【妙覚】に関する隙間
黒髪に黒縁眼鏡をかけた少女が、大人しそうな見た目に反した禍々しい瘴気を精製し、頭上に集めて滞留させた。
かつて10番と呼ばれていた女性──ツェーンは、異能社会の禁忌を軽々しく踏み越えていく。
『あーしと杜鵑花以外のエキストラは……全員くたばれぇ!』
ツェーンが首を掻き切るような仕草をすると、観客に向かって瘴気の散弾が降り注いだ。
異能者が扱う錬術と発術のアレンジ。ただし、その殺傷力は比にならない。
しかし、ツェーンは虐殺の結果を見届ける事もせず、両手で首輪の形を作り、自身の首を絞め付ける。
『あぁ、首がぁ!首が痛むぅぅ!早く、早く!あーしに未能者共を〇〇させろ!』
ツェーンにとって、異能革命前に自分達を迫害した未能者は敵だ。唾棄すべき害悪だ。生かしておく事すら耐え難い。
そんな異能者をのさばらせている連盟も、そこに所属する異能者も許せなかった。彼女は全てに殺意を向けている。
一瞬でも早く、1人でも多く、絶滅させたい。マナよりも体に馴染む、この瘴気で。
『戮辱者になって直ぐの時には〇〇野郎に邪魔されたが、今度こそ!異能も使えねぇパンピー共は皆殺しにしてやる!』
親友の山藤杜鵑花と出掛けた、ある休日。
ツェーンは自身が人としての生を捨ててまで、無知無能な未能者達を駆除する瞬間を、彼女に見届けて貰うつもりだった。
だが、その思惑は1人の青年によって完膚なきまでに潰され、多数の重傷者を出したものの、奇跡的に死者ゼロで終息した。
『失伝──儀式的な境界線』
そして、今も。
『甘いわ、ボケ。俺の術式を正面から破る気ぃなら、断章取義のボス以上を連れて来いっちゅうねん』
ツェーンが放った破壊の嵐は誰1人傷付ける事なく、何かに包まれて一瞬で浄化された。
『断章取義の牡丹亭蝶路ぃ……!』
特徴的なスパイキーショートの黒髪。いかにも神経質そうな表情の男性。
シグネットは境界。ライフワークは建築。異能者であれば誰もが知っている、結界構築の第一人者。
『あはは、蝶路くん、助かったよ』
『被害の拡大は俺が防いだる。精々、感謝しいや。ほんで、あの女の討伐は山藤に任せてええよな?……山藤?』
蝶路の閑話は杜鵑花の意識に届いていなかった。彼女の暗い瞳が揺れる。
『本当にツェーン……?生きていたんですか?戮辱者になったはずでは……!?』
普段の間延びした口調も忘れて取り乱していた。
『やっほ、杜鵑花ぃ!迎えに来たぜ!』
『迎えに……?』
『待った!失伝──悪戯な玩具箱』
自然な動作で杜鵑花へと近付こうとしたツェーンの前に、アインが飛び出した。
『私の妹分を誑かさないで貰おう。模型──噛み付く手錠』
『ちっ!』
手錠型の祭具がツェーンに向かう。
『アインさん……』
杜鵑花は少し笑った。
『きゃひひ、むしろ貴女の側が手の掛かる妹分だと思ってたんですけどぉ?』
『誰が手の掛かる妹だ!……やはり、君は生意気なくらいが丁度良いぞ』
軽く拳を打ち合わせる。
『いつも通りだ。天才の私がフォローするから、君は好きに突っ込んでくれ。時には行き当たりばったりな行動が功を奏する事もある』
『アインさん。私の事、馬鹿だと思ってませんかぁ?』
『思ってるぞ』
『帰ったら一発殴りますぅ』
気の置けない親友が隣にいる万能感。呼吸を整えた杜鵑花は、次の瞬間には妙覚に突入していた。
『ああ……!ああああぁぁぁぁ……!』
ツェーンは発狂した。
『あーしの杜鵑花が寝取られたぁ!ぜってぇ殺す!緑髪!』
『……寝たのか?』
『寝てませんけどぉ。変な疑惑かけるの、止めて貰えますぅ?』
『戮辱者……!いや、志鳳くんが言ってた烙印者かな……?』
幕楽が聖別の共有術式を準備する。
黙示録の展開する終末世界にも烙印者は存在するが、この世界に留まる為の楔がないので、時間経過で消えていた。
しかし、元からこの世界の住人であるツェーンが烙印者と化している今、そんな勝ち方は見込めない。
不死身を攻略しなくては倒し切れないのだ。長引くほどに2人が不利になる。
幕楽はウールーズにおけるサポート担当だ。戦闘系の技能が微妙な代わりに、聖別と浄化の術式構築は彼女が飛び抜けて巧い。
『私が加勢しないと……!……ッ!?』
『させないよ~』
幕楽は謎の試験管を反射的に躱した。床に薬液が溢れて、橙色の煙が立ち込める。
白衣の子供と眼帯の女性。遺失支族のアスナヴァーニイと、自我を持つ偽典──降着円盤シリーズのヴィジラ。
『モナルキーアがサボってるから、ボクが代理でこの競技場を制圧するよ~。実験タイム~』
