いぬのまき その2
ご都合主義全開ではあるものの、きび団子の効果は凄まじく、狗はあっという間に回復しました。ただし、中毒性があるようで、ちょっぴりトリップしかかっていたことは述べておかなくてはならないでしょう。
薬は用法、用量をよく守って正しくお使いください、ということです。
ともかく、回復した狗の動きは速く、夜の大坂を音もなく駆け抜けていきます。
しかしモノタローも引けはとりません。鬼火を消しても彼は夜の闇に惑わされることもなく、しっかりと狗についていきます。
その身のこなしに狗は内心で舌を巻く思いでしたが、口には出しませんでした。
ただ、屋根を伝い走り続け、やがて一際大きな屋敷を眼前にした時に、ぽつりと一言だけを言いました。
「ここだ」
モノタローは頷きだけで答えました。右の掌に、今度は青白い鬼火ではなく、地獄の窯を煮るような、真っ赤な炎が生まれました。
「派手なやつだ」
狗はモノタローが何をするか理解しましたが、特に止めもしませんでした。
ここで大立ち回りを演じたら、多勢に無勢。せっかく拾った命をまた捨てることになりかねない、と理解しながらも狗にはどうでもいいことだったのです。
ただ彼は、最後に自分の意志で抗いたいだけでした。何に抗いたいかもはっきりとはしません。反抗期的な何かです。
しかし、モノタローは違います。
彼は明確な意志を持って、確かに歩む道の途中として、ここにいます。
彼には捨て鉢な気分などありません。しっかりと勝ち、生き残るつもりで炎を大きくします。
狗が眩しそうに眼を細めました。それは決して、炎の光のせいではありませんでした。
「さあ! 始めるぞ!」
モノタローは狗の視線が自分に向いていることなどお構いなしに叫び、右手を突き出しました。
空気を焼きながら、炎が渦となってその大きな屋敷へと叩きつけられます。
炎に与えられた勢いで、土壁が貫かれます。一気に屋敷の内部に達した炎は、貪欲に空気を貪り、一気に膨張していきます。
ほどなく爆発音が響き、いくつもの悲鳴と、怒号が響き渡ります。
屋敷から慌てて人々が出て来て、周囲の住民たちと会わせて逃げ惑いますが、炎は容赦なく彼らを喰らおうとその舌をいくつも伸ばしていきました。
すべては、ごく短い時間の出来事です。しかしその短い時間で、阿鼻叫喚の地獄絵図が出来上がりました。
「後は任せるぜ? 見せてみな。お前の生き様を。運命に復讐し、これからお前がどうあるかを」
モノタローが狗にニヤリ、と笑いかけました。狗は笑みを返さずに、ただ頷きました。
そして、炎に包まれる屋敷へと飛びこんでいきます。
彼の姿を認めた番兵は口を開くよりも早く、鮮血を撒き散らして絶命しました。
狗がまったくの躊躇も見せなかったことに満足して、モノタローは燃え上がる屋敷を見つめました。
屋敷、というには豪奢過ぎるその建物は、大坂では御殿と呼ばれていました。真っ当な金、後ろ暗い金。あらゆる方法で儲けた金で建てられたそれは、もちろん耐火性能を備えています。
だから、モノタローはまず外壁を突き破ってから燃え上がらせました。どのような防壁も内部から攻められれば脆いものです。壁こそ燃え上がりませんが、外側の華美な装飾はどろり、と溶けていきます。
ほどなく炎がすべてを飲みつくすでしょう。あるいは、狗をも。
モノタローは特に心配しませんでした。自分が眼をつけた男が、それくらいで息絶えるはずがないと、確信していました。
それは、まさしく王者の思考でした。
ふと、その思考が止まります。止めざるを得ませんでした。
モノタローの眼前で、突如雨が降り始めたからです。
音を立てて、水蒸気を撒き散らしながら、しかし雨は――ごく局地的な雨は――炎を鎮めていきます。
「……ずいぶん、頭の巡りが悪いんだね」
声に振り向くと、隣の屋根に一人の男が立っていました。背はモノタローと同じくらいですが、その線は細く、ずいぶん華奢に見えます。
腰まである髪をサラリとゆらし、男はモノタローに微笑みかけます。
その仕草がとても似合うほど、男は整った顔立ちでした。
しかし、眼がおかしい。少なくともモノタローはそう思いました。
