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【アルバイト】に関する閃き

 僕は朝食を食べていた。


 いや、これ朝食か?研究室で寝落ちしたから、時間感覚が曖昧だ。


 研究に没頭し過ぎた。最近は程々に控えていたのだが、性分というものは直らないらしい。


「心なしか、食事も味気ない」


「それは、私が普段食べているレーションだからです」


 スフィアは平然と答えた。


「……味気ない人生」


「逆に、私が食事にこだわる女だと思いましたか?料理なんて時間の無駄です。最低限のカロリーを摂取できれば充分でしょう」


 スフィアが紙パックの牛乳を飲みながら、面倒そうに言う。


「スフィア、がさつ」


「下着姿で寝落ちしていた王には、言われたくありませんね」


 彼女に口で勝つのは不可能だ。僕は話を逸らす事にした。


「そういえば、スフィアの関わった一件。博物館から聖剣を盗んだ犯人は、渡界者だったみたい」


「それはそれは、急に適合者が現れたのも納得ですね。この世界の人間に適合しなくても、異界から来た人間なら、って事ですか」


 渡界者。


 世界を正常に保とうとする摂理が、急激な人口の減少を感知して、別の世界──異界から連れてきた人間。


 正確には、動植物に関しても同様の現象が起こる。そうやって、世界間で生物の総数を調整し、バランスを維持している。


 まあ、大層な名前だが、実は渡界者の存在そのものはあまり危険視されていない。


 何故なら、高位の異能者は世界間移動の対象にならないからだ。


 摂理はマナと祝福の量を参考に、個体が世界に与える影響力を判断しており、基本的に位階の低い者か未能者が渡界者に選ばれる。


 当然だ。超越者クラスがポンポン異界に移動してたら、歴史が変わるなんてレベルの話じゃないしな。


 それに、渡界者が異界から渡ってくる頻度も高くはない。


 ただし。


「僕の知る歴史では、渡界者が大量に出現した。摂理が壊れる直前の、最期の抵抗」


「正直、私には想像もできませんね。王の話を聞くまで、超越者の層が厚いこの世界は安泰だと思ってました」


「……実は、僕が終わりを見届けた世界では、超越者の数が今より少なかった」


「そうなんですか?」


 僕は油の味しかしないパンを、スフィアの用意したペットボトル入り緑茶で流し込む。


「具体的には、どんな感じに違ったんです?例えば、ウールーズの五人……あ、志鳳様は王の歴史にいなかったから四人か。あの四人の様子とか」


 僕は目を閉じて記憶を掘り起こす。直接の交流があったのはアインだけだが、同じ超越者の噂は流石に耳にしていた。


「アインは普通に超越者だったし、信桜幕楽は今より無気力だったみたいだけど、超越者には至ってた。サラート・シャリーアは異名どころか、シグネットすら聞いた事がない」


「山藤杜鵑花は?」


 その名を聞いて、僕は溜め息を吐く。


「……摂理の崩壊以前に、亡くなった。末期の瘴気中毒者──戮辱者に単身突撃して、殺された。瘴気で殺害された人間には、蘇生の術式が通らない。だから、それっきり」


 彼女の事情を考えれば仕方ないが、気の滅入る悲劇だ。




「閃いた」


「んっ……急に動かないでくれませんかぁ?」


 志鳳の膝を椅子代わりにして、LITH端末を弄っていた杜鵑花が、見上げるような姿勢で抗議した。


 両者の体は密着しているが、気にした様子もない。


 実のところ、ウールーズの五人の中で、一番スキンシップに躊躇いがないのが彼女だ。


 サラートを抱き枕にして寝ている事もあるので、パーソナルスペースという概念がないのかもしれない。


 我が物顔で友人の膝に座って寛ぎ始める姿は、まるで気紛れな猫のようだ。


「アルバイトがしたい」


「必要ありますかぁ?超越者がレプタに困るとは思えませんけどぉ」


 超越者の異能は、個人で国家と比較されるほどの価値を持つ。


 仮に無一文で放り出されたとしても、いくつかの仕事をこなせば、遊んで暮らせる程度のレプタは直ぐに稼げる。


