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【道場破り】に関する閃き

「……体が動かない」


「当然でしょう。そもそも、動こうとしないで下さい。張り倒しますよ?」


 僕が天井を見上げながら呟くと、スフィアが缶ジュースを頬に押し当ててきた。冷たい。


 可動式ベッドを操作し、僕の上半身を起こしてくれる。


「ほら、ストローを使えば飲めますよね?」


「ん、ありがとう」


 僕は素直に礼を言う。このジュースも彼女が買ってきてくれたのだろう。


 どうして断言できるのかと言うと、僕が苦手な甘ったるいジュースだからだ。他の派閥メンバーは僕の味の好みを把握している。


 まあ、摂理崩壊後の食糧危機を思えば、味の選り好みなど贅沢な話ではあるのだが。

 

「皆は無事?」


 ジュースをストローで吸いながら、一番気になっていた事を確認する。


「無事ですよ。私のシグネットで王の勝利を確信してから動きましたから」


「……そう」


 勝利。……僕はパビェーダに勝ったのか?黙示録の力を使った反動か、あの場で起こった事はよく覚えていない。


 ただ、スフィアの危機察知によると、確かにパビェーダの反応は消えていたようだ。


『クハハッ、我輩も保証しよう。遺失支族の1人──パビェーダの討伐は確かに成就したとも。おめでとう』


 悪魔もそれを肯定する。こいつは癪に障るヤツだが、闇雲に嘘を吐く性格ではない。


「イッサカル資源のトップが消えた事による影響は?」


「未能社会では石油や燃料の供給不足で混乱が起き、円卓が火消しに奔走していますね。異能社会の方でも、マナ供給システムの一部に遅延が発生しています」


 最高経営責任者と偽典という労働力が急に消えれば、それはそうなるだろう。


 遺失支族はワンマン経営者だ。世界を滅ぼす予定の連中が自分の死(ゲームオーバー)後の事まで考えているわけがない。


「情報を集めておいて。僕が動けるようになり次第、できる限り支援する。超越者の名前と異能を使えば、急場凌ぎくらいはできるはず」


「おや、王にボランティアの精神があったとは意外です」


「後始末は裏方(ぼく)の仕事。それに、正面戦闘よりも事務作業の方が性に合ってる」


「奇遇ですね。私もですよ」


 スフィアは微笑む。


 それから、ふと真顔になり、梅国の民族衣装を意識した僕の礼装を触り始めた。


「……それにしても、その格好で寝ているとボディラインが際立ちますね。私の貧相な体とは大違いです。羨ましい」


「あんまり触らないで」


「不健康な生活習慣は同じなのに、世の中は不公平だと思いませんか?うわ、肌もすべすべ。流石は不老の超越者です」


 スリットに手を突っ込んで、無遠慮に太ももを撫でてくる。


「抵抗できない王は可愛いですね。後先考えずに無茶するから、こうなるんですよ」


「スフィア、後で殴る」


 その後も、動けない僕に対するスフィアの嫌がらせは延々と続き、最終的にドルクとシビュラの入室によって解放された。


 慌てて何らかの釈明をしていたようだが、現行犯なので無罪判決の余地はない。



 

