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act.76 魔水の揺り籠、暴かれた禁忌の工廠


 オルトロスへの疑問を抱えながら、整然と並べられたガラス容器を見渡していると、視界の端で何かを捉えた。


 それは、ほんの小さな違和感。


 違和感のあった方へと視線を送り、その正体を探し始める。


「どうしたの?」


 眉根を寄せて探しものをするイグナールの異変に気が付き、モニカが尋ねた。


「いや……」


 視界の端に捉えただけの何か。弱い風が産毛を揺らした程度の微かな違和感。ほとんど第六感で感じ取ったようなものを、彼女にうまく説明できるはずもなかった。


「よくわからないんだが……モニカは、ここが何の施設だと思う?」

「水の貯蔵庫じゃないかな? 動物を飼育していたのなら、飲み水が必要だろうし」


 先程の自分と同じ結論だ。通常の条件下で考えれば、やはり貯水施設だという答えに行き着く。


「んん……?」


 違和感を覚えた先を何度も見返し、ようやくその正体を見つけた。それは、奥にあるガラス容器の一つに浮かぶ「不純物」だった。


 どの容器も澄み切った水で満たされており、向こう側が鮮明に見えるほど透明だ。幾重にも重なれば終端までは見えないが、驚くべき透明度を誇っているのは間違いない。その中で、たった一つの容器にだけ小さな影が浮いている。


 ゴミか何かだろうか。イグナールは確認するため、その容器へと近づいた。


「こ、これは……」

「何々? ……ヒッ!」


 横から覗き込んだモニカが、短い悲鳴を上げた。


 そこには、大人の親指にも満たないほど小さな――小さな「オルトロス」がいた。

 体毛はなく全身が淡い桃色だが、狼を思わせる二つの頭。胴体から細長く伸びた蛇の尾。間違いなく、あの魔物の特徴を備えた「ナニか」だった。


「何これ……子供?」

「ああ……そう見えるな」


 どう見てもこれはオルトロスの幼体だ。魔物や動物の一部を溶液で満たし保管する標本のようなものだろうか。研究資料として、あるいは悪趣味な装飾として飾られたそれを見たことはあるが――。


 幼体を観察していたその時、突如として、その四つの目が開いた。


「ちょっ……! い、生きてるの!?」


 モニカほど取り乱しはしなかったが、突然の変化にイグナールも思わず一歩後ずさる。


「……これは、『魔水』ですね」


 静かに二人に近づいてきたのは、エルフリーデだった。


「魔水?」


 聞き慣れない言葉を反芻し、モニカと顔を見合わせる。しかし、彼女にも心当たりはなさそうだ。


「知らないのは無理もありません。私たちエルフでしか知り得ないことでしょうから……」

「エルフでしか知り得ない?」

「はい。……ですが、ここで詳しいお話をする時間はありません。それに、私個人の判断で話して良いことなのかも……」


 エルフリーデの表情には、初めて見る強い拒絶の色があった。彼女にとって――いや、エルフという種族にとって、容易に口にできることではないのだろう。

 彼女の指先は小刻みに震えていた。それはいつもの気弱さやイグナールへの怯えではない。見てはいけない禁忌を目にして震える子供のようだと、イグナールは思った。


「エルフリーデ、無理に話さなくていい。話すべきだと思った時で構わないよ」


 イグナールは彼女の目を見て、できる限り穏やかな声で言った。


「ありがとう……ございます」


 彼女は深く頭を下げた。お礼を言われるようなことはしていないが、今は彼女の意向を尊重し、そのまま受け止めることにした。


「それじゃあ、先を急ごう。道はまだ続いているはずだ」


 幻想的で不気味なガラス容器が立ち並ぶ第六階層の奥を目指す。道中、見える範囲で容器の中を確認しながら進んだが、あの幼体以上の発見はなかった。


「やはり、第七階層への階段があったか」


 確信があったわけではない。ただ、この階層で「銀色の水」を見つけられなかった。ならば下へ向かったと考えるのが自然だ。

 あとどれだけの階層があるかはわからない。だが、ゴールは近い――イグナールはそう直感していた。


 一行は慎重に第七階層へと通じる階段を下りていく。そして、そこに広がっていた景色に、言葉を失った。


「なんだって言うんだ、ここは……」


 そこは、第六階層と同じようにガラス容器が整然と並ぶ空間だった。だが決定的な違いがあった。――中身が、ほとんど「埋まって」いるのだ。


 ゴブリン、ガルム、アルミラージ……。あらゆる種類の魔物が、溶液に満たされた容器の中に収まっている。それも幼体などではなく、完全に成長した姿で。


「やっぱりここは、動物の飼育施設なんかじゃなかった……。ここは、ここは!」


 エルフリーデが声を震わせ、激しい戦慄を堪えながら前へ出る。


「ここは、魔物の……『製造プラント』です!」


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