「違う。レプタの問題じゃない。労働という行為をしたい。正確に言えば、働いてる感を演出したい」


 志鳳は一点の曇りもない目で言い切った。


玉兎(ユートゥ)は事務作業。即即(ヂィヂィ)は移動の度に僕を乗せて飛ぶ肉体労働。飛龍(フェイロン)や親衛隊の皆も、拠点の管理とか諸々をやってくれてる」


 梧桐志鳳の派閥には、親衛隊からその候補生まで、優秀な人材が揃っている。


 だが、それだけに。


「僕だけ働いてる感がなくて、気まずい」


 LITH端末で連盟のデータベースにアクセスし、異能者向け日雇いバイトの求人情報を調べ始める。


 杜鵑花も彼の手元を覗き込んだ。


「まぁ、特にやる事もないから付き合いますけどぉ。今日は私達しかいませんしぃ」


 今日は喫茶ウールーズに人がいないので、二人は志鳳の所有するセーフハウスで駄弁っている。


「プレイスホルダーの義体調整が佳境に入ったから、アイン達は忙しいんだっけ」


 志鳳はLITH端末を傾けながら訊ねた。端末の中に住んでいるプレイスホルダーは、熟睡していて反応しない。


「私の担当工程は終わったので、暇なんですよねぇ。どちらかと言うと、完成後の整備が私の専門分野ですからぁ」


「……杜鵑花は手に職があるから羨ましい。祭具の整備は需要が高いし」


「私からすればぁ、志鳳さんの探索技能の方が、よっぽど羨ましいですけどねぇ。整備って地味な作業ですからぁ」


 杜鵑花は外出準備をしながらぼやく。


 準備とは言っても、引力のシグネットを利用し、眷属と隷獣の召喚紋章が入ったポーチを引き寄せて、腰に付けるだけだ。


 召喚紋章は、種石という透明な宝石のような祭具に転写して使うのが一般的で、複数の種石を専用のケースに嵌めて携帯する。


 ケースの表面部に触れながら自身のマナを流せば、いつでも簡単に眷属や隷獣を召喚する事ができる仕組みだ。


「色々見たけど、やっぱりこれに決めた」


 志鳳は迷った末に、一つの求人に目を付ける。


「結界の点検、ですかぁ?」


 結界。錬術で固定化したマナで、一定範囲を覆う技術。


 掃討戦で敵の逃げ道を封じたり、周辺への被害を抑える隔壁、または拠点を守る防壁として活用できる。


 相性の良いシグネットも多く、生活の役にも立つ便利な共有術式だ。


「これで、僕も勤勉な労働者の仲間入り」


 志鳳は勢い良く立ち上がり、転げ落ちた杜鵑花から脛を蹴られた。




「と言うわけで、来た。国民の勤勉さに定評のあるセントレア」


「昔の私が活動拠点にしてた国ですねぇ」


 オフショルダーの涼しげなトップスと、ショートパンツを着こなした杜鵑花は、紫のサイドテールを揺らして街並みを見回す。


「瘴気濃度は正常、と。良かったですぅ」


 一瞬、杜鵑花の目付きが鋭くなる。が、直ぐに普段の間延びした喋り方に戻った。


 異能者は瘴気を激しく嫌悪する。


 瘴気は黙示録と同じく、摂理に内包されていない存在だ。摂理の一部であるマナとは、正反対の力。

 

 だから、瘴気で殺された人間は、摂理に働きかける蘇生の共有術式でも生き返らない。


 瘴気中毒者からの攻撃は当然として、瘴気を含んだ剣などで刺されて死んだ者も、蘇生は不可能。


 位階が高い異能者は、マナによる抵抗力で即死を免れる事もあるが、それでも忌避感を抱くのが普通である。


 異能者が最も警戒する危険物質。それが、瘴気。


「まぁ、アクイレギアの時ほど露骨に、目に見える影響が出る事は少ないですけどぉ」


「僕のシグネットで過去を読んでも、この一帯は平和そのもの。結界もパッと見は問題なさそう」


 結界は都市を囲んでいる。


 異能者が移動に使う開廊は基本的に都市の外周部に繋がっているので、志鳳達が降り立った地点から直ぐに仕事に取り掛かれた。


「外部からの攻撃術式と瘴気を遮断する結界ですかぁ。異常が発生したら、各方面に伝わる仕組みぃ。似たような構築の結界ばっかりで、刺激がありませんねぇ」


「規格化した方が低コスト」


 二人は衆目を気にせず、堂々と結界の点検作業を始める。


 異能の存在は一般社会には公表されていないが、未能者の目を気にする必要はない。

 

