【テネト】に関する隙間
(真説大陸に足を運んだのは、志鳳様と戦った時以来です)
スフィア・ミルクパズルは、メガラニカ遺構の都市外に立っていた。
(久々に来てみると、この殺風景な雪原も懐かしく……はありませんね。普通に寒いですし、派閥の拠点に早く帰りたいです)
上位者である彼女は祝福の効果によって凍傷を避ける事ができる。しかし、耐えられるからと言って、不快でないわけではない。
「スフィア、お待たせ」
今では聴き慣れた男性の声が聴こえる。抑揚に乏しいけれど、不思議と聴き取りやすい優しい声。
「遅いですよ、志鳳様」
スフィアは志鳳と連絡先を交換しており、こうして頻繁に接触していた。
勿論、重要人物である彼の動向を探る為である。他意はない。
「──ところで、貴方は誰ですか?」
スフィアは振り向き様に、錬術で形成した斧を横薙ぎにした。
志鳳の姿をした誰かは無表情のまま、強化した右膝で斧を蹴り上げる。その力に逆らわず、後ろ向きに宙返りしたスフィアが、身軽に雪上へと着地した。
「声だけでバレるなんて、少しショック」
「本物の志鳳様は素直なので、人を待たせたらもっと申し訳なさそうな声になるんですよ。見た目の模倣だけに囚われ過ぎましたね、偽者さん」
殺気立ったスフィアに睨まれ、志鳳の偽者は肩を竦める。
『ただの悪戯だから、怒らないでくれる?口伝──辻褄合わせの経歴──解除』
志鳳の姿をした人物の身長が縮み、スフィアと目線の高さが近くなっていく。濃い青色の髪が金色に変わり、眠たげな目付きになる。
金髪をツーサイドアップにして、色気のないジャージに身を包んだ小柄な女性。
「チトラーチ・シャンドルール……!」
対象の情報を書き換える事ができるシグネットの持ち主。
「悪戯失敗。シホウの真似は難しかったよ、レテ」
「そうらしいな、月虹」
チトラーチの呼び掛けを受けて、革ジャケットを着た濃紺の髪の女性が、吹雪の奥から登場する。
「レテ・ダーム……!何故、貴女達が……!」
「話し相手がいなくて暇だから遊びに来た。壟断は軽い怪我で療養中らしい」
小柄な2人に合わせて目線を下げる事もせず、レテは独り言のように呟く。
「どうして私のところに……?組合も違いますし、接点がありませんよね?」
スフィアはアウトローを引退した後、球状星団に籍を置いている。
破綻枢軸に所属するレテや、聖蹟連合に属するチトラーチとは、何の繋がりもない。
「壟断がよく名を出すからな。諧謔がどんな異能者か気になった」
「……そうですか。志鳳様が私の名前を……」
「ああ。呼べば直ぐに来るから便利だと言っていたらしい」
「レテさん、100レプタ払うので、あの朴念仁を一発殴って来てくれませんか?」
スフィアは口の端を引き攣らせながら、低い声で言った。
『ツァディー・レトゥワルの圧縮トーク!今日のゲストは直魂アイドルグループ──真善美のリーダー!バーティちゃんだお!』
酒場の壁に映された画面を観ながら、スフィアはリキュールに口を付ける。
画面では、紫髪の女性が煌びやかなアイドル衣装でウインクをしていた。紅白色の短髪の女性がおずおずと隣に座る。
とりあえず、暖を取る為に適当な迷宮都市に入ったスフィア・レテ・チトラーチの3人は、成り行きで相席する事になっていた。
大気中のマナが豊富であり、迷宮の発生率が高い真説大陸は、必然的に迷宮都市の数も多い。
また、都市周辺なら最低限のインフラが整備されている。
異能者のLITH端末などを接続する、世界規模のマナ・ネットワーク──テネトもその1つだ。
おかげで、こんな場所でも最新の情報を知る事ができる。
『えっと、はい……。バーティカルバーです……。えっと、ごめんなさい……』
『想像以上に卑屈だお!ドラマの主役を演じてた時の溌剌とした態度はどこに!?』
『あれは役作りですから……。超越者の方々もゲストに呼ばれるような番組に、私なんかが出演して良いんでしょうか……』
『じゃあ、役に入れば良いお!』
『そうですねっ!よろしくっ!』
『切り替えが早い!?』
オーバーな身振り手振りで驚くツァディーの姿は、とても歴戦の超越者には見えない。
「まあ、そんな人柄だからこそ表に出してるんでしょうね」
「そうらしいな。超越者は抑止力でもあり、同時に異能者の目標だ。恐れられるだけではなく親しみも持たせるべきだと、連盟の広報担当も考えているらしい」
レテが林檎酒を飲みながら、どうでも良さそうな顔で言う。
『それじゃあ、毎度お馴染み!異能者ウエハース、開封企画だお!』
「ウエハース、ですか?」
「有名な異名持ちを描いたイラストカード付きウエハースだ。超越者のカードは最高レアになっているらしい」
「本人に許可を取って製造してるんだよ。連盟に登録したなら、スフィアにも声が掛かるかもね」
