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【宇宙】に関する閃き

 諸々の状況から推察するに、今の僕は過去の梧桐(アオギリ)詩凰(シオン)に未来の梧桐詩凰が上書きされた存在である。


 器仗・礼装・眷属・隷獣などは失われ、再度新調する羽目になったが、自身に付随する肉体や精神は未来の経験値をそのまま持ち帰る事ができた。


 記憶を完全に維持できていなければ、僕は前回と同じく引き籠もって過ごした可能性があるので、これに関しては癪だが悪魔に感謝するしかない。


足足(ヅゥヅゥ)。翼、借りる」


「ヅゥ、ヅゥ」


 僕は5色の鮮やかな翼に身を預けて、珍しく寛いでいた。たまには休息も必要だと、ドルクから進言されたからである。


 僕が自身の隷獣──足足を召喚する機会は少ない。足足は志鳳の即即(ヂィヂィ)と外見こそ瓜二つだが、少しばかり人見知りの傾向があるのだ。これは間違いなく、主人の違いだろう。


 未能者の間ではペットは飼い主に似るという迷信が囁かれているらしいが、隷獣に関しては異能学的な根拠がある話だ。


 幻界の幻妖獣は元々ただ強いだけの野生動物であり、召喚主と共鳴を結ぶ事で初めて高次の思考を獲得する。


 足足は僕から自意識を学習したのだから、ある意味では僕の子供のようなものだ。当然、性格や考え方に影響が出てしまう。


金烏(ジンウー)、1時間経ったら起こして」


「2文字で、了解」


 黒髪で片目を隠した眷属──金烏は煎餅を摘まみながら、モニターでニュース番組を見ている。別に敬えとは言わないが、主人を片手間で扱うのは如何なものだろうか。


 ちなみに、金烏も志鳳の眷属──玉兎(ユートゥ)と容姿がそっくりだ。金烏が左目を玉兎が右目を髪で隠している。


 偶然か運命か。サンプルが1つでは何とも言えないが、この共通点は僕が梧桐志鳳という同一存在を見付けるきっかけにもなった。


「……」


 そんな事を考えている内に意識が朦朧としてくる。寝たいと思えば直ぐに熟睡できるのは、終末で身に付けた特技だ。


 プレイスホルダーの体質を見れば分かるように、異能者の自己回復手段として睡眠は非常に効率が良い。


 そう言えば、彼は最近になって睡眠時間が延びている気がする。何か、摂理の方で問題が起きているのだろうか。


 僕には手の出しようがない作業なので、彼に任せるしかないのだが……。




 肩が優しく揺すられる。それだけで、サバイバル慣れした僕の意識は正常に覚醒した。


「金烏……もう1時間経った?」


「1文字で、否」


 LITH端末を確認してみると、30分しか経過していない。


「じゃあ、緊急事態?」


 僕が目付きを鋭くしながら問うと、金烏は頷いてモニターを指差した。


「3文字で、宇宙人」


「……は?」


 ニュース番組の画面上には『アトランティス遺構の深部にて、謎の巨大艦船発見!船体には未知の素材と技術!宇宙からの使者との噂も!果たしてどうなのか!?緊急討論!!』の文字が踊っている。


『宇宙人なんて妄想の産物!この世界──在界の外に人が生きられる環境があったら、現代摂理学がひっくり返るお!』


 モニターの向こう側では、頭の前で紫髪を二つ結びにした超越者──ツァディー・レトゥワルが熱弁していた。


『摂理が存在しない宇宙で、どうやって人間の生存に適した環境を維持できるお?適当な憶測を拡散されたら困る!これは連盟の公式見解でもあるお!』


 現代の理論に基づいて考えると、彼女の言っている事は正しい。


 迷宮や遺物の研究が進んだ今でも、全く未知の素材が発見される可能性はあるし、技術のブレイクスルーだって起きてもおかしくはない。


 宇宙船や宇宙人などに結び付けるのは、発想が飛躍し過ぎている。でもまあ、遺失支族の移住先である真説大陸の異変なので、僕に報告すべきだと考えたのだろう。


「宇宙人はいない。4文字で、ショック」


 訂正。本人の趣味かもしれない。僕は足足の翼から体を起こして、金烏の頭を撫でる。


「いや、いる」


 自分自身に確認するように、小さな声で呟いてみた。終末の世界が訪れるまで、僕も知らなかったが。

 