 何故なら、未能者はマナに耐性を持たないので、多量のマナを浴びると前後の記憶が曖昧になるからだ。


 また、異能によって発生した現象は祭具でしか捉えられないので、撮影される心配もない。


 ただし、実体のある眷属や隷獣、祭具などは流石に撮影できるので、注意する必要がある。

 

「コスト重視ですかぁ。断章取義(うち)の結界マニアが見たら卒倒しそうですねぇ。そもそも感知精度が不完全なので、サラートさんならぁ……」


『ッ、同志!摂理に内包されていない意識の反応が現れた!偽典か瘴気か……いずれにせよ、急いで向かって欲しいかえ!』


 志鳳の端末から届いた閑話が、彼の意識に緊張を走らせた。


『失伝──|針の上で天使は何人踊れるか《シースレス・エンジェル》』


 志鳳は即座に光の固有術式を発動し、拡張思考回路を構築する。


 プレイスホルダーは普段時の志鳳に対して、大雑把な事情しか説明していなかった。


 絶妙なバランスで成り立っている志鳳の閃きは、余分な先入観を与えてしまうと精度が落ちる可能性が高い。


 個人の感情で、そんなリスクは冒せない。摂理の守護者としての冷徹な判断。


 だが、志鳳にとっては何も問題なかった。プレイスホルダーは、もう大切な友人だ。


 志鳳は理屈よりも感覚で動く馬鹿だが、そんな自分に付き合ってくれる友人達の為なら──迷わずに体を張れる。


『最悪かえ!反応が遠い!余の探知範囲ギリギリかえ!』


『ごめん。僕の閃きが読み違えた』


『予測に誤差は付き物!今回は余の油断もあったかえ!汝の閃きに頼り過ぎた!摂理の守護者として情けない!』


『でぇ、私は何をすれば良いんですかぁ?』


 非常事態の雰囲気を感じ取った杜鵑花が、二人の会話に口を挟んだ。


『言っておきますけどぉ。一人だけ除け者にしたら、怒りますよぉ』


『……この地点に敵がいる。最速で行きたい。頼って良い?』


 志鳳が光のシグネットを使い、杜鵑花の視界に地図とガイドを表示する。

 

『きゃひひ、刺激的な展開ですねぇ!口伝──|存在の耐えられない軽さ《フリー・フォール》!』


 杜鵑花は志鳳の腕を掴んで、固有術式で引力を操作し、目標地点に向かって飛んだ。


『任せたかえ、同志!紫色の!失伝──溢れる程の目覚め(フル・アローザル)!』


 目的地に着くまでの刹那に、プレイスホルダーが固有術式を使う。

 

 彼の固有術式により、志鳳と杜鵑花が擬似的な妙覚──極限の集中状態に入った。


 暫くの間、二人は本来の位階を超える力を発揮できる。


『失伝──この世は舞台(エンドレス・ステージ)


 そして、準備を終えた一行は、その場所に着弾した。




『瘴気の気配。やっぱり戮辱者。……え?』


 無限に近い過去を読み解く事で、対象の全てを理解できるはずの志鳳が、敵の集団を視界に収めて思わず硬直する。


 天使状態の梧桐志鳳は能力が飛躍的に向上するが、感情がなくなるわけではない。


 つまり。


 敵の正体を理解できなかったのではなく、理解したくなかった。


 眼前に立つ無言の敵対者達は、間違いなく摂理の外の存在である。


 幾度か対峙した経験のある、生物を模した彫刻──偽典。


 それらが、まるで戮辱者の如く、全身から瘴気を吹き出していた。


(瘴気を纏った偽典……!そんな事もできるのか、黙示録!)


 志鳳は奥歯を噛み締める。


 使い捨ての偽典が戮辱者クラス──いや、黙示録の指揮下で戦略的に動けるとしたら、それ以上の戦力に化ける可能性。


 彼の加速した意識が、思わず想像してしまった。


 今回に限っては、プレイスホルダーによる能力の強化が、極めてマイナスに働いた。


 妙覚は自身の限界を超える技術。


 乗りこなせば非常に強力だが、完全に御せるものではない。


『同志!』


『志鳳さん!』


 そして、戦場における余計な思考は、致命的な隙を生み出す。




 杜鵑花は異様に冴え渡った意識の中で、志鳳が瘴気を纏う偽典に殴り飛ばされる瞬間を目撃していた。


 その光景が、数え切れないほど見た一つの悪夢と重なる。


 山藤杜鵑花は、異能者として頭角を現したばかりの頃、一つの事件現場に居合わせた。


 都市の中心部で戮辱者が暴れ回り、多数の負傷者を出した凄惨な悲劇。


 その事件を体験した彼女の心には、永遠に消えない深い傷が刻まれた。


 後悔という名の傷が。


 何故なら、その戮辱者と化した女性を連れてきたのは、他ならぬ杜鵑花だったから。


 彼女は友人だと思っていた女性の変化に、最後まで気付けなかった。


 杜鵑花は想像した事がある。


 もしも、ピースが一つ足りなければ。


 とある高位の異能者が偶然通りかかって、命懸けで助力してくれるという奇跡が起きなかったら、おそらく死者が出ていた。

 

