きじのまき その5
大遅刻かましました。
狗と勇者は、同時に動きました。
お互いに相手を制するべく先に動こうとします。それがお互いに間合いを詰めさせました。
結局、二人は短刀すら役に立たない、超接近戦を始めます。
互いに残像すら見える動きで、相手の一撃をかわし、さばいて、逆に相手の急所を狙います。
雉が空中から勇者に一撃を加えようとして、諦めました。
APEはわずかに意識を取り戻して、二人を見ると、脱力したように座り込みました。
そして、モノタローは、満足そうに微笑んで、立ち上がりました。
しかしその笑みは、すぐに消えます。
どんっ! と音を立てて、勇者の掌底が狗を捉え、吹き飛ばしました。
空中で死に体になった狗に、水滴の弾丸が撃ち込まれます。
「兄貴!」
雉が叫びましたが、彼にもどうしようもありません。
「ちっ!」
モノタローがものすごいスピードで駆け出し、狗をつき飛ばしました。
けれどもそれすらわずかに遅く、弾丸は、狗とモノタローの腕を、貫きました。
「があっ!」
「ぐっ!」
二人の悲鳴が重なります。
致命傷でこそないものの、どちらも腕は使い物になりません。
モノタローは左腕でしたが、狗は効き腕である右腕をやられています。戦闘の続行は難しいでしょう。
思わぬ展開に、勇者の顔に嘲りの笑みが戻ります。
「愚かなやつだ。駒をかばうとは」
モノタローも、脂汗を流しながら、嗤いました。
「愚かか? 本当にそう思うなら、お前は小さな奴だ」
言葉とともに、血みどろ丸を抜き放ちます。
名刀は、闇の中心でも変わらずに輝きました。
「ふん。愚か以外の、なんだというのだ?」
勇者は言い返すと、何も帯びていない腰に手をもっていき、抜刀するように動かしました。
すると、いつの間にかその手には一振りの刀が収まっています。
しかもそれは、血みどろ丸にそっくりでした。キラリ、と機嫌良さそうに輝くところまで瓜二つです。
「それは……?」
「これもまた王家の剣。その名を、血吸丸」
訝しむモノタローに得意げに答え、勇者は正眼に刀を構えました。
「これを使うのは魔王と戦った時以来だ。光栄に思え」
「……」
とりあえず、鬼ヶ島落としたら王家を滅ぼそう。モノタローはちょっとだけそんな事を考えました。
まるで兄弟のようにそっくりな二振りの名刀がぶつかります。
力から来る腕の振り、そして速さとなる体捌き。そのどちらも勇者が上でした。
そのため、数合ぶつかった後は、モノタローは防戦一方に追い込まれます。
「ちっ!」
舌打ちをして、再び押し返そうとしますが、勇者にはモノタローから見える隙がありませんでした。次第に、舌打ちをするようなわずかな余力もなくなります。
ぎんっ!