「閃いた」


 志鳳は左手で饅頭を握りながら、右手の小指を立てていた。


「武術道場に行こう」


「修行パートね!」


 志鳳の小指の上には、同じく小指を合わせて逆立ちしたサラートが乗っている。


 彼女は礼装にマナを通す事で、丈の長いスカートが広がらないように工夫していた。


「あはは、2人は何をやってるのかな?」


 幕楽から声を掛けられて、サラートは小指を支点に器用に振り向く。


「トレーニングよ!マナを使わずにバランスを保つのがポイントね!」


「神聖喜劇では暇な時によくやってた。懐かしい」


 志鳳がしみじみと呟き、サラートの体を駒のように横回転させて遊び始めた。


「ぎゃるぎゃる目が回るわ!」


「やっぱり前衛(レイド)の人達はそういう訓練もするんだね。後衛(エイド)の私には分からない世界かな」


「前衛は集団戦では点取り屋。敵を確実に倒す為に、日頃から心身を調整しておく必要がある。……本当はこのトレーニングでも不充分なんだけど」


 志鳳は前衛について説明した後に、ぽつりと付け加える。


「僕達に普通のトレーニングは効果が薄い」


「まあ、そうね。重い物を持ち上げたり長距離を走ったりしても、超越者の体力なら余裕過ぎて負荷が掛からないわ」


 強大な異能の負荷に適応進化した超越者の肉体は、一般の異能者とは隔絶した量の祝福を内包している。


 常人には過酷なトレーニングでも、超越者にとっては準備運動にしかならない。


「結局、達人との模擬戦が一番。だから、武術道場に行きたい」


「あはは、でも2人の相手ができる人がいるのかな?」


「ん、梅国の羽化登仙に頼んでみる」


 羽化登仙とは、武術を極限まで鍛え抜いた達人の集団である。


 彼らも砂紋部隊・対抗神話・金枝玉葉と同様に、ある一点においては超越者にすら届き得る超一流の専門家だ。


「羽化登仙の連中と会えるとは限らないわよ?あいつら三度の飯より修行が大好きなマゾなんだから。対抗神話の次くらいにイカれてるわ」


 ぶっちぎりでイカれた集団こと砂紋部隊の元エースが、志鳳の肩に両手で飛び移り、耳元で囁く。


「羽化登仙には貸しがあるから大丈夫。1人くらいは出てきてくれるはず」


 そんな話をしていると、不意にドアベルがからんからんと鳴った。

 

