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【手助け】に関する閃き

 失楽園の外に放り出されるまでの間に、僕はふと思い立って懐の絵札を触った。契約を交わした黙示録──悪魔と仮称している存在に語りかける。


『悪魔、聞こえる?』


 本来なら『悪魔』とは黙示録全体を指す総称だったが、遺失支族という集団名が定着した事で、今ではなし崩し的にコイツの固有名のような扱いになってしまっている。


『最近、口数が少ない。時間遡行後は嫌になるくらい話しかけてきたのに』


『おや、我輩を心配しているのかね?』


『まさか。必要な時に黙示録の力が使えないと困るだけ』


 悪魔の甲高い声が脳内に響き、辟易しながらも安堵した。黙示録については、まだ未解明の部分が多い。


 僕の救世計画は常に綱渡りなのだ。急に悪魔に消えられたりしたら、その時点で全てが破綻する。


『ほう、危機感を忘れていないようで、大変よろしい!我輩も忠告してきたかいがあったな!』


『恩着せがましい。あと、話を逸らさないで』


 悪魔は僕と結び付いているので、意思疎通の感覚も術式の発動時──自身のマナに閑話で指示を出す時に近い。


 まあ、閑話だろうが権能だろうが、音や肉声といった遅過ぎる伝達媒体に依存するよりはマシだ。元引き籠もりとか関係なく、純粋に効率が悪いだろう。


『クハハッ、君が気にする事ではないとも!少し……知り合いと話していただけだからね』


 知り合い?僕への嫌がらせか?そんな言い方をされたら、余計に気になるだろう。


 僕だけが一方的に情報を握られる関係は、やはり落ち着かない。


『戦いはまだ終わっていない。今は目の前の戦場に集中すべきだ、孤高の青』


『言われなくても分かってる』


 各地で足止めされている超越者が集合すれば、遺失支族の権能がどれだけ強力であっても押し切れる。


 連中が力によるごり押しではなく、わざわざ策を練って仕掛けている点からも、それは間違いない。


 だから、世界中の超越者が集まるまで死者を出さずに防衛する事。それが、僕達に求められている役割である。

 

『気を抜く余裕なんてない』


 僕が過去に戻って梧桐志鳳が誕生し、僕達2人は最善に近い介入を続けてきた。それでも、撃破に成功した遺失支族はパビェーダ1体だけ。


 時間遡行という反則技を使ってこれだ。本来の歴史で人類が大敗したのも、至極当然の結果に思えてしまう。


 そして、何より。


『僕はまだ、前の歴史で最も多くの超越者を殺害した2体を直接確認すらできてない。アイツらが出てきてからが本番』


 拳を握り締める。状況証拠的に、片方はアインを殺した犯人である可能性が高い。


『復讐する気かね?』


『……本来の世界で死に損なった僕の、命の使い所としては悪くない』


 悪魔は何も言わなかった。




『それにしても、2人は本当にそっくりだな。姉弟……いや、双子と言われても違和感がないぞ』


 アインから急に話を振られて返事に迷う僕に、横から志鳳が助け船を出してくれた。


『一応、知り合いではある。遠い親戚?』

 