大きな音を立てて、モノタローが持つ血みどろ丸が跳ねあげられました。
大きく空いた懐に、勇者が飛び込みます。
剣の構えは突き。急所を一点に貫く、最も殺傷力の高い斬撃です。
ただし、それには――急所を正確に貫くことが要求されます。
モノタローは、身体をひねり、斬撃をかわそうとします。
それは完全に捌けるような動作ではありませんでしたが、それでも、急所は外れます。
ぞぶり、と肉に差し込まれる音が響き、鮮血が飛び散ります。
「モノタロー!」
空中から、雉の叫び声が聞こえましたが、モノタローは無視して、ただ一点に意識を集中します。
ただ一点、すなわち、身体を捻りながら突きだした、勇者の眼前にある左手に。
「燃えろおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「何っ?」
突如膨れ上がった莫大な魔力はそのまま炎となり、驚愕の声ごと、勇者を飲み込みました。
「がああああああっ!」
意識を失わないのは、さすがに勇者と言うべきでしょうか。ただし、それが幸運なこととは限りません。
モノタローは腹部に刀を突き刺したまま、のたうちまわる勇者に向けて足を振りおろしました。ご丁寧に魔法で炎を纏っています。
ぶしゅり、とモノタローの腹から再び鮮血が舞います。そして一拍遅れて、勇者の骨が折れる鈍い音が響きました。さらに、肉が焦げる音がします。
三つの音が、メロディを奏でるかのように、何度も広間に響きます。
その凄惨な光景に、空中の雉は自覚なく身体を震わせていました。
血と炎が舞う地獄の祭。そんな言葉が似合う光景は、この世のものとは思えません。
まさしく、二人の鬼が、戦っているかのようでした。
いつの間にか音は止み、モノタローは腹から血吸丸を抜いて、止血を始めました。
その足元では、だらりと力なく倒れた勇者が、何事かを言おうとしているようでした。
聞こえなくては困る、と雉も二人のすぐ近くに着地しました。
「な……んだ? お前は? 命が……惜しくない……のか?」
その言葉には、驚愕だけが込められていました。
魔力を直接当てて止血した後、きつく包帯を巻きながら、モノタローは答えます。
「惜しいさ。だがまあ、お前に勝つにはあれしか思いつかなかった」
手早く包帯の処置を終え、更に彼は続けました。
「どうせじり貧で落とす命なら、捨て身にかけるのも一興だろう?」
そして、見事に嗤ってみせるのです。
「見事だ」
それを勇者も認め、全身からわずかに残っていた力が抜けていきます。
モノタローと、そして雉が、死者へと瞑目を送ろうとして――
「だが、まだ終わりではない」
その声は、唐突に響きました。
「知るがいい……鬼に堕ちる意味を」
声は、どこからか響いているのではありませんでした。
どこからも、響いてきました。
まるで広間のすべてから、いえ、この島全体から響いてくるようでした。
モノタローと雉は、互いに一瞬だけ視線を交わし、まず動かなくなった勇者から離れました。
そして、動かないままの狗とAPEをそれぞれ抱え、広間の外へと乱暴に放り投げました。
一切無駄口を叩かない、しかし息のあった動きでした。
そのまま、鏡に映したかのように二人は再び向き直ります。
いまや黒い闇が侵蝕し、何か別のものへと変貌しつつある、かつて勇者だったものへと向き直ります。
そこには、膨大な魔力がありました。
熟達した力を持つ二人が、意識を失ったままではいられないほどに。
あるいは――本能が目覚めることを拒ませるほどに。
ぞぞぞぞぞぞっ!
緊張に身体を固くする二人の視線の先で、音を立てて闇が動きます。
侵蝕が進み、勇者の身体は完全に闇に飲み込まれました。
一つの塊となった闇が、飲み込んだはずのものを無視し、小さな球体になります。
そして、ぱちん、と弾けました。
決して眩しくはないのに、直視のできない闇が、二人の視界を一瞬奪います。
その一瞬で、闇は再び形をとります。
それは外見で言えば、かつて勇者と呼ばれた人間によく似ていました。
しかし、決定的に違いました。
十人が見れば十人が、百人が見れば百人が違うと言うでしょう。
肌の色も、唇も、瞳も。何もかもが黒一色のそれは、この世のものとは思えない、おぞましいものでした。
二人が絶句していると、音を立ててその額に角が生えました。それもやはり、真っ黒です。
「鬼……」
雉が、絞り出すようにそれの名前を呼びました。
そこには、あらゆる商品が――もちろん人間も例外ではなく――売買され、あらゆる酒が水のように飲まれます。
色とりどりの煙を吐き出す麻薬は、すべてここを通って、そして世界へと広がります。
そして、考えられる限りのギャンブルが、提供されています。
絶海の孤島に作られた、王国という光の届かない闇の世界の中でも、一際色濃い真の闇。
そこでは、人の身をしながら人の心を捨てなければ生きられません。
それ故に、誰にともなく、こう呼ばれます。
そこは人ならぬ、鬼の世界。
鬼の棲む島。すなわち、『鬼ヶ島』と。
それは間違いではありません。
しかしそれは、正確でもありません。
そこは――鬼を産む島。
故に名乗りて――――『鬼ヶ島』