「喫茶ウールーズ、やっと侵入できただろ」


 3人が入り口に目を遣ると、金色と銀色の交ざった髪をヘアバンドで留めた男性が立っている。


「あはは、貴方は空間系の異能者かな?超越者レベルになると、そんな事もできるんだね」


「この喫茶店の移動する出入口はアンタの親衛隊の仕業だろ、お姉さん。なかなか優秀な空間系を抱えてるな」


 ヘアバンドの男性が店内を興味深げに見回していると、サラートが志鳳の肩から飛び降りた。


「ハイノさん!いらっしゃい!」


「もしかして、僕の移籍後に神聖喜劇に加入した超越者?」


「お察しの通り、新参者のハイノ・エクメーネだろ。よろしくな」


「よろしく」


 志鳳とハイノが握手を交わす。


「新参者とは言っても、無所属だっただけで超越者歴は長いから、かなり強いわよ」


「ん、見れば分かる」


「ははっ、アンタにとってはそうだろうな。これだから知覚系とは戦いたくないだろ。……おい、もう入れるぞ」


「おっ、やっと開いたがか?」


 ボサボサの黒髪の男性──ヤザタ・スプンタが、ハイノに続いて大股で入店した。


「がっはっは!久しいぜよ!元気にしちゅうたか、志鳳!」


 ヤザタから勢い良く背中を叩かれ、志鳳は軽くよろける。相変わらずの馬鹿力だった。


「ヤザタさんまで来たのね!」


「おう、暇じゃき遊びに来たぜよ!」


「オレは付き添いついでに、幻の喫茶店の料理を食べに来ただろ」


「あはは、お席にどうぞ」


 志鳳の正面の席に腰掛けたヤザタは、メニュー表も開かずに手を挙げる。


「わしゃあ、寿司と天ぷらとお好み焼き!」


「あのな、桜国文化が好きな事は知ってるけど、それは喫茶店で出てくる料理じゃないだろ」


「あはは、できるよ?」


「いや、できるのかよ」


 ハイノは思わず突っ込みを入れてから、席に座ってジェラートを注文した。




「そういえば、イッサカル資源が機能不全で大変な事になってるだろ」


「私達の業界に影響はなかったけど、採掘師のソフィアさんは忙しそうにしてたわね」


 超越者は永い時を生きる存在なので、単純な戦闘技能以外にも、手に職を付けている者が多い。


 例えば、ヤザタは整体師、ハイノは配管工、志鳳は演出家、サラートは画家としても活躍している。


 圧倒的な力を持つ超越者も、孤独や退屈を人並みに感じる人間だ。


 だから、結社に所属し、派閥を形成し、熱中できる趣味や仕事を探す。その本質は一般的な異能者と何も変わらない。


「資源関連は未能社会に対する打撃が大きい。今回ばかりは、連盟も積極的に支援するつもりみたい」


「未能者の事情に異能者が関わるのは御法度っちゅう話じゃなかか?」


 異能者は寿命が長く、歴史が風化する速度も緩やかだ。異能革命前に弾圧された経験から、未能者を嫌う異能者は未だに多い。


 表立っての全面支援は、そういった異能者の神経を逆撫でする恐れがある。


「私が聞いた情報では、間に挟んだ円卓への支援という形にするらしいわね。連盟らしくない、強引な誤魔化し方よ。それだけ未能社会は切羽詰まってるんでしょうね」


「んじゃ、遺失支族って奴らも、片っ端から倒せば良いってわけじゃないんだな」


「そもそも、そんな倒し方は無理。四大結社のボス達でさえ、大怪我で長期入院させてるような相手なんだから」


「特にラミナさんの怪我は酷かったわね。致命傷じゃなくて安心したわ」


 黙示録は瘴気と同じく、摂理の外の存在だ。マナによる蘇生や治癒を大きく妨げる。


 反対に、黙示録側は自身の改編によって死や負傷をなかった事にできる。


 受肉した黙示録と1対1で対峙して、五体満足で帰ってきただけでも快挙だ。


 もしも移送任務の面子が違っていたら、死者や再起不能者が出ていた可能性が高い。


「あ、雑談してたらようやく見えてきたわ。あれ、迷宮の外郭よね」


「知識としては知ってたけど、ここまで秘境にあるとはな。志鳳の案内がなかったら、道に迷うとこだっただろ」


 神聖喜劇の3人に元神聖喜劇の志鳳を加えた4人は、梅国のとある迷宮都市を訪れていた。


 羽化登仙をトップに据えて多数の門下生を抱える武術道場──性命双修。迷宮都市1つを丸々使用した巨大な施設である。


「迷宮の外郭に大きな門があるわね。あれが入り口?」

 

「そう。認識票があれば開く」


 連盟に登録した異能者は、全員が認識票と呼ばれるプレートを持つ。


 これにシグネットを含ませたマナを通すと、位階や所属結社が浮かび上がる。いわゆる身分証明書だ。


「あ、門が開いたわ。誰か出てき……!?」


 軋むような音を立てて開いた門から、何かが高速で飛んでくる。


 サラートは蓄積のシグネットで衝撃を殺しながら、飛来物を受け止めた。


『人間じゃき!』


『待って、僕の知り合い……!』


 青髪に白メッシュ。派手な化粧と全身に刻まれた刺青。


『……志鳳殿。久しい……ですね……』


 その女性こそ、紛れもなく羽化登仙のトップ──大安(ダーアン)だった。


『大安。何があった?』


『……邪道の力を使う2人組に敗れました。1人は道場破りと……名乗っております。我々のような正道の力ではありませんが……武力に関しては超越者の方々にも劣らないかと』


『遺失支族……!』


 志鳳はサラート達と顔を見合せ、大安の治療を行おうとする。


『……志鳳殿、私の事はお気になさらず。羽化登仙に伝わる……自己回復術がありますので。あの者達と戦う……おつもりなのでしょう?余計なマナの消費をなされるな』


 大安に腕を掴まれた志鳳は、彼女を迷宮の外郭に凭れさせて、道場に向かって走り始めた。


『武術家が地に背を付けるものじゃない』


『……恩に着ます』




「だからよ!最近の黙示録は権能ばっか頼って、体を鍛えないから駄目なんだよな!俺みたいにちゃんと筋肉付けてれば、ぬぼーん!と死ぬ事もないのにさ!」


 茶髪の道場破りは、見上げるほどの巨体に恥じぬ腕力で、両手に掴んだ異能者達を振り回していた。


「その効果音には疑問を覚えますが、権能による復活に甘え過ぎるのは、確かに良くない傾向ですね。私も更にスピードを磨かなくてはいけません」


 銀髪の道場破りが、目にも止まらぬ速さで駆け抜け、異能者達の顎を蹴り上げて気絶させていく。


 その動きが急に止まった。


「これは……見えない壁、ですか……?」 


『今の時代に道場破りとは、素晴らしい心意気ぜよ!』


 銀髪の道場破り──クラシーヴィは殺気を感じて咄嗟に上半身を守る。が、乱入者が斬ったのは足だった。


『ぐっ……!』


『思考も感情もあるっちゅう事は、駆け引きも通じるのが道理じゃき!』


 ヤザタが豪快に笑う。


『再演──雨を運ぶ男(レイン・ブリンガー)