『……そんな感じ』


『クローンとかじゃないだろうな』


 アインが悪戯っぽく笑う。勿論、冗談だ。


 高位階の異能者のクローンを作る試みは、仮に倫理的な問題をクリアしたとしても無益だと証明されている。


 シグネットは異能者の魂に紐付いている個性なので、遺伝子だけ同じクローンを造っても、全く別の異能が発現してしまうのだ。


 それどころか、同条件で育てても覚醒しない事すらある。非効率極まりない。


 どうして僕がこれだけ詳しいのかと言うと、前の世界では終末を解決する為に、倫理を無視したあらゆる研究が再検証されていたからだ。


 あと、対抗神話の馬鹿共や魂のシグネットの使い手から聞いた話も混ざっている。……平和な時代より終末の方が多くの人間と交流していたのは、我ながらどうかと思う。


『しかし、ナーヌス君は全く笑わなかったな。そこが志鳳君との違いか』


『『え?』』


 僕達の声が重なった。


『僕、笑ってる?』


 無表情に首を傾げる志鳳に対して、アインはやれやれと肩を竦める。


『今更だぞ。まさか、君は幕楽君が私や杜鵑花君達を特別扱いしている理由に気付いていないのか?』


 ますます分からない。何故、信桜幕楽の名が出るのだろう。


『彼女がウールーズの仲間と認める基準は、君を笑顔にできるかどうかだぞ。だから、私達と一緒にいる時に君がよく笑うのは必然だ』


『何それ、初耳。幕楽がそう言ってた?』


『いいや、天才的な勘で察したに決まっているだろう』


 なるほど、断片的な手掛かりから行動の法則性を割り出すとは、流石はアインだ。となると、同一人物である僕も過去のアインの前では笑っていたのかもしれない。


 もう確認しようがない事だが。


『まったく、君は自分が人に与える影響を軽視し過ぎだぞ。愛されている事を自覚した方が良い』


 まったくだ。


『……』


 悪魔が謎の沈黙の念を僕に送ってくる。無言だけど、うるさい。


『何?』


『いや、我輩からはノーコメントにしておこう』




 資料館は変わり果てていた。 


 幾何学的なデザインの壁はもはや残っている部分の方が少なく、細い芯だけになった柱が辛うじて建物の形を保たせている。


『決着どすな』


 エンテンデールは倒れた2人の異能者を見下ろして、勝利を宣言した。そして、忌々し気にブランドスーツの埃を払う。


『水色の髪のお客様は、殺した瞬間に消えはりましたね。うちらでいう偽典みたいな存在どすか?』


 気絶しているロムバスの体を蹴り砕こうとしたエンテンデールの足が、フラムに掴まれた。


『弱い方から仕留めるなんて恥ずかしくないの?(煽)』


 シグネットによって足が腐っていく……事も構わずに、エンテンデールはフラムを強く睨み付ける。


『ほんなら、お望み通りにまとめて……!』


 フラム達を呑み込むように地面に大穴が空いた。エンテンデールはゴクリと何かを嚥下し、顔を顰める。


『超越者を食べたにしては、栄養価が低いどすな?』


『っぶね。ギリギリ間に合ったっつーか』

 

 2人の人間を抱えたネルウスが、間合いの外で息を吐いた。


『よく言った、フラム。そういう意地は嫌いじゃない。失伝──人格に対する痛撃(アド・ホミネム)


『あぐっ……!頭が……!?』


 頭を押さえるエンテンデール。隙だらけな姿だが無闇に深追いはしない。この戦闘下手に見える遺失支族が超越者を倒したという事は、何か切り札があるはずだ。


『ネルウス、持ち場は!?(怒)』


『聖傅に預けてきたっつーの』


 ネルウスはサラートと入れ替わって直ぐに、最も追い詰められた感情を発している場所に駆け付けた。


『……あんさんが次のお相手どすか?』


『さあな。俺はただの協力者なんでね』


 ネルウスは背後に親指を向ける。彼は失楽園に開いた出口を通して、陰気で一途な誰かの感情が近付いてくる気配を察知していた。


『雇い主に訊いてくれ』


『……皆、ありがとう。とりあえず、失楽園を奪われる最悪の事態は阻止できた』


 シルク生地に鳳凰の模様が刺繍された、青い民族衣装。天使の輪のような光の冠。


『ようやく、今回の最終局面(ファイナル・フェーズ)


 極光のナーヌス・バレンシアが放った光の矢が、資料館の残骸を眩く照らし出した。




『ん、やっぱり駄目』


 遺失支族の5体はナーヌスの術式に余裕をもって対処していた。


 グロリアは結晶を盾にして防ぎ、クラシーヴィは蹴り砕き、ミセリコルディアは背中の機械腕で握り潰す。


『ぽぽーん!と軽いねえ!』


 特に異様なのはドゥレッザだ。防御も回避もせずに巨体で攻撃を受け止め、1歩も後退る様子がない。


『前に会った時よりも強くなってる……?』


 志鳳がドゥレッザを観察して呟く。


『これほどの防御力があるようには見えなかった』


『それはディザイアが原因だね~』


 ここぞとばかりに、アスナヴァーニイが早口で解説を始めた。


『異能と権能は機序こそ違えど類似してる部分があるんだよ~。共有術式が可能世界、固有術式が終末世界~。そして、固有属性──シグネットに対応するのが、ディザイアになるんだよね~』


