【ヤザタ・スプンタ】の世界
人は間違える。
間違うた過去は変えられん。ほうじゃき、今だけに全身全霊を懸けりゃあええ。
己の限界と向き合うて、悔いなき道に殉ずる覚悟。それが侍の生き様ぜよ。
名も知らぬ男から聞いた言葉が、わし──ヤザタ・スプンタの指針となった。
物心付いた時から真説大陸を彷徨っていたわしにとって、戦いとは生き延びる為の手段でしかなかった。
迷宮が出現したら怪獣狩りの露払いとして参加する。そこで得た肉や闇市で買った野菜で腹を満たし、雨風を凌げる場所を探して寝る。抗争が発生したら住居を捨てて逃げる。
無駄な事はしない。リスクは踏まない。生存本能以外の欲求は抱かない。人生の残り時間をただ浪費していく、味気ない機械のような日々。
しかし、侍の背中が内に眠っていた何かを呼び起こした。
作業のように武器を振り回す事と、意志を乗せて真剣に勝負する事は全く違う。芯を持った人間は、闘争に意味を与えられる。
決闘を会話だと言う人間がいるが、わしはそうは思わない。決闘は互いを知る為のものではなく、互いを刻み合う為のものだ。
相容れない信念を刃に込めて、死に物狂いで火花を散らす。
譲る必要などない。退く必要などない。悔いる必要などない。だからこそ、価値があるのだ。
──わしは、分かり合えなくて良い。
左右から急所を狙って斬りかかった二刀を戦棍に受け止められた。濃密なマナが衝突し、空気を揺らす。
硬い。耐性のシグネットを纏わせた刀の器仗が、危うく刃こぼれしそうだった。それほどの強度。
あの梧桐志鳳という男のシグネットは、過去と光の複合だと聞いている。だとすれば、単純なマナの量でこれを成したか。
『がっはっは!恐ろしや、恐ろしや!』
戦棍が大きく振るわれる。わしが刀を引いた隙に、青髪の天使は宙へと駆け上がった。
『プレイスホルダー。そっちは任せる』
『やりたいようにやれば良いかえ!邪魔には入らせん!』
陣羽織の襟を正しながら、星空を見上げる。異能者にとって、星はただの鑑賞物ではない。
『ちいと、夜空が荒れちゅうがじゃ』
星々の輝きが僅かに強く感じる。それはおそらく、錯覚ではない。この場に集った超越者達の莫大なマナの影響が、暗闇の中で可視化されているのだ。
『再演──煌めく小さな御星様』
攻撃系の術式行使。その前兆が見えた。
高位階の異能者は閑話を通して自身のマナに指示を与え、術式を構築する。超越者レベルの実力者なら、マナの流れから『指示』の内容を予測する事も可能だ。
わしは手近なホテルに飛び込む。窓や通気孔を錬術の壁で塞ぎ、耐性の固有術式を流し込んだ。
『失伝──不撓不屈の我慢比べ!』
志鳳の周囲から無数の光弾が発射され、ホテルを揺らす。
『がっはっは!威力だけは詩凰にも劣らん術式じゃった!』
わしが耐性を与えたホテルは、光が降り注ぎ終わっても形を保っていた。わしは上階の窓を割って外に出る。
『僕がいない世界では、梧桐詩凰経由で耐性を獲得してるのか。厄介』
『あの引き篭もり女を知っちゅうがか?』
『遠い親戚。……って事になってる』
こちらに飛んでくる光の槍を避けた。何発かは耐性のシグネットで受けながら、空中の志鳳に接近する。
間合いまで、あと一歩。
『再演──痺れさせる電場』
膨れ上がった志鳳のマナと光が、夜の都市を一際目映く照らし出す。
『ちぇ、い……っ!』
マナ感知と視覚を封じられたわしは、気配と音だけを頼りに発術で斬撃を飛ばした。
手応えはない。おそらく、律術で術式に干渉して軌道を書き換えられた。そうなると分かっていたから、直接攻撃ができる至近距離まで踏み込みたかったのだが。
『いかん……!』
光が晴れる。……志鳳を見失った。
都市全体のマナ濃度が高まっている為、彼の居場所は探知できない。
超越者なら都市1つをマナで包むくらいは可能だろうが、それにしても異常な濃さだ。わしの周囲に確保している術式の起点すらも、気を抜けば押し負ける。
『しいいいいいいいぃぃぃぃぃっ!』
考える前に走り出した。腰から上は揺らさず、足で大地を掴んでは後ろに蹴り飛ばす。
