act.21 触れられない想い、背負えない感情
「大丈夫か? モニカ……」
戦いが終わり、イグナールはすぐにモニカのもとへ駆け寄った。
「うん、大丈夫だよ!」
彼女は平静を装っていたが、その顔には疲れの色が浮かんでいた。傷自体は大きくないにしても、痛みと疲労は隠せない。しかし、モニカは気丈に振る舞い、笑顔を見せる。そんな彼女に、イグナールも何か言いたかったが、口から出たのは二言だけだった。
「すまなかった……ありがとう」
その言葉に、モニカは微笑んだが、イグナールの心にはまだ重いものが残っていた。
二人の間に一瞬の沈黙が流れる。重苦しいものではないが、少し気まずい空気だった。
「モーニカ様、応急処置を致しましょう」
マキナがその静けさを破った。彼女はまるで二人の空気を読んだのか、それとも読まなかったのかはわからないが、話が進まないイグナールとモニカにとっては好都合であった。
「えっと、大丈夫よ、マキナ。自分でできるから」
そう言いながらモニカはカバンから薬草を取り出し、呪文を唱え始めた。
「『我に眠りし力よ、我が意思に従え』『静かなる導もて、癒しの助力と成せ』」
彼女の手からキラキラと輝く水が湧き出し、それは薬草を攫って背中の傷へと向かった。
「アシストヒール」
モニカの呪文に呼応し、薬草を含んだ水が薄く広がり、彼女の背中の傷を優しく包み込んだ。
「これで大丈夫。たぶん一日くらいで治ると思うけど……跡が少し残るかもね」
モニカの言葉には少し不安が混じっていた。女性にとって、それも多感な時期の女の子には呪いのようなものだ。
「俺を治してくれた時みたいには、いかないのか?」
以前、イグナールが重傷を負った時、モニカの回復魔法が驚くべき効果を発揮したことを覚えていた。傷はほぼ一晩で癒え、翌日には火傷の跡すら残らなかった。
「それはイグナールの魔力量が異常だからよ。普通の人なら、もっと時間がかかるものなんだから」
モニカの回復魔法は万能の秘薬ではない。あくまで怪我人の魔力を消費して自己治癒力を高める効果なのだ。大怪我であるならばそれだけの量の魔力が必要であり、本来なら数日かけて治療していくものだ。
イグナールの場合、彼女の夜通し行われた献身的な治療もあるが、大きな要因は彼が持つ生まれ持った規格外の魔力量である。
モニカの傷は今回イグナールの失態といってもいい。
彼はそれを深く反省し、彼女以上に呪いにかかってしまっている。薄く水のベールに包まれた傷口を見る度、彼の心に突き刺さるものがある。
「俺に何かできることはないか? 俺にできることなら、何でもする――」
「ん? 今、何でもするって言ったよね?」
モニカの顔が、不敵な笑みを浮かべる。
◇◇◇
「ちょっとイグナール! おしり触らないでよ!」
「し、仕方ないだろう!」
不用意に「何でもする」と言ってしまったイグナール。モニカの要求は、彼女を背負って運ぶことだった。怪我を負った責任を感じていたイグナールは、仕方なく彼女に背中を差し出す。
別にやましい気持ちでおしりに手を回していたわけではない。持ち上げる際に力を入れやすい部位に触れていただけだ。
モニカの注意で手を太ももに回す。指の一本一本が彼女の白い太ももの肉に沈んでいく。それを押し返そうとする弾力と吸い付くような肌触り、二年間剣を握り続け厚くなったこの手を癒すように包み込む。
そのまま手に力を入れ、感触を確かめたい衝動を必死になって抑え込むイグナール。思春期男子にはもはや暴力的な魅力である。
このままではいけない……背負っているのはモニカではない。
ただの荷物だ。
そう、柔らかく手触りの良いただの荷物なのだ。意識をするな。それときっと手の位置が悪い、モニカに言われて慌てて移動したからダメなんだ。
イグナールは彼女を意識の中でただの荷物に置き換え、背負い直す。手に力を込め、彼女の体を押し上げる。刹那太ももに、より一層指が沈む。一度ふわりとモニカが浮き上がり、手の位置を変える。
「んっ……」
耳元で吐息と共に漏れたモニカの声。意識すまいとやった行動は完全に逆効果である。
心臓が強い圧迫感に襲われる。
鼓動が疾走を始める。
触覚が敏感になり、手に触れるもの、体に接しているもの全てが悉くを刺激する。そして、警鐘のように打ち付ける心臓の鼓動に抜き抜かれつと追いすがる鼓動がもう一つ……モニカの音だ。
非常に柔らかいもの越しに伝わる疾走のリズム。
柔らかいもの?
その答えに至った瞬間イグナールは顏が熱くなるのを感じ、先程まで正常だった呼吸が乱れる。更に加速した心臓が頭へ過剰な血液を送りつけ、足元がふらつく。
「ちょっ、ちょっとイグナール!」
それに慌てたモニカは彼の首に回していた手を強く締め更なる密着を生んだ。背中に当たった柔らかいものがスライムのように変幻自在に形を変え、イグナールの背中を圧迫する。
「かはッ!」
頭に上った血液を口から吐き出す。
……ような感覚でいつの間にか詰まっていた息を吐き出した。
空気を遮断された肺が新鮮なものを求め、口と鼻から大量に取り込む。
そして鼻腔をくすぐるなんとも甘美な香り。
あぁ、もっと感じたい。触覚もって嗅覚を持って全てを享受したい。そんな欲望が下腹部から込み上げ、頭を支配しようと鎌首をもたげる。
ダメだダメだダメだ! 大切な幼馴染、旅の仲間になんて黒い感情をぶつけようとしているんだ! そうだこれはスライム。背中にいるのはスライム。すごくいい匂いがするスライムだ!
彼には大切な幼馴染で旅の仲間であるモニカを、スライム呼ばわりするほか逃げ道はなかった。
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