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【失楽園】に関する隙間

 ソーク・ブルームーンの朝は早い。


 そもそも、失楽園には朝夕の概念がない。内部は常に仄暗く、皆が24時間フルタイムで活動している。


 動かない者は死体くらいだ。睡眠を必要とせずに動き続けられる事が、失楽園で生き延びる最低条件である。


 戮辱者と凶悪犯が大量に詰め込まれたこの場所において、無防備な寝姿を晒せば殺して下さいと言っているようなものだ。


 寝たら死ぬ。止まったら死ぬ。


「ラーララッタ、ラッタンタータン!ウーウェイ、ウーウェイ、ウォー!」


 そんな地獄の真っ只中を、俗に言う地雷系ファッションに身を包んだソークが鼻歌交じりに歩く。


 白と水色の淡いグラデーションになっている長髪が、彼女のスキップに合わせて軽やかに靡いた。


「おはよう!」


「ウギ……ガアアアア……ッ!」


 戮辱者の肥大化した拳が彼女の体を殴り付け、そのまま擦り抜ける。協術による無形のマナとの同調。


 完全に溶け込める時間は短いが、常に自壊の激痛に苛まれている戮辱者に効果切れを狙う知恵と堪え性はない。


「やや、こんにちは?こんばんは、かも?」


 失楽園は至るところに段差があり、凹凸が激しい地形となっている。ソークは協術を利用して、隆起した岩肌に片腕を突っ込んだ。


「よく分かんないから、おやすみ!」


 腕の一部として融合した岩の塊を鋭利に変形させ、戮辱者の胸に突き刺す。


 活術による強化、呪術による回復妨害。まずは、基本六術の組み合わせで動きを止めた。


 そこに、聖別を叩き込んで瘴気を薄め、残った瘴気を素早く浄化する。彼女にとっては日課のような作業だ。


「むむ、何回やっても聖別はきつい……!」


 聖別の共有術式を行使する際には、瘴気との反発を起こす為に膨大なマナを注ぎ込む必要がある。


 天性の術式センスを持つ彼女でも、暫くは動けなくなるほどの負担が掛かる技だ。


 これが、ソークに課せられた刑務作業。失楽園の浄化。隙を晒す事が死に直結するこの場所において、それは死刑宣告に等しい。


「……大丈夫、私?」


 彼女以外の異能者にとっては、の話だが。


「見張りは任せて、私!」


「露払い頑張るよ、私!」


 一様に能天気な笑顔を浮かべた多数の男女が、彼女を護衛するように配置に付く。


 その集団は主に元戮辱者で構成されているが、中にはソークと同じ凶悪犯も交ざっている。


「ありがとう、私達!」


 礼を言う間にも、数人の囚人が囮となって集まってきた戮辱者を誘導し、彼女が回復する時間を稼ぐ。


 恐怖を見せずに突撃する姿は、まるで洗脳でもされているかのようだ。と言うか、実際にソークのシグネットで洗脳されている。


「皆、頑張って!応援してるかも!」


 瘴気拡散の罪で収監された男に背負われながら、彼女は大きく手を振る。


 ソークは失楽園での生活をそれなりに満喫していた。

 



 失楽園は監獄型の遺物である。


 遺物は人工物ではないので、祭具のように価値を測る事は難しい。だが、現時点での有用性で連盟によるランク付けはできる。


 例えば、聖剣は適合者が現れて性能が判明した事で、急激にランクが上がった。


 とある遺物は女王ベートの封印に用いられた事で、伝説として語り継がれている。


 ちなみに、梧桐志鳳も独立型の遺物だが、複合シグネット以外に先天的な特異性は少なく、人間として扱う方針なのでランクは付いていない。


 そして、失楽園は最高ランクに認定されている遺物だ。


 情報の処理に特化した世界最高の遺物──賢者の方舟と並ぶ連盟の切り札である。


 今、その失楽園に異変が発生していた。


「おかしいな、おかしいな」


 ソークは普段から失楽園の入り口付近を中心に散策している。


 外から内への一方通行なので入り口からの脱出は難しいが、新しく入ってきた囚人を確認できるからだ。


 また、奥に踏み込み過ぎるとソークでも命の危険が出てくる。瘴気で死ねば蘇生もできないので、そのリスクは大きい。


 彼女はこんな場所で終わるつもりはない。


「幾らなんでも、新顔が多過ぎだね」


 失楽園の内部は非常に広大であり、複数の入り口がある。ソークが見張っている場所はその中の1箇所に過ぎない。


 だと言うのに、少し前から大量の戮辱者が流入してきている。


 正規の手順で収容された戮辱者ではない。何らかの方法で送り込まれた、侵入者。


 失楽園自体は脱出が難しく入るのは簡単な構造になっているが、入り口の資料館は常に超越者が守っている。侵入は容易ではない。


 とは言え、どんなセキュリティにも脆弱性はある。


 例えば、失楽園は異能者の術式の影響を内外で遮断しているが、ソークは収監される前から外部に洗脳した手駒を作る事で、影響力を維持していた。


 だから、侵入された事そのものに驚きはない。


「でも、そもそも何を目当てに失楽園を狙ってるのか、気になるかも」


「は、はあ……?失楽園……?それを俺に訊かれましても……」


「まあ、君の状況だとそうなるよね。実はここ、監獄なんだよ」


「ええっ!?」


 ソークは先ほど浄化を完了させた青年──オーメンと会話していた。


 戮辱者になった時に服が破けたらしく裸だったので、以前にソークが囚人から剥ぎ取った服を着せている。


「じゃあ、代わりに外で何が流行ってるのか教えて?漫画とか、料理とか。私のシグネットは知覚系じゃないから、情報収集性能は微妙なんだよね」


「シグ……?知覚……?」


 またもや知らない言葉の濁流に、オーメンは一時的に思考を放棄して、とりあえず質問に答える事にした。

 