アスナヴァーニイが合図すると、改造人間と偽典の軍勢が競技場に溢れ返る。客席から異能者の悲鳴が上がり始めた。
『失伝──溢れる程の目覚め!』
自身を強化したプレイスホルダーが、アスナヴァーニイを蹴り飛ばす。
『来ると思ったよ、摂理の守護者~。……なんで女になってるのかな~?』
『是非もない事情かえ!』
肩を軽く回して、体の調子を確認する。
『覚悟するかえ、遺失支族。心身共に全盛期に近付いた余を見せてやる!』
『ね~、なんで女になってるのかな~?』
『しつこい……!』
『ツェーン様とご友人の感動の再会を目撃して、私は涙が止まりません』
ヴィジラが拳を突き出すと、それに連動して瘴気の塊が放出される。
幕楽は器仗から鎌を伸ばしたが、受け損なってアイン達と逆方向に吹き飛ぶ。
超越者にとっては大した距離ではなくてもヴィジラが邪魔だ。幕楽が加勢に行く動きを見逃すほど、彼女は馬鹿ではないだろう。
幕楽は覚悟を決めた。
『封印解──』
胸元に手を当てると、そこに埋め込まれた封印の遺物が輝く。
『止めておけ、私』
だが、他ならぬ女王自身がそれを止めた。
『その方法で私を表に出しても、直ぐに時間制限が来る。状況を把握できるまでは温存しろ』
幕楽の意識がある限り、女王の意識を表面化させられる時間は長くない。無計画に戦えば共倒れになる。
体を傷付けずに幕楽の意識だけを沈められるプレイスホルダーが特別なのだ。
『でも、今はプレイスくんに頼るのも無理そうだよ……!』
『ああ。だから、私の意識は封印したまま、戦闘技能だけを表に引き出せ』
『そんな事ができるのかな……?』
『これまでも何度か実行していたが、やはり無意識だったか。……良いか。よく聴け、私』
ベート・バトゥルは生まれながらのカリスマ故に、どういう言葉を掛ければ人を動かせるのか、本能的に理解している。
『できなければ、あの女共が死ぬだけだ』
幕楽の微笑みが消える。いつも細めている両目を静かに開いた。
『──限定解放。目覚めの時間だよ、私』
『ウウゥ……!』
背中に荷物を背負った巨大な金色の熊が、客席から競技場に飛び降りる。
バーティカルバーに負けて気絶しているデクランを拾い、背に乗せた。
『……この手触り。剣か……?』
指に触れた遺物を認識し、デクランの意識が覚醒する。
『シビュラの姐さん!これ、入り用じゃねぇですかい!』
デクランは金熊の背に括り付けた聖剣を抜き放ち、シビュラに銃を投げ渡した。彼女は目を向けずに片手でキャッチする。
『方法、手段……』
極限の集中状態──妙覚。
今のシビュラには競技場の状況がよく分かる。インプットした情報とそれの処理だけに全神経を集中させている。
梧桐派閥とバレンシア派閥、そして会場にいたウールーズ傘下の派閥メンバー達は、蝶路と共に偽典の軍勢を迎撃していた。
流石に強いが、偽典の数が多すぎる。一部が押され始めた。
『最初に落ちるのは、スフィアちゃん?それを防ぐには……。いや、その方法はダメダメ。他に皺寄せが行っちゃう』
シビュラはもどかしさを言葉にする。
『なんで?もっと!もっと、もっと、もっと!シビュラは自由に思考を広げちゃえるはずなのに!足りない!足りないよ!』
奇しくも、その発想は。
『処理能力が足りない……!』
彼女が仕える王と同じ道に繋がっていた。
『私の理想。術式の完成形……』
最初は、アガルタ遺構。そして、親衛隊としての作戦行動時にも。既に手本は見た。後は自分に落とし込むだけ。
『ッ!──見えた!糸口!』
そして、彼女は辿り着く。シビュラの握る銃の祭具が、マナのパターンを読み取って変形した。
『綺麗な、光の……冠……っ!』
小さな宝石の粒が幾つも発生し、シビュラの桃色のツインテールに絡み付くように展開する。
『秘伝──綾なす珠玉の御姫様!』
彼女が幼い頃に憧れた、童話のお姫様の冠のような、神秘的な威容。
シビュラ・クリスタルが参考にした術式よりは格段に劣化しているが、それは確かに拡張思考回路を形成していた。
『デクランくん、ありがとう!』
『礼には及ばねぇですよ!』
シビュラの拡張思考回路には欠点がある。維持に極度の集中が必要なので、至近距離での戦闘にはまだ対応できない。
『そういうわけだから、シビュラの事、守ってくれちゃう?』
『喜んで、姐さん。いや、その見た目だと、お姫さんですかい』
聖剣を抜いたデクランは、間合いに入った全てを斬り、弱体化させてから仕留める。
『俺ぁ刃物の扱いだけが取り柄でしてねぇ』
バレンシア派閥。
ナーヌスの積み上げてきた選択の結果が、ようやく実を結ぼうとしていた。