『陽流・日和流し』
刀身を錬術で一時的に伸ばし、光の矢の掃射を力業で薙ぎ払う。全方位に対応するのは無理だ。ただ、進行方向だけを斬り開く。
『……と、おうっ!』
狭い路地裏に滑り込んだ。付近の壁をシグネットで障害物に変えれば、攻撃が打ち込まれる方向をある程度は絞れる。
『陰流・居待斬り』
足は止めないまま、迎撃に特化した構えを取った。もはや原型もないほどの実戦剣術だが、決して基本を軽んじているわけではない。
異能者が教わる基礎剣術を、わし個人の体に合わせて研ぎ澄ませた結果だ。
『ふう……しぇあっ!』
膝、腰、肘、手首。全身が回転し、躍動する。光の矢を斬る。長くは保たない。壁に足裏を付けて疾駆し、体を捻るように矢を躱した後は錬術の足場を蹴る。
マナ感知は役に立たない。上下左右に囚われるな。五感に捉えた瞬間に叩き斬れ。
劣勢。逆境。敗色濃厚。死の足音が背後に聴こえる。ああ……。
『……っは!!』
──わしは今、最高に生きている。
夜空に浮かぶ月が見えた。
月よりも星の方が美しい、と侍が語っていた事を思い出す。
彼曰く、太陽や月は所詮ただのマナ溜まりでしかない。そんなものよりも世界の果てで散る火花の方に見る価値がある、と。
その頃のわしでも、在界の大地が無限に広がっているわけではない事は知識として聞いていた。ドーム状の『端緒』より外は瘴気に満ちた死の領域である。
表の六大陸と、その外側に存在する真説大陸。人類の生存圏はここまでだ。ごく稀に端緒の外──宇宙から何かが落ちてくる事はあるが、9割以上はゴミとして処理される。
それでも、昔に比べれば人類の領域は拡大しているらしい。異能者が増える事で端緒の内側のマナ総量が増大し、瘴気を押し退けて世界の果てを広げていった。
今この瞬間も、端緒ではマナと瘴気がせめぎ合っている。相反する2つの力が衝突し、その際に発される光が『星空』として人々の目に届く。
だから、地上で大きな異能がぶつかり合った時、そのマナを受けて夜空はより強く輝くのだ。
『かあああっ!』
都市に張り巡らされたマナケーブルは既に壊滅し、夜を彩る照明はほとんど消えている。その暗さを補うように、星が瞬いた。
星明かりに煌々と照らされながら、非常階段から放たれた光線を避ける。
『足を狙ってきたがか!』
良い判断だ。足を殺せば逆転の目は薄くなる。一方的に捕捉されている今、遠距離での撃ち合いでは勝ち目がない。
……だが、どうにか切り抜けた。わしは目の前のホテルの耐性を下げ、高く跳び上がるとマナで膨らませた刀を上段から振り下ろす。
『きぃ、えぁあああああああっ!!』
手応えが、あった。
『建物を片っ端から壊して炙り出すなんて、目茶苦茶。脳筋の極み』
滞空中のわしに対して、戦棍を握った志鳳が突進してくる。数度打ち交わしながら、隣のホテルの上階に雪崩れ込んだ。
『それが侍のやり方ぜよ!斬れるもんは斬る!斬れんもんがありゃ、おんし!単純な話じゃき!』
知覚系や精神系と違って、わしのような異能者が人を探そうとすると時間がかかる。スマートな手段を選んでいる暇はない。
範囲が広いと難しいが、都市1つを壊滅させる程度なら直ぐに終わる。志鳳のマナに空間の起点を握られているので、広範囲をまとめて斬り払えないのは面倒だったが。
『まだ、元気そう』
『応とも!』
傷は浅くない。礼装には穴が空き、肩からは血が流れている。
それでも、マナの循環経路だけは深く損傷しないように立ち回った。わしの見切りと耐性のシグネットを組み合わせた、不死身のような継戦能力。
『楽しませてもろうたき、次はわしが死合いを用意しちゃるぜよ』
ゆらりと刃先を遊ばせる。どれほどの規模の異能であろうと、扱っているのは個人に過ぎない。ならば、これは1対1の決闘だ。
『『陰流・深雪払い』』
活術で強化された戦棍と二刀が、弧を描くように打ち合わされる。
『陰流・小雨返し』
わしは片方の刀を滑らせ、喉笛に狙いを向けた。マナの循環経路を阻害する、呪術を含んだ返し技。
『再演──凝り固まった流血』