「──宇宙人は、いる」


「ああ、これ。遂に見付かったんですね」


 ちょうどその時、休憩室にスフィアが入ってきた。長い白髪が濡れているので、シャワーの後だろうか。


「私が真説大陸にいた頃に見付けた謎の船艦。懐かしいです」


 僕はスフィアの横の壁に手を突いた。


「ぇ、え、何ですか……?」


「それ、なんで今まで言わなかった?」


「訊かれなかったので。何か重要な物なんですか?」


 背の低いスフィアへと倒れ込むように脱力し、僕は頭を切り替える。


「そう。多分、梧桐志鳳も確保に動くはず。僕達も介入する準備をしておく」


「……はぁ、分かりました」


 


「閃いた」


 宇宙船の目撃情報が表の六大陸に届く前。拠点でアインと遊んでいた志鳳は、LITH端末の通信を友人に繋いだ。


「杜鵑花、真説大陸に行こう」


『他を当たってくれませんかぁ?今日は外せない用事があるのでぇ』


「また賭け事?」


『……まぁ、そんな感じですぅ』


 いつも通り、気合いの感じられない返事。ウールーズの中で唯一、異能名家の出身である杜鵑花は、何処か名門の令嬢らしいおっとりした気質があった。


 超越者としては非才な部類の彼女だが、一般的な異能者の基準で見れば天才だ。両親からは可愛がられていたに違いない。


 しかし、今日の彼女の声には普段と異なる緊張感が含まれていた。それはまるで、戦いに赴く直前のような。


「杜鵑花」


 僅かな変化に気付いた志鳳は、感じたままの言葉を口にする。


「気を付けて」


『きゃひひ、了解しましたぁ』


 通話が切れる。志鳳はじっと端末を見詰めた。彼は自分1人で何もかも解決できるとは思っていない。それは1度目の歴史が教えてくれている。


 それでも、不安は募るばかりだ。プレイスホルダーの消耗。幕楽の封印解放による負担。アインの……。


「心配し過ぎだぞ」 


 表情を曇らせた志鳳を現実に引き戻すように、アインが馴れ馴れしく肩を組んできた。


「生意気な後輩だが、彼女の勝負強さは本物だ。異能者としての実力も……まあ、私の足元に及ぶくらいには強い。君が心配しなくても、どうにかするはずだぞ」


「それ、前に杜鵑花も同じ事言ってた」


 アインは得意げに親指で自分を指す。


「ふふ、最近は私が勝ち越してるぞ」


「意外。杜鵑花、調子悪い?」


「私が強くなった可能性を先に考えてくれないか!?」


「ほふぇん」


「何してるデスカ?」


 暗い金髪を後ろで丸めた護衛係が、頬を引っ張られている志鳳にジト目を向けた。


「何故、アナタは自分よりも弱いアインに抵抗しないデスカ?理解に苦しみマス」


「何、その弱肉強食の価値観」


「すまない。レーシュ君は残体同盟の中でも少し社会性がアレなんだ……」


 擬態のレーシュ・ソレイユ。


 シグネットは不明。ライフワークは様々な乗り物の操縦。彼女に操れない機体はない。


「ルールは武力を背景にして適用されるものデショウ。生物の頂点である超越者に社会性は不要だと愚考しマス」


「思想が強い」


「まあ、空気は読めないが真面目な子ではあるから安心してくれ。それで、今日の護衛係は君1人か……」


「違ぁぁぁぁぁぁぁぁう!」


 アインの言葉を遮るように、空から銀色の何かが激しく降下し、数度回転しながら華麗に着地した。


 両端が細くなった円柱状の胴体。側面に並んだ黒塗りの窓。2本の腕のような主翼に付いたジェットエンジン。尻尾のような尾翼。脚部にはランディングギアの車輪。


 ジェット機──をモチーフにした着ぐるみがそこにいた。


「「あ、あれは……!」」


