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【農作業】に関する閃き

「シビュラちゃんの、ワクワク祭具制作!始めちゃうよ!」


 輝石のシビュラ・クリスタルが、作業台の上に並べられた色取り取りの素材に手を伸ばした。


 彼女は祭具職人である。かつては祭具の材料を厳選する為に、アガルタ遺構の1区画を占拠したほどの筋金入りだ。


 祭具制作においては、異能者としての位階や実力よりも経験とセンスが物を言う。


 シビュラは根気強い努力によって、その2つを極限まで磨き上げていた。


「まずは迷宮で採れた素材を用意して、協術で混ぜ合わせちゃいます!ここで重要なのは、マナの通り道になる孔晶を途切れさせちゃわない事!」


 迷宮の怪異や怪獣が落とす透明な結晶──孔晶は、祭具全体にマナを行き渡らせる素材として利用できる。


 祭具文明が一般化した現代異能社会において、その需要は非常に高く、高品質の孔晶ともなれば市場に出回る事すら稀だ。


 今回は僕が溜め込んでいた素材を提供したので、品質や純度に不足はない。


「よく馴染んだら、基本六術とシグネットをレシピ通りの分量で混ぜちゃいながら、祭具に術式を刻んでいっちゃいます!」


 シビュラの指先にマナが集中し、術式を構築していく。


 実戦で使うには遅過ぎる速度だが、その精緻さは上位者の中でも群を抜いている。


 直ぐには役に立たない地味な技術を、ただただ愚直に極められる事。それが彼女の長所なのだろう。


「ルンルン、っと!」


 銃のような形状に加工された素材に、シビュラの術式が刻み込まれ、祭具として完成していく。


「……流石」


 彼女の集中を邪魔しないように離れていた僕は、思わず呟いた。


 僕がスフィアとシビュラを最初の親衛隊にスカウトした事には理由がある。


 スフィアは純粋に能力が高かったから。そして、シビュラは名前を知っていたから。


 シビュラ・クリスタル。祭具の蒐集癖があった親友は彼女の作品を高く評価していた。


「ごめんなさい、王。固有術式を解除して貰っちゃっても良いですか?仕上げの段階で他人のシグネットが混ざっちゃうと、その……濁るので」


 昔を思い出していると、シビュラが僕を横目で見ながら、申し訳なさそうに言ってくる。


「濁る?僕は今、シグネットなんて使ってないけど」


 僕が怪訝に思って答えると、彼女は驚いたようにこちらに顔を向けた。桃色のツインテールが激しく揺れる。


「え……?あれ、本当だ。おかしいな、何でだろ……?」


「よく分からないけど、とりあえず暫く離れておけば良い?」


「あ、はい。お願いしちゃいます」


 僕は作業部屋を退室した。彼女の腕前は充分に確認できたし、ここに長居する必要もない。


 今後に向けて、淫祠邪教のクズ共との交渉でも進めておくか。


「警備要員として、最低でもリーゼかネーベルは欲しい。でも、ネーベルには足元を見られそう」


『クハハッ、それでは、リーゼとやらにすれば良いのではないかね?』


「はあ……あの変態と関わると死ぬほど疲れるから嫌なんだけど……」


 僕は悪魔の言葉を認めて、渋々と頷いた。




「閃いた」


 頭に包帯を巻いた志鳳がぽんと手を叩く。


 彼が遺失支族から受けた頭の怪我は、親衛隊による治療と幕楽の特製料理のおかげで、少しずつ治りかけていた。


 幕楽は調理過程で食材に術式を込める技能を持っており、他者の体調を内側から整える事ができるのだ。


 対人戦以外は本当に優秀な人材である。


 摂理の外にいる黙示録が与えたダメージなので、短期間で完治とはいかないが、無理な運動を控えれば外出もできるようになった。