『ぐ、おっ……!?』
首元に光の壁が現れ、刀が弾き返される。完全に動きを読み切った上で、術式を設置されていた。
単純な反応速度はわしの方が速い。だが、志鳳の方が読みが深い。
わしは刀の柄を戦棍に叩き付け、その勢いで自身の体を横方向に飛ばした。
『失伝──不撓不屈の我慢比べ』
迫る壁に左足で接地する。マナを固めて作る即席の足場よりも、実在の物体を補強した方が強度は高い。そんな壁が砕け散るほど、力を入れて蹴り飛ばした。
『陰流・垂氷突き!』
天井を見上げる姿勢で足裏からマナを解き放ち、1本の矢の如く志鳳の心臓を刺し貫く。
突き込んだ刀が、体を擦り抜けた。
『協術……!これも読んじょったか!』
戦棍に殴り飛ばされる。
『当たり前。ヤザタとは何度も模擬戦したから……』
術式の前兆。光の傘が視界を覆った。受けずに横から回り込む。
強敵を前にして、わしの戦闘勘は冴え渡っていた。今ならどんな術式にも、マナの流れを感知してから後手で対応できる自信がある。
瞬時に、次の前兆を。
『か、ふっ……』
──前兆が、なかった。
『どう、いう……理屈、ぜよ……?』
わしの腹を光の矛が貫いている。
これだけの指向性を持たせた術式に、前兆が存在しないはずがない。術式の発動イメージを察知できないはずがなかった。
『異能者には共通する弱点がある』
志鳳の姿が分裂するように増える。光のシグネットによるダミー。……発動の前兆は感じ取れなかった。
『認識の限界。僕達は異能を『行使する』という感覚から抜け出せない。だから、どんな些細な術式にも前兆が付随してしまう』
『そ……りゃあ……』
それは弱点ではない。当然の事だ。そうしなければ、異能は制御できない。
様々な術を組み合わせ、条件を編み込んで式とする事で、初めてマナは術式となる。異能者は皆、この手順を踏んで異能を発動するのだ。
『術式なんて、本当は必要ない』
手順の省略を追究する者は多いが、手順そのものをなくそうとする者はいない。
『マナを手足のように支配すれば良い。自己の外ではなく、内側に■■を置く事ができれば……』
それは、あまりにも。
『全てが、僕の物になる』
──人間の枠を逸脱した領域だ。
『この世界とヤザタの世界は辿った歴史が違う。……どっちが幸せなのかは、分からないけど』
志鳳は呟く。シグネットで過去を読まれているのか。
わしは光の矛を抜き、穴の空いた腹に応急手当を施した。左の刀を支えにして、何とか立ち上がる。
『平和な時代があった。強大な異能は無用の長物となり、高位階の異能者は俗世を離れて社会との繋がりを断って暮らしていた』
そうだ。世界は平和で退屈過ぎた。超越者は力を振るわなくなり、夜空の星の輝きは落ち着いてしまった。
『でも、僕達の世界の平和は長く続かなかった。異名持ちが隠居した隙に、未能者が異能者を迫害し始めた』
……にわかには信じられない。低位階の異能者でも常人よりは圧倒的に強いはずだ。
『異能による傷害が厳罰化されていた事、俗世に留まった悪意ある異名持ちが嫌がらせに加担した事。迫害が過激化した原因は色々あるけど、結果として異能者は未能者を信じなくなった』
なるほど。それが事実だとしたら、確かにわしの知る歴史とは根本から異なる。
『現代の異能者は独自の社会と独自の法を作り、在界を裏から管理してる。一部の協力的な未能者以外には知識を与えず、異能による自力救済も国際的に容認させた』
『何が言いたいがか?』
『ヤザタの世界よりも、この世界の方が異能者同士の結束が強い』
志鳳は戦棍を中段に構えた。
『ヤザタの世界では敵として戦う事があったとしても、仲間として深く理解し合う事はなかったはず』
彼の気配が希薄になっていく。呪術。やはり、前兆はない。
『国際異能連盟を知らない。四大結社を知らない。神聖喜劇を知らない。……梧桐志鳳を知らない』
ならば、先手で潰……。
『それが、ヤザタの敗因』
『……!?』
左腕を失っている事に、遅れて気付く。
『遺失支族は失敗した』