 志鳳とアインの声がハモる。着ぐるみは強風と共に再度浮き上がり、シャキーンと空中で構えた。


「そう、当機こそが『キャプテェェェェン・ズゥゥゥゥム』!空の平和を守るヒーローなのだ!」


 アインが目を輝かせる。


「志鳳君、志鳳君!本物のキャプテン・ズームだぞ!」


 志鳳も興奮気味に拳を握った。


「画角を計算し切った無駄のないポーズ。生身に限りなく近い着ぐるみ捌き。流石、世界一のスーツアクター」


「違ぁぁぁぁぁぁぁぁう!」


 キャプテン・ズームが主翼を掲げる。


「中の人などいないのだ!」


「……!」


 志鳳が衝撃を受けたように膝を折った。


「僕とした事が、演出家として大切な事を忘れてた」


「気にするな、少年!誰にでも失敗はある!そういう時には空を見上げるのだ!いーつか、宇宙へ行くためにー!」


 キャプテン・ズームがテーマソングを高らかに歌い始める。


「キャプテェェェェン?」


「「ズーム!!」」


 ノリの良い3人が盛り上がっている後ろで、レーシュは冷ややかな目をしていた。


「仕事は真剣にやるデスヨ、テット」


「テットという名は知らないが……当機はいつでも真剣なのだ!」


 逆凪のテット・ジュスティス。


 シグネットは風。ライフワークはスーツアクター。キャプテン・ズームとの関係性は不明。


「さあ、君もご一緒に!キャプテェェェェン?」


「はあ……これだから、テットと一緒の任務は嫌だったデス」


「ほら、キャプテェェェェン?」


 レーシュは遂に根負けする。 


「そ、その……ズーム……」


「ところで、護衛任務の詳細について2・3確認したい事があるのだが」


『殺しマス。口伝──名状しがたきもの(ジ・アンネイマブル)


 顔を真っ赤にしたレーシュは、梯子を外したテットに対して、割りと本気の殺意を抱いた。




「……今日は無涯のプレイスホルダーは来てないデスカ?」


「プレイスホルダー君なら、ウールーズか適当なセーフハウスで寝てると思うぞ。君は彼の知り合いなのか?」


「いえ。摂理の第一人者に興味があっただけデス。いないなら諦めマス」


 そう言いつつも、レーシュは名残惜しそうに視線を彷徨わせている。左腕は無数の触手と化しており、テットを着ぐるみごと締め上げていた。


「ぐぎゅう……。グルグル巻きなのだ……」

 

「あ」


 その時、杜鵑花と話した後も端末を握ったままだった志鳳が素っ頓狂な声を出し、全員に閑話を接続する。


『連盟からの速報。アトランティス遺構で未知の素材でできた船艦が発見されたみたい。回収も分析もできずに放置されてる。今なら、一番乗りで見に行けるかもしれない』


『未知の素材!胸が躍る響きだぞ!』


『宇宙船とは!これはもう、当機が在界代表として挨拶しなくてはいけないのだ!』


『行きマスカ』


 レーシュに視線が集まった。


『どうしマシタ?』


『いや、僕の護衛中だから反対されるかと思った』


『ワタシとテットなら、真説大陸でもアナタを守るくらい余裕デス。それに、どうせ止めても行くつもりデショウ?』


『違ぁぁぁぁぁぁぁぁ……』


 触手地獄を抜け出したテットが、スタッと着地する。


『わない』


『違わないんデスカ……』


『そうと決まれば!失伝──悪戯な玩具箱(ジョーク・ボックス)


 アインは道具のシグネットを使い、青色のジェット機を具現した。


『模型──ブルーアタッカー特装機。杜鵑花君の手も借りて設計した傑作機だぞ。どんな隷獣よりも速度が出る。問題は私自身も制御できない暴れ馬な事だが……そこは世界一のパイロットの操縦技術に期待しよう』