 両手の指を3本ずつ立てて、自身の知識を披露する。


『この世界のそれっぽい言葉で表すのなら、ドゥレッザのディザイアは質量~。存在の優先順位を決められる、と思えば良いよ~』


『おお、そうだったのか!俺の強さにはそんな秘密が!』


『本人が自身の権能について把握していないのは、流石にどうかと思いますが……。これまで89もの世界をどうやって攻略したのですか?』


『ぐおーん!と気合いで!』


『はぁ……』


 クラシーヴィは溜め息を吐いた。


『ちなみに、ボクのディザイアは~』


 続けようとしたアスナヴァーニイに向かって、ミセリコルディアが歯車を飛ばす。


『喋り過ぎよ。美学がないわ』


『お、死んだか?』


『賢いのか馬鹿なのか分かりませんね、アレは』


『止めるには良いタイミングだったと思うよ。まあ、僕達のディザイアはバレたところで対策できるほど安くないけどね』


『皆、ちょっとくらい心配してよ~』


 アスナヴァーニイは歯車の破片を弄りながら苦言を投げた。


『うちも心配して欲しいどすえ』


 エンテンデールが破損した肉体を再生しながらぼやく。


『え~、アレでも死ぬんだ~。エンテンデール、弱過ぎ~』


『食べてばかりで運動をしないから、反応が鈍いのではないですか?』


『がつーん!と肉食え、肉!』


『あんさんの1万倍は食うてますー!』


『コスパの悪い体だね』

 

『ふっ、どうして貴君より我の序列が下なのか、理解に苦しむわ』


 ミセリコルディアは会話に加わっている最中も、志鳳に視線を合わせ続けていた。その目の奥に宿るのは期待。


 一方的な虐殺ではなく、闘争の果てに世界を奪い取る。それがミセリコルディアの流儀であり、抗う意思を持つ者は歓迎すべき存在だ。


『皆にお願いがある』


 その期待に応えたわけではないが、志鳳は静かに行動を開始する。


『──僕を助けて』




 流線型のバイクが弾丸のように飛び出し、遺失支族へと真っ直ぐに突っ込んで行った。


『仕掛けて来たな!』


『乗っているのは……天使1人ですね』


『流石に無謀でしょ~』


 アスナヴァーニイは嗜虐的な笑みを浮かべる。


『ミセリコルディア~。ディザイアで生け捕りにするから、次はボクに弄らせてね~』


『我は別に構わないけれど』


 ミセリコルディアは微笑んだ。


『舐めてかかると、足元を掬われるわよ?』 


 爆走するバイクにしがみついていた志鳳が、跳び箱を飛ぶ要領で一瞬だけ体を浮かせる。


『嘘~!ボクのディザイアを避けた~!?』


 その最小限の動きで、アスナヴァーニイの放った何かを躱してみせた。




 志鳳が意識していたのは、初めからレテ1人だった。


 エンテンデールの隣にいたはずのレテが姿を消している。なのに、この場で戦っていた者は誰もレテに言及しない。


 直ぐに気付いた。他者の記憶から自身の存在を消して逃げ果せるのは彼女の得意技。ただ、本気で逃げるつもりならば、そもそも姿を晒す必要がなかった。


『つまり、これは僕への招待状』


 過去を読める志鳳に対して、レテが手招きをしている。追いかけて来い、と。


『模型──グリーントリッパー改』


『口伝──|存在の耐えられない軽さ《フリー・フォール》』


 アインの具現した特殊改造バイクに、杜鵑花が術式による加速機構を刻み込む。


『失伝──溢れる程の目覚め(フル・アローザル)


