いぬのまき その3
黒装束は全員で六人。そのうち三人がまず動きました。
それぞれの腕に握られた黒い刃が、炎に照らされて鈍く輝きます。小さな風切り音を立てて、三方向からの刃が、狗に向かって突きこまれました。
そこに被せるように別の三人がナイフを投げます。一人の人間に対するには過剰ともいえる見事な波状攻撃でした。
しかし、狗は動じた様子もありません。投げられたナイフはまるで気にしていないかのように、向かってきた三人のわずかな時間差を見抜き、順番に対処します。
音が三回、響きました。
それはすべて、ナイフが肉を抉る音ではなく、狗の拳が黒装束を打ち据えた音でした。
「な……」
「たかが一度の失敗で、焦るからだ。あれだけの奴はそうそういねえぞ?」
呻きを上げる元主人の横から、モノタローが声をかけました。ビクリ、と元主人が身を震わせるのを無視して、腕組みしたモノタローは楽しげに続けます。
「もっとも、もう手遅れだ。せいぜい後悔しな」
その言葉に元主人は顔を青ざめさせました。そして、この状況を可笑しそうに語るモノタローを、何か恐ろしいものと認識したようでした。
射すくめられたように逃げることもできない様子の元主人に満足して、モノタローはショーを楽しみます。
得物を持つ黒装束達は、素手で対応する狗にまったく歯がたちません。数合の後に、六人いた黒装束はすべて意識を断ち切られ、地面に倒れました。
息を荒げた様子もなく、狗は元主人に視線を向けました。そしてそこで初めて、モノタローがいることに気づきました。
視線を受けて、モノタローが口を開きます。
「……どうして殺さない?」
「俺は別に、殺しが好きなわけではない。命令もない、必要もないのに殺す理由がない」
淡々と答える狗に、モノタローは軽蔑ではなく、満足の笑みを浮かべました。
それはモノタローの望む答えだったからです。
しかしほっと息を吐いた隣の元主人には、釘を指すのも忘れません。
「必要があれば、殺すってことだぜ? お前は奴にとって、殺す必要のない存在か?」
「た……助けてくれ! 金ならいくらでも払う! あいつを、殺してくれ!」
元主人がモノタローにすがりついて口にした言葉は、大層下衆なものでした。人間の口から出るヘドロのようなものに、モノタローは顔を歪めました。
「カスだな、お前は。お前が死んだらこの屋敷の金と宝石は全部いただく。俺を懐柔するなんて無意味だ」
「そ、そんな事が許されると思っているのか!」
「別に許してもらう必要はねえよ。だから、安心して死んできな」
激昂する元主人の襟をつかみ、モノタローは無慈悲に投げ飛ばしました。
どさり、と落ちたのはもちろん狗の足もとです。
「さて、見せてみな。お前の復讐を」
モノタローの言葉に、狗は答えません。ただ黙って、落ちていたナイフを拾い、つきつけました。
その黒塗りの刃には、お約束通り毒が塗られています。かすり傷でも極楽か地獄に旅立てるそれは、今その刃を向けられている男が手配し、使わせていたものです。
因果応報というにもあまりにも陰惨な光景でした。見る者はモノタローしかおらず、止める物は皆無でした。
狗は、切っ先をゆっくりと進めます。
「ひ……」
元主人の口からしゃくりあげるような悲鳴が漏れました。それは、この町で暗躍してきた男にしてはずいぶんと情けないものでした。
とうとう鼻先にまで刃が届きました。モノタローは笑みを引っ込めて、真剣な眼差しで狗の動きを見つめます。
それは、自らを道化と称した憐れな男のフィナーレを、見逃すまいとしているかのようでした。
どれくらいの時がたったのでしょう。刃は全く動きません。モノタローも、元主人も、それから狗も、微動だにしませんでした。
そして、ガラリ、と何か大きなものが燃え落ちた音がして、刃もまたその音にかき消されるように、地面に落ちました。
「……できない」
「なぜだ? そいつは生きる価値もないクズだぞ?」
呟く狗に、モノタローが冷たく問いかけます。
「わかっている。わかっているんだ……」
狗は何度も頷きます。首を横に振り、また頷きました。
「それでも……俺を拾って、育ててくれたのは、こいつなんだ……」
狗の声には、わずかに湿ったものが混ざっていました。元主人が、驚いたように眼を見開きました。
狗の独白は続きます。それは、自らを拾い、導いてくれたはずのモノタローに向けた、懺悔のようでありました。
「軽蔑するがいい。俺には、できない」
殺人を犯せないことを懺悔する。それはどこまでも哀れで、悲しい生き様でした。
「合格だ」
しかし、モノタローはむしろ満足気に頷きました。
ゆっくりと狗に歩み寄り、その身体を抱きしめます。
「俺はお前の生き様を否定しない。見事な生き様だ」
