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act.10 奪われた純潔


「イグナール! 大丈夫?」


 駆け寄ってきたモニカに心配され、緩慢な動きで起き上がるイグナール。

 彼女が差し伸べた手をしっかり掴み立ち上がった。


「あぁ、俺は大丈夫だ。モニカは?」

「大丈夫、怪我はないよ。それにしても、うまくいってよかった……」


 紫電の力を使うことはイグナールも考えていたが、その制御がままならない力を、周りに被害を出さないように使う今回の作戦は彼女の立案だ。


「しかし、まさかあんな魔物がいたなんてな。これだと依頼料じゃ割に合わないな」

「そこは問題ないと思うよ? 私たちが貰ったライセンスって、倒した魔物の魔力を吸い込むようになってるの。吸収するのは微々たる量だけど討伐の証としては十分よ」

「そうなのか」


 心なしか輝きが増したように見えるライセンスをまじまじと眺めるイグナール。


「みつ、みつ、みつけた」


 人の声のようで、まるで違うような。そんな人に似て非なる声に二人は反応し、その方向に目線を向ける。


 そこには黒布でできた丈の長いワンピース、その上には上品なフリルをあしらった白いエプロンを付けた女性が虚ろに立っていた。


 給仕係……白のカチューシャが良く映える、黒髪のメイドだ。


 家が貴族の二人には、決して珍しいものではない。

 だが魔物が闊歩する森の中で出くわすには、十分に警戒に値する存在だった。


「ヒューマン・スライムに、つがいはいないって言わなかったか?」

「いないわよ。それに明らかに違うじゃない。まぁ怪しいのは変わりないけど。ただ……私達に敵意はなさそうに見えるけど」


 次の瞬間、身体の芯を失ったようにうな垂れていたメイドが、体勢を変えたと同時にイグナールの目の前に肉薄していた。


「はっ――」


 長い髪が空中にふわりと舞い踊る。メイドは両手でイグナールの頭をガッチリと挟みと自分の顔に寄せた。


「ンン‼」


 そのまま唇と唇を重ね合わせる。


「へあ!?」


 あまりの衝撃に摩訶不思議な声を上げるモニカ。一方イグナールはメイドから逃れようと必死になるが両手で掴まれた顏はビクともしない。そんな彼にさらなる衝撃が重なる。


 ナニかが彼の唇を割って、入って来たのだ。

 湿り、ぬめるそれは勝手にイグナールの口内を物色し始める。


「んんんんん!」


 これ以上の侵入を許すものかと歯を食いしばるイグナール。しかしそれは歯の表層を、そして唇の裏をじっくり探るようになぞる。


 彼はそれに抗うことが出来ずただ蹂躙される。最早唯一の助け舟であるモニカは、石のように固まりこちらを凝視している。


 イグナールの最後の抵抗も空しく、力が抜けた瞬間を狙われ最終防衛の扉が開く。すかさず隙間に差し込まれ、彼女の舌が力技で門扉をこじ開ける。


「んんんんんんんんんん!」


 無遠慮にイグナールの口内に侵入し、物色する。口蓋をじっくりと味わうように這いずり、歯茎を舐める。イグナールは両手両足をだらりと投げ出し、大人しくなる。


 イグナールは初めての体験に圧倒され気を失った。


◇◇◇


「充電が完了致しました。ただいまより貴方様が(わたくし)御主人様(マスター)でございます」


 黒髪のメイドは満足したように唇を離すと、力の抜けたイグナールを支えながら言った。


「本日より貴方様の剣となり、盾となりましょう」


 事切れたようにだらりとしたイグナールに向かって淡々とした口調で話し続ける黒髪のメイド。

 彼に意識はなく、彼女の言葉はただただ虚空に消えていくだけだ。


 そこでようやく意識が戻ったモニカが口を挟む。


「ちょっとアンタ何者! いきなりイグナールにきききっきキスするなんて! しかも濃厚なのを! 濃厚なのををを‼ 私だってしたことないのに……」

「申し訳ございません。些か緊急でしたもので……マスターは現在放心状態のご様子。今ナニをされても気が付かないやもしれません」


 だらりと脱力し、魂の抜け殻のようになっているイグナール。

 モニカは彼の唇に釘付けになった。

 

 なぜか妖艶に濡れているように見える彼の唇に。


「た、確かに今なら……千載一遇のチャンスかも……ち、ちがうの! これはきっキスとかじゃなくて、そう! 人工呼吸ってやつなのよ! ぐったりしてるし」


 このおかしな状況で、冷静な状況判断能力を喪失したモニカは自分に言い聞かせるように独り言を重ねる。


「これはイグナールを助けるため、助けるためなんだから……」


 黒髪のメイドに両脇を掴まれ、立たされている状態のイグナールに唇を突き出し近付くモニカ。お互いの息が当たるほどに近付いたその時、イグナールの体がピクリと動く。


「ん、お、俺は……モニカ?」


 イグナールの声に意識が呼び戻されるモニカ。目を勢いよく開き、目覚めたばかりで状況を判断しかねるイグナールと目が合う。


 バチンッ!


 頭が真っ白になって思考が出来ない彼女は反射で体が動いていた。放心状態から覚醒したイグナールはモニカの渾身のビンタで再び意識を持っていかれたようで、白目を向いた。


「い、いやあぁぁあぁぁぁぁぁ‼」


 心の内側で処理しきれない恥ずかしさが口から漏れ出て、静寂の森に木霊した。


第一章 紫電の射手 ―完―


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