『光の……蛙!?』


 クラシーヴィに向かって志鳳の術式が放たれる。


『どどーん!とな!』


 が、茶髪の道場破り──ドゥレッザが間に割って入り、長い腕を振り回して蛙の群れを叩き潰す。


『助かりました、ドゥレッザ』


『ちっ、オレの術式を力ずくで抜けやがっただろ!』


 その隙にクラシーヴィが拘束を脱出する。


『再演──ッ!?』


『させませんよ』


 術式を行使しようとした志鳳は、クラシーヴィの踵落としにより、発動に失敗した。その衝撃で意識が明滅する。


『私の最高速度を見誤りましたね。ドゥレッザ、なるはやでお願いします』


『よっしゃあっ!どかーん!と任せろ!』


 志鳳を優に越える長身のドゥレッザが、ヒールレスラーのように両腕を振りかぶる。


『志鳳さん!口伝──呪われた椅子(バズビーズ・チェア)!』


 サラートの投げた手裏剣が、ドゥレッザの背中に刺さり、その体を内側から爆発させた。


『痛った!これもシグネットとかいうヤツか!?ま、良いや!気合いだ、おらっ!』


 ドゥレッザの振り下ろした腕が、志鳳の意識を完全に奪う。


『おおっ、ギリギリで巧くズラしやがったな!ずがーん!と直撃させる気でやったのに!』


『……ドゥレッザ、天使は生け捕りの予定ですよ。忘れていませんか?』


『あ、そうだっけ?ま、結果オーライだよな!』


『はあ……』


 クラシーヴィは溜め息を吐いた。


『志鳳さんを返せっ!』


 サラートが顔目掛けて投擲したサバイバルナイフを、ドゥレッザは歯で受け止めて噛み砕く。


『ははっ、そんなに欲しけりゃ、ずばーん!と取り返してみろや!』

 

 ドゥレッザが気絶した志鳳を小脇に抱え、片手で手招きをした。


 


『サラート、ハイノ。使うぜよ』


 ヤザタの目から遊びの色が消え去る。


『失伝──期待通りの番狂わせジャイアント・キリング』 


『オレが正面から行くだろ。失伝──制約のない型抜き(クッキー・カッター)


『……殺す。口伝──忍び寄る恐怖(クリーピー・パスタ)


