり分からないぞ。意識の転送先を詳細に設定する前だったから、えーっと……。あ、そうだ。こういう最悪の事態に備えて、一応のセーフティは付けてあったな』


『セーフティ?』


『ああ。未設定で起動した場合は、プレイスホルダー君の意識を目印に転送するようプログラムしてある。意識の専門家の彼なら、どうにかしてくれるだろう?』


『他力本願……』


 僕とアインは顔を上げる。


『で、あのマーブル模様の門は何?』


『凄い濃度のマナを感じますけどぉ……』


『絶対に開けたらヤバいわね!』


 杜鵑花とサラートが眉を顰めた。


『『『『……でも』』』』


『志鳳さんの気配、しますよねぇ?』


『プレイスさんのマナも感じるわ』


『戦っている相手は、率直に言って……とんでもない化け物だぞ』


『ん、仕方ない』


 僕達は顔を見合わせて頷く。


 そして。


『え、何が起こってるデスカ!?』


 未だに惚けた事を言っているレーシュを、門の向こうに蹴り入れた。


『え、ぇぇぇぇぇぇ……ッ!?』


『良し、行くぞ!レーシュ君に続け!失伝──悪戯な玩具箱(ジョーク・ボックス)!』


『了解。失伝──黒い星の光冠(ルーザーズ・クラウン)


『やっぱり、在界人は敵デスー!!』




『口伝──名状しがたきもの(ジ・アンネイマブル)ー!』


 レーシュの触手がぷくっと膜のように膨らみ、全身を覆う。巨大な風船と化した彼女は弾性を利用してぽよんぽよんと跳ねながら、怪物の攻撃から逃げ回っていた。


『口伝──呪われた椅子(バズビーズ・チェア)!』


 サラートは蓄積のシグネットを使い、ほんの少しの間、独眼の怪物の放つ数多の異能の勢いを弱める。水の槍の水量を減らし、雷の槌を受け止め、風の剣の一部を跳ね返した。


『模型──伸縮自在の跳び縄』


 アインの両手から伸びた縄が志鳳とプレイスホルダーの体を絡め取り、前線から強引に逃がす。


『口伝──|存在の耐えられない軽さ《フリー・フォール》』


 杜鵑花が引力で独眼の怪物を動かそうとするが、効果は薄い。


『失伝──独り善がりな栄光(ロンリー・アウレオラ)


 僕は光の矢による目眩ましを試みた。こんな怪物、戦わずに逃げられるならそれに越した事はない。……が。


『やっぱり』


 駄目か。透明な人形が何体も出現し、出入口である門を守るように立つ。


 分身……増殖のシグネットか?いや、他の異能かもしれない。何にせよコイツは複数のシグネットを持ち、あらゆる場面に対応できるようだ。


『はぁ……はぁ……』


 ……底が見えない。こっちは物量に対処するだけで薄氷を踏む思いだというのに、あの怪物からは疲労や消耗など微塵も感じられなかった。


『ぐ、ぁ……っ!体が……!?』


『アイン!』


 アインの動きが停止し、肩を石の鏃に貫かれる。僕は急いでフォローに回ろうとしたが、注意が逸れた隙に右足を焼かれた。


『ぁ、が……っ!』


 痛みに耐えながらアイン達を視界に入れる。全員が重傷を負っていた。状況は芳しくない。


『きゃひひ、これはヤバいですねぇ……』


『反則過ぎるわ……』


『……』


 独眼の怪物は何の慈悲も変化もなく、先ほどと同じようにマナを集め始めた。


 第2波。凌げるか。いや、このままではジリ貧だ。肉を切らせてでも、反撃に出る必要がある。


『目を』


 僕の内心を察したのか、怪物から注意を離さずにレーシュが言った。


『……目を狙いマショウ。アレの目は異能を行使する瞬間、完全に無防備になりマス。ワタシに搭載された機能の核は観察と模倣デス。信じてクダサイ』


『分かった。失伝──仮初めの代役(アンダー・スタディ)


 僕の全身が光と一体化する。限界を越えて意識が加速していく。


『アイン達はプレイスホルダーを守って。ここが何処だか知らないけど、彼が死んだら多分、帰れなくなる』


 返事も待たずに、遠近感の掴めない歪な空間を駆けた。


『……』


 第2波が来る。芸術的なまでに色とりどりなシグネットの数々が、僕達を狙って一斉に放たれる。


 その物量は、第1波の比ではなかった。


『!?……ぁぁ……っ!』 


 抜けられない。躱し切れない。諦めが僕を支配する。だが、だが。


『ああああぁぁぁぁ……っ!!』


 それだけは許されない。終末の世界で僕を生かして散った全員に誓ったのだ。最期まで、前に進み続けると。


 僕は無力だ。終末を彷徨ったあの日から、都合の良い奇跡に縋る事しかできない。それでも、やり直したいんだ。


 死に呑み込まれる直前、僕は性懲りもなく祈る。……頼む。どうか。


 ──もう少しだけ、僕に時間をくれ。


 


『やや、何とか間に合ったかも。幻界の侵入口が開いてる事なんて初めてだから、思わず追いかけて来ちゃったよ』


 白と水色のグラデーションヘアに、リボンの多い地雷系ファッション。


『いきなり私の意識に干渉してくるな、異邦の女。反射的に抵抗したせいで、私だけ転送先がズレたのも不愉快だ。おかげで、無駄に歩かされた』


 血のように赤い長髪に、真紅のドレス。


『油断した……。あんな簡単に動きを止められるなんて、不覚……』


 青のウルフカットに、詰襟の民族衣装。


『全部、私に傅いて』


 最悪の思想犯。雑種のソーク・ブルームーンが優しく微笑む。


『全て、私に跪け』


 最強の女王。擅権のベート・バトゥルが胸に手を当てて命じる。


『全て、僕の物になれ』


 最深の天使。梧桐志鳳が左背から伸びる光の螺旋で何かを掴む。


『『『失伝──』』』


 3者の術式が完成する。


頭の中の同居人(シェア・ハウス)


 独眼の怪物の動きが止まった。強制的な思考のエラー。それが知性を有する存在である限り、彼女に干渉できない道理はない。


至上なる命令(オーバー・ルール)


 無秩序に拡散したシグネットの嵐が、整列するようにその場に留まった。彼女は万物に対する命令権を持っている。


『|■■■■■■■■■■■■■■《■■■■・■■■》』


 本体に加勢しようとした怪物の分身体が、光線に撃ち抜かれて沈黙した。


『ワンパターン。単調で分かりやすい』


『……』


 独眼の怪物は正しく怪物である。彼らの術式で戒められて尚、一瞬後には何事もなかったかのように動き出そうとしたのだから。


『遅い……!』


 しかし、その一瞬は。


『……■■■』


 光と化したナーヌス・バレンシアが『目』を潰すには、充分過ぎる時間だった。

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