チトラーチがコーヒーに砂糖を入れて掻き混ぜる。
『最高レア、出ませんねっ!』
『おかしいお……。普通、スタッフがやらせで当たりとか入れておくものじゃないかお?』
『わーわーわーっ!』
とんでもない発言を飛ばすツァディーに、バーティカルバーが大声を被せた。
『そ、そうだっ!超越者カードが出ない代わりに、ツァディーさんの超越者トークが聴きたいですっ!ぶっちゃけ、付き合うとしたら誰が良いですかっ!?』
『おお、急に踏み込んでくるお。うーむ、難しい質問だお。敢えて言うなら……』
焦らすように溜めてから、ツァディーは中指を立てた。
『ぶっちゃけ、全員なし!あいつら皆イカれてるから嫌だお!』
『そ、そうなんですねっ!超越者といえば異能者の憧れですけどっ!』
『救いようのない変人ばっかだお。知名度がある癖に露出が少ないのは、それを隠す為じゃないかお?』
『言われてみると、超越者の多くは派閥の外に対して配信とかしませんねっ!』
『そうだお!世界的アイドルのツァディーちゃんを見倣って欲しいお!』
『失伝──人格に対する痛撃』
『……お?……お、おおお……!?』
突然、饒舌に愚痴っていたツァディーが、頭を押さえて苦しみ始める。
「超越者の誰かが回線越しに仕掛けたらしい」
「手口からして、淫祠邪教?」
「いや、あの苦しみ方は精神系の仕業に見える。私ではないから消去法で思姦辺りか」
「生き物が相手なら、何でもありですか……。精神系は怖いですね」
「まったくだ」
「都合の悪い時だけ他人事のフリをしないで下さい。貴女も精神系ですからね」
酒場で他愛もない雑談をしていた3人だったが、別に親しい間柄でもないので、早々に現地解散となった。
『口伝──辻褄合わせの経歴』
男、女。小柄、大柄。
チトラーチは何度か姿を変えながら、迷宮都市の外に出る。吹雪に隠れるように駆け抜け、雪の降り積もった森に突入した。
森の奥深くに向かって走り、寒々しい見た目の大木の下に潜り込み、錬術で壁を作って環境音を遮断する。
『口伝──模範的な解答』
現在の周辺情報を集めてみるが、誰もいない。
チトラーチのシグネットは支配系だ。
支配系の異能者は特化した強みが少ない代わりに、他のシグネットよりも応用の幅が広い。
現在の観測において、彼女は知覚系に劣らない精度を誇る。過去まで遡れる志鳳や未来を見通すタヴには及ばないが、充分に希少な異能だ。
「──お望みの情報を集めてきたヨ、スフィア・ミルクパズル」
チトラーチは通信用の祭具にマナを流して、取り引き相手の1人に通話を繋げた。声帯の情報を書き換えたので、声は完全に別人である。
彼女の携帯する祭具はテネトを介した公衆回線ではなく、どんな場所でも繋がる専用回線を使用している。利便性は低いが、秘匿性は非常に高い。
「イッサカル資源に端を発する、世界規模の混乱。それを食い止める為に、詳しい情報が知りたいんだよネ?」
暫しの沈黙。
『貴方達は何でも知っていますね、情報屋さん。やっぱり構成員を各国に潜入させていたりするんですか?』
動揺を表に出さなかったのは、流石は元大物アウトローと言うべきか。
「私達の正体が気になるのなら、逆探知してみても良いヨ?」
『……詮索するつもりはありませんよ。安全第一が私の信条です』
スフィアは馬鹿ではない。一時の好奇心で藪をつつくような真似はしないだろう。
「情報は報酬と交換だヨ」
『はい。謝礼は例の口座に振り込んでおきます。それと、ご要望の品はアクイレギアの路地裏に置いておくので、前回と同様に回収して下さい』
「こちらも前回と同じ方法でデータを送るネ」
『お願いします』
そこで一旦、迷うように言葉を止めた。
『あの、本当にこれが報酬で良いんですか?』
「それは、詮索かナ?」
『……迂闊な発言でした。撤回します』
「そろそろ切るヨ。今後とも、ご贔屓にネ」
『ええ、ありがとうございました』
通信を切る。チトラーチは足元の小枝を拾い、シグネットで情報を書き換えた。
「貴方は煙草だよ」
煙草を挟んだ指を掲げると、冷たい雪を手の甲で感じる。
「貴方は火」
火が点いた。煙草を咥えて一服する。
「流石にあれを要求するのは不自然だったね。でも、どうしても当たらなかったから、大目にみてくれる?」
彼女は煙を吐き出して、煙草を指で弾く。それは空中で元の小枝に戻った。
「ヤマフジ・サツキのキャラクターカード。これで超越者のカードは、全種コンプリートだよ」
月虹のチトラーチ・シャンドルール。
彼女にとって、この世の全ては変更可能な情報の塊でしかない。ある意味では黙示録にも通ずる、異質な内面を反映したシグネット。
「──私、空白って嫌いなんだ」
カードバインダーが埋まる瞬間を夢想しながら、彼女は満足げに森を後にした。