 プレイスホルダーが志鳳の意識を覚醒させた。


『私達にできる手助けはここまでだ。第0位階の幕楽君がああなった以上、私達が付いて行っても記憶操作で敵に回るリスクの方が大きい』


『ん、分かってる。レテに対処できるのは過去知覚を持つ僕だけ』


 レテのシグネットは記憶に干渉するが、他者の意思や肉体を強制的に操る事はできない。偽の記憶に基づいて、対象者は自ら愚行に走るのだ。


 それ故に厄介で、それ故に志鳳を天敵としている。


『女王のこじ開けた直線ルートが塞がり切ってない。上手く利用すれば、レテに追い付ける』


『気を付けて下さいねぇ。また幕楽さんを泣かせたら、本気でビンタしますからぁ』


『そっちこそ、無事に切り抜けて』


 志鳳・アイン・杜鵑花・プレイスホルダーの4人は、両手の拳を軽く突き合わせた。


『当たり前だぞ。ボトルキープして貰ってる高級ワインがあるんだ。飲むまで死ねるか』


『緑色のの心残りはそれで良いのかえ……?』


『貧乏性ですねぇ』


『それ、サラートが死亡フラグって言ってた』




『これは避けられるかな?』


 グロリアが六角形の小さな結晶をばら撒いた。それが資料館の残骸や地面に触れた瞬間、樹の枝のように結晶が広がり始める。


 立体的に成長を続ける結晶の連鎖は、確実に志鳳の逃げ場を狭めていく。


 志鳳は逡巡した。このままでは捕まってしまう。今、切り札を切るべきか。


『……無粋ねぇ』


『え?』


 志鳳の指先が彼の意識を離れて動いた。バイクが目茶苦茶な軌道で暴れ、慌てて修正しようとして……気付く。


『これは、これは。あれを抜けられるのなら、僕にはどうしようもないね』


 全ての結晶を紙一重で躱している事に。


『さっきの声……タヴ?』


 志鳳は自身の手の甲を見詰める。

 



『失伝──刹那に尽くす悦楽(カルペ・ディエム)


 ネルウスは志鳳の心に術式をかけた。


『強い感情は時に限界を超えて人を動かす』


 感情のシグネットによる、気力の前借り。


『覚悟を決めな、壟断。死ぬ覚悟じゃなく、泥水を啜っても生きて帰ってくる覚悟を。命の重さは平等、なんて言う輩が俺は一番嫌いでね』


 ネルウスは吐き捨てる。


『死んでも良いと思ってる人間と、意地でも死にたくない人間が賭ける命の重さが同じわけあるかっつーの』


 それは彼の持論だ。人の価値というものは気の持ちようで変わるナマモノだと、ネルウスは考えている。


『言っとくが、効果が切れたら後は筋肉痛じゃ済まないからな』


『そう言われると、ちょっと気になる』


『はっ!』


 ネルウスは志鳳の背を押した。


『楽しんできな』




『待てや!ずがーん!と叩き潰す!』


 ドゥレッザが両腕を大きく振りかぶる。以前に志鳳を倒した技だ。質量のディザイアを持つその肉体に対して、防御は無意味。


 野生の勘と言うべきか、ドゥレッザが待ち構えているのは、結晶による攻撃で進路を限定された志鳳が回避できない位置。


『おらっ!』


『遅過ぎだってば!』


 志鳳の体が何かに操られるように、バイクの上に立って回転する。手足にマナを集中させて、ドゥレッザの豪腕を受け流した。


『ザイン……!?』


 バイクは無傷でドゥレッザの横を素通りしていく。




『失伝──頭の中の同居人(シェア・ハウス)


 ソーク・ブルームーンの術式が前触れなく志鳳を襲う。


『むむ、やっぱり超越者は染められないかも』


『死にたいか?』


 女王ベートに首を掴まれて、ソークは慌てて弁明した。


『わわ、冗談、冗談だって!私達の思考の一部を期間限定で貸してあげただけ!拡張思考回路と使い方は同じだからね!』


 志鳳は数度瞬きして、複雑化した思考の制御を試みる。


『ソーク』


『貸し1つだよ。帰ってきたら返して貰うかも』


 志鳳は頷いてから、女王に目を向けた。


『ベート。1つ訊きたい。……君が好きなのは天使?それとも、梧桐志鳳(ぼく)?』


『下らん事を訊くな』


 女王は心底呆れた風に答える。


『全て、お前だろう?』


『そう。ありがとう』


 志鳳の金色の瞳が、女王の深紫色の瞳を真正面から見返した。


『行ってくる』




 遺失支族を振り切ってレテの元に向かう道中、1人の女性が立っていた。


『メリディエース』

 

『今回は稀にみる修羅場だ。寿命が100年は縮んだね』


 目の下に不健康そうな隈を湛えた紫髪の女性。治療院の総裁──メリディエースがいつもの口癖を漏らす。

 