『宇宙一デス』


 否定するレーシュの隣で、志鳳がアインの表情を窺う。


『アイン、こんなの出しっ放しにして大丈夫?』


『ふふ、私も日々成長してるんだぞ。ここ最近は珍しい遺物を見る機会が多かったからな。道具の仕組みをより深く理解して、低燃費で具現できるようになったんだ』


 言葉通り、無理をしている様子はなかった。元から優秀だったアインだが、志鳳達と同じ第0位階の領域に近付きつつあるのかもしれない。


『私は天才だからな!失伝1つで直ぐに息切れしていた頃とは違う!』


 アインは右腕をバッと広げた。


『私が作った最高の機体に、最高のパイロットと空を制する風のシグネット!これぞ、完璧な布陣だぞ!』


『このキャプテン・ズームが、快適な空の旅を約束するのだ!』


『おー、頼もしい』




『レーシュ、速度上げて!撃墜される!』


『もう限界以上に飛ばしてるデスヨ!制御システムを手動で組み直して、本来の150%の速度を出してマス!』


『勝手に私の機体を弄ったのか!?』


『そうデスガ、何か?文句があるなら降りてクダサイ!』


『私のシグネットだぞ!!』


『2人共、喧嘩してないで……前!前!ぶつかる!』


『うぉぉぉぉぉぉぉぉ!風力全開、キャプテェェェェン・ズゥゥゥゥム!』


 機内を激しい揺れが襲う。志鳳達の搭乗するブルーアタッカーは攻撃を受けていた。


『尾翼が捥がれたデス!』


 あり得ない事態。音速すら生温い速度で飛ぶ超越者の被造物が、一方的に破壊されようとしている。


『私がシグネットで作り直すぞ!ハッチを開けてくれ!』


『それでは、当機が背中を守るのだ!』

 

『僕も行く。アレ相手なら戦力は幾らあっても足りない。失伝──|針の上で天使は何人踊れるか《シースレス・エンジェル》』


 3人の超越者がハッチから放り出され、機体の背中に降り立った。


『この高度。障害物がないなら、範囲攻撃で。再演──散乱する玻璃(ステンド・グラス)


 志鳳の光が鋭利な刃物と化し、煌めきながら全方位に散り……頑強な歯車に弾かれて砕ける。

 

『無粋な事をしなくても、貴君に呼ばれれば素直に出てくるわ、天使』


『ミセリコルディア……』


 根元だけ紫に染まった桃色の髪。アンティーク調の服と、背中から伸びた機械の巨腕。


『久し振りだぞ。懲りずにまた来たか』


『ふっ、アイン・ディアーブル。我も前回は不完全燃焼で終わったのよ。あの程度だと思われてたら不服だったのだけれど……運命の歯車は再戦の好機をくれたようね』


 ミセリコルディアは今、無数の歯車が噛み合った巨大な機構に埋もれるようにして、天を貫く樹木にも見えるそれを手足のように動かしていた。


『これが我の戦闘形態──連結絡繰天蓋コグスパイア。そんな玩具、直ぐに叩き落としてあげるわ』


『口伝──局地的な暴風(ローカル・ストーム)!』


 テットの強風が吹き荒れる前に、歯車が回転する。コグスパイアが変形し、ミセリコルディアの体が後方に巻き取られた。


 連動してコグスパイアの一部が鋏のように開き、ブルーアタッカーへと迫る。


『ワタシが操縦桿を握っている限り、墜落はさせないデス!テット!』


 ブルーアタッカーは宙返りでテンポを外し、間一髪の回避に成功した。当然、志鳳とアインは投げ出されたが、テットの風で引き戻される。


『ザイン!口伝──燦然たる開演ハイライト・ショータイム!』


『お任せだってば!』


 志鳳が機体に足を付くと同時に、脳内に警告が響いた。


『伏せて!』


 迷わず従う。何かが通り抜ける気配。


『ふっ、小型ギアドローンの奇襲を察知するなんて、良い勘をしてるわね』


 コグスパイアに注目を向けさせておいて、二の矢を放っていたのか。その戦闘思考に、志鳳の背筋に冷たい感覚が走る。


 何故なら、理解できてしまったからだ。その戦い方は生まれ付き備わった権能による力押しではない。


 ミセリコルディアは超越者と同じ、真っ当な研鑽の延長線上にいる技巧派の強者である。そういうタイプが最も怖い事を、志鳳は知っていた。


『ありがとう、ザイン。助かっ……』


『なんで光のシグネットがあるのに、その程度しか見えないの!?あれくらい目視で気付け、鈍感野郎ー!せっかくのポテンシャルが宝の持ち腐れだってば!』


『ザイ……』


『次、右に避けるように指示して!』


『……はい。レーシュ、右に旋回』


『簡単に言ってくれマスネ!』


 下から跳ね上がった歯車の橋が、ブルーアタッカーを掠める。その先端が水平に振り抜かれ、テットの風による軌道修正で衝突を免れた。


『動きが予測しづらいし、連結部を独立して操る事で小回りまで利く。ソフィアの巨大化より、面倒』


 しかも、黙示録の権能の『事実を書き換える』という性質からして、一度生み出した歯車は自然に消える事がない。


 仮にコグスパイアを破壊したとしても、直後に再構築できる程度には燃費が良い可能性もある。


 