「やっぱ漫画なら『大罪のナサヤ』ですかね。外伝の『百合の間に挟まる30秒広告』まで、アニメ化されて大ヒットしたんで」


 もっとも、最近は仕事が忙しくて、ほとんど追えていなかったが。


 こんな目に合うのなら、仕事を放り出して読めば良かったと、オーメンは後悔した。


「わわ、聞いた事あるかも!我、傲慢の罪を禊ぐ者なり!ってヤツ?」


「そうです、そうです。ダークな世界観が最高の漫画ですよ。まあ、俺は外伝の方、あんま好きじゃないんですけどね」


 こんな場所でも、好きな作品について語っている間は、少し心が軽くなる。


「一般受けを意識したのか、ナサヤの持ち味だった救いのない世界描写が薄まってるのが、個人的には残念だったというか」


 オーメンは原作ファンとして、恋愛要素を強く押し出した外伝を受け入れがたい気持ちがあった。厄介なオタクである。


 そんな話をソークは興味深く聴いていた。


 彼女が外の様子を知る手段は限られているので、普段は漫画の内容を詳しく知る事ができないのだ。


「もしかして、その漫画を描いたのって……。やや、そんなわけないか。ただの偶然かも」


 そんな独り言を漏らしたが、彼女の呟き癖に慣れたオーメンは軽くスルーする。もう他人の事情に巻き込まれるのは御免だ。


「……ってな感じですね、はい」


 結局、仕事一筋な彼が語れる時事ネタなど一般的なものばかりだったが、ソークは満足気に笑っていた。


「ありがとう。じゃあ、オーメンくん」


 その笑顔はとても綺麗で。


「そろそろ、私になってね」


 その瞳はとても美しくて。


 だからこそ。


『全部、私に傅いて』


(何だ……?この感覚……あの時と同じだ!何かヤバい気がする!逃……)


 オーメンは得体の知れない恐怖を感じ、咄嗟にソークから離れようとする。


『失伝──頭の中の同居人(シェア・ハウス)

 

(げ……。あれ?私、何を考えてたんだろ?)


「おはよう、私」


 ソークは笑顔で新たな仲間を迎えた。


「むむ、何か外の話を聴いてたら、羨ましくなってきたかも。最近、騒がしくて楽しそうだし、私も交ざりたいな」


 最悪の思想犯。無垢なる征服者。女王の再来。


「ねね、観客席から傍観してる貴女も、そう思うでしょ?」


 連盟無所属のアウトロー。雑種のソーク・ブルームーン。


 ──参戦。




『マジでやるつもりかァ?』


 紋章院の総裁──ポールヴは眼帯を撫でながら念を押す。


国際異能連盟(わたしたち)は?』


『異能者の自由と秩序の為に』


 即答するポールヴに対して、枢密院の総裁──ディーシが重々しく頷いた。 


『連盟は異能者を守る為の組織。それが第一義です。私の計算によると、やむを得ません』


『……こっちは任せろォ』


『ええ、私が次に起きる時まで、貴方達に世界を預けます』


 ディーシの虹色の短髪が淡い光を放つ。


『賢者の方舟、子機(ドータ)から母機(マザー)へ。緊急事態につき、力をお貸し下さい』


 枢密院の総裁に与えられる役割は巫女である。


『──全知なる母上』


 その地位に就く為に必要な資格は1つ。


『クククッ、勿論だとも!』


 連盟の切り札である遺物──賢者の方舟と適合する事。 


『可愛い娘の頼みを断る理由が、吾輩にあるかね?』


 自軍(シロ)の駒。


 遺物の天使。摂理の守護者。古の女王。時間遡行者。他、多数の超越者。


 敵軍(クロ)の駒。


 黙示録の遺失支族。突然変異の偽典。鬼才の烙印者。他、改編を受けた異能者。


『さて、ここからは駒の奪い合いになるわけだが』


 タヴとザインが最初に落とされたのは痛い。あの2人は単独では程々だが、戦略的に重要な駒だった。


 ザインが味方にいれば、女王が敵に回ったとしても勝ちの目があるくらいには。


『実に悩ましい』


 全ての状況は把握している。当然だ。


 ──こうして、この世界の記録を残す事こそが、吾輩の存在意義なのだから。


『愛しい娘よ』


 ただし、吾輩は自分から能動的に働く事は許されていない。特別な権限を持つ者から求められた時のみ、助言と助力が認められている。


 賢者の方舟という人の手に余る遺物(ただしさ)はそうする事で初めて、信頼できる語り手として運用できる。


 自負と自虐を込めて言うならば、全知無能とでも名乗るべき存在だ。


『まずは、1つ。ヒントをあげよう』


 吾輩は助言を授ける。


『世界各地で起きた、一斉蜂起。君達は黙示録の仕業だと考えているようだが、権能による改編はそこまで便利なものではない』


 連盟の頭脳──枢密院の総裁たる彼女ならば、このヒントだけで可能性を絞れるはずだ。


 吾輩の期待に応えてくれよ、人類諸君。


 


『クククッ……それにしても、よりにもよって悪魔とは。皮肉な名で呼ばれているものだな』


 吾輩は呟く。世界の記録者として私情を挟まないように心掛けている吾輩でも、流石にこれには同情せざるを得ない。


『アイン・ディアーブルの定義する侵略者から最も遠い場所にいるのが、君という存在だろうに』


 まあ、ナーヌス・バレンシアを誘導する為には、その立ち位置が最善だったのだろうがね。


 なんとも、健気なものだな。尽くす女、というヤツか?

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