そうして、赦しを与えるように、囁きます。
「簡単に死をばら撒くことは、俺の好みじゃねえ」
その言葉と同時に、屋敷を蹂躙していた炎がかき消えました。
後に誰もが気づきます。
この災厄とも言うべき、突如屋敷を焼き尽くした炎は、ただの一人も焼いていないことを。
彼の名前はモノタロー。とある国の王女が過ちから産み落とした息子にして、育ての親に魔王を持ちます。
巨大な力を持ちながら、しかし無限とも思える優しさを持つ魔王。
その一端を、彼は間違いなく、受け継いでいました。
感動の空気を破るように不意に訪れた気配は、ごく薄いものでした。注意していなければ、モノタローであっても気がつかなかったでしょう。
しかし、彼は気づきました。そして、その行動は素早いものでした。
モノタローが腕を突き出すと、それに応えるように赤い光がモノタローと狗、そして狗の元主人を覆いました。
その光が実体を持つ間もあらばこそ、室内にも関わらず叩きつけるような勢いの雨が突然降り注ぎました。
雨は硬質な音を立て、赤い光の壁に弾かれました。光の覆っていないところに着弾した雨は、しっかりとした造りの床に、いくつもの穴を穿ちました。
明らかに、どこをどう取っても、自然の雨ではありませんでした。もしこれで自然の雨と判断するならば、反省分の提出を求めるところです。
この雨はわずかに青みを帯び、降り止むどころか更にその勢いを増していきます。
がぎぎぎぎぎぎっ!
耳障りな音を立て、赤い光の壁が軋みます。モノタローの顔がわずかにしかめられました。そして、視線がゆっくりと一点へと動いていきます。
「意外とやるね」
心から感心した、といった声で呟いたのは、先程梟と名乗った男でした。右手にやはり青い光を灯し、彼はモノタローに微笑みかけます。
「でも、時間の問題だね」
その言葉に、モノタローはうんざりしたように眼を半分にしました。
いわゆる半眼というやつです。じとーっ、とした視線を送るときに使います。
「どうでもいいけどよ、なんで出てくるんだ?」
「え?」
モノタローが何を言っているのかわからないようで、梟は首を傾げました。
その仕草は案外可愛らしいものでしたが、モノタローは当然のように無視しました。
「俺なら、姿を消したまま魔法を維持する。わざわざ的になる必要はない」
それでも理由は説明するあたり、モノタローは喋りたがりか、根は優しいかです。どちらでもあることが、濃厚です。
それでようやく納得したのか、梟は手をぽん、と合わせました。
そのまま、手をすちゃっ、とあげると、回れ右をしました。
「じゃあ僕はこれで」
「阿呆」
もちろん、モノタローはそれを見逃したりしません。空いている方の腕で、腰に帯びているそれを抜き放ちます。
名刀、血みどろ丸。
色々と――おもに名前に――問題はありますが、それは確かに王家の剣です。
抜刀された刃は鞘走りの勢いをそのままに、凄まじい勢いで空を裂きました。
そして、モノタローの力を受けて、刃の軌跡が赤い刃となって、梟へと放たれました。
梟の顔から笑みが消えました。柔らかで、けれどどこか作り物めいたその笑みがないと、梟の瞳が異様にぎらついているのがよくわかります。
光を帯びたままの右手を、赤い刃へ向けてかざします。
光は渦となって、刃を飲み込みます。
赤と青の閃光が瞬き、どちらの光も消えていきます。
いつの間にか、雨は止んでいました。モノタローは光の壁を消して、鋭く踏み込みます。
梟はわずかに半身に構えました。
モノタローは逆袈裟に刀を跳ね上げました。梟はこれを、上体をわずかに逸らしてかわします。そして、モノタローに追撃を許さず、中へと踏み込みながら拳を放ちます。
鈍い音が響きました。
梟の右腕を、モノタローが左の逆手で振るった鞘がとらえたのです。
「うあっ!」
梟が声をあげました。勢いのまま逆に踏み込んだモノタローはそれを嘲笑します。
「お前は闇に溶けきれてねえよ。梟を名乗るには、お前は派手で、けれど真っ当すぎる」
唇が触れそうなほどの至近距離で、二人が睨みあいました。
「出直してきな」
モノタローの言葉に、梟失格と呼ばれた男は、苦笑します。
「ずいぶんと、余裕だね」
霧が発生し、梟を包みます。たちまちのうちにその姿が見えなくなりました。
「後悔するよ」
「させてみな」
即座に応じたモノタローの言葉に、霧の中からの答えはありませんでした。
そして、霧が晴れた時、その姿もまた、なかったのです。
読んでくれてありがとうございます。
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なお残りの半分はネタ心でできています。