 そうなれば、杜鵑花は取り返しの付かない後悔をする事になったはずだ。


 罪悪感に押し潰されるか。


 あるいは、己の身すら顧みず、八つ当たりのように、戮辱者の駆除にのめり込むか。


 そして、後者の場合は遠からず、あっさり死んでいただろう。


『当然ですねぇ。引き際を見誤る人間なんて、ギャンブラーとしても三流ですからぁ』


 杜鵑花は志鳳が軽傷である事を横目で確認しながら、偽典に対して固有術式を行使する。


『逆方向に引力を発生させればぁ、物体を引き裂くくらい簡単なんですよぉ?失伝──引き寄せる深淵(プリング・アビス)


 彼女の生み出すマナの泡が、暴力的な引力を発生させ、偽典を引き裂いていく。


 杜鵑花は身に余るはずの力──妙覚に全く振り回されていない。


 寸分の狂いもなく、完璧に乗りこなしている。

 

『偽典さん、でしたかぁ?同じ瘴気使いでも、戮辱者と比べて静かで良いですねぇ。あいつら悲鳴が五月蝿くて、ノイローゼになりそうでしたからぁ』


 暴れ回る戮辱者に対する恐怖と、逃げる事しかできなかった無力感。


 山藤杜鵑花は、その地獄を忘れられなかった。


 今でこそ、友人達に諭されて折り合いを付けたが、一時期は自罰的なまでに己を追い詰め、不眠不休で苛烈な戦いや戮辱者狩りに身を投じていた。


 それは、一種の逃避行動だったのかもしれない。強い刺激に溺れている時だけ、過去の弱く愚かな自分を忘れられたから。


 本来の歴史と異なるのは、完全な自暴自棄にはならず、彼女の中に生きる意思が残っていたという、ただ一点。


 死に場所ではなく、生きる自信を求めて、彼女は戦っていた。


 そんな杜鵑花の鬼気迫る自己研鑽は、二つの結果として実を結んだ。


 窮地において、妙覚に入りやすいという、後天的な体質の獲得。


 そして、無数の修羅場に飛び込み、数多の妙覚を経験した事によって得た、その状態の自分を完璧に御せる技術。

 

 ──妙覚。 


 極限の集中状態において、自身の位階を超えた力を発揮する現象。


 それは、瘴気という外法の対極。


 ひたすらに、恐怖と諦観を呑み込んで、限界に挑み続けた賭博師(ギャンブラー)に齎される──泡沫の如く儚い必然(きせき)


『志鳳さん、大丈夫ですかぁ?』


『ごめん、もう大丈夫。再演──凝り固まった流血(クロテッド・ゴア)


 調子を取り戻した志鳳を振り返らず、攻撃のタイミングのみを合わせて、偽典を追い込んでいく。

 