 これまでの自己申告を信じるなら、彼女の本来の寿命はとんでもない長さだ、と志鳳は思った。


『診るよ』


 メリディエースの指が、志鳳の心臓から全身にかけてを素早く触診する。


『マナの流れの要諦が酷い事になってるね。それを幾つかの術式で誤魔化してる。面倒だけど、これは抜かずに治療した方が良いんだろう?』


『ん、お願い』


『なかなかの高難度だね。本当なら今すぐ集中治療室にブチ込みたいところだけど、そうもいかない。寿命が10年は縮む案件だよ。私じゃなかったら、ね』


 彼女は瘴気による重傷すら完治させるほどの凄腕の医師だ。


 羽化登仙の大安(ダーアン)の体に術式を刻み、戮辱者から受けた致命傷を治した実績もある。


『私は忙しいからね。言うべき事だけ手短に伝えるよ』


 メリディエースは祭具を取り出し、残像が見えるほどの速さで治療を始めた。


『梧桐志鳳。君がその異能でどれだけの人を救ってきたか、私は誰よりも知っている』


 志鳳の異能は人探しや事件解決に向いている。そうやって救出した人間を治療院に運び込む機会も多い。


『救った命に胸を張って生きなよ。君の本質(シグネット)は誰よりも気高く優しい』


『メリディエース……』


 志鳳は思わず顔を上げた。


『おい、腕を動かすな!ブチ殺すぞ!!』

 

『医者の言う事じゃない……』




 志鳳が資料館から去った後。遺失支族と超越者達との戦いは、前者が圧倒的優勢で進んでいた。


 その理由の1つは、エンテンデールの存在である。


『何だ、あれは!不死身にしか思えないぞ!』


『黙示録のエネルギーには限りがあるんじゃなかったんですかぁ?』

 

『不死の黙示録とは……!戮辱者などとは比べ物にならん脅威度かえ!』


 エンテンデールから限りなく創造される偽典に囲まれて、アイン達の攻め入る隙がない。

 

『うちのディザイアは消化。この世の全てを美味しく頂いてエネルギーに変換する力どす。世間は食品ロスだのなんだの言うてはりますけど、うちには関係あらしませんな』


 リソースを人間に依存しない、黙示録のイレギュラー。


『無尽蔵の再生力!無限の事実改編!うちこそが黙示録という種族の完成形どすえ!』


『隙だらけだっつーの。失伝──本能に類する衝動(イド・エスト)


 隠れて接近していたネルウスの右拳が、高笑いするエンテンデールを殴り飛ばした。


『あ、これは……』


 遺失支族の誰かが焦った声を出す。


 エンテンデールが顔を拭い、般若のような表情に豹変した。

 

『……死ねどす。改編──終末世界(コンクルージョン)No.257』


 瘴気に満ちた穴だらけの異界が、世界を塗り替えていく。

 

『No.257……!?』


『ヤバい!エンテンデールの自棄喰いだ!』


『相変わらず、短気ですね……!』


『早く離れないと、ボク達も巻き込まれるよ~!』


 グロリア達が逃げる暇もなく、終末の世界が完成した。


 人も動物も巨大な体躯に成長した烙印者達が侵入者を無差別に食らう、悪食の世界。


『ミセリコルディア~!どうにかして~!』


『我に言われても困るわ』

 



『早かったな。デートの誘いは予想以上に効いたらしい』


 紺色のロングヘアにレザー風のジャケットが特徴的な超越者──レテ・ダームは、オペラハウスの客席で林檎酒を飲んでいた。


『待っててくれたんだ。メリディエースの治療が終わるまで』


『脚本家として、実力を発揮できない役者は見ていられないだけだ』


 志鳳とレテは奇妙な関係である。友人ではない。仲間ではない。当然、恋人でもない。


『どうだ。この迷宮都市は、私のシグネットで貸し切りにしておいた。私達が戦う舞台には相応しいだろう?』


 敢えて言うなら。


『失伝──この世は舞台(エンドレス・ステージ)


『失伝──束の間の記憶(ワーキング・メモリ)


 ──好敵手(ライバル)