知覚系、精神系、時間系、空間系、生物系、物質系、支配系、現象系。
知覚系のシグネットは他者に直接干渉できない為、他の異能者から侮られる事がある。だが、見方を変えればどうだろうか。
知覚系は何も外に与えない。情報を奪い続けて自己完結する、究極の暴君。
『こんなに弱い可能性を上書きするなんて。僕ならそんな演出ミスはしない』
梧桐志鳳が舞台に上がる。
──退け。絶対強者とはこう演じる。そう語るような佇まいで。
『失伝──期待通りの番狂わせ!』
わしは備え付けのベッドを蹴り剥がし、床に叩き付けて下の部屋まで貫通させた。これで空間を広く使える。
「静かに息を、吸い込みて」
わしは肉声で堂々と詠唱を始めた。
『……正気?』
無論、狂気。
「心の霧を、晴らしけり」
正答だの効率だの、馬鹿らしいにも程がある。それに少し、誇りを擽られた。故に、わしの最強を見せてやる。
「水面のごとき、心持ち」
ホテルを縦横無尽に駆け回り、手近なテーブルを強化して光の剣を凌ぐ。
「波風立てず、身を沈め」
さあ、追いかけっこじゃき。唱え終わるまでに殺してみせりゃあええ。
強がりだろうが、間違いだろうが、最後まで貫けた方の勝ち。果たし合いとはそういうもんぜよ。
「骨の1つを、石とせよ」
右手に握った刀が吹き飛ばされた。前兆のない術式は何度受けても慣れない。
じゃから、どうした。まだ、刀は折れちょらんぞ。
「動かぬ意志は、鋼なり」
右腕の肘から先が千切れる。今のは根元から逝くはずだった。前兆のない攻撃を戦闘勘に身を任せて避ける。
しかし、もう逃げ場がない。最下階、ホテルのフロントまで降りてしまった。
「折れぬ覚悟は、刃なり」
無名の術式が完成する。
耐性のシグネットを重ね掛けした、自身を無敵に変える術式。
「巡るを知れば、操れる」
志鳳の気配を背後に感じた。
体の向きを反転させて、殴りかかってきた戦棍を右脚で受け止める。自ら後ろに飛び、ホテルの入り口から外へ。
冷たく輝く夜空が、わしの目に入った。いつもよりも明るい星空。
「今ぞ放たん、極の技」
いや……明る過ぎる星空が。
『だから、言ったはず』
「……っ!音すら残さず、斬り伏せよ!」
何故……!何故、気付かなかった……!?
そんなもの、決まっている。気付かないように誘導されていたのだ。
狭い路地から屋内へと誘い込み。前兆のない術式を警戒させ。自身に全ての注意を惹き付けて。
──星空に紛れて散らばり、徐々に輝きを増す『光の術式』に違和感を抱かない状況を作り上げた。
『この世界のヤザタだったら、こんな手には引っ掛からない。演出家の僕が、絶好の舞台に何も仕込まないなんて考えない』
「我が身を捨てて、刃とせん……!」
詠唱、間に合うか?屋内に戻ってシグネットで防げば……。あの男がそれを黙って見ているとでも?どちらにせよ、これしか勝ち筋はない。日和るな。もう、やるしかない。
侍なら死ぬ時は潔く、前のめりに死ね。笑って死ね。死か勝利か。迷いは要らない。諦めは命の価値を下げるぞ。
死を恐れるのは生者の特権。それさえも楽しめ。恐怖を愛せ。今この場所を自分の空間にしろ。勝利を、掴め。
『ヤザタの耐性と底力を加味した上で、それでも確実に殺し切れるだけの物量を準備した。過剰なくらいに慎重に、過剰なくらいに時間をかけて術式を組み上げた。相手が、ヤザタだから』
「刹那に……!」
『これが今の、僕の全力。月より壮麗な星々の閃光。その身で余さず、ご堪能あれ』
片翼の天使が役者のように宣言し、ふらりとホテルの外壁にもたれ掛かる。
『はぁ……はぁ……。……ちょっと、悔しい。本当は近接戦で仕留めたかったのに、やっぱり倒し切れなかった……』
悔しい。悔しい、か。奇遇な事に、わしも同じ感情を燻らせていた。
「終わる……」
(わしも、悔しいがじゃ……)
星空が墜ちてくる。光に呑まれる。最期まで死力を尽くして生き足掻いた。この決闘に悔いはない。だが、しかし。
「……これにて、終演」
(おんしにそこまで言わせる……この世界のわしと……)
──真剣勝負してみたかったぜよ。