『不味いぞ、志鳳君!そろそろ、目標地点に到着する!しかも、ミセリコルディア君の方が早く!』


 その瞬間、志鳳の拡張思考回路がようやく最適解を導き出した。


『キャプテン・ズーム。僕をミセリコルディアのところまで飛ばして。そうすれば、どうにかなる』


『……無策ではないようだな!了解!当機は仲間を信じるのだ!良い空の旅を!』


 志鳳の体が風に押されて射出される。並みの異能者なら粉々になるほどの風圧。しかし、テットは第0位階の肉体が耐えられるギリギリのラインまで加速させた。


『……!再、演っ!』


 志鳳とミセリコルディアの距離が近付く。コグスパイアがミセリコルディアを守るように変形した。


 その隙間を縫って飛行する。手の届く距離。ミセリコルディアの体が完全に覆われる。


『──独り善がりな栄光(ロンリー・アウレオラ)!』


 光の矢が空間を満たすが、どれ1つとしてミセリコルディアには届かなかった。


『がっ!』


 志鳳の頭にコグスパイアが直撃する。気を失った志鳳を1本の歯車腕が掴んだ。


『そこで少し待ってなさい、天使』


 ほぼ同時に、ブルーアタッカーが遂に撃墜される。アインとテットもコグスパイアに叩き落とされた。


『未知の素材。機械屋の腕が鳴るわね』




『パスワードが間違っています』


 パァン。


 膨らませ過ぎた風船が割れたような、小気味良い破裂音。


 宇宙船とも呼ばれている謎の船体に触れた途端、ミセリコルディアは死んだ。


『えっ……?』


 内側から破裂した自身の腹部を見下ろす。致命傷を受けるなんて、いつ以来か。呆然としながら自動修復する肉体を眺め……。


『なっ!』


 今度は肩が張り裂けた。


 危険、危険、危険。歴戦の勘に従い、ミセリコルディアは撤退を決意する。


『コグスパイア!!』


 歯車を回転させ、飛び跳ねながらアトランティス遺構を後にするミセリコルディアは、志鳳が拘束を抜け出していた事に気付かなかった。



 

『キキキキキキッ!やった!やっと取り返したデス!ワタシの母船──アステロイド・スキップを!!』


 人のいなくなった船艦の前で、レーシュは高笑いしていた。彼女の左半身は奇妙な質感の光沢のある黒い肌に変わり、枝分かれした触手が人の腕のように有機的に動いている。


『アオギリシホウの流れ矢で自動迎撃システムが起動状態になってたデスカ?ご愁傷様。黙示録とは言っても、所詮は未開人。汚染拡張子を相手にするには文明レベルが足りませんデシタネ!』


 完全勝利への道を1歩1歩、踏みしめて歩く。


『宇宙船だと言われた時には、ワタシの正体がバレたのかと緊張しマシタガ。アナタ達が馬鹿なおかげで出し抜く事が出来マシタ。感謝しマスヨ、在界の原住民達』


 異常気象と環境汚染に侵された故郷の星の人間達が、『摂理』という生存環境維持システムが存在するこの在界(らくえん)に移住する計画。


 その尖兵として開発された惑星最強の人工生命体が彼女であり、在界を覆う生命に有害な瘴気の海を越える為に必要な宇宙船がアステロイド・スキップだった。


 母星の技術の全てを注ぎ込んだ宇宙船と生命体。この2つが揃えば、超越者も黙示録も敵ではない。


『アステロイド・スキップを見失った時は焦りマシタシ、このワタシよりも強力な生命体を発見した時には死ぬかと思いマシタガ……。これさえ取り戻せば、今度こそ在界を支配し、マスター達に献上できマス!』