男の眼は澄んでいますが、どこか虚ろを見ているかのようでした。
歪んだ瞳に、整った造作。その組み合わせがかえって不気味さを増しています。
「お前は、なんだ?」
男の掌から青い光が生まれ、それが雨となっていることを見逃さず、モノタローは率直に尋ねました。
「僕かい? 僕は梟」
男はそう名乗ると、クスリ、と微笑みました。見る人によってはちょっと危ない趣味に目覚めかねないやつです。
「鬼ヶ島で羽ばたこうとする、名もなき一羽の鳥さ」
ポエマーではありません。多分。
梟、と名乗った男に、モノタローは眼を細めました。そこらの人間であれば、それだけで思わず謝ってしそうな眼光でしたが、梟は動じた様子もなく、笑みすら浮かべたままでした。
「それで、俺の炎を消した理由はなんだ?」
確認するようにモノタローが問いかけます。梟はやれやれ、とでも言いたそうに首を振りました。
「そんなことも説明しないとわからないのかい? やっぱり頭の巡りは悪いね」
梟はそう言いながらも、喋りたがりのようで、笑みを一層深くして、語り始めます。結構なナルシストですよね。
「君の目的も軍資金だと思うけれど、燃やしてしまっては意味がないだろう? この屋敷は外の彫刻も美術品なんだ。それこそ中にある現金よりもよっぽど金になる」
モノタローは呆れました。仰々しく登場し、いきなり自分を馬鹿呼ばわりしたこの梟がどういった存在か、それはそれは楽しみに思いながら対峙していたのですが、ものの数瞬で終わりでした。
更に何かを語ろうとする梟に、モノタローはうんざりした気分で反論します。
「それはわかるぜ? だがあの馬鹿でかい彫刻やら絵画やら、お前は持って歩く気か? そもそもどうやって売る気だ? 足がつかないルートの確立にどれくらいかかると思っている? お前まさか、同じ大坂で足がつかないとか考えてないだろうな?」
あるいは、モノタローの指摘した問題点は、既に解決しているのかもしれません。もしそうであれば、やっぱり楽しめる、とモノタローはわずかに期待します。
しかし、眼前で梟は凍りついていました。屋敷にだけ降り注いでいた雨も止んでいます。
梟は浮かべた笑みはそのままに、おかしな汗を滝のように垂らしています。ちょっと面白い顔になっているので、似顔絵でも書きたくなりましたが、生憎とモノタローもそれほど暇ではありません。
「お前の頭の巡りは氷河期か? 顔を洗って出直してきな」
モノタローは冷たくそう放り捨てると、屋根から跳躍しました。
向かう先はもちろん、再び火が勢いを取り戻し始めた屋敷です。
「変な奴に時間を取られちまったな。ショーが終わってないといいが」
そう呟くモノタローの表情は、どこまでも邪悪でした。
背後からシクシク、とすすり泣きのような声が聞こえてきた気がして、思わずその表情が崩れてしまいそうになりますが、モノタローは何とかキープに成功しました。
もちろん、決して後ろは振り返りません。見据える先はいつだって前なのです。
それにしても、モノタロー自身の見立てではかなりの魔法の使い手が、精神的にそこまで脆い、とは考えたくも有りませんでした。
モノタローは何というか気持ちの悪い想像をしないように、走ることに意識を集中します。
火が蛇のように屋敷を蹂躙する中を駆け抜け、屋敷の主の部屋へと続く扉を蹴り飛ばしました。鍵はかかっておらず、簡単に開きました。
それはすなわち、彼の望んだ通りの状態でした。
狗が、部屋の中央に無表情に立っていました。周囲を同じような黒装束の数人に囲まれながら、その表情からはどんな感情も読み取れません。
その集団から離れた位置に、恰幅のいい男が立っています。あれが、狗の元主人でしょう。
間に合った、とモノタローは嗤いました。
「イッツ・ショータイム」
モノタローの言葉にか、あるいは存在にか、弾かれたように狗と黒装束達が動きます。
地獄のサーカスの、幕開けでした。
読んでくれてありがとうございます。
このおはなしの半分は承認欲求でできています。
いいねとか超ほしいです。
なお残りの半分はネタ心でできています。
梟ってちょっとかっこいいよね、と思っていたのになんというか残念な感じに。