『好き放題、暴れられると思いましたぁ?残念ですけどぉ、何も奪わせませんし、壊させませんよぉ』


 それは、とある人物の受け売りだった。


 絶望の淵にいた彼女に手を差し伸べた、とある高位の異能者の言葉。


『気に入らない現実は全て打ち倒し、気に入ったものは全て守ってみせるのが、超一流の異能者だそうですからぁ』


 大した器じゃないのに、格好付けて主役を演じようとする、演劇好きでミーハーで──大切な友人の言葉。


『この意識パターンは……まさか、紫色の。余の与えた疑似妙覚と重ねて、自力でも妙覚に入っておるのかえ……?』


大当たり(ジャックポット)ぉ。やっぱりぃ、堪りませんねぇ』


 妙覚を重ねがけした事による、普通なら気絶するほどの刺激と高揚の中で。


 杜鵑花は身震いしながら、自身の火照った顔に指を這わせた。


『──この人生(スリル)ぅ』


 泡沫の山藤杜鵑花。


 浮かび上がった彼女は、誰にも止められない。




『我輩の同族達は瘴気に目を付けたか!確かに、黙示録の手足たる偽典とは、同じ摂理に馴染めない存在同士、相性が良いだろうな!』


「……」


 偽典。


 あの彫刻を創造するのにかかるコストは不明だが、これまでの事例を見ると、大量に用意できる程度の存在らしい。


 そんな偽典が、瘴気で強化されるとしたら。


『君も偽典を創ってみるかね、孤高の青』


「ふざけないで。そう易々とお前の力は使わない」


 あれは受肉した黙示録だからできる反則だ。僕が真似して悪魔を乱用したら、簡単に肉体を乗っ取られる。


 しかし、この後に向かう場所での成果次第では、少し状況が変わるかもしれない。

 



「結界で覆っただけの研究室。安全性が心配」


 僕がそんな事を呟くと、黒髪をスパイキーショートにした青年から睨まれる。


「即席とは言うても、俺が仕上げた結界やぞ。あらゆる干渉への対策を組み込んどるわ、ボケ」


 障囲の牡丹亭(ボタンテイ)蝶路(チョウジ)


 シグネットは境界。広範囲の守護に関しては右に出る者はいないと言われる、結界構築の第一人者。所属は断章取義。


 言い返したい気持ちはあるが、こいつの腕は本物だからな。


 世界の終わりが近付いても、蝶路が構築に携わった守護結界は最後まで残っていた。


 それに、こいつの口が悪いのは、単に他者への興味が薄いからだ。その証拠に、既に僕から目を離して何かの製図に没頭している。


 どの世界でも変わらないな、こいつは。


 呆れながら横を抜けて、研究室の扉をノックする。


「約束の件かい?入って良いよ」


 白のショートボブ。理知的な雰囲気を纏った女性が、入室した僕にひらひらと手を振った。


「やあ、元気だったかい?」


 誘水の穂芒(ホススキ)珠月(ミヅキ)


 シグネットは薬品。同じ断章取義でも、今回はこちらに用があって来た。


 僕は前の歴史で四大組合の一つ──花蓮会議の断章取義に所属し、様々な超越者を観察してきた。


 その上で、時間遡行を成功させた僕が真っ先にコンタクトを取ったのが、珠月。


「おかげ様で。……それが、例の薬?」


 挨拶もそこそこに、速やかに本題に入った。


 前の世界の経験で、彼女が形式的な遣り取りを好まない事は知っている。


「普通の薬に見えるかい?しかし、これが君の言うところの、悪魔を抑える薬さ」


 珠月はピンセットを使って、白いカプセル剤を掲げて見せた。


「これが定期薬。知っての通り、上位者や超越者は経口摂取した成分を100%吸収できる。むしろ、それを前提に設計したから、こんな短期間で完成したわけでね」


 勿論、本人が抵抗せずに受け入れた場合の話だけど、と注釈を挟む。


「投与経路や体内動態を考慮しなくて良いのは、本当に助かるよ。……どうにか全人類、第3位階以上にできないかな」


 物騒な独り言を漏らすな。


 超越者になる前に、対抗神話の室長への勧誘を蹴った辺り、研究者として最低限の倫理観は備えていると信じたい。


「で、この黒いカプセル剤が頓服薬。黙示録の侵食を受けて、自我が曖昧になった時には迷わず飲んでくれ。そして、最後に……」


 珠月が厳重に封をした小箱を取り出す。


「緑色のカプセル剤が入っている。事前服用で、黙示録の力を使用する際の負担と侵食を軽減する薬。素材と製法が独特で、3カプセルしか用意できなかったけどね」


 念を押すように言葉を続けた。


「良いかい?あくまで、軽減だ。私としては出番がない事を祈るよ」


 僕は小箱をじっと見詰めた。


「なんで、緑?」


「え?……変わった質問をするね。内容物に耐えられる外層素材を探したら、偶然その色だったのさ。何か、問題があるかい?」


「いや」


 小箱にそっと触れる。親友が隣にいる時のような頼もしさを感じた。


「僕にとっては、一番縁起の良い色」


 基本方針は変わらない。


 梧桐志鳳の閃きには干渉しない。天使の意思と行動を邪魔しない。


 一度失敗した僕に引き摺られて、同じ歴史を辿る可能性が否定できないからだ。


 僕は主演じゃない。舞台裏の人間。


 スポットライトが当たるのは、全てが終わった後。


 ──終演(カーテンコール)の時で良い。

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