「自分の畑が欲しい。スローライフしたい。僕が野菜とか果物を作って幕楽に卸せば、ウールーズの中で完璧な循環ができる。名案」


「こら、壟断!農業を舐めないでってば!」


 志鳳の独り言に対して、橙色のフードを被った長い金髪の女性──ザイン・ラムールがここぞとばかりに反発する。


 彼女は残体同盟の超越者であり、同時に農業をライフワークとしていた。


「農業っていうのは、高い計画性と忍耐力が必要なんだから!素人が浅い考えでやっても上手くいかないに決まってるってば!」


 幕楽が出したパンケーキを食べながら、志鳳の胸をどすどすと指で突く。


「あはは、そうだね。忍耐力はともかく、志鳳くんに計画性は……」


「はっきり言って、皆無だぞ」


 幕楽が濁した言葉をアインが言い切る。感性が近い親友同士なだけに容赦がない。


 が、志鳳も譲らなかった。


「大丈夫。今流行りの農業ゲームでは、梅国サーバーで200位になった事がある」


「えっ、私の想像の200倍くらい農業を舐めてた!?」


 自信満々の志鳳の態度に、逆にたじろぐザイン。


「っていうか、せめて2桁以内に入ってから自慢してってば!いや、そういう問題じゃないんだけども!」


「まあ、飽き性の志鳳君にしては頑張った方だぞ。サラート君の手助け込みではあるが……努力賞をあげよう」


「やった」


「ちょっと、アイン!色々と甘やかし過ぎだってば!お姫様扱いかー!」


「む、うるさいかえ、金色の……」


 ザインの大声を聴いて、最近導入されたソファで寝ていたプレイスホルダーが半身を起こす。


「汝の声が響くせいで、余が安眠できな……むにゃむにゃ」


 しかし、直ぐにソファへと倒れ込んだ。


「あはは、お休み」


 プレイスホルダーの義体に毛布を掛ける幕楽を見て、ザインは頭を抱える。


「お手本のようなダメンズ製造機が2人……!ここはアインの大親友として、私がどうにかしないとってば……!」


「聴こえてるぞ。誰がダメンズ製造機だ」


「ザイン、凄く失礼」


 アインと志鳳の苦情は、もはやザインの耳には届かない。


「こうなったら、世の中を舐めてる壟断に、私が本物の農作業を教えてあげるってば!」


「じゃあ、僕はイージーモードで」


「農業はゲームじゃなーい!ご馳走様!」


 パンケーキを食べ終わったザインは、志鳳とアインを引き摺ってウールーズを飛び出した。


「ところで、アインとザインって名前、ややこしい」


「ぐっ、それは禁句だぞ、志鳳君!」


「AとZなんだから、むしろ分かりやすい方だってば!」


「なるほど。……あんまり強く引っ張らないで、アイン」


「私はZの方だってば!ザインって100回書いて覚えるか、この野郎ー!」


「それはそれで、逆にゲシュタルト崩壊しそうだぞ……?」




 旧世代と新世代の関わりが薄い残体同盟の中では珍しく、旧世代のザインと新世代のアインの間には密接な交流がある。


 とは言っても、ザインの側がアインを一方的に気に入っているだけで、アインから会いに行くほどの仲ではない。


 なかなか会いに来ないアインに業を煮やしたザインは、食料生産者の伝手で幕楽にコンタクトを取り、ウールーズに突撃したという流れだ。


「第5問、アインが好きな映画のジャンルは?」


「ミステリー映画。簡単過ぎだってば、壟断。そんな解像度でアインの親友を名乗ってたの?」


「自称親友の理解度に合わせてあげただけ」


「「あ?」」


「私を挟んでおかしなクイズバトルを始めないで欲しいぞ……」


 アインの左腕を志鳳が、右腕をザインが掴みながら、一同はトンネル状の人工異空間──開廊を飛んでいく。


 移動手段は志鳳が召喚した鳥の隷獣──即即(ヂィヂィ)だ。複数人を背に乗せて飛行できる幻妖獣はこういう時に便利である。