 異能者の学ぶ武術は、世界的に二つの流派に分かれている。


 柔の陰流、剛の陽流。前衛の最高峰である神聖喜劇は両方を修めている。


 対人戦から生まれた陰流に対して、怪獣などを狩る中で生まれた陽流は、隙が多く威力に特化した技が多い。


 この場面で3人が選択したのは──陽流。


 目の前の相手は、小細工の通じない獣だ。そう判断した。


『俺に正面から向かってくるとは、良い度胸だな!』


 ハイノを殴り飛ばそうとしたドゥレッザの拳が、何かに阻まれたように虚空で止まる。


『なんだ、こりゃ!?空気が絡み付いて……?』


 ドゥレッザの推測は惜しかった。ハイノが操っているのは空気ではなく、空間。


 聖体のハイノ・エクメーネ。


 シグネットは成型。空間を好きな形にくり抜き、肉体の延長として自在に動かせる。


『返して貰うだろ。失伝──見えざる装甲インビジブル・アーマー


 ハイノの全身に重ね着された空間の層が、見えざる腕となって志鳳に伸びた。


『やるなあ、お前!改編──可能世界(ライクリフッド)E33』


 ドゥレッザの威圧感が急激に増大する。ハイノは反射的に、全ての空間を自身の前方に集めた。


『うっらああああっ!』


 これまでの動きと違う、回避困難な速度の一撃。ドゥレッザの正拳突きが世界を歪める。


『ご……!?ふ、ぎ……っ!』


 何よりも、先ほどまでとは威力が桁違いだった。ハイノの体が紙切れのように飛んでいく。 


『ハイノさんの装甲を一撃で……!?』


 クラシーヴィを牽制しながら、驚愕するサラート。しかし、ドゥレッザは不満げに首を傾げてから、得心したように笑った。


『やってくれたな、侍!俺がスーパーパンチを撃つ瞬間に、腕を斬って力を削いだろ!おかげで殺し切れなかった!』


 嬉しそうに床を踏み鳴らす。そして、志鳳の体をクラシーヴィに投げ渡した。


『次は俺と戦ろうや!クラシーヴィには手出しさせないからよ!』


『何を勝手な……。まあ、貴方が負けるとは思えませんが、遊びは程々にして下さいね』


 ヤザタは器仗から刀を伸ばし、もう片方の手にもマナで刀を形成する。


『ヤザタさん……』


 二刀流。それが彼のスタイル。


『がっはっは!これぞ正に死合いぜよ!』


『最高だな!今までステファノス達に協力して、ぐぐーん!と我慢したかいがあったってもんだ!』


 死闘に取り憑かれた者達が、互いの力をぶつけ合う。


 サラートはただ1人、ある瞬間を見逃さないように目を凝らしていた。




『うりゃりゃあっ!』


 当たれば死ぬ。どこまでもシンプルな猛攻を前にして、ヤザタは全身を脱力させる。


 死なない位置は勘で分かる。幾度もの死闘の経験が正解を教えてくれる。ヤザタはそれをなぞりながら、流れるようにドゥレッザの肩を斬り付けた。


『弱い弱い!全然効かないねえ!』


 腕、足、腹。まだ浅いか。


『さあ、これはどうする!?』


 有史以来、彼以上の戦闘経験を持つ者がいるだろうか。いるとしたら、世界を敵に暴れたという女王ベートくらいか。


『スーパー……!……。ぁ……?』


 ドゥレッザの巨体がバランスを崩し、膝を付く。


『ドゥレッザ!?』


『隙ありよね!』


 その瞬間を信じていたサラートは、クラシーヴィから志鳳を奪い、もう片方の腕でヤザタを掴んで逃走する。


 ハイノは既に確保し、背負っていた。


『ぐっ、天使を……!』


 本気で気配を消した彼女は、黙示録でも容易には見付けられない。


『はっはっ……!やってくれ、たな……!』


 ドゥレッザは床に倒れた。権能で怪我を治す事はできたが、もう暫くはこの敗北の痛みを覚えていたい。そう思った。


『悪い、クラシーヴィ……!俺の負けだ……!』


 傅膏のヤザタ・スプンタ。


 シグネットは耐性。その応用により、他者の耐性を下げる事もできる。


 普段のドゥレッザにとっては何でもない傷が、ダメージが、いつの間にか致命傷になっていた。ただ、それだけの話。


 だが、真剣勝負というものは、得てして小さな要因で勝敗が決まるもの。戦いに誇りを持つ者ならば、それを否定などできない。


『また戦ろうな、侍……!』


 ──ドゥレッザは、この一戦を汚したくなかった。


 

 

「ネルウス・アレキサンダー。僕に協力して欲しい」


「あー。1つ、質問して良いか?」


 生気を感じさせない真っ白な肌に、美しい真っ黒な髪。中性的な人形のような顔立ちの男性がこちらを指差す。 


「これに正直に答えてくれたら協力する。嘘は吐くなよ。まあ、そもそも嘘吐いたら、俺のシグネットで分かるっつーか」


「……分かった。何?」


「あんた、生きてて恥ずかしいと思った事はあるか?自分がどうしようもない人間だと思う事は?死にたいと思う事は?」


 僕は考える。


「ない」


「オッケー、合格だっつーの」


 ネルウスはわざとらしく拍手をした。


「……僕の回答、嘘じゃなかったんだ?」


「んにゃ?嘘も嘘。大嘘だったよ。極まった精神系の精度、舐めんなっつーの」


 ネルウスは自分の口に飴を放り込む。


「──だから、信用できる」


 ガリッと噛み砕いた。


「あんたにはあるんだろ?他人には話せないような、笑い話にして忘れられないような、本物の恥が。後悔が」


 赤い瞳が僕を見透かしているようだ。 


「良いね、良いね、それで良い。正直、コンプレックスも悩みもない奴なんて、一番付き合いたくない人種っつーか?」


 その人形のような顔には、誰よりも人間らしい熱が宿っていた。


「恥じて生きるのが人間だっつーの」


 思姦のネルウス・アレキサンダー。


 シグネットは──感情。

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