 僕の頭上に輝いていた光の輪が、遂に消えた。


『拡張思考回路の維持限界……!女王、そっちの残り時間はどれくらい?……女王?』


 女王が苦笑する。


『少し、飛ばし過ぎたか。体の方の限界が……先に来る……とは……』


 ……思えば、女王は常に性急な手段を取っていた。それは性格によるものだと思っていたが、信桜幕楽の体に負担がかかる前に終わらせようとしていたのだろうか。


『女王!』


 僕は倒れかけた女王に手を伸ばす。 


『失礼』


 しかし、女王を支えたのは僕ではなく、横から入ってきた淡い茶髪の女だった。


 前髪の中央だけが垂れ下がり、両目の間を通るように伸びている。その穏やかな表情と修道服は敬虔な修道女そのものだが、身に纏うマナが尋常ではない。


 間違いなく超越者だ。神として信仰される事すらある超越者が修道服とは、これ以上ない皮肉だろう。


『直接お会いするのは、久し振りのような気がしますね、女王』


『ようやく姿を現したな、アレフ』


『……始原のアレフ・マットゥ』


 僕は動揺を顔に出さないように気を付ける。残体同盟の旧世代であるアレフとは、終末の世界で共に旅をした経験があった。


 まさか、今出てくるとは思っていなかったが、確かに彼女らしいタイミングではある。


 今の時代の異能者で、アレフ・マットゥについて深く知る者は少ないはずだ。


 女王が表舞台から消えて以来、彼女もまた完全に消息を絶っていた。現役で実績を積み上げている他の旧世代と比べれば、影が薄くなるのも仕方がない。


 ここ最近の歴史の教科書でも、女王ベートに関する項目に1行記述されているだけという、歴の長い超越者としては異例の待遇を受けてしまっている。


 秘密主義の僕ですら独立した項目が用意されている事から、アレフがどれだけ入念に雲隠れしていたかがよく分かるだろう。


『失伝──理想的な条件アイデアル・コンディション


 始原のアレフ・マットゥ。


 シグネットは魂。その最強の特性は、魂の形を弄って他者のシグネットを使えるようにする事。


『入魂──戦渦(ギーメル)


 水のシグネットが周囲に雨を降らせる。


 長い付き合いのあるギーメルのシグネットはアレフの手に、いや、魂に馴染んでいた。


 僕はよく知っている。 


 アレフ・マットゥ。女王ベートが戯れに拾った最初の異能者。


『役者不足のような気がしますが、代理を務めさせて頂きます』


 そして、女王に並々ならぬ畏敬の念を向けるファンガール。


『変人め。好きにしろ』


 自身の信念に殉じるのが超越者。アレフが女王を支えたいと言うのならば、それを否定する事もできないのだろうな。


 変なところで律儀な女王だ。




『ところで、女王。壟断とはどういった関係ですか?』


 アレフは水を操り、雨に濡れた烙印者達を転ばせる。


 性格悪いな、コイツ。戦い方も性格が悪いし、質問も性格が悪い。女王に近付く者をお前が把握していないわけがないだろうに。


私の最愛(いとしいひと)だ』

 

『なるほど。私の抹殺リストの最上段に新しい名前が刻まれたような気がしますね』


『止めておけ』


 女王は自慢気に言う。


『梧桐志鳳はこの世で唯一、私を正面から捩じ伏せた人間だ』


『……私でさえ不可能なシグネットの複合、ですか?確かに可能性はありますが……しかし、今の彼にできるのは他者の模倣が精々でしょう。女王に及ぶとはとても思えません』


 それは、僕も気になっていた。僕が時間遡行してから梧桐志鳳を見つけ出すまでに、一体何が起きたのか。


『私がただで負けたと思うな。しっかり爪痕は刻んでやった。だからこそ、今の姿になっている。私と戦った時の梧桐志鳳なら、あんな無様は晒さない』


 え?


『まあ、弱った姿も愛おしいが』


『以前、恋愛は人生最大の浪費とか仰っていたような……』


『さあ、どうだったかな?』


 待った、待った、待った。


 今の梧桐志鳳が弱体化してる?女王のせいで?ふざけるなよ?


『女王。お連れの方が何か言いたそうな顔をしているような気がします』


『私が構う必要があるか?』


 僕は不満を飲み込んだ。何にせよ、アレフがいれば戦術的な勝算が見える。


 各地で暴動を押さえていた超越者達も集まってきているはずだ。遺失支族の計画は頓挫した。


 心配なのはもう1つの戦場。戦略的な勝利を得る為には、あちらに頑張って貰うしかない。


 僕はスフィア達に話した内容を思い出す。


 第一目標は、失楽園の防衛。


『第二目標は……』


 神聖喜劇のボスにして、現代異能教育の母──ラミナ・クルシフィックスの死を阻止する事。


 梧桐志鳳も色々と動いたようだが、果たしてどの程度の戦力が集まったのだろうか。

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