 よくできた執事のように普段は出しゃばらない即即だが、その総合力は超越者の隷獣の中でもトップクラスだった。


「ヂィ、ヂィ」


「ほら、即即もこう言ってる」


「他人の隷獣の言いたい事なんて分からないってば!異能者なら混成語で喋れー!」


「流石にそれは無理だと思うぞ……」


 海外出張の多い異能者は、他国の異能者と円滑にコミュニケーションを取る為に、混成語という統一言語を使う。


 混成語は文法が複雑かつ難解な言語だ。低位階の異能者にとっては、これをマスターする事が1つのステータスとなる。


『ちなみに、本当は目的地までの予想到着時間を言っていただけでありんすな。主様よりも即即の方がしっかりしているでありんす』


玉兎(ユートゥ)、しーっ』


 揶揄ってくる眷属に対して、志鳳が閑話で釘を刺す。


「じゃあ、第6問、アインが1番得意な物真似は?」


「えっ、物真似!?」


「5、4、3……」


「急に制限時間を付けないでってば!さっきまで、そんなのなかっただろー!」


「2、1……」


 焦るザインに構わず、志鳳は追い討ちを掛ける。アインは2人の必死さに少し引き気味だった。


「えっ、やっ、そのっ……治療院の総裁の物真似……?」


「不正解」


 志鳳は胸の前でバツ印を作る。


「正解は、料理ゲームの出来の悪さに軽くキレてる時の幕楽の物真似」


「分かるかー!ニッチ過ぎるってば!」


 ザインはキレた。




「到着。ここが……?」


「志鳳君が1番よく知っているだろう?通称、時震迷宮。君の移籍を巡って、断章取義と神聖喜劇のボスが喧嘩した場所だぞ」


 隣にいるはずのアインの声が、複雑に反響して志鳳の耳に届く。


『駄目だな、肉声だと会話に支障が出る。閑話を使うぞ』


 基本的に、迷宮内の環境は不変である。ただし、時震迷宮は数少ない例外だ。


 玄松夕鶴とラミナ・クルシフィックスの規格外な異能の激突により、内部環境が狂ってしまった迷宮。


『この迷宮が実際に農地として使われてる風景を見ると、なんだか不思議な気持ち』


 とは言ったが、この迷宮の使い途としては悪くない。


 ラミナのシグネットによる時流の乱れを利用し、時間の流れが速い場所で作物を育て、収穫後は時間の流れが遅い場所に保管できる。


 夕鶴のシグネットの影響で空間が常に振動している為、一般的な害虫の類が住み着く事もできない。


『農業に向いてる土地が格安で手に入って得したってば!おーい!』


 ザインが農作業を任せていた異能者達に手を振ると、閑話によるざわめきが起きた。


『ザイン様だ……!相変わらず、お美しい……!』


『豊穣神様……!ん、一緒にいる地味な2人は誰だ?』


『馬鹿、不敬だぞ!ザイン様が連れてきたのだから、認識失墜しておられる親衛隊か高位階の方に決まっているだろう!』 


『このタイミングで来られるとは……』


 そんな中、代表者らしき黒髪の女性が覚束ない足取りで進み出る。


『ザイン様、ようこそいらっしゃいました』


『何があったの?貴女が焦りを隠せないなんて、緊急事態に決まってるってば』


『それは……』


 黒髪の女性は言い淀んだが、直ぐにザインへと報告した。


『──先ほど、迷宮内部にて異能に覚醒した害虫群が発見されました。その中に他者の養分を吸収するシグネットの持ち主がいるらしく、既に農園にも被害が出ており……!』


 黒髪の女性の声が上擦る。

 

『このままでは、迷宮の豊富なマナも奴らに吸い尽くされてしまいます……!どうか、お助け下さい……!』


『任せなさいってば。私を誰だと思ってるの?』


 ザインがフードを外して、黒髪の女性と目を合わせながら、震える手を両手で包んだ。


『恩寵の異名に懸けて、恵みを奪うような真似はさせないってば!』


 