 未能者排斥派を名乗って異能者と未能者の分断を後押ししたり、母星では時代遅れの知識や技術を広めて影響力を強めたり。そういった地道な工作も今日限りだ。


『擬態適応機能、情動模倣システム、文化言語融合モジュール、自己進化型コア。移住先の環境が故郷に似ているのは喜ばしい事ですが、せっかく搭載して貰った機能をあまり活用できなかったのは複雑デスネ』


 在『界』だけが唯一の『世界』だと信じている原住民達は知らないだろう。瘴気の海の外にも人類の生存圏があり、何世代も先の科学技術を有している事を。


『統合共生模倣型多機能知性生命体・ミメシス、ただいま使命を遂行しマス。……『地球』のマスター達』


『止めといた方が良い』


 レーシュの触手がピタリと停止する。


『起きてたデスカ、シホウ。でも、その消耗具合ではワタシを止める事はできマセン。口伝──楽園を信じて(ヘイル・メアリー)……!』


『警告はしたから』


 レーシュの姿が更なる異形へと変貌する前に、志鳳は背を向けて走り去って行った。


『……?何だったデスカ……?』


 首を傾げるが、答えは出ない。今のは戦う場面ではないのか。レーシュは未だに人間を完璧に模倣し切れない事に苛立つ。


 どんな生物の身体的特徴も再現し、異能者の肉体にも擬態できる自分に何が足りないというのか。何故、最後までシグネットが発現しなかったのか。


『パスワードをどうぞ』


 レーシュは何の意味もない数字と記号の羅列を暗唱した。地球を旅立った時から、このパスワードを忘れた事はない。


 逸る気持ちのまま、入り口に触手を押し当てる。


『パスワードが間違っています』


 パァン。


 膨らませ過ぎた風船が割れたような、小気味良い破裂音。


 船体に触れた途端、レーシュは内側から弾けて死んだ。痛々しい静寂が場に残る。


「だから、言ったのに……」


 志鳳は呆れ顔でレーシュの遺体を回収し、遅れて飛んできた飛行機に手を振った。




「今日も1日、ご安全に」


『パスワードを確認しました。非常に安全性の低いパスワードです。変更しますか?』


「えー、結構気に入ってるんですけどね、この冗談みたいなパスワード。元は他人の物なので、奪われても惜しくないですし」


『了解しました。お帰りなさいませ、管理者──スフィア・ミルクパズル』


 僕はスフィアを睨んだ。


「……どういう事?」


「どういう……?あれ、志鳳様には話した覚えがあるんですけど、王には言ってませんでした?真説大陸にいた頃、アジト代わりに使ってたんですよ、この宇宙船」


 何でもないように言うスフィアに、僕は頭痛を堪える。


「パスワードはどうやって突破した?」


「突破したっていうか、初期化状態で放置されてましたよ?宇宙船っていうのが事実なら、不具合が起きるくらい無茶な航行でもしたんじゃないですかね?」


 スフィアが船内の機器を弄り始めた。


「結構、便利なんですよ。特に迷彩機能。私の調べた感じだと、あらゆるレーダーを擦り抜けられるみたいで……。あと、基本は防音ですけど、設定を変えれば外の音が聴けますよ」


 スフィアがダイヤルを回すと、一際元気な声が船内に響く。


「復活!キャプテェェェェン・ズゥゥゥゥム!まさかレーシュ君が宇宙人だったなんて!当機が嫌われていた理由にも、合点が行ったのだ!」


「それは普通にウザいからだと思います。……と、こんな感じですね。何か気を付けた方が良い事とかあります?」


 何だろう、僕だけ真剣に考えてるのが馬鹿らしくなってきた。


「とりあえず、パスワードは変えて」

 

「えー」


「えー、じゃない」


 この宇宙船──アステロイド・スキップに関しては、管理者のスフィアと共に拠点へ持ち帰るしかないだろう。


 祭具でも遺物でもないから、異能法や基柱協定には抵触しない……と思いたい。


「スフィアは隠し事が多過ぎる」


「王に言われるのは、流石に心外です」


「僕は必要な情報は開示してる」


「どうだか。それに、私ばっかり疑ってますけど、他にも嘘吐きはいるかもしれませんよ?」


 スフィアは掴みどころのない笑みを浮かべて言った。


「……意外と身近に、ね」

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