『口伝──見かけ倒しの試作品トランペリー・プロトタイプ


 アインは固有術式を発動した。


『模造──オフロードバイク』


 3台のバイクを具現する。彼女が使う口伝は常時発動する負担が少ない代わりに、失伝よりも単純に性能が低い。


 今回の場合は、爆発的な加速機構などは搭載されておらず、ただの頑丈なバイクしか具現できなかった。


 だが、これで充分。


『失伝──禁じられた遊びフォービドゥン・ゲームズ!』


 恩寵のザイン・ラムール。


 シグネットは増幅。あらゆる物体の性能を向上させる超越者。


 剣ならばより斬れるように、バイクならばより速く走れるように、異能者ならば……。


『凄い。プレイスホルダーの強化とも幕楽の補助とも違う、シグネットの引き上げ』


 青髪に光の糸を絡ませた志鳳が、感嘆の声を上げる。


『僕が未来を予測して追い込むから、2人は片付けをお願い。再演──既定路線の未知ホロスコープ・スプレッド


『その術式、タヴの……!了解だってば!』


 ザインが頷いた。彼女は味方に知覚系がいる事のアドバンテージを理解している。


『君は本調子じゃないからな。今回は天才の私に任せておくと良い』


『言ってから思ったけど、アインに片付けを任せるのって凄く不安』


『ちょっと待った!私が片付けできない人間かのような認識は心外だぞ!私室に関しては原型師としてのセンスが溢れ出したものであって、決して散らかしてるわけでは……』


『『いつ見ても散らかってる』ってば!』


『あんなに仲が悪かったのに、そこだけは共通認識なのか!?』




 ザインは自分がチャンスを生かせない人間だと知っている。


 自分自身の実力が他の超越者に劣っているとは思わない。ただ、ザインは肝心な部分でどうしようもなく凡俗だった。


 ここぞという場面で、力を発揮できない。腹を括れない。活躍できない。勝てない。


 ザインは女王ベート・バトゥルが手ずから集めた残体同盟の初期メンバーの1人だ。


 そのスカウト手法は全員と決闘して勝つという、実に乱暴でシンプルなもの。当時の彼らの噂を知る者ならば、無謀と断ずる行い。


 だが、女王は勝利した。


 侵蝕に。版図に。花唇に。戦渦に。最強を名乗っていた多くの超越者に敗北を味わわせた事は有名な話である。


 ──ザインは、戦わなかった。


 残念だと呟いた女王の失望の表情を、ザインははっきりと覚えている。


『失伝──悪戯な玩具箱(ジョーク・ボックス)!』


 迷いなくバイクを駆り、志鳳に追い立てられた害虫の群れに突撃するアイン。ザインのバイクはその後ろを走る。


『模型──追跡するダーツ』


 アインが具現した祭具の性能を、ザインはシグネットで増幅した。投げられたダーツが害虫を殲滅していく。


『模型──飛び出すカード』


 アインがカードの束を具現する。タヴ・モンドの愛用していた祭具だ。おそらく、志鳳関連で押収品を触る機会があったのだろう。


 発術で射出したカードから、マナの槍が突き出し、生き残りの虫達を貫いた。


『ふう……』


 ザインは息を吐きながら、器仗にマナを流して、弓を形成する。


『失伝──禁じられた遊びフォービドゥン・ゲームズ


 アインの背後から迫っていた巨大な蜂が、貫通力を高めた矢に撃ち抜かれた。


『一丁前に呪術で気配を消すなんて、害虫の分際で生意気だってば!』


『作戦通りに釣れたか。私を餌にしたかいがあったぞ』


 蜂は瀕死の状態でアインに近付き、針を突き立てようとする。


 養分を吸収するシグネットならば、この状況からの逆転も不可能ではないが……。


『やっと間合いに入ったぞ。模型──聖剣』


 アインの作り出した聖剣が蜂に傷を付けると、その巨体は力なく墜落した。


 聖剣。斬った対象の能力を一時的に激減させる効果がある遺物。


『模造──釘バット』


 アインの追撃により、弱体化した蜂は今度こそ絶命した。


『ああ、何度やっても遺物の具現は疲れるぞ!』


 アインはぼやきながら、バイクを雑に停める。


『お疲れ、アイン』


 志鳳が隣にバイクを駐車すると、アインが固有術式を解除し、2人はハイタッチした。


『ザイン君もお疲れ様だぞ』


 ザイン・ラムールはアイン・ディアーブルを気に入っている。


 彼女はザインの恩寵を最大限に生かし、期待に応えてくれるからだ。


 シグネットの相性もあるが、ザインは彼女自身に眠る英雄性──他と一線を画した器のようなものを感じ取っていた。


 数多の人間に恩寵を授けてきた超越者としての勘が言っている。


『2人とも、今日は本当に助かったってば!ありがとう!』


 アイン・ディアーブルという人間は、いずれ必ず──世界に大きな影響を与える存在になるはずだ、と。




 農園の皆からの歓待を受け、志鳳とアインを見送った後、ザインは1人で時震迷宮の外に出た。


(アイン)(わたし)が1番遠いところにいるなんて」


 迷宮から充分に離れた人気のない山奥で、中途半端な暗さの空を見上げる。


 晴れでもなく、曇りでもなく、昼でもなく、夜でもない。


 眩い光にも深い闇にもなれない空模様に苛立ちを覚えるのは、ザインの同族嫌悪だろうか。


「酷い話だと思わない?」


「……俺らをずっと威嚇してたのは、お前だよな。知覚系の異能者でも、黙示録の感知には微妙な誤差があるんじゃなかったか?」


 茶髪の巨体がザインの前に立ち塞がる。


「怪我で知覚が鈍ってる天使の襲撃計画を立てていたのに、そちらから先に喧嘩を安売りされたら買うしかないじゃないか」


 黒髪に青いインナーの人物が後ろを塞ぐ。こちらは中肉中背だ。


 連盟の情報によると、受肉した黙示録は両性らしいが、外見だけなら普通の女性に見える。一般人に紛れていても違和感はない。

 

「ボクも気になるな~。キミはボク達の位置を正確に把握してたよね~」


 ザインはフードで目元を隠したまま、橙髪の小柄な黙示録を見下ろす。


「だーかーら、特殊な知覚なんかに頼るから誤差が出るんだってば。人間が誰でも持つ異能に依らない機能──五感を極限まで増幅すれば、あらゆる存在を見付ける事ができる」


 ザインを欺く事は誰にもできない。これまでで最も良い線を行っていたのは、何処かから送られてきた橙髪の暗殺者だろうか。


 それも結局、ギリギリで違和感に気付き、半殺しにして海に捨てた。運が良ければ誰かに拾われているかもしれない。


「……この子、危険だね~」


「本命の天使は追えなかったけど、彼女を今ここで潰せるのなら安上がりじゃないか?」


「つべこべ言わずに、とっとと始めようや!」


 遺失支族の3名を研ぎ澄まされた五感で観察しながら、ザインはポケットから多機能ナイフ型の祭具を取り出す。


『失伝──禁じられた遊びフォービドゥン・ゲームズ


 悪ふざけのような武器だが、彼女が扱えば万物が強力な凶器となる。


(会話の流れで何となく分かったってば。怪我をしてる天使っていうのが、壟断を指しているのなら……こいつら、アインの事を全く警戒してない)


 確かにカタログスペックだけを見れば、アイン・ディアーブルは警戒対象から漏れても仕方がない。


 アインのシグネットは万能に近いが、今の段階の彼女と同等の事ができる超越者は他にもいる。


 しかし、ザインに言わせれば、その判断は致命的なミスだ。

 

(アイン、後は任せたってば)


 ザインは自分がチャンスを生かせない人間だと知っている。


 だから、彼女はあっさりと他者(アイン)に託す事を決断した。


『捨て身になった凡人の怖さを教えてあげるってば!』


 ザインが戦闘の直前に思い出したのは、かつて女王ベートが溢した失望の言葉だった。


 残念だ。


 ──お前が1番、私に勝つ可能性があったのに。




 淫祠邪教の拠点を歩く時、僕はいつも矛盾した気持ちに襲われる。


 誰かに会わなくてはいけないが、できれば誰とも会いたくない。


「ナーヌスちゃん!こっち!こっちでありますよ!」


 水色のミディアムヘア。前髪を斜めにカットした女──溺惑のリーゼ・マルガリータが、建物が揺れるほどの大声で僕の名を呼ぶ。


 正直に言おう。無視したい。


「僕が世界を救ってみせる。僕が世界を救ってみせる。僕が世界を……」


『必死に自分を説得しているようだな!』


 うるさい、黙れ。


「ナーヌスちゃん、一緒に女子会しようねって約束を忘れたでありますか!?」


「……そんな約束してないから」


 そもそも、僕がそんな台詞を吐くわけないだろ。


「大体、淫祠邪教の女子会って何?皆でエーシルの悪口でも言い合う?」


「それは勿論、推し活トークを楽しむのでありますよ!」


 恐ろしい事に、リーゼの声が更に大きくなる。喉を活術で強化でもしてるのか?


「え、もしかして、私の話が聞きたいのでありますか!?」


「別に」


「最近は残体同盟のシンきゅんが激推しなのでありますよ!初々しい感じが堪らなくて……もう、食い殺されたい!」


「聞いてない」 


「あー、でも食い殺されると言えば、断章取義の八橋(ヤバセ)きゅんも捨て難いでありますな!私は一体どうすれば良いのでしょう……!」


 1人でヒートアップして、体をくねらせ始めるリーゼを、僕は何とも言えない気持ちで眺める。人生楽しそうだな、こいつ。


 本音を言うと、この変態女には頼りたくなかったが、警備体制を盤石にする為だ。好き嫌いは言っていられない。


 僕は全力で心を無にした。こいつは頭がおかしくて死ぬほど気持ち悪いが、淫祠邪教の中では話が通じる方だ。


 そして、1人で広範囲に警備網を敷ける逸材でもある。


「リーゼ」


「何でありますか?あ、勿論、超越者以外にも推しは沢山いるでありますよ!例えば、羽化登仙の……」


「失楽園の入口──資料館の警備について、個人的に依頼したい」


 僕が本題を切り出すと、リーゼの緩んだ表情が一瞬で引き締まった。


「……何かが起こると?」


「そう。近い内に失楽園が狙われる」


「普通なら一笑に付すところでありますが、ナーヌスちゃんが何の根拠もなく断言するとも思えないでありますし……」


 リーゼはLITH端末を弄りながら何事かを呟いていたが、直ぐに僕へと向き直る。


「報酬次第では引き受けるであります」


「そう。助かる」


「私を殺してくれる、新しい推しが見付かるかもしれないでありますし!」


「それは勝手にやってて」


「相変わらずの塩対応であります!」


 きゃんきゃん吠えるリーゼをあしらいながら、僕は無心で交渉を進めた。

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